ある獣人傭兵の手記

3話

「ラッシュさん、ラッシュさん?」  俺の隣で、また聞き覚えのある声が聞こえてきた。  けど今度は親方じゃない、この声はルースだ。 「ラッシュさん…なんで泣いているんですか?」  その声に俺はハッと気づいて、自分の頬を触ってみた。  熱い水が流れている…ああそうだ、これって確か涙って言うんだっけ、親方が死んだときにも、俺の目からたくさん流れてたな。でもなんなんだよ一体、なんで俺、こんなとこで涙流してるんだよ!  しかも、全然止まらないじゃねえか。  俺はすぐさま食堂を飛び出した。  胸の中に、恥ずかしいような、悔しいような、それでいて言葉に表せないようなものがたくさん詰まって、今にも叫びだしそうな気分に駆られた。  そして、俺の足は無意識に、離れにある大木の元へと向かっていた。  草ぼうぼうな広場の真ん中に、大きな木がドンと立っている。俺たちが日夜身体を鍛えている場所……いわゆる修練場だった所だ。  もっとも今は言うまでもない。それに「俺たち」じゃなく「俺一人だけの」場所になっちまったし。  みんなの前で泣いていたってことがすごく恥ずかしかった。ルースやジールに、俺の涙なんて。それになぜチビの前で、親方のことなんか思い出しちまったんだろう……って。 あの時、確かに俺がいたんだ。今はもう散り散りばらばらになって、もしくは戦いの中、死んでしまった仲間が、周りでメシを楽しそうに食ってて、腹を空かせた小さな俺がいて、そしまだ年を取ってなかった親方がいて……  毎日ここで打ち込みをしていた。どんなに天気が荒れていても。おかげでこの幹には俺の拳の跡が今でもクッキリと残っている。  俺はそこに向かい、そして無心で殴り続けた。この町じゃ一番の古木だ。俺が何発も叩こうがビクともしねえ。無論、今の俺の力でもだ。 生い茂っている葉っぱが、少しづつ散っていくだけ。  とにかく今は、頭の中から全部消し去りたかった。  殴り続けているうちに、自然と口からクソとか畜生とか、様々な言葉が漏れてきた。それがだんだんと叫びへ、声が枯れるまで、延々と。 どれくらい殴り続けたか分からない。だが急にヒザから力が抜けた。  ガクッと崩れ落ちて、ようやく今、自分がやっていることに気がついた。 息が切れて、両拳がズタボロになって血を流している、そんなバカをやっちまったことに。  そんな時、ふと俺の肩に暖かくて柔らかい何かが触れた。 「やっぱりここだったか」ジールの声だ……背中越しにわかる。でもあいつの手ってこんな感触だったのか。 「驚いたよ、いきなり涙流しちゃうんだもん」 その言葉に、俺は何も答えを返すことができなかった。というか、どう返していいか分からなかった。 「まだ、泣いてんの?」 そうだよジール、お前の言うとおりだ。こいつ、どうやって止めたらいいのか分からないんだ。 「しょうがないにゃ。ほら、これでどう?」  あいつの細い身体が、ぎゅっと俺の背中を抱きしめてきた。 柔らかく暖かい……こんな不思議な感触、生まれて初めてだ。 「ジール、おい……」 「なにも言わないで、目を閉じてて」 耳元でささやくジールの声。  突然、俺の目の下にあいつの吐息が……いや、唇が触れてきた。  身体よりもっと柔らかい、だけどちょっぴりザラついた、舌の感覚と一緒に。 「!!!」 反射的に俺の身体があいつから逃げていた。いきなり舐めるだなんて⁉︎ 俺の顔を、涙を⁉︎「ちょ⁉︎ おおおお前ななななんだよいいいいきなり!!!」  俺はその時、破裂しそうな胸の鼓動を押さえるのに必死でトガリのような口調になっていた。  しかしそんな俺の動揺にもかかわらず、ジールは俺に対して悪戯っぽい笑みを浮かべていた。 「ね、涙、止まったでしょ」 「え、あ……」  そう言われて、ようやく気付いたんだ、あれが止まっていたことに。  ずっと流れるままだった、涙が。 「お前……だだだからってななななめることねえじゃんか!こんなモンなめたってきき、汚ねえだけだぞ!」俺の口からはもう、すぐにでも心臓が飛び出てきそうだった。  あの時初めてチビを抱いた時のような、どっどっどっと高鳴る胸が、言葉と一緒に出そうなくらいに。 「汚くなんかないよ、ラッシュの涙は、あたしが知ってる人の中じゃ誰よりきれいだよ」  そう言ってくすくす笑うジールの口の端に、八重歯がチラッと輝いていたのが見えた。  あいつがこれだけ笑うのなんて、俺は初めて見た気がする。 「誰だって、いい思い出も辛い思い出もたくさん胸にしまって生きてるの。その思い出で涙を流せるラッシュは、誰よりも心がきれいだよ。あたしは信じてる」  激しい鼓動はもう、不思議と元に戻っていた。  そして今度はジールの指が、俺の頬をギュッとつねって引っ張ってきやがった。 「痛てぇ!」一体何のお仕置きだって思いつつも、俺は叫んだ。 「ほら、笑いな。ラッシュ」 ニコニコしながら俺の頬をぎゅうっと引っ張ってくる、めちゃくちゃ痛い。でも俺、まともに人前で笑ってためしが無かったかもしれねえ。 ……思い返してみると、戦いの場じゃ笑顔なんて必要ねえし。  しばらくして、頬を引っ張っていた手が離れた。 「ハァ……強情だねえ。女の子が笑ってるときは、どんな時にでも合わせるのがマナーなんだよ」  ウソだ、そんなマナー聞いたことねえぞ……とは言うものの、親方くらいとしか話し相手いなかったけど。 「あたしの前では笑わなくてもさ、あの子の前では笑顔くらいちゃんと見せるんだよ」  ジールは今度は真剣な顔で、俺に面と向かい合わせてきた。 なんなんだこいつ、笑ったり、マジな顔したり。 血のにじんだ俺の拳に真っ白なハンカチを巻きながら、あいつはまたつぶやいた。 「あの子、寂しかったんだからね……ラッシュと同じくらい。ううん、それ以上にね。だからニッコリしてあげなくちゃ、お・父・ちゃ・ん?」  またその言葉か!  結局、ジールに引かれるままに俺はまた食堂へと戻っていった、だけどまだ正直気まずい。 「大丈夫だって。気にしないの」 ジールはそう言うけれど。だけどいきなりトガリやルースに笑われたりしないだろうかと不安で胸の中はいっぱいだった。 「あわわわ、ラッシュさん心配してたんですよ、いきなり外に飛び出しちゃうもんですから……」  戻るなりルースが早口で出迎えてくれた、悪かったな、すまんって俺らしくない言葉を言いつつ、とりあえずまた席についた。 「ラッシュ…なな悩みがあるのならぼぼ僕にでも相談してくくくれてもいいのに」 トガリが心配そうな顔で、蒸しなおしたジャガイモをテーブルに持ってきてくれた。  ルースはまだまだなにを考えているかわからないやつだが、トガリはまだ別だ、このギルドに残っていてくれている最後の仲間だし。 「悪い…ちょっと昔を思い出しちまってな、とりあえず外でたらスッキリしたわ」 大木に打ち込んでたらまた腹が減っちまった、さて食いまくるぞ……と思ったら、俺のシチュー皿の上に、ニンジンの角切りがこんもりと盛られてやがったんだ。  ああ、犯人は一人しかいないのはわかってる。だけど心配させちまった迷惑料だ、これくらい食ってやるよ。なんて思いながら、俺は何も言わず黙々とニンジンまみれのチャウダーを口にした。  ……ニンジンって煮ると柔らかくて甘くて美味しくなるのにな。  さっき以上のペースで杯目をおかわりしたところで、今度はいきなり目の前に小さなスプーンが突き出された。  ……チビだ。テーブルから身を乗り出して、俺にあのゲロ臭い粥を差し出している。  俺の鼻先に出された、一さじの粥。こんな鼻でも一応、臭いものは臭いんだよな……一気に食欲が失せちまった。しかし、なぜチビがこれを? 「この子がお父ちゃんに食べてもらいたいんだって」チビの隣にいるジールが説明した。  冗談じゃねえ、俺にこれを食えと⁉︎ そう言い返そうとした矢先にも、ジリジリとスプーンと俺の口との距離が狭まってくる。 いやだいやだ、こんなもん食わされてたまるかってんだ! 俺は席を立って避けようとした……んだが、チビと偶然目があっちまった、不覚だ。  あいつ、相変わらずの笑顔で俺を見つめていたんだ。  そしてとどめに「おとうたん、ねっ」ってあの粥を、俺の、口に……  何なんだあの笑顔は、まともに見ちまうと、身体の自由が効かなくなってくるような、こいつの言うことは聞かないとヤバいみたいな…… そうだ、魔力ってやつだ、なんかチビの笑顔にはそれがありそうな気がしてならねえ。それに俺はまんまとかかっちまったってことなのか…… こいつの顔を見ちまったらダメなんだ、それに目を合わせたりでもしたらもう…… 俺の口にむりやりねじ込まれたミルク粥、案の定、俺の嫌いな煮詰まったミルクの匂いがして、正直食いもんかと思えないくらい、クソ不味かった。 「ほら、ラッシュ、笑って」 それに追い打ちをかけるかのように、ジールが言ってきた。 「息子から出されたものはちゃんといい顔して食べなきゃダメだぞ」  そうか、さっき言ってた笑えってこういうことだったのか!  吐き出しそうになるのを無理やり飲み込んだ。 これはもう拷問じゃねえか、これで笑えっていうのか⁉︎ 「おいしい?」たどたどしい言葉でチビが問いかけてくる、もう目が避けられない。誰かに押さえつけられてるわけでもないのに、何故か体が動かない。 「頑張ってくださいラッシュさん」ルースが小声で応援してきた、いい度胸じゃねえか、あとでニンジンのお礼含めてたっぷり殴ってやるからな。俺は心の隅でそう決心した。  さっきジールに引っ張られたところ……つまりほっぺたを、口の端を、強引に無理やり引き上げてみる。 笑ってるのか俺、笑顔になれてるのか俺……って思いながら俺は左右を見渡してみた。 ジールも、ルースも、ゲイルも、そしてトガリも、みんなニヤニヤしながら俺の方を見つめている。この悲劇を楽しんでいるのか、それともエールでも送っているのか…… だけどチビだけは、変わらない顔で俺の顔だけをじっと見続けている。  あの時、初めてこいつの姿を見た時とは比べ物にならないほどの、曇り一つ無い笑顔で。「お、おい、しい……な」胸の底から声を絞り出し、俺はチビに応えた。   笑顔っていうのはこれほどまでに難しくて、だけど、人から向けられると何故かそれに応えなくちゃいけない。不思議なものだっていうことを、俺はその日イヤというほど思い知らされた。  そう。あとちょっとの辛抱だ。 決めたぞ。明日このチビを孤児院に渡せば、またいつもの生活に戻れる、我慢だ……我慢。  でも、そんな明日が、生涯忘れられない一日になろうだなんて、今の俺には全然見当がつかなかった。

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