【ワシントン=河浪武史】1979年から8年間にわたって米連邦準備理事会(FRB)議長を務めたポール・ボルカー氏が8日、死去した。92歳だった。大胆な金融引き締めを断行し、米経済を苦しめた高率のインフレを封じ込めた功績で知られる。2008年の金融危機後にはオバマ政権下で金融規制を強化する「ボルカー・ルール」を立案した。
1927年生まれ。ニューヨーク連銀総裁などを経て、カーター政権下で第12代FRB議長に就任した。米経済は10%を超える高インフレに悩んでいたが政策金利を20%に引き上げて「インフレ退治」を徹底した。当時は「ボルカー・ショック」と呼ばれ、副作用で深刻な景気後退を招いたものの、その後の「大いなる安定(グレート・モデレーション)」の下地をつくった。
87年にFRB議長を退任した後も投資銀行の経営トップを務めるなど、金融界の一線にとどまり続けた。2008年のリーマン・ショック後に、オバマ大統領(当時)に請われて金融システムの立て直しを担う経済再生諮問会議の議長に就任。金融機関の高リスク投資を制限する「ボルカー・ルール」を提案した。
ボルカー氏の金融引き締めはホワイトハウスや米議会の強い反発も招いたが、インフレを封じ込めた功績から、独立した中央銀行の重要さを印象づけた。2004年10月、日本経済新聞に「私の履歴書」を連載した。