第46話:パトリオット・シンドローム 796年8月27日~9月初旬 オリンピア宇宙港~最高評議会庁舎~ハイネセンポリス市内
八月二七日、俺たちはハイネセンポリスから一〇〇キロほど離れたオリンピア宇宙港に降り立った。港内を埋め尽くすような群衆。林立するプラカード。高々と掲げられた横断幕。凄まじい歓迎ぶりだ。
俺たちがシャトルを降りると、軍楽隊が国歌『自由の旗、自由の民』を演奏し始めた。儀仗兵が両側に整列して、俺達のために通路を作る。その先にはトリューニヒト委員長がいる。
「良くやってくれた! 君達は英雄だ!」
トリューニヒト委員長が感極まって叫び、エル・ファシル軍司令官代行ヤン・ウェンリー准将、副司令官代行メイスフィールド代将、参謀長代行パトリチェフ大佐らと次々に握手を交わす。手が握り合わされるたびに群衆は大きな歓声をあげる。
俺の番がきた。トリューニヒト委員長の大きな手と俺の小さな手が握り合わされた。太陽のような笑顔が俺だけに向けられた。
痺れるような歓喜が頭の天辺から足の指先までを突き抜けた。目から熱いものがぼろぼろとこぼれ出す。戦ってきてよかった。本当によかった。
「委員長閣下っ! ただいま戻って参りましたっ!」
「お帰り!」
トリューニヒト委員長に抱擁された瞬間、俺の涙腺は決壊し、周囲からはこれまでと比較にならないほどの歓声がわきあがった。
それからターミナルビルの二階で記者会見に臨んだ。
「できることをやっただけですよ」
ヤン司令官代行はそっけなく答える。
「祖国に貢献できた。軍人としてこれに優る喜びはありません」
メイスフィールド副司令官代行はいつになく厳粛な面持ちだ。
そして、俺にマイクが向けられた。胸の中に詰まった感動がそのまま言葉となって出てくる。
「フィリップス代将は素晴らしい活躍をなさいましたね」
「ようやく皆様の期待に応えられる働きができたと思っています」
「一七日の地上戦、実に冷静沈着な指揮でした」
「市民と祖国のために義務を果たす。それだけで頭がいっぱいになっていました」
「一番苦しかった時はいつでしたか?」
「苦しくなかった時はありません。小官は未熟者ですから。しかし、強いてあげるならば、やはりゲベル・バルカルで敗れた時でしょうか。こちらにいらっしゃるヤン司令官代行、メイスフィールド副司令官代行、その他の方々が来てくださったおかげで助かりました」
「戦友に助けられたということですね」
「はい。戦友、上官、部下、市民のすべてに助けられました。小官の勝利は助けてくださった方々全員の勝利です」
「市民の皆さんに一言お願いします」
「ありがとうございました! 皆様のおかげで頑張れました! これからもよろしくお願いします!」
満面の笑顔で応える俺。拍手が広い会見室を飲み込んだ。
記者会見終了後、俺たちはトリューニヒト委員長とともにバスに乗り、ハイネセンポリスへと向かう。
五〇キロほど進み、殉職軍人が眠るウェイクフィールド国立墓地へと差し掛かったところで、トリューニヒト委員長が立ち上がった。
「私から一つ提案がある。テロで亡くなった戦友たちに祈りを捧げたいと思うのだ」
こう言われて「嫌だ」と言える軍人はいない。
「賛成です!」
みんなが声を合わせて賛同し、バスから降りた。いや、一人だけ降りなかった人物がいる。ヤン・ウェンリー司令官代行がベレー帽を顔に乗せて眠っていたのであった。
「また悪い病気が出たか」
メイスフィールド副司令官代行が苦々しげに呟く。ウェイクフィールド国立墓地は、軍隊好きにとっては聖地であり、軍隊嫌いにとっては軍国主義の象徴だ。反戦的な信条からウェイクフィールド参拝を嫌がる軍人も少なくない、ヤン司令官代行もそうなのだろうと思われた。
「やれやれ、困った人だ」
パトリチェフ参謀長代行が苦笑しながらバスに戻る。
「司令官代行! 墓参りです! 降りますよ!」
間もなくバスの中から大きな声が聞こえた。何度か叫んだ後、パトリチェフ参謀長代行が巨体を揺らしながら降りてくる。
「いやあ、参りました。司令官代行はどうやら疲れておられるようです。三〇〇〇光年の長旅ですからなあ」
笑いながら頭をかくパトリチェフ参謀長代行。張り詰めていた空気がふっと緩む。
「疲れてるならしょうがないね」
俺はつられるように笑った。他の人たちも苦笑いする。
「あの人の病気には困ったものだ」
「公僕としての自覚が足りないんじゃないか」
「普段から寝てばかりいるから、体がもたないんだ」
言ってることは非好意的だが、それぞれの顔には「しょうがない人だ」といった表情が浮かんでおり、刺々しい響きはまったくない。
「そうだな。ヤン君にはゆっくり休んでもらうとしよう」
トリューニヒト委員長がにっこり微笑む。パトリチェフ参謀長代行は巨体を折り曲げて感謝の意を表した。
「ありがとうございます」
「ヤン君はいい部下を持った」
「恐縮です」
パトリチェフ参謀長代行は心の底から恐れ入ってみせた。この巨漢はヤン司令官代行が持ち合わせていない愛嬌を溢れんばかりに持っている。
目立った戦功がなかったせいか、『レジェンド・オブ・ザ・ギャラクティック・ヒーローズ』などの戦記では、高く評価されなかったヤン艦隊副参謀長。その真価がこの場面に凝縮されている。ヤン・ウェンリーは用兵の天才であると同時に人事の天才でもあった。
墓参を終えた後、バスに乗って再びハイネセンポリスへと向かう。車窓から外を見ると、建物や車には高々と国旗が掲げられ、通行人の多くが国旗をあしらった衣服やアクセサリーを身に着けていた。街全体が国旗に占領されたかのようだ。
都心部の手前にあるトラメルズ駐屯地から凱旋パレードが始まった。沿道には数十万人の市民が集まり、「自由惑星同盟万歳!」「自由の戦士万歳!」と叫びながら国旗を振る。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
俺は涙を目に浮かべながら手を振った。生まれて初めて人々の歓呼に値する存在となった。それが嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
首都ハイネセンポリス都心部のキプリング街には、中央省庁や政府機関の庁舎が立ち並び、隣接するラドフォード街とともに政治中枢地区を形成している。その中央にそびえ立つ真珠色の壮麗なビルが最高評議会庁舎だ。
九月一日、海賊討伐及びエル・ファシル七月危機の殉職者を追悼する式典が、最高評議会庁舎の前庭で開かれた。
「友よ、いつの日か、圧制者を打倒し
解放された惑星の上に
自由の旗をたてよう
吾ら、現在を戦う、輝く未来のために
吾ら、今日を戦う、実りある明日のために
友よ、謳おう、自由の魂を
友よ、示そう、自由の魂を」
遠征軍将兵、戦没者遺族、政府高官、軍幹部ら一〇万人が国歌「自由の旗、自由の民」を斉唱する声が、晴れ渡った秋の空に響きわたる。
国歌斉唱、黙祷が終わると、ジョルジュ・ポナール最高評議会議長の追悼演説が始まった。
「エル・ファシルで殉職された方々に対し、自由惑星同盟政府を代表して追悼の言葉を述べさせていただきます」
この一文から始まった議長の演説は、決まり文句を長々と並べ立てるだけで、しかも感情がまったくこもっていない棒読みだった。聞いているだけで強烈な眠気に襲われる。周囲に座っている人々は次々と眠気に屈服し、暖かな陽光に照らされながら寝入っていた。
「ボナール議長閣下、ありがとうございました!」
演説の終わりを告げる司会者が眠気を振り払った。俺は半ばぼんやりしながら、他の参加者と一緒に義務的な拍手を送る。
老いたボナール議長がおぼつかない足取りで主賓席に戻り、若くてハンサムなトリューニヒト国防委員長が現れると、緩みきっていた会場の空気は一瞬にして引き締まった。
「続きまして、同盟軍代表のヨブ・トリューニヒト国防委員長閣下より挨拶をお願いします」
司会者がトリューニヒト委員長を紹介すると、熱烈な拍手が湧き起こった。俺も力の限り手を叩く。
「市民諸君! 兵士諸君!」
トリューニヒト委員長は力強い美声で語りかけた。
「エル・ファシルで殉職した一九万二九三五名。彼らは一人の例外もなく真の愛国者であり、真の兵士であった。一三〇億人の市民は、最良の同胞を失った悲しみに打ちひしがれている。我々は一三〇億人の代表として、彼らに対する感謝、哀惜、尊敬を示すためにこの場に集まった。
ここで一つのことを確認したい。彼らはなぜ英雄なのか?
生まれつき勇気があったからか? それは違う。彼らの中には、勇者と言われた者もいれば、臆病と言われた者もいた。
能力が優れていたからか? それは違う。彼らの中には、能力の高い者もいれば、そうでない者もいた。
では、生まれつきの勇者でもなく、能力が優れているわけでもない彼らがなぜ英雄なのか? それは大義のために死んだからだ。
その大義とは何か? 祖国、自由、民主主義だ。
なぜ彼らは大義のために死んだのか?」
「上の指導が間違っていたからさ」
呟きというには大きすぎる声を発した人物は、ヤン・ウェンリー宇宙軍准将だった。視線が彼の座っている最前列に集中したが、トリューニヒト委員長は構わずに演説を続ける。
「彼らは知っていたのだ。大義が何よりも重いこと、大義なくして人は生きられないことを。
彼らは人を生かすために命を捧げた! 一三〇億市民のために命を捧げた! その献身の精神こそが彼らを英雄たらしめた! なんと素晴らしいことか!
人は弱い存在だ。しかし、一つの大義を共有し、同胞愛で結ばれた時は何よりも強い。エル・ファシルで散った英雄たちはそう教えてくれた。大義のために死ぬことは同胞を助けることであり、自分のためだけに生きることは同胞を見捨てるに等しい。
自由な個人が集まって国家になるのではなく、国家の力が個人の自由を保障する。それゆえに国家は個人の命より重い。今こそ、その事実を再認識する時ではないか。
祖国を守る戦いは自由と民主主義を守る戦い、ひいては一三〇億市民を守る戦いなのだ。一三〇億市民を守る! それ以上の正義はない!
戦いをやめろと唱える者がいる。敵と和解せよと唱える者がいる。私は彼らに目を覚ませと言いたい。
彼らの行為はどのような動機があろうとも、国家の結束を乱し、自由と民主主義に敵対する者を喜ばせる以上の結果は生まない。
彼らは祖国に甘えている! 彼らは自由に甘えている! 彼らは民主主義に甘えている!
平和とは戦って勝ち取るものだ! 安全は血で贖ったものだということを忘れるな! 安全な場所から平和を口で唱えるほど、安易で卑劣な行為はない!
我々は知っている。アーレ・ハイネセンと四〇万人の流刑囚。彼らが立ち上がらなければ、我々は今もなお奴隷のままだった。
我々は知っている。ダゴン以来の一五六年間で殉職した九八〇〇万の英霊。彼らがいなければ、我々はことごとく専制の奴隷に逆戻りしていた。
我々は奴隷になどなりたくない! 自由に生きたい! ならば、先人の戦いを受け継ぐ義務がある! それが嫌だという者は、自由の代償を支払うつもりのない卑怯者だ! 恥を知れ!
市民諸君! 祖国と自由を何よりも愛する市民諸君! いざ、戦いに赴こうではないか! 英雄の後に続くのだ!
祖国万歳! 自由万歳! 民主主義万歳! 祖国と自由の敵を打倒せよ!」
トリューニヒト委員長の弁舌は炎となって会場を覆いつくす。一〇万人が何かに弾かれたように立ち上がった。
「祖国万歳! 自由万歳! 民主主義万歳! 祖国と自由の敵を打倒せよ!」
一〇万人が気持ちを一つにして叫ぶ。
「祖国万歳! 自由万歳! 民主主義万歳! 祖国と自由の敵を打倒せよ!」
俺もあらん限りの声を振り絞って叫ぶ。体の中に渦巻く熱気を声にして吐き出す。拳を空に向かって振り上げる。
自分がこの一〇万人の一人であることが何よりも誇らしい。トリューニヒト委員長が与えてくれた絶対的な肯定。すべての人と感動を共有できた喜び。そういったもので心が満たされる。
「貴官、なぜ起立せぬ!?」
遠くからそんな怒号が聞こえた。この大歓声ではかき消されてしまう程度の声なのに、なぜかはっきりと聞こえた。
「この国は自由の国です。起立したくない時に起立しないで良い自由があるはずだ。私はその自由を行使しているだけです」
穏やかだが冷然とした声。それは先ほど演説に突っ込みを入れたのと同じ人物、すなわちヤン・ウェンリー准将だった。
「では、なぜ起立したくないのだ?」
「答えない自由を行使します」
お前に話すことはない、と言わんばかりのヤン准将。
「貴官はどういうつもりで……!」
それは一人の声ではあるが、一〇万人の声でもあった。ヤン准将に対する怒りが会場に広がり、非難する声が次第に出てくる。
それにしても、どうして感動に水を差すようなことをするのか。ほんの一瞬だが、強烈な苛立ちを覚えた。
苛立ち? 苛立っている? 俺があの偉大なヤン・ウェンリーに……!?
そんな馬鹿な。彼はただ起立しなかっただけだ。この国には起立しない自由がある。まったくもって正論だ。自分の感覚が信じられなかった。
「……諸君」
トリューニヒト委員長が厳かに語りかけた。心の中に生じていた苛立ちと戸惑いが急速に収まっていく。俺も人々もゆっくりと着席し、一〇万の怒りは急速に消え失せていった。
「自由惑星同盟は自由と民主主義の国だ。
市民には自由に反対する自由もある。市民には民主主義に反対する自由もある。
それが自由というものだ。私はその自由を何よりも愛する。愛するからこそ守りたい、戦いたいと痛切に思う。
利己心に従うのも各人の自由であろう。大義のために命を捧げるのもまた各人の自由だ。
願わくば、諸君には後者を選択してもらいたいと願う。自由とは好き勝手に振る舞う自由のみを指すものではない。利己心からの自由もまた自由なのだ。大義に殉じた英雄たちの崇高な生き様がそのことを示してくれている。
一三〇億人が利己心を捨て、気持ちを一つにして大義のために突き進んだ時、誰がそれを阻めようか。解放された状態を自由と言うならば、これこそが真に自由な状態ではないか。
私は……」
不意にトリューニヒト委員長の演説が中断された。金髪で目鼻立ちのきりっととした少女が起立して右手を上げたからだ。
「国防委員長閣下」
その少女は静かだが良く通る声で語りかけた。
「私はコニー・アブジュと申します。ゲベル・バルカルで死んだエスラ・アブジュの娘です」
第八一三独立任務戦隊司令エスラ・アブジュ。ゲベル・バルカルで戦死した僚友の名前を聞いた瞬間、胸が強く痛んだ。
「それはお気の毒でした、しかし……」
驚いたことにあのトリューニヒト委員長が言葉に詰まった。その頼りなさ気な様子は、前の世界で厚顔無恥と言われた人物とも、この世界で強いリーダーと言われる人物ともまったく違う。
「同情していただく必要はありません。閣下がおっしゃる通り、母は大義のために命を捧げたのですから」
「そうでしたか。お母様は立派な軍人だったのでしょう。あなたのような立派な子供をお残しになられたのですから。祖国はあなた方の犠牲を決して忘れません。困ったことがありましたら、いつでもおっしゃってください。できるだけのことはいたしましょう」
トリューニヒト委員長の態度は明らかに弁解じみていた。
「ありがとうございます。では、お願いしたいことがあります」
「お伺いしましょう。私にできることであれば良いのですが」
「教えてください。あなたはいつ大義に命をお捧げになるのですか?」
「どういうことですかな?」
質問の意図を掴みかねたのだろう。トリューニヒト委員長は明らかに困惑していた。
「母はあの世へと旅立ちました。あなたがおっしゃる通りにしたのです。では、あなたはいつ大義に命をお捧げになるのですか?」
「お、お嬢さん……」
「私の父は一〇年前、スーリヤ星域で命を捧げました。あなたのお父様はいつ命をお捧げになったのですか?」
少女は静かだが容赦ない。初めて見る光景のはずなのになぜか既視感がある。
「私の父と母は大義のために命を捧げました。あなたの家族はどこにいます? あなたは大義に殉じろとおっしゃいますが、ご自身やご家族を犠牲にする覚悟をお持ちなのですか?」
「警備兵! このお嬢さんは取り乱しておられる! 別室へお連れしろ! 演説は終わった! 軍楽隊、国歌を!」
取り乱しているのは少女でなくトリューニヒト委員長だった。先ほどまで大きく見えた指導者が驚くほど小さく見える。
「友よ、いつの日か、圧制者を打倒し
解放された惑星の上に
自由の旗をたてよう」
演奏に合わせて一〇万人が歌い始める。白けきった空気の中、勇壮なメロディーが虚しく響き渡った。
この時、俺はようやく気がついた。前の世界のアスターテ慰霊祭でジェシカ・エドワーズが行ったトリューニヒト批判を、この世界ではコニー・アブジュがやったのだと。
慰霊祭の翌日、国防委員会は「コニー・アブジュ嬢に士官学校か専科学校の推薦枠を提供する用意がある」と発表した。さっそく取り込みにかかったのだ。
しかし、アブジュはこの申し出を拒絶し、反戦市民連合傘下の学生組織「反戦学生連合」に入会してしまった。その会見の席には、反戦市民連合のソーンダイク下院議員が同席しており、彼が理事長を務める戦没者遺族支援団体がアブジュの進学を支援すると述べた。
面子を潰された形のトリューニヒト委員長だが、公式には「アブジュ嬢の選択を尊重する」とコメントするだけに留まった。
極右民兵組織「憂国騎士団」のデュビ団長は、「手回しが良すぎる。アブジュとソーンダイクはグルだったのではないか」と言いがかりをつけたが、いつもの激しい舌鋒は見られない。一五歳の少女を叩くのはさすがにイメージが悪いと思ったのかもしれない。
一方、ヤン准将の言動はほとんど報じられなかった。冷徹でタフな男という主戦派好みのイメージを崩したくないと、マスコミは考えたのだろう。ヤン准将は余計なお世話だと思っているに違いない。
反戦派マスコミは、「ヤンは民主主義国家で平然と焦土作戦を実施した男だ。トリューニヒトすら穏健過ぎて退屈に感じるのだろう」と冷ややかだった。エル・ファシルの一件で反戦派はすっかりヤン嫌いになった。しかし、曲解にもほどがある。これではヤン准将がかわいそうだ。
いずれにせよ、彼の行動が反戦主義の文脈で捉えられることは無かったのである。未曾有の武勲にもかかわらず、不幸になったように見えた。
エル・ファシル七月危機の英雄は一躍マスコミの寵児となった。テレビにエル・ファシルの文字が現れない日はない。
一番人気はもちろんヤン・ウェンリー准将である。敗残兵を率いてエル・ファシル星系を守り抜いた功績、反同盟勢力最高の名将レミ・シュライネンを討ち取った功績は大きい。これほどの動乱でありながら、民間人を一人も死なせかった事実も注目に値する。この一戦で知将としての評価を確立した。暴動鎮圧より勝利を優先したことで、主戦派のマッチョイズムを大いにくすぐり、「鋼鉄のヤン」の異名を奉られた。本人としては不本意極まりないことだろう。
それに次ぐのが「エル・ファシル・シックス・コモドール(エル・ファシルの六代将)」と呼ばれる六名の代将。すなわち、俺、メイスフィールド代将、ジャスパー代将、デッシュ代将、ボース代将、ビョルクセン代将である。そのうち、前の世界で活躍したのは、イゼルローン共和政府軍やバーラト自治政府軍の大幹部だったデッシュ代将のみ。その他は名前すら残っていない。
六代将の中で一番人気があるのは、自分で言うのも何だがこの俺だ。海賊討伐作戦での突撃、惑星エル・ファシルを守りぬいた功績から、同盟軍でも指折りの猛将と認知されるに至った。自分ではあまり自覚がなかったのだが、防衛部隊の幕僚によると、防衛戦での指揮ぶりは岩のように落ち着いて見えたらしい。こういったことから、「エル・ファシルの巨岩」と呼ぶ人もいる。「赤毛の驍将」という恥ずかしい異名も健在だ。
その他の六代将の中では、「レクイエム・ジャスパー」ことスカーレット・ジャスパー代将の人気が頭一つ抜けている。最も早くヤン准将を支持したこと、一八日の決戦でシュライネンの旗艦を撃沈したことなどから、ヤン准将の片腕的存在とみなされた。名将フレデリック・ジャスパー元帥の孫娘という血統、三一歳という若さも話題を呼んだ。
こうしたことから、マスコミはヤン准将とジャスパー代将と俺を新世代の名将トリオとして売りだそうとした。
ところが、ヤン准将は好戦的なムードに水を差すような発言を繰り返し、ジャスパー代将は「レクイエム」の異名通りの無愛想ぶりを発揮し、視聴者のヒロイズムを満足させてくれない。そのため、俺一人に出演依頼が殺到した。八年前や四年前とは比較にならないフィーバーだ。
「まさか、あの時の言葉が実現するとはね」
俺の担当カメラマンとなったトニオ・ルシエンデス准尉が苦笑いする。八年前、広報チームの打ち上げの席で、彼は俺に対して「提督にでもなったら、また呼んでくれ」と言ったのだ。
「名将に見えるように撮ってくださいね」
俺はルシエンデス准尉が八年前に語った言葉を返す。本当はまだ准将の辞令をもらっていないのだが。
「まかせといてくれ。リン・パオやアッシュビーと並んでも遜色ないように撮ってやるよ」
「それはちょっと……。どっちも長身の美男子じゃないですか」
「君は背が低いし子供っぽい顔だけど、俺の腕で何とかするから」
「あ、ありがとうございます」
「そんなに童顔が気になるなら、ドーソン提督みたいに口ひげを生やしたらどうだ? あの人も童顔隠しでひげを生やしてるくちだぞ」
「できればそうしたいんですけどね。ひげが生えない体質なんですよ」
「そいつは残念だ」
大して残念じゃなさそうにルシエンデス准尉が言う。
「私も頑張るから」
担当ヘアメイクであり、八年前からの付き合いであるラーニー・ガウリ曹長が、せっせと俺の髪をセットする。
「お願いします」
「これでクリスチアン中佐が広報だったらフルメンバーなのにね」
「残念です。晴れ姿を見ていただきたかったのに」
俺は軽く目を伏せる。当時の広報担当だったエーベルト・クリスチアン中佐は査問を受けている最中だった。独断で暴動鎮圧に出動した罪を問われているのだ。
「無罪の可能性もあるんじゃないの? 君も弁護に出るんでしょ?」
「ええ、それはそうなのですが」
告発されたからといって必ず有罪になるとは限らない。独断専行を行った場合、その妥当性を証明できるか否かが焦点となる。結果的には出動を禁じたヤン准将が正しかったが、星系政府や自治体からの出動要請には応じるのが原則とされており、クリスチアン中佐の行動が合法とされる余地は十分にあった。
「大丈夫よ。対テロのためなら何をしても許されるような空気だから」
ガウリ曹長の言うように、テロと戦うためという名目さえあれば何をしても許されるのが今の同盟だ。シャンプール・ショックの衝撃はそれほどに大きい。
七月初めの時点で二九パーセントだったボナール政権の支持率は、八月には八五パーセントまで上昇した。
ヤン准将は自治体からの出動要請を拒否し続け、テロの防止と引き換えに、惑星エル・ファシルの東大陸西部を焦土にしてしまった。だが、エル・ファシル星系を守りぬいた功績の前には、些細な問題に過ぎないとされた。
「家や車がなんだ! スパイが民間人を殺すかも知れなかったのだぞ!? 命があるだけ有り難いと思え! ヤン提督は一人も死なせなかった! ヤン提督の判断は一〇〇パーセント、いや一〇〇〇パーセント正しい! 法律が認めずとも正義が認める!」
極右政党「統一正義党」のマルタン・ラロシュ代表は、ヤン准将を擁護して拍手喝采を浴びた。
「有罪にせよとは言わん。だが、無罪にするにしても手続きが必要だ。ヤン提督が民間人保護を怠ったのは事実。なし崩し的に免罪するわけにはいくまい。査問会で是非を明らかにすべきだ」
同盟政界の良心と言われるジョアン・レベロ財政委員長は、ヤン准将を査問にかけるよう主張したが、賛同する者はほとんどいなかった。
軍隊と警察に対する悪口はタブーだ。対テロ作戦「すべての暴力を根絶するための作戦」の邪魔をしてはいけないという。
エル・ファシル七月危機、シャンプール・ショックに際しては、当局の不手際も少なくない。帝国の三重スパイ「パウロ」を信用した中央情報局、スリーパーの浸透を防げなかった同盟軍情報部防諜課、革命政府の罠にはまったエル・ファシル方面軍司令官パストーレ中将、テロへの警戒を怠った第七方面軍司令官ムーア中将らの責任は軽くはなかった。しかし、彼らを追及する声は急速に萎んだ。
パストーレ中将とムーア中将はその失策にも関わらず、市民からは悲劇の名将と呼ばれ、国防委員会からは元帥号と自由戦士勲章を授与された。エル・ファシル軍司令官マクライアム少将らその他の戦死者は一階級昇進し、功績に応じて勲章を授与された。
「世論に媚びるような人事はするな。軍が間違いを隠蔽するのは亡国に至る道。責任の所在を明らかにし、過ちを繰り返さぬようにせよ」
国家安全保障顧問ルチオ・アルバネーゼ退役大将は、パストーレ中将とムーア中将への元帥号授与に反対し、彼らの采配を徹底検証するように求めたが、受け入れられなかった。自由惑星同盟で最も影響力のある一〇人の一人に数えられ、二年前に最高評議会を動かしてサイオキシンマフィアの摘発を中止させた超大物ですら、この空気の前には無力だった。
俺もこんな風潮と無縁ではいられない。ある日、大手新聞『シチズンズ・フレンズ』のインタビュアーがやってきた。
「フィリップス提督はテロとの戦いについて、いかが思われますか?」
シチズンズ・フレンズは、大手紙の中で最も右派的な新聞。そして、俺はトリューニヒト国防委員長との関係、優等生的な言動などから、一般的には右寄りと思われている。エル・ファシル危機ではテロリストに殺されかけた。どんな発言を期待されているのかは考えるまでもないだろう。
「そうですね……」
模範解答を口にしようとした瞬間、舌が動かなくなった。俺を殺そうとしたルチエ・ハッセルが頭の中に浮かんだのだ。
前の人生での経験から、貧困や憎悪が人をテロに走らせることを知っている。そして、今の世界では、エル・ファシル義勇旅団結成のきっかけを作り、貧困と憎悪の種をまいてしまった。そんな自分にはテロリストを絶対悪として糾弾できない。
「エル・ファシルでは……」
自分の舌がテロリストに同情的な方向に向きかけたのに気づいたが、止められなかった。
「エル・ファシルでは、秩序こそ何にも代えがたいものだと再確認しました。そして、秩序の敵は貧困です。着任当初の第八一一独立任務戦隊には秩序がありませんでした。予算が不足していたからです」
「それを解決したのがトリューニヒト・ドクトリンですね」
「その通りです。エル・ファシルでは、少なからぬ数の人々がテロに加担しました。海賊には大勢の退役軍人が参加しました。貧困が憎悪を育てたのです。目の前のテロリストを倒しても、貧困を解決し、憎悪を消し去らなければ、新しいテロリストが何度でも現れることでしょう。トリューニヒト・ドクトリンは民生支援を重視します。それゆえに唯一有効な対テロ戦略足りえるのです」
「なるほど」
インタビュアーは明らかに失望していた。激しいテロリスト批判を期待していたのであろう。やはり期待には添えなかったようだ。
結局、このインタビューはお蔵入りとなった。「なぜ俺の言いたいことを伝えないのか」と怒るのでなく、「攻撃を受けずに済んだ」とほっとする辺りが我ながら小心者だ。
インタビューが載るはずだった本日付のシチズンズ・フレンズをパラパラとめくる。第七次イゼルローン遠征軍の扱いが一番大きい。
俺たちがハイネセンに到着する三日前の八月二四日、六万六七〇〇隻からなるイゼルローン遠征軍が出発した。
総司令官は宇宙艦隊副司令長官に昇格したばかりの「ミスター・パーフェクト」ジェフリー・パエッタ大将。司令長官ロボス元帥は大胆だが詰めが甘い。そこで完璧主義者の副司令長官が起用された。
第一陣の指揮官は、六七歳の第四艦隊司令官ラムゼイ・ワーツ中将。二等兵からの叩き上げで、ビュコック中将やルフェーブル中将に匹敵する老巧の将である。司令官職に内定していた故パストーレ元帥が、エル・ファシル方面軍を率いることとなったため、代わりに司令官となった。
第二陣の指揮官は、第六艦隊司令官エドワード・トインビー中将。二〇年続いたバンプール海賊との戦いに終止符を打った功績により、同盟軍屈指の戦略家と呼ばれるようになった。司令官職に内定していた故ムーア元帥が、第七方面軍司令官から離れられなかったため、代わりに司令官となった。
第三陣はパエッタ大将の直率部隊であるが、実質的には第二艦隊副司令官ナヴィド・ホセイニ少将が指揮をとる。
第四陣の指揮官は、第一二艦隊司令官ウラディミール・ボロディン中将。戦列を維持する手腕にかけては右に出る者のいない名将であり、同盟軍きっての紳士として知られる。シトレ派に属しており、遠征軍の艦隊司令官の中では唯一の非トリューニヒト派だった。
総戦力は四個艦隊と六個予備役分艦隊を合わせて六万六七〇〇隻。第一二艦隊、第一六独立分艦隊、第一九独立分艦隊以外はすべてトリューニヒト派の部隊であり、トリューニヒト・ドクトリンを対帝国戦で試すための布陣である。
この大軍を迎え撃つのは、帝国軍最高の戦術家ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥。援軍を率いてイゼルローン要塞に入り、二年前のミュッケンベルガー元帥と同じように要塞駐留艦隊と要塞防衛軍を一括指揮する。帝都オーディンを出発する際に「トゥールハンマーを使うつもりはない。艦隊戦だけで勝つ」と豪語し、全宇宙から嘲笑を浴びた。
同盟国内は楽勝ムードが充満していた。敵は三万隻にも満たないのに、要塞に頼ろうとしない。味方の司令官はみんな名将で、ラップ准将やアッテンボロー代将といった気鋭の若手もいる。負ける要素がないと誰もが考えた。
「ローエングラム元帥と要塞駐留艦隊司令官フォルゲン大将の名は、第二次ティアマト会戦で大敗したツィーテン元帥と同じラインハルト。つまり、帝国軍は大敗する運命なのだ!」
円盤占い師キング・マーキュリーの発言には、何の根拠も無かったのだが、マスコミからは引っ張りだこになった。
俺には前の世界の記憶がある。アスターテ星域会戦において二倍の同盟軍と戦ったラインハルトは、パストーレ中将とムーア中将を討ち取り、パエッタ中将に重傷を負わせた。大軍を揃えたぐらいで勝てる相手ではない。負けるんじゃないかと不安になってくる。
もっとも、この世界が前の世界と同じ展開をたどるとは限らない。六万隻の第七次イゼルローン遠征軍、そのきっかけとなったシャンプール・ショックは、前の世界では存在しなかった。前の世界のパエッタ大将は、大将でも宇宙艦隊副司令長官でもなかった。アスターテで敗れたパストーレ元帥とムーア元帥はテロに倒れた。それでもラインハルトがパエッタ大将に敗れるところが想像できない。
もちろん、マスコミに対しては、「遠征軍の活躍に期待しています」と答える。この雰囲気の中で後ろ向きなことを言うのは難しい。それに勝てるものなら勝ってほしいというのが正直な気持ちだ。
国を愛さなければならないという風潮が広がっていた。人々は挨拶や乾杯の際に「同盟万歳!」と唱え、これ見よがしに国旗を掲げ、自分がいかに国を愛しているかを競った。アピールが足りないとみなされると、周囲から「国を愛していない」と非難され、社会的不利益を被ることすらあるという。
愛国心の暴風、パトリオット・シンドロームが自由惑星同盟を飲み込もうとしていた。
エル・ファシル慰霊祭におけるヤンの態度は原作小説一巻のアスターテ慰霊祭におけるそれを踏襲したものであり、私の創作ではありません。アニメではヤンはアスターテ慰霊祭に出席していないのですが、それは原作小説と異なります。小説未読の方、アニメでしか銀河英雄伝説を知らない方のためにあらかじめお断りさせておきます。
小説とアニメでは描写の異なるところが少なくないのですが、双方を比較して可能な限り小説の方を優先するようにしております。ご了承ください。