きさくなお姫様と私
「あれ、アリスに澪ちゃん。どうしたの?」
永遠亭につくと、ノーマを連れたレイセンが出迎えてくれた。ノーマは出会った時と変わらず黙っていたが、その顔は少し明るかった。
「姫様は?」
「え? ……まさか、本当にあれ飲んだの?」
なんだろう、その言い方は。そうか、私は騙されたのだろう。かぐや姫の少しの戯れ。それに付き合わされただけ。悲しくなったが、よくよく思い返してみれば、そう簡単に永遠が手に入るわけがない。子供を騙すなんて趣味が悪いとは思うけど、楽しいのは事実だろう。
「うん」
「何考えてるの? アリス、なんで止めなかったの?」
「いや、だって」
レイセンの勢いに、アリスはたじろぐ。
「だって、だってなに? アリス、こんな子供に永遠を背負わせるの!?」
永遠を、背負わせる? 何を言っているのだろう。永遠は素晴らしいものではないのか?
「そんなこと言われても」
「あなた仮にも澪の姉名乗ってるんでしょ!? なら、止めなさいよ!」
レイセンが叫んでいると、彼女の後ろから姫様がやってきた。
「何事? 騒がしいわね」
「姫様。あの薬、飲みました」
そういうと、かぐや姫は手で口を覆って、上品に笑った。ああ、私はからかわれたのか。まあ、この人に遊ばれるのなら別にいいか。
「それはそれは。では、こっちにいらっしゃいな」
私は靴を脱いで、永遠亭に上がる。レイセンに止められそうになるけど、かわしてかぐや姫のそばまでいく。
「ふふふ、あなたの目、まだ疑ってるわね」
「すみません」
かぐや姫は首を振った。綺麗な黒髪が舞う。
「いいえ。疑うな、というほうが無理よ。だから、信じさせてあげないとね」
すっと、私は細長い指に絡め取られるように抱き寄せられた。かぐや姫の柔らかい匂いがする。ものすごく、安心する。私はかぐや姫の顔を見上げる。にっこりと微笑んだかぐや姫は本当に、うっとりするほど魅力的だった。
「本当にあの薬を飲んだのね? 嘘だけはつかないで」
私は頷く。ほっと、かぐや姫は胸を撫で下ろした。その手は一度と袂にいき、何かを握り込んだような形で私の胸まで運ばれた。
「騙されたかどうか、不安でしょ? その不安、消してあげる」
ざくり、と、私の胸で音が鳴った。
「……!」
私は腕を振るって、かぐや姫の右手を弾いた。すると、かぐや姫の腕が切り落とされ、永遠亭の床に大量の血を撒き散らした。私の胸からも、見るからに致死量だとわかる量の血が流れている。胸には、大きなナイフが突き刺さっていた。
「姫様!」
「澪!」
アリスは私に、レイセンはかぐや姫に向かって駆け出した。
「大丈夫、澪!」
「……」
声を出せない。苦しい。殺される……?
「ふ、ふふふ。どこからそんな力が?」
「私は……吸血鬼……」
「あら。それはそれは。不滅の吸血鬼なんて、素敵ね」
かぐや姫がレイセンを右手で押しのけ、私の方へときた。私もアリスの前に出て、両手を広げてアリスをかばう。
「姫様、私で遊ぶなら構いませんが、アリスには何もしないでください」
「怯えなくても大丈夫、アリスには何もしないわ」
にっこりと微笑んだまま、かぐや姫は私のそばまで来て、私の胸のナイフを抜いた。
「ぐっ……」
私は胸を抑えて、うずくまる。
アリスが、私とかぐや姫の間に割って入った。
「どういうつもりかしら、死なずの姫。うちの妹傷物にして」
「ふふふ、見てみなさい、アリス。ざっくり刺さってるわね。どう見ても心臓にも刺さったわね。ちなみにこれは銀製品。さすがの吸血鬼でも、これは効くはずよ。真祖だったとしても、しばらくは穴があきっぱなしになるわ」
私はアリスの足の間からかぐや姫の掲げるナイフを見た。長いナイフの半ばまで血で濡れていた。
「最初なら、このくらいかしら。ほら、どきなさい」
「何を」
ぐい、と半ば無理やりアリスをどけると、私の肩をつかんで上体を起こした。始終笑顔のままのかぐや姫。美しいけど、恐ろしかった。
「どう? これが不老不死よ」
つ、とかぐや姫は私の胸をなぞった。くすぐったいけど、痛くはない。かぐや姫の手は両手ともちゃんとあったし、私の胸も完全な状態だった。
「……私、死んだかと思った」
「これからは死なないわよ。いくら死にたくてもね」
そう笑うと、かぐや姫は私にナイフを握らせた。
「いきなり刺してごめんなさいね。でも、これが一番なの。さ、どうぞ」
そういうと、かぐや姫は両手を広げた。どういう意味だろう。
「どうしたの? お返しよ。刺してもいいわよ」
「え、いや、そんな」
私はナイフを捨てた。あら、と言った表情をかぐや姫はした。
「……あのね。輝夜。この子が刺せるわけないじゃない。というか刺させるものですか」
私のすぐそばまで来ると、アリスはナイフを拾ってレイセンに渡した。
「子供にこんなのさせるんじゃないわよ。教育に悪いわ」
「ふふふ、それはごめんなさいね」
そう言うと、かぐや姫は私に向かって丁寧に頭を下げた。
「ごめんなさい」
「え、う、うん。気にしないでください」
私がそういうと、かぐや姫は私を抱きしめた。荒々しいけど、暖かみのある抱き締め方だった。
「嬉しい! ホント、あなたを選んで正解だったわ! 永遠によろしくね、澪。これからあなたと私は、永遠の親友よ!」
強引な人だ、と思った。なんていうか、イメージと違う。
「え、ええ。よろしくお願いします」
「だめ! 敬語なんてダメよ、澪。友達に敬語なんて使う?」
私は首を振った。
「でしょ!? だ、か、ら! あなたも私にタメ口! わかった?」
「は、はい」
「はい、はだめ!」
「……うん」
私がそう言うと、かぐや姫、カグヤはぱあっと明るく笑った。
「うんうん、それでいいわ!」
強引。イメージと違う。でも、私はこの人となら友達になれそうだと思った。さっきまでは殿上人だった人が、自分のいるところまで降りてきてくれたような、そんな感じがした。
「……殆ど別人じゃない」
後ろで、アリスがため息をついて言った。
「姫様、親しい人には甘えるタイプですから……」
「ふうん。全く、妬けるわね」
アリスは苛立たしそうに言った。
「じゃ、澪。約束どおりレクチャーよ。死なずの体で気を付けなきゃいけないところはたったひとつ」
「何?」
「簡単。普段と変わらない生活をすることよ」
……それは、なんの秘訣なのだろうか。
「ほら、私ちょっとした実験もかねて一日一度自殺する生活を百年続けたことがあるけど、あの時の私は本気で狂ってたわ。普段通りの生活に戻したら心も戻っていった。生活は心に影響するわ。だから、生活には気を付けてね」
「うん、わかった」
私の返事にカグヤはまた笑った。
「わかってくれてありがとー! ねえねえ、もっとお話しましょうよ!」
「ね、ねえ、カグヤ。私、ちょっと疲れちゃった」
私がそう返すと、カグヤは私を見た。
「あら? ……それもそうね。刺されたことなんてないだろうし、ましてや死ぬような目に遭ったことなんてないだろうしねぇ」
「死ぬような目には何度も遭った。でも、その度に疲れてその度に眠った」
私の言葉に、カグヤは苦い顔をした。
「あら。ごめんなさいね。傷に触ったかしら」
「今はもう大丈夫」
そう言って、私の方からカグヤを抱きしめた。すぐに抱きしめ返してくれる。
「あらあら、本当に可愛らしい友達ができて、私は幸せものだわ」
「私も、こんな綺麗な人が友達で嬉しい」
「ふふふ、ありがと」
そうしてしばらく私達は抱き合うと、どちらともなく離れた。
「私、今日は帰るね。またゆっくり時間がとれるときにここに来る」
「嬉しい。待ってるわ」
私はアリスの方を見た。
「いこ、お姉ちゃん」
「……ええ」
私はアリスの手を握って、玄関まで行く。靴を履いて永遠亭を出ると、カグヤが見送りに来てくれた。
「それじゃ、気をつけてね! また遊びに来てね!」
私は手を振って返事をした。
「姫様、廊下の片付け、一緒にお願いしますね」
「え、鈴仙やってくれないの?」
「なんで姫様が故意に、汚す必要もないのに汚した片付けを一人でやらなきゃいけないのですか? 甘やかすなと師匠から仰せつかっているんですよ」
「ええー? 鈴仙のいじわる!」
「いじわるで結構です。では、行きましょうか」
「はーい」
そんな微笑ましい会話を聞きながら、私は永遠亭をあとにした。
「カグヤ、思ったより楽しい人だったね」
「刺されたのよ?」
私は顎に手を当てた。
「まあ、死んでないし」
「その理論でいくならあなたこれから先何されても許すことになるわよ?」
たしかに、普段通りの生活を続けろと言ったカグヤの言葉に従うなら、怒るべきなのだろう。
「……でも、やっぱりいいよ。カグヤだけは、特別」
「ホント、あんた不老不死になったのね。実感するわ」
……少し、棘があるように感じた。でも、それも無理はない、か。心配してくれたのを袖にしたようなものだから。
「大丈夫、アリス。私、もしあれがカグヤ以外の人間だったら、許さなかったから」
「私でも?」
私は首を振った。
「アリスに殺されるなら、まぁいいか、って思う」
アリスは不思議そうな顔をした。
「なんでいいのよ?」
「だってさ、私にとってアリスは、大切な、大切な家族なの。そんな家族に殺意を抱かせるくらい怒らせるような私なんて死ぬべきだと思う。もし何か理由があって殺されるなら、きっと、相当切羽詰まっているんだと思う。家族のために死ねるなら、本望だよ」
はぁ、とアリスはため息をついた。
「あんた、そういう子だったわね。全く、本当に変だわ」
さっきと違って、柔らかい言い方だった。
「吸血鬼で不老不死。これで普通だと言う方が異常だと思う」
「違いないわね」
アリスは笑ってくれた。昨日ケンカしたことが嘘かのよう。
「アリス、昨日は、ごめん」
「ん、何が?」
「テーブル、壊して」
そう言うと、アリスはうーん、と額に汗を流した。
「ま、ちょっとは困るけど、代わりになるのは家の周りに生えてるし、人形も……いえ、違うわね」
一度言い直すと、アリスは私を見て言った。
「あなたが、代わりのテーブル作ってちょうだい? 仲直りの印、よ」
そう言ってくれたことが、私の心に残った。
ああ、私はアリスと家族なんだ。
私は家族がいる幸せを噛み締めた。