「負の性欲」はなぜバズったのか? そのヤバすぎる「本当の意味」

男女の「生殖戦略」の違いが示すこと
御田寺 圭 プロフィール

男女の「生殖戦略」の違い

「負の性欲」なるワーディングには新奇性があるようにも見えるが、説明されていること自体は、生物のあいだにおおよそ広くみられるものである。しかしながら、広大なネットの海を漂っているうちにことばの定義や意味が発散してしまうこともままあるため、ひとまず、その原義を把握しておこう。

一般に、生物のオスは自らの遺伝子をより多くのメスに播種しようとする。いわば、自分の遺伝子を「拡散」させることに強いインセンティブがある。理論的には、オスは同時に複数のメスに自分の遺伝子を抱えさせることができるためだ。

一方のメスは、同時に複数のオスからの遺伝子を受け入れられるわけではない。周囲に100のオスがいたとしても、一度の妊娠では単一のオスの遺伝子を受け継ぐほかない。したがって、より優れた子孫を残すためには、オスのなかでもより優れたものを「厳選」することに強いインセンティブがある。実際に人間においても、男性はより多くの相手との短期的な配偶機会を求める傾向があり、女性はより少ない相手との長期的な配偶関係を求める傾向があることが示されている。*1

 

言い換えれば、オスの性欲は「交渉権の行使」であるのに対して、メスの性欲は「拒否権の行使」であるともいえる。

積極的・能動的にパートナーを探し、あわよくば複数のメスとたくさんの子孫を残そうとするオスと、受動的・消極的にパートナーを選ぶことで子孫の生存確率を高めようとするメス──前者の行動を「正」の性欲に基づく行動とするならば、後者の行動はまさしく「負」の性欲に基づく行動といえる。ここでいう正/負はあくまで行動様式の方向性を指し示すものであり、「正」がGOOD(善)で、「負」がBAD(悪)という意味ではない。

「負の性欲」が一気に拡散した理由には、「負」という語に「悪い」というニュアンスを読み取った人びとからの拒否反応や怒りもあっただろうが、それは誤解である。皮肉なことに、そうした人びとからの「拒否反応」こそが、まさに「負の性欲」が指摘する内容そのものであった。

自分にとって到底受け入れがたい男性のことを遠ざけたい、ましてやそうした男性が性欲を自分に向けることなど言語道断、断固として拒絶したいと感じることを「それは(負の)性欲だよ」などと言われて腹が立つのはわからないでもない。

しかし、そうした「怒り」や「軽蔑」の表明こそがまさに「よりよい子孫を残すための拒否権の行使」の一環であることを、「負の性欲」ということばは説明しているのだ(つまり、「キモい奴にキモいと言うことの何が悪い」と言って「負の性欲」を否定することは、かえって「負の性欲」ということばが指し示すものを肯定的に補強してしまう)。