ある獣人傭兵の手記

12話

 手足を縛られた男の首元には、小さな湾曲した刃のナイフが突きつけられていた。  時おりピタピタと男の頬を叩き、それはまるで鎌首をもたげた蛇、そのもの。 「……もう君の正体はとっくにばれているんだよ。マシャンバルの『五人目の皮』さん」  ナイフの刃と同じくらいに白い毛並みの小さな身体が、暗闇から姿を現した。 「わ、わしがマシャンバルのスパイだというのか⁉ だ、断じて違う、いいからこの縄を解かんか!」  小太りの初老の男……袖や裾には金の刺繍が施され、一見して彼が高貴な人間であることをうかがわせた。 「わかるんだよね。汗一つかかないその肌に、時おり妙な動きをする目……中に人、いるんでしょ?」  その言葉に男は黙った。 「半年前に隣国へ使いに出たまま突然の失踪劇。もうそこで君……いや、アダガ宰相は殺されていたんだ。ただ、皮だけ残してね。ふふ、これでも結構調べるのに苦労したんだよ?」  そう言って、白い毛の獣人=ルースは、おもむろに男の首元をスッと掻き切った。  ……が、その傷口から本来出るはずの血は一滴も流れてこない。 「あれ? おっかしいなあ~? 本当なら血がドバっと出るはずなのに。どういうことなのかな?」 「くっくっく……ここまでして、ただで済むと思うなよ……白い死神」男の口元が不気味にゆがむ。 「貴様の言う通り、この城には私を含め5人の仲間がいる。だがそれら全て見つけ出せるとでも思ったのか!」 「ああ、それに関してはもう終わってるから。あんたが最後よ」  男が監禁されている部屋の隅から、もう一人、女性の声が静かに響いた。 「な……。もう一人いたのか⁉」 「あのさ、僕が単独でこんなことすると思っていたのかい? それこそ思い上がっている証拠さ。オコニドの悪い癖」 「じ、じゃあ残りの仲間も……!」 「もうとっくに冷たくなってるさ、まあこんなこと城のほかの人に知られたりしたら、僕もジールもこの国にはいられなくなっちゃうけどね」そう言うと、ルースは寂しく笑った。 「ここまできて君も命を奪われたくないでしょ? だからこそ教えてもらいたいんだ。外にいる君の仲間たちの目的を」 「ゲイルのこと……だな。奴らは姫様の奪還を命ぜられている」 「姫様?」 「ああ、我がマシャンバルの神王、ディ=ディズウ様の一人娘、ティディ様をな」  ルースの頭の中に、あの時出会った人獣の少女の姿がよぎった。 「あの人獣の女性が、もしや……マシャンバルのお姫様⁉」  男は無言でうなづいた。  命が惜しかったのかどうかは分からない、もしくは死を覚悟したのかもしれない。男はティディの言葉をきっかけに、まるで小鳥がさえずるかのように話しまくった。  マシャンバルの民は国外へ一切出ることをしない。  未だにオコニドはマシャンバルの人たちの顔を見たことがない、しかし唯一例外として、姫であるティディに謁見を許されている。  彼女の姿と同じになることがマシャンバルの民になれる条件の一つ。あといくつかあるが答えられない。  しかし、ティディの姿もマシャンバル人の真の姿ではないらしい。噂によると、獣よりさらに人ならざる者……だとか。  そして…… 「ラザラス大司教様は、ティディ様の血こそが秘薬だとおっしゃられていた……ゆえに、彼女がいないと我々オコニドもマシャンバルの民へとなれぬのだ。彼女の血、それがイニシエーションに必要なのだ」 「イニシエーション?」ルースの疑問に男は即座に答えた。 「マシャンバルの民へとなること、それがイニシエーションだ。ラザラス大司教様の作りし秘薬を摂取することをそう呼んでいる」 「ラザラス大司教……君はそいつとは会ったことはあるの?」ルースの眉間にしわが寄る。 「いや、マシャンバルの民同様見たことはない。だがあのお方も我々同様、元はこのリオネングから来たとかおっしゃっていたことがある」  やっぱりそうか、とルースは小さく漏らした。 「なんだ、お前もマシャンバルに行きたいのか? この縄を解いてくれたら連れて行ってやるぞ、さあ……」  男のその言葉の直後、手首を縛っていた縄が音もなく切って落とされた。 「え、縄、これ、違……⁉ あ、ああああああああっ‼‼‼」落ちたのは縄だけではなかった。  男の手首とともに、大量の血が噴水のように光さす部屋に飛び散った。 「な、なんでだ……おま……」 「言っただろ、僕は死神だって」ナイフを持つ右手が、男の首を深くえぐった。  しかしそこから流れたものは真っ赤な血ではなく、どろりとした黒い泥のような液体。 「イ、いいの、カ、オマエ……外にイる仲間をすベテ敵二回すコとになルのダ……ぞ」男の息が止まった。 「ああ、とっても不安さ……だけど僕らにはね……」黒い血だまりの中、ルースは立ち上がった。 「ディナレ様の加護を受けた友がいる。だから絶対に負けることはないさ」

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