ルースのやつが俺を教育してやるだなんて言ってきやがった。しかもチビと一緒に。 「うっわー、ゴミ溜めみたいな部屋だなあ…よくこんな場所に…ぐはっ!」 いつも俺はトガリの作る朝食の匂いで目を覚ます。基本的にオレの部屋へは誰も入れさせない。唯一の例外がチビだけだ。 戦場では常に気を張ったまま眠っていた。夜襲に対応できる意味も、もちろんある…… が、最大の敵はすぐ回りにいる、自称「仲間」だ。 理由は聞かなくても分かるだろ? 寝首をかく奴らはみんな獣人を毛嫌いしている連中か、オレを倒して名声でも欲しい奴か。 そんな毎日だったから、自分の住処でもいつもと違う起こされ方をされると、意識のほうが勝手に動き出すようになっちまったというわけだ。 「ラ、ラッシュ…さん、なんで…」小さいルースの身体は、俺の無意識の蹴りを食らった衝撃で、ものの見事に部屋の向かいの壁にめり込んでいた。 っていうか、突然俺の部屋に入ってきたお前が悪い。 「あ、トガリはもう明け方早々に仕事に出ちゃいましたよ。なんでも今日は店の掃除もしなきゃいけないって言ってたんで」 そっか。トガリは近所の食堂のコックに正式に決まったんだっけか…… しかし何故ルースがここに? 朝から調子崩されて訳がわからねえ。 「トガリ喜んでましたよ。あそこのマスター、寡黙だけどいい人で、うまいメシ作れりゃ人種なんて関係ないって。なもんですから、美味しいご飯作れるトガリは一発採用されちゃいましたしね」 トガリのいない厨房で、時間が経って冷えたスープに火を入れながら俺は聞いていた。テーブルではチビがパンを黙々と食べている。どうも俺に似て大食いっぽいな。 ルースの話だと、トガリの作る煮込み料理が絶品だとかで、早くも町では評判になってるとか。 確かにな。俺も、そして親方だってトガリの料理は残したことがなかった。 美味いとかそういう次元じゃないんだ。口に運ぶたびにさらに腹が減る……みたいな、無限に食える気がするんだ。あいつのメシは。 で、本題に戻ると。 「これ、なんて読むかわかりますか?」 と言ってあいつは一枚のなにか書かれた紙を俺に見せてきた。トガリが自分の爪で書く独特の筆跡だということは分かるが、読み書きを知らない俺にはさっぱりだ。 「ですよね。読めないですよね。でもそれじゃマズイんです」 あいつは矢継ぎ早に質問を浴びせかけてきた。向かいの店の看板には何が書いてあるか。リンゴの今日の値段は? さらには俺の名前を書いてみろと言われたら…… さて、どうする? 「これからは世界もようやく落ち着きを取り戻します。そうなると私もラッシュさんも今みたいな仕事はなくなってしまうのですよ。としたら我々は別の働き口を探さなきゃならないのです。その点、トガリは私たちの中では一番利口です。だけどラッシュさん!」 ルースは台所のカウンターから身を乗り出して、俺と顔を突き合わせてきた。 「あなたはその馬鹿力以外に、なにか特技がありますか?」 ……無論、俺にはそんなこと、答えられるわけでもなく。 「はい、殴られるのを承知で断言します。あなたには何もありません。要は無能。無芸大食なのです。そんなことじゃこれからの世の中渡って行くことは不可能に近いのです」 普段ならここで数十発はこいつを殴りたい気分だったんだが、今は何故かその拳にさえ力が入る気が起きてこなかった。 腹が減っていることもそうだが、こいつの力説することが全て図星だったからかも知れない。 「正直……」ルースは大きくため息をつき、続けた。 「おやっさんを恨みますよ……ラッシュさんに戦わせる事以外、まともな教育をさせなかったあの人に。確かに戦士育成の面にかけては天才的でした、が、その他においては人並み以下のマネジメント能力しか持ちあわせてませんでしたからね……」 ルースは寂しそうな目をして、最後に付け加えた。 「ラッシュさん、あなたがこの世界で一番の被害者かもしれません」と。 「というわけで、今日から私がラッシュさんとチビちゃんに読み書きを教えまーす!」 なんか今日はこいつやけに強気だ。俺も圧倒されてしまうくらい。 ルースの奴が言うには、読み書きこそが人として最低の教育ラインらしい。今からでも遅くはない、それにチビも一緒に学べば相乗効果で更に俺の頭は良くなる…んだとか。 「これから私がいる間は、毎朝の食事の後に読み書きの授業を行います。私が先生ですからね!」 そう言ってルースは誇らしげに自分の胸をドン! と叩いた。 読み書きの勉強か…そんなの今まで親方から一度も教わってこなかったな。なんて考えながらパンを頬張っていると、一番最初に食事を終えたルースが、持参してきた大きな肩掛けカバンの中から、何やら黒い板切れを取り出してきた。紙はまだ貴重だから、チョークと黒板を使って勉強するとのこと。全く面倒くさいことになってきやがった。 「るーすおべんきょするの?」チビがたどたどしい言葉で尋ねた。 「いや、チビちゃんがお勉強するんだよ、お父さんと一緒にね」 「おとうたんといっしょー!」チビがいつものように満面の笑顔で俺に抱きついてきやがった。 「あ、そうそうラッシュさん、最初に一つだけ言っておきますが…」 ルースは俺へと向き直り、ニヤリと不敵な笑みを浮かべてきた。 「分かるとはお思いですが、学力の面で息子さんに負けないよう頑張ってくださいね」 さらに俺の鼻先に、にやけた面を近づけた。 「そ・れ・と! 先生である私に拳を向けるのは言語道断ですので!」 勝ち誇ったかのような、まるで俺にガツンと言い聞かせてくるかのようなその口ぶり。 その日以来、ルースは妙に怖さを増してきたような気がした。 そしてチビはチビで、早速黒板に絵を描き始めている。 目付きが悪くて、白く塗りつぶした鼻の上にX印がある。 これは、まさか… 「できた! おとうたん!」 「よくできましたー、ラッシュさんそっくり!」 新しい俺たちの毎日は、こうして始まった。
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