平民金子『ごろごろ、神戸。』(ぴあ株式会社)「未読」レビュー
あの「ごろごろ、神戸」が本になる。大変な出来事である。なにがどう大変なのか、多くの言葉を費やしたい気持ちもあるし、「必読です」のひとことで済ませたい気持ちもある。かれこれ2年以上前、神戸市のサイト上で連載が始まった直後から周囲の友人知人たちのあいだでは話題沸騰で、誰かと会うたび「ごろごろ、読んでます?」と口にしていた。連載開始の翌々月に神戸市須磨区で行われた音楽イベント「須磨浦山上おんがく祭」では、「平民金子さんがきてますよ、ほらあそこに」「えっ、ごろごろ、の!?」といった噂ばなしをするほどだった。関西圏、特に神戸に暮らす人たちのあいだでは、もう長らく「必読です」状態が続いていた連載なのだ。「ごろごろ、」のはるか以前からweb上で平民金子の名を知らしめてきた「はてな」の存在すら知らなかったひとたちのあいだでも、だ。2015年の3月に平民金子が神戸に引っ越してきた以前と以後で、私たちのまちの見え方と、まちを語る言葉は何かが変わってしまったのだ。
なぜ冒頭に「未読」レビューとしたかというと、この文章を書いているのは本の発売前で、とうぜんながら私は本のページをめくっていないからだ。正式な発売日は2019年12月10日。連載時の文章はweb上でいまでも読むことができる。以前、関東圏に住む友人に「神戸市のサイトで連載されているエッセイが素晴らしくってねえ!」と話しても、いまいち反応が鈍かった。正直なところ、もし私が友人に「○○県XX市のサイトに面白いコラムがあるんだよ、アドレス送るよ」と勧められても、すぐに関心を向ける自信がない。「あとで読むかあ」とブックマークしたりスマフォでwebブラウザのタブを出しっ放しだったりtwitterでfavっておいて忘れたり、我々の生活はとっくにWebページへのリンクまみれだなのだ。
そこへの書籍化である。もうやたらにurlを貼り付け引用符にまみれたメールを送らなくとも、「これすごくいいんですよ、あげるわ」と本を手渡すだけでよいのだ。誰かが書店に寄った際に「そういえばこの、ごろごろ、っていいなと書いてたひとがいたな」と、並んでいる本の中から手にとることがあるかもしれない。
2016年3月、〈十数年住んだ東京から神戸に引越して一年がたった〉という一文から始まるエッセイ「ごろごろ、神戸」がWebメディアSUUMOタウンに掲載された。その後、神戸市広報課サイトに2017年5月から2018年4月まで「ごろごろ、神戸2」連載全48回。同サイトに2018年5月から2019年4月まで連載された続編「ごろごろ、神戸3」全24回。それらに大幅な書き下ろし原稿を加えられたかたちで書籍化される。
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さて、いわゆる「タグ」というものがある。キーワードを列挙して、宛先のない手紙・DM・広告入りティッシュ・小荷物を世界に放つかのような、その名の通り荷札、タグ。「ごろごろ、」の文章中には主に神戸市の土地や店の名称が数多く出てくるけれど、神戸、兵庫、関西から遠い場所に住むひとへ向けて、本、音楽、映画、作家名などに絞って列挙してみた。やたらにタグがついたInstagramの投稿みたいなものだ。これが誰かのドアをノックするなら、ノックされたひとは書店で「ごろごろ、ひとつ」と言えば良いのだ。では、並べてみる。荷札だ。
「寅次郎紅の花」(男はつらいよシリーズ最終作)、おかあさんといっしょ「ブンバ・ボーン」、ブラタモリ、登尾明彦『湊川を、歩く』、山之口貘「存在」、豊田和子『記憶のなかの神戸』、金子光晴、大泉黒石、ジャック・ケルアック、アレン・ギンズバーグ、アンパンマン、佐野由美『路地裏に綴る声』、陳舜臣『神戸ものがたり』、東海林さだお『ショージ君の青春記』、吉村昭『月夜の記憶』『味を追う旅』、成田一徹『新・神戸の残り香』、中上健次、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』、舟崎克彦『雨の動物園』、ジュール・ルナール『博物誌』、ライスシャワー(競走馬)、ボブ・ディラン、友部正人、遠藤賢司、いましろたかし、仁科邦男『犬たちの明治維新 ポチの誕生』、岸田國士『犬は鎖に繋ぐべからず』、多和田葉子『百年の散歩』、『ムークのせかいりょこう』、コルソン・ホワイトヘッド『地下鉄道』、『ドラえもんのび太の海底鬼岩城』、ブラインド・ブレイク、トミー・ジョンソン、スキップ・ジェイムス、スリーピー・ジョン・エスティス、ブラインド・ウイリー・マクテル、ビッグ・ビル・ブルーンジー、中川敬、レッドベリーが歌う『ミッドナイト・スペシャル』、木村紺『神戸在住』、林芙美子『放浪記』、みうらじゅん『「ない仕事」の作り方』、雑誌『酒場人』第2号(スズキナオとパリッコによるチェアリングについての記事)、『孤独のグルメ』、『いっとかなあかん神戸』、『深夜特急』(未読)、ルイ・アームストロング「What A Wonderful World」、森本アリ『旧グッゲンハイム邸物語』、ヴァン・モリソン『Listen to the Lion』『Fair play』、川西英『神戸百景』(より『平野終点』)、成田一徹『新・神戸の残り香』、ガサキング、青木玉『帰りたかった家』『小石川の家』、藤子・F・不二雄『劇画オバQ』、渋谷毅、平尾剛『近くて遠いこの身体』、。藤子・F・不二雄『パラレル同窓会』、中島らも『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』、『釣りキチ三平』(本物の釣りはした事がない)、『ならず者』(主演:高倉健)、長野重一『香港追憶』、『諏訪山動物園ものがたり』、草野心平、小津安二郎監督『東京暮色』、フェリーニ『アマルコルド』、『きのう何たべた?』、『アナと雪の女王』、西村しのぶ『サードガール』、『ミッフィーのぼうけん』。雨宮まみ『東京を生きる』、tofubeats、沢木耕太郎『旅する力』、阿部共実『月曜日の友達』、『恋狂い』(加藤彰のロマンポルノ第一作)、『金子光晴のラブレター』、「大四畳半惑星の幻想」(『銀河鉄道999』より)、「満月の夕」(中川敬、山口洋それぞれのバージョン)、『東京暗黒街・竹の家』、深沢七郎、エリック・ホッファー………。
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まだ読んでます? それともノックされたけれど居留守を? では続けよう。現在でもweb上で読める「ごろごろ、」連載時の各回から、私の個人的な体験とリンクしたものを抜き出してみる。あいだにグダグダとした私の自分語りが入ってしまうが、「ごろごろ、」は読んだ人の年齢や状況によって読後感や着地点がひときわバラバラになるエッセイなのではないか、そういう懐の広さがあるエッセイなのだ、と思っているから、意識して自分の体験、主に子供と暮らす生活の部分と照らし合わせて書くようにした。
想像してみる。25歳の人物、東京都三鷹市にひとり暮らしで、本と音楽が好きで、休日には街に出て知らない路地を歩く。その人が「ごろごろ、」を読んで「いいナァ」と想う箇所は私とは違うのではないか。
〈千円のライスカレー〉(ごろごろ、神戸2「第18回 ライスカレーの夢」)かもしれないし、〈ありえたかもしれない人生〉(ごろごろ、神戸2「第7回 私の東京」)かもしれないし、〈ライバルに対していっそ消えてしまえと願うどす黒い感情〉(ごろごろ、神戸2「第25回 届かない感じ」)かもしれないし、〈探したいのは魂というほどの、大げさなものではない。ただ美しい景色を見たり、自分が生きているのだという事を考えたりするだけで体が熱く、呼吸が早くなってしまう〉(ごろごろ、神戸2「第48回 海に帰す」)、〈三十代の半ばくらいから、私は自分自身について考える事をヤメにしたかったので〉(ごろごろ、神戸3「第4回 日々」)に感銘を受けるかもしれない。神戸という街に思い入れがあるひとも、きっと私とは違う箇所で「いいナァ」と想うはずだ(どなたか神戸在住のひとは神戸人視点のオススメレビューをやってくださいな)。
前置きが若干長くなった。以下に引用したフレーズに何かしら引っかかる部分があるとしたら、リンク先のエッセイを読んでほしい。我々の生活はとっくにWebページへのリンクまみれ、ではあるけれど、それでもリンクから飛んで読んでもらえると嬉しい。
・「ごろごろ、神戸」
連載時の各回から、私の個人的な体験とリンクしたものを抜き出してみる……などといいつつ、「平民金子の写真」への私見から始めようと思う。「ごろごろ、」の初回を読んで写真に驚愕したのを覚えている。街を撮っている、人ごみを撮っている。そこに写るほとんどの人が背中を向けているか影で顔が隠れているのだ。巧妙に、意図的に、慎重に、おそらくはとても時間をかけて何枚もシャッターをきっている。以前に「はてな」で、平民金子は自身の顔写真を投稿していた。自分の顔を撮る、というのは、他人の顔を撮ることへの恐ろしさからやってくる。街角ですれ違う他人の顔を勝手に撮影するストリートスナップへの違和と畏怖、他人を撮るということが、はたしてなんであるか掴もうとする行為が自分の顔を撮るということだ。
今夏に開催されたトークイベント(岸政彦 × 平民金子「ごろごろ、大阪・神戸」『図書室』(新潮社)刊行記念)にて平民金子の写真のいくつかが、プロジェクターで壇上に投影された。撮った写真を見ながら話をするという企画だった。対談相手が街中で撮った洗濯物の写真が映し出される。住宅のベランダに干されている洗濯物は被写体として魅力的なことに私は同感である。「洗濯物いいよね!」という対談相手に、平民金子は「人の家の洗濯物を撮ると何かを盗んだ気持ちになる」と即答した。そして、2時間のイベント中に何枚も映し出される自身の撮った写真についての「ここが良いんですよ!」「ここ、ここを見てください!」という自賛の言葉をついぞ発しなかった。ひとっことも。映し出されていた写真は、カメラを構えた際に誰もが脳裏に浮かべる構図や光の具合などといった「意図」から逃れきった写真たちだった。これ良いなと感じそれを撮るという動機への徹底的な恥じらいに基づいた美しさを湛えた写真たちだった。のうのうとカメラをブラ下げて歩く、おめおめと構図を決めてシャッターを切る、撮った写真のうち、出来と不出来を切り分ける、その不純さと闘って……いや、違うな。その不恰好さを「どうにかしようとしている」のが、私にとっての平民金子の写真だ(ここんところを意識してweb版「ごろごろ、」連載に掲載された写真をみてゆくとまた違った視点が生まれます。おすすめです)。これは余談。平民金子がweb上に公開する写真では街の風景や台所の様子がお馴染みだが、人物写真も素晴らしいのだ。あるイベント会場でたまたま同席していて、少しのあいだ私の子を見てもらっている際に、数枚の写真を撮ってもらったことがある。首から下げてた小さいコンデジで小さな子のめんどうをみながら撮った写真、それが抜群に良いのだ。「なんだこの野郎、こんないい写真撮りやがって……さすがだナァ……」と腹がたつほど良いのだ。
前述のトークイベントで平民金子は「ごろごろ、」での自身の文章を「写真にもたれかかってる」とした。エッセイの冒頭や文章のあいだに写真が収まるかたちでのレイアウトが故に、文章と写真がお互いに補完しあっていることを指しての発言であろう。書籍版の『ごろごろ、神戸。』は文章途中に写真を掲載せずページ構成するため、その「もたれかかってる」と本人が感じている部分を大幅に書き直したという(曰く、あたらしく書き下ろす部分のほうがはるかに時間がかからないほど書き直しは難航したそうだ)。
・ごろごろ、神戸2「第3回 なだらかな起伏を駆け上がる」
〈過去のない風景に子供は立っている。それは私がいくら追いかけても、追いつけそうにない場所だった。〉
私の生活に子供という存在が参加して2年ほど経った時。ある日突然、自分が「この物語の主人公ではないのだな」という感覚が強く生じたことがある。私はバカボンでもムーミンでもなく、バカボンのパパでムーミンパパなのだ。せいぜいが『Zガンダム』に出てくるアムロやシャア、ジョジョ第3部に出てくるジョセフ、続編にチョイ役で登場する前作の主人公なのだ。なんて話をしたら平民金子は「遅いですよ、ははは」と笑っていた。
・ごろごろ、神戸2「第4回 市バス7番に乗って」
〈育児というのは百人百様の苦労の中で、それぞれがそれぞれの孤独と隣り合わせだ。そして子育てはねたみやひがみ、嫉妬との戦いでもある。なぜあの人はうちと比べて恵まれているのか。なぜあの人はラクをしているのか。なぜあの人は、なぜあの人は…。私もそのような感情とは無縁ではない。〉
お気づきだろうか。「ごろごろ、」では全編を通じて「うちの子は○歳なのにこれができる」「園でいちばん足が速い」といった類の記述がいっさい無いことを(「偏食」「寝ない」はある)。1歳、2歳、3歳、4歳、加速度的に成長する年齢である。一緒に生活していると日々の更新がある、それを描きたいし言いたくなる、自慢したいわけではないし比べたいわけではないけれど、ただただ嬉しい気持ちがある。子供との生活について語ると、どうしたってその嬉しさは漏れてしまう。でも「ごろごろ、」には、意図的にそうしているのか、著者がそういうことに照れがある人物なのかはわからないが(実際には、どちらも、だろう)、周囲の他の子よりも「できない」分野のある子の親御さんが目にして苦しくなってしまう記述がほぼないのである。
・ごろごろ、神戸2「第7回 私の東京」
子供との生活や住んでいる土地での出来事を主軸に据えたエッセイ「ごろごろ、」。だが、時折そこには留まらない文章がある。2019年4月に神戸市垂水区塩屋で開催された写真展『平民金子展「ごろごろ、神戸。」もうひとつの世界』にあわせてつくられたZINE『ごろごろ、神戸。B面』において、この回は〈私なりの『東京を生きる』への回答を書いてみる。という、大げさな目標から始めたけれど〉(引用者注:雨宮まみ『東京を生きる』大和書房)と書かれている。『ごろごろ、神戸。B面』は、これまでZINEを入手できたひとのみが読めたが、ZINE版で書かれなかった部分も新規に執筆されて、書籍版『ごろごろ、神戸。』に収録されるとのことだ。
・ごろごろ、神戸2「第11回 「あんぱんまん」」
べての言葉が宝石のような回だ。事実、やなせたかし「アンパンマン」がTVアニメになって以降、乳幼児と暮らしたことのある多くの人にとってあのキャラクターたちは、ある時期の人生の記憶と共にある。それを〈振り返った先にある日々の記憶〉に着地させる。脱帽である。
・ごろごろ、神戸2「第14回 メリケンパーク、行くのがめんどくさい問題」
〈満員でゆずってくれる人もおらずベビーカーのハンドルを握りしめながらいつまでも乗れないエレベーターも、荷物だらけの状態で目にする「ベビーカーはたたんでお入り下さい」の表示も、わざとぶつかってくる人も狭い道で舌打ちしてくる人もなく、メリケンパークは私たちを広々と無条件で受け入れてくれる。〉
・ごろごろ、神戸2「第20回 須磨海岸でゴミを拾うこと」
〈道端に置かれた飲み残しの缶や煙草の吸い殻、以前にはたいして気にもとめなかったものが、小さな子供を歩かせるにあたってはすべてが危険な障害物になってしまう。〉
〈若者が数人しゃがみこんで、しらけた様子でこちらを見ている。そのしらけた視線はかつての私が持っていたものだ。〉
〈ゴミを拾っていると、誰がこんなものを捨てたんだろう、なんて事を考えてしまいがちだが、それは巡り巡って、かつての私が捨てたのだと思えばよい。〉
子供を連れてまちを歩くようになってからは、ひとりで気ままにまちをブラついていた頃とは、見える風景がいくぶん変化した。保育園や公園の入り口にある「こども飛び出し注意!」の看板、何台か並ぶエレベーターのひとつにある「優先」の文字、電車内の「車椅子・ベビーカー スペース」、駅やビルにあるスロープ。恥ずかしい話だが、私は二十代の頃、それらがまったく目に入っていなかった。いまの私は電車内で席を譲ること、駅でみかけた白杖のひとに「なにかお手伝いできることはありますか」と話しかけて一緒に歩くこと、などに躊躇しなくなった。若い頃は一切できなかった。ある晩に、そうすべきだと考えたのではなく、まったく自動的に変わってしまった。たぶんどこかのタイミングで知らぬ間に(髭面の)宇宙人に連れ去られチップを埋め込まれたのだと思う。
・ごろごろ、神戸2「第23回 「母親」を半分引き受ける」
〈世間の目は、育児に関わる父親にはすこぶる優しい。〉
〈父親の育児評価は0点が基本からの加点方式なのに対し、母親の育児評価は100点が基本からの減点方式なのはなぜなんだろう。世の中は、母親に対して厳しい目を向けすぎなのではないだろうか。〉
〈私たちは、育児に関しては父親であることよりも、「母親」という大役をいくらかでも分担する事を考えた方がいいんじゃないだろうか。〉
もし近々、親になる予定がある男性は、この回と、本人『こうしておれは父になる(のか)』(イースト・プレス )とは、読んでおいた方がいいかもよ。余計なお世話だ、って言われても(私なら間違いなく言うだろう)、いちおう伝えておく。
・ごろごろ、神戸2「第24回 雨の動物園、台風の夜」
この回は掲載されているのがすべて白黒写真である。昨今のデジタル画像はカラーで撮っておいてもスマフォ内ですら簡単に白黒写真にできるが、平民金子は「白黒の写真は、最初から白黒設定で撮ります」と、それが当然のように言っていた。RAWデータからの現像などもまったくしないという。この回はエッセイというよりも小説として書かれたものではないか、と想像する。ちなみに「新潮」誌2019年11月号では平民金子の小説が掲載されている。ごろごろ、神戸3「第8回 保久良山」では掲載写真はパートカラーである。その意図を探るのは楽しい。モノローグに徹したかのような文体の、ごろごろ、神戸3「第15回 ミナイチ・エレジー」も写真がすべて白黒だ。
・ごろごろ、神戸2「第25回 届かない感じ」
〈それは当時の私が親友に対して抱いていた身勝手な屈折、あこがれや憎悪そのもので、結局私は自分自身が抱える「届かない感じ」を持て余し、それを身勝手にライスシャワーに重ねていたにすぎない。〉
〈自分の人生の「届かない感じ」にケリをつける事。〉
ライバルであり嫉妬の対象であり同時に友人であった相手がいたことのある、その相手がいなくなったことのある、そんな人に読んで欲しい回。
・ごろごろ、神戸2「第29回 すべり台」
子供が〈急に大人びたような表情でこちらを見ている〉時に、これまで頑なに「子供」と書いてきたエッセイでの初めての表現が登場する。〈彼女は〉。この回の掲載直後、著者に「性別がわかる表現をはじめて書きましたね」と問うと、「そうですか?」と、とぼけていた。その後にこんな会話をした。
私「オトコノコ向け 、オンナノコ向け、プリキュア/スーパー戦隊、青/ピンク ……TV番組や服など、なるべく男女の文化の違いみたいなものを意識させないようにつとめてきたつもりだったんですが、何割か、何%か、やっぱり性質があるんじゃないかって感じてしまうことがあって」
平民「ぼくは以前はゼロだとおもってましたよ」
私「ゼロ!? 完全に文化の影響でってことで?」
平民「うん、100%後天的なものだと、思っていました」
・ごろごろ、神戸2「第32回 キラキラ」
〈私は幼い子供を連れていると、全身が過敏な粘膜のようになってしまい、善意に対しても悪意に対しても極端に感応してしまう。〉
街を歩く人がどうしてようがどうでもよかったというのに、私が生まれて初めて見知らぬ他人へ殺意に似た感情を抱いたのは、ベビーカーを押していたときだった。この〈全身が過敏な粘膜のように〉という感覚はとてもよくわかる。最後の段落に書かれたような出来事に救われた経験も何度かある。
・ごろごろ、神戸2「第35回 「迷惑」の置き場所」
〈10年ほど前、私は東京の下町路地を巡りそこで生きる野良猫たちの様子を写真に撮っていた。インターネットで発表すればそこそこの評価が得られ、私はつかのまネコ写真家にでもなったようなうぬぼれた気分を味わっていた。〉
〈野良猫の「かわいい」だけをスポイルして都合良く消費している。そんな自分の写真に嘘くささを感じて、私は野良猫にカメラを向ける事をやめた。〉
自身が撮る写真についての平民金子の視点がよくわかる回。
・ごろごろ、神戸2「第38回 冬の水族館」
〈私たちは普段外に出ると無意識のうちにさまざまな感覚を駆使して外界を認識しているが、幼児を連れているとその感覚はすべて彼ら彼女らのために捧げられる。以前なら、何かおもしろい物件でもないかしらと自由に動き回っていた視覚も、今は四方から自転車や車が飛び出して来ないかと子供のためだけに使っている。〉
子を連れているときに友人と会っていても「はあはあ、なるほどなるほど……あっ!そっちあかんで!」と、うわのそらである(すみません)。先日、週末ひさしぶりにひとりで外出して予定まで数時間の空きがあった際に、街中で勝手が違って何をしていいかわからなくなっている自分がいて笑ってしまった。駅のホームに降りれば目の前にエスカレーターがあるのにエレベーターを探そうとするし、ひとりで飯を食う店の見当をつけているというのに、ベビーカーを置くスペースがあるかどうかを目で探しているのだ。ベビーカーを押しながらの移動・食事・リラックスできる場所を探す大変さについては、ごろごろ、神戸2「第42回 大丸屋上で豚まんを食べるフェス」に描かれている。
・ごろごろ、神戸3「第5回 視線」
〈子供を連れている時、なぜ私は野生動物のように、周囲を警戒してばかりいるのだろう。何か言われないか、何か噛み付いて来そうな人はいないかとあたりの様子を探る。いつだって公共空間では「親がちゃんと子供を見ているか」をチェックされているような気がする。例えば、こけても手を貸さず、自分から立ち上がるのを待っている時。フードコートで子供が食べている横でスマホを見た時。電車の中でうれしそうに走るのをとがめなかった時。座席に上ろうとした靴の裏がシートに少しでも触れた時。興奮して、大きな声をあげた時。そんな時に見ず知らずの人から向けられる「ちゃんとしろよ」とでも言いたげな、親としての出来を鑑定されているような視線を感じた事のある人は少なくないだろう。〉
とにかく読んでほしい。私が2018年に読んだエッセイNo.1。
・ごろごろ、神戸3「第10回 いつまでもそのままで」
〈日本は災害が多く、建物には寿命があり、何事にもいつか必ず終わりが来る。そんな反論のしようがない正しさが、理屈としては理解出来るからこそ、「簡単に壊してくれるなよ」「さびれた市場がそのまま残っていてもいいやん」「神戸って今のままでめっちゃええ所やん」なんて気軽な事がなかなか言えず、とまどってしまう。〉
〈それでも、壊れ行く市場の片隅で「いつまでもそのままで」と小さく唱えたことを私は記しておきたい。〉
・ごろごろ、神戸3「第11回 なつかしさと、都合良さと」
〈古いものがそのまま残っている事に対するセンチメンタルな感情。いつまでもそのままで、変わらずにいてほしい。そんな気持ちを他者に託してしまう心のありよう。それは対象に対する、あまりにも都合の良いまなざしとも言えるのではないだろうか。〉
〈昔のほうがおもしろかったと遠い目で語ったり、「神戸らしさ」という言葉をたくみに使って、私は自分に都合良く街のイメージを固定化していないだろうか。それを常に問い続けること。そのような自戒と内省を忘れてしまうと、私の語る街の魅力は、ただの懐古趣味の、うわすべりした中身のないものになってしまう。〉
この2回は前後編のような回。生活者として思索し文章を書く、平民金子の生々しさ。建てられてから年月が経ち店舗の多くがシャッターを降ろした商店街、錆が浮いた看板、旧市街の人通りが去った道、そういった古さに「いい雰囲気だナァ」と安心し、再開発でチェーン店と家族連れが増えて一見どこにでもあるかのような顔になったまちを「情緒が無くなったナァ」と見限ろうとしたときに、読んでほしい。
・ごろごろ、神戸3「第18回 いつもよりあたたかかったので」
〈たとえうっとおしいやつでも、たとえ好きなやつでも、どんなやつであっても全部ひっくるめて世の中には誰にも侵害されてはならない個人の大切な日常があり、そういうのを全部、今このようなうだうだした思考を巡らせている私や、肩に乗っかっている子供も含めていきなり、挨拶もなしに、突然、根こそぎ奪ってしまうのが災害というものだ。みんなの怒ったり笑ったりつまらなそうにしていたりするなんでもない時間の連続が突然ぷっつりと〉
改行がない、意識の流れの回である。ラストで〈演奏が始まった〉のは、2019年1月17日、JR新長田駅前広場でのソウル・フラワー・モノノケ・サミットのはずだ。
・ごろごろ、神戸3「第19回 思い出すのは神戸のことばかり(神戸名所案内)」
〈JR・阪神元町駅前の巨大ベンチ〉〈センタープラザ〉〈高浜岸壁〉と、それ自体も秀逸な地域ルポが、いつしかフェリーニの傑作映画『アマルコルド』への巨大なラブレターと化す回。
・ごろごろ、神戸3「第23回 お金のハンバーガー」
〈他の場所でなら絶対に書かないが、公的な場所だからこそあえて使った表現もある。それは「子供や、何よりも子供を連れて毎日がんばっている親にやさしくしていこう」なんていう折れそうな言葉だ。〉
かき氷、ライスカレー 、恵方巻き、豚まん、中華冷や汁、鉄火巻、コロッケ、高菜炒め……と描いてきた「ごろごろ、」サーガ。最終回を前にして明確に言葉にされた想い。
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神戸という土地を舞台に書かれた平民金子「ごろごろ、神戸」を読んできて私が感じたのは、大上段な「ローカルから発信」でもなく、さりとて素朴な地元愛でもなく、「魂の漂泊者がたまたま神戸にいた」だった(そう感じるのは私が生まれた土地から遠くに離れてルーツのないまちに暮らしているからだろうか?)。
しかし、〈19歳になったばかりの私は震災が起こったその日の早朝、ニュースの速報を見て何も考えずに実家のあった東大阪市からママチャリをこいで神戸に向かった〉人物の魂が、子供と歩む新しい日常という「新しい記憶」を綴るのがこのまちだったのは必然だったのではないか。平民金子は神戸に移り住むきっかけとして、知人に誘われて遊びに来たまちの風景に〈すべてに興奮して毛穴が開いてしまい、遊びに来るだけじゃなくこの場所に住みたい〉〈どうせこのさき子供が生まれて生活が激変するのなら、環境ごとごっそり変えてやろう〉としているが、そこには何かしらの予感があったのではなかったか。
ごろごろ、神戸3「最終回 避けた小道」には、1枚だけ白黒写真が載せられていて、〈不在によってなおさらありありと心に浮かび上がる情景〉という文書が添えられている。
いまから11年前、2008年。当時、無頼派ブロガーとして名を馳せていた平民金子は、自身の文章と写真を〈最終的には一冊の本にしたい〉とblogで語っていた。つくりたかった連作のタイトルは「街海」で、宣言をした文章のタイトルは、「この街が好きなんや」だった。そして、約束は果たされた。
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圧倒的に「現在」──失われた(または失われつつある)まちの風景と、子供が過ごしてゆくであろうこれからのまちの風景、その「あいだ」──を描いてきた伝説的エッセイが本になる。大変な出来事である。書籍版『ごろごろ、神戸。』表紙写真は、エッセイにも幾度か登場する須磨海浜水族園(通称スマスイ)前の道沿いにあるオブジェだ。あの地域一帯で大々的に行われる予定の再整備事業の結果、このオブジェが残るかどうかは不明だ。
以上、子供を寝かしつけたあと、真っ暗な寝室にごろ(ごろ)りと寝転がりiPhoneのメモに何日かかけて書いた。リンクを貼ったり読み返したりと「めんどうだな、やめちまうか」と何度か思ったが、平民金子から少し遅れて私が小さな子供と過ごし始めた期間に「ごろごろ、」から貰ったものを確認するつもりで書いた。私の、その時期に、「ごろごろ、」があってくれてよかった。私は、平民金子『ごろごろ、神戸。』(ぴあ株式会社)を多くの人に読んで欲しいと心の底から願っている。その本には、まちを、ひとを、やわらかく、やさしくする力、ピース・ラブ・アンド・アンダスタンディングがあると思っている。会ったことがないどこかのあなたにくれてやるために2冊買おうかとも思っている。