五月五日九時五五分、帝国軍の攻撃が始まった。五万隻近くまで増強されたメルカッツ軍が突進し、隣接するリンダーホーフ軍とミュッケンベルガー軍左翼部隊が同盟軍を牽制する。総司令部が予想した通り、ラインハルトの狙いは中央突破だった。
両軍が中央部で激戦を展開している間、ホーランド中将率いる一万隻が左翼から、モートン中将率いる一万隻が右翼から回りこんだ。
俺の前方展開部隊がホーランド支隊の先鋒となった。ウスチノフ独立機動部隊と対機雷戦部隊を指揮下に加え、戦力は倍増した。俺の働き次第で行軍速度が大きく変わるだろう。戦力の大きさは責任の大きさでもある。
敵の両側面には広大な機雷原が広がっていた。長さは三〇光秒(九〇〇万キロメートル)、厚さは一・五光秒(四五万キロメートル)と推定された。迂回するのも突破するのも難しい。
しかし、今の同盟軍には指向性ゼッフル粒子があった。超高温で引火する特性を持つゼッフル粒子は、拡散性が強すぎて無重力空間では使えなかった。だが、帝国軍が指向性を持たせて宇宙で使えるようにした。それを同盟軍が接収して対機雷戦兵器に用いたのである。
俺は対機雷戦部隊に指向性ゼッフル粒子を放出させた。目に見えない粒子の群がみるみるうちに機雷原へ浸透していく。
「狙い撃て!」
戦艦八隻から放たれたビームがゼッフル粒子に火をつけ、数百万個の機雷を吹き飛ばした。全長四五〇万キロメートルを越えるトンネルが、機雷原の中に八本作られた。
「全艦、全速前進!」
俺は一番左のトンネルに突っ込んだ。他のトンネルにも味方が雪崩れ込み、四五〇万キロを一気に駆け抜けていく。右翼のモートン支隊も機雷原を突き破り、同盟軍は左右から帝国軍の背後に迫る。
間もなくホーランド支隊の前方に新たな機雷原が現れた。長さも幅もさっき突破したものとほとんど変わらない。一方、モートン支隊の前には漆黒の宇宙空間が広がる。第二の機雷原は片側にしか存在していない。
「何を狙っているんだ?」
俺は首を傾げた。敵が第二の機雷原を作るのは予想の範囲内だし、対応策も用意されていた。だが、片側だけに作るとは思わなかった。
「なるほど、さすがはローエングラム大元帥。ここまで考えていたとは」
チュン・ウー・チェン参謀長が嘆声を漏らした。
「わかるのか?」
「ホーランド支隊の進軍速度を遅らせ、モートン支隊の突出を誘って各個撃破する。それがローエングラム大元帥の狙いでしょう」
「モートン支隊が前進を続けるとは限らないぞ」
「いえ、間違いなく前進を続けます。ここで停止すれば、勢いが削がれた状態で多数の敵と戦うことになる。後退すれば作戦そのものが破綻する。前進を続けて我々との挟撃を狙う以外に道はありません」
「よくわかった。ローエングラム大元帥は怖いな」
手のひらに汗が滲んだ。モートン支隊とホーランド支隊が各個撃破を回避するには、前進して挟撃態勢を作るしかない。だが、そうすればラインハルトに単独で突っ込むリスクを負う。わかっていても踏み込む以外の選択肢はなかった。
「全艦、限界まで速力を出せ! 敵の狙いは各個撃破だ! モートン支隊を孤立させるな!」
ホーランド中将は進軍を急ぐよう指示した。チュン・ウー・チェン参謀長が理性で理解したものを、彼は感性で理解していたのだ。
指向性ゼッフル粒子が作った八本のトンネルに、ホーランド支隊が飛び込んだ。レーザーの束が向こう側から飛んでくる。駆逐艦の中距離レーザー砲による集中砲火だ。狭いトンネルの中で高密度の砲火を避けるのは難しい。すべての艦がエネルギー中和磁場を全開にして、砲火を浴びながら突き進む。
機雷原を抜けると、敵駆逐艦が散り散りに逃げ出した。すべて合わせても五〇〇隻に満たない程度の数だ。トンネルの直径は二〇〇キロ前後で、イゼルローン回廊の三万分の一でしかない。五〇〇隻もいればすべてのトンネルを塞げる。
駆逐艦と入れ替わるように、巡航艦一〇〇〇隻が遠距離から砲撃を浴びせてきた。精度の高くない砲撃でも、細長く伸びきったホーランド支隊を足止めするには十分だ。
「四方に散開せよ!」
ホーランド中将はすぐさま部隊を散開させた。紐のような隊形から散開したことで、ホーランド支隊の艦列は極端に密度が薄くなる。敵の砲撃はまばらな艦列をすり抜けていった。
こういう場合、密集した側が散開した側に突撃を仕掛けるのがセオリーなのに、敵は当たらない砲撃を続ける。足止めに徹するつもりだろう。ホーランド支隊が散開隊形を取り続ける限り、砲撃は当たらないが突破されることもない。
「この部隊章は国内艦隊のL分艦隊。ケスラー提督の部隊か」
俺はスクリーンを見つめた。ウルリッヒ・ケスラー中将は前の世界の名将だが、対テロ戦での活躍が多く、主要な艦隊戦には参加していない。今の戦いぶりを見ると艦隊指揮もできるようだ。
ホーランド中将直属の精鋭五〇〇隻が散開したままで突撃を始めた。定まった陣形を作らず、高度な柔軟性を保ちつつ臨機応変に動きまわり、無秩序に見えて的確な砲撃を加える。
ケスラー分艦隊はあっという間に崩れた。単純な艦隊運動しかできない部隊では、ホーランド中将の複雑すぎる動きに対応できなかった。ケスラー中将は有能だったし、歴戦の旧皇太子派将校が脇を固めていたけれども、兵士の練度が低くてはどうにもならない。
「今だ! 全速で突っ切れ!」
ホーランド支隊はケスラー分艦隊を突破すると、そのまま戦場を駆け抜けた。今の同盟軍にとって遅滞は敗北と同義であった。モートン支隊が崩れるのが先か、ホーランド支隊の到着が先か。すべては行軍速度にかかっている。
「三〇光秒先に機雷原が現れました! 先ほど突破したものとほぼ同規模です!」
オペレーターが第三の機雷原の存在を告げた。
「いくつあっても突破するだけだ!」
俺はチュン・ウー・チェン参謀長の作戦に従い、対機雷戦部隊に二〇本のトンネルを作らせた。発射装置の角度を変えつつゼッフル粒子を放出するだけなので、八本作るのと手間は大して変わらない。
ホーランド支隊は完成したトンネルのうち、一〇本に突入し、残り一〇本は空にした。敵は空のトンネルに戦力を分散したために、一つ一つのトンネルを塞ぎ切れない。ほとんど損害を受けずに機雷原を突破し、出口で待ち構えていた巡航艦部隊を打ち破り、猛スピードでラインハルトの本隊を目指す。
レーダーに膨大な光点が映った。数は一万三〇〇〇から一万五〇〇〇、距離は二二光秒(六六〇万キロメートル)。この宙域で大部隊は一つしかない。ラインハルト・フォン・ローエングラム大元帥の本隊だ。モートン支隊は戦力の二割を失ったものの、ギリギリで持ちこたえていた。ラインハルトの計算を俺たちの速度が上回ったのである。
交響曲「新世界より」第四楽章の勇壮なメロディが流れ、全艦にホーランド中将の等身大立体画像が現れた。逞しい肉体に闘志がみなぎり、金色の髪は逆立ち、目には烈々たる光が宿る。
「我らの手で幕を引くぞ! 全艦突撃!」
ホーランド支隊一万隻がラインハルト本隊を背後から襲った。敵の防御陣が整うよりも早く懐に飛び込み、後衛をあっという間に敗走させた。
ホーランド中将は部隊を二手に分けた。ラクロア分艦隊とクーパー分艦隊をモートン支隊の援護に回し、ホーランド機動集団とペク分艦隊がラインハルトの本営を目指す。前後から敵を挟み撃ちにする態勢だ。
「二〇光秒前方に敵部隊が出現! ローエングラム大元帥の直衛部隊です!」
オペレーターが最終局面の到来を告げる。俺たちとラインハルトの間にあるのは、二〇光秒の距離と艦艇二〇〇〇隻のみ。数百光秒を踏破してきた俺たちにとっては、ひとっ飛びできる程度の障害物でしかない。
「狙うはただ一つ! ローエングラム大元帥の旗艦ブリュンヒルトだ!」
俺はポターニン准将、マリノ代将、ビューフォート代将、バルトハウザー代将らを率いて突っ込んだ。敵の砲火をかいくぐり、蛇行しながら敵艦にビームと対艦ミサイルを叩き込み、どんどん距離を詰めていく。
一二時五二分、ホーランド支隊はラインハルトの旗艦ブリュンヒルトから六光秒(一八〇万キロメートル)の距離に迫った。駆逐艦の中距離レーザー砲の最大射程である。
スクリーンに白い流線型のブリュンヒルトが映った時、俺はやってはならないことをしたような感覚に襲われた。勝てるはずがないと思った。俺は小物にすぎないし、ホーランド中将は前の世界でラインハルトに惨敗した。前の記憶、戦記の記述、今の知識が「勝てない」と語る。
脳裏をロイシュナー准尉とハルバッハ曹長の勇姿が通り過ぎた。四年前、ラインハルトに立ち向かって死んだ薔薇の騎士連隊(ローゼンリッター)の勇者だ。短い時間だったが、彼らは戦友だった。
俺は軽く息を吐き、呼吸とともに不安を吐き出す。戦友の仇を討つ好機ではないか。ためらうことはない。軍神であろうとも突破するまでだ。
「行けーっ!」
俺はまっしぐらにブリュンヒルトを目指した。行く手を遮るのはわずかな直衛艦のみ。兵力、練度、勢いのすべてにおいてこちらが上回っている。
前方展開部隊がレーザーとミサイルを一斉に放った。レーザーは射程が短い代わりに狙いがつけやすく、一点集中砲火に向いている。ミサイルには中和磁場が通用しない。さすがのラインハルトもこの大火力には耐えられないと思われた。
しかし、ブリュンヒルトには傷一つ付いていない。無数の爆発光に照らされながらも、圧倒的な威容を誇示し続ける。
「外れた!?」
誰もが自分の目を疑った。正確に言えば、外れたのではなく別のものに当たった。数十隻の敵艦が前方展開部隊の前に飛び出し、ブリュンヒルトの代わりに攻撃を受け止めたのだ。
前方展開部隊は絶え間なくレーザーとミサイルを吐き出し続ける。ハルエル部隊、エスピノーザ部隊などホーランド機動集団の精鋭もこれに加わり、火力密度が一層高まった。しかし、敵艦が次々と火力の海に飛び込み、ブリュンヒルトの盾になる。
流れは完全にホーランド支隊に傾いていた。主力はモートン支隊の反攻を防ぐのに手一杯で、直衛部隊は完全に孤立した。ブリュンヒルトは未だに無傷であるが、直衛艦は凄まじい勢いで減っている。メルカッツ軍、キルヒアイス軍、リンダーホーフ軍、ミュッケンベルガー軍は、同盟軍と激戦を繰り広げており、援軍を出す余裕はない。
一三時三一分、ハルエル少将配下の駆逐艦戦隊とスパルタニアン部隊が、一〇万キロの至近距離からブリュンヒルトに襲いかかった。電磁砲から放たれたウラン二三八弾の雨が、白くなめらかな艦体に傷を付ける。ブリュンヒルト側からの反撃はまったくない。
俺は部下と一緒にブリュンヒルトの最期を眺めた。ラインハルトは旗艦を捨てて逃げることを潔しとしないだろう。『レジェンド・オブ・ザ・ギャラクティック・ヒーローズ』を全巻読破した俺にはわかる。
「ブリュンヒルトを撃沈しました!」
オペレーターが叫んだ瞬間、司令室は歓声に包まれた。部下たちは手を叩いたり、抱き合ったりして勝利を喜ぶ。
俺は何も言わずに真っ黒なスクリーンを見つめていた。二人の戦友を悼む気持ち、戦いの終わったことへの安堵感、偉大な英雄のあっけない死に対する戸惑いが胸中を駆け巡る。
それから五分後、歓喜は失望に変わった。ラインハルトがブリュンヒルトを捨てて戦艦ベアグルントに移乗したとの報告が入ったのだ。
「参謀長、いったいどういうことだ」
「直衛艦がやられた隙に逃げたのでしょうね」
「いや、そうじゃなくて……。あのローエングラム大元帥が逃げたんだぞ。信じられるか?」
「彼は必要なら逃げますよ」
チュン・ウー・チェン参謀長は逃げるのが当然であるかのように言う。
「納得できないなあ」
「第一次ヴァルハラ会戦でも逃げたではありませんか」
「うーん……」
俺は考えこんだ。前の世界のラインハルトは常勝の栄光に縛られたが、この世界では逃げることもいとわない。敗北によって柔軟さを身につけたのだろうか? そうだとすれば厄介だ。
「何をためらっている! 逃げたら追うまでのことだ!」
ホーランド中将の立体画像が拳を振り上げた。隊員たちは慌てて持ち場に戻り、全力でベアグルンドを追いかける。
一三時五九分、前方展開部隊がベアグルンドに肉薄した。俺はマリノ戦隊とバルトハウザー戦隊を率いて突っ込む。ポターニン機動部隊、ウスチノフ独立機動部隊、ビューフォート戦隊は、半径一光秒の範囲を取り囲んだ。
「今度こそ……」
俺は右手を強く握りしめた。一世一代の大役を演じることへの重圧と、ラインハルトを討ち取りたい気持ちと、自分なんかが討ち取って良いものかという不安が胸中に渦巻いた。
一四時〇〇分、ベアグルンドはウラン二三八弾の集中砲火を浴びて沈んだ。わずか一分の速攻である。
「やったぞ!」
「俺たちの勝ちだ!」
歓声が湧き上がる中、俺は呆然とスクリーンを眺めた。左隣のコレット少佐や右隣のイレーシュ副参謀長が笑顔で話しかけてきたが、何を言ってるのかわからない。こんな自分がラインハルトを討ち取ったなんて信じられなかった。
間もなくラインハルトが戦艦フォーゲルヤクトに乗り移ったとの報が入った。ホーランド支隊は喜びの絶頂から突き落とされ、失望と疲労感だけが残った。
「ローエングラムは不死身なのか」
「そろそろ諦めてくれよ」
「勝てる気がしない」
あちこちから小声の呟きが聞こえてきた。
「旗艦を何度沈めても死なない敵将。ほいほい身を投げ出す敵艦。ゾンビと戦ってるみたいだ」
イレーシュ副参謀長が細い眉をひそめる。
二時方向から鋭い矢が飛んできた。その矢は一〇〇〇隻ほどの艦艇で作られており、すべて真っ黒に塗装されている。銀河広しといえども、こんな部隊は一つしかない。ラインハルト配下の猛将ビッテンフェルト中将が率いる分艦隊だ。
「迎え撃て!」
俺はビッテンフェルト分艦隊に集中砲火を浴びせた。密集隊形の敵はいい標的となり、数十隻が一瞬で蒸発する。
「もしかして勝てるんじゃないか」
そんなことを思ったが、前世界最強の攻撃型提督は甘くなかった。集中砲火を浴びても、何隻撃沈されようとも、ビッテンフェルト分艦隊はお構いなしに進み続ける。猪突猛進しているように見えて、砲撃を加えるタイミングとポイントは計ったように正確だ。獰猛にして精密な攻撃が防衛線を解体していく。
スクリーンが味方艦の爆発光で満たされた次の瞬間、ヴァイマールが激しく揺れた。俺は左側に転び、柔らかいものにぶつかってそのまま倒れこむ。
ビッテンフェルト分艦隊は前方展開部隊を突破すると、臨時旗艦フォーゲルヤクトの周囲から同盟艦を追い散らした。
フォーゲルヤクトを取り巻く同盟軍は四〇〇〇隻を超える。混乱から立ち直ると、ホーランド機動集団とペク分艦隊は包囲網をさらに強固なものとした。ビッテンフェルト分艦隊は直衛部隊とともに囲まれた。
「わざわざ死にに来たのか。物好きな連中だ」
ベッカー情報部長は不可解なものを見るような目を向けた。帝国軍を知り尽くした者にとって、エゴイストの対極にいるような軍人は理解できないのだろう。
「鉄壁のような部隊ですね」
ラオ作戦部長の評に俺はびっくりした。ビッテンフェルト提督と鉄壁は最も縁遠い言葉ではないか。
「あれが鉄壁? 超攻撃型だろう」
「命がけで主君を守るなんてなかなかできませんよ。昨日だってキルヒアイス提督を救ったでしょう?」
「けどなあ……」
どうにも俺は納得できなかった。防御上手には二種類いる。一つは堅固に守るタイプ、もう一つは身を投げ出して壁になるタイプである。前世界の鉄壁ミュラーは身を投げ出すタイプだった。ビッテンフェルトが鉄壁と呼ばれても不思議ではない。けれども、戦記の読者にとっては、ビッテンフェルトイコール攻撃なのだ。
ラインハルトを討ち取る機会を二度逃がしたにも関わらず、同盟軍の優勢は揺らいでいない。データを見れば誰だって「同盟軍が勝つ」と言うだろう。それなのに勝てる気がしなかった。何をどうすれば勝てるのかがわからなかった。
味方の動きが目に見えて悪くなった。接近戦は遠距離戦よりはるかに心身を消耗させる。もともと戦意が低かったこともあり、緊張感を維持し続けるのは難しくなってきた。
フォーゲルヤクトが右上方に向けて主砲を放ち、他の敵艦もそれにならった。数万本のビームがホーランド支隊目掛けて飛んで行く。練度が低いせいか、火力を十分に集中できておらず、見た目ほどの威力はないように思われた。
ホーランド支隊の艦列に大きな裂け目が生じた。指揮官も兵士も唖然とした様子でスクリーンを眺める。この程度の砲撃に艦列を断ち切られた理由がわからない。
「うろたえるな! 薄い部分をやられただけだ! 大した被害は出ていない! 落ち着いて対処しろ!」
俺は努めて冷静な表情を作り、状況を正しく把握していることを示し、部下を落ち着かせた。しかし、一番落ち着きを失っているのは俺自身だ。
ホーランド中将はすぐさま艦列の再編成に取りかかった。今の練度ならすぐに完了すると思われたが、どの部隊も普段からは信じられないほどに動きが鈍い。ホーランド支隊の動揺は、艦隊運動に支障をきたすレベルに達していた。ラインハルトの一撃は艦列だけでなく、精神的均衡も打ち砕いたのだ。
一瞬にして攻守が逆転した。ラインハルトとビッテンフェルト中将が突撃し、浮足立ったホーランド機動集団とペク分艦隊を敗走に追い込んだ。そして、本隊主力と交戦しているクーパー分艦隊へと矛先を転じた。
前方に集中していたクーパー分艦隊はすぐに崩れ、その次に襲撃を受けたラクロア分艦隊、モートン支隊左翼のジルベルト分艦隊も崩れた。
一四時五四分、ラインハルト直衛部隊は本隊主力と合流を果たし、反撃に打って出た。ホーランド支隊とモートン支隊にこれを押しとどめる力はない。挟撃作戦は失敗に終わった。
第二次ヴァルハラ会戦は最終局面へと雪崩れ込んだ。同盟軍の勝ち目はなくなったが、帝国軍が勝ったとも言いきれず、戦況は混沌としている。
右翼の第三統合軍集団、中央の第七統合軍集団、最左翼の第一統合軍集団は後退を重ねた。損害を押さえるのに必死で、他の味方を援護する余裕はない。第三統合軍集団は主軸のモートン中将を欠き、第七統合軍集団の相手は名将メルカッツ提督であり、第一統合軍集団はホーランド支隊に多数の戦力を割いた。これらの事実を踏まえれば、健闘してると言えよう。
左翼の第四統合軍集団は鮮やかな戦いぶりを見せた。司令官ヤン大将は巧妙に敵を誘い込んで強烈な逆撃を加え、敵の攻勢を何度も跳ね返した。
最右翼ではキルヒアイス軍が第二統合軍集団に猛攻を仕掛けた。中核部隊の第八艦隊は攻撃型の編成をとっていたことが災いし、司令官キャボット中将を失う大敗を喫した。ビュコック大将が善戦しているものの、戦力が少ない上に第二統合軍集団の指揮権を持っていないため、劣勢を覆すには至らなかった。
モートン支隊は敵中に孤立し、ロイエンタール中将率いる三個分艦隊に襲撃された。兵力はモートン支隊の方が多かったが、戦意が低い上に戦力が分散しており、実力通りの力を発揮できる状態ではない。それでも全面崩壊に至らないのは、モートン中将の力量であろう。
ホーランド支隊はミッターマイヤー中将率いる三個分艦隊の追撃を受けた。クーパー分艦隊とは連絡が取れず、ラクロア分艦隊は連携困難な距離にいて、司令部が動かせるのはホーランド機動集団とペク分艦隊のみ。敵より数が少なくて戦意も低くては、せっかくの練度も生かせない。力尽きて撃沈される艦もあれば、乱戦の中で行方知れずになる艦もあり、ホーランド支隊はやせ細っていった。
一六時四八分、ホーランド中将の旗艦ディオニューシアが行方不明になった。支隊の指揮権は分艦隊司令官ペク少将、機動集団の指揮権は集団副司令官オウミ准将が引き継いだ。
俺の心中で不安の渦が荒れ狂った。何よりも心配なのはダーシャだ。彼女がいない世界なんて考えたくもない。ホーランド中将の指揮なしで戦うのも怖かった。目前の戦いに没頭することで不安を押し殺す。
ホーランド支隊の損害率が急に上昇し、ホーランド配下の勇将として名高い「無限軌道」ヴィトカ准将が戦死した。用兵巧者だが慎重すぎるペク少将と、統率力のないオウミ准将では、ホーランド中将の代役は務まらなかったのだ。
「セントクレアが撃沈されました!」
機動集団司令官代行オウミ准将の乗艦が撃沈されたとの報が入った。
「オウミ提督は脱出したか?」
「確認いたします」
部下が事実確認に動いている間、俺は靴の足底で床を叩いた。胸の中は焦燥感でいっぱいだ。オウミ准将は能力に欠けるし、こちらに敵意を向けてくるのには辟易させられるが、死んでほしくはない。曲がりなりにも指揮官なのだから。
四分後、セントクレアから脱出した者の最上位であるヴェローゾ中佐が、オウミ准将の死を報告してきた。退艦を拒否してセントクレアと運命を共にしたという。
「オウミ提督は『疲れた』とおっしゃっていました」
「わかった」
この返事に俺は二つの意味を込めた。一つは事実確認、もう一つはオウミ准将の心情に対するものだった。彼女の刺々しさの裏側を垣間見た気がした。
オウミ准将の死が確定したことで、最も序列の高い俺が指揮権を引き継いだ。司令室にいる者すべてが司令官席を見る。指揮用端末には、ハルエル少将、エスピノーザ准将らの顔が現れた。機動集団は新しい司令官の指示を待っている。
俺は背筋を伸ばし、胸を張り、呼吸を整える。気持ちを入れ替えたところでマイクを握った。
「ホーランド機動集団の将兵に告ぐ。私は前方展開部隊司令官エリヤ・フィリップスだ。
オウミ提督は亡くなられた。よって、今から私が機動集団の指揮をとる」
力強い口調で言い切り、誰が新しい指揮官であるかを将兵の聴覚に刻みつける。
「諸君も知っての通り、私は運がいい。
一一年前のエル・ファシルでは味方に見放された。
五年前のヴァンフリートでは殺される寸前だった。
四年前のティアマトでは乗艦が撃沈されかけた。
三年前のエル・ファシルではテロリストに至近距離から撃たれた。
一年前に帝国領へ攻め込んでからは、敵の砲火が最も集中する場所で一〇〇度戦った。
それでも、私は生き残った。幸運は常に私が生き残るための道を開いてくれた。
つまり、私の後を付いてくれば生き残れる」
ここで俺は大きなはったりをかました。何度も死線を越えた事実に、クリスチアン中佐やチュン・ウー・チェン参謀長から聞いた武運の話を盛り込み、自分を幸運な提督に仕立てあげる。
「諸君はなすべきことをせよ。何をなすべきかは私が教える。以上だ」
要するに「何も考えずに付いて来い」と断言したのだ。自分でも酷い大言壮語だと思う。けれども、動揺する将兵を落ち着かせるには、虚像であっても頼れるリーダーが必要だった。失敗した時はあの世で謝ろう。
マフィンを四個食べて糖分を補給すると、ホーランド機動集団の掌握に取り掛かった。ミッターマイヤー中将の猛攻を防ぎつつ、指揮系統を立て直し、ヴィトカ部隊の残兵を集め、バラバラになった部隊を組み立て直す。それは困難極まりない作業だった。チュン・ウー・チェン参謀長を始めとする幕僚チームが全力で俺を補佐し、ペク分艦隊の援護もあり、どうにかまとめ上げることができた。
機動集団に残された戦力は二六二四隻。作戦開始前に与えられた増援を差し引くと、残った兵力は本来の半分程度にすぎない。エネルギーや対艦ミサイルは残りわずか。将兵の疲労は激しく、判断力と集中力は著しく低下している。
「参謀長、エネルギーはあとどれぐらいもつ?」
「補給しなければ二時間で切れます」
「つまり、二時間しかもたないってことか」
苦笑いするより他になかった。旗艦が砲撃に晒されるような状況では、補給活動を行う余裕などない。
「出力を落とせば、一時間は伸ばせるかもしれません」
「たった三時間か。厳しいな」
「まだ三時間もあると考えましょう。生き残っていれば、運が巡ってくるかもしれませんしね」
「君も奇跡を信じるのか」
「閣下の武運に賭けさせていただきます」
チュン・ウー・チェン参謀長はにっこりと笑い、未だかつてないほどに端正な敬礼をした。
「期待には応えないとな」
俺は笑って敬礼を返すと、指揮用端末に向かい合った。今は後ろを向く時ではない。敵はいつも前にいる。
正直言って勝てる気はしなかった。敵将ミッターマイヤー提督は、前の世界では銀河統一戦争最大の功労者で、今の世界では無敵の同盟艦隊を初めて会戦で破った。俺の用兵が通用するとは思えない。
だが、相手が誰であっても諦めるわけにはいかなかった。部下に対する責任がある。期待に応える義務がある。
ホーランド機動集団は再び輝きを取り戻したかのように見えた。俺はチュン・ウー・チェン参謀長のアドバイスを受けながら指揮をとり、イレーシュ副参謀長は前線との連絡を緊密にする。攻守にバランスのとれた「東方の光」ハルエル少将、最強の戦闘力と最悪の浪費癖を持つ「九〇万ディナールの女」エスピノーザ准将らホーランド配下の勇将は、一致団結して戦った。
だが、敵はこちらの上を行っていた。ミッターマイヤー中将の戦法は単純だが、判断速度が異常なまでに速く、どんな手を打ってもすぐに対処してくる。練度が低いわりには部隊の動きは早かった。中級指揮官に判断の速い人材を集めたのだろう。
常に先手を打たれ、物量でも負けているとあっては、どれほど奮戦しても決定的な敗北を遅らせる以上のことはできない。
時間を追うごとに味方は減り、敵は勢いを増した。俺たちの防御では敵の攻撃を防ぎきれない。俺たちの攻撃では敵の防御を破れない。ペク分艦隊が崩れ、ホーランド機動集団は三個分艦隊に囲まれた。
ホーランド支隊は三度にわたって敵の攻勢を退け、その代償として多大な損害を被った。ハルエル少将とエスピノーザ准将は壮烈な戦死を遂げた。前方展開部隊も限界に近づいていた。
「第三六機動部隊より報告! 作戦支援群のソングラシン代将が戦死しました!」
この報告を耳にした途端、視界が灰色に変わった。
「その報告は事実か?」
「間違いありません」
「聞き間違いではないんだな?」
「こちらをごらんください」
オペレーターは交信記録を取り出した。
「そうか、ご苦労だった」
俺はねぎらいの言葉を言うと、前を向いてマフィンを食べた。喪失感をマフィンの甘みで打ち消そうとした。
「ソングラシン代将、君のパンケーキを食べられなくなった」
ソングラシン代将は第三六機動部隊時代の部下で、軍人をやめてパンケーキの店を開く予定だった。夢をかなえる前に人生を中断させられたのだ。これほど悲しいことがあるだろうか。私情を抜きにしても、前方展開部隊最大の支援戦力を失ったのは痛い。
凶報は止まるところを知らない。第三六巡航艦戦隊司令フランコ先任代将が戦死した。第三六母艦戦隊司令ハーベイ代将は重傷を負い、副司令に指揮権を委ねた。
第三六機動部隊は俺にとって特別な存在だ。提督として初めて指揮した部隊であり、前方展開部隊司令官に転じてからは中核戦力として頼りにしてきた。そんな部隊が崩れる様は、部下の死に対する悲しみ、自分の無力さに対する怒りなどを呼び起こす。だが、指揮官には感情に身を委ねることは許されない。奥歯を食いしばって指揮に集中した。
敵の第四〇四戦闘部隊が猛スピードで前進し、前方展開部隊とハルエル部隊残存戦力の間に割り込んできた。ホーランド機動集団は完全に分断されるかのように見えた。だが、そう見えただけだった。
「狙い通りだ! フォーメーション・サーティーン!」
俺が指示を出すと、前方展開部隊とハルエル部隊残存戦力が縦深陣を作り、縦隊で突入してきた第四〇四戦闘部隊に砲撃を浴びせかけた。この策を立てたのはチュン・ウー・チェン参謀長だ。
ミッターマイヤー中将の直接の部下だけあって、第四〇四戦闘部隊の速度は凄まじかった。そのまま縦深陣を突破するのではないかと危惧したほどだ。しかし、チュン・ウー・チェン参謀長は対応策を用意していた。バルトハウザー代将を横から強引に突っ込ませ、ポターニン准将とビューフォート代将には縦深陣に蓋をさせた。身動きが取れなくなった敵にマリノ代将が襲いかかった。
「第四〇四戦闘部隊の旗艦を撃沈しました!」
この勝報はホーランド機動集団を喜ばせた。第四〇四戦闘部隊の上位部隊はミッターマイヤー分艦隊だ。指揮官は不明だが、中核部隊を無力化したのは間違いない。しばらくは攻撃が止まるはずだ。
この時、第四統合軍集団がミュッケンベルガー軍左翼部隊とメルカッツ軍を分断した。その一部がこちらに向かっているという。
「あと少しだ! もうすぐヤン提督がやってくるぞ!」
俺は声を張り上げて叫んだ。エネルギーは三〇分しかもたない。兵の疲労は極致に達した。希望以外に頼れるものはなかった。
一〇分後、ミッターマイヤー中将は四度目の攻勢を開始した。これまでになく苛烈で凄まじい攻勢だった。第四〇四戦闘部隊の敗北は、一〇分間の休息と引き換えにミッターマイヤー中将の烈気を引き出したのである。
もはやホーランド機動集団にミッターマイヤー中将を食い止める力はなかった。第三六機動部隊司令官ポターニン准将、第三六戦艦戦隊司令代行タヌイ代将、第三六独立母艦群司令アブレイユ代将が戦死した。指揮官が健在な第三六駆逐艦戦隊、第三六独立戦艦群、第三六独立巡航艦群、第三六独立駆逐艦群も生き残るだけで精一杯だった。ウスチノフ独立機動部隊は半壊状態だ。
帝国軍の通信波が同盟軍の回線に割り込み、メインスクリーンに軍服を着た青年が現れた。蜂蜜色の癖毛、明るい光で満たされたグレーの瞳、男前ではないが人柄の良さがにじみ出た顔。ウォルフガング・ミッターマイヤー中将である。
「反乱軍に告ぐ。小官は銀河帝国宇宙軍中将ウォルフガング・ミッターマイヤーだ。卿らは我が軍の包囲下にある。もはや脱出の道はない。これ以上戦っても、兵の生命を無意味に損なうだけだ。名誉ある降伏こそが兵を救う唯一の道であろう。卿らが示した勇気と忠誠は、万人の賞賛を受けるに値する。降伏しても卿らの名誉が損なわれることはない。勇者たるにふさわしい処遇を、帝国軍の名において約束する」
ミッターマイヤー中将の勧告は、誠実さと道理に富んでいた。敵に対しても、彼の公明正大さは変わらない。
俺は周囲を見回した。チュン・ウー・チェン参謀長の細い目は、いつものように穏やかだ。コレット少佐のきりっとした目には、俺への信頼がこもっている。イレーシュ副参謀長の鋭い目は、「好きにやれ」と無言で語った。ラオ作戦部長の小さい目には迷いがない。ベッカー情報部長、サンバーグ後方部長、ニコルスキー人事部長、ドールトン艦長らの目には、強い確信が宿っていた。カヤラル最先任下士官、バダヴィ曹長らの目は陽光のように暖かかった。
端末を見た。マーロウ先任代将、ニールセン代将ら第三六機動部隊の諸将は、決死の覚悟を示した。マリノ代将は戦いたくてたまらないと言いたげだ。バルトハウザー代将は命令を待ち望むような目で俺を見る。ビューフォート代将は軽く微笑んで「ご一緒しますよ」と言った。ウスチノフ准将は無言で頷いた。
降伏しようという者は一人もいなかった。この期に及んでも、部下が闘志を失っていないことに心から感謝した。
「回線を繋げ。ただし、映像はオフにしろ」
俺はコレット少佐に命じてミッターマイヤー中将との回線を開かせた。相手の威厳に圧されたくなかったので、映像をオフにした。
「小官は同盟宇宙軍少将エリヤ・フィリップスです。貴官の厚意に心より感謝します。しかし、降伏はできません。我が部隊に降伏を望む者はいないからです。ご容赦いただきたい」
「承知した。卿らの選択を尊重する。お互い、悔いのない戦いをしよう。武運を祈る」
ミッターマイヤー中将は惚れ惚れしてしまうほどにフェアだった。俺が帝国軍人だったら、彼の部下になりたいと願ったに違いない。
戦闘が再開された。大量のビームとミサイルが旗艦ヴァイマール目掛けて飛んで来る。戦艦と巡航艦がヴァイマールを囲み、中和磁場を最大出力にしてビームを防ぐ。駆逐艦がミサイルを撃ち落とす。
「敵を寄せ付けるな! あらん限りの火力を注ぎ込め!」
旗艦直衛部隊は物資を使い果たすつもりで撃ちまくった。接近戦の間合いに持ち込まれたら、中和磁場が通用しない電磁砲の集中攻撃を浴びてしまう。そうなったら逃げ道はない。
「敵ミサイル群が二時方向より接近! 避けきれません!」
オペレーターが叫び、ヴァイマールは激しい衝撃に見舞われた。床が飛び跳ねているかのような揺れに見まわれ、俺の体に空中に投げ出された。視界がめまぐるしく回転した後、全身が堅いものにぶつかり、バラバラになるような衝撃を感じた。
「…………」
体中が激しく痛む。悲鳴をあげたいのに声が出せない。呼吸ができない。口の中に生ぬるい鉄の味が広がる。
「艦橋要員を……」
「……は無事か!?」
「残念ながら……ほぼ……」
「核融合炉まで……」
「とにかく今は……する時……」
「……は全滅……は全滅……」
「……の代理は……」
サイレン、悲鳴、怒声、足音などが耳の中で錯綜した。視界も意識もぼんやりしている。大きな混乱が起きていることだけはわかった。
俺の周囲に人が集まってきた。ぼんやりとしか見えないが、どの顔が誰なのかはわかる。黄色くて平べったいのはチュン・ウー・チェン参謀長、卵型で太い眉はコレット少佐、髪の量がやたらと多いのはラオ作戦部長、髪が金色で目や鼻の形がわかりやすいのはサンバーグ後方部長だろう。彼らの背後にも何人かいるようだ。
口を開けて「逃げろ」と言おうとしたが、出たのは血液だけだった。部下が何を言っているのかが聞き取れない。まったく意思疎通ができなかった。
視界のぼやけがひどくなり、世界が真っ暗になった。聴覚も触覚も嗅覚もどんどん薄れてあらゆる感覚が消え失せた。
「いいから逃げろ! 俺を置いて逃げろ!」
声にならない声を発した後、世界は完全な無に帰った。
暁とハーメルンでの二重投稿をやめ、今後はハーメルン一本に絞ります。挿絵管理、誤字修正などに手間が倍増し、体力的にしんどいからです。
暁でお読みいただいてる方のために一か月の移行期間を設け、それ以降は暁に投稿した分を削除する予定です。