どのくらい意識をなくしていたんだろうか。これほどまで重いパンチを食らうだなんて、親方のゲンコツ以来だ。 「おいおいラッシュ、このくらいでぶっ倒れるだなんてお前らしくないんじゃねーのか?」 ふと、意識の向こうで、わずかに聞き覚えのある声が聞こえた。誰だっけかなこの声……あ! 「……ゲイル、か?」 「はい、ご名答~!」ゆっくり目を開けると、そこは屋根もないボロボロの廃屋だった。そして…… 俺の前にいる奴、それはゲイルのようでゲイルじゃない、妙な姿をした大男だった。 いや、ゲイルはゲイルだ。獅子特有の顔中をぐるりと覆った長いたてがみに、大きめの鼻。と言いたいところだが、微妙に違う、いや全然違う! 「お、お前、本当にゲイルか?」しゃべるたび、口の中に鉄の味がする、切れてるなこりゃ。 たてがみに似たようなふわりとした長髪にあごひげ。しかしそこに生えているはずの毛はそれ以外なかった。人間特有のつるりとした、ほとんど毛の生えてない肌だ。 襲撃犯と同じ袖なしの革鎧を着たその身体にも毛は生えていない。むきだしの腕の外側と、脛に以前の面影を残すような長い毛がわずかに残っている程度。あとは人間と全く変わりがない。 「ああ、確かに俺はゲイルだよ、以前お前とちょこっと組んで仕事したな。けど今は違う」 「聞いたぞ、お前オコニドに亡命したっていうのは本当だったのか……?」着ている鎧はオコニドのもの。そう、やっぱり奴は敵に寝返っていたのか…… 「オコニド? ああ、あの国ね。確かに軍隊の装備はオコニドのものをまだ拝借してはいるが、もうあんな弱小国なんて存在しねえから」 存在しない? 一体どういうことだ。俺はそれを聞いてみた。 「お前、兵隊の仕事ばっかりで歴史の勉強もろくにしてなさそうだしな。まあいい。お前みたいな脳みそ筋肉野郎でも分かるようにやさしく説明してやるよ」 いや、そこに関してはこの前ルースがいろいろ教えてくれたからそこそこ大丈夫なんだけどな……なんて思いながら、俺は奴の話を聞いた。 つまりはこういうことだ。兄弟王のいさかいから生まれ、百年近くにわたる戦争をしていたはいいが、獣人を軍に引き入れたリオネングにオコニドはもはや崩壊寸前だった。 そして残された唯一の道、それは隣国のマシャンバル神国に助けを求めること。 だがしかし、それは容易な道ではなかった。 マシャンバルの王にして絶対神であるディ=ディズゥにオコニドのすべてを明け渡すこと。それが絶対条件。 オコニドは同盟を結んだといわれてはいるが、あくまで表向きのことだ。 そして、以後オコニドの歴史は闇へと消えた。 住民も、そしてオコニドの現王リューセル12世も。残っていたのはオコニドの土地とわずかな物資だけ。 すべては、マシャンバルに『吸収』されてしまったのだ……と。 「でな、リオネングにいたとき風のうわさで聞いたんだ。マシャンバルは俺たち獣人にとってもいいところだぞって。オコニドみたいな徹底された獣人差別なんて存在しない。むしろ俺たちを暖かく迎え入れてくれる国だとな」 「で、お前はあっちに亡命したわけか……」そういうこと、とゲイルはうなづいた。 「しかし、よくわかんねえのが……お前のその恰好。なんか皮を剥がされたみたいで、どうなってんだ?」 「そう! よくそこに気が付いたねラッシュ君!」と単にゲイルの顔が気味の悪い笑みに変わった。 「マシャンバルになんとしてでも行きたかったのは、実はこのためでもあったんだ!」 さあ、分かるかな? と、ゲイルは突然のクイズを出してきやがった。分かるかそんなの。 今のゲイル……獣人としての厳つさが消え、むしろ人間みたいな姿になっている。 ……人間? 人間⁉ 「お、おまえ、まさか人間に……⁉」 「ご名答! マシャンバルはな、俺たちを、いや、獣人をだな!」 突然、夜空に響き渡りそうな高笑いをした後、ゲイルはようやく言葉を続けた。なんだコイツの勿体ぶり方は。 「そうだ、俺たち獣人を人間にしてくれるんだよ!」 ゲイルはまるで自分に酔っているかのように、一人くるくるとダンスを始めやがった。おかしい。こいつ頭までどうにかなっちまったのか。 「ラッシュ君、マシャンバルは最高の国、いや神の国さ! こうやって俺を人間の姿にしてくれるんだからね」 そうだ、この違和感の正体……人間の皮だ。 「人間の皮でもかぶったみてえだが、いったいどうやって⁉」俺は尋ねた。 「そんな残酷なことはしないさ、マシャンバルで新しく大臣になられたラザラス大司教様の作られた秘薬に定期的に漬かるだけでこの通りさ! まあ最初のころは全身の毛が抜けたりして痛かったけどね。ラザラス様はまだまだ改良の余地があるともおっしゃっておられたし」 俺はもう一つ、気になっていたことを尋ねた。そう、森で戦った人間ともつかない謎の連中の事を。 「フフン、よくそこに気が付いたねラッシュ君。俺みたいに、獣人から人になれるのだったら……その逆もまた存在する。わかるかい?」 「人間を俺たちみたいにしたってことか……⁉」 「そういうことさ、これも同じくラザラス様の作られた秘薬でもって、俺たち獣人が生まれつき備えた感覚を人間に植え付けるのさ! まあこれも今は実験段階だがね」 獣人を人間に。そして人間を獣人にする……そんな薬を作り出したってことか。マシャンバルは。 「ラッシュ、思い出してごらんよ、リオネングで一緒に戦っていた時の頃を」 ゲイルはそうは言ってきたが、あいにくコイツとは一度しか戦場で肩を並べたことがない。しかも気が弱いのか、前線に出た瞬間に泣き出して逃げだしそうになりやがったし。そのとき俺は一発殴って…… 「獣人というだけで俺たちは人間どもから避けられ、煙たがられ、あまつさえ最前線にほっぽり出される始末さ。ひどいとは思わんかね?」 確かにそれは言えてる。マトモな待遇なんて一切されなかった。だけど俺はこの拳で乗り切ってきたがな。うるさい連中は殴って黙らせた、中にはそのまま動かなくなった奴も結構いたけど、それはそれで好都合だったし。 「もうちょっとで俺は念願の人間の身体になれるんだ。そうすりゃもう人間の社会へも行けることができる、誰も俺を獣人だとは言わないし思わないしな」 ゲイルのその考えが歪んでいるように思えてきた。差別されたからって、その差別する側の存在になるって……? 「ラッシュ、お前もマシャンバルへ来ないか? 友としての俺の紹介で、すぐにでも受け入れてもらえるさ、それに……」 それに、なんだ? 「お前も人間にならないか? 俺みたいに人間になって幸せになろう!」 俺の心が揺らいだ。確かに人間の身体になること、それは人の生活にも難なく溶け込めるってことかもしれない。しかし…… 「なあラッシュ。ディ=ディズゥ神王に忠誠を誓えばすぐにでもお前はマシャンバルの国民になれるんだ、さらにはこの身体を生かして軍を率いることだって……いや、すぐ将軍にまで上り詰めることが可能だ。獣人の力を持った人間と人間の姿を持った獣人……わかるか? マシャンバルは新しい人間を作って、リオネングを……いや、世界を征服して、より良い、差別のない自由な新しい世界を創り上げようとしたいんだ! みんな幸せになれる新しい世界なんだぞ!」 ゲイルは俺に延々と力説した。言いたいことはわかる……わかる、が、なぜか同意できねえ。 人になることがそんなにいいことなのか? 自分を変えてまでこれからを生きていくことが、それほどまでに夢だったのか? 今の自分じゃダメなのか? すべてを捨てて、また新たな自分を生きる……新しい世界を創る。そこに幸せとか自由はあるのか? 教えてくれ、親方……どうすりゃいいんだ。 その時ふと、親方が最後に言った言葉を思い出した。あの宿題って言葉のことを。 ゲイルが言っていることは正解なのか? いや……俺は、俺の自由っていうのは……! 俺は立ち上がって、ゲイルに答えた。 「おっ、ラッシュ決心ついたか。俺と一緒に……ってグハァ!!!」 まずはそのムカつく笑顔に一発パンチを見舞ってやった。さっき殴られたお返しも含めて。 「なぜだ! なぜ殴るんだ!!! 最高の条件じゃないか!それのどこに不服があるっていうんだ!」 吹っ飛ばされたゲイルは、だらだら流れる鼻血を押さえながら俺に言ってきた。ほんとうるせー野郎だな。 しかしお前の言う理想論は最高だということはわかった。 だけど俺は……今の俺には俺の姿が俺にとって一番最高の俺なんだ。 だが説明するのはややこしいだけだし、とりあえずいつも通りこの浮かれ調子のバカを殴って黙らせたかった。 「おめーの顔がなんか気に食わねえんだよな」 これで交渉決裂だ。けどなんかスッキリした。
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いけお
理緒
星川ちどり
2019年8月14日 9時10分
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