狂信の源と私
「きゃっ」
私は何の抵抗もできずに地面に叩き落とされた。地面に激突する瞬間、思わず手をついてしまい両手がひしゃげてしまった。
何をされたのだろう。
私は上空を見上げる。レイムがこちらへ向かってきていた。よかった。助かる。
私の周りは、深い森になっていた。アリスのいる森だろう。アリスの家からも近いなら、大丈夫。
そう思っていると、私の両足首が誰かに掴まれた。
私は足の方を見た。
おぞましい笑顔を浮かべた、東野と目が合った。
「……あ、あなたは」
「ふは、ふははは」
ずるずると引き摺られ、私は遠くの草むらに隠された。それから両手が治り始めた。すぐに完治したけれど、足首を掴まれていたら身動きがとれない。レイムが降り立った方に顔を向ける。
レイムが、私がついさっきまでいた地面に降り立った。周りを調べても、周りの草むらを見ても私を見つけることはできなかった。すぐそばまでレイムがやってきたところで、私は声を上げようとした。喉を切られて何も言えなくなる。そうして私が黙っているうちに、レイムは別の場所へと行ってしまった。レイムが、遠い。
私は振り向いて、東野を見る。ナイフを持って、へらへらと気味の悪い笑顔を浮かべていた。私の足首へとナイフをあてがうと、にいっ、とさらに笑みが深くなる。
「……やめて」
私が小声でそう言うのと同時、私はアキレス腱を十字型に刻まれていた。言葉にできないような痛みと共に、足首から先に力が入らなくなる。
レイム、助けて。
私はレイムが行った方を見てそう思った。私の願いは届かず、レイムは私のいる反対側の森の奥へと消えていった。私はさらにずるずると引き摺られた。
抵抗、しないと。
そう思って手を動かそうとしたとき、私は両手を掴まれてまとめあげられた。
「ダメですよ、東野。ちゃんと両手両足、使えなくしないと」
御陵臣だった。神出鬼没にも、ほどがある。なぜなんの気配も感じさせず、一瞬で現れることができる?
「すまんな。だが、別にいいではないか」
「……やれやれ」
私はまるで捕らえられた猪のような、四肢をまとめ上げられた格好で運ばれた。あるていど森を進んで行くと、小さな小屋があった。もう使われていないような古い小屋で、東野達が小屋に近付くと、中から人が出てきた。小さな男の子で、目はうつろ。私を見ると、少しだけ驚いたような表情をした。
「……」
彼は、ノーマだった。永遠亭にいた時よりも、その顔は沈み、暗かった。
「ふふふ」
私は小屋に連れ込まれた。
小屋の中は、凄惨たる状況だった。
人がたくさんいる。それは皆異様な表情をしていて、嬉々とした様子で、手術台のような台の上に縛り付けられた子供を様々な方法で痛めつけていた。中には、もう動かなくなっているのにまだ攻撃されいてる可哀想な子も見られた。
「こ、ここ、は」
私の声は震えていた。ここはまるで、拷問室のようだった。壁にはたくさんの拷問道具が並び、小屋中から身を裂くような悲鳴がいくつも聞こえる。
「仲間になって最初にする儀式さ」
御陵臣がこともなげに答えた。私も、空いてる手術台に縛り付けられる。大の字に寝かされ、ピクリとも動けない。特別製らしく、私の力でも引きちぎる事ができなかった。
「こんなことしたら、仲間になるのをやめる人がいるはず」
私の問いに、御陵臣は首を振った。
「わかってないね。仲間を纏めるのに必要なのは共通の意識さ。
幻想郷から出ようとする意識と、そして、子供を痛めつけたときの記憶。この二つが、我々の結束をより強固なものにしてくれる」
前者はともかく、後者は足抜け防止、なのだろうか。
「私はこんなことしない。死んでも」
「君もやってみればわかるよ。他人は、おもちゃなんだって」
吐き気がする。なんなんだ、この人間は。レミリアだって、もう少し人間に敬意を払っているだろうに。
「取り敢えず、君にはそれ相応の対応を決めているよ」
「……?」
御陵臣が合図をすると、右から左から、男や女、たくさんの人が私を取り囲んだ。私の視界は人で埋め尽くされる。
「君は我々のことを一部でもしゃべったからね。特別に、時間制にしてあげる。半日ほどしたら、また仲間になるかどうか聞いてあげる。それまで、地獄にいるといいよ」
私は周りにいる人を見た。皆、壊れたような笑顔を浮かべていた。こんな狂った状況に感化されてしまったのだろうか。それとも、生来の物なのだろうか。あるいは、御陵臣に洗脳されたか。
私にとって重要なのは、彼らの手の中にある、様々な道具。
「……やめて。私は、あなた達に何もしないから。お願い、許して」
返事代わりに、誰かに目を抉られた。例えようもない、神経が引き千切られるような鋭い痛みが頭全体に広がる。
「ふ、ふふ」
私をいじめて、誰かが笑った。
あ、そうなんだ。私は、おもちゃになるんだ。ただ弄ばれるだけの、愛玩人形。ちょっと用途は、違うけど。
それから私は、レイムの助けをひたすら待ちながら、抵抗らしい抵抗もできずされるがままにされた。
半日が経ったらしく、私のことを御陵臣が見ていた。頭がぼうっとする。何があってこうなってしまったんだっけ。
「……仲間になる気は、ある?」
……仲間になれば、痛みはなくなるのだろうか。これほどの苦痛を、感じずにいられるのだろうか。
「私、は」
仲間になる。そう言おうとした時、私の脳裏にアリスやレイム、私が出会った幻想郷のに人々が頭に浮かんだ。あの人達は、仲間になってもいいと言った。
けど。
「な、ら……な、い」
途切れ途切れに、私は言った。
「……そう。じゃあ、また明日。明日は一日中虐めてあげる。ほら、あそこに放り込んどいて」
私は解放され、六人がかりで運ばれる。私はもはや抵抗する気力がわかなかった。
私が呆けていると、全身に鈍い痛みを感じた。どこかの部屋に放りこまれたということがわかった。がしゃんと音がしたあと、鍵の閉まる音がした。私はそんなものに構わず、周りを見る。
「……こ、こは」
周りにいるのは全て、捉えられ、儀式に使われ、使い終わった子供だった。もうボロボロで、生きている子もいるが、虫の息だった。いや、違う。すでに死んでいるような子供達だった。
「い、生きてる、の?」
私は生きている子の内の一人のそばに這ってよると、声をかけた。
「……き、みは?」
息も絶え絶え、呼吸も苦しそうだったけど確かに生きている。両手両足もがれて、内臓をさらけ出しているというのに、生きている。それは却って、残酷なことのように思えた。
「ら、楽にしてあげよう、か?」
「……お願い」
だから私は、普段なら言わないようなことを言っていた。私はその子の目を見る。視線に力を込める。
だんだん、その子の目がとろんとしてくる。苦しみの色はどんとんと薄れていく。
「……楽に、してあげる」
「ありがとう、ございます……マスター」
これは、罪だ。子供を魅了し、その肉を喰らう。いくら、楽にしてあげたいからと言っても、やってはいけないことは、やってはいけないのに。
「……」
私は無言で、彼の首に齧りついた。痛くならないように、一気に全身の血を抜く。初めての、吸血。たとえようもない気持ちよさを感じる。喉がうるおい、腹が膨れるような感じがする。力がみなぎってくる。
そして、この子の記憶や感情、そういったものまで私に流れ込んできた。
「……ありが、と」
干からびて死ぬ寸前、この子はそんなことを言った。
名前もしらない、こんな吸血鬼にお礼を、言う。よほど、苦しかったのだろう。訪れるものが死だとしても、最期の瞬間くらいは安らかに。そう思ってのことだったが、間違っては、いなかったようだ。
私は他にも中途半端に生きてしまっている子を探すと、許可をもらってから楽にしてあげる。部屋を一周するころには、十人程度の血液を私は吸い付くしていた。
「……みんな」
私はゆっくりと立ち上がる。血を吸う瞬間、あの子達の気持ちが、感じていたことが流れ込んできた。辛くて悲しくて苦しくておぞましいものだったけど、私は受け止める。
そして私は、あることを決めた。
「澪っ!」
それとほぼ同時、レイムとアリスが部屋に雪崩れ込むようにして入ってきた。それから部屋の中の私を見つけると、近づいてくる。なぜか、二人とも警戒しながらだった。
「私は大丈夫。解放団の連中は?」
レイムは首を振った。
「一目散に逃げるもんだから、中々ね」
レイムも、非情にはなれないのだろう。どうせ、解放団の連中はレイムたちが来たら武器を捨てて逃げたのだろう。
誰が武器を放り捨てて、抵抗もせずにひたすら逃走する人間を後ろから攻撃できるだろうか。
……それをしたのが、解放団か。
「次からは、私も解放団と戦う」
私がそう言うと、二人は静かに首を振った。
「いいのよ。あなたは、休んでも」
「戦う」
私は両手を広げてそういった。私の手は、血に濡れていた。私の血ではない。周りにいる犠牲者達の、文字通りの血涙。
「この子達の仇を取ると、約束した」
レイム達は不思議そうな顔をした。
「……この子、達? 澪、もしかしてここ、誰かいたの?」
「見えないの?」
私はこんなにくっきりと見えるのに、二人は少しも見えないのだろうか。
「ええ。全く」
この光景が、見えない。それは、きっと幸せなことだ。きっと、喜ばしいことだ。みんなもきっと、こんな残酷な姿の自分を、見られたくはないだろう。
「……そう。じゃ、行こう」
私は二人の手を引いて外に出た。灯りがついている拷問部屋が目に入る。私が縛り付けられていた手術台には、おびただしいほどの血が周りに飛び散っていた。臓物もいくつか見える。
半日間、私は何をされていたのだろう。よく覚えていない。思い出さなくてもいいことだ。
「……ここで何があったの?」
アリスが聞いてきた。私は真実を言おうとして、声が出なかった。脳裏に、まるで呪いのように御陵臣が言った言葉が蘇る。
『君は一部でもしゃべったからね』
私が、これ以上何かを話せば、私は、何をされるのだろう。半日記憶が消えたというだけでも恐ろしいのに、それ以上の恐怖と苦痛が与えられるのか。
……そんなのは、嫌だ。
「ごめん。言いたくない」
でも、嘘はつきたくない。だから私は、そう答えるに留めた。
「ど、どうして?」
「何をされたか覚えていない。私は大丈夫」
ひたすら戸惑う二人を無視して、私は外に出る。外は夜だった。私が攫われた時と変わらない森。だけど、昼間よりよっぽど安心できた。遠く、遠くまで見通すことができる。
私は空を見上げる。雲一つない星空に、まばゆく輝く満月があった。
夜とは、このように美しいものだったか。
「澪、どうしちゃったの?」
アリスが慌てたように追いかけてきた。
「なんでもないよ、お姉ちゃん。帰ろう。私、疲れちゃった」
ノーマも小屋にはいなかった。きっと解放団の仲間になったんだろう。あのおぞましい儀式に彼が参加しているなど考えたくもなかったが、それは致し方あるまい。私だって、アリスたちと出会っていなければ……。
「で、でも、永遠亭に行ってみてもらわなくてもいいの?」
「いい。何をされたかなんて、知りたくない」
私は隣まで歩いてきたアリスの手を握った。暖かい。
「澪の手、冷たい」
「怖かったのかな」
覚えてないけど。
「……辛い?」
「さあ。今の私は、普段通り」
いや、普段よりよっぽど鋭い。今なら、なんでもできるような気がする。吸血したいと言う気持ちもまた、強かった。みんなの血を吸ったばかりだというのに。今のこの衝動は、飢えというのとは違う気がする。そう、アイスクリームやおやつがほしいというのと似た気持ちだった。
「帰ろう」
なんだかだるい。なんだかこの世界そのものが、くだらない事のように思える。もっと重要なものは、こことは違う、元の世界とも違う、私がまだ見たこともない世界にあるかのように思える。
……疲れてるのかな、私。半日弄ばれていたのだ、記憶はなくとも、身体は覚えているだろう。
このままだと、疲れを解消するためにアリスかレイムを食べてしまうかも。手を握ったまま歩き出したアリスに対して、ふと衝動が訪れる。
「お姉ちゃん。今の私は、吸血鬼。ダメ。近付かないで」
私はアリスの手を振り払って、後ろにいたレイムに向かった。
「レイム、私どうすれば?」
「どうしたいの?」
どうすればいいだろう。どう伝えれば良いだろう。
わからなかった。
「……わ、わからない。ごめん、ごめん。私、どうすればいいのか……」
「まぁ、方法がないわけではないけど」
なんだろう。知りたい。
「レミリアのところで眠る、っていうのは?」
私は、レイムを見た。それから、アリスの方を見た。アリスは、頷いても首を振ってもくれなかった。
「お姉ちゃんは、どうして欲しい?」
私は聞いた。不安だった。まるでためらないなくレミリアのところへいけと言われたら、それはもう一緒に暮らせないことの証左である。そんなのは、嫌だ。もう家族と一緒に暮らせないのは嫌だ。
「あなたは、どうしたい?」
「私、お姉ちゃんと一緒がいい。アリスの、家族だから」
私は普段通りの口調でそういった。でも、内心は泣いていたのかもしれない。
「……わかったわ。じゃ、帰りましょうか」
「いいの? ……じゃない、うん。私、絶対に、我慢するから。もしダメだったら、その時は私を磔にしてでも止めて。私、お姉ちゃんの血を吸いたくない。家族だから」
渋々だけど、アリスは頷いた。私は心の底から安心する。痛いのは怖い。苦しいのは嫌だ。でもそれ以上に、家族を苦しめるのはもっと嫌だ。
「……アリス」
「何かしらレイム」
帰ろうと森を歩き出した私達を、レイムがひき止めた。アリスに顔を寄せ、ぼそぼそと耳打ちをした。
「私がそれやるの?」
「あなたしかいないの」
「あんたねぇ。もっと何か言い方ってもんがあるでしょうが。相手考えなさいよ。嫌われて飛び出したらどうすんのよ?」
「大丈夫。澪はちゃんとわかってくれるわ」
二人は小声で話しているつもりなのだろうか。筒抜けだ。でも、重要なことは知らずに済んだ。よかった、よかった。
「いこ、お姉ちゃん」
「……わかったわ」
慌ててアリスは近づいて、手を握ろうとする。私はそれを無意識的に振り払おうとして、アリスに掴まれた。
ピクリと、全身が跳ねたように痙攣した。それは一瞬のことでアリスにはきづかれなかったけど、確かに、私は今体のコントロールを失った。
なぜ?
「……帰りましょうか」
「うん」
仕方なく私はアリスと手を繋いで帰ることにした。アリスの血の匂いが鼻について、襲いかかるのをこらえるので必死だった。血を、血をと求める体を心だけで抑え込んで、私は家までの道を歩く。
家に帰るころには、私の心はすっかり疲れきっていた。
私は、いったいどうなってしまったのだろうか。