かつての仇と私
それから数時間を費やし、私とアリスは神社に着いた。もうすっかり深夜と呼べる時間になっただろう。
私は神社の境内に入ると、心で呼びかける。
キア。おいで。
それからすぐに、神社の中、縁側のほうからふらふらとキアがやってきた。その様子はまるで幽霊のようだった。
長い髪に美しい容姿。その瞳は真紅に染まっていた。キアは私を見ると顔を青くして、細かく震えだした。
「……ま、マスター……」
「なんだか、すごく久しぶり。元気だった?」
「な、なにしに、きたんですか?」
「楽にしてあげようかな、って思って」
ふるふると、キアは首を振った。弱々しさを演出しているのだろうか。ううん、違う。この子はきっと、心底怖いのだろう。
「ごめんね、キア。私、あのとき必死で」
殺されるとわかったのか、キアは吹っ切れたように私をにらんだ。
「あ、あなた、の」
ポロポロと、キアは涙を流し始めた。
「あなた、のせいでっ! あなたのせいで、私はめちゃめちゃです! 変に生き延びたせいで色んな人から嫌味言われるし、殺されそうになったことだって何度かあった! 全部あなたが私に変なことをしたから! あなたが!」
その言い分は、私にとってはワガママに聞こえた。死ななかっただけでも儲け物とは思えないのだろうか。殺されなかっただけでも良かったと思えないのだろうか。
「……私だって、あなたのせいでみんなのことが怖くなった。全部、あなたの幻覚が原因」
「全部臣がやれって言ったの! 私は、私は悪くないっ! もうこんな変なことやめて! 怖いの!」
ブチり、と私の中で何かが切れた。おかしいな、我慢していたはずなのに。何もしない、って思っていたのに。
「黙れ」
私の命令にキアは従い、口を閉ざした。
「やめてほしいの? そこまで言うなら、殺してあげる。私がされたみたいに、あなたたちが私にしたみたいに、壊れるほどの苦痛と共に殺してあげる」
ゆっくりと、近づく。
「え、え?」
怯えるキアの顔を見ると、すっと胸がすくような気持ちになる。
「あなたは未来永劫私のもの。私の言葉に逆らうことは出来ない。私の呪縛から逃れる方法はたった一つ、死ぬことだけ」
けど、私の中にまたもやもやとしたものが産まれる。
「そ、そんな」
「信じられない? それなら、今から裸になって境内を走り回ってみる? すぐに信じれるよ。あ、そうだ。絶対に自殺はしないで」
この人をムチャクチャに痛めつけて、壊して、破壊願望を満たして……それで今の私は救われるのだろうか。この忌まわしい記憶から逃れることができるのだろうか。
「み、澪……」
アリスの心配そうな声が聞こえる。
「大丈夫。私は私。どんなにおかしくなっても、一線は越えないよ」
きっと。
私はかたかたと震えるキアの顎にそっと手を添える。
「しゃがんで、私の言葉を聞いて」
夢を思い出す。そういえば、夢の私はいつも破壊者だった。夢のようにはなるまいと思っていたのだけど……。
キアは抵抗もできずに私の命令に従う。
まさしく、私が今まで見てきた夢のよう。
キアの耳元に口を寄せる。
「私はあなたを許さない。でも、私は御陵臣のように外道にはなりきれない」
私が出した名前に、キアは殊更に怯えた。この人も被害者だということはわかった。でも、私は……。
「ここにいる人の命令には、どんなものでも従え」
私の命令に、キアは青い顔をした。
「幻想郷の人がお人よしであることを祈っていなさい」
私はそう言うと、キアを立たせた。
「さあ、おやすみなさい。せいぜい、幸せになりなさい」
私は踵を返して、アリスの方をみた。キアが神社の方へと帰っていくのが、足音でわかった。
夜の境内に、二人きりになった。
「お姉ちゃん、これでよかったのかな」
「……復讐、しないの?」
「したよ。もしこれが私のいた世界だったら……キアは、生き地獄を味わうんだと思う」
でも、ここは幻想郷。いい人が山ほどいる、平和な世界。きっとあの人は、これから小間使いとしてではあるけれど、それなりに幸せになれるのではないだろうか。
「ふふ、わかってるくせに」
アリスの笑顔。それに恐怖を感じる自分が嫌だった。敵はもういないというのに。
「ねえ、お姉ちゃん」
アリスの手を取って、歩き始める。とりあえず、神社を出よう。
「何かしら」
「私、いつになったら元に戻れるのかな」
アリスからの返事はない。内心何を考えているのかもわからない。けど、なんと答えたらいいのか焦っているのだろう。つないだ手が、汗ばんでいたから。
「……どんな状態が、『元』なのかしら」
「お姉ちゃんの優しい手が、怖くない状態」
アリスは苦い顔をして黙ってしまった。やっぱり、辛いのかな。
「……時間をかけて、ゆっくりと癒していきましょう。もう敵はいないんだから」
頷いた。解放団は、もうないんだから。もうあんな目に遭う必要なんてない。
私だって、幸せになっていいはずなんだ。
「澪。まだ、言ってなかったわね」
「なにを?」
「帰ってきてくれてありがとう。それから、護ってくれてありがとう。……よく、頑張ったわね」
……ああ。私は、報われた。
きっと私があれほど必死に戦ったのは、あれほどボロボロになっても前に進もうとしたのはきっと、アリスにこう言ってほしかったからだ。辛くても苦しくても前に進んだのは、褒めて欲しかったからだ。
戦ってよかった。あのとき死に物狂いで恐怖を噛み殺してよかった。こうして報われたんだ。きっと幸せにだってなれる。
私はお姉ちゃんの家に帰るまでの時間を幸せに過ごした。