登場人物
オババ:私の姑。カネという1573年農民の40代のアバターとして戦国時代に転生
私:アメリッシュ。マチという1573年農民の20代のアバターとして戦国時代に転生
トミ:1573年に生きる農民生まれ。明智光秀に仕える鉄砲足軽ホ隊の頭
ハマ:13歳の子ども鉄砲足軽ホ隊
カズ:心優しく大人しい鉄砲足軽ホ隊。19歳
ヨシ:貧しい元士族の織田に滅ぼされた家の娘。鉄砲足軽ホ隊
テン:ナイフ剣技に優れた美しい謎の女。鉄砲足軽ホ隊
古川久兵衛:足軽小頭(鉄砲足軽隊小頭)。鉄砲足軽ホ隊を配下にした明智光秀の家来
(前回のあらすじ:1573年、足利義昭が蜂起し信長は京へ軍を進める。アバターとなった戦国時代の母娘を生かすため兵隊になる決意をしたオババとアメリッシュ。鉄砲足軽隊として他の5人の仲間とともに明智軍古川久兵衛の配下で「槇島城の戦い」に参加)
織田信長の危機管理
1573年7月16日、足利将軍義昭が立てこもる槇島城前、五ケ庄に布陣した織田信長は宇治川を歩いて渡ると宣言した。
「ですが、お館さま、ここは川の流れが速い。兵が溺れ・・・」
「黙らぬか!」
話の途中で信長がかんしゃくを起こすのは、よくあることである。
「お前ら、腰抜けか、それなら、ワシが先陣を切る!」
こうなれば、もう誰も止められない。
信長が勝利してきた理由は、トップダウン方式の決断とそのスピードだった。
一方、足利将軍義昭が籠城する槇島城は、巨椋池(オグラいけ)にある天然の要塞、難攻不落の城として有名な場所。
直轄の兵を持たない義昭究極の最終兵器『将軍御内書』を、彼はあてにしていた。
義昭は各国の武将に、将軍の威信をかけて兵器を乱発した。
文字通りの「ペンは剣よりも強し」を地でいった。
それこそが彼の力であり、見えない権力であって、義昭はその力を心から頼りにしていた。
そして、時を味方にすれば、各国から助けがくる。あるいは、義昭、勝ちを意識したかもしれない。
地の利は義昭にあった。
時の利は信長にあった。
地と時の戦いで、どちらが勝つか、そこが勝負の分かれ目であって、二人の将は互いに、その勝負を理解していた。
信長は天下を意識して孤立し、そして、その基盤の脆さを配下の誰よりも理解している。いや明智光秀は理解していたかもしれない。秀吉の軍師竹中半兵衞もまたしかり。
が、しかし、秀吉は理解できなかった。
彼の言葉は『信長公は勇将であるが良将ではない』。
その理由が『ひとたび敵対した者に対しては、怒りがいつまでも解けず、ことごとく根を断ち葉を枯らそうとされた。だから降伏する者をも誅殺した』
信長は何度も許している事実を秀吉は捻じ曲げている以上に、時代の創造者たらんとした信長を理解していない。
新世界を創造するという、信長の世界観を理解できなかった。破壊することでしか、新たな創造はできない。その痛みの苛烈さに眉をひそめては誰も天下統一などなし得なかった。
そう、信長は痛いほどわかっていた。
この軍団を思うように動かすには、敵だけにとどまらす味方にも恐れられ、畏怖される存在でなければならないと。
そして、この義昭との勝負が大きなわかれ道であることを深く理解していた。
ここで負ければ反勢力を勢いつかせる。
天下に号令できる存在になって、周囲の戦国大名は危機を覚え、本気で信長を潰しにかかっていた。
鍵は足利義昭にあり、信長が7万人という大軍を集中させたのも、まさに、この戦いの重要性を痛いほど、深く理解していたからだった。
そして、将軍足利義昭も理解していた。
ここさえ守りぬけば、次の手が動く。槇島城の戦いが歴史上で忘れられたのは、信長の戦略が功を奏して大きな戦いにならなかったからだ。
しかし、
織田家臣のほとんどは苛烈な戦いに疲弊し、
ましてその下の下の下、足軽にとっては限界を超えるハードな戦いが続くだけで、ただ、無駄に死ぬしかなかった職場だった。
信長の配下は限界を超える働きを要求され、多くの血と涙を流した。
アメとオババ、川を渡る!
総兵7万人の兵だった。
宇治川を渡ると言って、すぐに準備ができるわけではないから。
鎧や武器などの荷物は船に積み込んで、実際に川を渡ることになったのは翌々日の7月18日だったんだ。
明け方。
最初の軍団が宇治川を渡りはじめた。荷物は船で運び、馬に乗って渡るもの、歩いて渡るもの、7万人の兵は2手に分かれた。
そして、私たちは息を飲みながら、川の流れを見つめていた。
「おトミ、泳げるか」と、オババが聞いた。
「いや、泳いだことはない。浅瀬ばかりなら、歩いて渡れるが・・・、ちょっと流れが速い」
トミは額にしわを寄せ、不安そうに返した。
農民として生まれ、働きどうしで生きてきた30年。水泳教室などなかったろうし、まして、プールで泳ぎを練習するような時代じゃないんだ。
武家に生まれていれば、武術としての訓練を受けたかもしれない。けど、私の仲間である5人は足軽に出世したばかりで、戦いの訓練もはじまったばかり。
「釣り好きのオジジが、川釣りは危険がともなうと言っていた」と、オババは皆を集めた。
「川を歩く時は上流から下流にむかって、少し斜めに歩いたほうがいい。槍を杖にして、そしてすり足で歩いていく」
「わかった」
「それから、気をつけて欲しいことがあるんだ。とくにハマとカズ」
ふたりは神妙な顔でうなづいた。
「足を取られて、水のなかで滑って転んでも、ぜったい暴れるな。いいか、じっとして水に体をまかせるんだ。わかるな」
「どうしてだ」と、トミが聞いた。
「顔さえ出ていれば、死ぬことはない。忘れるな。絶対に死なない。だから暴れるな」
オババはふたりの手を取った。
「ハマ、暴れない」
「そうだ。いい子だ。もうすぐ、私たちの番がくる、ゆっくり渡るぞ」
川の中腹では腰まで浸かり兵が進んでいる。背の低いものは胸まで浸かっていた。
ハマたちの身長では顔まで水がくるかもしれないんだ。
泳げないものが浮くことは難しい。
私はハマを見た。決死の覚悟で水面を見ている。
「怖いか」と、聞くと返事をしない。
「おい、おめえら、そこのちっこいの」と、横から声がかかった。
小頭の古川久兵衛が立っていた。
「こいつら二人が川を渡るのは無理だろう」
「ここに残すのか」と、私が聞いた。
「いや、そらあ、まずいからな。ほれ、連れて来たぞ」
彼の背後に、筋骨たくましい男たちがいた。
「てめえら、こいつらだ。渡してやれや」
「おお、嬢ちゃんたちか」と言うも早いか、いきなり2人の荒くれ者がそれぞれハマとカズを肩にかついだ。
「ほら、お前も担がれていくか、なんなら、俺が担いでやるぞ」と、久兵衛が笑う。
「いいです。自分でいけます」
「そうか、その意気だ、行くぞ、生きて向こう岸につけ、いいな」
久兵衛は背後に声をかけた。
「古川鉄砲隊! 川向こうまで、競争じゃ。誰が一番乗りか」という声の先に、ハマとカズを担いだ男たちは、すでに水に入っていた。
「ワシじゃ!」
私も先に進もうとしたとき、オババが止めた。
「アメ、ここの勢いに飲まれるな。死ぬぞ」
「オババ」
「トミ、我らは、無事に渡ることだけ考えよう」
「ああ」
一番大柄なトミを先頭に、ヨシ、私、オババ、そして、最後にテンが続いた。
岸辺近くの水はスネのあたりしかなかったが川底はぬるぬるして滑りやすい。徐々に水かさが増していくと、流れの勢いもました。
「オババ!」
「ああ、流れが早いな」
すり足で進む。
少しずつ、少しずつ、
前へ、前へと、流れに逆らう。
先をゆくトミとヨシから少し離れた。
水面が胸あたりを超えた頃だろうか、
視界から、急にヨシの姿が消えた。
と、バシャバシャと大きく波立つ。
腕を回して水面に這い上がろうと暴れているのだろうが、顔が出ない。
足を取られたのか?
一瞬だけ必死の形相が水面に浮かび、また、消える。
「ヨシ! 騒ぐな!」
オババが叱咤した。
私は彼女の腕を取ろうとして、そして、同様に滑ってしまった。
一瞬で口と鼻に水が流れ込む。
苦しい!
ゴボゴボと、水の底に吸い込まれた。
「慌てるな!」とオババの声がこもって聞こえる。
息をとめ目を開けた。
少し前では水泡が大きく泡立ち、ヨシが暴れている。
口元から大量の泡がでて、目はパニック、鬼の形相だった。
怖いのだ。
恐怖で引きつった顔は泳げないもの特有の恐怖だろう。底をみると、足が水草に絡まり、まるで人魚の腕がヨシを水に引き込もうとしているかのようだった。
水面に上がると、鼻がツーンとしたが叫んだ。
「ヨシの足が草に絡まれている!」
と叫んだが、背後にいたはずのオババがいない。
「オババ!」
平静を保つには、120パーセントの力が必要だった。
と、前から、ゴボっという音が聞こえる。
オババが前にいて、槍の先端を上にして水面に突き立てていた。
水面が静かになった。
「トミ!」
「ああ」
オババが水に潜り、そして、二人は失神したヨシを水面にあげた。
「溺れたのか」
「いや、槍で失神しただけだと思うが」
「俺に貸しな。運がよけりゃ、生き延びるだろう」
そこに久兵衛がいた。彼はヨシを肩に担ぐと、そのまま岸にむかった。
・・・つづく
*内容は歴史的事実を元にしたフィクションです。
*歴史上の登場人物の年齢については不詳なことが多く、一般的に流通している年齢などで書いています。
*歴史的内容については、一応、持っている資料などで確認していますが、間違っていましたらごめんなさい。
参考資料:#『信長公記』太田牛一著#『日本史』ルイス・フロイス著#『惟任退治記』大村由己著#『軍事の日本史』本郷和人著#『黄金の日本史』加藤廣著#『日本史のツボ』本郷和人著#『歴史の見かた』和歌森太郎著#『村上海賊の娘』和田竜著#『信長』坂口安吾著#『日本の歴史』杉山博著#『雑兵足軽たちの戦い』東郷隆著#『骨が語る日本史』鈴木尚著(馬場悠男解説)#『夜這いの民俗学』赤松啓介著ほか多数
NHK大河ドラマ『麒麟がくる』
戦国時代。泳ぎは武術の一つとして発展していた。
古代泳法は普通に泳ぐだけでなく、目をあけたまま飛び込んだり、鎧を着たまま泳ぐなどの着衣水泳の訓練。泳ぎながら刀を交える、立ち泳ぎのまま火縄銃を撃つなど、武家社会で発展したのが泳法であった。
イザナギノミコトが地獄から戻り、川に潜って禊(みそぎ)をして、ケガレを流したという記述があり、昔から川や湖はケガレを払う場所だったようだ。
ちなみに、織田信長は水泳が得意だったという記述がある。
3月から9月は、毎日、水泳の稽古をしていたそうで、ちょっと意外。
毎日2回、馬に乗る訓練をしていたなど、信長、考えている以上に努力家だったと思う。