吸血鬼と私
真っ赤な扉が等間隔でいくつも続く、真っ赤なカーペットが敷かれた廊下を、私とアリスはイザヨイサクヤというメイドに先導され歩いていた。
「……ね、ねぇサクヤさん」
「なんでしょうか」
冷たい声が浴びせられる。体の芯から冷えるような感覚がして、少し震える。怖くなって、アリスの手を握りしめた。
「あ、あなたは、吸血鬼……なんですか?」
「……さぁ……。そうです、とも言えますし……違います、とも言えます」
どういうことなのだろう。……ハーフなのだろうか。いわゆるダンピールという人種。
「……興味があるのですか?」
「え?」
「吸血鬼に」
私は首を振った。サクヤは前を向いているから、話さなくてはならないことに気づくのに、しばらくかかった。
「う、ううん」
「そうですか」
サクヤの声が怖い。まるで、調理台の上に乗っているような、そんな嫌な気分。
「ねぇ、咲夜。あなたはもし外来人を好きにしていいと言われたら、どうする?」
なんで、アリスは今そんなことを言うのだろう? 反応が気になるのだろうか。サクヤはここで初めて、振り返って私の方を見た。視線だけで、貫かれたような気分になる。
「その少女を私に……。そういう意味ですか?」
「違うわ。どうするか知りたいだけ」
この人はどんな反応をするのだろう。お願いだから、普通の反応をして。そう心の底から願う自分がいた。
「そうですね。もしそのようなことになったら、お嬢様と妹様の食材を安定して調達できますね」
思わず、アリスの後ろに隠れてしまった。
「ちょっと、澪? どうしたの?」
「……な、なんでもない」
アリスの影から、サクヤを見る。普通の女の人にしか見えない。だけど、人とは違う何かを、この人は備えていた。
廊下の一番奥にある大きな扉の前まで来ると、サクヤは静かにノックした。
「お嬢様。お客様をお連れ致しました」
「わかったわ。お通しして」
扉ごしだというのに丁寧に礼をしたところを見ると、この人の主人に対する忠誠はかなり高いものだということがわかった。サクヤは重そうな扉を片手で開けると、私たちに中へ行くよう手で促した。中に入っても私はサクヤに対する恐怖が消えず、彼女の方を見ていた。
「それではお嬢様、失礼致します」
「ええ。ご苦労様」
「ありがたきお言葉」
私達が部屋に入ると同時、サクヤが消えた。足音一つさせずに消えるなんて。暗殺者か何かなのだろうか。
「ようこそ、アリス。久しぶりね」
私はここで初めて、紅魔館の主を見た。
王様が座るような赤い豪奢な椅子に座っているのは、私と同じかそれより下の年齢に見える、幼い女の子だった。西洋人形のように整った顔立ちをしていて、ネグリジェのような服装が、幼さを一層引き立てている。この子が、吸血鬼。私達人間を食らう、化け物。彼女は私を見て、舌なめずりをした。背筋に冷たい汗が流れる。
「……あら、お土産? 気が効くじゃない」
「違うわ、レミリア。外来人で、私の妹よ」
「へぇ」
レミリアという吸血鬼は、興味深そうに立ち上がると、私のすぐそばまで来た。レミリアの顔が、視界いっぱいに広がる。全身が恐怖で凍りつき、レミリアの紅い瞳から目が離せない。殺されてしまうのだろうか。臓腑を撒き散らし、私を咀嚼するレミリアを想像する。その様は酷く似合っていて、神秘ささえ醸し出していた。
「……あなた、私のことが怖くないの? 吸血鬼だってわかってるのに」
「怖い」
そう言った私を、レミリアはじっくりと観察する。何を見られているのだろう。全てを見られているのだろうか。
「この子、面白いわね、アリス」
「面白い?」
アリスがレミリアに聞いた。怖いと言った私を気遣ってか、レミリアの前に立ってくれる。私はすかさず、アリスの後ろに隠れる。
「そうね。心拍数も呼吸も体温も全て、恐怖を感じた時と同じものなんだけど、表情だけは平静そのもの。眉ひとつ動かさない。でも、怖いのよね」
にやりと、レミリアは嫌な笑みを浮かべた。
「うん」
頷いた私に、すっとレミリアが青白い指先をのばした。顎のラインをなぞるように動く指。恐怖からか、くすぐったいからか、背筋が凍るような感覚がする。
「随分と、うまく表情を殺すじゃない。どれ、ちょっと運命を……」
そう言ったレミリアの顔色が変わった。私の顎にあった手が離れ、それは彼女の美しい口元に。
「あなたの運命は……凄まじいわね」
「運命?」
私は首をかしげた。
「そう、運命。いずれ来るべき未来。避けることのできない決定事項。私はそれの一部を読むことができ、ある程度の干渉もできる」
私は黙って話を聞く。聞きたいことはあるが、それは全てレミリアが話終わってからだ。私の命は今、レミリアが握っているのだから。
「あなたの運命は強力すぎて微調整すらできないけど……」
そう言うと、レミリアは私の耳元に口を近付けた。耳たぶを齧られると思った私は、一歩下がった。
「とって食いやしないわ。内緒話がしたいだけ」
そう言うと、もう一度レミリアは口を私の耳元に近付けた。
彼女の冷たい吐息が耳にかかってくすぐったい。思わず声を出してしまいそうになるのを、必死で抑える。
「これからきっと、死を懇願したくなるような目に遭うわ。そうなったら、一人でここにいらっしゃい。楽にしてあげるわ」
その言葉が、心の奥の奥まで染み渡った。ような感覚がした。そして同時に、得体の知れない根源的な不安が、全身を包んだ。
「どういう、こと?」
「それは、来てからのお楽しみ」
そう言ったレミリアの言葉が、足の先から頭の上まで駆け巡った。気持ちの悪いような、でももっと聞いていたいような、不思議な感覚だった。
「……ふふふ。で、アリス。どんな伝言なの?」
私から離れると、レミリアは子供のように笑いながらアリスに聞いた。レミリアの声がもう少しだけ聞きたくなって、思わず一歩前に出た。
「……外来人の処遇に関してよ」
「何? 絶対に保護しなきゃいけなくなったの?」
不快そうにレミリアは顔を歪めた。その顔すらも美しく思えた。
私はこの時、自分の異常に気付いた。最初は恐怖の対象でしかなかったレミリアが、非常に魅力的に、あるいは神秘的に感じるようになっているのだ。
私の感じていた恐怖は、心を歪ませてでも解消しなければならないほど強くはなかった。にも関わらず、私の中の感情は劇的というほど変化していた。なぜか。
「逆よ。必ずしも保護する必要はなくなった、ということよ」
「へぇ、それは重畳。実に喜ばしいことだわ」
皮肉めいたその言葉をもっと聞いてみたいと思う私は、おかしい。なぜ。私はレミリアに好意を持っている? 血を吸う鬼を好きになるなど。
「無差別にやってはダメよ」
「わかってるわ。伝言ご苦労様。それじゃあね、アリス」
「ええ」
アリスが踵を返し、部屋を出ようとする。私はずっと、レミリアを見ていた。視線が彼女から離せない。ずっと、見ていたい。
「澪、何してるの? 早く行くわよ」
「え、あ、うん……」
私は名残惜しげに、レミリアから視線を外し、アリスのそばまで歩いた。
「咲夜。お客様がおかえりよ」
レミリアがそう言って手を叩くと、私たちのすぐ前にサクヤがいた。恐ろしい思いは、すぐに全身を包んだ。
レミリアには好意を、サクヤには嫌悪と恐怖を抱く自分に不安を感じる。何かされたのだろうか。……レミリアに。
「館の外までご案内します」
「よろしく、咲夜」
外に出たらアリスに相談しよう。優しいアリスのことだ、きっと、相談に乗ってくれる。
私は淡い期待と共に、サクヤと一緒に外へと向かった。
レミリアに対する好意は、歩く度に強くなっていった。自分の意思とは関係なく強くなっていく気持ちが恐ろしい。
そして、好意や恐怖を感じる自分と、こうして冷静に自分を考えている自分との距離が離れていっているような気がするのが、妙に気になった。