戦意と私
凄惨な夢を見た。私の親しい人が怯えたような表情で並んでいる。その人たちを私が笑いながら斬り裂いていく。強く、強くなった私。けれど、それはひたすらに孤独であることを現していた。恩人のアリスが怯える顔を楽しむと、私はその胸に血液でできたナイフを突き立てた。返り血が、甘い匂いをただよわせていた。
「……」
私は目を開けると、ゆっくりと身体を起こした。外を見ると、かなり明るい。周りを見ると、誰もいない。でも、自分が畳の布団の上で眠っていることを確認すると、ほっと息をつく。
それから、途方もない罪悪感に襲われる。
アリスを殺した。それは夢だったけど、殺したという感触はまだ手に残っていた。
なんで。御陵臣を殺す夢でさえ見たくもないのに、なんでよりにもよってアリスなんだろう。どうして、親しい人達ばかりが並んでいたのだろう。私、恩を仇で返したいのかな。
「あら、おはよう」
「……おはよう」
私の挨拶は妙に暗かった。それは、カグヤに簡単に気取られた。
「随分暗いわね、どうしたの? 何か夢でも見たの?」
「……親しい人達を、皆殺しにする夢」
私は、特に躊躇うことなくするりと白状していた。カグヤならいいか、そんな安心がどこかにあった。
「あら、それは嫌な夢ね。でも夢よ」
「……ありがと」
私はお礼を言うと立ち上がった。
「カグヤ、寺子屋に行こう」
「こんな朝早くに? いえ、そうね。慧音寂しいでしょうから……」
そう言って、カグヤはどこかへ行ってしまった。
彼女の言葉が、胸に響いた。ハウリングするような、嫌な響き方だった。
ケイネの生徒は、私のために、死んだ。私の、食糧として。
ケイネ、きっと私のこと嫌うだろうな。
こんなふうに私は色んな人に嫌われていって、いつしか、今日見た夢のようになるのだ。
そんな妄想をしていると、再びカグヤが部屋にやってきた。
その手には、綺麗に折りたたまれた着物があった。大きさから見て、子供用。
「これ、着替え。自分でできるかしら」
私は首を振った。
「着物なんて、着たことがないからわからない」
じゃあ、と言ってカグヤは私に近づいてきた。
「私が着付けてあげる」
私は頷いて、カグヤに身を任せた。少し不安ではあったけれど、まあカグヤならいいか。
服を脱いで、色々と着せられる。カグヤの肌がよく見えて、すごくいい匂いがする。
「カグヤって、お姫様だったんでしょ?」
「もう十世紀以上前の事よ」
その時から、不老不死だったんだ。
「お姫様って、何もしなくても召使いがしてくれるんじゃないの?」
それなのに、どうして着付けなんてできるんだろう。
「覚えたのよ。もう姫じゃないんだから、自分のことは自分でできるようにならないと、って思っただけ」
「すごいね、カグヤは」
そんなことないのよ、とカグヤは笑って言った。それからしばらく、無言が続く。
「……はい、できた」
されるがままにされていると、カグヤがそう言って私の肩に手を置いた。その手から匂う香しい香りは、私の正気を削っていく。
「うん、似合ってる」
そう言われて、自分の体を見回す。
ピンク色の花柄模様に、可愛らしい朱色の帯の、女の子用の着物だった。こんな可愛らしいもの、ここに来るまではめったに着なかったな。
「どこかおかしくない?」
私はくるりと回ってカグヤに聞く。
カグヤは笑顔で頷いてくれた。
「ありがと。じゃ、行こう」
私がこう言うと、カグヤは私の手を引こうとした。私は思わず、その優しい手から退いてしまう。ほとんど無意識の拒絶だった。
「……ごめん、カグヤ」
「いいのよ。さ、行きましょうか。食事は……」
私が首を振ると、カグヤはそう、と言って部屋を出た。私も続く。
外に出ると、レイセンが侍るように立っていた。
「今から寺子屋に行くわ。永琳を呼んで」
「わかりました」
レイセンは一礼すると、すぐそばの部屋の中に入った。それからしばらくして、エイリンが出てきた。その手には大きな弓があり、その腰には大きな矢が下げられていた。まるで巨大な生物を狩りにでもいくような格好だった。
「行くわよ」
カグヤが短く言う。エイリンは深く一礼した。どんな関係なんだろう。いまさらながら疑問に思う。
カグヤは永遠亭の玄関まで行くと、扉を開ける。私がついて行くと、私の後ろを弓に矢をつがえたエイリンが続いてくれる。
守ってくれる、ということなのだろうか。
「澪、もうこれ以上、あなたを傷つけさせはしないわ」
エイリンとカグヤ、二人がそう言った。
「ありがとう」
私は心の底からお礼を言った。この服を、汚したり破ったりするわけにはいかない。大切な友達の物なのだから。
竹林を少し進んだところに、モコウが待ち伏せをするように竹によりかかっていた。
「……おう」
私は思わずカグヤの背中に隠れた。
「澪、あたしは何もしない! 信じてくれ」
モコウは両手を開いて主張した。
「何の用?」
それに構わず、カグヤが鋭い口調で聞いた。
「その、昨日怖がらせたみたいだからさ、その、謝ろうと思って。ごめんな、澪」
昨日と随分対応が違う。なぜ違うのか、ということが非常に気になる。
「……別に、いいです」
私の口は勝手に動いていた。
私の言葉に、モコウはショックを受けたような顔をした。
「あたし、いつでもお前の味方だからな。だから、なんかあったら、あたしのところに来い。守ってやるから。それから、その服似合ってるぞ」
モコウはそう言うと私たちの進行方向とは別の竹林へと歩いていった。
「……ま、私のところが嫌になったら行くといいわ。いけすかない奴だけど、まあ、悪い人間ではないから」
「うん」
カグヤは再び歩き始めた。それからかなり歩きどおしだった。
時々、会話もした。そのどれもが私を気遣うような物だったが、その事実が私と二人が少し遠ざかってしまったことの証拠にも思えた。
寺子屋につくと、外でケイネとチルノが柔らかそうな、ふわふわとしたボールを投げ合っていた。キャッチボールをしているのだろうか。キャッチボール、か。
私もお父さんとしてみたかったな。
「おー、澪だー! 着物だー!」
チルノがボールを投げたところで、私たちに気付いた。
「チルノ」
私は一人で彼女の元へ駆け出そうとして、やめた。急がず、後ろにいる二人と離れずに歩く。
私がチルノのところに着くと、彼女は私の両手を握って上下に振った。
「澪、遊びに来てくれたのか? あたいは嬉しいぞ! さあ、慧音、一緒にボール遊びしよう!」
満面の笑顔が、胸に痛い。きっと、死んでしまったあの子達も、かつてはこんな笑顔に満ち溢れていたのだろう。
「……どうした、輝夜に、永琳、それに、澪。もう大丈夫なのか?」
慧音が不安そうな表情で聞いた。その目にはクマができていた。夜も眠れない、のだろうか。
「澪が、ここに来たいと言ったから。私達は、特に用はないわ」
「そうか。……そうだな。最近物騒だからな、それがいい」
暗く落ち込んだケイネを見ていると、チルノが耳打ちしてきた。
「慧音、最近あまり寝てないらしい。なんか、奥に閉じこもったまま、出てこないことが増えて……。だから、気晴らしでもしてあげたくて」
それは、どういうことだろうか。何かを考えているということ、なのだろうか。それとも思いつめているのだろうか。
「二人とも。私は、人里を隠そうかと思う」
慧音は、耳を疑うようなことを言った。人里を、隠す?
「……それも、ありね」
「いいや、これ以上被害を出さないためにも、必要なことだ」
本格的に会話を始めてしまったケイネとカグヤ。私はなんと切り出せばいいかわからずにいた。もしかしたら、このままさようなら、なんて流れになってしまうかもしれない。
それは、ダメだ。
「澪?」
私はチルノと手を離し、ケイネのそばに行った。彼女は不思議そうな顔でこちらを見た。
「どうした? 私と話してもつまらないぞ。ほら、チルノと一緒に遊んでおいで。解放団から逃げ帰ってからろくに遊んでいないだろう? 勉強もそうだが、君らの年頃は遊ぶことも重要だ。さあ、私たち大人に構わず、好きに遊ぶといい」
チルノと私、二人を気遣った言葉に、私はもう我慢ができなかった。
「ごめんなさい」
「どうした。なぜ謝る」
私は深く、深く頭を下げた。
「ごめんなさい! 私、私の、せいで、あなたの生徒達は、その、あの」
なんて言えばいいのだろう。食糧になった? 殺された? なんていえば、傷つけずに済むのだろう。
悩んでいると、ポン、と肩に手を置かれた。私は顔をあげる。
「……自分を責めるな。君のせいじゃない。
だいたい、そんな気は、していたんだ。
ありがとう、澪。君のおかげで、あの子らの、ことが……」
それから先は、声にならなかった。顔を手で覆い、ポロポロと大粒の涙をいくつもながし、声をあげるのを堪えて嗚咽をこぼす。
「……ケイネ。その手で、私を。贖罪には、なると思う」
ぎゅっと、抱き締められた。湧き上がる恐怖、震える身体。でも、それ以上にケイネに対する申し訳なさが、心苦しかった。
「そんなこと、できるわけがないだろう……。子供を……殺めるなど」
うっ、うっ、とケイネの泣く声が耳に残る。
「ごめん、ケイネ。私が、いたから……」
「お前は、悪くない。悪くないのだ……」
背中に回された手に、さらに力がこもった。
「うう、うう……」
私はケイネを抱きしめ返した。怖かったけど、それでも私は、想いを伝えたかった。
「……絶対、仇はとるよ」
「そんなことしなくていい! お前は、子どもは、子どもらしく大人に守ってもらえ……」
ズキズキと、胸が痛む。ケイネを見るのが辛くてしょうがない。
私のせいで。私が吸血鬼になったせいで。私が、吸血鬼だから、こんな風にケイネが苦しんでる。
「私、吸血鬼だから、戦えるよ」
「……だとしても、戦わないでくれ。死なないでくれ」
「私は死なないよ」
背中の手が、私を撫でるように動いた。
「死なないなら、死地に飛び込ませてもいいのか? 不死ならば、どんな責め苦にも耐えられるのか? 違うだろう? お願いだから、もう私に悲惨な子どもを見せないでくれ……」
私はもう何も言えなかった。子供のことをこんなにも想う人がいるのに、どうして御陵臣はあんなひどい事を。
そんなの、何を疑問に思う。彼はただ楽しいのだ。楽しいから、あんなことをする。私は、彼が許せない。
御陵臣を、許さない。
「……ケイネ、私、頑張るよ」
すっと、私はケイネの手を引き離す。私が離れると、ケイネは驚いたような顔をした。
「何を頑張るというのだ?」
「秘密」
私は背中から翼を生やしてばさりと動かした。ケイネが驚くのがわかった。
「な……」
「言ったよね。私、吸血鬼」
ケイネから離れて、翼をはやしたまま歩いてカグヤとエイリンのそばまでいくと、私は二人に言う。
「カグヤ、レミリアのところへ行こう」
「なぜかしら」
「強くなりたい」
私は聞いてきたカグヤの目を見据えて言った。
「強くなっても、辛いだけよ」
「それでも、いい。私は、強くなる」
アリスとレイムの言葉を思い出した。
レミリアなら、吸血鬼としての力にも詳しい、と。
そして、言葉を思い出しても全く恐怖を感じないことに、凄く安心した。私はまだ、記憶まで壊れてはいない。よかった。
「……本気?」
「私は、いつでも本気」
私が言うと、カグヤは嘆息した。
「強くなるって、簡単じゃないわよ」
「覚悟は、ある」
アリスやレイム、マリサを怖がらないためじゃない。御陵臣を倒すための力が欲しい。
私の心をめちゃくちゃに荒らしたあの男を、ケイネの生徒をバラバラにしたあいつを、拷問小屋に捨てられていたあの子達をぐちゃぐちゃにしたあの化け物を、倒すために。
「……私は、賛成できないわ、澪」
「応援して欲しい」
カグヤは首を振った。
「無理よ。あなた、攫われて、帰ってきてまだ一日よ?」
「今のままじゃ、いつまでたっても被害はなくならない」
私がそう言うと、ケイネが私のところまでやってきた。中腰になり、目線が合う。その瞳は、泣き腫らした跡があった。
「だから、自分は傷も癒えぬまま強くなりに行くのか?」
「傷は、癒えた。もう十分動ける」
私はあえて、そんな言い方をした。
ケイネが、首を振った。
「心は、違うだろう」
私は強く言う。
「心は無視できる」
「するな」
あまりに語気を強めた言い方に、私は呆気に取られた。
「心は、無視するべきではない。心とて、体の一部なのだから」
心が、体の一部。そんなこと、初めて言われた。
「心の傷が癒えるまでは、絶対に戦うな。飛び出すな。……お願いだ」
ぽん、と微笑んでケイネは私の頭に手を乗せ、優しく撫でた。
「……何も心配するな。な?」
私は首を振った。
「皆の仇を取るの」
ケイネは悲しそうな顔をして、首を振った。
「そんな必要はない」
「みんなと約束したの」
私はそう言って、ケイネから飛び離れ、カグヤとエイリンの手をつかむ。
「行こう、紅魔館へ」
カグヤは動かなかった。
「……澪」
どうして。私、しなきゃいけないことがあるのに。
「行こう」
私を無視して、カグヤはケイネを見た。ケイネは黙って首を振った。
「帰りましょ、澪」
私を見たカグヤは、慈しむような声でそんなことを言った。
「……なんで」
ぎゅっと、手を握られて、引き摺られるように引っ張られた。ゾクっと、背筋に冷たい汗が流れた。
「やめてっ!」
思わず手を振り払って身を守るように自分で自分をかき抱く。翼を、自分の体全体を覆うように動かす。
「ちょっと引っ張られただけでそんな反応するくらいなのに、背負いすぎよ。荷物を下ろして休めと言っているの」
「休んでなんていられない。早くしないともっともっと辛い思いをする人が増える! そんなのはいやだ!」
私は叫んだ。それでも、二人は頷いてくれなかった。
「なんで応援してくれないの?」
「応援なんて、できるわけないでしょ」
カグヤは静かに首を振った。
「あなたは、休みなさい」
「いやっ! 私は……っ!」
「……わかったわ」
私が叫ぼうとしたところで、カグヤが折れた。
「そこまでいうなら、応援するわ」
「やった! じゃあ」
「でも、せめて一人で外に出るのが怖くなくなるまではダメよ」
その言葉で、私はキョトンと脱力した。
「それ、いつになるの?」
「少なくとも、そんな風に聞き返してこなくなるまでね」
「でも、それじゃあ」
ごねようとした私の手を、カグヤが優しい手つきでとった。
「傷だらけの人が戦っても、死ぬだけよ」
「私は死なない」
「心が死んだら、あなたはあなたでなくなるわ。心の傷を癒してからにしなさい」
……私は、譲歩することにした。
「わかった。じゃあ、今日は帰る」
そうは言ったものの、私の胸には得体のしれない罪悪感が残っていた。
「ああ、それがいい。絶対に一人になるなよ、澪」
ケイネがそんなことを言ってくれた。
「わかってる。だから、大丈夫。それじゃあね、ケイネ」
私はつとめて明るくそう言うと、カグヤと一緒に歩き出した。
永遠亭までの足取りは、妙に重かった。