お姫様と私
……。
「で? 永琳。レミリアのバカはなんだって澪を魅了なんてしたの?」
アリスの声が聞こえる。なぜかひどく苛ついたような声色だった。
「ううん、なんていうかね、この件に関してレミリアは悪くないのよ」
「なんでよ。この子、レミリアに魅了されたんでしょ?」
アリスの怒ったような声が聞こえる。それに、エイリンの声も。彼女は少し申し訳なさそうな声色だった。
「それは間違いないわ。でも、それ以上にこの子の能力が今回の件の原因ね」
「……能力?」
エイリンはアリスの問いに、しばらく答えなかった。目が覚めきった私は、目が覚めたことを悟られないよう注意しながら、二人の話を聞く。
「幻想郷の流儀に乗っ取って彼女の能力を表すなら……『特殊能力を増幅する程度の能力』ってところかしら」
程度? 能力? ……増幅? 嫌な予感がしつつも、私は聞くのをやめなかった。聞かないことはできる。何?みたいなセリフを言いながら体を起こせばよいのだ。二人とも声を潜めているだ、きっと私には聞かれたくないのだろう。……でも、私はこうして聞いている。
「それが、原因?」
「そう。しかも、彼女の能力は、他者へ干渉する力を持ってないから、必然的に他者から受けた特殊能力を増幅することになるわ」
「ようするに?」
「ようするに、支援効果と、敵からの体に留まるタイプの攻撃全てを増幅することになるわ」
私は何を言われたのか理解したくなかった。つまり、私は。
「……この子、チルノの攻撃食らってたけど」
「体を貫いた? 違うでしょ? 体の中に入った時点で増幅されるから、もしあの子の攻撃が澪ちゃんの皮膚を突き破って体の中に留まってたら、もしかしたら氷のオブジェになってたかもね」
椅子が弾かれるように動いた音が聞こえた。アリスが驚いて立ち上がってくれたのかな。
「……レミリアに魅了されかかってたのは、あの子がレミリアの視線にこもった僅かな魔力を……」
「増幅し続けた結果、というわけよ。まぁ、澪ちゃんの能力はまだ未完成。完成したら特殊能力を食らったら死ぬ世にも珍しい子供になるわ」
特殊な力を持ってる人って、この世界にどれだけいるんだろう? 私はどれだけその人たちと会うのだろう。それが不安だった。
「……そう。わかったわ」
「理解してくれて嬉しいわ。そろそろ麻酔が切れて起きる頃だから、不審に思われないよう何か話ときましょ。何か話題ある?」
アリスは呆れた感じでため息をついた。
「あんたいつもにまして尊大ね……」
「ま、患者じゃないし」
「はいはい、わかったわよ。……話題はあるわ」
「聞かせて貰いましょうか」
「外来人の処遇について、よ」
そろそろいいだろう。私はゆっくりと体を起こした。お腹に感じていた妙な痛みも、足の裏の擦れるような痛みも、私の中にあった燃えるような情愛も全て消え失せていた。
私の中にあるのは自分で制御できる正しい私だけだった。ほっと、胸を撫で下ろす。
「あら、おはよう」
「おはよう、エイリン。おはよう、アリスお姉ちゃん」
エイリンは診察室のような部屋で、お医者さんが座る場所に座っていて、アリスは患者さんか、患者さんの保護者が座る場所に座っていた。私はその隣にある小さなベッドに寝かされていたようだ。自分の見回すと、パジャマから白い入院患者が着るような服に着替えさせられていた。なぜ、誰が、私の服を着替えさせたのだろう。少し気になる。
「あら、自己紹介したかしら?」
私は首を振った。
「私の名前はミオ・マーガトロイド。アリスお姉ちゃんの、妹です」
私の自己紹介を聞いて、エイリンは目を丸くした。そのまま、アリスに視線を移す。
「この子が、あなたの?」
「何よ。文句あんの?」
「私は、この幻想郷にいる間だけ、アリスお姉ちゃんの家族にしてもらいました」
そう私が言うと、エイリンはさらに驚いた様子を見せて、そして大きく笑った。
「ふふ、アリス、あなたの数倍、人間ができてるわね」
「うるさい」
頬を膨らませて、アリスは言った。
「……外来人の話なんだけどね。これからはそんなに躍起に外来人を保護しなくてもいいらしいわよ」
「詳しい話を聞かせてもらえるかしら」
「いいわ」
黙って話を聞いていた私に、エイリンが何かを思いついたような表情をした。
「あなたはここを好きに見ててもいいわ。地下には入らないでね」
どうするかをアリスに目だけで相談すると、アリスは笑顔で頷いてくれた。
「じゃ、いってきます。ありがとう、エイリン」
私はお礼を言うと、診察室の扉を開けて、外に出た。木の廊下に、襖の扉。まるで昔話に出てくるような作りの日本家屋だった。
「あ、目が覚めたんだ。元気になった?」
廊下の右と左、どちらに行こうか悩んでいる私に、そんな声がかかった。右を向くと、廊下の奥からウサギ耳をした女の人と、その人にぴったりと寄り添うような形で歩いている男の子がいた。男の子は綺麗な顔立ちをしているけど、表情は暗い。私と同じ、入院用の白い服を着ている。
「はじめまして。ミオ・マーガトロイドです。エイリンから地下以外を好きに見て回ってもいいと言われました」
そう言うと、ウサギ耳の女の人は驚いたような顔を一瞬すると、笑顔になって私の頭を撫でた。
「すごい、すごい。よく自己紹介できたね。私は麗仙。で、こっちの子がノーマ」
ノーマと呼ばれた子は、私に小さく一礼しただけで、挨拶一つしなかった。
「私は、ミオ・マーガトロイド。よろしく、ノーマ」
嫌われたのだろうか。いつものことだ。いちいち気にしないことにする。
「あー……。澪ちゃん、この子は口が利けないの」
「失語症?」
確か、言葉を失うことをそう言ったと思う。
「う、ううん、ちょーっと違うかな。なんていうか、口を開かないの。話す気力もない……のかな?」
レイセンの質問に、ノーマは悲しそうな顔をして首を振った。……何か、ノーマにはあるのだろうか。
「筆談は?」
「え? ……この子、まだ六歳くらいよ?」
小学校に入る少し前、か。
「でも、他者とのコミュニケーションを取る手段が他にないなら努力するはず」
私は、努力した。動かなくなった表情をカバーできるよう、必死で言葉を学んだ。幻想郷にくる前までは、その努力が功を奏したことがなかったが。
「え、えっとね、そんな、先生もなしにそんなことできる人なんて」
「……それもそうか」
普通の親は文字習得を学校に任せる。その学校に就学する前なら、文字が扱えなくとも無理はない、か。
「そもそも、ノーマは親はいた?」
ノーマは嬉しそうに頷いた。その表情が私の心に刺さる。みんな、親がそばにいるのだろうか。お父さんに、会いたい気持ちが強くなった。
「あ、あなたはどうなの、澪?」
「母はいない。お父さんは……いないようなもの」
冷静なまま、私は言った。いつものように言葉を濁さなかったのは、あわよくば同情してほしかったからだろう。
「ご、ごめん」
レイセンは、怒られたと思ったのだろうか。もっと愛想良くできればいいのだが。
「いい。……レイセン、地下以外に行ってほしくない場所、ある?」
これ以上話題を続けたくなくて、私は半ば無理に話を切り替えた。
「え? そうね、一番奥、姫様のお部屋には入らないで欲しいな。それから、厨房も避けてほしいかな」
私は頷いた。……姫様、か。頭に湧いた疑問を疑問のままにして、私はレイセンとノーマの横をすれ違うように通り抜けた。
「あ、澪ちゃん」
「何?」
私は振り向いた。レイセンと、不安そうな顔をしたノーマが見えた。
「あなた、人里から来たの?」
私は首を振った。
「私は別の世界から来た、外来人」
「そ、それじゃあさ、ノーマと仲良くしてあげてくれない?」
そう言って、レイセンはノーマを私の方へと押し出した。死んだ魚のような目をした彼は、私が近づくとレイセンの方へと下がってしまった。やはり、嫌われた。
「ノーマが私を嫌っている。仲良くすることはできない」
「で、でも」
「それに、コミュニケーション手段を持たない人とは意思疎通が行えない。私はそんな人と友達にはなれない」
そう言うと、レイセンが止める声も聞かずに廊下の奥へと歩き出した。
……レイセンにも嫌われただろう。仕方あるまい。私は私のことを子供らしい子供として扱う人と仲良くなれた試しがない。
「ずいぶん、冷たくあしらうのね」
廊下の奥の、意匠の凝らした襖が開き、中から人が出て来た。この世のものとは思えぬほど美しい女性だった。十二単のような豪奢な着物に、床まで届きそうな長い黒髪。この人が、レイセンが言っていた姫様か。私は瞬時に理解した。これほど完成された人に、姫様という呼称以外は似合わない。そんな気さえした。
「姫様。どうされたのですか?」
後ろから、レイセンの戸惑うような声が聞こえた。
「かわいらしい声が聞こえたものだから。子供なんて、久しく見てないわ」
そう言って、姫様は私のそばまで歩いてくる。しゃがんで、私の顔を覗き込む。近づけば近づくほど、姫様の造形の美しさが際立つ。
「あなた、お名前は?」
「私はミオ・マーガトロイド。幻想郷にいる間だけアリスお姉ちゃんの妹になった、外来人」
私の自己紹介に、姫様はクスリと優雅に微笑んだ。
「ふふふ、面白い子ね。私は蓬莱山輝夜。輝夜でいいわ」
カグヤ。そして、姫様。もしかして、この人は。
「かぐや姫?」
「そう呼ばれたことも、あったわね。何年前かしら」
この人が、かぐや姫。私が唯一知ってる昔話の登場人物。
「あなたの物語を小さい時に聞いて育ちました。お会いできて光栄です」
私は思わず、手を差し出していた。握手……してほしかったのだろう。
「……ふふっ。大人っぽいと思っていたら、心根はちゃんと、子供なのね」
「おかしいでしょうか」
「いいえ? とっても、愛らしいわ」
そう言って、カグヤは私の手を握ってくれた。すべすべで、柔らかくて、冷たい感じがするけど、でも確かに暖かくて。しばらくそうしたあと、私は名残り惜しげに手を離した。
「ありがとうございました。思い出になります」
「気にしないでいいのよ」
私にそう言って微笑むと、カグヤはレイセンのそばまで歩いた。
「ウドンゲ、その子、まだ声が戻らないのかしら」
ノーマの頭を撫でながら、カグヤは言った。
「はい。会話を交わそうとはしているのですが、どうにも反応が薄くて」
「……会話はもう諦める、というのもそろそろ視野に入れるべきね。今度から筆談を覚えさせて」
カグヤの指示に、レイセンは何も言わずに礼をした。
「それと、てゐは?」
「今薬の材料を取りに竹林に向かっており、ここにはおりません」
「そう……」
カグヤは残念そうに肩を落とした。その様子も美しくて、私は惚れ惚れするような気持ちを感じた。
「……わかったわ。レイセン、てゐが帰ってきたら私の部屋に寄越して。話があるから」
そう言ってカグヤは歩いて私の方へと向かってくる。きっと、部屋に戻るのだろう。
「そうだ、澪。永遠が欲しかったら私達のところへ来なさいな」
「……永遠?」
「そう、終わりなき生を、共に楽しみましょう?」
襖を開けて、部屋に戻る寸前、カグヤは私にそんなことを言った。
「……考えておきます」
「ふふ、応対の仕方は立派な大人ね。それじゃあ、よい返事を期待してるわ」
ぱたりと襖が閉じられ、カグヤの姿は見えなくなった。
「綺麗な人」
母よりも綺麗な人というのを、私は初めて見た。
それにしても、永遠? なんのことだろう。人はいつか死ぬというのに。それとも、あの人は永遠に生きる術を持っているのだろうか。……母のようにならずに済む方法が、あるのだろうか。
「……澪ちゃん? 姫様の言うこと、本気にしたらダメだよ?」
レイセンがそばに来て、そんなことを言った。
「なぜ」
「姫様、気まぐれで物を言うから……」
「それでも、死なずに済む方法があるのなら」
私は、永遠を求めるのだろうか。ずっと、ずっと生き続けるのだろうか。
レイセン、あなたなら……どうする?
「澪! 次行くわよ!」
そうレイセンに聞こうとしたとき、レイセンの後ろの方にあった襖が開き、アリスが出て来た。
「アリスお姉ちゃん」
「そこにいたの。楽しめた?」
私はアリスのそばまで歩いてから、頷く。
「そう? ここ、なんにもないでしょ?」
「かぐや姫がいた。それだけで十分」
「かぐや姫? ……ああ、輝夜のことね。まぁ、子供にとっちゃ馴染み深いか……」
アリスはそう言うと、私の手を握った。
「さ、行きましょ。パジャマは私の家に運んでもらえる手はずだから、安心していいわ。靴も、くれるみたい」
そう言って、アリスは手元の鞄から小さな、私の足に合いそうなサンダルのような靴を取り出した。
「レイセン、澪が世話になったみたいね」
アリスが歩くと、レイセンもついてきた。玄関先まで送ってくれるのだろうか。
「いえ。しっかりとした子供さんですね」
「ホントよ。というか澪が昔話を知ってたことが驚きよ。難しい本ばかり読んでるイメージだったわ」
私は首を振る。
「難しい本は楽しくないから嫌い」
「正直なところも、子供らしいのね」
らしいも何も、私は子供だ。一人では何もできない未熟な存在だ。
「これから、どちらへ?」
「まぁ、閻魔のところを予定してるけど、今日は無理ね。澪も疲れたでしょうし、今からあいつのところ行ってたら日がくれても帰れないわ」
玄関までたどり着くと、アリスは私の前に靴を置いてくれる。
「ありがとうアリス」
「これくらい気にしないで」
私は置かれた靴に足を入れた。少し大きいけど、問題なく歩ける。さっきまでとははるかに違う。アリスも同じように靴を履くと、玄関の引き戸を引いた。
外には竹の林が生えており、ここを抜けることができるのだろうか、そんな不安に駆られる。
「じゃあね、麗仙。永琳によろしく言っといて」
「はい、それでは」
アリスは私の不安に構わず、竹林に入って行く。