醜悪な記憶と私
闇を抜けると、今度は白一色だった。後ろを向くと、もう闇はなかった。私とレイムの二人だけが、白い空間にポツンと存在した。他には何もない。上も下も右も左も前も後ろも全部全部白。重力は感じるけど、それでも自分がどこにいるのかわからないくらい、不確かな空間だった。
「れ、レイム、怖い」
「……私もよ」
思わず、私はレイムを見上げた。
「こんなとこ、一人で来てたら気がどうにかなってたかもね。本当、ありがとう澪」
いいよ、と私は言った。
正面が、変化した。氷の粒が集まって、だんだんと人影へと形を変える。人影はやがて大きくなっていき、それは背中に六柱の氷を生やしたチルノになった。その顔は、申し訳なさそうな暗い表情だった。
「……チルノ」
いた。見つけた。まだ、生きてる。よかった。やっと、ケイネを喜ばせてあげれるかもしれない。
「……レイム、ミオ、ごめんな」
喜んだ私とは裏腹に、彼女は涙を流して、両手を水平にあげた。レイムがそれに反応して、幣を構えて臨戦態勢。
「……いえ、いいのよ。気にしないで。あなたなりに、よく頑張ったわ」
戸惑う私をよそに、二人は戦闘を開始した。チルノの手から、無数の氷弾がレイムに向かって発射される。 レイムは僅かな動きでそれを全てよけた。反撃はしなかった。
「ダメじゃないか、手加減したら」
氷の弾を撃っていたチルノの後ろに、御陵臣が現れた。御陵臣の右隣には、黒い、忍者みたいな装束に身を包んだ男の人がいた。左隣には、何も感じていないような、無表情の女の人がいた。
「御陵臣。あなたを倒しに来た」
私はレイムのように強がって言う。
御陵臣は、くすりと笑った。
「君が? 無理だね。ほら、チルノ。君の敵はもう一人いるよ?」
ぐすぐすと泣きながら、チルノは言われるがまま、私に氷弾を撃ってきた。
「ごめん、ごめんねミオ。でも、こうしないと大ちゃんが……」
そうか。チルノも、守りたい人のため頑張っているのか。
迫り来る氷。
来るべき、痛み。
私は、よけなかった。
全身が氷に撃ち貫かれ、体内に氷が入る。その瞬間、全身の液体が凍り、固まり、視界さえも氷の中に閉ざされた。
きっと、今の私は氷の柱の中に閉ざされているのだろう。遠くでレイムとチルノが叫ぶ声が聞こえる。
でも、それは一時的なもの。だんだん、冷たいはずのものが冷たくなくなってくる。だんだん、温度が低くなっても凍らなくなってくる。だんだん、体が動くようになってくる。
「……私、は」
力づくで、氷の柱を中から割る。
「み、澪?」
レイムとチルノの驚く声がきこえる。
「いくら痛くても、いくら苦しくても、構わない。全部、我慢する。みんなを幸せにできるなら。みんなを不安から解放できるなら!」
私は走り出す。逃げようとした御陵臣を、レイムが作った光の針が殺到し、妨害する。ギリギリで彼はよけた。
「くっ。チルノ。君はレイムに全力を出して。我々解放団は、澪を相手にするから」
「……」
チルノは無言で頷き、先ほどの倍以上の量の弾幕を張った。
「チルノ!」
二人が戦っている間に、御陵臣は遠くに向かって走り出す。追いかけようとしても、中々差が埋まらない。 しばらく不毛な追いかけっこをしていると、御陵臣が止まって、不敵な笑みを私に向けた。嫌な予感がして、私は止まった。後ろを見る。チルノとレイムがすごく遠い。一人きりになってしまった。相手の思惑にはまったか。
「ふ、ふふ。君はバカだなぁ」
楽しそうに、御陵臣は両手を広げた。まるで、劇役者のよう。
「我々解放団の懸念事項はたった一つだったんだ」
黙って、私は彼らの話を聞く。攻撃しても、よかったけれど。両隣に侍る二人が、妙に気になった。
「幻想郷の人間の力は未知数。そして、そのトップたる霊夢は、我々が束になっても敵いやしない。だから、少しずつ幻想郷の人間を引き込んでいく予定だったんだ」
「だから、チルノを?」
御陵臣は頷いた。
「氷を操る妖精。彼女、凄く友達想いのいい子でね。ちょっとその友達を攫って、目の前で虐めてあげたらすぐ協力するってさ。素敵じゃないか。頑固な君とは大違い、彼女こそ、我々の奴隷に相応しい」
私はまた嫌な気分になる。
「どれほどのことをしているのか、理解している?」
くすりと、御陵臣は笑った。
「ホント、君さあ、霊夢なしにどうやって我々三人と戦うつもり?」
私の言葉は、完全に無視。
……舐められている。
「見てみる?」
それなら、と私は両手を掲げ、血を集める。いつもの血塊。でも、作ろうとしているところで、何時の間にか首に男の手がかかっていた。その手の爪は、刃物のように尖っていた。後ろを振り向く。忍者装束に身を包んだ、全身が黒一色で統一されている男だった。
パシュッと、私の首から小気味のいい音と共に血が溢れ出した。じわりと、しみるような痛みが私の中のよくないものを呼び覚まそうとする。
「……ふふふ、宗は優秀だよ。元々透明になる力を持ってて、幻想郷に来てから瞬間移動を新たに得たんだ。暗殺のプロだよ、彼は」
「そう」
あふれだそうとする記憶を意思でねじ伏せて、私は出来上がったハンマーを振るう。後ろにいた忍者に当たり、彼は吹き飛ぶ。
「……腐っても吸血鬼だね」
私は彼を無視して、走り出す。外が夜だからだろうか、妙に力が湧く。
「つれないなあ。それならキア、我々と彼女との間にあった蜜月を、思い出させてあげてよ」
「……でも……」
あと、ちょっと。御陵臣の懐に飛び込んだ私はハンマーを振りかぶる。
「死にたいの?」
御陵臣の言葉に、キアという女の人が怯えた。
「ひっ……。ごめんなさい……!」
ピカリと、私の視界が光で埋まる。
次に目を開けた時、私の周りにはたくさんの人がいた。みんな男で、みんな笑顔で、みんな手に拷問道具を持っていた。何時の間にか、私は裸になっていた。
キョロキョロと周りを見る。空間いっぱいに、人がいる。一体どこからこんな人員を!?
「さぁ、楽しもうよ澪」
御陵臣の声が頭上から降ってくる。
「な、なにをするつもり?」
「あの時の続きさ! 永遠に楽しもうよ!」
私は背中を剣で刺された。貫通したのか、お腹から、切っ先が生えていた。その剣には返しがいくつもついていた。お腹に耐え難い痛みが走る。剣を引き抜こうとしているのは、背中に当てられた手と感覚でわかった。
「ゆ、ゆるしてっ! もうあんなのやだっ!」
私は恥も外聞もなく喚いていた。記憶の蓋が、だんだんとずれてくる。思い出したくもないあの一週間が、禍々しき苦痛と共に蘇り始める。
「や、やだ、あんなの、もう……」
私の正面に、男の人が立った。その人は右手に小さなかぎ爪を持っていた。
私の頬に、鋭く尖った爪が当てられた。
「あ……あ……、や、やめて、やめてください……」
涙を流して、懇願する。それでも頬を突き破ろうするかぎ爪は止まらなかった。チクリと頬に痛みが走り、私の顔が剥がされようとする……。
私は、その瞬間全てを思い出してしまった。
「あ、や、やだ、ダメ、ダメ……!」
私はあの一週間……ただひたすらにおもちゃとして存在していた。人としての尊厳なんてない。私という存在はただ動く肉程度にしか思われていなかった。そして、私は……。
「ち、違う。わ、私は好きであんなことを言ったわけじゃない!」
「思い出した? あの時の君、とってもかわいかったよ」
私は、苦痛から逃れたい一心で、いろんなことを口走っていた。
「わ、私は!」
「本当、かわいくて、いとおしくって……つい、熱が入っちゃったよ」
頬に鋭い痛みが走り、顎から首にかけて温かい液体が伝うのを感じた。涙が傷にしみこんで、痛い。
かわいいなんて言われてもうれしくない。愛おしいなんて言われてもうれしくない! やめて、この痛いのをやめて!
「あの時、君は言ったよね。助けてくれるなら何でもします。どんなことでしますって。もっと過激なことも言ってくれたよね。ああ、本当……興奮するよ」
ああ、そうだ。御陵臣の言うとおりだ。
そのことを認識したとき、私の意識は遠くなってくる。
なにが人として、だ。何が心だけでも人間でありたい、だ。
私はもう人ではなかったのだ、あんなことされて、あんなにボロボロにされて、逃れるためにあんなことを口走って。
ああ、私はもう、人ではなかったのだ。人に憧れる肉塊だったのだ。
「思い出した?」
その言葉を耳にしたとほぼ同時、私の意識は、途切れた。