みなさん、こんばんは~☆
あまりにもマニアックな随筆が続いているので、別の話題にしようかとも思いましたが、とりあえず高校生編を終わらせてしまいます(*^^)v
---★恋愛
思春期の高校生生活、特に共学ともなれば、=恋愛と言い換えても過言ではないのでは??
私に限らず、友達はほぼみんな恋愛していました。それは素敵なことですよね。
恋愛は自分の新たな一面を知る事ができると思うし、それまで自分のことしか考えてこなかったのが、初めて他人というものの存在について・気持ちについて真剣に考えることになる機会だと思うのです。
他人を思いやれる、自分が成長する、社会の一員になるための、足がかりの一つではないでしょうか。
私は中3で同じクラスだった男の子と半年付き合って1年生の10月に別れた2ヵ月後、縁在って2個上の男バスの先輩と付き合いだしました。
私はチャリ通学で自称「チャリラー」でした☆
家から学校まで約3キロほどの道のりを、ママチャリで、ぶっ飛ばして約13分くらいで行っていました。途中信号待ち、十字路の確認も含んでの時間なので、実質は10分で時速18キロくらい。
先輩の家が京王線の方でしたので、学校からその人のお家までチャリで飛ばして約30分、私の家との距離も同じく30分でした。良く遊びに行きましたが、とにかく自転車をこいでいた記憶があります(笑)
それまでは同い年の人としか付き合ったことがなかったので、年上の人付き合うのは新鮮でした。
その人とは結局約1年半ほど付き合って、たくさんの影響を受けました。
私が部活を辞めるかどうかで悩んでいる時も、私のループする悩みを散々ぶちまけるのですが、いつも投げ出さずに聴いてくれて、アドバイスをくれました。お互い忙しい合間をぬって、イロイロな所にお出かけしました。初詣は深大寺に行って除夜の鐘を鳴らしたり。バイトでの悩み(モスのお店が春が近くなってもコーンスープのポスターのままだとか、トイレの便器が割れているのに全然治そうとしないとか…)もたくさん聴いてくれました。
相手のほうはは自分が年上だから、年下の彼女に対して「こうあらねば」というがあったみたいですね。。そう、ケンカなんてなくて、いつも私が機嫌悪くするのをその人が怒らずになだめてくれるばかりでしたから。。
まあ、そんな関係が上手く続くはずがありません。何しろ、彼の方の負担が大きいですからね。
今の私でしたら、まだ分かります。でも当時の私には分かりませんでした。
3年生になり、4月の上旬にあったピアノのコンサートに、その人は聴きに来てくれました。会が終わったあと、吉祥寺で二人でご飯を食べ、家の前まで送ってくれたとき。事件は起こったのです!!
家の前まで送ってくれたら、一瞬何やら不穏な空気が流れる。あれ、なんか神妙な顔をしている…。
イヤな予感はするものの、ピンとこない。私はそこで、別れ話をされました。つまり、突然フラれたのです。上手くいっていたと思っていたのに…。ピアノのコンサート終わってほっとしたところで…。あれ、ということはピアノに集中していた私の心を乱さないように気を遣って、前から言おうと思っていたんだけれど、今日まで待ってくれてたんだな。そう気が付きました。
私は脳貧血を起しそうになりながら、彼の話を聴いておりましたが、別れを告げる彼の方が罪悪感にかられたのか、話ながら彼が泣きだしました。。^_^; おいおい、泣きたいのはこっちだヨ。。。
その時はどのようなかんじで話を終えたかよく覚えていませんが、家に入って、両親はすでに寝ていましたから(お兄ちゃんは常に深夜に帰ってくるのでいない)、リビングで独りになったら我慢していた涙がボロボロ出てきてパニックに陥りました。それで親友に電話して、ほんの少しだけマシになって何とか寝たと思います。
それから2ヶ月ほどは、私にとって辛い暗黒の日々でした。毎日溜め息ばかり。相手はすでに大学2年生になっていました。“やっぱり高校生と大学生じゃ世界が違うのかな。私じゃもう物足りないのかしら。”それで、とりあえず大学生に負けないくらい大人っぽくなろう!と思って、手始めに雑誌「CamCan」を買う。それでファッションを真似してみたり、藤原紀香メイクを修得したり、ヘアスタイルもパーマをかけて少し大人っぽくしたり、一生懸命やってみました。
でもまあ、結局復縁は無くて。諦めたものの、私はどうしたものかと。あまりにも辛すぎたので、思い切って“とりあえず誰か別の人と軽い気持ちでいいから付き合っちゃえば、気持ち切り替えられるかな。忘れられるかな。”そう思って即行動。
別の高校に進学していた、中学からのくされ縁の男の子友達がバンドをやっていて、ライブに2回くらい観に行っていました。そのバンドのドラムをしていた男の子とPHSの連絡先を交換していたのですが、そこでインスピレーション。授業中でしたがお構いなし。机の下で懐かしの“Pメール”を送信しました。「私と付き合わない?」
夜に、友達と遊んでいた彼から電話がかかってきました。「ホント~?!マジ~?!」私は少しヤケになっていましたので、ある意味マジ。向こうの話を聞いてみると、なんと相手も私と同じような状況で、付き合っていた彼女にフラれたばかりだと言うのです。私たちはお互い、勢いで付き合うことになりました。
はじめてのデートは…土日かなんかの夕方に吉祥寺のフレッシュネスバーガーでおしゃべり。吉祥寺駅まで彼を見送る途中、ダイヤ街を歩くときに私から「手でもつなごうか」と言ってみる。…でもいざ手を繋いでみると正直、違和感は存分にありました。そりゃそうです。特に好きというわけでもなく「とりあえず」的なかんじでしたし、それまで友人としての交流なんて一切なかった、いわば初対面に近しい人といきなり手をつないだって、特段喜びも感じません。でもまあ、こんなもんか。
さて、その人とはどうなったかと言うと。「とりあえず、重くない気軽なお付き合いを」で始まったものの、結局大学2年生の4月まで1年10ヶ月ほど付き合いました。
付き合って半年くらいした時には、向こうが元カノがやっぱり好きかもと言い出しまして、別れの危機がありました。半分以上別れた(フラれた)ようなものでしたが、すでに本当に好きになっていた私は必死にがんばり続けました。相手が心地よいと思う存在であるよう頑張れば、必ず気持ちは戻ってくると。友人にも随分励ましてもらい、助けられました。
そんな大変な最中に卒業文集の締め切り日が突然やってきたんですよ。その人とのことで頭がいっぱいで、それ以外何も考えられなかった私は、もちろん“高校生活を振り返って”みたいな文章を書くことは到底できず。書けない書けないどうしよう。。しょうがない、ちょっとイカレてるけど、その人に宛てた手紙なら書ける。と思って、切羽詰って書きました。
なので、高校の卒業文集では「○○へ」という手紙になっていまして…。とてもとても恥ずかしい代物で、目もあてられません!(笑)今では何とかネタにはなりますが、赤面してしまいます。
自称「チャリラー」。その人と付き合っている時も、バイトが無い日は学校が終わったらその人の家まで自転車で遊びに行っていました。学校からその家まで約10キロ弱、ぶっ飛ばして45分くらい。帰りは自分の家まで8キロほどを30分くらいで帰ってました。
彼のウチに遊びに行って、自転車をぶっとばして風に吹かれまくりながら帰る女子高生。。
なんだか青春映画になりそうですね…(笑)
そういうわけで、同じ学校の同学年の男の子とはご縁があまりなかったので、付き合いは浅かったですね~。その辺は、もっとみんなとも親しくしていれば良かったなあと、今になって少し後悔しています。
私の頭の中はいつも、その場の学校のことに在らず、他のことで埋まっていたので、まわりの人からしてみたら、ちょっと壁があったかもしれません。
この2人目の人からもたくさんの影響を受けました。彼はバンドをやっていたので、一番大きかったのは、音楽。私はクラシックにしかあまり興味が無く、たまにcharaとかミスチルを聴くくらいでしたが、彼なりにいろんな邦楽を教えてくれましたし、ドラムを練習しているのを眺めるのもたのしかったし(部屋にエレドラがあったので)。可愛らしいケンカもしましたし、何かあったらお互いを励ましあったりしていました。…まあ、優しい方でした。
その後の恋愛についても同様ですが、皆々様があって現在の私という人間が形成されていることは間違いなく、その実感も存分にありますし、その時々の出来事・感情は多々ありますが、何にせよ、私と向き合ってくれた時間があったことを心から感謝しています。
---★ピアノ
ピアノは辞めざるを得ないかもしれない危機を乗り越え、バイトで自分で稼いで結局ずっと続けていました。ピアノに通わなくなったのは、大学3年生の4月でしたので、約16年間習いました。
さすがに高校生まで続けていると難しい曲も弾けるようになり、この頃思い出深いのは、ショパンのエチュードをいくつかレッスンしていたことです。
中学生くらいまで、「私は本当にピアノが好きなんだろうか?やりたいんだろうか?」そういう思いがつきまとっていましたが、高校生くらいになってやっと肩の力が抜けてきて、やっと、本当にやっと楽しめるようになりました。そして、素敵な曲のメロディーに自分の多感な思いを込めて弾いていきました。
「ピアノ、大変だったけど、とりあえずここまで続けてこられて良かったなあ」…そう思えて、報われました。
バイトのやり過ぎで忙しくて、練習がサボりがちになってきた部分もありましたが、高校生になってたくさんの出会いやコミュニケーションがあって、バイトで社会を知って、自分の世界が広がったおかげか、ピアノと自分の距離感というのが掴めたのではないでしょうか。
そういえば、私はどちらかというと何でも自分で考えて自分の意志で物事を決めたいほうでしたので、小学生、中学生の頃から早く大人になりたい、せめて早く大学生(成人)になりたいと思っていました。年齢が若ければ若いほど、コミュニティーも限られるし、金銭的な制約も多いし、自由が効かなかったから。もちろん、自由であることは反対に守ってくれないので、自分がリスクを背負わなければならないのは承知です。それでも、世界を広げたかったのです。
大人になんかなりたくない!ずっと子供のままでいたい、学生でいたい、そう思う人もいる中、私のように考えるのは多分少数派だと思いますが、いかがでしょうか。
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最後に“ヒロスエ”なんですが。高校生の頃は、私が広末涼子ちゃんに似ていると、大フィーバーでした(笑)今でもたまに言ってもらえるんですけどね^_^; 今でこそ褒め言葉として有り難く頂戴しますが、当時の私は自分の個性というものを大事に思っていたので、自分をないがしろにされているようで、似てる似てると言われすぎるのにウンザリしていたものです。だから、自分もヒロスエは可愛いと思うものの、なんだか複雑…みたいな(*^_^*)そんな感じでした。
だから自分の高校生時代を総括すると…「え~っと私が高校生の頃は~…。あ~、ヒロスエに似ているとすごく言われていたなあ。」それに尽きます!え~、そんなんかい!
でも、ピチピチしていていかにも若いという感じの可愛らしいあの頃。もうその時は戻りませんし、逆に戻りたいとも思っていません。けれど輝かしいのは確かです。語りだせばキリが無い。なので、そんなのを全部ひっくるめて表現するには、案外相応しいフレーズだと思いませんか?
以上、伴野恵みの高校生時代、目出度く終了。(完)
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