青地に二丁のライフルが斜めに交差したマークの旗がたなびいている。市民ボランティアが作った市民軍の旗だ。
堅固なバリケードが褐色のハイネセンを囲んでいる。義勇兵一五万人、警察官三万人、軍人一万人が警備にあたる。市民ボランティア四〇万人と自治体職員二〇万人が後方支援を行う。一〇〇〇万を超える住民も市民軍の味方だ。防災倉庫に蓄えられた膨大な物資がこれらの人々を支える。
市民軍は調略戦に力を入れた。中立派を取り込み、再建会議を切り崩し、数の力で敵を屈服させるのだ。
将官、政治家、高級官僚といった要人に対しては、幹部が水面下で接触する。再建会議をベストだと信じる者は一握りだ。ほとんどはベターな選択として選んだに過ぎない。損得で動く者はより大きな利益を示せば転ぶ。理屈で動く者はより正しい理屈を示せば転ぶ。強者に従う者はより大きな力を示せば転ぶ。
中堅以下の軍人や公務員に対する切り崩しも進んだ。義勇兵や市民ボランティアから再建会議派組織に知り合いがいる者を選び、組織的な説得工作を繰り広げる。家族、友人、職場、学校、同郷などあらゆる人脈が動員された。
市民軍は要請や命令を敵味方問わず送る。もちろん、再建会議派の組織が実施するとは思っていない。敵の最大の弱点は正統性がないということだ。成り行きで従っている者が、「市民軍に従った方がいいんじゃないか」と迷うことを期待した。
こうした工作に対し、再建会議は封鎖部隊の入れ替えや防災通信の遮断などの措置を取る。市民軍との接触を減らそうという狙いだ。
向こう側からの接触もあった。密かに市民軍に心を寄せる者もいれば、再建会議と市民軍の二股をかけようとする者、探りを入れてくる者、こちらを説得しようとする者もいた。足元を見られないように注意しつつ説得を行う。
クーデター三日目の一一月二日、コンスタント・パリー中将が通信を入れてきた。国家非常事態委員会(SEC)のメンバーにも関わらず、抵抗せずに出頭した人だ。しかも、翌日には釈放されて再建会議の配下になった。
「どのようなご用件でしょう?」
俺は不快感を礼節で隠す。
「和睦を勧めに来た」
「お断りします。それでは」
「話ぐらいは聞いてくれんかね」
「トリューニヒト議長に政権を返すとか、そういう話ではないんでしょう? だったら話す余地はありません」
「貴官は本当に頑固だな。だからこそ信頼できるとも言えるが」
パリー中将の精悍な顔に困ったような笑いが浮かぶ。
「俺はあなたを信頼していました。過去形で言わなければならないのが残念です」
「許してくれとは言わんよ」
「なぜ裏切ったんですか? トリューニヒト議長はあなたを高く評価していたのに」
俺はパリー中将の目をまっすぐに見つめた。和睦には興味がないが、裏切った理由には興味がある。
「気持ちが切れた」
「どういうことです?」
「言葉の通りさ。トリューニヒト先生なら強い軍隊を作ってくれると信じていた。しかし、政権を取ってみると、がっかりすることばかりだった。支持率を稼ぐために過剰な戦力をぶちこむ。見かけの兵力を増やすだけで、練度の向上には興味がない。軍需産業に金を落とすために、使える装備を破棄し、不要な新型装備を買い揃える。こんな政治家に国防を任せられるかね?」
パリー中将の言うことは事実だった。国防費が増えたのに、同盟軍の質は低下している。良識派が軍縮と質的向上を両立させたことを思うと、トリューニヒト政権の無能は明白だ。
「我々軍人が補佐すればいいじゃないですか」
「トリューニヒト先生は人の話を聞いているようで聞いていない。都合のいい意見以外は耳をすり抜ける。貴官だってわかってるだろう」
「それでも、補佐するのが軍人の仕事です」
「軍人は私や貴官だけではないんだぞ? SECの会議を思い出してみろ。トリューニヒト先生はああいう軍人を重用しているんだ。頑張ったところで、イエスマン連中が台無しにする」
「…………」
何も言えなかった。パリー中将のような理想家がやりづらいのはわかる。個人的な好意からトリューニヒト派に属している俺とは違う。
「クーデターが起きたと知った時、抵抗する気が起きなかった。気づかないうちに限界を越えてたんだろうな」
パリー中将はおそろしく晴れやかな顔をしていた。
「一時の迷いだと信じています。気持ちが変わったら、いつでも戻ってきてください」
俺は爽やかに笑いかけた。演技をする必要はなかった。できることなら戻ってほしいと思う。その一方で絶対に戻らないだろうという確信もあった。
その四時間後、レヴィ・ストークス中将と通信を交わした。第一一艦隊の副司令官をしていた提督で、クーデターには計画段階から関わっていた。
「フィリップス提督とは戦いたくないんだがなあ」
「俺もストークス提督とは戦いたくありません」
「ルグランジュ提督もそっち側だろう? やりにくいことこの上ない」
「市民軍に来てください。旧第一一艦隊が一つにまとまれば心強いです」
俺もストークス中将もくつろいだ雰囲気で話す。気心の知れた相手だし、憎くて敵対しているわけでもない。
「君とルグランジュ提督が再建会議に来ればいい」
「それは無理です。俺には治安を守る任務がありますから」
「こちらから見れば、治安を乱しているのは君だよ」
「あなたが市民軍に来たら、再建会議が治安を乱しているように見えるはずです」
「そりゃそうだ」
「一緒に治安を守りましょう」
「お断りだ。部下を政権支持率のために死なせたくない」
ストークス中将の表情が引き締まる。
「ラグナロックを思い出せ。我々は政権支持率に振り回された。艦隊戦も地上戦も占領行政も、すべてが支持率が基準だった。敗色が濃厚になっても、支持率低下が怖いという理由で撤退できなかった。おかげで第一一艦隊は仲間の半数を失った」
「決して忘れはしません。あまりに多くのものを失いすぎました」
俺は両手を握り締める。忘れたくても忘れられない。ラグナロックは決して癒えない傷だ。
「ならば、再建会議に味方しろ。ボロディン提督は兵を無駄死にさせない人だ」
「俺はトリューニヒト議長を支えます。ラグナロックに反対した方ですし」
「あいつもウィンザーと同類だろうが。レグニツァでも辺境正常化作戦でも、支持率を稼ぐために出兵した」
「兵の待遇を改善するには、戦果が必要なんです」
「わかっている。政治家の仕事は有権者を満足させることだからな。軍人は協力する見返りとして予算をもらう。部下の待遇を良くできるのなら、支持率稼ぎにも意味がある。そう思って不満を飲み込んできた。だが、心には嘘をつけんよ」
ストークス中将は寂しそうに笑う。
「お気持ちはわかります。しかし、クーデターは容認できません」
「そこが君の最後のよりどころか」
「俺は民主主義の枠内で戦います。ストークス提督にもそうしていただきたいと願います」
決別の言葉は口にしない。ストークス中将は半端な覚悟で動く人ではない。前の世界ではクーデター勢力の一員となり、死ぬまで戦った。この世界でもそうするだろう。それでも諦めたくはなかった。
やるせない気持ちになったので、マフィンを四個食べる。飲み物は砂糖とクリームでドロドロになったコーヒーだ。糖分を補給しないとやっていられない。最近はマフィンを食べる量が三倍に増えた。
そのことを話すと、宇宙艦隊司令長官代行フィリップ・ルグランジュ大将が、スクリーンの向こう側で笑った。
「良く太らないな」
「トレーニングの賜物です」
「まあ、あれだけ体を動かしてたら太るはずもないか」
「体脂肪率が一一パーセントにならないよう、努力しています」
「私は少し体脂肪率が上がった。走る時間が取れなくてな」
「執務室にルームランナーを置けばいいんですよ」
筋肉と運動について数分ほど話した後、ストークス中将の事に話題が移る。
「ストークスの奴がそんなことを言っていたのか」
「責められないですよね」
「気持ちはわかる。私も一度は抗命したからな」
「誘いはなかったんですか?」
俺はまっすぐに切り込んだ。ストークス中将が決起するなら、ルグランジュ大将に声を掛けないはずがない。
「なかったぞ」
「正直におっしゃってください。腹の中に収めておきますから」
「まったくなかった。通信を入れてきても雑談ばかりでな。クーデターに参加したと聞いて仰天した」
ルグランジュ大将は困ったような顔をする。嘘をついているようには見えなかった。もともと騙し合いは苦手な人だし、隠し事をする理由もない。
「どうしてでしょうね」
「貴官がうるさかったからじゃないか? 『クーデターが起きる』と騒いでいる奴と、しょっちゅう飯を食ってるんだ。普通は警戒するだろう」
「そんなものでしょうか」
「私は隠し事が苦手だ。他人には話さないことも、身内同然の貴官には話してしまう。あいつならわかってるだろう」
「ストークス中将から誘われたら、どう返事したと思いますか?」
俺は真顔で質問する。前の世界のルグランジュ大将はクーデターに加担した。この世界で加担する可能性があったのか? 気にならないと言えば嘘だ。
「貴官に話すさ。そして、二人でストークスに『馬鹿なことはよせ』と言ってやる。それが戦友というものだ」
「俺がいなかったと仮定してください」
「貴官のいない人生なんぞ想像もつかん」
「お願いします。ヴァルハラで死んだとでも思ってください」
「妙な仮定だな」
ルグランジュ大将は角ばった顎に手を当てて考え込む。
「話は聞くだろう。戦友を追い返すのは道理に反する。承諾したかもしれん。兵を無駄死にさせたくないのはわかる。私だって部下の半分をなくしたんだ。あんな戦いは二度とやりたくない」
「やっぱり……」
前と今の違いが紙一重でしかなかった。その事実に落ち込んでしまう。
「暗い顔をするな。貴官は生きていて、私はクーデターに加わっていない。それが現実だぞ」
「それはわかっています。わかっているんですが……」
「ストークスがああなったのを悔やんでいるのはわかる。しかし、あいつ以外の旧第一一艦隊はクーデターに参加しなかった。貴官が走り回ったおかげだ。それで十分ではないか」
ルグランジュ大将は俺を励まそうとした。少し勘違いしているようだったが、それでもありがたい。前の世界でこの人の部下は死ぬまで戦った。そうなるのも当然だと思える。
「おっしゃる通りです。ありがとうございます」
「あまり気に病むな。あと、マフィンが三倍というのは多すぎる。せめて二倍にしろ」
俺の体にまで気を使ってくれた。このような人が味方に付いているのだ。いつまでも落ち込んではいられない。
市民軍は調略戦を優位に進めた。中隊単位や大隊単位で帰順してくる者が相次いだ。寝返らなかったものの、動きが取れなくなった部隊も多い。自治体、警察、消防などもかなり切り崩した。
北大陸北部の第九陸戦遠征軍は首都圏を目指す。この部隊の参謀長エベンス准将は、前の世界でクーデター首謀者の一人だった。皮肉な巡り合わせと言えよう。
北大陸南部では第九機動軍が再建会議派部隊と睨み合っている。司令官フェーブロム少将は有能だが人望に欠ける。最精鋭の第七七機甲軍団は敵に寝返った。こうしたことから、市民軍側では珍しく士気が低い。
東大陸の市民軍は西部の再建会議派都市を封鎖した。前の世界でクーデターに参加したルグランジュ大将が総指揮を取る。過激派のファルスキー中将率いる第七機動軍が、中北部から西に進む。前の世界で皇帝を誘拐したシューマッハ少将の第七陸戦遠征軍が、西南部から北上する。カオスとしか言いようがない組み合わせだ。ハイネセン東部軍、ハイネセン太洋艦隊も作戦に加わった。
中央大陸では、再建会議派の第六陸戦遠征軍が太洋艦隊陸上部隊を圧倒している。前の歴史を知る者から見れば、ヤン派部隊がクーデターに加担するのは信じられない。
南大陸は安定状態にある。ハイネセン南部軍が市民軍支持でまとまっており、北西部に駐留する第一五機動軍は内紛で動けない。
海上においても争いが繰り広げられた。市民軍派のハイネセン太洋艦隊・第七機動軍水上部隊・第九機動軍水上部隊に対し、再建会議派の第一機動軍水上部隊と第五機動軍水上部隊が挑む。海を巡る争いは、太洋艦隊を擁する市民軍が優位に立った。
これらの争いでは火力は用いられず、機動力だけが用いられた。優位な位置を占め、補給線を遮断し、退却に追い込む。死者を一人も出さず、負傷者もわずかしかいない。陸地や海洋や空を舞台とした陣取り合戦だ。
市民は軍人に負けじと頑張る。市民軍を支持する者が、再建会議派の都市で抗議デモを繰り広げた。大衆党系の労働組合が無期限のゼネストに突入した。
クーデター四日目の一一月三日、反トリューニヒト派に分裂の兆しが生じた。公然と再建会議に反対する者が現れたのだ。
進歩党のレベロ代表とホワン幹事長は記者会見を開き、再建会議に退陣を求めた。この良識的な決断は、民主主義より改革を優先する者の反発を買うこととなった。ハイネセン各地の進歩党支部は次々と二人の除名勧告を決議し、緊急両院議員総会において除名が決定された。
反戦市民連合は再建会議支持派と反再建会議派に分裂した。反再建会議派のソーンダイク下院議員、アブジュ下院議員らは市民軍には参加せず、独自の抵抗運動を組織するという。
国民平和会議(NPC)のウィンザー元国防委員長は、再建会議派の党執行部に離党届を叩き付けた。記者に対し、「どれほど犠牲が多くとも、なすべきことがあります」と述べ、反クーデターの意思を示している。再建会議がラグナロック戦役の推進者を任用しないため、反クーデター闘争に活路を求めたとの見方が強い。
ジャーナリストのパトリック・アッテンボローは、親友のエルズバーグ都知事から再建会議報道官のポストを提示されたが拒否した。「ジャーナリストは権力と戦わなければならない」との信念によるものである。そして、再建会議を批判する記事を書いた。エルズバーグ都知事は親友に深く感謝し、「我々を腐敗から救ってくれるのはパトリックだ」と語った。
再建会議も手をこまねいていたわけではない。国防委員会情報部が中心となり、トリューニヒト政権の基盤を掘り崩す動きに出た。
大衆党、統一正義党、銀河左派ブロックの三党に対し、「テロ活動防止法」に基づく解散命令が出た。所属議員は規定により、被選挙権を一〇年間停止されることとなった。
憂国騎士団は初めてテロ組織に指定された。危険度はエル・ファシル革命政府やエリューセラ民主軍と同じSSである。再建会議を支持しない者もこの決定を歓迎した。
選挙前からトリューニヒト派への肩入れが露骨だった同盟警察と中央検察庁は、徹底的な粛清にあった。トリューニヒト議長の出身母体であり、極右勢力との癒着が噂される同盟警察公安部は、課に格下げされた。同盟警察所属の重武装部隊は解散させられた。トリューニヒト政権と親密な警察官僚や検察官僚は免職処分となった。
地球教、十字教贖罪派、楽土教清浄派、美徳教など一〇二教団が、宗教法人認証を抹消された。これらの教団が加盟する愛国宗教者協会は、トリューニヒト政権の有力支持団体である。
大衆党系の労働組合は活動禁止処分を受けた。トリューニヒト政権成立の原動力となった巨大組織は、この状況下においても大きな脅威だったのだ。
警察と憂国騎士団の圧力がなくなったため、マスコミはここぞとばかりにトリューニヒト政権を叩いた。もともと疑惑まみれの政権であったし、再建会議が未公開情報を次々と公開したこともあり、批判材料には事欠かなかった。
これらの動きは反トリューニヒト派を満足させる一方で、トリューニヒト政権を支持する人々の怒りを買った。
大衆党を勝利させたのは、低所得者と辺境出身者の票である。「トリューニヒトを支持するのは貧乏人と田舎者」という反トリューニヒト派の言葉は、偏見まみれであるが間違いではない。学歴も教養もない人々にとって、エリートだが知的に見えないトリューニヒト議長は親しみやすい存在である。辺境で生まれ育った人々は、田舎の農場主の子であるトリューニヒト議長に仲間意識を抱いていた。マスコミがトリューニヒト批判を行うほど、彼らは再建会議への反発を強めた。
人々に先を争うように市民軍に加入した。そのほとんどは無名の市民や軍人であるが、名を知られた人もいた。
「エリート層の支持が今ひとつなんだよなあ」
俺はプリントアウトされた市民軍名簿をめくる。ハイネセンで最も頭が良い人々は再建会議を支持していた。
「再建会議の政策は現実的ですから」
チュン・ウー・チェン参謀長代理が再建会議の政策パンフレットを開いた。
「財政再建、帝国との講和、軍縮、移民の自由化、交易規制の撤廃、補助金の撤廃、社会保障の縮小、所得税率の引き下げ、辺境植民の推進、軍需産業の民需転換、経済統制関連法の廃止、戦争犯罪の厳罰化、自由惑星同盟からの離脱容認……。ハイネセン主義者は大喜びだね。時計の針がダゴン以前の『古き良き時代』に戻るんだ。レベロ先生とホワン先生を追い出してもお釣りがくる」
「選挙で選ばれた政権がやってくれるのなら、喜んで支持するのですが」
「それが正しい民主主義者のあり方だよ」
「改革してくれるなら民主主義はどうでもいい。そんな人間がハイネセン主義者に混じっていたのは残念です」
「君はそうだろうね」
俺は心の底から同意した。前の世界のチュン・ウー・チェンは民主主義に殉じた。改革のために民主主義を捨てるなど論外であろう。
しかし、良心的な人士が再建会議に加担した。作家ジェメンコフ氏、元警察官僚フランカ氏らは、パトリオット・シンドロームに立ち向かったことで名高い。ロムスキー氏はエル・ファシル改革の指導者だった。エルズバーグ都知事、カステレン元人的資源委員長らは、クリーンな政治家として知られる。市民派弁護士のジエン氏は弱者を守るために四〇年以上戦ってきた。
再建会議の経済力に魅力を感じる者も多い。スポンサーになっているのは、平和になることで利益を得る金融界と貿易業界だ。四大都市圏は再建会議の地盤である。衛星軌道は再建会議の統制下に置かれていた。星内経済、星外交易、星外情報を一手に握ったことになる。
星外の状況は不明だが、再建会議が星外からの支持表明を次々と発表したため、クーデターが支持されたとの印象を受ける。実際は反再建会議派や中立派も多いのだろうが、星外情報が入ってこないのでわからない。
ヤン派はクーデターに加担したものと思われた。ヤン大将の動向に関する続報はないが、再建会議と調整を続けているらしい。ヤン派のビョルクセン少将は再建会議派として動いている。ヤン派ではないが親ヤン的なルイス准将は、ボロディン大将がヤン大将に全権委任すると述べた直後に、再建会議への忠誠を誓った。
進歩党と反戦市民連合が分裂した翌日、副官代理ユリエ・ハラボフ少佐がとんでもない報告を持ってきた。
「ジョアン・レベロとホワン・ルイが来たって!?」
その報告を聞いた途端、俺は椅子から転げ落ちそうになった。
「そうです」
副官代理ハラボフ少佐は眉一つ動かさずに答える。
「偽物じゃないのか!?」
「面識のある者が確認いたしました。間違いなく本人だとのことです」
「わかった! 今すぐ出迎える!」
「レベロ議員は『出迎えは不要だ』とおっしゃったそうですが」
「元国家元首が二人も来てるんだぞ! 待たせたら失礼だ!」
俺は防災司令室を飛び出した。ハラボフ少佐が真横を並走し、チュン・ウー・チェン参謀長代理らが後から付いてくる。
登録所には人だかりができていた。レベロ議員やホワン議員を見に来たのだろう。幸いなことに罵声は聞こえない。元国家元首を至近距離から罵る度胸はないようだ。
長身で髪がふさふさな中年男性と小柄で髪の薄い中年男性を見付けると、俺は駆け寄って敬礼をした。付いてきた部下たちも整列して敬礼を行う。
「お初にお目にかかります! 首都防衛軍司令官エリヤ・フィリップス宇宙軍中将です!」
「丁寧な挨拶、痛み入る。私は下院議員のジョアン・レベロだ」
レベロ議員は堅苦しすぎるほど丁重だった。身長は俺より一五センチほど高い。端整だが神経質そうな顔、シャープなメタルフレームの眼鏡、ふさふさのロマンスグレーは、政治家というより学者のようだ。
「君がエリヤ・フィリップス君か! 私はホワン・ルイだよ!」
ホワン議員は朗らかに笑う。一目見ただけで良い人だとわかった。男性なのに俺より身長が七センチほど低いのだ。髪の毛は薄く、手足は短く、声は大きくて、親しみやすい感じがする。
「良くお越しくださいました。こちらへどうぞ」
俺はよそ行きの笑顔を作り、レベロ議員とホワン議員を応接室に案内した。
「なぜ私どもに味方してくださったのですか?」
席に着いたところで、俺は疑問をぶつけた。市民軍は右翼が主流を占める。リベラルな彼らとは相性が悪いはずだ。
「私は選択の自由を尊重したい。市民に改革を支持してほしいとは思う。そのための努力を惜しむつもりもない。だが、決定権は市民にある。独裁者が押し付けた改革よりは、市民が選んだ反動の方がましだ」
「改革の機会を捨てても構わないのですか?」
「私は何よりも自由を重んじる。改革は自由を拡大するための手段だ。手段のために目的を捨てるのならば、本末転倒としか言いようがない」
レベロ議員は生真面目な表情で語った。改革派の政治家が改革の機会を捨てるなど、支持者への裏切りに等しい。それでも民主主義を貫こうとする。並の政治家にはできない決断だ。真のステイツマンがここにいた。
「納得できました。ありがとうございます」
「もう一つ理由がある。リベラルを抵抗運動に参加させたい。再建会議はリベラルの右翼アレルギー感情を利用することで、支持を固めた。民主主義を優先すべきと考える者も、トリューニヒト政権を守るために戦う気にはなれない。私が市民軍に味方すれば抵抗感が薄れるはずだ」
「あなたの立場なら、ソーンダイク議員のグループに加わる方が自然ではありませんか? 彼らもリベラルです。共闘した経験もあるでしょう」
「リベラルの間には、『抵抗運動は右翼を利する行為だ』という風潮がある。反戦市民連合党員のほとんどは、ソーンダイク議員らに背を向けた。市民軍にリベラルなイメージを付与できれば、ソーンダイク議員らも支持を拡大できる」
「そういうことでしたか」
俺は心の底から感心した。リベラル同士で固まるより、市民軍に対するアレルギーを弱める方がいいという判断だ。トリューニヒト議長の「レベロは現実主義者になれる男」という評価が、正しいことを実感させられた。
「別の計算もあるよ」
ホワン議員が横から口を挟む。
「とおっしゃいますと?」
「一度、右翼と共闘してみたかった。左右の垣根を越えて手を結ぶんだ。美しいとは思わんかね」
「確かに……」
俺は返答に困った。あまりに冗談っぽい感じなので、どう答えていいかわからない。
「本気だよ。今回の件で思うところがあった。右翼を叩けばリベラルが味方になり、リベラルを叩けば右翼が味方になる。小学生でもわかる計算だ。あまりに楽に票を取れるもんだから、我々は右翼叩きを頑張った。その結果がこれさ」
ホワン議員は苦笑しながら新聞を取り出す。進歩党のエルズバーグ新代表が、再建会議への全面支持を約束したと言う記事だ。
「右翼とリベラルの対立なんて、民主主義というコップの中の嵐だと思っていた。しかし、完全な誤解だった。リベラルは右翼を憎むあまり、コップを叩き割ったのだからね。再建会議がリベラルを叩いたら、右翼がコップを割ったかもしれんよ」
「小官にはわかりかねます」
俺は曖昧な笑いを浮かべた。ホワン議員の推測は正しいと思うが、口にはできなかった。
「私は前例を作りたいんだ。右翼とリベラルが共闘したという前例をね。普段はいがみ合っていても、いざという時は民主主義というコップを守るために戦う。それが当たり前だとみんなが思ってくれたら、この先何度でも右翼とリベラルは民主主義のために共闘できる」
恐ろしく壮大な話であった。俺は目の前のことしか考えていないのに、ホワン議員は未来に思いを馳せている。身長は俺より低いのに、器量は何倍も大きい。
「及びもつかない話です」
「軍隊だってお役所だ。『前例がある』という呪文の力はわかるんじゃないかね?」
「確かに」
「君は三日前の演説で、重要なことは二つしかないと言った。『民主主義を守りたいのか? 軍事独裁を容認するのか?』と。その言葉に嘘偽りはなかろう」
「ありません」
「それなら、我々と君の利害は一致する。民主主義のために手を組もうじゃないか」
「小官の一存では決められません。幹部会議で話し合ってから返事いたします」
俺は慎重に答えた。うまみのある話なのは確かだ。しかし、市民軍には反リベラル感情を抱く者が多い。安請け合いはできなかった。
市民軍は緊急幹部会議を開いた。会議室に姿を現したのは軍人一二名と文民一八名で、その過半数が立体画像として遠隔地から出席している。
「――という提案を受けた。諸君の意見を聞かせてほしい」
説明を終えると反対意見が噴き出した。
「冗談じゃない! あんな奴らと組めるか!」
「我々には庶民の支持がある! エリートなど不要だ!」
「市民軍を乗っ取られるぞ!」
「リベラルは信用できん!」
空想の中の同胞と団結するのはたやすいが、現実に存在する同胞と団結するのは難しい。目の前の右翼が身をもってその事実を示す。
「今さら歩み寄ろうとは虫が良すぎる。亀裂を作ったのはあいつらではないか」
教育総隊副司令官アラルコン中将は、いかつい顔を不快そうに歪めた。軍縮への不満から右翼になったので、「先に喧嘩を売ってきたのはあっちだ」という意識がある。
「土下座して許してくださいと言うんなら、末席に置いてやってもいいがね」
タラカン州のカルモナ知事は吐き捨てるように言う。豊かなハイネセンにも地域間格差は存在する。タラカン州は最も貧しい州だ。地方補助金を廃止したレベロ議員への恨みは大きい。
「あの連中に借りを作ってはいかんぞ。何を要求されるかわかったものではない」
緊急事態対策本部のダスーキー運用部長は、不信感を隠そうとしない。彼が幹部を務める首都政庁公務員労働組合は、進歩党の支持団体にも関わらず、レベロ改革の際に権益を奪われた。裏切られたという思いがある。
感情論だと切り捨てることはできない。アラルコン中将は過激派軍人、カルモナ知事はタラカン州民、ダスーキー運用部長は首都政庁職員という大きな集団の代表者でもある。彼ら以外の出席者も似たような立場だ。数百万人や数千万人を背負った感情論は、政治的要素といえる。
「好機だと思います。市民軍はエリート層に浸透できていない。レベロ議員やホワン議員はエリート層に人気がある。渡りに船ではありませんか」
前向きな反応を示したのは、緊急事態対策本部のアドーラ計画部長だ。首都政庁危機管理局の総括参事官で、単身で市民軍に加わった。そのため、自由な立場で発言できる。
「馬鹿なことを言いなさんな」
すぐにアラルコン中将が噛み付いた。
「おかしくはないでしょう」
「庶民と兵士がいれば事足りる。エリートなんぞいらぬわ」
「組織を掌握しているのはエリートですぞ」
「大衆が蜂起したら、組織なんぞ一瞬で吹き飛ぶ」
「組織を丸ごと寝返らせた方が効率的です」
「庶民にそっぽを向かれてもいいのかね? 我らは無条件で支持されているわけではない。反エリートだから支持されている。そのことを忘れてはいかんぞ」
二人は激しい論争を繰り広げた。出席者の八割がアラルコン中将を支持し、二割がアドーラ部長を支持する。
どちらにも一理あるだけに判断が難しかった。レベロ議員とホワン議員が味方になれば、エリート層に支持を広げることができる。しかし、庶民の反エリート感情を刺激するかもしれない。エリート層の支持は欲しいが、そのために庶民の支持を失ったら本末転倒だ。
乏しい脳みそを必死で回転させる。感情と効率性のどちらを優先するべきか? 両方を手に入れる方法はないものか?
俺は初めて口を開いた。頭の中でパズルが完成したのだ。せこい方法ではあるが、感情も効率性も満たせるのではないか。
「アラルコン提督」
「どうなさいました」
アラルコン中将は姿勢を正す。
「貴官はラロシュ議員を支持しているか?」
マルタン・ラロシュ議員は極右政党「統一正義党」の指導者だ。
「与党入りしたのは気に入りませんが、それでも偉い先生だと思っております」
「仮定の話として質問したい。ラロシュ議員が再建会議に加わったなら、貴官は失望するか?」
「失望するでしょうな」
「リベラルの連中がラロシュ議員の再建会議入りを知ったら、どんな反応を示すと思う?」
「右翼が分裂したと言って笑うでしょうな。祝杯をあげるかもしれません」
仮定の話なのにアラルコン中将は苦々しげだ。リベラルの勝ち誇った顔を思い浮かべているのだろう。他の出席者も同じ想像をしているらしく、不快そうな表情になる。
「諸君」
俺は意地悪そうな笑顔を作る。
「レベロとホワンが市民軍に加わったら、リベラルの連中が同じ思いを味わうんだぞ」
そう言った瞬間、出席者の表情が一気に明るくなった。
「それは見物ですなあ!」
「想像するだけで心が躍ります!」
「大声で笑ってやりましょう!」
「こんなに愉快なことはありません!」
反対意見はあっという間に消え去った。リベラルを仲間にするメリットを説いても、「あんな奴らの力など必要ない」と反発されるだろう。しかし、リベラルに恥をかかせる機会だと言えば、反対する者はいない。小物にしかわからない心理である。
レベロ議員とホワン議員には市民軍顧問という肩書きが与えられた。名簿の中では上位だが、実務的には関わらない。ただ座っているだけの仕事である。リベラルの象徴みたいな人物を指導部に加えたら、市民軍がリベラルに乗っ取られたと思われてしまう。名誉職にするのがちょうどいい。
それと同時に、大衆党のアイランズ副代表、統一正義党のスビヤント上院議員団長、汎銀河左派ブロックのムルヴィライ政治局員の三名を市民軍顧問とした。与党議員を顧問にすることでバランスを取ったのだ。
四日一八時、レベロ議員は総合防災公園に現れた。野次と怒号の嵐が吹き荒れる中、丁寧な言葉で群衆に語りかける。
「はじめてお目にかかります。私は……」
スピーチが始まった途端、数万人が一斉に罵声を叩き付けた。
「帰れ!」
「死ね!」
「売国奴!」
圧倒的な憎悪に直面しても、レベロ議員は顔色一つ変えずに話し続ける。トリューニヒト議長が少女一人にうろたえたのとは対照的だ。評価が分かれる政治家ではあるが、臆病者でないことだけは万人が認めるだろう。
罵声は一秒ごとに大きさを増した。レベロ議長の冷静な態度は立派であったが、感情的になった相手に対しては逆効果であった。
「マイクを貸していただけますか? 小官がこの場を収めます」
「わかった。君に任せよう」
レベロ議員が後ろに下がり、俺がマイクを握る。
「戦友諸君! 諸君は祖国を愛しているか!?」
「愛しています!」
「諸君は民主主義を愛しているか!?」
「愛しています!」
「諸君は自由を愛しているか!?」
「愛しています!」
「私の気持ちは諸君と同じだ! 祖国を愛している! 民主主義を愛している! 自由を愛している! 我々は同じものを愛する! ウィー・アー・ユナイテッド(我々は一つだ)!」
俺は拳を振り下ろす。
「ウィー・アー・ユナイテッド!」
数万人の叫びが広場を揺るがした。
「人々はこう言っている。『自由惑星同盟は分断された。自由惑星同盟は一つではない』と。
しかし、私はそれが嘘だと知っている。証拠はここにある。諸君がここにいることが、自由惑星同盟が一つだという真実を証明しているのだ。
多様な背景を持つ人々がこの広場に集まった。若者も老人もここにいる。金持ちも貧乏人もここにいる。右翼も左翼もここにいる。ホワイトカラーもブルーカラーもここにいる。中央出身者も辺境出身者も移民もここにいる。異性愛者も同性愛者もここにいる。無神論者も神を信じる者もここにいる。ハンディのある者もそうでない者もここにいる。みんな祖国を守るために集まった。
私は断言する。自由惑星同盟は青(保守)と黄色(リベラル)と白(右翼)と赤(科学的社会主義者)のパッチワークではない。青い同盟など存在しない。黄色い同盟など存在しない。白い同盟など存在しない。赤い同盟など存在しない。主戦派の同盟など存在しない。反戦派の同盟など存在しない。同盟はずっと一つだった。
私は断言する。同盟は金持ちと貧乏人のパッチワークではない。同盟は中央出身者と辺境出身者と移民のパッチワークではない。同盟はエリートと庶民のパッチワークではない。同盟はずっと一つだった。
共通の大義が我々を一つにしている。それは祖国、民主主義、自由だ。大義を共有することによって、我々はあらゆる差異を乗り越えた。
前提をもう一度確認しよう。対立点は二つしかない。民主主義を守りたいのか? 軍事独裁を容認するのか? 敵は右翼とリベラルの争いにすり替えようとしているが、騙されてはいけない。これは民主主義と独裁の戦いなのだ。
ジョアン・レベロ氏と私が同じ側に立ったことは一度もない。反戦平和主義者のレベロ氏と軍拡主義者の私は、相容れない立場にある。
今日、私は初めてレベロ氏と同じ側に立つ。私と彼の相違点は無視できないものではあるが、祖国、民主主義、自由という大義の前では無視できる」
ここで一旦言葉を切り、レベロ議員にマイクを向けた。
「ミスター・レベロ、あなたは祖国を愛しているか?」
「君とは違うやり方だが、私は私なりに祖国を愛してきた」
「ミスター・レベロ、あなたは民主主義を愛しているか?」
「民主主義を愛しているがゆえに、私はここにいる」
「ミスター・レベロ、あなたは自由を愛しているか?」
「自由より尊いものはない」
打ち合わせをしていないのに、レベロ議員は望み通りの答えを返した。一流政治家はアドリブも一流だ。
「あなたは祖国と民主主義と自由主義を愛している。私も祖国と民主主義と自由主義を愛している。
私は兵士で、あなたは政治家だ。私はナショナリストで、あなたはリベラリストだ。私は主戦派で、あなたは講和派だ。私は軍拡論者で、あなたは軍縮論者だ。私は高卒で、あなたは経済学博士だ。私は警察官の息子で、あなたは大学教授の息子だ。
共通点は一つもない。しかし、同じ大義を共有している。ならば、あなたは仲間だ」
俺は左手でレベロ議員の右手をつかみ、高々と掲げる。
「ウィー・アー・ユナイテッド!」
この瞬間、空気が弾けた。人々は拳を振り上げて「ウィー・アー・ユナイテッド!」と叫ぶ。レベロ議員は同志として認められたのである。
ジョアン・レベロの容姿はオリジナル設定です。原作小説には記述無し。キャラを立てるためアニメ設定には従いませんでした。