嘘と私
目が覚めると見知らぬ天井だった。体を起こして、周りを見る。
この部屋には私の寝ていたベッドしかなかった。全体的に暗いイメージで、私から見て右の壁に、学校にあるようなスライド式の扉があった。六畳ほどの空間に、アリスとエイキ、そしてエイリンがいた。アリスは私のそばにいて、エイキは入り口そばの壁にもたれかかるようにして立っている。エイリンはアリスの隣で、私のことを見つめていた。
「もごご」
挨拶しようとして、出来なかった。何かが口に嵌められていることはわかった。それが何か触って確認しようとして、それすらもできないことに気付いた。
「お目覚めですか、澪」
「もぐ、もが?」
「自殺未遂に加えて、死にたがり。失礼は承知で猿轡と拘束服を着せています。着替えさせたのは女性なので、なんら心配する必要はありません」
……私が自殺しないための処置だろうか。なら、嘘を吐いて、この人から離れて、そこで死のう。
「……ねえ、澪。舌、もう噛まない?」
頷く。もちろん、嘘。
「嘘は、厳罰ですよ。永琳、お願いします」
「はいはい」
エイリンが私の後頭部に手をやって、口にかかっているタオルを外してくれた。拘束服の方は、まだ脱がせてくれないけど。
「……ありがと、エイリン」
私がお礼を言うと、彼女は首を振って立ち上がった。
「気にしないで。もう死のうだなんて思っちゃダメよ。……じゃあね、映姫」
「ええ。またお願いしますね、永琳」
スライド式の扉を開けて、永琳は部屋を出ていってしまった。
死のうと思っては、ダメ? なぜ?
「……。では、澪」
ゆっくりと、私にエイキが近づいてくる。錫を胸の高さで持っている姿は、まさしく地獄の閻魔大王。
「その前に。お父さん、どうなったの?」
歩みを止めることなく私のすぐそばまでくると、エイキは私を憐れむような目で見つめた。
「あなたの父親は、半悪霊となってしまいました」
「私がすぐに死ななかったからだよ。目の前で死んであげれば、少しは」
その続きは、唇に錫が当てられたために言い出すことができなかった。
「父親を想う純粋な気持ち。それは評価します。しかし、だからと言って自殺は認められません」
キッパリと、エイキは言った。
「お父さんのそばにいちゃ、ダメなの?」
「はい。あなたの父親はもう死んでしまいました。あなたの関係ないところで、勝手に、自らの命を絶ったのです」
お父さん、自殺だったんだ。私のせいだ、と言っていた。
「じゃあ、私はお父さんを追うね」
また錫で打たれた。
「いけません。それはいけません。……アリス、この娘はかなり冷静で理知的だという話でしたが?」
「……父親のことになると、年相応よ。いえ、それ以上に盲目的ね」
エイキはアリスの言葉を聞いて、少しだけ残念そうにした。
「あなたほどの年頃だと、父親、母親が世界の全てに思えるでしょう。両親以外の大人が信用に足るに値しないような人間ばかりだったなら、なおさら」
「じゃあ」
エイキは錫を自分の胸元まで戻すと、静かに言い切った。
「それでも、あなたは死ぬべきではありません」
「死ぬことが、娘としての義務なの」
「そのような義務はあなたの頭の中にしかありません」
「お父さんが死ねと言っていた!」
「だからと言って、素直に死ぬ必要はありません」
「……わかった、もういい!」
この人に認めてもらうことは、できない。そもそもこの人はお地蔵様みたいに石頭だ。一度決めたことは、例え何があろうと変えない、そんな人なのだろう。この人は説得しようとするだけ無駄だ。
「じゃあ、私アリス……お姉ちゃんと帰るから、これ、着替えさせて」
私が言うと、しばらくエイキは悩んだ。懐から何かを取り出そうとして……やめた。
「約束してください。自殺しないと」
「うん」
私はすぐに頷いた。私にだって、策はある。
「約束、しましたよ。信じています」
嘘は、厳罰です。幾度と聞いた言葉は、発せられなかった。
「……使わないの?」
アリスが、意外そうに聞いた。
「何をです?」
「浄玻璃の鏡」
エイキは首を振って、アリスのそばまで歩いた。
「あれは、罪人に使う物です」
「使おうとしてたじゃん」
「……はい。悪行ですね、全く。私としたことが、子供の言うことを疑うなどと」
ズキ、と胸が痛んだ。ジクジクと、膿むような痛みが心を襲う。
「では、アリス。澪を頼みますよ」
「わかってるわ。妹、だからね」
嬉しそうにアリスは微笑んだ。その様子を見て、また胸が痛む。
「ああ、それから、博麗霊夢に伝言が」
「何かしら」
「あまり隠し事はないようにと」
「わかったわ」
アリスは頷くと、私の手を引いて外に出ようとした。
「それでは、澪、アリス。善行を積み、良き人間となるのですよ。特に、澪。あなたはまだ幼い。間違うこともありましょうが……絶望せずに、前へ進むのです。さすれば、いつかは道がひらけましょう」
格言めいた、長い言葉。でもそれは、全部私を思ってのこと。こんなにも気にかけてくれている人を、私は、騙すのか。
「……うん、わかったよ」
「そうですか。では」
私はアリスと一緒に部屋を出た。長い廊下が続く、変な場所だった。
「さ、ついてきて。帰ってお祝いしなきゃ」
アリスは嬉しそうに私の手を引いて、歩き始めた。多分、ついていけば外に出れると思う。
「……お祝い?」
「ええ。自殺、思いとどまってくれたでしょ? そのお祝い」
胸が軋んだ。
「そんなの、いちいち祝わなくても」
「いいえ。家族が死んでしまって、一人きりになって、その後を追いたい、って気持ちを振り切るのはとても大変よ。あなたみたいな子供なら、なおさら。
それに、自殺なんてしなくてよかった、って思ってくれなきゃ困るわ」
痛い。胸が痛い。優しい言葉なんてかけないで。私はあなたに嘘をついてる。私、まだ死ぬつもりなのに。まだ、自殺願望は消えてないのに。
「……? どうしたの、顔が暗いけど」
「私、行きたいところがあるの」
痛い。けど、けど。
「どこ?」
ごめん、アリス。私は、それでもやっぱり、お父さんのそばにいたい。これがきっと最後なんだ。お父さんに見てもらう、お父さんに愛してもらう、最後のチャンス。だから、私は。
「……昨日見た湖」
ごめん、エイキ。ごめん、アリス。