「おーい、ラッシュ!」はるか下の方から聞き覚えのある声がした。ジールだ。 よく見ると、左手でチビを抱えている。 かく言う俺はというと、自身の部屋が雨漏りしてきたので、屋根に上って応急補修をしているところだった。 別に、雨が垂れ落ちてくるくらい俺は一向に構わねえんだが……どうもチビの奴がトガリに話してたらしい。ああ、俺がいないときに。 そしてトガリはというと、俺の部屋はチビ以外誰も入ってこれないくらいの、例えるならばゴミ置き場に勝るとも劣らないくらいの場所だ。それに雨漏りなんかしたら部屋の価値が下がるしカビも生えるよって、珍しく俺に向かって怒ってきた。 「チチチビもラララッシュの部屋で寝てて苦しくない?」って聞くのだが、ううんぜんぜん。といい返事。 俺が風呂とか行水したところって一度も見たことないし、だから人が寄ってこないんだよって相変わらず余計なことを付け加えるモンだから、仕方なく一発殴った後に屋根を補修することにした。 さて、肝心のジールは一体何しに来たんだか。 「いいニュースだよ、久々に仕事の依頼が来たの!」って、ひらひらと俺に紙切れを見せてきた。 「おとうたん、おしごと!」チビもジールに倣って俺に呼びかける始末。 ちょうど仕事もひと段落ついたことだし、と下に降りてジールのもとへと向かうと、あいつの身体から妙な匂いがしてきた。 鼻の鈍い俺でもわかる、花の香りのような。 「なんか変な匂いするな」と尋ねると、香水っていうんだよってくすっと笑いながら答えてきた。 ジールは基本的に斥候やら事前の偵察やらと、裏で活躍する仕事が中心だった。要は女性らしい、こういう香りのするものを生まれて以来一度も付けたことがないっていう話だ。 だから思い切っていいやつ買ってみたんだ。合うかな? なんて聞いてくるもんだから、とりあえずいいんじゃねーのかとは答えておいた。 「……ま、ラッシュにはこういう女ごころっていうのはまだまだ難しい世界かな」と、軽く溜息一つ。 じゃない、仕事だ、それより仕事のことを教えろ。 読んであげるね。とジールが言いおえないうちに、俺は紙切れを取り上げて読んでみた。 さて、ルースの教育の成果を見せてやるか。俺はジールの前で、紙切れに書かれている文章を読み上げた。 「え、ちょ、ラッシュ、あんた……」やっぱりだ。ジールの顔がみるみる驚きの表情に変わってきた。 そう、ジールはここ1か月くらい俺のとこに来なかった。つまりは俺とチビがルースに読み書きを教わったことも知っているわけがない。 まあ見てなって、と意気込んだものの……きちんと読めたのは最初の1行だけだった。 「村、に……まがい、ほしい」 やばい、ところどころ読めない! ジールの溜息二つ。やっぱり彼女が読んでくれることとなった。 「ルタールの廃村に、ここ半月余りの間にオコニドの残存兵が集結しているとの情報が入ってきたの。奴らは隣の村を襲ったりと、盗賊まがいの行為もしているらしいわ。でもってうちらギルドの腕の立ちそうな連中を募って、連中を追い出してほしいと」 なるほど、以前ルースが言ってたな。オコニドの連中はまだ撤退していない。散り散りになってゲリラっぽい活動をしていると。 「まだまだ勉強が必要ね。っていうか誰が教えてくれたの?」その問いに、俺は今までの経緯を説明しておいた。 へえ、珍しいわね。だなんてジールが言うもんだから、俺はどういうことだと尋ねてみた。 「あいつが人にものを教えるだなんて。よっぽどラッシュのことが気に入ってるのかもね」 なんでもジールが言うには、ルースと初めて会った時、とても近寄りがたい雰囲気が漂っていたとか。 例えるならば、うん、トガリの言うところの戦場帰りの俺の姿みたいなものか。 怪しげな色をした液体の入った、大小さまざまな瓶が並ぶ部屋で、だれとも会うことなくルースは何年もの間毒物の研究を重ねていたとのことだ。 「あたしが無理やり外に出してやったの。そう、ラッシュに会った時のようにね」遠くを見つめながら、ジールは続けた。 「ほんと変わりモンだったよあいつ。髪は伸び放題だったし、なんか一段上からあたしたちを見下してるような話し方だったし」 ふと、溜息三つ。 「まあね……ルースも自分トコのお家事情だなんだかんだでいろいろあったから……っと、それは置いといて。読みに関してはまだまだ勉強不足ね、百点満点で3点ってトコかな?」 うるせーな全く。 なんだかんだでもう一か月以上は経つだろうか。いや、もっと行ってるか? ってなワケで、俺は久方ぶりに裏庭の練習場に出て練習を始めた。 というか、練習というか訓練。訓練というか鍛錬だな。 思い出す……親方が俺の身体づくりのために、いろいろ試行錯誤して編み出したメニューだ。 人間の連中だとまずは素振りとかで身体を温めたりするが。俺はそんなクソだるいことは一切しない。 長槍の先に結び付けた、俺の体重以上に重たい砂袋。それを水平に持ったままでスクワットをする。 しかしやっぱり……久しぶりなので腕の筋肉が悲鳴を上げる。ヤバいな、ガマンガマン。 その後は巨大な岩の塊を肩でずっと押し続けたり、指だけで倒立したり……そうやって俺の身体はここまで育ってきたんだ。 練習場の奥にはちょっとした小川が流れている。澄んだきれいな水だ。時たま巨大な魚も泳いでたりして、トガリがそれを採って蒸し物にしたりとか。あれもトガリの料理の中では絶品クラスだ。 だけど俺はこの川が嫌いだ。というか、水に濡れるのが大嫌いなんだ。 「お前すっげぇ汗で毛がガビガビだな! よっしここで身体洗え!」って、親方は、俺がまだ小さいときに、半ば強引にこの川に投げ込んだんだ。 無論、泳げない俺はさらに深みにハマって溺れかけ、生まれて初めて死の恐怖を味わった。 ああそうだ。後にも先にも死ぬって感覚を味わったのはこの時だけ。以来俺は『身体が濡れる』ということ自体がとにかく苦手になっちまった。 それが原因で風呂嫌いだとか臭いとかさんざん周りから言われているが、俺はそんなのちっとも気にしたことはないし、自身が臭いとも感じたこともない。 そう、チビもしょっちゅう俺が抱えているが、一度もそんなこと言った覚えなんてないしな。要は臭ってない、そういうことだろ? あー、そういや最近トガリの魚料理って食ってないなあ。ずっと肉ばっかだな。なんて思いつつ、俺は親方直伝の鍛錬メニューを終えた。 ジールの持ってきた依頼書によると、明後日の晩にここを出るとのこと、今回はリオネングの兵士も含む十数人ほどの少数精鋭で向かうとのことだ。馬車で一昼夜の距離だ。そして暗くなった頃に夜襲を仕掛ける……うん、俺に言わせれば、正直かなりシンプルな作戦だ。これならあっという間に終わっちまうだろう。 そうだ、メンツといえば……全然ゲイルを見てなかったことに俺は気づいた。 「そういや、最近ゲイルの姿見ないな、トガリ知ってるか?」って厨房で支度をしているトガリに聞いてはみたものの、俺と同じくここんとこ全然との返答を頂いた。 ギルドの仕事引退したのか? ならもっと早く俺に打診してくれたっていいものを。 それとも以前俺が思いっきり殴っちまったり、戦い方が弱腰だからって怒鳴ってしまったことを未だに根に持ってたりとか…… いや、その可能性は低いな。 あれこれ考えを巡らせているうちに、チビが怪訝そうな顔で俺の顔を見つめてきた。 ヤバい、今にも泣きそうな顔だこれ。 「おとうたん、でかけちゃうの?」やっぱり……な。 「ちょっと俺は仕事に行ってくるからな、お前はトガリとジールで……」 案の定、轟音にも似た鳴き声が食堂中に響き渡る。 「やだやだやだやだやだ! おとうたんでてっちゃやだ!!!」小さなチビの両拳が、俺の硬い太ももをぱしぱしと叩く。 痛くもなんともないが、やっぱりこの鳴き声との複合技は俺の精神的には良くない。 「だ・か・ら、すぐ帰ってくるって言ってンだろ! 大丈夫だから、な?」 「やだやだやだやだー! おとうたんといっしょにいる!」いや無理だ、お前にあんなトコ見せたくないし。 でも……チビって、俺に出会う直前は戦場にいたってことだろ? 隣にいた人と逃げていたのか? それとも…… 俺と初めて出会った時のことをもう一度思い返してみた。そうだ、チビの隣にいたあの骸…… あいつは一体誰だったんだ? チビの親か? それとも人買いだったのか? 俺は、俺たちはチビのことを何にも知らない。そしてこれからも、だ。 いつか、チビの故郷を探したり、家族を探したりする日が来たりするのか? そして、こいつも大きくなって、自分のことに疑問を持ち始めて…… 俺はしゃがんでチビを目線を合わせた。こうでもしなきゃこいつは泣き止んではくれないし。 「じゃあな、いいか、教えてやる。本来の俺の仕事は……ッが!」 思いきって俺の仕事のことを言おうとした途端、脳天に一撃が走った。 「バカなコト言うんじゃないってラッシュ。まだチビは血なまぐさいこと理解できる年齢じゃないでしょーが」やっぱりジールか。むくれた顔で俺を見つめている。 「いい? ラッシュ。言葉で言い表せないときは、こうやって抱きしめてあげるの。ぎゅーっと」 そういってジールは、しゃっくりの止まらないチビの身体を両手でしっかりと抱きしめた。 「この子はさ、何も知らないんだよ……人の愛情とか。ううん、あたしたちも同じ生き方してきたけどさ」 溜息四つ。 「この子には、同じ思いをさせたくはない……だからさ、言葉の代わりにあたしたちの体温でしっかり教えてあげるんだ」 ささ、ラッシュもやってみて。って言葉の通り、俺はチビの身体をしっかり抱きしめた。 「力入れすぎて、チビの身体ペッちゃんこにしちゃダメだよ」ってジールの言葉に、厨房の奥から『ぷっ』とトガリが吹きだす声が聞こえた。 いい度胸してやがる。あとでボコボコにするからなトガリ。 抱きしめてしばらくすると、俺の胸に伝わってくるチビの小さな鼓動が少しづつ落ち着いてきた。 「ジールと一緒にいい子にしてるんだぞ」「う、ん……」耳元でチビのかすれそうな声が聞こえた。 さて、どうにかチビも落ち着いた感じだし、斧の手入れも全然だしで準備しなきゃな……なんて思った時だった。 「そそそそうそう、ルルルルースから手紙がきききてたんだよラララッシュあてに」と、トガリは丁寧に封蝋で閉じられた手紙を俺に渡してきた。 ラブレター? バカ言うなとどうでもいい冗談をジールと交わして、俺は一人訓練場の大樹のもとで手紙を開いてみた。 内容は……まだ勉強不足な俺でもどうにかわかる、簡単かつ丁寧な字で一言。 『ゲイル の ことば は しんじるな」 なんだ……これは⁉
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塩谷さがん
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みずのえ
いけお
星川ちどり
2019年7月31日 18時26分
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