壊れた大人と私
竹林の中にあった小さな洞窟に、東野は入り込んだ。入り口は狭く、入る時に私の服の一部が裂けてしまった。パジャマじゃなくてよかった、と一瞬だけ思った。
東野は私を洞窟の奥の方に放った。ゴツゴツとした岩肌にお尻をぶつけた。小さい穴のあいたお腹とお尻が痛いけど、それ以上に、怖かった。
この洞窟はとても小さく、どんなに大きく見積もっても四畳は超えないだろう。湧き水がどこからか染み出しているらしく、壁の岩は全て濡れていた。土臭い匂いがして、むせそうになる。明かりは東野がいる入り口から注がれる光だけ。
こうして入り口を塞がれては、どうあっても逃げられない。
後ろを振り向くと、行き止まりだった。つまり、私はアリスが助けに来るまでこんな狭い場所で東野と二人きり。
「ま、全く。バカな女だ。ははは、私を、誰だと思ってる……」
そう言うと、東野は入り口に座った。逃がすつもりはないらしい。
私はひたすら黙っている。今、私の命を握っているのはこの人。機嫌を損ねて殺される羽目にだけはなりたくなかった。
「にしても、あの二人、美人だったな。ふふふ……」
彼の頭の中では、一体どんな想像が繰り広げられているのだろう。絶対に知りたくない。
「……お前も、中々。まだまだ子供だが、将来性はある」
「なんの、話をしているの」
品定めするかのような東野の物言いに、私はつい、口を開いてしまった。
「教えてやろうか?」
失敗した。
東野は腰を上げ、私に近づいて来る。目がおかしかった。据わっていて、頬も妙に赤い。スーツのネクタイを緩めると、ゆっくりと私の肩に触れた。
「……わ、私は、まだ子供」
「知ってるよ。大人にしてやるよ」
ダメだ。早くなんとか切り抜けないと、取り返しのつかない事になる。
「近づかないで」
にじり寄ってくる東野は、止まらなかった。
この人はきっと、命の危険が迫って、理性よりも本能の部分が思考の半分以上を占めているのだろう。だから、私のような子供にすら、欲情するのだ。状況判断力も鈍っている。ならば……どうする。
何かを言う? 何を言っても無駄だろう。むしろ、余計に煽るだけかもしれない。
何かをする? 大人相手に何をしろと。
服を脱がそうと迫ってくる手を見つめながら、私は思考する。
このままあえて、汚される。それならば、あるいは。少なくとも、その間は殺される心配はない。ない、が……。
「この期に及んで、まだ眉一つ動かさないのか? 何もしないとでも思っているのか? 大人だから、子供を守るものだと、本気で思ってるのか?」
違う。大人は子供を守ろうとはするが私を守ろうとはしない。
「……やめて」
私の服がはだけさせられる。上半身の全てをこの人に晒してしまうのが、気持ち悪い。このまま私は、一生ものの記憶を、植え付けられてしまうのだろうか。そんなのは嫌だ。この男が私の最初で、そして一生残るなど、気持ちが悪くて仕方がないだろう。
「ふん、本当にそう思っているのか? 嘘の塊だな、お前は」
なんとかしなければ、早くしなければ私は、知りたくもない痛みを刻まれる。
そうだ。私に手を出さなければまだ命だけは助けてくれるかも、ということを伝えれば、躊躇してくれるかも。
「し、死にたくないでしょ」
「ん? ああ、そのことか。もういいんだ」
私は思考を止めてしまった。
「私は、あの二人に殺されるだろう。ここだってどれだけばれずに済むかわからない。だから……」
私は耳を塞ごうとする。私の両手が東野に押さえつけられ、岩肌に縛り付けられるような格好になる。まるで押し倒されたかのような感覚だった。向こうももちろん、押し倒してる感覚なのだろう。
「だから、最期にお前の悲鳴を、お前が表情を歪めるところを見てみたい」
ダメだ、諦めよう。
ここまで強い決意を揺るがすほど強い言葉を私は知らない。私は言葉を発するのをやめ、全身から力を抜いた。今の私はただの人形のようなものだ。
抵抗をやめた私を、東野は好き勝手にいじる。下の服に手が伸びようとしたとき、東野が凄い勢いで振り向いた。
「な、なんでこんなに早く」
「ここは、私の庭だ。ほら、澪を出せ。今なら命だけなら助けて……」
東野が慌てて私を左手だけで思い切り抱きかかえ、首を掴んだ。モコウとアリスがショックを受けたように目を見開いているのが見えた。首が痛くて苦しいけど、もういい。
「……何をした?」
「は、ははははは!」
東野はただ笑った。ついに精神に異常をきたしたのだろうか。
「この娘に大人の恐ろしさを心の底まで刷り込んでやった! これ以上この娘に何かしてほしくなければ、私が逃げるのを」
「……」
モコウはやれやれと首を振った。それとほぼ同時、肉が焦げる嫌な匂いがした。その直後、私は解放された。
「ぎゃぁぁあ!?」
「わかってねーな。ほんと、わかってねえよ」
東野の方を見ると、彼の右手が炎に包まれていた。それはやがて、腕全体に燃え広がっていく。
「もうお前、死ぬしかねぇよ」
苦しそうに叫ぶ東野の叫びが、耳に障る。
「澪!」
アリスに抱きしめられて、東野から引き離してくれた。東野についた炎は全身に広がり、彼の全てを焼き尽くそうとした。
「ま、待ってモコウ」
私は彼女を止めようと口を開いた。
「ダメだ。こいつは燃やす」
「殺さないで」
「アリス。先永遠亭に行ってろ。あんまりこういうのガキに見せんな」
私の言葉は、届かなかった。
でも、届いてくれなくてよかった、と思う私もいた。
「わかった」
アリスは私を抱きしめたまま、空を飛んだ。浮遊感が少し嫌だったけど、アリスに抱き締めてもらえて、凄く安心する。
「大丈夫よ、澪。永琳はすごく優秀な医者だから、何も心配はいらないわ。大丈夫」
「……ありがと、アリス」
疲れた。久しぶりに悪い大人に攫われたから、妙に体力を消費した。何も感じなければ、こんな風に思うこともないのだけれど。なんとかして感じずにいる方法はないだろうか。
「ちょっと眠るね。疲れちゃった」
「ええ。ゆっくり眠りなさい」
アリスに了解をもらうと、私は目を閉じた。
意識がおちる寸前まで、迫る大きな手と、東野が燃える姿が瞼の裏に浮かんで離れなかった。