ケイネと私
それから数時間ほどかけて寺子屋まで歩いた。お姉ちゃんは疲れているのか口数が極端に少なかった。警戒するように周りをキョロキョロと見回し誰かいないか確認しながら歩いていた。
すこし草むらの影が揺らぐと、短く悲鳴をあげてカグヤの後ろに隠れるのだ。
その仕草は見ていてとても痛々しいはずなのだけど、私は可愛らしいと感じた。
けれど、そんな自分もお姉ちゃんと同じように怯え、恐れているのだ。
竹の林を抜け、寺子屋まで着くと、古めかしい校舎が見える。
「こ、ここが?」
「そう。ここが寺子屋。安全なところ」
私はそう答えて、校庭に入る。まるで見計らったように、校舎の中からケイネが出てきた。
「澪、そこで待って」
「?」
近寄ろうとした私を、ケイネが手で制した。
「ひとつだけ、聞かせてほしい。私の生徒達は……誰に、なぜ殺されたのだ?」
疑問というよりは、確認のような表情でそんなことを聞いてきた。
「正直に、答えた方がいい?」
「当たり前だ」
隠しておきたいことだって、ある。けど、ケイネは真実を望んでる。……なら、私は嫌われよう。憎まれるかもしれない。けど、こんな大切なところで嘘をつくよりよっぽどましだ。
「御陵臣が、私のご飯にするために、殺した。ごめんなさい」
頭を下げて私は謝った。そのまま、顔をあげずにいる。私は、ケイネの顔を直視することができなかった。
「……っ」
息を呑むケイネとお姉ちゃん。
「……ケイネ、私を」
「いいや。勘違いするな」
ゆっくりと、ケイネが私のそばまで歩いてきた。
「御陵臣にも、同じことを言われたよ」
「会ったの? 大丈夫?」
ケイネは頷いた。
「大丈夫。だが、ヤツに対する怒りは混み上がるばかりだ」
顔をあげると、今にも泣きそうなケイネの顔があった。
「……すまないな。いきなりこんなこと聞いて。お前を少しでも疑った私が愚かだった。
どうした? 何か用か? ……また何かあったのか?」
「特に用はないわ。けど、新しい居候がひとつのところにいるのは嫌だと言ってね」
ケイネの質問にカグヤが答えた。
「ふむ、そうか、その少女が……。私の名前は上白沢慧音。よろしくな」
「あ、はい。私は星空美沙と言います」
ケイネが纏っていふ雰囲気に気圧されたのか、美沙お姉ちゃんは丁寧語だった。
「……まあ、訪問の理由はわかった。大したおもてなしもできないが、ゆっくりしていってくれ」
ケイネは頼りない微笑みをお姉ちゃんに向けた。
「とりあえず、お茶でも出そうか。ついてきてくれ」
「いや、い、いいですよ。外に出たかっただけですから」
お姉ちゃんは手を胸の前で振ってそういった。
「ん、そうか。……では、私もここにいよう」
そうケイネが言ったきり、会話が途絶えた。
しばらく、沈黙が続く。
「あ、あの」
お姉ちゃんが、ケイネの方を見た。
「どうした?」
「あの、上白沢さんは何してらっしゃるんですか?」
「教師だ。まあ、誰に許可を受けたわけでもないのだし、そちらの世界でいうもぐりというやつだ」
ははは、と乾いた笑いをケイネは浮かべた。
「それと、美沙。私のことは慧音と呼んで欲しい。敬語もいい」
落ち込んだ様子で、ケイネがそんなことを言った。
「え、い、いいんですか?」
「かまわん。生徒も守れぬ私が、教師を名乗るなど……」
そう自虐的に笑ったケイネ。何か、言ってあげれるだろうか。いや、言わないと。少しでも、償いを。
「なにも、おかしくない」
みんなが、私を見る。
「生徒全てを守るなんて、不可能だよ。私の世界では、守るどころか傷つける先生もいるんだから、そうやって守ろうとするケイネ先生は、真っ当な教師だと思う」
「そ、そうそう! だから、落ち込まないでください」
事情なんてかけらも知らないだろうに、お姉ちゃんはケイネを励まそうとしている。きっと、外の世界でもすごく気の利くいい人なんだろうな。
「……そうか。ありがとう、二人とも。すごく、気が楽になった」
そう言って、ケイネは私たちに微笑んでくれた。
「うーっす、慧音、遊びにきたぞ……って、澪」
竹林の向こうから、ニコニコと楽しそうな顔をしたモコウがやってきた。
「ああ、よく来たな」
モコウが来たことで、ケイネの雰囲気が若干柔らかくなった。二人は友達、なのだろうか。
モコウは美沙お姉ちゃんに向かって歩いて来る。何も考えず、私はお姉ちゃんの前に立っていた。まるで、モコウからお姉ちゃんを守るかのように。
私のそばまできたモコウは、ショックを受けたような表情をした。
「……澪、あたしは何もしないよ、ほら」
そっと、手を顔に添えられる。
私は思わず目を閉じた。
記憶の中にある熱と痛みは訪れなかった。代わりに私にもたらされたのは、頬に感じる優しい指先。
「お前、何されたんだよ。あたしのこと、全然怖がってなかったのに。人を燃やして怖がらなかったヤツなんて、お前とケイネくらいだったのに、どうしちまったんだよ?」
「私、は……」
モコウの優しい声色が、胸に響く。けれど、燃やされた時の記憶が私を苛む。
「澪、あたしな、輝夜から聞いたんだ。詳しいことは、教えてくれなかったけどな」
カグヤを呼ぶ時の声は何故か嫌そうだったけど、私を気遣うような様子であることは顔を見なくてもわかった。ちょっと、とカグヤが短く文句を言う声も聞こえた。
「澪、お前さ、今でも、人を助けること考えてるのか? 自分が大変な目に遭って、ぶっ壊れてもおかしくないような状態になっても?」
「……もちろん、です。私は……みんなを助けたい」
お姉ちゃんを守りたい。カグヤに辛い思いをして欲しくない。ノーマにもうあんな暗い顔をしてほしくない。マリサのあんな悲しそうな顔を見たくない。アリスに痛い思いをしてほしくない。みんなみんな、私の大切な人達だから。みんなみんな、私を想ってくれた恩人だから
「……なら、まずはお前が治ってくれよ。きっとみんな、お前が大好きだ。お前が元気なだけで、きっと喜んでくれる。だからさ、な?」
「でも、お姉ちゃんが」
「大丈夫だよ。あいつはあいつで、なんとかやるさ」
軽い調子で、モコウが私の肩をぽんぽんと叩いた。ふと、思い出す。
ずっと前に、こうしてマリサにしてもらったっけ。あのときは、嬉しかったなぁ。
ものすごく、懐かしい気持ちになってくる。あの時の私は、素直に喜んでいたのに……。
どうして私、こうなってしまったんだろう。
わかりきっている疑問が、私の中で生まれた。視界が少しだけ滲んだ。
どうして、ありがとうと言って微笑み返せないのだろう。
どうして私は、この優しい手を恐れるのだろう。
「……ごめんな、澪」
「え?」
「その、触っちまって。怖かったろ?」
私は首を振った。
「そうか。澪は、優しいな」
ニコリと、頼りない様子でモコウは微笑みかけてくれた。
この様子は、信じていない。……当たり前、か。私、ここに来てからいくら嘘をついただろうか。それがわからないくらい、嘘をついた。信用を無くしても、仕方ないか。
「……で? 妹紅、遊びに来たって言ってるけど、本当かしら?」
カグヤがそっけなく聞いた。
「あ? お前に関係あるか? ねぇだろ? 黙ってろ」
この二人、妙に仲が悪いな。どうしてだろう。
「あなたの存在はこの子の心に影響するわ。私は澪に休んで欲しいの。わかる?」
カグヤが言うと、モコウは唸った。
「……わかったよ。慧音を守りに来たんだよ」
「ケイネ先生を?」
私は思わずケイネを見た。大人で、幻想郷の人。狙われる要素は少ないと思うのだが……。
「まあな。物騒だからな、最近。チルノだって……な」
「は?」
ケイネがそんな声を上げて、モコウに駆け寄った。ケイネはモコウの両肩を掴んだ。
「どういうことだ。チルノがどうしたって?」
「……し、知らなかったのか?」
頷いたケイネを見て、モコウはしまった、と言う顔をした。
「そ、それは、だな……」
「教えてくれ妹紅! チルノに何があった!?」
今にも崩れそうな様子のケイネに、モコウはどう答えたらわからない様子だった。
「どうして口を閉ざす? まさか、あいつらに攫われたのか? なあ、答えてくれ妹紅!」
「……そうだよ。あいつと仲の良かった妖精と一緒にな」
絶句したのは、私とケイネだった。
チルノ、が? 幻想郷の人なのに? どうして?
「……もう、我慢できるか。子供は宝だ。種にとっても、親にとっても、私にとっても。それを、あいつらは……」
ケイネが静かに言った。
一度目を閉じ、そして、再び目を開けた。泣きそうだったケイネの目は、身震いするほどの決意と覚悟の込められた目へと変わっていた。
「妹紅、手伝ってほしい。霊夢に言って、解放団を潰そう」
モコウはすぐに頷いた。
私は黙っているカグヤとエイリンを見た。
「正しい決断よ、妹紅。行きましょう」
カグヤは、何も文句を言わなかった。エイリンも、ただ頷くだけだった。
戸惑うのは、私と美沙お姉ちゃんだった。
「……え? 解放団を、潰す? な、なんで? そうしたら私たち、帰れないじゃん」
「お姉ちゃん、今すぐに帰るのはたぶん、無理だよ。今はここの問題が解決しない限りは出れないから」
「で、でも」
戸惑う美沙お姉ちゃんを、カグヤが睨んだ。
「文句を言うのは勝手だけど。あなた、どうするの? 嫌なら、私たちと離れる?」
カグヤは冷たくそう言った。私は美沙お姉ちゃんの腕を抱きしめた。
「ダメ。従わないなら排除するというのなら、解放団と変わらない」
「……それもそうね。とりあえず守ってあげるから、ついてきて。神社で話を聞いて、それで決めなさい」
カグヤはそう言って歩き出した。
「……私たち、どうなるんだろうね、澪ちゃん」
「大丈夫。私は弱いけど、お姉ちゃんだけは絶対守ってみせるから」
私達姉妹とエイリンは彼女についていく。ケイネも歩き始める。ケイネの後ろには、同じく覚悟を決めた様子のモコウがいた。
「神社に行って、直談判。霊夢が聞き入れなかったら、単独で潰す。文句はないわね」
カグヤの言葉に、異を唱える者はいなかった。美沙お姉ちゃんでさえ気圧されて口を閉ざしたようだった。
私たちはそれから、神社……レイムの元へと向かった。