四国百山横倉山、御嶽古道を歩いて見ませんか!!

古くは安徳天皇が逃れし古道、近くは、那須信吾の脱藩ルート

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伝長宗我部氏一族の墓

イメージ 1長宗我部一族の墓所は岡豊山北面のすそ野にある。細い路地を入っていくと
昼なお暗い森の中、水路に沿った奥に六角格子の建物が出現。
六面にある破れ障子の穴から中央に六角の囲炉裏が作られている。
茶室として用いられていたものと思われる。
イメージ 2六角堂は京都市の頂法寺の通称。
聖徳太子が四天王寺建立のおり、用材を求めて京都市中京区堂前町を訪ねきて六角の小堂を建てたのが始まりと伝えられている。
代々、立花の名手を輩出し、第27世専鎮の時、足利義政から華道の称号を与えられ、池坊流の誕生を見た。
イメージ 3長宗我部氏は秦の始皇帝の子孫弓月君が応神天皇の時に帰化し、10余台の後、秦能俊が信濃から土佐に移り、曾我部に住した。
以後20余台の墓は岡豊山の北谷にある。
イメージ 4苔むす五輪が並ぶがそれぞれの墓に誰を葬ったかは分らないと言う。
只上段の立派な印塔が元親の長男、信親で少し離れたところに香川様と呼ばれる墓があり、
土地の人々は元親の二男、香川親和の墓だと言う。
イメージ 5
墓の中央に一本の杉の大木が育っている。その周りを苔むした五輪塔が立ち並んでいる。

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おはようございます~~
私の近所に長宗我部の三男の「津野ただちか」の小さい神社があります。

2012/1/11(水) 午前 9:27 santa

そうですか。
ことし一年かけて長宗我部氏のかたばみの旗がきらめいた山城を訪ね歩こうと思っています。
そちらのほうへもうかがうことになるかもしれません。

2012/1/11(水) 午後 4:44 dr_*in*k*0522

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今晩は~~Dr.きのこさん
私の隣に住んでいる人なのですが
この長宗我部氏に非常に興味が有り色々と調べているようですが・・

長宗我部の「宗」がいつの間にか「曹」から変わっているのに疑問を持って調べていますが、もし分かりましたら教えてやってください。
この方もきのこさんと同じ町の出です。

2012/1/12(木) 午後 10:00 santa

おはようございます。文教の町出身のお隣さん。
面目躍如たる所ありますね。いいですね、素晴らしいですね。
一つのことを掘り下げ、掘り下げて追及されることは立派ですね。私如きの知りたるレベルでは到底ありません。
いつか鱗が落ちるようにわかればいいですね。

2012/1/13(金) 午前 6:18 dr_*in*k*0522

sv**lowt*i*さん
初めまして、ご指摘まことにありがとうございました。
勝手なこと、思い付きばかり、書いておりまして申し訳ありません。
今後ともよろしくお願いいたします。

2013/2/1(金) 午前 6:12 dr_*in*k*0522


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