ルースに薬を作りに行かせ、俺は彼女を空いたベッドにしっかりと固定した。要は途中で正気に戻った時に暴れないようにするためだ。 こいつを連れ帰った時、ジャエスの親方には散々叱られたが、結局の所は折れてくれて内心ホッとした。 「ンで、どうするんだコイツ。お前の嫁にでもするのか?」まだ息の荒い彼女を診ながら、親方はあきれながら言った。 「叔父さん、こいつがこの前話したマシャンバルの尖兵ですよ」 隣にいたアスティが親方に話した。そうだ、まだこいつの容姿を知ってるのは俺以外にアスティとルースだけだしな。 「え……本当か? こんな薄汚ねえ身なりした奴がか?」 観察してみると、以前戦った連中と比べてもかなり違うことに気付いた。 泥だらけでボロボロのシャツに短いパンツ。そして鎧も武器も身につけてはいなかった。 革の薄手の靴は先端が破け、そこから鋭い爪の伸びた指先がはみ出た状態。 そう、見るからにこいつは人間ではなく、獣の姿を持ち合わせた人間だ。 「驚いたな、アス坊からオコニドの連中のことは聞いてはいたが、こいつがそうだとは……」 親方とそんな話をしているうちに、ルースが戻ってきた。 「ラッシュさん、私にもワガママを言わせてください」 入ってくるなりいきなりなんだと思えば、要はこういうことだった。 彼女が回復するまで面倒はきっちり見てやる。だけど治ったらいろいろ聞きたいことがあるので、彼女を貸してもらいとのことだ。 貸すというのもあんまりいい聞こえじゃない……が、彼女は俺たちを襲った一派でもある。そして今後のこともあるし。 熱さましの薬草を塗った湿布を彼女のおでこに貼りながら、ルースが話した。 「彼女、ラッシュさんと同じ臭いがしませんか? ほら、全然身体洗ってなさそうな……」 やっぱりこいつは一言多いなと思いつつ、一発殴って黙らせた。 ………………………………………………………… 看病を続けて丸一日が過ぎた深夜だろうか、ずっと眠り続けていた彼女がようやく目覚めた。 そして案の定、縛り付けていたベッドを壊さんばかりに激しく抵抗を始めてきた。 猿ぐつわを噛ませているので、なにをしゃべっているのかは全然わからない状態だが。 「落ち着いてもらえるかな? 大丈夫。君を殺そうとか軍に引き渡そうとは一切考えてないから」 「言葉……分かってるんでしょうか?」アスティの問いかけに、ルースは首を左右に振った。 「それがネックなんだよね……君の言った通り、マシャンバルに改造されたことで身体能力は格段に上がったけど、それと引き換えに思考能力や本能すらも退化しちゃってるんで」 ルースは椅子の背に身体を預け、じっと彼女を観察していた。ときおり何かノートに書いているみたいだが、俺には読めなかった。 ひたすら暴れ続けている彼女を冷静に見続けながら。 「ラッシュさん、今回の彼女の件、不自然なことがあるのわかりますか?」 そんな言葉がルースの口から出た。しかしあいかわらず俺にはさっぱりだ。 「じゃあヒント。今までオコニド国と戦ってきて、女性の戦士っていうのを見たことがありますか?」 俺の頭の中に今までの戦場の情景が次々浮かび上がってくる。女性……女性…… 「ねーな。戦場でやってきたオコニドの連中はみんな男ばっかり……あ!」 そうだ、こいつ女だ!!! 「ええ、私の知る限りでは、オコニドには女性の戦士はいませんでした。無論、公式の記録にもです」 「確か、マシャンバルはオコニドの連中を次々とケモノみたいにしてるって言ってたし、つまりこいつは……!」 「そうなんですよ。彼女は一体どこの人なのか……きちんと受け答えができればいいんですが」 直後、ベッドから何かバチっと切れる音が聞こえた。 「ラッシュさん、ロープが!」アスティが叫んだ。 彼女は手首を縛り付けていたロープを渾身の力で千切っていた。そしてその手で、口の枷まで。 俺はとっさにベッドに乗って彼女の肩を押さえつけた。これ以上暴れられるのはごめんだ。 ひたすら暴れ続けて体力が尽きていたからか、それほど抵抗する力もなかった……が。 突然、彼女は押さえつけていた俺の手首にがぶりと噛みついた。まだ抵抗する力がこんなにあるのか……さすがの俺も痛みでグッと声が漏れちまった。 「ラッシュさん!」ダガーを手にしたルースが駆けつけてきた。 「いい、大丈夫だ……ンなもん、トラバサミで足をはさまれたときに比べりゃ屁でもねえ」 と、ついつい動揺しているルースに言っちまったが、かなり強い噛みつきっぷりだ。俺だったからよかったようなものの、これがルースやアスティだったら、間違いなく肉を食いちぎられていたかもしれない。 「いいぜ、それでお前の気が済むんならな……」息を荒げる彼女に俺は話しかけた。 どのくらいの時間が経っただろうか。だんだんと彼女の力が弱まってくるのが感じられてきた。 それと同時に、黄色く爛々と輝いていた目も、普通の人間と同じ色に戻っていた。 まぶしさを感じて窓を見ると、朝の陽光が窓から差し込んでいる……もうそんな時間が過ぎてたのか。 「ラッシュさん、大丈夫ですか⁉」ルースとアスティの声を聞いた途端、どっと疲れが押し寄せてきた。もしかしてこいつ、俺より力が強いんじゃねえのか? 「ラッ……シュ?」 彼女の口元がわずかに動く。そうだ、俺の名前だ。 きょとんとした目で俺を見つめている。初めて俺の姿を見るような、不思議なまん丸い目で。 「ラッシュ……? ふしぎ。みんなと、ちがう……」 こいつ、今まで獣人ってみたことなかったのかな? ということで、この家にまたひとり住人が増えちまった。 一番あきれ返っていたのはジャエス親方だった。 「ほら見ろ、やっぱりバカ犬の嫁じゃねえか」と俺の気も知らずに笑い転げているし。 あの時襲い掛かろうと噛みついた彼女は、なぜか今は俺にぴったりくっついて離れてくれない始末。 さらには「君にいろいろと質問がしたいんだ」とルースが話しかけたはいいものの、突然腹の虫が鳴ってみんなで朝飯食うかという結論で終わっちまったし。なんかもう計画が狂いっぱなしだ。 まあいいか、昨晩まで見せていた凶暴さはすっかり治まっているみたいだし。とりあえずここで監視してれば……なんて思っていたのもつかの間だった。 この女、チビから視線を一切外さねえんだ。 いつも通り眠い目をこすりながら「おはよ、おとうたん」って部屋から出てきたチビ。それを見た直後、まるで獲物を見つけたかのように、俺の隣でじっとチビを凝視したまま動かねえ。 しかし当のチビは全然そんなモンに構わず「おとうたんのともだち?」って。もっとも俺は「ああ、そこで拾ってきた」って隠すことなく答えちまったけどな。ウソはついてない。 「なんか様子が変です、チビちゃんと距離は置いた方がいいですね」「それもそうなんだけどよ……」 ルースはそう言うんだが、俺の右に女、左にチビがぴったりくっついたまま。まあいつものチビのポジションなんだけど、女の方がまだ危険性あるだけに、なんかもう一気に疲れが押し寄せてきた、ルースも俺も昨晩から全く寝てないし。 「ラッシュよよよかったね、かか彼女ができて」 オマケに食堂についた途端、トガリが笑いながら言ってくるモンだから、一発殴って黙らせようか……と思ったが、今日はあいにくそれをする気も失せちまった。 「きき昨日はキノコたくさんもらったから、シチューをね、つつ作ってみたんだ。みみみんなたくさん食べてね」 予想通り……というか、女の方はまともな食べ方ができなかった。というか以前のチビといっしょだ。スプーンも手も使わず、直接口で皿に盛られたシチューをがつがつと食っている。 テーブルの向かいでそれを逐次メモしているルース。横目で彼女をちらちらと見ながら食べているアスティ……なんか異様な風景かもしれない。 「そういえば、彼女の名前ってなんなんでしょうかね?」 ふいにアスティが話しかけた。そうだな。よくよく考えてみたらこいつに関することって、名前すらも分かっていない。ただのオコニド兼マシャンバルの女としか。 「っていうかチビちゃんにすら名前付いてませんしね……ガンデのおやっさんってそういうことにかけては全然でしたし」 ルースの言うとおりだ。名前なんかなくたって結局通り名が今の名前に追いついちまった自分がここにいる。チビに関してもだ。町の人も特に本名を聞く奴なんて皆無だったし、こいつ自身が疑問持つくらいの年齢になったら、その時に決めてやるかなってくらいにしか今は思ってない。 「ティディ」突然、俺の隣で黙々と食っていた彼女が口を開いた。 「そ、それが君の名前なの?」 「あっちが、チビ。あたしは、ティディ」 ルースの問いかけには答えず、なぜか女はチビと自分とを交互にそう呼んでいた。 その言葉に、食堂が静まり返った。 「そっか。じゃあ君のことは、ティディって呼んでいいんだね?」 「ティディ、ラッシュ、大好き」ぐっとティディの奴が俺の腕を引き寄せてきた。なんだなんだ一体! 「やだ! おとうたんだいすき!」負けじとチビも俺の腕を引っ張ってきやがった、やめろ、こんな時に! そんなワケで、この瞬間からチビとティディの見えない戦争がはじまった。 終わり
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八百十三
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いけお
双子烏丸
2019年11月13日 23時19分
スギ
2019年7月25日 23時15分
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