ある獣人傭兵の手記

6話

 店を出て程なくして、俺の前に大きな建物と石造りの高い壁が見えてきた。  これが教会兼孤児院か…壁の向こう側ではたくさんの子供達の笑い声が聞こえている。そうだ、ここならチビだって楽しく行きていける。 「じゃあなチビ、ここでお別れだ」そう言って俺はチビの服の胸元のポケットへ、手紙と一緒に包んだ残りの銀貨を突っ込んだ。もちろん俺が書いたやつじゃない。昨晩ジールが書いてくれたものだ。  この手紙には、どこでこいつを拾っただとか、よろしくお願いしますだのの文が書いてあるらしい。 「ラッシュは結構口下手だしね、おまけに口より手が早いし」ってジールは言ってたな。  バカ言うな。理由もなく殴ることなんてするかよ。あと銀貨なんてどうするんだ、って聞いたら、やっぱりこういう時には、ある程度のお金がモノを言うんだってあいつは答えてくれたな。モノを言う…? お金ってしゃべるもんなのか? よく分からん。  さて、入り口の大きなドアの前には門番……なんて立っているわけがないから、俺はチビを置いてノックしようとした…が、何故かその手が動かない。どうなってるんだ?  このドアを軽く叩くだけでいいはずなのに、それだけなのに、なぜなんだよ!  俺は自分の拳をグッと睨み、問いかけた。 「このチビのためだろ! 俺なんかと一緒にいるよりいいに決まってんだ! そうじゃないと、そうでないと、チビは、こいつは…」昨日、初めてチビを目に止め、胸に抱いた時と同じ鼓動が、そしてその奥をギュッと締め付けられるような奇妙な感覚が、また俺に襲ってきた。息までつまって来そうだ。  なぜだ…ドアをノックして、そのまま後ろを振り向かずに帰るだけでいいだけなのに。大したことないだろうが、簡単だろうが、なのに手も足も動いてくれないんだ。石にでもされたかのように、全身まで動かなくなってきそうなんだ。  まるで、チビから離れるなと俺の身体が言ってるみたいに。  地面に足の裏がひっついちまったみたいに、寒さでヒザが凍りついたみたいに動いてくれない。  いや平気だこんなの。初めて剣持って戦場に出た時の軽い緊張と変わりないじゃねえか。深呼吸して、ゆっくりと手足を動かしてみろ、そうだ、その調子だ。大したことないだろ。ただの緊張だ。それが長く続いただけなんだから。ゆっくり、ゆっくりと… 「おとうたん…」その緊張に追い打ちをかけるように、チビが話しかけてきた。今にも泣き出しそうな顔で。  よせよそんな顔。頼むからもうそんな目で、声で俺を呼ばないでくれ。 「やだ…」  え、何が嫌なんだ? 俺か? 俺と離れることがそんなに嫌なのか? 「やだ! おとうたんいっちゃやだ!」  おい…お前そこまでしゃべれるのかよ、だったら大丈夫だ、お前がそのドアを叩いて、中にいる人にお願いしますって一言言えばいいだけだ。だからもう、俺といたことは全部忘れるんだ。それがお前のためでもあるし、俺のためでもあるんだから… 「やだーーっ!!! おどうだんといっしょじゃなぎゃやだ!!!」動かない俺の手をギュッと握りしめ、チビは大声で泣きだした。すげえ声だ。耳だけじゃなく、頭の中の中にまでギンギン響いてくる。  なんで俺のことがそんなに好きなんだ。親でもないんだぞ、人間でもないんだぞ!?  そして耳をふさぎようにも塞げないそんな中、俺はふと口にしちまったんだ。今はもういない人のことを。 「親方…俺、どうしたらいいんだよお…」  親方…そうだ、そういや親方だって人間だったんだよな。それに俺が買われた時は、確かチビと同じくらいだったはず。  そうだ、今、チビは俺で、俺は親方なんだ。  忘れもしないあの日。親方が死んだあの時、俺はただ一人残されちまった、これからどうすりゃいいんだって…思い切り泣いたじゃねえか。叫んだじゃねえか。そうだ、今のチビと一緒だ。  そう思い返してみると、俺の口から無意識にぷっと笑いがこぼれてきた。そうだったよな、俺だって親方がいなくちゃなんにもできなかったんだ、俺はずっと、この歳になるまで親方しか見えてなかったじゃねえか。そしてチビ。こいつは昔の俺そのものなんだ。考えを変えるんだ  俺が、こいつの親方になるんだ。  新品の服を涙でぐしょぐしょにしながら、チビはひっくひっくと声をしゃくりあげている、泣きまくって声も枯れ果てたようだ。  さっきの思いと一緒に、俺の緊張もようやく解けてきたようだ。そしてまたその腕で、俺はチビを胸に抱きしめた。 「悪かったなチビ…戻ろうか」  空を見上げると。陽の光が少しだけ傾き始めている。  トガリのやつ、今晩はなにを食わせてくれるのかな…

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