ある獣人傭兵の手記

32話

 思ったとおり、雨がぽつぽつと降り始めてきた。そしてだんだんと勢いを増し、周りは血と泥で形容しがたい色に染まっていた。  リオネングの騎士団が加わってくれたおかげで、あれだけ手こずっていた異形の連中もあっという間に片づけられてしまったことで、張り詰めていた俺の気も一気に抜けていた。これほどまでに暴れたのは何年ぶりだろう……もう、当分は立てねえな。 「んで、一体俺をどうするつもりだ?」縄、いや、暴れないように鎖で縛られたゲイルが、キッと俺たちの方を睨みつけている。俺がボコボコにしたとはいえ、まだまだ余力はありそうだ。 「あなたとティディさんは私たちとともにリオネング城へと来てもらいます」ルースの言った通り、こいつは今回の首謀者だ。連れていかれて一体何をされるのかは分からない、けど獣人から人間へと変わったという経緯があるから、死刑になるのだけは避けられるだろう。まあ良くて一生檻の中だろうな。  で、問題のティディだけど…… 「あたしも連れてかれちゃうの?」ティディの言葉に、ルースは無言でうなづいていた。雨に濡れてべったりとぬれた前髪をかきあげながら。  そうだ、あいつはゲイル以上に重要な生き証人。なんたってマシャンバルという未だ未知の国の、しかもお姫様なんだし。  もてなされるわけはない。俺から引き離されて、やはり、一生……  雨脚が強くなってきた。もうルースの声すら聞こえないほどに。 「ラッシュと、もう一緒にいれなくなっちゃうんだ」 「はい……もう」 「やだ、あたしラッシュと結婚したのに、ずっと同じところでいたいのに、ダメなの?」 「はい……」 「やだよ! あたしもうマシャンバルじゃないもん、ゲイルとも一緒じゃないもん! それなのに……」 「なんであろうと、ティディさん、あなたはマシャンバルの重要な生き証人なのです。いくら私といえども、これには逆らえません……ごめんなさい」  ティディの両肩から、力がすとんと抜け落ちた。 「いいじゃねえか姫様、リオネングではまた一緒になれるぜ」ゲイルのその言葉にも、ティディは一切応えなかった。  豪雨の音に交じってあちこちで勝どきの歓声が上がってきている。そうだ、終わったんだな。 「ケーキ、また作りたかったな……」  俺の胸の中で、ティディの涙交じりの声がささやく。もう一度抱きしめてやりたかったけど……くそっ、両腕すら上がってくれねえ。  ルースのお手製爆弾を間近に受けたときは、ジールたちの言う通り……不思議と傷が癒えていたっていうのに。  そう、この前教会のとこで戦った時もだ。ルースの息が止まった時も、なぜか時間が巻き戻ったかのように俺たちの傷が治っていた。  ディナレって女の言っていた加護だとしてもだ、今は全く傷は癒えちゃいねえ。なぜだ?  まあいいや、とりあえず、帰りたいな……ティディと、いや、まだ帰ってきていないジールやアスティと一緒に。  すると突然、雨音に交じって誰かの大きな高笑いが聞こえてきた。  そうだ、それは誰でもない。ゲイルだ。  この野郎、この期に及んで一体何なんだ、頭おかしくなったのか⁉ 「へっ! まだまだ分かっちゃいねえようだな。お前ら」大きな笑いとともに、がんじがらめのゲイルがゆっくりと立ち上がった。  その姿……目の錯覚か? さっきより身体が大きくなっているような気がする。 「ディズウ神王様は俺様を見捨ててはいなかったようだな……見ろ! クズども!」  膨れあがった身体とともに、ゲイルの失われた右腕がだんだんと再生してきていた。肩から生えてきた肉の塊がみるみるうちに伸びて……  だがそれはさっきまでの新たなゲイルの身体の一部じゃなかった。以前の、毛の生えた獣人の腕だ。  それ同様に、顔つきも変貌を始めていた。平たく大きな鼻にたてがみ。  そう、人間のゲイルではなくこいつは以前の姿に戻ってきていた。 「気持ちいいぜ、それに身体じゅうから力が湧いてきている……!」 「な……⁉」  新たに生えた右腕は軽々と鎖を引きちぎり、その姿に驚愕していたルースの小さな身体に一撃を加えた。  ゴッという音とともに、ルースは遠くへと弾き飛ばされていった。 「ルース!!!」が、その声はもう届かなかった。 「ふっ、こうなったらもう実力で行くまでよ、あばよラッシュ!」  ゲイルの膨れ上がった巨躯が、馬よりも速いスピードで俺たちの前から走り去っていった。  その方角……俺たちの……そうだ、リオネングの街だ!

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