お願いと私
目を開けると、アリスお姉ちゃん、カグヤ、美沙お姉ちゃんが私を見下ろすように覗き込んでいた。
「……みんな、こんばんわ」
体を起こして挨拶をするけど、みんなどう反応するか決めかねているようだった。みんな、私の布団を囲うようにして座っていた。なんだか怖くて、なぜか手に持っていた人形を抱きしめる。
「……澪、今、何時かわかる?」
最初に話しかけてくれたのは、やっぱりアリスお姉ちゃんだった。
「わかんない。けど、夜だということはわかる」
力がみなぎり、牙がうずく。今の私は昼とは違い、人間離れしている。まだ食欲はないけれど、いつかまたエイリンに血液パックを貰わないと。
「あなた、大丈夫なの?」
「何が?」
カグヤが心配そうに聞いてきた。
「その、全部忘れてしまって……」
「問題あるかどうかは一緒に生活しているお姉ちゃん達が決めて。どうだった? 昼の私は……迷惑かけなかった?」
今の私に昼の記憶はない。昨日はあったのに、どうしてだろう。変わっているのかな、私。
だとしたら、嫌な変化だ。アリス達と過ごす幸せなはずの生活を忘れてしまうだなんて。
「迷惑だなんて。……でも、澪は本当にいいの? 全部忘れちゃって……」
美沙お姉ちゃんがおそるおそる聞いてきた。前に脅かしたことが原因で怯えているのだろう。
「全部覚えてたら、幸せになんてなれないよ」
私の答えがよほど哀れに聞こえたのか、美沙お姉ちゃんは顔を伏せてしまった。
「そんなに、私は可哀想?」
「だって、澪、あなた……幻想郷を救ったのに、こんな、こんな……」
こんな、なんだろう。こんな、哀れなことになって、かな。
「御陵臣を倒せたのだって、みんなの協力があったからだよ。私じゃなくても、できたこと」
そもそも、私じゃないとできないことなんて、ほとんどない。
「そんな、それでも澪はがんばったよ!? なんで澪がこんな目に遭わないといけないの?」
「愛する家族のために頑張るのは、当たり前。それに」
私は思わず、美沙お姉ちゃんのことを睨んでいた。
「こんな穢れた記憶、忘れていた方がいいに決まってる。それとも、お姉ちゃんは私が全部覚えたまま弱い昼の私になって、壊れちゃった方がいいの?」
「え、そ、それは……」
「澪、やめてあげて」
アリスお姉ちゃんが止めるけど、私の口は止まらなかった。感情の抑えが利かなくなっている。嫌な記憶だけしか覚えていないことが、何か関係あるのだろうか。
「何もかもが怖くなって、一人じゃ何もできなくなっちゃって、ひたすらに死のうとする妹の方がいいっていうの?」
「そ、それは……」
美沙お姉ちゃんは涙目になって、首をゆっくりと振る。
「私にとってこんな記憶、いらないんだ。そのための代償がいくつかの記憶なら、安いもの。そんなことも、わかってくれないの?」
そっと、私の手に柔らかい温もりが訪れた。アリスに手を握られたのだ。添えるようにして握られた手は、すごく暖かかった。
「辛いのは、わかるわ。でも、美沙はあなたがされたことを知らないのよ」
「……ごめん、美沙お姉ちゃん」
私は素直に謝った。
「え……?」
「知らないのに、責めちゃってごめん」
「い、いや、いいよ。澪は、大丈夫なの?」
頷く。そうすると、美沙お姉ちゃんはぎこちなく笑った。
「そう、それはよかった。何かあったら、相談して絶対に。ごめん、ミオ。せっかくお話できるチャンスなのに……私、もう寝るね」
そう言うと、美沙お姉ちゃんはふらふらと立ち上がって、部屋から出て行った。その様子は幽霊のようで、とても疲れているようだった。
「……ったく。だから寝ておけって言ったのよ。本当に抜けてるんだから」
カグヤが苦笑した。なんだか、凄く親しみのある笑顔であるように思えた。
私がいない間に、凄く仲良くなったんだ。私は……もうこれ以上知らない誰かと出会いたくないし、出会っても仲良くしようとは思わないだろう。昼の私は……どう思うだろう。全部忘れて、幸せを求める私は、どうするのだろう。
「……面白いよね、美沙お姉ちゃんって」
「ん? まあね。最初は我の強いヤツかと思ってたけど、しばらく付き合ってみるとすごくいいヤツだってのがわかってね。そんな感じで、友達になったのよ」
「ふうん……」
カグヤと美沙お姉ちゃん、仲良くなれたんだ。友達が多いということは、幸せに繋がるのかな。
「ねえ、カグヤ。寺子屋は、どうなった?」
カグヤは苦い顔をした。
「どうして聞くのかしら」
「……昼の私が、友達を欲しがらないかな、って思っただけ」
アリスお姉ちゃんとカグヤは顔を見合わせた。それからしばらくそうして見つめあったあと、二人は同時に頷いた。
「寺子屋はね。今は妖怪の子供しか来ていないわ」
アリスお姉ちゃんが、ゆっくりとそう言った。
「……そう。やっぱり」
ある程度、想像はしていた。多分、人里の人達は寺子屋が怖くなって、だから子供達を預けようとしないのだろう。無理もない、か。
「……友達、欲しいの?」
「私は、カグヤだけでいい」
他の子は、いい。怖いわけではないけど、煩わしい。それに、今の私は他人に関わることよりも他にもっとするべきことがある。
私はアリスのそばまで這っていき、その手を握る。
「お姉ちゃん、昼の私をよろしくね。面倒だろうけど、デタラメな私に付き合ってあげて」
私は、否定されたくない。昼の私だってそうだろう。だから、こうして昼のために、私のために同意を得ておかないと……。
「おやすいごようよ」
私は幸せになりたい。人でない私がこんなことを思うのはおかしいのかもしれない。けれど、それでも私は幸福をこの手にしたい。おこがましいだろうか、こんなこと思うのなんて。
「カグヤ、ときどきワガママ言うかもしれないけど、よろしくね」
「むしろもっと頼って欲しいくらいだわ。あなたが私やアリスのために頑張ったように、私やアリスもあなたのために頑張りたいの」
それを手伝ってくれる二人は、私にとっての恩人だ。
「……ありがとう、二人とも」
私は心からそう言った。
「気にしないで、澪」
アリスお姉ちゃんが、私の頭に、手を乗せた。耐え難い恐怖がお腹の底から湧き上がってきて、思わず私はその手を払った。
「……ごめんなさい」
私は視線を落として謝った。
「いえ、気にしないで。……やっぱり、怖いのかしら」
頷く。
「アリスお姉ちゃん、撫でるとか、抱き締めるとかは昼の私にやってあげて。私は、そばにいてくれるだけで十分だから」
それ以上は、怖くなってしまう。いくら寛容で優しいお姉ちゃんでも、頻繁に錯乱するような子供と一緒にはいられないだろう。できるだけ、昨日のようにアリスお姉ちゃんを心配させるようなことにならないようにしないと。
私の言葉に、アリスは悲しい表情をした。
「……そんな。あなたも、温もりがほしいのではないの?」
「ここでみんなと話していると、心があったかくなる。それだけで、十分」
そうは言っても、アリスはなかなか納得してくれなかった。
なんといえば理解してくれるだろうか。なんといえば、アリスはお姉ちゃんは……。
「……わかったわ。我慢する。せめて、そばにいさせてね」
そう言って、近づいてくる。
何をする気だろうか。ぱっと、当たり前のようにそう警戒する。
いや、違う。アリスお姉ちゃんは私に何もしない、しないはずだ。
アリスお姉ちゃんは私の隣に座った。それ以上は何もしない。抱きしめることも、手を握ることさえしない。
ただそばにいてくれる。私はそれだけでほっとする。
「……ありがとう、アリスお姉ちゃん。私、これからどうなるのか、どんな風に変わっていくのかさえわからないけど……」
黙って私の話を聞いてくれる。それだけなんだけど、そのそれだけが、とても心地いい。
「けど、みんながいればきっと、私も昼間と同じように幸せになれると思う」
今は、記憶と罪悪感が私を押しつぶそうとするけれど、いつか、きっと。
「……気長に待つわ。だから、ゆっくり自分を癒しなさい」
「うん」
私はそれから、カグヤやアリスお姉ちゃんと一言三言話してから、眠りについた。話している間はどうしても警戒してしまう自分が嫌だったけど、これもいつか治るのだと思えば、そこまで辛くなかった。
布団の中で、あの一週間の記憶に苛まれながら思う。昼間は、幸せでありますように。