末路と私
……気がつけば、私は神社の一室で寝かされていた。何があったのだろう。
「起きたわね」
レイムが、私の顔を覗き込んできた。
「レイム、どうしたの? 解放団は?」
私は上体を起こして聞いた。ここはかつて私がレイムと一緒に話した部屋だ。部屋の中央に、私の布団はあった。なんだかすごい贅沢な気分だった。
「……落ち着いて聞きなさい」
まず、と言ってレイムは部屋の向こう、ふすまの方を指した。
「入ってきて」
カラリと、ふすまが開いた。その向こうから、愛するアリスとマリサがゆっくりと入ってきた。
「アリス、マリサ。なんだか、二人の顔を見たのが久しぶりな気がする」
「……私もよ」
アリスは静かにそう言った。でも、その顔は複雑そうだった。マリサはうつむいて私の方を見ようともしない。
「いいかしら、澪」
「うん」
それから、レイムは色んな説明を始めた。
「まず……解放団は壊滅したわ。アリスと魔理沙やみんなが幻想郷に散らばってた解放団の隠れ家を叩いてくれたわ」
そうだったのか。それなのに、私はずっと眠っていたのか。あとで、謝らないと。
「それから、あのキアって子と東野は今のところここで匿ってるわ。今は元解放団、ってだけで白い目で見られちゃうようになったから……。
解放団と幻想郷の人間との関係が完全に逆転した形ね」
出された名前に疑問を持ちながら、私は話を聞く。ときどき頷いて、相槌を打つことも忘れない。
「それから、今は結界を完全に閉じて、出ることも入ることもできない状態よ。だから確証はないけど、外来人が能力を持つ、というのも少なくなるとは思う」
「ふうん」
なんだろう、レイムの言っていることは理解できるのだけど、実感がない。まるで遠い世界のことを話されているよう。
それからレイムは、いろんな事を話してくれた。色んなことを話してくれるのはうれしいのだけど、頭の処理がうまく追いついていなかった。大半は聞き流してしまった。
だけど、地獄の最奥、無間地獄というところでチルノを無力化したレイムは、大妖精を助けて、解放団からチルノを解放することに成功した、という情報は、なぜか頭に入った。
「最後に、あなたのことなんだけど」
私はなぜか全身が強張った。何を言われるのかわからなかったから、だろうか。
「その前に、あなた、どこまで覚えてるの?」
「どこまでって?」
「……自分が何か、覚えてる?」
頷く。
「私は、吸血鬼。まだ、血は吸ったことないけど」
「誰かを食べたこともない?」
私は頷いた。
「じゃあ……解放団って、どんなことをしてた?」
不思議な質問だった。レイムだって、そんな質問しなくても知っているだろうに。
「詳しくは、知らないけど。でも、悪いことしてたんでしょ?」
ずっとレイムやマリサ、アリス達とひっついていたから、偶然私は何もされずに済んだ。でも、他の人は酷い目に遭わされた。そうみんなが言っていた。
私の答えを聞くと、三人は苦々しい顔をした。
「ねえ、どうしてそんな顔をするの?」
「……よく、聞いてね」
私はうなずく。全神経を、集中させる。
「まず、あなたは……誰も殺してはいないわ」
「そんなの、当たり前」
戦ったことすらない私が、人を殺すなんて……。
「そう。実はね、あなたは……」
レイムはいい渋っているようだった。なんだろう。私にとって、悪いことなのかな。
「……黙っててもしょうがないわね。あなたは、忘れることを選んだの」
「忘れる?」
「そう。あなたは自分の身に起こった全てと、自分がした全てを忘れたの」
私の身に起こったこと、私がしたこと?
「どういうこと? 私、何をされたの? 何をしたの?」
質問には、誰も答えてくれなかった。
「……と、とにかく。もう幻想郷は安全なんだからね。それだけは、わかっておいて」
「ごまかさないで。私、どうなったの?」
問い詰めようとしたところで、アリスが近づいてきた。思わず、アリスの方を警戒するように見てしまう。
「……あなたは知らなくていいことよ」
アリスが私の隣に座って、私の肩を抱いてそう言った。ぬくもりが心地よい。アリスの暖かさが、私の心も暖めてくれる。
「でも、私のことなんだよ?」
「幼いあなたには重すぎるのよ。そして純粋なあなたには耐えられなかった。だから、いったんそれを忘れて、心が壊れてしまうのを防いだ、というだけよ」
壊れるかもしれないくらいのことをされた? 一体何をされたのだろう。一体何をしてしまったのだろう。わからないのが、とても不安だ。
「……ねぇ、これだけは、聞かせてほしいのだけど」
「何かしら」
「私は、アリスお姉ちゃんの役に立てた?」
何があったのだろう、わからないし、きっと教えてもらえないのだろう。でも、これだけは知りたかった。 私はアリスお姉ちゃんのために何かできたのだろうか。
「……私だけじゃないわ。あなたは、みんなの役に立てたのよ」
なんだろう、自分の死に様を聞いているような感覚に陥った。なぜだろう。
「澪、あなたは幸せになっていいのよ。これからなにが起こっても、それだけは忘れないでね」
「……うん」
不思議な、不思議な世界。でも、私が不思議に思ったのは変に気を使うアリスでもなく、優しいレイムでもなく、始終俯いたままのマリサでもなく、何が抜け落ちたのかすらわからない自分の記憶だった。
「ねえ、お姉ちゃん」
幸せ……か。
アリスの顔を見る。
大好きな、愛しい家族。その顔からは、複雑そうな心情が伺えた。
「お姉ちゃんは、幸せ?」
すぐには、答えてくれなかった。
「……ええ、もちろんよ」
嘘だろうか、本当だろうか。わからなかった。
それならば、言ってしまおう。本当かどうか、わからなくてもいい。
「お姉ちゃん、一緒に、幸せになろうね」
みんな一緒に、幸福を。
「……そうね」
アリスは柔らかく微笑んでそう言ってくれた。
「なあ、澪」
今の今まで黙っていたマリサが、静かに口を開いた。
「どうしたの、マリサ」
「澪、絶対に思い出すなよ。忘れたままってのは辛いし気持ち悪いかもしれなけど、忘れたままでも生活できるし、な?」
マリサは今にも泣きそうな顔をしていた。なぜだろう。
「……ごめん、澪」
「え?」
マリサはそう言うと踵を返し、部屋の外へと出て行った。
「……マリサ、どうしちゃったの?」
「さあ。でも、あなたを一番哀れに思ってるのは彼女よ」
レイムが答えてくれた。哀れ。私が?
「まあ、マリサは人一倍感化されやすいから」
そう、と私は答えた。
私の、記憶……。それほど、酷いモノなのだろうか。
「澪、そろそろ帰りましょうか」
アリスが立ち上がって私に手を差し伸べた。
私は迷わずその手を取る。
「レイム、お世話してくれてありがとう」
別に、とレイムは照れた様子で答えた。
「……それから、澪。ちょっと理解し辛いでしょうけど、これが最後よ」
レイムの言葉に、アリスは忌々しそうな顔をした。
「レイム、もういいじゃん。この子に見せる前に処分しちゃえば」
「……もしかしたらこの子と感覚がつながってるかもしれないから下手に手出しできないの」
なるほどね、とアリスは言った。会話が私の理解の外で、何について話しているのかまるでわからない。
「……いきなりキアを見せて記憶が全部戻ったら本格的に気が触れちゃうわ。とにかく、しばらく時間を置いて、今の状態に慣れさせてあげないと」
「一理あるわね。わかったわ。……澪」
レイムは私の方を見て言った。
「今は、好きに過ごしなさい」
「好きに?」
「そう。紅魔館に行って強くなるもよし、アリスのところでひねもすダラダラするもよし……」
なぜ、レイムはそんなことを言うのだろう。そんなことをしていいのだろうか。
「疑問に思ってるわね? でも大丈夫よ。あなたは、みんなに祝福されるわ。何も心配せず、幻想郷の生活を楽しみなさい」
「い、いいの?」
レイムは頷いた。
「いいのよ」
にっこりと、レイムは私に微笑みかけてくれた。
私は、この笑顔を信じることにした。
「わかった。信じる」
「……ふふ、いい子ね」
レイムはそう言うと立ち上がった。
「アリス、妹のこと、しっかり守ってやりなさいよ。ある意味で、これはチャンスなんだから」
「もちろん。もう二度と、この子にあんなこと、経験させてなるものですか」
決意と共に、アリスは私の手を握った。
「行きましょ、澪」
頷くと、アリスは私の手を引いて部屋を出た。私たちは縁側のある居間までくると、縁側から外に出る。縁側にはなぜか、私の靴が置いてあった。私はそれを履いたのだが……よかったのだろうか。
外に出ると、日が高く登っていた。昼間、か。
「じゃあね、澪、アリス。二人とも、何かあったらまた来なさい。何もなくても来ていいけど」
「ありがと、レイム」
私がそう言うと、レイムは微笑んでくれた。
「ありがとう、霊夢。また来るわ」
アリスはレイムに手を振ると前を向いて歩き出した。手を繋いでいるので、ほとんど意識せずについていける。
しばらく歩いて、二人きりになったところでアリスが口を開いた。
「……澪、あなたは幸せになりなさい」
「うん」
その言葉には、アリスの強い意思を感じた。だから私は頷いた。