人類が宇宙軍を持った西暦二四八九年から現在に至るまでの一一〇六年間のうち、現代のような正規軍同士の戦争が行われた期間は三〇〇年に満たない。それ以外の期間における宇宙軍の最大の敵は、国内の反乱分子、そして宇宙海賊であった。
宇宙海賊とは、星間航路で略奪行為を働く非合法武装集団を指す。一口に略奪行為と言っても、乗組員の持ち物や積み荷を強奪したり、乗組員を人質に取って身代金を要求したり、船を乗っ取って転売したりするなど、その様態は多種多様である。
海賊活動は星間交易に悪影響を及ぼす。食糧やエネルギーを自給できない惑星にとっては、文字通り死活問題となる。それゆえに歴代の宇宙軍は総力をあげて海賊対策に取り組んだ。銀河連邦最高の名将クリストファー・ウッド元帥、史上最悪の独裁者ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムなども海賊討伐の英雄として頭角を現した。
自由惑星同盟の国防白書は、海賊を帝国軍に次ぐ大敵としている。宇宙暦六四〇年に対帝国戦争が始まってからも、航路警備にあたる地方警備部隊の総数は、対帝国部隊と同等以上だった。それが変化したのは三年前のことだ
当時のレベロ財政委員長が国防予算の削減に踏み切った結果、同盟軍の常備兵力は六六〇〇万から五七〇〇万まで減少した。
統合作戦本部長シトレ元帥は、対帝国戦争と軍縮を両立する苦肉の策として、国土防衛戦略「スペースネットワーク戦略」を提唱。多くの兵力を広く薄く配備する地方警備戦略を、少数精鋭の機動的運用に転換しようというのだ。
対帝国部隊の戦力は維持できたが、航路警備能力の低下は否めない。一方、宇宙海賊は、解雇された軍人、統廃合された部隊から流出した武器などを獲得し、勢力を拡大した。
現在の同盟領内で最大の勢力を誇る海賊は、エル・ファシル星系と周辺の無人星系を拠点とするエル・ファシル海賊だ。活動範囲はエルゴン星系からティアマト星系に至るまでの国境星域。現在の総勢力は艦艇が約八〇〇〇隻、構成員が約四五万人と推定され、その半数が五大組織のいずれかに属するという。
イゼルローン回廊周辺の国境宙域には、宇宙軍の二個分艦隊及び地上軍の一個野戦軍が四か月交代で駐留し、哨戒活動に従事する。その補給物資がエル・ファシル海賊に狙われた。
地方警備部隊は戦力不足に苦しんでいる。国境への補給にあたる第七方面軍も例外ではない。定例巡視の回数を三分の二まで減らし、基地の三割を閉鎖しても、輸送部隊の護衛にあたる戦力を確保できなかった。無防備な輸送部隊は海賊の餌食となり、国境駐留部隊は補給難に陥った。
国防委員会はエル・ファシル海賊を国防上の脅威と認定し、本格的な対策に乗り出した。第七方面軍の任務は、管区内の警備、災害派遣、予備役軍人の管理、対帝国部隊の兵站支援など多岐にわたる。海賊対策だけに専念してはいられない。
そこでエル・ファシル海賊専任の任務部隊「第一三任務艦隊」が臨時に編成された。司令官は艦隊副司令官クラスの少将。基幹戦力は正規艦隊配下の二個分艦隊及び二個陸戦遠征軍団。半個艦隊に匹敵する戦力だ。司令官、所属部隊は四か月おきに交代する。
第一次派遣隊司令官は、第一一艦隊副司令官フィリップ・ルグランジュ少将。決して切れ者ではないが、部下をまとめるのがうまい。混成部隊を率いるのにはうってつけの人物だ。
艦艇部隊からは第四艦隊B分艦隊と第一二艦隊A分艦隊、陸戦隊からは第七二陸戦遠征軍団と第一〇四陸戦遠征軍団が第一次派遣隊に選ばれた。
俺が提示されたポストは、第四艦隊B分艦隊所属の第二一駆逐戦隊第一駆逐群司令。駐屯地はサラージュ星系の首星ノウ・ザラウ。
「一度、君に指揮官を経験してほしいと思っているのだよ」
スクリーンの向こう側でヨブ・トリューニヒト国防委員長が微笑む。
「でも、俺は用兵が全然できないですよ」
「それは問題ない。君の仕事は部隊の運用及び管理、そして地域政府との交渉が主だ」
それからトリューニヒト委員長は、対海賊戦の基本について話してくれた。艦隊戦は最低でも数百隻単位で動く。しかし、対海賊戦では、一〇隻から二〇隻程度の部隊を小分けにして、広い宙域にばらまくのだそうだ。
艦隊戦の基本作戦単位は機動部隊。戦隊以下は同じ艦種で部隊を組む。しかし、対海賊戦は隊でも複数艦種の混成部隊になる。
臨時編成の混成部隊は「任務部隊」と呼ばれる。第二一駆逐戦隊第一駆逐群の場合は、配下の駆逐艦の半数を他の部隊に貸し出し、その代わりに戦艦や巡航艦などを借り受け、派遣期間が終わるまで任務部隊「第二一一任務群」を名乗るのだという。
「エリヤ君は指揮官向きではないかと思っていてね。一度手腕を試してみたい」
「なるほど」
それはわからないでもない。厳密に言うと参謀に向かなさすぎる。指揮官として使った方がまだましなんじゃないかと、トリューニヒト委員長は考えたのだろう。
「ははは、消去法じゃないさ。指揮官には必要なものが六つある。愛国心、闘志、頭脳、忍耐力、責任感、協調性だ。君は知力以外すべてを備えている。きっといい指揮官になれるさ」
「ありがとうございます」
俺はひたすら頭を下げる。ここまで高く評価されたら、「自分は無能だ」などと言っていられなかった。
その次の日、第一三任務艦隊司令官ルグランジュ少将が通信を入れてきた。任務艦隊副参謀長に就任して欲しいのという。
「私はどうも政治が苦手だ。派閥に入っとらんし、政治家や役人との付き合い方も分からん。そこら辺を貴官に頼みたい」
ルグランジュ少将は漫画に出てくる軍人そのものの強面だ。それなのに威圧感がまったく感じられない。疑問を口にしても許されそうな雰囲気がある。
「なぜ小官なのでしょうか?」
「貴官は対人関係を作るのが上手だ。情報管理もできる」
「それならば、ヴォー大佐の方が適任ではありませんか?」
俺はルグランジュ少将と旧知の政治軍人の名をあげた。
「あいつはいかん。いわゆる豪腕というやつでな。説得力はあるのだが、強引すぎてトラブルも招く。その点、貴官は穏やかでいい」
「恐縮です」
頭の天辺から足の爪先までが緊張で固まる。ルグランジュ少将はドーソン中将と正反対だ。巧妙ではないが闘志あふれる指揮。指示は大雑把で、部下の自主性を重んじる。そんな提督からの評価が恐れ多い。
筋から言えば、トリューニヒト委員長の誘いを受けるべきだろう。しかし、ドーソン・チーム以外の幕僚チームを経験したい気持ちもある。
悩んだあげく、ちょうど家に泊まりに来ていたダーシャ・ブレツェリ中佐に相談した。
「私なら副参謀長にするね。八〇万近い大軍の副参謀長なんて滅多に経験できないよ」
「でも、指揮官も捨てがたいんだよなあ」
「四か月過ぎたら消滅するポストじゃん。それから指揮官をやっても遅くないよ」
「ああ、確かにそうだな」
さすがは士官学校の優等生だ。俺が二日も悩んだ問題を一瞬で片付けてしまった。
「じゃあ、風呂に入ってくるから」
「ああ、分かった」
ダーシャが浴室に入ったのを見計らい、トリューニヒト委員長に通信を入れる。
「――というわけで、ルグランジュ提督の誘いを受けようかと」
「それがエリヤ君の考えか」
俺が話し終えた後も、トリューニヒト委員長の微笑みは崩れない。
「申し訳ありません」
「構わんよ。そうした方が勉強できると思ったのだろう? 尊重しようじゃないか。ルグランジュ君の統率は参考になるだろう。地方を見るにもその方が都合がいいしね」
トリューニヒト委員長は俺の判断に理解を示してくれた。こうして第一三任務艦隊の副参謀長への就任が決まった。
七月一四日、エルゴン星系に到着した第一三任務艦隊は、第二惑星シャンプールの星都シャンプールに司令部を置いた。この惑星は言わずと知れた国境星域の中心地で、ドラゴニア航路とパランティア航路の起点である。
第四艦隊B分艦隊は二手に分かれ、半数が「エルゴン任務分艦隊」としてエルゴンに留まり、残る半数が「パランティア任務分艦隊」としてパランティア星系に進路をとった。第一二艦隊A分艦隊も二手に分かれ、片方が「ドラゴニア任務分艦隊」としてドラゴニア星系に向かい、もう片方が「アスターテ任務分艦隊」となってアスターテ星系に向かう。
これらの部隊は、第七方面軍配下のエルゴン星域軍管区、パランティア星域軍管区、ドラゴニア星域軍管区、アスターテ星域軍管区にそれぞれ対応する。星域軍管区とは、四つから五つの有人星系、三〇から五〇の無人星系を管轄する部隊単位だ。
宇宙海賊は小回りの利く小型艇で獲物に急接近し、接舷して白兵戦要員を乗り込ませ、人質や金品を素早く略奪して逃げる。こういった戦いには、戦闘力ではなく足の早さが必要だ。
敵の足を封じるために警戒監視活動を実施する。第一三任務艦隊司令部は、小回りはきかないが航続距離の長い戦艦や巡航艦を遠洋、航続距離は短いが小回りの利く駆逐艦を航路上に配備。宇宙母艦は単座式戦闘艇「スパルタニアン」の移動基地として、駆逐艦とともに航路上での警戒にあたる。彼らが得た情報は、情報処理システムを通して全軍が共有。すべての部隊が海賊の動きをリアルタイムで追いかけた。
同時に護衛活動も行う。民間船に船団を組ませ、駆逐艦、スパルタニアンを搭載した巡航艦を護衛に付けた。また、陸戦隊員が警備要員として民間船に乗り組む場合もある。
護衛部隊が海賊と遭遇した場合は、停船を要求しなければならない。拒否された場合、あるいは要求する余裕が無い場合のみ戦う。戦闘に及んだ場合でも、海賊船の拘留、海賊構成員の身柄確保が優先される。第一三任務艦隊が受けた命令は警備であって討伐ではない。それに法的には海賊はただの刑法犯罪者。むやみに殺すわけにはいかないのである。
華々しい武勲とは縁の無い戦いだった。そのせいかマスコミからの注目度が低い。軍部寄りのマスコミはいくらか取り上げてくれたが、非好意的なマスコミからは黙殺された。
作戦行動が始まってから三日目の一七日、第一三任務艦隊と海賊が初めて戦った。ローカパーラ星系において、パランティア任務分艦隊配下の護衛部隊が、貨物船を襲撃しようとした海賊船一八隻を撃退した。
その後、エルゴン任務分艦隊、ドラゴニア任務分艦隊、アスターテ任務分艦隊も相次いで海賊と戦った。
海賊は数隻から二〇隻程度の単位で動く。そのほとんどが改造された民間用高速艇、旧式の軍用戦闘艇など、星系間航行能力を持たない小型艇だ。星系間航行能力を持つ船にしても、武装が施された商船、旧式の駆逐艦や砲艦程度。大きな組織は旧式の巡航艦も持っているが、正規艦隊の精鋭相手に艦隊戦を挑むほど愚かではない。対帝国戦よりはるかに小規模な戦いが繰り広げられた。
実戦はもっぱら隊や分隊の単位で進む。群より大きな部隊が、部隊配置、後方支援、関係機関との調整などを行う。
シャンプールの任務艦隊司令部は、危険宙域への立ち入りを控えるよう勧告を出し、護衛部隊の配分を変えるなど民間船の航行を統制した。また、対海賊戦略の立案、中央政府との折衝、配下部隊では処理しきれない問題の処理などにも携わる。
九月二五日の任務艦隊幕僚会議では、アルタ星系で現地の女性を強姦したディーン・カーヴェイ兵長の処分が議題にのぼった。
「軍刑法では強姦致傷は最低でも一〇年以上の懲役、最高は終身刑になります。一方、アルタの星系法では五年以上の懲役。二〇年以上の懲役が課された判例はありません」
任務艦隊法務部長アルフォンス・ガースン中佐が、軍刑法とアルタ星系法の違いを説明する。
「軍法で処分するより他にあるまい」
三〇代半ばの女性がぶっきらぼうに言い放つ。ひっつめ髪と分厚いメガネが冷たい印象を増幅する。この人物は任務艦隊参謀長のソフィア・エーリン准将。ルグランジュ司令官が片腕と頼む謀将だ。
「そうだな。このような下衆が現れたのは我らの責任。自分の手で始末を付けるのが筋だろう」
任務艦隊司令官フィリップ・ルグランジュ少将は、怒りを隠し切れないといった感じだ。他の幕僚たちも同意を示す。
できることなら俺も同意したかった。カーヴェイという男は、前の世界でタッツイーやピローと一緒に俺を痛めつけた古参兵だ。奴の変態性欲にはさんざん苦しめられた。蛇のような顔を思い出すだけでおぞましいが、怨恨と刑罰は別だ。不快感を押しこめて口を開く。
「待ってください。アルタの世論は現地での裁判を求めております。星系警察の犯人引き渡し要求に応じた方が良いでしょう」
軍法で裁くのではなく、現地で裁判を受けさせた方がいい。それが俺の意見だ。しかし、ルグランジュ司令官は納得がいかない様子だった。
「重く処罰した方が、住民も満足するんじゃないか?」
「誰が裁くかが問題なのです。地元で起きた事件は自分の手で裁きたい。それが住民感情です」
「そう、誰が裁くかが問題だ。このような非行は決して許さないと、軍の名前で知らしめる。そのことに意味があるんじゃないかね」
あくまで軍としての筋を通そうとするルグランジュ司令官。しかし、それはまずい。
「守る軍と守られる市民がはっきり分かれる対帝国戦とは違います。市民や行政との共同作戦なのです。彼らもまた友軍だとお考えください」
「軍だけの戦いではないということか。ならば、副参謀長に一理ある」
「ありがとうございます」
「なに、感謝するのは私の方だ。軍隊以外のことは分からんのでな」
ルグランジュ司令官の顔に穏やかな笑みが浮かぶ。一見すると強面に見える彼だが、実際は気さくで話しやすい人だった。
第一三任務艦隊には、疑問があれば解決するまで話し合うというルールがある。この部隊の会議は一人一人に参加意識を持たせ、一体感を作るための会議だ。
つまらないことを言っても馬鹿にされない。誰もが正面から相手にしてくれる。そんな部隊にいたら、誰だってやる気が出る。第一三任務艦隊では、上官は部下を可愛がり、同僚はお互いを信じ合い、部下は上官を頼りにする。将官から一兵卒に至るまでが強い絆で結ばれていた。
前の世界のルグランジュ司令官は、クーデターを起こした救国軍事会議の実戦指揮官となり、ドーリア星域で天才ヤン・ウェンリー大将と戦った。ヤン大将の計略で戦力を四分させられたが、敗勢が決定的となった後も戦い続け、ほとんどの艦が降伏も逃亡もせずに玉砕したと言う。天才を辟易させた鉄壁の統率。その真髄がここにある。
本当に俺は上官に恵まれた。コズヴォフスキ大尉、ドーソン中将、そしてルグランジュ司令官。仕えるだけで勉強になる。
しかしながら、ルグランジュ司令官も完全無欠ではない。長所と短所は表裏一体のものだ。古代の軍事理論書によると、信義に厚すぎると騙されやすく、思いやりが深すぎると心配事が多くなるという。統率者としての長所は、用兵家としての短所でもあった。
欠点は他人が補えばいい。ルグランジュ司令官は、智謀に長けたエーリン准将を参謀長、抜け目のないクィルター大佐を作戦部長に登用し、自分の足りない部分を補わせた。
これまで仕えてきたドーソン中将は言うことを聞く幕僚を求めた。しかし、ルグランジュ司令官は助けになる幕僚を求める。言われたとおりに動くだけでは不十分だ。自分に何ができるかを考えて動く必要がある。とても難しかったが、とてもやりがいの感じられることでもあった。
作戦開始から二か月が過ぎ、九月になった。第一三任務艦隊の活動の結果、海賊被害は半数以下まで落ち込んだ。それでもマスコミからの扱いは小さい。艦隊を撃破するとか、基地を破壊するとか、そういった派手なニュースが無いからだ。
世間の関心は帝国情勢に集まっている。ルートヴィヒ皇太子の廃立が目前に思われたが、思わぬところでつまずいた。新しい皇位継承者を皇孫女エリザベートと皇孫女サビーネのどちらにするかで、反皇太子派が割れたのだ。前者は枢密院議長ブラウンシュヴァイク公爵の娘、後者は大審院長リッテンハイム侯爵の娘であり、本人の資質、父親の政治力、支持者の数ともに互角。皇太子の廃立が終わらないうちに、反皇太子派はブラウンシュヴァイク派とリッテンハイム派に分かれて争い始めた。
フリードリヒ帝の行動が状況をややこしくした。一三年ぶりに皇太子の居館に行幸し、宿泊したという。また、行幸の供を九度も命じられたそうだ。
報道の不正確さには定評のある帝国国営通信社だが、皇帝の行幸についてはやたらと詳しく報じる。臣下の側にとっては一大行事だからだ。それゆえに帝国情勢の専門家は、行幸報道を録画して食い入るように眺めるらしい。
もっとも注目される情報は、皇帝が誰の居館を訪れたか、誰が行幸の供をしたかだ。その回数が重臣の信頼度を示す指標とされる。ここ数年はブラウンシュヴァイク公爵、リッテンハイム侯爵、リヒテンラーデ侯爵、カストロプ公爵、エーレンベルク元帥の五名が最も信頼される重臣と言われてきた。だが、先月だけならルートヴィヒ皇太子が抜群に多いのである。一年に二、三回程度しか供をしなかった皇太子が、五大重臣よりも多く供を命じられた。驚くべき事態だ。
「皇帝は皇太子に跡を継がせたいのではないか」
そんな憶測が流れた。しかし、先月末の大赦でも皇太子の配下は赦免の対象外とされており、元帥号の再授与も行われていないことから、廃太子の下準備と見る者もいる。
「リンダーホーフ侯爵だろう」
意外な名を口にする者もいる。最近、フリードリヒ帝の妹の子にあたるラーベンスブルク伯爵レオンハルトが、リンダーホーフ侯爵位を授けられた。この侯爵位は即位前の止血帝エーリッヒ二世が保持した由緒があり、皇帝の庶子もしくは男系の甥などに授与されるならいだ。レオンハルトの人物像は不明だが、この時期の昇格に何の意味もないなんてことはないだろう。
いずれにせよ、皇位継承問題が混沌としたのは間違いない。政局が動く時に軍隊も動くという点では、同盟と帝国も共通する。
宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥が、四万隻を率いて帝都オーディンを出発した。グライスヴァルト上級大将、ヒルデスハイム中将など、ブラウンシュヴァイク一門の有力軍人が名を連ねており、ブラウンシュヴァイク公爵主導の出兵と見られる。
これに対し、宇宙艦隊司令長官ロボス元帥は、第五艦隊、第八艦隊、第一〇艦隊を率いて迎撃に向かう。
今年の四月と同じティアマト星域が決戦場になると見られる。過去にこの星域で行われた三度の大会戦のうち、二度は同盟軍の勝利に終わった。三度目を指揮したのがロボス元帥だ。
「第四次ティアマト会戦迫る! 同盟軍の三連勝なるか!?」
電子新聞にはこんな見出しが踊る。ティアマト星域は同盟軍にとって縁起のいい場所だ。否が応でも期待が高まる。
国防研究所戦史研究部長ヤン・ウェンリー准将は、マスコミの取材に対し、「前も勝ったから今回も勝てるなんて、虫が良すぎるんじゃないですかね」と答えたらしい。もちろん、このコメントは使用されなかった。
最も多く使われたコメントは、士官学校副校長サンドル・アラルコン少将の「一度は偶然、二度は必然! 二度ある事は三度ある! 我が軍の勝利は疑いなし!」だった。
「お調子者め。そんなにうまくいってたまるか」
ルグランジュ司令官がプリントアウトした電子新聞をデスクの上に放り投げた。
「まあ、そうですよね」
俺も心の底から同意した。今回の出兵にはあのラインハルトも参陣しているのだ。
「こうも持ち上げられては、ロボス元帥もやりにくいだろうに」
「ええ、心配になります」
頭の中に浮かんだのは、ロボス元帥に仕える親友アンドリュー・フォーク大佐の顔。どれほど大きなプレッシャーを感じているのだろうか? 想像したくもない。
「その点、我々は気楽なものだ。自分のペースで戦える」
「まったくです」
「ただでさえ気の詰まる任務だ。せめて自由にやらせてもらわんとな」
ルグランジュ司令官が愛嬌たっぷりに笑う。根っからの軍艦乗りである彼にとって、地上勤務は結構なストレスだ。それでも明るく振る舞うことは忘れない。これが人の上に立つ器だった。
司令官のもとを退出した俺は、司令部ビルの前で待機していた公用車に乗り込み、宇宙港へと向かう。超光速通信で数千光年の彼方と交信できる時代でも、直接足を運ばなければわからないことは多い。そのため、幕僚が出張して生の情報を取りに行く。
今回の目的地はヤム・ナハル星系。星系政府が「ドラゴニア任務分艦隊が航路管理権を侵害している」と不満を漏らしたらしい。同盟政府と各星系の関係は主人と臣下ではなく、対等なパートナーという建前だ。同盟政府は各星系の主権を尊重する義務を負う。妥協の糸口を探るのが俺の役目だった。
シャンプールを出発した二日後、ヤム・ナハル星系首星エシュヌンナに入った俺は、星系政府のロンズデール国務次官補、スコフロンスキ運輸省航宙局長、ブラネスク軌道警備隊副長官と相次いで会談した。
「おお、あなたがエリヤ・フィリップス大佐ですか! 本当に腰の低い方ですなあ! ハイネセンの役人とはえらい違いだ!」
ロンズデール次官補の上機嫌ぶりは、明らかに社交辞令の域を超えていた。
「中央にこんな謙虚な方がいらっしゃるとは思いもしませんでした。先週の国防委員なんて本当に酷くて……」
スコフロンスキ局長が愚痴を漏らす。俺の属するトリューニヒト派と、件の国防委員が属するバイ派は敵対関係だ。それゆえに愚痴を言っても構わないと思われたのだろう。
「あなたは本当は辺境の生まれでしょう? 中央の人とは思えない」
過激なヤム・ナハル民族主義者と名高いブラネスク副長官は、会談が終わった後にこんなことを聞いてきた。
省庁幹部との会談を終えた俺は、護衛官二人とともに私服姿で星都ハリスを散策した。中心街には空きビルが目立つ。通行人は高齢者ばかりで、五〇代でも若い部類に入る。死にかけた街という印象だ。
いくつかの店を覗いた。一〇代の少年、五〇代以上の高年齢層がパートの名札を付けて働いている。どの店でも客より店員の方が多い。品揃えは第一一艦隊基地の売店よりもはるかに劣る。少ない商品はきれいに並べられ、床にはチリひとつ落ちておらず、店員がどうやって時間を潰しているのかが伺えた。いたたまれなくて、必要のない物をたくさん買った。
宿舎に戻った後、地元で発行されている新聞や雑誌を片っ端から読んだ。ごく当たり前に中央宙域に対する悪口が出てくる。中央宙域で賞賛される改革についても、弱気な記事は補助金が減るのを心配し、強気な記事は「地方切り捨てだ」と批判する。地方補助金を削減したレベロ財政委員長を、植民星への再配分を拒否した地球統一政府与党のリューブリック書記長と並べ、「冷酷な専制君主」と呼ぶ記事もあった。
企業や住民なども槍玉にあがっていた。中央の企業に対しては、農産物を安く買い叩かれるのが腹立たしいらしい。中央の住民は、「札束で頬をひっぱたきに来る奴」と「説教を垂れに来る奴」しかいないのだそうだ。
求人誌を読んでみて、二〇代から四〇代の働き盛りを見かけない理由がわかった。正社員の募集は恐ろしく少ない。パートも同盟最低賃金ギリギリの時給だ。そして、中央宙域で働く期間労働者の時給だけが飛び抜けて高い。働き盛りはみんな出稼ぎに行ってしまう。
こういったことはヤム・ナハルに限らない。辺境には農業や鉱業など一次産業への依存度が高い星系が多く、流通を握る中央宙域の大企業に逆らえない。資金繰りに困った時に現れるのが中央宙域の金融資本。価格決定力を持たない辺境は、産品を安く買い叩かれた上に、借金でがんじがらめにされるわけだ。地球統一政府の時代、地球企業が植民星経済を支配した故事を思い出す。
ハイネセンでは人余りが問題になっていた。単純労働ですら競争率が恐ろしく上がっている。不況に苦しむ企業は、だぶついた人材を短期間で使い捨てて人件費を節約するようになった。おかげで熟練労働者が育たない。辺境問題と人余りの相関関係が理解できた。
二日目にはヤム・ナハル星系警備隊司令部を訪ねた。今のところ、任務艦隊と彼らの関係は安定しているが、パイプを築くにこしたことはない。
「これはこれは! こんなむさ苦しいところにお越しいただき、光栄であります!」
警備司令官モンターニョ准将は、揉み手しながら俺を出迎えた。仮に上官相手だとしても卑屈にすぎる。まして、階級も年齢も相手の方が上だ。
「こちらこそ直々にお出迎えいただき恐縮です」
俺は全力で社交用の笑顔を作った。相手の卑屈さに不快感を覚えないでもなかったが、そんなものは心の奥にしまい込む。
第一三任務艦隊の作戦範囲は第七方面軍の管轄、各任務分艦隊の管轄は星域軍の管轄とぴったり重なる。星域軍の配下には、機動戦力の星域即応部隊、広域警備担当の星間巡視隊、そして四つから六つの星系警備隊が置かれる。
海賊対策を進めるにあたって、これらの地方警備部隊の力が必要になる場面も多い。しかし、簡単に協力し合える関係でも無かった。任務や権限の大部分が重複している。そして、指揮系統の上では完全な別組織。揉めてくださいと言わんばかりだ。
さらに困ったことに、地方警備部隊の間にも中央に対する不信感が強かった。方面軍には中央勤務経験者が多く、それほど意識の差は大きくない。だが、星域軍や星系警備隊は地方勤務の長い者が大多数を占める。そして、地方警備部隊は予算でも人事でも冷遇されてきた。中央勤務者と地方勤務者の間には深い溝がある。
モンターニョ准将の卑屈な態度も不信感の裏返しだ。頭を下げて済ませたいという気持ちが透けて見える。口や態度にあらわす者もいれば、笑顔の中に本心を隠す者もいる。そういったところは役人や住民と変わりない。
結局のところ、不信感をほぐさなければどうにもならなかった。世間では、俺は「エル・ファシルの英雄で、同盟軍のトップエリート」と言われる。チビで童顔なせいで威圧感が皆無。そんな人間が頭を下げるだけで溜飲を下げる人は多い。それに小物歴が長いおかげで、頭を下げるのには慣れっこだ。腰の低さと気配りの力で問題解決にあたった。
しかし、頭を下げるだけでは済まない問題もある。宿舎に戻って端末を開いた途端、こめかみが痛くなった。
「参ったなあ」
メールを一読しただけで憂鬱になった。差出人はムシュフシュ星系のノヴェリ国務次官補。ムシュフシュ星系政府が同盟軍への協力停止を検討中との内容だ。
星系共和国が加盟国主権を持ち出せば、帝国と独自に国交を開こうが、同盟から離脱しようが、建前の上では自由だ。同盟軍への協力を一時的に停止する星系も何年かに一度は出る。しかし、自分がそれに遭遇するというのは、あまり愉快ではない。
九日前、ムシュフシュ星系第五惑星テル・アスマルで、パランティア任務分艦隊の陸戦隊員が飲酒運転で子供を跳ねた後、基地の中へと逃げ込んだ。星系政府はパランティア任務分艦隊に被疑者を引き渡すよう求めた。
要求に応じれば丸く収まるはずだった。ところが、パランティア任務分艦隊は引き渡しを拒否。被疑者に対しては「門限に遅れた」との理由で三日間の謹慎を命じただけで、事故の責任は問おうとしない。分艦隊広報室長のジャジャム少佐は、「我らの非は一ミリたりとも存在しない」と断言し、星系政府や被害者サイドを挑発するような発言を繰り返す。
第一三任務艦隊司令部とムシュフシュ星系政府は、水面下で交渉を重ねたが、パランティア任務分艦隊の強硬姿勢が障害となった。姿勢を軟化させるよう求めても、一向に改まらない。
星系政府としては穏便に済ませたかったのだが、住民からの突き上げ、パランティア任務分艦隊への不快感などから、強硬論へと引きずられつつあるらしい。ノヴェリ国務次官補のメールは、これ以上強硬論を抑えられないという星系政府からの非公式メッセージだった。
パランティア任務分艦隊の政策調整官バトムンク中佐からのメールも届いていた。一切妥協する必要はないという内容だ。星系政府が強硬論を煽り、同盟政府とのエネルギー価格交渉を有利に運ぼうとしているというのが、パランティア任務分艦隊司令部の見解らしい。
ムシュフシュ星系警備隊からは二通のメールが届いていた。どちらもノヴェリ国務次官補やバトムンク中佐のような公的ルートとは異なる。
ムシュフシュ第二警備旅団長代理のボーリィ地上軍中佐は、星系警備隊が星系政府の非妥協的な姿勢に反発していると述べる。星系首相を「銀河帝国ムシュフシュ自治領主」、住民を「帝国の賤民志願者」と呼んで嘲る幕僚もいるらしい。
一方、ムシュフシュ憲兵隊長のワディンガム宇宙軍少佐のメールによると、警備隊員の多くがパランティア任務分艦隊の高圧的な態度にうんざりしているそうだ。
すべてのメールを読み終えた後、砂糖とクリームでドロドロになったコーヒーを飲んで糖分を補給した。そして、ルグランジュ司令官に通信を入れる。
「――というわけです。直接現地に飛んで、自分の目で確認したいと思います。許可をいただけますか?」
「ヤム・ナハルから直接ムシュフシュに向かうつもりか?」
「ええ、時間がありませんので」
「わかった。貴官に任せよう」
「ありがとうございます」
こうして俺はムシュフシュ星系へと向かった。ここまでこじれてしまった事案は少ないが、こじれかけた事案は多い。それを処理するのも大事な仕事だ。普通の参謀は頭を使うが、俺は足を使うのである。
自由惑星同盟は地方から揺らぎつつある。トリューニヒト委員長の危機感、真面目なルグランジュ司令官が前の世界でクーデターに加担した理由も少しは分かってきた。確かにこれは危うい。
俺のような小物が歴史を動かすなんて無理だろう。しかし、一隅を照らす程度ならできるのではないか。そんなことを思いつつマフィンを口にした。