ちょっとした転機と私
次の日。私は朝から森に出て準備運動をしていた。小学生をやっていたころに覚えたラジオ体操をして、一本の大きな木の前に立つ。
「お姉ちゃん。これくらいの大きさでいい?」
私が指をさした木は、直径一メートルくらいの太さで、かなり上まで伸びていた。方々に伸びているかは木材としてつかえるかどうかはわからないけど……。
「ま、いいんじゃない? 別に、合板でもいいんだからもっと切りやすいのでもいいのよ?」
私の少し後ろでは、小さな人形を四体、周りに浮かせたアリスが立っていた。
運搬用の人形だそうで、あの小さな体で大きなものを持てるそうだ。
「じゃ、始める」
私は宣言すると、木の硬そうな皮を思い切り殴った。木の皮がめくれ、吹き飛ぶ。ぐしゃりという音がして、例えようもない激痛が拳に走った。
「…………っ!?」
私は拳を抑えてうずくまる。
「ちょっと澪大丈夫!? だから人形で切ろうって言ったじゃない!」
アリスが駆けつけきてくれて、私を覗き込んでくる。私の拳は砕け、指が方々に歪んでいた。
「あ、あのね。いくら吸血鬼で不老不死だと言っても、いきなり無茶苦茶できるようになるわけじゃないのよ? あなたは変わらず私の妹なんだから、自分の体を大切に……」
「治った」
すっかり元通りになった拳を握りこむと、少しだけ抉れた木にめがけて腕を振り上げ……。
「……やっぱり怖い。痛いのは嫌。アリス、頼んでいい? 運ぶのは私がやるから」
手を下ろして、木から離れる。
「もう。最初からそう言えばよかったのに」
「自分の力を試したかった」
「その調子で人に勝負仕掛けないでね? 幻想郷には幻想郷の勝負ルールがあるんだから」
物凄く大きい、木を伐採する用のノコギリを持った人形をアリスは召喚し、木に配置させた。木の反対側にもう一体の人形を配置させると、そのノコギリのもう一つの取っ手を持たせ、引かせる。ギコ、ギコ、と小気味のいい音と共に、木の粉があたりに舞う。
……あれが人の胴体で、飛ぶ粉が血飛沫だったら、もっと綺麗だろうな。悲鳴も聞こえて、きっと素敵。
頭に湧いた残酷な想像を、頭を振って否定する。な、何を私は。
アリスはこっちまできて、そばにあった大きめの岩に座る。視線は、ノコギリを動かす人形に向いている。
「ルール? どんな?」
「三つから四つの攻撃の手順を決めたカードを作って、対戦相手に宣言。カード全部使い終わって倒し切れなかったら、負けよ」
「へぇ」
面白いルールだな、と思った。
「相手が死ぬまでやるの?」
「まさか。被弾数で勝敗を分けるのよ。だから、多くの人は攻撃の手数を増やすスペルカードを作るわ」
「……スペルカード」
私はその単語を反芻する。
「そうよ。あなたも作る? 作り方なら、教えてあげるから」
私は首を振った。
「いい。私、戦いを知ったら抑えが効かなくなるかもしれないから」
私の言葉に、アリスは意外そうな顔をした。
「あら。そうかしら。最後まで冷静に戦うと思うのだけど」
「冷静なまま、極限まで戦いを楽しむと思う。それは、戦いに酔って戦闘に狂うのとほとんど同じ」
「……まぁ、そうかもね」
アリスは納得した様子ではなかった。本音でないのが、わかったのだろうか。
「実を言うと、我を忘れそうだから嫌」
「ああ、納得。ま、いきなり吸血鬼になって、しかも不老不死。過ぎた力って持て余しちゃうよね」
まるで経験があるかのような口ぶりだった。
「経験、あるの?」
「一度だけ、ね! ま、私も弾幕勝負、好きな方だしね。戦闘自体は、好き。他人の命がかかってるのは、嫌だけどね」
意外な言葉だった。優しいアリスから、戦闘が好きだなんて言葉を聞くなんて思わなかった。
「ふぅん、そうなんだ。私も、一度戦えばアリスにみたいに思えるかな」
「さぁ、わかんないわ。フランみたいにならないとも限らないし」
「……フラン?」
知らない名前だった。そもそも名前なのだろうか。慣用句的な使い方をしているとも限らないし。
「レミリアの妹よ。閉じ込められてたからか、それとも生来のものなのかはしらないけど、ぶっ壊れてるけどね」
つまり、アリスは私が戦闘で壊れないかどうかを心配してるわけ、なのだろうか。
「それにしても、ここ二日であなた、変わったわね」
「そうだね」
吸血鬼になったのが二日前だなんて信じられない。しかも、その次の日に、私は永遠に生きることになった。
「で、永遠で、吸血鬼になった心地はどう?」
「ん……」
私は言うべきか言うまいか迷う。ことあるごとに残酷な想像をしてしまうのは、なぜだろうか。
吸血鬼だからなのか、それとも私が元々持っているものなのか。
「……ちょっと、変な感じ」
「そうでしょうね。でも、もっと何かないの?」
私は首を振る。何もない、と思う。
「ふうん、そう。そうそう、ずっと思ってたんだけどね」
「なぁに?」
アリスが言うのに合わせて、私は返事をする。
「あなた、お父さんのことになると別人よね」
「……そうかな」
私はそう言うしかなかった。自分の中では、他の自分と違うとは思っていなかったからだ。
「あなたは、お父さんに対してだけは、年齢通りよ。なぜかしら?」
年齢通り、か。私の年齢は、十歳。たしかに私の普段は少し変ではあるかもしれない。
「そんなのわからない。私は、私」
「そうよね。変なこと聞いてごめんなさい」
アリスがそう言ったとほぼ同時、大木が大きな音を立てて倒れた。
「……運ぶ」
「ありがと。じゃ、あなたは根の方を持ってくれる?」
アリスの人形四体が木を持ち上げ、私もそれを手伝う。人形について、アリスの家まで向かう。
「今日は……どうしようかしら」
アリスが歩きながら悩んでいると、一羽のハトが飛んできた。頭が赤く塗られていて、他のハトとは違いアリスが手をあげると、自然にそこに止まった。
ハトの足には、何か紙のようなものが結わえ付けられていた。
アリスはそれをほどき、広げた。
「……マリサが結構やったみたい」
「へえ」
「マヨイガ、じご、地霊殿、天狗の山……他にもいろいろ行ってるわね」
定時連絡、か。そういえばアリスとマリサは外来人について他の権力者達に教える為に各地を回っているんだった。
「ねえ、みんなに伝えたの?」
「ん?」
「その、レイムが言ったことを」
アリスは頷いた。
「ま、あなたが気絶してたり眠ったりしてる間にね。……テーブル作ったらいったん博麗神社に向かいましょうか」
アリスの決定に、私は頷いた。
「……重くない?」
「全然」
持ちながら、自分でも驚いていた。まさかこれほど大きな木を空気のように感じるなんて。
「ほんと、強くなったわね。もう襲われても対処できるわね」
私は頷く。是非、襲って欲しい。そうすれば、なんの気兼ねなく血を吸えるから。
「ねぇ、この森って危険なの?」
昨日一人で歩いていきなり襲われたことを思い出し、聞いて見た、
「まあね。生身の人間が単身で入ったら二時間と生きられないって言われるくらいだから」
すごい。この森なら、食糧には困らないかも。
「まぁ、妖怪もバカじゃないから私みたいにあからさまに能力持ってる人間にまで攻撃してこないわ」
ということは。私も、そのあからさまに、という人種にはいるのだろうか。入らなければいいのに。
「ま。いいじゃん、そんなこと。さ、ついたわよ」
アリスの家の前には、天狗がいた。黒い翼に赤い小さな六角帽子、そして一本足の高下駄。その天狗は女の人で、年齢は十六歳くらいだろうか。
「あら、射命丸じゃない。ちょっとどいてくれる?」
「あいや、お久しぶりです、アリスさん」
挨拶はしたけど、雰囲気はあからさまに適当だった。シャメイマルは私の方を見ると、そばまできた。
「こんにちは、お嬢さん。お名前、教えてくれますか?」
「ミオ・マーガトロイド」
「偽名はいいから、本名教えてくださいな」
「これが本名」
「あやや」
なんだろう、この人は。メモ帳片手に、何をするつもりだろうか。
「じゃあ、幻想郷に来た感想は?」
「なぜ、そのようなことを聞くの」
取材だと、彼女は言った。取材? 新聞記者だろうか。
「取材はお断りさせていただきます」
新聞は、きらい。テレビのニュースも、きらい。
「まあまあ、そう言わずに。感想は?」
この人、強引。カグヤと違う強引具合。私は、この人が苦手。
「怖いところ」
「……なぜそう思ったのか、聞かせてもらってもいいですか?」
私は唇に人差し指を当てた。
「秘密」
キョトンと、シャメイマルは目を瞬かせた。にやりと笑うと、メモ帳にペンを走らせた。
「ありがとうございます。では、最後の質問です。あなたの能力は?」
不思議なことを聞いてきた。なぜ、このどう見てもひ弱な少女にしか見えない私に、そんなことを?
「ない」
「ないことはないでしょう」
「なぜ」
私はアリスの方を見た。不快そうに顔を歪めている。
「ご存じないようなので伝えておきますと、ここ最近、幻想郷にきた全ての外来人に特殊な能力を持っているのです」
「……東野も?」
シャメイマルは、首を傾げた。
「東野?」
「……なんでもない。ノーマも?」
今度は、頷いた。ニコニコとした様子でメモ帳をめくった。
「ノーマ君はですね、『生き続ける程度の能力』を持っていますね。何をされても、何があっても絶対に死なない。不老不死とも言います。まぁ、不幸があって、ノーマ君は口を閉ざしてしまったようですが」
メモ帳に書いてあることをそのまま読みあげるような口調だった。
不幸なこと。それは、なんだろう。嫌な予感がする。その中身は、知りたくない。
「ちなみに、不幸というのは」
「射命丸。相手を考えなさい」
耳を塞いだ私を慮ってか、アリスがぴしゃりと言ってくれた。
「あや、これは失礼をば。では話を戻しますが、あなたも外来人なのですから、何か力があるはずだ、と踏んだわけです」
「私は何の力も持ってない子供」
私が言うと、シャメイマルは呵々大笑した。
「何をバカな。あなたの手に持ってるのはなんです?」
私は木から手を離した。それでも変わらず、木はアリスの人形に持ち上げられている。シャメイマルは驚いたような顔をした。そこですかさず私は言う。
「何の力も、私は持ってない」
「……ふむ。わかりました。いつかまた。それでは、失礼します」
次の瞬間、豪風が吹きすさび、私は思わず目を閉じた。次に目を開けるともう烏天狗の姿はなかった。
「急に離してごめん」
「中々いい判断だったわよ」
アリスはそう褒めてくれた。
「あの人は?」
アリスは人形をあやつり、大木を地面に下ろした。ノコギリを持った人形を配置すると、まとまった形に切らせ始める。
「射命丸文。新聞記者よ。幻想郷で一番速い天狗よ」
「ここで、一番」
そんなすごい人だったんだ。
「まあ、でもあなたも思ったと思うけど、ロクな奴じゃないから」
私はなるほど、と思った。あんな人も、ここにいるんだ。
「でさ、さっきの話聞いてどう思った?」
「能力のこと?」
アリスは頷いた。私はエイリンから能力のことを聞かされている。けれど、アリスはそれを知らない。隠そうとしてくれたことを無下にするわけにもいかないだろう。
「ないんじゃないかな。そもそも私、吸血鬼に、不老不死。十分特殊」
まぁね、とアリスは苦笑した。ゴトリ、と音がした。木が切り終わってちょうどいち大きさに揃えられた。これからテーブルの形に削っていくのだろうけど、アリスは人形達を操作しなかった。しばらく悩むと、頷いた。
「……ま、テーブルはあとでいっか。ちょっと聞きたいことがあるから、とりあえず霊夢のところ行くわよ」
アリスは人形達にノコギリを捨てさせ、私の脇の下まで移動させた。また運んでもらうのか。してもらってばかりは、居心地が悪い。……けど、飛ぶ時ばかりは、運んでもらわないといけないのも、事実。
「じゃ、急いでるから飛んで行くわよ」
何度か体験した気味の悪い浮遊感と共に、私の体は浮き上がった。幻想郷を見下ろしながら、かなりの速度で移動する。
それから博麗神社に降り立ったのは、すぐだった。