突然の襲撃と私
夜、私は寝付けずにいた。吸血鬼なのだから当たり前といえば当たり前なのかもしれない。だが、昨日まですぐ眠りに就くことができた私にとって、夜眠れないと言うのは不安でしようがなかった。
「……」
共に眠るみんなを見る。カグヤの珠のような肌。ノーマの幼い体。そして、美沙お姉ちゃんの……。
「あれ」
美沙お姉ちゃんがいない。どこ? いつのまに?
私はきょろきょろとあたりを見回してお姉ちゃんの姿を探すけれど、いない。嫌な予感がする。
私は立ち上がると部屋を出る木の廊下を駆けて、美沙お姉ちゃんを探す。夜だからか、力が湧いてくる。そして、血の渇きも感じる。
縁側のある部屋までいくと、私はぎょっとした。
外に立っている御陵臣が、縁側に座っている美沙お姉ちゃんにキスをしていたのだ。お姉ちゃんの顔は、私からは見えなかった。ただ、にやにやと嫌な笑みを浮かべた御陵臣の顔が、私の目を釘付けにした。
「お姉ちゃんから離れろっ!」
私は手のひらに血を集め、剣の形にする。それを振りかぶり、御陵臣に斬りかかる。彼はそれをひらりとよけると、からかうように笑った。
「あつはっは。お姉ちゃん、ねぇ。家族が多くて羨ましいね。でも、この子はもう解放団の仲間、だよ」
私はお姉ちゃんを見る。少し目が潤んでいる。意識もはっきりしないみたいだ。何をされた? いや、そんなことよりも、今は。
「……これ以上、お姉ちゃんを好き勝手させない」
「君じゃ僕を止めるのには力不足だね。他を……」
「私なら、どうかしら」
私は後ろを見た。全身から怒りのオーラを発しているカグヤが立っていた。御陵臣は急に、焦ったような顔を見せた。
「やだな、冗談だよ」
「お前がこの子らにしたことは冗談では済まされない」
たじろぐように、御陵臣があとずさった。そこに、私は問い詰めるように聞く。
「お姉ちゃんに何をしたの?」
「あっはっは。なんにもしてないよー。ただちょっと感情を弄らせてもらっただけ」
感情を、弄った?
「お姉ちゃんはお前のオモチャじゃない! 勝手に弄るな!」
「じゃあ、君がこの子の代わりにオモチャになってくれるの?」
「一人で遊んでろ!」
私は御陵臣に飛びかかる。また、たやすくかわされてしまう。
「……この、下衆! お姉ちゃんを元に戻せ!」
「嫌」
御陵臣はイタズラ小僧のように舌を出した。
「いずれは君と同じように攫って、いじめて、洗脳して、対幻想郷の尖兵として突撃してもらおうかな? 武器はもちろんお腹に巻いたダイナマイト! あはははは!」
私は、頭の中で何かが切れる音を聞いた。
飛びかかろうと身構えたカグヤを手で制する。だめ。こいつは、私の獲物。
「……許さない」
私は両手を空高く掲げ、吸血鬼の力を使い、血を放出し、固める。
「ははっ。君の力じゃ、ロクな武器は……」
「そもそも、血に切れ味を期待した私がバカだった」
私の想像通り、血は形作られていく。
「最初から、こうすれば良かったんだ」
私の思い通りに、血液はうごめく。
「どんなに不格好でも、どんなに形がおかしくても、裏切らないものはある。
質量は、そのまま力になる」
両手持ちの、巨大な戦槌に。
私はそれを片手で振り回す。質量、バランス、共に十分。
「……は、は。君すごいね」
私はハンマーと御陵臣を交互にみる。
「これは、あなたの頭蓋を砕いてくれる心優しいハンマー。ぶちまけられた脳髄は、私が啜ってあげる。だから、力を抜いて目を閉じて?」
御陵臣に向かって素振りがわりにスイングする。ぶおん、と業風と共に、紙一重で避けた御陵臣の髪がゆれた。彼の額には、冷や汗が流れていた。
「動かないで。そのおいしそうな頭蓋を私に頂戴?」
「……よ、夜の君は別人だね」
「そう? でもお前はこんな私を望んていたんでしょ。早くお前を食べたい。お腹が空いてたまらないの」
もう一度、スイング。避けられたけど、彼の姿勢はガタガタ、顔には焦燥。この様子じゃきっと、私の攻撃に対する防衛手段は持ってない。
「じゃあ、いただきます」
私は斜めにハンマーを振り下ろした。私は胴体を砕くつもりだったのに、左腕と左大腿部しか当てられず、当たった部位を砕き落としただけに終わった。
「ぐっ……! 君の力はやっぱり素晴らしい! またくるよ。我々はいつでも、君を待ってる。それじゃあね!」
透明になって、御陵臣は消えた。残されたのは、あいつの左腕と左足。私はハンマーを血に戻し、体の中に吸収すると、腕と足が転がっているところまで近付いていった。これが、食糧。私が唯一例外だと認めた、人間の血肉。食べて、いいのだろうか。食しても、構わないのだろうか。
『血を求める自分を、許してあげて』
エイリンの言葉が思い起こされる。そうだ、いいんだ。食べてもいいんだ。御陵臣の体なら、あいつの肉なら、食べても、いいんだ。
半ば無理やり、私は自分を納得させた。
「……いただきます」
カグヤが見ているのも構わず、私はそれらに噛り付いた。感じるのは甘み。最初に感じたのは、震えるような快感。これが、食事。これが、食べるということ。コリコリとした骨、もちもちとした皮、肉。どれをとっても一級品。仇の肉というものはかくも美味なものなのか。
私は歓喜のあまり、つい涙を流してしまった。
「……澪」
「おいしい。すごく、おいしい」
私は何を口走っているのだろうか。人を喰らい、その肉が美味などと、狂ってる。私は、本格的に化物なのだな、と今更ながらに実感した。
けれど、口の中の肉は、私に快楽をもたらしてくれる。おいしい。ずっとこうして肉を食んでいたい。ずっとこうしていたい。
「……ごちそうさま」
ふたつの部分を綺麗に食べ終えた私は、真っ赤な手を合わせてそう言った。
「澪」
「ん?」
私は振り返る。カグヤが心配そうな目で私を見ている。
「大丈夫だよ、カグヤ。私、もうお腹いっぱい。絶対に食べないから」
「……そういうことじゃないのよ」
「じゃあ、どういうこと?」
私が聞いても、しばらくカグヤは何も言わなかった。
「……ごめんなさい。私、覚悟していたつもりだったのだけど」
その言葉で、私はようやく気付いた。
「あ……。ごめん。その、怖がらせてしまって」
カグヤは首を振った。
「違うのよ。違うの。ほら、お風呂、入りましょ」
差し伸べられた手に、私は首を振って応えた。
「いい」
私は手にこびりついた血を舐めとっていく。蜂蜜を舐めているかのような錯覚にとらわれるくらい、その味は甘美だった。
うっとりと、思わずため息をつく。畳に散った血液は、もったいないけど体の中に吸収するに留める。おいしそうだけど、さすがに畳を舐めるわけにはいかない。カグヤが見てるから。
私は手のひらを動かし、血を吸収する。
「……カグヤ、お姉ちゃんの様子はどう?」
血を吸収しながら、私は聞いた。
「……なんだか、目は開いてるけど意識が混濁してるみたい」
「あんなやつに触られたからだよ」
血を吸収し終わって、私はお姉ちゃんのそばまでいって、彼女の様子を見る。
「……」
まるで抜け殻のような姉の様子が、胸に痛い。
「お姉ちゃん、しっかり」
私はお姉ちゃんの肩を揺さぶる。カクカクと揺らして、しばらくしてからようやく、はっとしたようにお姉ちゃんは目に光を取り戻した。
「……え?」
ぱっと、お姉ちゃんは自分の口に手をやった。信じられないといったふうに、唇を撫でている。
「大丈夫、お姉ちゃん?」
「わ、わた、私、私……」
汚された。震える声で、お姉ちゃんはそう言った。どうすれば、お姉ちゃんを助けられるだろう。
私はゆっくりと、お姉ちゃんを抱きしめた。
「汚れてなんかないよ。お姉ちゃんは、キレイ」
私はお姉ちゃんの唇を優しく撫でた。信じてくれない。実感がないみたい。それなら。
「ねえ、お姉ちゃん。私、汚いものは大嫌い」
特に綺麗好きというわけではないのだが、お姉ちゃんのために私はそう言った。
「じゃ、じゃあ触ったら、ダメだよ」
「汚かったから、絶対に触らないよ。だから、お姉ちゃんはキレイ。ね?」
汚される恐怖というものを、私は知っている。実際にされたことはないけれど、あれほど恐ろしい思いは、二度としたくなかった。
結局御陵臣に、されてしまったけれど。
いや、違うかもしれない。……私は彼に汚されてしまったのだろうか。今更ながら、不安が湧いて来る。
その不安を、私は頭を振って否定する。今は、私よりもお姉ちゃんだ。私のつたない論理を信じてくれたのか、お姉ちゃんは小さく、本当に小さくうなずいた。
「お姉ちゃん、大丈夫。ね? ほら、寝よ。一度、落ち着こう?」
私は半ば無理にお姉ちゃんを立たせ、寝室に連れて行く。
「ね、ねえ、澪ちゃん。私、なんでかな、なんでなのかな。なんで……」
そこから先は声にならず、ただ嗚咽がこぼれるのみ。私はいたたまれない思いを感じながら、お姉ちゃんを寝室まで運ぼうとする。けれど私の体は小さくて、うまくお姉ちゃんの体を支える事ができない。
「もう、私がいるんだから、ちょっとくらいは頼ってよ。ほんと、自信なくしちゃうわ」
ふっと、感じていたお姉ちゃんの重みが軽くなった。カグヤが、お姉ちゃんに肩を貸していた。
「ごめん」
「謝ることなんてないのよ? こうして、手伝ってもらったときには「ありがと」でしょ?」
私は頷いた。
「うん、ありがとう」
それでいいのよ、とカグヤは微笑んでくれた。
お姉ちゃんを寝室まで運ぶと、カグヤと一緒に優しく横たえてあげる。最初は戸惑っていたが、ゆっくりと呼吸が落ち着いていき、次第に眠っていった。
「……カグヤ」
私はそのときを見計らって話を切り出した。