さとりと私
会議が終わって、私は気分転換に外に出ていた。縁側に素足を投げ出し、ぷらぷらとさせる。すぐに皆を呼べる場所で、私はアリス達の会話を聞いていた。やっぱり、まだ解放団のことを話してる。
「辛い?」
声をかけられて、驚いて振り返った。紫色の髪をした女性、さとりがいた。
「ううん」
「そう……。お名前は?」
「……私は、ミオ・マーガトロイドと言います」
「私は、古明地さとり」
さとり。なんだろう、どこかで聞いた名前。
私がそう思っていると、さとりの赤い目玉のアクセサリーがぎょろりと私の方を見た。
動いた?
「驚かせてごめんなさい。私は、サトリ……人の心が読める」
そうだったんだ。すごい。さっき混乱していた私に助け舟を出してくれたのは、そのおかげだったのか。
「あなた、もう自己犠牲はやめたほうがいい」
「自己犠牲なんてしてない」
私がそう言うと、さとりはため息をついて、私の隣に座った。背丈は私と同じくらいなのに、纏っている雰囲気がまるで違った。
「あなたは気付いていないけれど、あなたのその盲目的な愛情は、自己犠牲に他ならない」
「……それでもいい。アリスが、お父さんが喜んでくれるなら」
ぽん、とさとりが私の頭に手を置いて、優しく撫でてくれた。
「……その気持ちだけで、アリスは喜ぶわ」
「行動に移さなきゃ意味ない」
さとりは静かに首を振った。
「いいのよ。アリスも霊夢も魔理沙も輝夜も、心の底からあなたの安全を願ってた」
でも、レイムは。
「レイムは、敵の情報を話して欲しかっただけ。けして、あなたに解放団のスパイをして欲しかったわけじゃないの」
そうだった、のか。レイムは、私に死地へ向かって欲しかったわけでは、ないのか。よかった……。
「やっぱり、不安よね」
私は首を振った。
すると、抱き寄せられた。
「いいのよ。泣いてもいいし、辛かったら辛いって言っても。言わなきゃ、わかってくれないわ」
わかってほしいんじゃない。わかってもらわなくてもいい。私は大切な人に、嫌われたくない。もう二度と、捨てられたくない。殺されたくない。
「……不安っていうのはね、誰でも感じることよ。何も変なことじゃない。私だって、アリスだって、霊夢だって、魔理沙だって、紫やレミリアだって不安なのよ」
……そんな、馬鹿な。皆、強いはずで、弱いのは私だけなのでは、ないのか?
「強さと、不安を感じることとは、別よ」
さらにぎゅっと、抱き締められた。
……私は、何度この温もりに、他人の暖かさに救われているのだろう。マリサに、アリスに、そしてさとり。
代わりに私は何をあげただろう。何もしていない。何もできてない。
「しなくていいの。ここにいるということが、大切なのよ」
「……違う」
さとりの言葉を私は否定した。
「私は何かアリスに、皆にお返しがしたいの」
「今でなくてもいいわ」
「したいと思った時にしなきゃ。アリスは永遠じゃないんだから」
私は死なないけれど、アリスは違う。母みたいに、お父さんみたいに、死んでしまうんだ。もう、私は誰の死も見たくないのに。
「優しい子ね。でも、その気持ちだけで十分なの」
私はさらに、強く抱きしめられた。本当に、そうなのかな。
「……さとり、みんな、私のこと嫌ってない? 私のこと、役立たずって思ってない?」
私が聞くと、さとりは神社の中で話す五人を見た。すると、さとりは薄く微笑んだ。
「ふふふ、素晴らしいわね。ここに来て日も浅いのに……。もう、家族と親友がいる。私には、できないわ」
そんなことはない。さとりは、私の大切な人。私のことを気遣ってくれた、優しい人。
「ありがとう、澪」
どういたしまして、と言って私はさとりから離れた。
あの憎たらしい匂いが近づいてきたのが、わかったからだ。
風が舞い、木の葉が集まる。私の前に柱のように集まった木の葉が散ると、そこには御陵臣がいた。
「何の用」
「勧誘。我々の仲間になってくれないかな。こんな心を盗み見るような奴と一緒にいると、大切な事全部ばれちゃうよ?」
心がささくれだつ。私の……友達、に。友達に、なんてことを。
「なんでこんなところにいるの? ふざけるのもやめて。私は、あなたの仲間にはならない」
「君は、外来人だろう? 虐げられて、帰れなくなくて嫌じゃないのかい? 我々につけば帰れるんだよ?」
御陵臣の言い方に、私は怒りを感じずにはいられなかった。
「私の帰る場所は、お父さんのいる地獄かアリスの腕の中だけだ。消え失せろ」
私の言葉に、さとりはぎょっとしたように、目を見張らせた。私も怖いのだ。少しでも、強く見せないと。
「……酷い言い草だね。君、本当に来ないの?」
私は頷いた。
「そう。じゃあ、言葉での説得はこれでおしまい。次からは、体に語りかけてみるよ。楽しみにしててね」
そう言って、御陵臣は消えた。色素が抜け落ちて、透明になっていくような消え方だった。なぜ、こんなところに、みんながいる前で危険を冒すような真似を……。
「……さとり」
「大丈夫、守ってあげる」
さとりは立ち上がって、神社の中にいる人を呼んだ。ゾロゾロと慌ただしい様子で皆がこちらに来た。
「御陵が来たって!? 大丈夫澪!?」
レイムが私の左隣に座った。色々、ペタペタと触って私の無事を確認した。
「澪、なんで叫ばなかったの? また攫われちゃったらどうするつもりだったのよ、もう」
アリスが私の右隣に座った。ぎゅっと右手を握ってくれた。もう二度と離すまいとしているかのようだった。
「ちょっとぐらい捻ってやればよかったのにな。澪、強くなったんだろ?」
そう言ってマリサが私の頭に顎を乗せ、背中から抱きしめてくれた。包まれるような感覚がして、ほっとする。
「全く。言ったでしょう、澪。普段通りの行動を心がけなさい、と。普通の女子はかつて自分を痛めつけた人間を見れば悲鳴をあげるなりなんなりするはずですよ」
マリサの隣にお姫様らしく座って、私の肩に手を置いた。
「やはりあなたは自己犠牲が過ぎます。もっと年長者を頼りなさい」
私の後ろで、エイキがそんなことを言った。
皆に私は愛されている。本の中でしか見たことのなかった、理想の形がここにあって、私は身に余るほどの幸せを感じていた。
「……皆、ありがとう。私、大丈夫だよ」
嘘でもなければ強がりでもない、素直な気持ちで、私はそう言った。
そう、何があっても大丈夫。私は、みんなに守ってもらえる。御陵臣に攫われて、私が私でなくなって、壊れてしまったとしても、この人達がいれば治してもらえる。私が私を取り戻すまで待ってくれる。
そんな安心感が、私を満たしていた。私は……幸せだ。
「私、知ってること全部話すね。役に立たないと思うけど、みんなの力になれれば、いい」
私は皆に囲まれながら、言葉を紡いでいく。私が言われたこと、されたこと、御陵臣の特徴や、話し方。知っていること全てを、止まる事なく話していく。
話し終わって、私は皆に言った。
「これで、全部」
「……想像以上にイッてるわね、そいつ」
レイムが静かにそんなことを言った。他の人も、その評に異を唱えることはしなかった。
「私は、澪の保護を優先したいわ」
「私も」
アリスが言って、カグヤが同意した。
「確かに、これ以上澪に心理的、身体的負担は酷と言うものです」
エイキがレイムとアリスを交互に見ながら言った。
「二人が保護する、というのはどうでしょうか」
「永遠亭はどうして選択肢に入ってないのかしら?」
エイキはカグヤの言葉に驚いたように少し眉を動かした。
「……いつもは、我関せずを貫くあなたがどうして澪に限って?」
「友達を守るのに、別の理由がいるかしら?」
エイキは小さく、友達、と呟いた。
「そういうことなら、永遠亭、アリスの自宅、神社の三箇所で交互に澪を保護しましょう。道中は三人が責任を持って守るように」
ちょっと、と言ったのはレイムだった。
「なんでそんなわざわざめんどいことしなきゃいけないの? ここでいいじゃない」
どうしてレイムは私をそばに置こうとするのだろう。最初は僅かな疑問だったけど、今はかなり大きなものとなっている。思い切って聞いてみようか。いや、やめておこう。藪をつついて蛇が出てくるのは嫌だ。
「一つの場所にいろと言われたら、いくらこちらにその気がなくとも、この子は閉じ込められたと思うでしょう」
「閉じ込めたりなんか」
「わかっています、霊夢。しかし、窮屈に感じてこの子が飛び出しては、元も子もないのです」
むむむ、とレイムは唸った。
「……わかった。じゃ、今日明日はここで、ね。次にアリスの家、最後に永遠亭。これで決定。文句ない?」
アリスとカグヤは順番に気に食わないのか渋い顔をしていたけど、頷いた。
「よし、じゃあ今度こそ解散。澪は明後日アリスの家に行くわよ」
レイムの言葉に、私は首を振った。
「行くんじゃないよ。アリスの家には、『帰る』の」
私がそう言うと、レイムはきょとんとした顔になった。
「……そうね。帰るのね。わかったわ。……そろそろ、お夕飯ね」
レイムの言い方は、まるで催促しているかのようだった。
「私は帰る」
真っ先にさとりがそういって、どこかへと歩き出した。
「……私も帰るわ。澪、いい子でね」
「うん」
私が頷くと、アリスは私に微笑みかけて、空を飛んで帰ってしまった。
「では、私たちも」
「そうね。これから不自由かもしれないけど、安心して。絶対に、守るからね」
カグヤはお姫様の仮面をかぶったまま、私にそう言って歩いて帰っていった。
「……皆、澪にお熱だな。羨ましいねぇ」
マリサが茶化すように言った。私の隣に移動して、私の肩にもたれかかるように体重を預けてくる。でも、本気でもたれかかっているわけではない。マリサの体重が、心地いい。
「……羨ましい?」
「おお。皆に守ってもらえて、幸せもんだよ、澪は」
私が、幸せ者。
「そんなこと、言われなくっても知ってる。私、今すごく満たされてるから」
そうか、とマリサは言って、縁側から境内に下りた。どこからともなく箒を取り出すと、一気に飛び上がった。
「達者でな、澪! 遊びはまた明日教えてやるよ! とびっきり楽しい遊びをな!
楽しみにしてろよ!」
私は上空にいるマリサに頷いた。
私が頷いたのを見届けると、私はレイムと二人きりになった。ちょつと怖い。
レイムは立ち上がると、神社のさらに奥に向かった。
「……ほら、行きましょ。そろそろ日が落ちるわ」
言われるまま、私は神社の中に向かった。