八月一六日、グエン・キム・ホア広場で、帰還兵二〇〇万人を歓迎する式典が開かれた。ヨブ・トリューニヒト最高評議会議長が熱弁を振るい、数々の演出が出席者の耳目を楽しませる。広大な広場に熱気が充満した。
トリューニヒト議長と復員支援軍司令官ヤン大将が握手した瞬間、興奮は頂点を突き抜けた。拍手と歓声が世界を包み込む。
「トリューニヒト! トリューニヒト!」
「ヤン! ヤン!」
群衆が偉大な二人の名前を連呼すると、トリューニヒト議長は満面の笑顔で手を振った。それから少し遅れて、ヤン大将もぎこちない笑顔で手を振る。
「トリューニヒト! トリューニヒト!」
「ヤン! ヤン!」
俺は大声で名前を叫ぶ。一二年かけて鍛えた腹筋と肺活量を使いきる。頭の天辺から足の指先までが喜びで震えた。
夕方から記念パーティーが始まった。会場となったのは最高評議会ビルの別館である。議員、提督、将軍、総長、部長といったきらびやかな肩書きを持つ人々が、一万人を収容できるホールを埋め尽くす。
ここでも主役はトリューニヒト議長とヤン大将であった。二人が座るメインテーブルに一万人が注目する。
「ヤン提督、遠慮なくビールを飲んでくれ」
「どうも」
「この料理はお好み焼きと言ってね。ビールにとても合うんだ。たれを少なめにつけるのがコツでね。多すぎると風味を殺してしまう」
「そうですか」
酒を注ぎ料理を勧めるトリューニヒト議長に対し、ヤン大将はそっけなく応じる。このやり取りは軍人以外の出席者から好意的に受け止められた。
「あの二人は本当に仲がいいな」
「トリューニヒト先生の気さくさと、ヤン提督の慎み深さがうまく噛み合っている」
「理想的なコンビだ」
人々は政治家と武人の麗しい関係をそこに見出した。世間一般のイメージを通すと、フレンドリーに接する政治家に対し、軍務一筋の武人が照れているように見える。
事情を知る者の目には、二人が不可視の刃をぶつけ合っているように見えた。トリューニヒト議長は友好関係を演出しているに過ぎない。ヤン大将は軍部きってのトリューニヒト嫌いである。慣れ合いを演じる政治家に対し、政治嫌いの武人が鬱陶しく思っているのが本当のところだ。
宇宙艦隊司令長官ビュコック大将、宇宙艦隊総参謀長クブルスリー大将、地上軍総監ベネット大将ら良識派重鎮は、遠目でも分かるほどに不機嫌だった。良識派の中でも特に清廉な人たちにとっては、トリューニヒト議長のパフォーマンスは不快でしかない。
同じ良識派でも、統合作戦本部長ボロディン大将や統合作戦本部計画部長マリネスク中将らは、改革派の議員や官僚と話している。彼らはシトレ元帥から清廉さと政治性の両方を受け継いだ。
統合作戦本部作戦部長ラップ中将、国防委員会戦略副部長アッテンボロー少将ら有害図書愛好会グループは、毒舌で盛り上がっている。トリューニヒト議長のパフォーマンスに反骨精神を刺激されたのだろう。交流を求めて近寄ったトリューニヒト派政治家は、尻尾を巻いて逃げ返った。前線でも後方でもパーティーでも闘争的なのが、有害図書愛好会グループである。
宇宙軍支援総隊司令官コーネフ大将、宇宙軍教育総隊司令官ルフェーブル大将、バーラト方面艦隊司令官アル=サレム大将ら旧ロボス派は、静かに飲み食いしている。ロボス退役元帥と親しかった議員と交流する様子はない。
宇宙軍教育総隊副司令官アラルコン中将、第七機動軍司令官ファルスキー中将ら過激派は、大量の酒を胃袋に注ぎ込む作業に忙しい。テーブルを訪れた統一正義党の政治家には、酒で満杯になった特大ジョッキを差し出す。彼らはどこにいても兵卒のように振る舞う。右翼といっても、役人臭いトリューニヒト派とは正反対だ。
統合作戦本部管理担当次長ブロンズ大将、情報部長ギースラー中将ら中間派は、メインテーブルに見向きもしない。極右も極左も嫌いなので「中間派」と呼ばれるのだ。NPCや進歩党右派など中道政治家とばかり話す一方で、元国家安全保障顧問アルバネーゼ退役大将、半年前に落選したジャーディス元上院議員ら中間派長老との旧交を温めた。
トリューニヒト派は政治家との交際に余念がない。トリューニヒト派新人議員とは付き合いが薄いので、この機会に関係を深める。セレブレッゼ中将ら新規加入組は、トリューニヒト派古参議員に挨拶回りをする。俺のところにはひっきりなしに議員がやって来た。
宇宙軍予備役総隊司令官グリーンヒル大将は、あちこちのテーブルに顔を出す。一か所に留まることはない。良識派の外交官として走り回っているのだ。
隅っこでは、宇宙艦隊副司令長官ルグランジュ大将、統合作戦本部安全管理部長バウンスゴール技術中将ら無派閥の人間が静かに飲んでいた。派閥に属していない者には、酒と食べ物の味だけが重要だった。
「ヤン提督がいない」
俺はびっくりして会場を見回した。有害図書愛好会グループのテーブルにもヤン大将はいなかった。彼の養子であり、非公式なボディーガードでもあるユリアン・ミンツ准尉は姿を消している。口実を付けて早退したのだろうか? 名将は退却戦が得意であった。
式典の翌日、トリューニヒト議長はヤン大将に元帥待遇を与えた。これによってヤン大将は最先任の宇宙軍大将となり、宇宙軍元帥と同額の俸給を受け取ることとなった。帝国人やフェザーン人からは、「アトミラール(宇宙軍大将)」ではなく、「ゲネラール・アトミラール(宇宙軍上級大将)」と呼ばれる。すべての帰還兵が戻った暁には、元帥に昇格するだろう。
ヤン大将ほどトリューニヒト政権で厚遇された軍人はいない。もちろん、裏には政治的な思惑がある。復員支援軍司令官への起用は、統合作戦本部から追い出す口実に過ぎない。元帥に昇進させれば、統合作戦本部長の職を与えることになるので、現本部長のボロディン大将を引退に追い込める。トリューニヒト議長としては、調整力に欠けるヤン大将がトップになればやりやすいとの計算もある。圧倒的なカリスマと戦うには、足を引っ張るより持ち上げる方が有効だ。
今回の一時帰還にしても、実務的には何の意味も無い。トリューニヒト議長は帰還式を開くためだけに、ヤン大将を帰還船団と同行させた。
トリューニヒト政権は行き詰まっていた。政府は大規模災害や大型テロへの対応に失敗し、危機管理能力の低さを露呈した。大衆党議員は汚職、醜聞、失言を繰り返し、有権者の失望を買った。辺境正常化作戦以外には見るべき実績がない。イベントをでっち上げて、市民の不満をそらしたかったのである。
帰還式の一週間後、同盟警察と地方警察の合同部隊による臨時視閲式が、ハイネセンで実施された。衛星軌道上の宇宙視閲式では、同盟警察軌道警備隊二〇〇隻と地方警察航路警備隊一六〇〇隻が列を作って航行する。ハイネセンポリスの地上視閲式では、同盟警察特別機動隊一万三〇〇〇人と地方警察武装部隊七万二〇〇〇人が練り歩く。すべて辺境正常化作戦で活躍した精鋭だ。
宇宙軍観艦式や地上軍観閲式に匹敵する規模の視閲式は、退役軍人の精強ぶりを示した。市民の間で彼らの現役復帰を求める声が高まった。
その一方で視閲式を批判する声も大きい。レベロ元最高評議会議長は、「軍事力と警察力の一体化は、自由を侵害しかねない」と苦言を呈する。反戦市民連合のアブジュ下院議員は、戦争再開の準備だと述べる。ウィンザー元国防委員長は、「警察が軍隊に取って代わろうとしています」と非難した。
最も視閲式を激しく批判したのは、軍部良識派だった。公然と批判すれば政府批判になるので、表向きは沈黙を保っている。しかし、内部では激しい批判が飛びかった。
「トリューニヒトは同盟軍を私兵にするつもりだ」
「市民を撃つ奴らなど、民主主義の軍にはふさわしくない」
「同盟軍を金のかかる軍隊に逆戻りさせる気だ」
視閲式は市民を巻き添えにした警察を持ち上げ、軍の方針を否定したに等しい。良識派は市民に銃を向けることを何よりも嫌う。政府から反乱鎮圧を求められても、統合作戦本部長ボロディン大将は「軍は市民を撃ちません」と言って、住民保護に専念したのだ。地方警察武装部隊がトリューニヒト議長の私兵であること、警察が金のかかるトリューニヒト・ドクトリンを採用したことも、不快感をかきたてる。
良識派以外にも反発する軍人は多かった。星境警備をめぐる惑星警備隊と軌道警察の対立、対テロ作戦をめぐる地上軍と公安警察の対立、対海賊作戦をめぐる宇宙軍と刑事警察の対立は、恒例行事のようなものだ。こうしたことから、軍隊には警察嫌いが多い。俺がクリスチアン中佐に辺境警察の仕事を紹介すると、「警察だけは嫌だ」と言われた。
強烈な反感が渦巻く中、辺境正常化作戦に参加した退役軍人一〇〇万人が現役に復帰した。残り二五〇万人も来年の六月までに復帰させる方針だ。
クレメンス・ドーソン予備役中将は宇宙軍大将に昇進し、統合作戦本部作戦担当次長の地位を得た。作戦担当次長はヤン大将が転出した後、宇宙艦隊総参謀長クブルスリー大将が兼ねたポストである。良識派の牙城に大きな芋、いや楔が打ち込まれた。露骨な派閥人事とはいえ、辺境正常化作戦で示した手腕は本物だ。
マルコム・ワイドボーン予備役少将は宇宙軍中将に昇進し、統合作戦本部作戦部長に就任した。作戦部のプリンスは二度の左遷と一度の予備役編入を経て、完全復活を果たしたのである。作戦立案能力は復員司令軍司令官ヤン大将に次ぎ、宇宙軍支援総隊司令官コーネフ大将に匹敵する。国内作戦に限れば、ヤン大将やコーネフ大将を凌ぐだろう。ドーソン大将と二人三脚で国内治安戦略を進める。
上の二人に匹敵する功労者のコンスタント・パリー予備役少将は、地上軍中将に昇進し、特殊作戦総軍副司令官の地位を得た。良識派は通常戦力を減らして特殊部隊を増やし、少数精鋭化を図った。パリー中将には、増強された特殊部隊をトリューニヒト派に染めることが期待される。
辺境正常化作戦に参加しなかった者の中では、元国防委員会官僚や元憲兵の一部が現役復帰を果たした。復帰者の中で一番の大物は、国防委員会事務次長の地位を取り戻したスタンリー・ロックウェル宇宙軍中将である。俺と古い付き合いのナイジェル・ベイ宇宙軍大佐は、ハイネセン北大陸東部憲兵隊長となった。
トリューニヒト議長とネグロポンティ国防委員長は、自派を復帰させる一方で、他派の有力者を栄転の名目で中央から追い出していった。統合作戦本部作戦部長ラップ中将は、シヴァ方面艦隊副司令官に追いやられた。国防委員会戦略副部長アッテンボロー少将は、惑星バイレで発生した超巨大ハリケーンの災害派遣部隊五〇万人を指揮することになった。空いたポストのほとんどが、トリューニヒト派の復帰者に与えられた。
その他、シャンドイビン少将やギーチン准将のように良識派体制でも生き残った者、セレブレッゼ中将のように予備役期間に加入した者もいる。トリューニヒト派は往時の強盛を取り戻しつつあった。
「我が派の未来は明るいぞ!」
復帰祝賀会の席ではドーソン大将はずっと上機嫌だった。口ひげが普段より少しシャキッとしている。いつもは麦茶を二杯飲むのに、今日は三杯飲んだ。
「よくそんな細かいところまで見てるな」
ワイドボーン中将が呆れたように言う。
「副官ですから」
俺がそう答えると、ドーソン中将も「そうだ! 貴官は私の副官なのだ!」と叫ぶ。出席者は大いに盛り上がった。
いい気分で官舎に戻り、ポストを開けた。たくさんの郵便物の中に、かわいい猫のイラストが描かれた封筒が混じっていた。差出人の名前は載っていない。
「なんだろう?」
不審に思いながら開けてみると、一枚の写真が出てきた。五人の人物が映っている。ベレー帽にエプロンを着けた中年男性と中年女性、二〇歳前後に見える丸顔の女性、高校生か大学生くらいの大人しそうな少女、そして制服を着た小柄な少女……。日付は宇宙暦七八八年の三月一四日。
「これは……」
小柄な少女には見覚えがあった。五年前に俺を殺そうとしたルチエ・ハッセルを幼くした顔だ。中年男性と中年女性のエプロンには、「ハッセル・ベーカリー」の文字が刺繍されている。
「…………」
ハッセル一家が全員生きていた頃の写真だった。日付からすると、俺がエル・ファシルで兵隊をやってた頃だ。
いたたまれなくなって写真を裏返すと、「エル・ファシルはエリヤ・フィリップスを忘れない」という殴り書きが視界に入る。ひどい目まいを感じた。エル・ファシルの怨念が再び姿を現したのである。
九月一日、南大陸のウェントレット宇宙軍基地で惑星間ミサイルが爆発した。六一名が負傷して二三名が病院に運ばれたにも関わらず、死者は出ていない。ロボットにミサイル整備を任せたのが幸いした。軍縮前の人間が整備していた時期なら、かなりの死者が出たと思われる。
その後も事故や故障が続いた。いずれも細かいミスによるものだ。事故率は先月の一二倍、平均的な部隊の一一倍まで跳ね上がった。死者が出ていないとはいえ、予断を許さない状況である。
俺は必死で安全対策に取り組んだ。調査チームを作って事故を徹底的に検証した。安全教育の充実を図り、安全のための設備投資を行い、交代人員を増やして一人ひとりの負担を減らし、管理能力のない指揮官を交代させ、ミスを誘発する要素を丹念に潰していく。
安全管理体制が飛躍的に強化されたにも関わらず、首都防衛軍の事故率は下がらなかった。あるパターンのミスを防げるようになると、違うパターンのミスが多発するようになるのだ。安全管理の専門家は、「首都防衛軍は軍人がなしうるあらゆるミスの見本市」と評する。国防委員会査閲部と統合作戦本部安全管理部が臨時監査を行った。
こうなると、俺の責任問題に発展してくる。世間は「ラグナロックの英雄」を神聖視しているので、マスコミからの批判はほとんどない。一方、軍内部では「フィリップス提督の統率に問題があるのではないか」との見方が広まった。対海賊作戦を指揮させた方がいいとの声もある。
ほんの一か月で、俺の評価は「センジュカンノン」から「戦闘しかできない男」に変わった。統合作戦本部に呼び出されて厳重注意を受け、ネグロポンティ国防委員長からは休養を勧められた。
俺自身も災難に見舞われた。東大陸へ出張したら狙撃され、海底基地を訪れたら海水が第二隔壁まで流れ込む事故が起き、街を歩いたら無人運転のタクシーに跳ねられそうになった。一か月で三度も死にかけたのである。
「エル・ファシルの怨念に祟られた」
俺は司令官室でがっくりと肩を落とす。
「そんなわけないでしょう」
ラオ作戦部長が即座に否定する。オカルトなど彼は一切信じない。
「他に説明がつくか? できることは全部やった。同盟軍で最も安全な部隊よりしっかりした体制を作った。それでもミスが減らないんだぞ?」
「もっと調査しましょう。まだ見つかっていない理由があるはずです」
「調査はするさ」
「オカルトに逃げたくなる気持ちはわからないでもありません。ですが、司令官にはあくまで現実と戦っていただきたいものです」
作戦参謀ほど合理主義を信奉する人種はいない。ラオ作戦部長もその例外ではなかった。
「わかっている」
口ではそう答えたものの、内心では割り切れないものを感じる。そもそも、俺自身がオカルトの産物だった。一度死んだ人間が六〇年前に戻って人生をやり直したのだ。時間逆行がありなら、祟りがあってもおかしくない。
「人為的な力かもしれませんよ」
チュン・ウー・チェン参謀長代行はのんびりした顔で不穏なことを口にする。
「人為的な力?」
「首都防衛軍はどの部隊よりも安全対策に力を注いでいます。これまでに八八通りの欠陥を潰しました。対策が末端に行き渡るまでは時間がかかります。それでも、事故率が下がらないのは不自然です。何者かの破壊工作だとすれば、説明がつきます」
「それは思いもよらなかった。しかし、誰が破壊工作なんて仕掛けるんだ?」
「二通り考えられます。一つは閣下が失脚することで得をする者、もう一つは首都防衛軍が機能低下することで得をする者です」
「どちらも山ほどいる」
俺は苦い笑いを浮かべた。トリューニヒト派以外の全派閥が俺の失脚を望んでいる。すべてのテロリストが首都防衛軍の機能低下を望んでいる。
「動機を持つ者は山ほどいます。しかし、能力を持つ者はそれほど多くありません」
「管区ごとの事故率に差はないんだよな。これが破壊工作だったら、敵はどの基地にも入り込める奴だ」
「ドーソン提督に相談してみてはいかがですか?」
チュン・ウー・チェン参謀長代行が提案すると、ラオ作戦部長、ベッカー情報部長らも頷いた。首都防衛軍だけで結論を出すには、あまりに深刻すぎる問題だったのだ。
幕僚たちが出て行った後、俺はドーソン大将に連絡を入れた。首都防衛軍の事故が破壊工作によるものだというチュン・ウー・チェン参謀長代行の推測を伝え、自分自身の見解を示す。参考として事故関連のデータを転送する。
「クーデターかもしれん」
一通り話を聞いた後、ドーソン大将の口から現実離れした言葉が飛び出した。
「ク、クーデターですか!?」
「噂ぐらいは耳にしたはずだ」
「あります」
俺は表情を引き締めた。視閲式の前後からクーデターの噂が広がった。「ビュコック大将とグリーンヒル大将による反戦派政権樹立のクーデター」という噂もあれば、「アラルコン中将による軍事政権樹立のクーデター」という噂、「コーネフ大将とアル=サレム大将による旧与党復権のクーデター」という噂、「ブロンズ大将と特殊部隊による極右追放のクーデター」という噂もある。
「貴官がクーデターを企んでいるとの噂もあったな」
「でたらめもいいところです」
「言われんでもわかっとる」
ドーソン大将は軽く顔をしかめる。
「ありがとうございます」
「どいつもこいつもでたらめばかりだ。トリューニヒト派が逆クーデターを仕掛けるとほざく奴がいる。改革派を粛清するためだそうだ。まったくもって馬鹿馬鹿しい!」
「そうですよね」
「反戦派ジャーナリストが考えそうな妄想だ。そういえば、アッテンボローはジャーナリスト志望だった。口だけは本当に達者でな。後にも先にも、あいつほどむかつく奴には会ったことがない。そもそも……」
こうなると、この人は止まらない。俺は追従的にも無愛想にもならないように気をつけながら、最低限の返事を続ける。スイッチが入った時は聞き手に徹するのが、付き合いを続ける秘訣だ。
「つまり、何者かがクーデターを企んでいるのだ」
気が済んだところで、ドーソン大将は本題に戻った。
「貴官一人を失脚させるだけならば、大きな死亡事故を起こせばいい。首都防衛軍を混乱させるだけならば、通信基地や補給基地をいくつか吹き飛ばせばいい。ハイネセン全域で小さな事故を起こし続けるよりよほど簡単だ。迂遠な手段を使う理由は一つしか無い。敵は首都防衛軍を無傷で手に入れたがっている」
「首都防衛軍はハイネセンで唯一の治安維持戦力ですからね。宇宙艦隊や地上総軍は正規戦向きの部隊ですし」
「クーデターに使いたいのか、中立化させてクーデター後に手に入れたいのかはわからん。いずれにせよ、首都を占拠する計画があるのは間違いない」
実に鮮やかな推論だった。情報収集能力と情報分析能力こそがドーソン大将の持ち味である。
「ご明察に感服いたしました」
俺は画面に向かって頭を下げた。この人が恩師で良かったと改めて思う。
「貴官の頭では考えつくまい」
ドーソン大将の口ひげが誇らしげに反り返る。尊敬の気持ちが急にしぼんでいった。俺なんかに勝ち誇るのはやめてほしい。
一〇月四日、クーデターを防止するための非公式組織「国家非常事態委員会(SEC)」が発足した。ネグロポンティ国防委員長がSEC委員長を兼ねる。
SECの軍人は七名。統合作戦本部作戦担当次長ドーソン宇宙軍大将、国防委員会事務総局次長ロックウェル宇宙軍中将、特殊作戦総軍副司令官パリー地上軍中将、統合作戦本部作戦部長ワイドボーン宇宙軍中将、憲兵司令官代理イアシュヴィリ地上軍少将、第九機動軍司令官フェーブロム地上軍少将、そして俺だ。全員がトリューニヒト派なのは言うまでもない。
SECの政治家は、ステレア情報担当国防副委員長、マッカラン防諜担当国防委員、テオドラキス国内作戦担当国防委員の三名だ。いずれも情報と国内治安の担当者である。
SECの警察官は、同盟警察保安担当副長官チャン警視監、同盟警察公安第三課長ナディーム警視長、同盟警察警備第一課長マサルディ警視長の三名だ。彼らはトリューニヒト議長の出身母体である保安警察の幹部で、公安警察、機動隊、警察特殊部隊を動かせる。
初日の会議では俺が話題の中心になった。イアシュヴィリ少将は、「破壊工作の犯人とフィリップス提督を狙撃した者は、同じグループではないか」と推測した。ナディーム警視長は、「海底基地や無人タクシーの件は単なる事故とは思えない」と述べる。敵は首都防衛軍への破壊工作と、俺の暗殺計画を同時に進めているとの結論が出た。
「写真の件については、いかが思われますか?」
俺はイアシュヴィリ少将に質問した。ハッセル一家の写真については、憲兵隊が調査しているのだ。
「普通に考えるなら、エル・ファシル革命政府軍の仕業だろう」
「ですよね」
「革命政府軍を偽装したとも考えられるがね。裏の人間なら、君とハッセルの因縁は知っていてもおかしくはない。ハッセルの同志から写真を入手することもできる。革命政府軍に情報を流して、君を殺させるつもりかもしれん」
「エル・ファシル革命政府軍の仕業とは言い切れないんですね」
「まあな。しかし、少なくとも犯人と革命政府軍は、どこかで接触しているはずだ。そちらの線から調べてみよう」
イアシュヴィリ少将は快く応じてくれた。俺の口添えによって当時の憲兵司令官ドーソン大将の信頼を得た憲兵の一人で、サイオキシンマフィアとの戦いでも活躍した人だ。こんなに信頼できる人はそうそういない。
だが、憲兵隊にはあまり期待できなかった。レベロ政権とホワン政権が予算を大幅に減らし、良識派が組織を半分に縮小した。一度小さくなった組織を元に戻すには、倍の時間がかかる。視閲式の前後から事故や不祥事が続き、大きな混乱が生じた。首都防衛軍と似たような状況だった。
SECは監視対象に優先順位を付けた。ハイネセン駐在部隊に影響力を持つ反トリューニヒト派将官、首都周辺の反トリューニヒト派部隊、兵力はないが情報力や資金力がある反トリューニヒト派組織が最重要監視対象に指定されたのである。憲兵隊はビュコック大将、グリーンヒル大将、ブロンズ大将、アラルコン中将ら一四名、バーラト方面艦隊、バーラト方面軍集団、第一機動集団、第一機動軍など一一部隊、国防委員会情報部、情報保全集団など八組織を監視する。
俺は最重要警護対象に指定された。これまでは他の軍集団級部隊司令官と同様に、勤務時間中だけ二人の憲兵が警護についていた。今後は三チーム一二人が二四時間体制で警護する。SECが解散するまでは官舎に帰らずに、セキュリティが厳重な首都防衛軍司令部に泊まり込む。
クーデター対策は非公然活動として進められた。通常勤務の合間に策を練り、真の目的を伏せて部下を動かし、ネグロポンティ委員長とロックウェル中将が別の名目で引っ張ってきた金を使う。公然と動ければ、時間も人も金も好きなように使えるのだが、敵がスパイを送り込んでくるかもしれない。相手が相手だけに、慎重を期する必要があった。
一〇月一二日の昼一二時、副官代理ハラボフ少佐が「面会希望者がいる」と報告してきた。名前を聞くと、アンドリュー・フォーク予備役少将だという。
「会おう」
俺は一秒で決断した。
「アポイントメントがございませんが」
「これから昼休みだ。食堂で飯を食いながら話せばいい」
俺は手の平を振って「気にするな」のジェスチャーをすると、ハラボフ少佐と警護兵四人を連れて玄関まで出迎えに行った。
アンドリューと最後に話したのは、二年前の四月一〇日だった。ロボス元帥への取り次ぎを求める俺と、それを断ろうとする彼の間で押し問答になった。俺が追い詰めたようなものなのに、あちらから会いに来てくれた。これほど嬉しいことはない。
一瞬、前の世界のアンドリューが、統合作戦本部長暗殺未遂事件を起こしたことを思い出した。しかし、俺の命を狙ったりはしないだろう。ロイエンタールがミッターマイヤーの命を狙うようなものだ。
首都防衛司令部の玄関にアンドリューが立っていた。二年前とまったく変わっていない。肌には血の気がなく、顔は痩せこけている。一八六センチの長身と薄すぎる横幅が対照的だった。
俺は言葉を失った。二年間入院していたはずなのに、アンドリューの体調が良くなったようには見えない。いったいどういうことなのか。
「やあ」
アンドリューが右手を弱々しく上げる。
「久しぶり」
俺は右手を勢い良く上げる。たったこれだけのやり取りなのに、目頭が熱くなってきた。やはり彼は友人だ。とても大事な友人だ。
「出迎えありがとう」
「俺と君の仲だ。たとえフェザーンにいたって迎えに行くさ」
俺はアンドリューの左隣を歩いた。前と後ろと左と右に一人ずつ警護兵が付き、ハラボフ少佐は俺の左斜め後ろに貼り付く。
「ところでいつ退院したんだ?」
「二日前だ」
「もう治ったのか?」
「治った。すぐにでもロボス閣下のために働ける」
「君は本当にロボス元帥が好きなんだな」
「何度生まれ変わったって、ロボス閣下にお仕えしたい」
アンドリューのきらきらした目には既視感がある。コレット中佐と同じ目だった。彼の目にはロボス元帥以外は映っていなかった。上官の名声を守るためなら、国家の利益や兵士の生命を度外視できた。
「そうか。俺は何度生まれ変わっても、アンドリューと仲良くしたいぞ」
俺は作り笑いでごまかした。ラグナロックで失われたものの大きさを思うと、親友の忠誠心を微笑ましく感じることはできない。
「友達として頼みたいことがある」
「なんだ?」
「ロボス閣下への訴えを取り下げてほしい」
アンドリューはおそろしく真剣な表情になった。俺がロボス元帥ら帝国領遠征軍首脳部を訴えたことを知っていたのだ。
「いつ知ったんだ?」
「最近だ」
「なるほどなあ」
「敗戦責任はすべて俺にある。俺の作戦が敗北を招いた。ロボス閣下は一つも悪くない。戦犯を裁きたいなら、俺を訴えろ」
「それは難しい」
俺も顔を引き締めた。他の頼みならなんだって聞く。しかし、ロボス元帥の件だけは譲れない。
「君は作戦参謀の一人だ。決定権は何一つ持っていない。君の作戦が敗因でも、総司令官には誤った作戦を採用した責任がある。総参謀長と作戦主任参謀と情報主任参謀と後方主任参謀には、誤った作戦を修正できなかった責任がある。誰に責任があっても、ロボス元帥に責任がないとは言えない」
「俺たち冬バラ会は全権を任されていた。出兵案を作ったのも、出兵案への支持を取り付けたのもすべて冬バラ会だ」
「だったら、冬バラ会に全権を任せた人の責任になるぞ? 冬バラ会の政治工作を容認した人や支援した人にも、責任が生じてくる」
俺は淡々と基本的な話をする。政治の世界では、しばしば論理的整合性よりも政治的必要性が優先される。冬バラ会という絶対悪が政治的に必要だったので、専門家も矛盾だらけの冬バラ会悪玉論を支持した。俺はわかりきった矛盾をつくことで、相手の論理に乗らない意思を示したのである。
「とにかく訴えるのはやめてくれ。ロボス閣下は何年も前から病気なんだ。軍法会議に耐えられる健康状態じゃない」
アンドリューはすがるような目で俺を見る。ラグナロック戦役が終わると、ロボス元帥は「実はずっと前から病気だった」と言って、病院にこもってしまった。おかげで俺が起こした裁判も進まない。責任追及を逃れるための仮病だと思っているが、それを口にできる雰囲気ではない。
「俺がどれほどロボス閣下を大事に思っているかは、エリヤだって知っているはずだ」
「アンドリュー……」
俺は大きく息を吐いた。アンドリューの目にはロボス元帥しか映っていない。それが残念でたまらなかった。
「ダーシャはとても大事な人だった」
ここで一旦言葉を切る。かつて俺、アンドリュー、ダーシャ、イレーシュ大佐の四人で話した時のことを思い出す。あれから七年が過ぎた。ダーシャは思い出の中にしかいない。
「俺には大事な戦友や部下がいた。その半分が生きて帰れなかった」
「…………」
「君がロボス元帥を大事に思っているように、俺も死んだ人たちを大事に思っていた」
俺はもう一度言葉を切った。戦友や部下の顔が次々と頭の中に浮かんでくる。彼らは思い出の中にしかいない。譲れない理由を再確認してから口を開く。
「大事な人のために俺は裁判をやる。俺以外の原告一〇五人も同じだ。大事な人のために戦っている。君が譲れないのはわかる。けれども、俺も譲れない。そのことをわかってほしい」
「わからないとは言えないな……」
アンドリューのやせ細った顔に微笑が浮かぶ。とても悲痛な微笑だ。
「裁判では譲れない。けれども、それ以外なら何だってする。君は大事な友人だ。何でも言ってくれ。軍に復帰する手助けでも、民間で働く手助けでも、名誉を回復する手助けでも喜んでする。自分の一存で動けないんなら、家族についても俺がどうにかする」
「エリヤはいい奴だ」
「君の方がずっといい奴だろうが。恩人のためにあれほど必死になれる人はそうそういない。十分に恩義を果たしたと思うぞ。これからは自分のために生きてもいいんじゃないか?」
「自分のため……」
「そうとも、人のためじゃなくて自分のためだ。友達を作り、家族を作り、みんなで一緒に人生を楽しむんだ」
俺は「みんなと一緒に」を強調する。アンドリューはロボス元帥の背中を追いかけてきた。この先は多くの人と肩を並べて歩いてほしい。
「悪くない」
「悪くないどころじゃないさ。素晴らしいぞ」
ここまで話したところで士官食堂に着いた。昼時なので席は九割がた埋まっている。
「飯を食おう」
俺が声をかけた瞬間、アンドリューの顔が強張った。
「どうした? 具合が……」
言い終える前に俺は左後方から引っ張られた。反射的に受け身の姿勢を取ると、ハラボフ少佐が俺の位置に来てアンドリューに掴みかかったのが見えた。アンドリューの右手にはブラスターが握られている。
ハラボフ少佐は両手でアンドリューの右手首を掴むと、右腕ごと時計回りに大きく回転させて投げ飛ばす。アンドリューが倒れると、ハラボフ少佐は寝技で押さえ込む。
ようやく、俺は自分が撃たれそうになったことに気づいた。警護兵がアンドリューの両手を背中に回して手錠をはめるのが見える。
「アンドリュー、どうしてこんなことをしたんだ?」
俺は虚ろな表情のアンドリューに問いかけた。しかし、答えは返ってこない。
「どうしてこんなことをした? 教えてくれ」
しつこく問い続ける俺の背後から冷たい声が聞こえた。
「司令官閣下」
ハラボフ少佐の声である。振り返ると、いつもと同じように感情のこもっていない顔の副官代理がいた。
「司令官閣下、いかがなさいますか?」
「何をだ」
「フォーク少将のことです」
「ああ、そうか。俺が決めないといけないんだな……」
俺はアンドリューの友人から首都防衛軍司令官に戻った。
「怪我人はいるか?」
「一人もおりません」
「食堂の入り口は?」
「警備兵が封鎖しています」
「それなら、この件は事件にしない。被害が出ていないんだからな。居合わせた者には秘密厳守を命じる」
「フォーク少将の身柄はどうなさいますか?」
「彼は体調が良くないようだ。病院に運んだ方がいい」
この時、俺は二年前のグリーンヒル大将と逆のことをやった。心の病気ではないと印象づけたのである。
アンドリューはハイネセンポリス第二国防病院へと移送された。首都防衛軍司令部から一番近いオリンピア国防病院では、ローズ軍医中将一派の医師が幅を利かせている。政治的配慮を医学に優先することで有名なローズ軍医中将は、ラグナロックで遠征軍衛生部長を務めた。アンドリューを「転換性ヒステリー」と決めつけたヤマムラ軍医少佐は、ローズ軍医中将の配下だった。オリンピア国防病院に移送したら、どんなことになるかわかったものではない。
この日の夜、俺はSECの緊急会議で「不用心すぎる」と批判された。言い訳のしようもない。ただただ恥じ入るばかりだ。事件にしなかったこと、憲兵隊の影響下にある第二国防病院に移送したことについては評価された。
イアシュヴィリ少将は取り調べの状況を報告した。アンドリューは俺を撃った前後の記憶が無いらしい。催眠術が使われた可能性が高いという。
「フォーク少将から直接情報を引き出すのは困難だ。彼が入院していた病院の関係者、入院中に面会に来た人物、退院後に接触した人物を洗い出してみよう」
「よろしくお願いします」
「この件には、国防委員会情報部か中央情報局が絡んでいる可能性が高い。催眠術を暗殺に応用できるレベルの術師がいるのは、国内ではこの二つだけだ。帝国やフェザーンの組織が絡んでいる可能性もないわけではないが」
国防委員会情報部と中央情報局といえば、破壊工作の最有力容疑者である。どちらもアルバネーゼ退役大将の息がかかった組織で、反トリューニヒト感情が強い。国内はもちろん、国外であっても好きな場所に工作員を送り込める。最重要監視対象のブロンズ大将は昨年まで情報部長だった。能力も動機も十分すぎるほどに持っている。
前の世界で起きたクーデターは、ヤン・ウェンリーの洞察によると、同盟軍が帝国内戦に介入するのを防ぐための策だったらしい。この世界の帝国は平民や貴族の反乱が続発しており、事実上の内戦状態だ。内戦の当事者の中には、復員支援軍が邪魔だと思う者もいるだろう。帝国の情報機関がクーデターを煽動してもおかしくはない。
誰が裏にいても、やることは変わらない。首都防衛軍をしっかり掌握する。自分の身の安全を確保する。この二つを徹底するのだ。