銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第四章:治安将校エリヤ・フィリップス
第35話:トリューニヒトの凡人主義 795年6月上旬 ハイネセンポリス カフェレストラン~BAR ティエラ・デル・フエゴ


 六月一日、俺は宇宙軍大佐へと昇進した。第三次ティアマト星域会戦において、第一一艦隊司令官クレメンス・ドーソン中将を補佐した功績だと言う。

 

 二七歳と二か月での大佐昇進は、士官学校優等卒業者の平均より一年早く、首席卒業者及び次席卒業者の平均とほぼ同じ。幹部候補生出身者としては、同盟軍史上三番目の早さであった。二〇代の士官で俺より上位にいるのは、七人の宇宙軍准将、四人の地上軍准将、四八人の宇宙軍代将、二六人の地上軍代将のみ。我ながらとんでもないスピード出世だ。

 

 階級は上がったものの仕事内容は変わらない。肩書きから「代理」が取れて、第一一艦隊後方部長となっただけだ。

 

 第一一艦隊の司令部では大幅な人事異動が実施された。作戦部長チュン・ウー・チェン大佐は士官学校戦略研究科の教官となった。その他の非ドーソン系幕僚もほとんど転出してしまい、ドーソン司令官が部下だった憲兵、士官学校での教え子に取って代わられた。第一一艦隊司令部はドーソン系の牙城となったのである。

 

 ドーソン系と非ドーソン系の抗争が終わったら、今度はドーソン系同士の抗争が始まった。新参謀長のネウマール少将と新作戦部長のキースリング大佐が主導権を巡って争っている。前者には憲兵人脈、後者には教え子人脈が付いており、ドーソン系の二本の柱が争う構図だ。憲兵出身の俺は付き合いでネウマール派に属しているが、正直言って興味はない。俺は司令官の子飼いであって、参謀長の子飼いではないし、キースリング派が勝っても立場は揺らがないからだ。

 

 小所帯のドーソン系はみんな知り合い同士だが、それは親密さを保証するものではない。憲兵系と教え子系の対立がその好例であろう。そして、憲兵同士も親密とは限らない。ドーソン司令官は人間関係を取り持つようなタイプではなかった。そういうわけで憲兵同士、教え子同士でも対立が絶えなかった。

 

 むろん、俺と相性の悪いドーソン系も少なくない。そして、相性の悪い知り合いほどやりにくい相手はいないものだ。居心地はかえって悪くなった。

 

 後方部の運営を任せてきた副部長ウノ中佐は第六艦隊に転出し、同い年のアーセン中佐が後任となった。ドーソン司令官が士官学校教官だった時の教え子で、比較的早い時期にトリューニヒト派になった人だが、俺のことをあからさまに嫌っている。馴染みの後方参謀もみんな転出してしまった。俺より背の低い人も少ない。

 

「おかげでマフィンを食べる量が倍増しました」

「ストレスが溜まるといつもそう言うよね」

 

 向い合って座っている恩師イレーシュ・マーリア中佐がくすりと笑う。今いる場所は最近オープンしたハイネセンポリスのカフェレストラン。チャレンジメニューの「エンペラー・パンケーキ」を時間内に平らげた後、のんびりとコーヒーを楽しんでいる。

 

「そうですかね。でもストレスは溜まってます。偉くなるのもいいもんじゃないですね」

「ワドル大尉の件だっけ?」

「ええ、本当にきついです」

 

 三日前、打ち合わせに赴いた先でマックス・ワドル大尉を見掛けた。彼とはかつて一緒に憲兵司令部付士官を務め、年齢も階級も同じだったことから親しく付き合った仲だ。懐かしくなって声を掛けようとした。ところが、露骨に避けるような態度をされてしまったのである。

 

「二年前まではどっちも中尉だったのに、今じゃ彼は大尉、君は大佐でしょ。そこまで差が付いちゃったら、やりにくいよねえ」

「配慮が足りませんでした」

「同じだから仲良くできた。同じじゃなくなったら仲良くできない。そういうことよ」

「最近はフィン・マックールや憲兵隊での元同僚に避けられてるんですよね。年や階級が近かった人がいろいろ気にしてるみたいで」

「同格意識って簡単に捨てれるもんじゃないよ。ワドル大尉なんて君のポジションに座ってたかもしれない人なんでしょ?」

「俺じゃなくて彼がドーソン司令官の副官になってても、おかしくはなかったと思います」

 

 二年前のことを思い出した。憲兵司令官だった当時のドーソン少将に仕えた司令部付士官は四人いた。副官のポストが空いた時、士官学校卒業者であり司令官の教え子でもある他の三人の中から選ばれるとばかり思っていたのである。

 

「あの時の副官候補ってどうなったの?」

「七九三年末に三人とも憲兵司令部から転出しました。それからの行方はわからないですね」

「ああ、そりゃ引きずるよ。君が出世しちゃったし」

「申し訳ないことをしました」

 

 急に罪悪感を湧き上がってきた。俺がいなければ、あの三人の誰かがドーソン司令官の副官になり、今頃も腹心を務めていたことだろう。前の世界ではおそらくそうなっていた。

 

 憲兵司令部副官だけではない。ヴァンフリート四=二基地の憲兵隊長、イゼルローン遠征軍副参謀長秘書、第一一艦隊後方部長なんかも、前の世界では別の人が座っていた椅子だ。俺がやり直したせいで本来座るべき椅子を取られた人がいる。そのことを忘れてはいけない。

 

「これからは大変よ。置いてかれた側からの反感が凄くなるから」

「七八八年度組ともいろいろありますからね。気持ちは分からないでもないのですが……」

 

 士官学校七八八年度の卒業者は現役卒業だと俺と同い年。ヤン・ウェンリー准将やマルコム・ワイドボーン准将などを輩出した七八七年度、ダーシャ・ブレツェリ中佐やダスティ・アッテンボロー大佐などを輩出した七八九年度と比較すると、人材の層が薄いと評判だ。

 

 七八八年度組としては、薄いと言われるのは不本意であろう。しかし、首席のシャヒーラ・マリキは四月に大佐となり、その他のトップクラス一〇名が同じ六月一日に大佐となった。大佐の人数は一期下の七八九年度組よりも少ない。そして、同い年で士官学校を出ていない俺と昇進速度がほぼ同じ。世間では俺を七八八年度組の一人と思い込んでる人も多い。そういうわけで、後方部のアーセン副部長ら七八八年度組は俺を嫌っていた。

 

「大人げないっちゃあ大人げないけど、優秀な人ほどプライドも高いからね」

「優秀でプライドが高いと言えば、ホーランド提督とか大丈夫なんですか?」

 

 ウィレム・ホーランド少将とは面識もないが心配になってくる。ほんの数か月前まで同盟軍最高の勇将だったのに、第三次ティアマト会戦での失態がきっかけで失脚した。左遷先は予備役軍人の訓練・管理部隊である第八予備役分艦隊の司令官。予備役編入間近の将官を処遇するポストだ。

 

「やる気出してんじゃないの? ミューゼルにリベンジするって目標ができたから」

「そういう人ですよね」

 

 不遇を嘆く暇があったらリベンジするのがホーランド少将という人なのだ。羨ましくなるほど前向きに生きている。

 

「ミューゼルってのも天才じゃん。そして凄い美少年。ついでに皇族。漫画だったらあっちが主役だよねえ。で、ホーランドは噛ませ犬」

「美少年って関係あるんですか?」

「あるよ。ホーランドも男前だけど、あの天才美少年には負けるよ。それに王子様だからさ。どう見たって主人公じゃん」

 

 イレーシュ中佐は、ラインハルト・フォン・ミューゼルがゴールデンバウム朝の皇族だと信じきっている。前の世界で生きた俺から見れば冗談としか思えないし、亡命者の間には否定する意見も多いのだが、同盟国内では信じる人が多い。

 

 最近、ラインハルトは注目の的だった。第三次ティアマト会戦での活躍に加え、急速な出世が憶測を呼んでいる。五月末に宇宙軍中将から宇宙軍上級大将に二階級昇進し、称号を帝国騎士から男爵に進められた。建国以来の名門であるローエングラム伯爵家を継ぐという噂もある。一九歳の上級大将は非皇族としては帝国史上初めてだ。そして、帝国は武勲だけで出世できる国ではない。背景に注目するのは自然な流れだろう。

 

 ラインハルトについては、フリードリヒ帝の隠し子、同盟に亡命したフリードリヒ帝の従兄弟の子、先々帝が粛清した皇弟の孫といった説もあった。最近の急速な出世は、皇室への復帰、そして皇位継承に向けた箔付けだというのだ。少数意見だが皇帝の男色相手という説もあった。皇帝の寵妃である姉の縁故という説は、「皇后の弟だとしてもそんな出世は無理」と否定されている。

 

「皇太子はおしまいだしさ。次期皇帝は天才美少年で決まりよ」

「そうですね」

 

 前半にだけ合意した。ルートヴィヒ皇太子はまだ廃されてないものの、元帥から上級大将に降格されて、元帥府を開く資格を失ったことが判明。再起の目は消えた。

 

 皇太子派幹部に対する処分は過酷を極めた。元帥府参謀長のハウサー大将は第三次ティアマト会戦の敗戦責任を問われて処刑。捕虜となったケンプ中将は「敵前逃亡」の罪で告発されて、欠席裁判で死刑判決を受けた。残りのルートヴィヒ・ノインは大佐まで降格された後に、軍刑務所へと収監。皇太子府の執事と侍従長は同じ日に「事故」で亡くなったらしい。すべて公式発表による。悪い意味で何でもありの国だ。

 

 帝国から流れてくる情報は基本的に信用ならない。報道の自由が無いため、マスコミが流す情報はすべて政府の管理下にある。管理されていない情報といえば、有力者が流す謀略情報、単なるデマ、亡命者の証言ぐらいのものだ。あの国の状況を正しく把握するのは不可能だと、改めて思い知らされる。

 

 それに引き換え同盟はいい国だ。報道の自由があるおかげでまともな情報が手に入る。イレーシュ中佐と別れた後、電子新聞をコンビニで買って、報道の自由を満喫した。

 

 トップ記事はメルカルト星系のニュースだ。ガルボア終身首相が「シルバー・テレビジョン・サービス」のメルカルト支局に閉鎖命令を出したという。これによって、五大テレビネットワークがすべてメルカルトから姿を消した。四大新聞は既に追放済み。帝国のような情報管制を敷こうとしているようだ。独裁者の暴走は留まるところを知らない。

 

 次に目に止まったのが、補助金の増額を求める辺境八星系に対し、レベロ財政委員長が苦言を呈したという記事だ。

 

「財政赤字が慢性化しているのは、支出を減らせないあなたたちの責任ではないか。中央が金を出さないから赤字になっているわけではない。補助金に甘えているから赤字ができるのだ。アーレ・ハイネセンが唱えた『自由・自主・自律・自尊』の精神を今一度思い出していただきたい」

 

 この正論に対し、八星系の代表は怒って席を立ったという。地方財政に詳しい学者の「レベロ委員長は完全に正しい。補助金は税金だ。辺境は自覚が足りないのではないか」というコメントが記事の最後に付されていた。

 

 隅っこに小さいが気になる記事があった。第七方面軍即応部隊副司令官のラルフ・カールセン准将が、宇宙海賊「ガミ・ガミイ自由艦隊」と五日間にわたって戦ったが、勝負がつかなかったそうだ。

 

 ガミ・ガミイ自由艦隊の最高指導者ガミ・ガミイは、本名をレミ・シュライネンといい、同盟宇宙軍の元少将である。海賊にとって正規軍との戦いは割に合わないのだが、彼は軍の輸送部隊を襲い、数百隻単位の艦隊戦までやらかす。エル・ファシル海賊の中で二番目の武闘派だ。

 

 これまではあまり気にしなかった。最近の地方警備部隊は経費削減で弱体化している。海賊に負けることもあるだろうと思った。しかし、第七方面軍の即応部隊は地方でも屈指の戦力を持ち、ラルフ・カールセンは前の世界で同盟軍屈指の猛将だった。そんな相手と五日間も戦って引き分けるとなると、海賊なんてレベルじゃない。地味ながらも注目すべきニュースだろう。

 

 新聞を閉じた後、地下鉄に乗った。行き先はシュガーランド駅、目的はヨブ・トリューニヒト国防委員長との待ち合わせだった。

 

 

 

 古ぼけた雑居ビルの三階。寿命が迫りつつある蛍光灯の下、埃っぽい廊下の突き当たりに塗、装の剥げかけた看板があった。

 

「本当にここでいいのかな?」

 

 看板とメモを見比べる。どちらにも「BAR ティエラ・デル・フエゴ」と記されていた。

 

「入るか」

 

 気が進まなかったが、ここが待ち合わせ場所なのだから仕方ない。錆の浮いた金属製のドアを恐る恐る開く。

 

 薄暗い照明。薄汚れた木製のテーブル。黒ずんだ床。もうもうと立ち込めるタバコの煙。延々と流れる三〇年前のポピュラーソング。客のほとんどは、くたびれた背広や汚れた作業服を身にまとった中年男性。凄まじい場末感に圧倒される。

 

「やあ、遅かったじゃないか」

 

 安物のワイシャツに古ぼけた作業服を羽織った中年男性が声を掛けてきた。ヨブ・トリューニヒト国防委員長だ。

 

「申し訳ありません。初めてだったもので」

「ははは、構わないさ。座りなさい」

「かしこまりました」

 

 言われた通り席に着く。

 

「この店の食べ物は何でもうまいんだ」

 

 トリューニヒト委員長が差し出したメニューを受け取り、さっと目を通す。料理や酒の名前はすべてマジックペンで殴り書き。塗り潰して書き直した部分もある。

 

「種類が多いですね」

 

 定番のハイネセン料理とパルメレンド料理はもちろん、カッシナ料理、シロン料理、帝国料理、フェザーン料理など、無節操なまでに多種多様だ。しかも恐ろしく安い。

 

「じゃあ、俺は――」

 

 マカロニ・アンド・チーズ、パラス風ジャンバラヤ、ニシンのフェザーン風マリネ、ボウル入りコールスローサラダ、スウィートティーを注文した。

 

 トリューニヒト委員長はカイザー焼きそば、海鮮入り八宝菜、パルメレンドマグロの刺し身、枝豆山盛り、ビール大ジョッキを注文する。何と言うか節操のない組み合わせだ。

 

 注文して五分もしないうちに料理がやってきた。それも量が恐ろしく多い。味も大雑把だけどうまい。食べては注文し、食べては注文し、あっという間に空き皿が積み重なっていく。トリューニヒト委員長もうまそうに飲み食いする。

 

「ヨブの旦那じゃないですか」

 

 声のしてきた方向を見ると、よれよれの作業服を着た貧相な中年男性が立っていた。

 

「やあ、チャーリー。久しぶりだな」

「ずいぶんとご無沙汰でしたねえ」

「忙しくてね」

「どこも人減らしに熱心ですからねえ」

「宮仕えも楽じゃないよ。来週のカーライルステークスで一発当てて、楽隠居と洒落こみたいもんだ」

「ありゃ、エンドレスピークの銀行レースでしょ?」

「チャーリー、私がそんなせこい勝負をすると思っているのかい? 男なら大穴一点買いに決まっているだろう?」

「だから、勝てねえんですよ」

「勝算はあるさ。君がエンドレスピークを単勝で一点買いしてくれたら、間違いなく大穴が来る。なにせ、君が買った馬はいつも外れるからね」

 

 楽しげに競馬の話をするトリューニヒト委員長。この店に驚くほど馴染んでいる。

 

「それにしても、旦那が人を連れてくるなんて珍しいですねえ。こちらのお坊ちゃんはマイク兄さんのお子さんですかい?」

「――いや、職場の後輩さ」

「ああ、そういや、あの兄さんは赤毛じゃなくて茶髪でした。また来るように言っといてくださいよ」

「伝えてはおくけど、期待はしないでくれ」

 

 トリューニヒト委員長の笑顔に一瞬だけ顔に影が差す。

 

「帰ってこれない場所にいるんでしたっけ? フェザーン辺りなんでしょうけど」

「まあ、遠い場所だよ」

「確かに宮仕えも大変でさあね」

 

 中年男性は肩をすくめておどけた後、俺の方を見た。

 

「坊主、ヨブの旦那みたいな大人になるんじゃねえぞ? 博打で勝てなくなっちまうからな」

「ひどいな、チャーリー。この子は博打なんかしないよ」

「なるほど、旦那が反面教師になってるわけですかい」

「そういえば、君の子供はみんな博打嫌いだった」

「相変わらず憎たらしいっすねえ。まあ、元気そうで何よりでさあ」

 

 中年男性は苦笑すると、カウンターに座った。それからもトリューニヒト委員長は、店員や客と軽口を叩き合う。

 

 有名人に会うと、大抵の人は裏話を聞きたがるものだ。俺が七年前にパラディオンに帰郷した時もそうだった。この店の客がそういったことに興味を示さないのは不自然だ。俺は声を潜めてトリューニヒト委員長に質問した。

 

「委員長……、いや、ヨブさん。これはどういうことなんですか?」

「何かしたのかい?」

「最近のヨブさんは、毎日のようにテレビに映ってますよね?」

「そうだね」

「ここの人達は気にしないんですか?」

「しないよ。彼らは私が政治家だってことを知らないから」

「知らない?」

「この店では『堅い勤めをしているヨブ』で通っているからね」

「でも、テレビとか見れば気づくでしょう?」

「彼らは娯楽番組しか見ないよ。政治ニュースなんて、目に入ってもすぐ忘れる」

 

 トリューニヒト委員長はあっさりと切り捨てる。

 

「そんなことをおっしゃっても良いのですか?」

「何を驚いたような顔をしてるんだね」

「政治に関心を持ってもらうのも政治家の仕事ですよね?」

「そういうことになっているが」

「他人事みたいに言わないでください」

「我が国は自由の国だ。政治に関心を持たない自由もある」

「政治家がそんなことを言ってもいいんですか?」

 

 胸中に失望が渦巻く。この人も内心では有権者を見下していたのだろうか? 衆愚政治家という『レジェンド・オブ・ザ・ギャラクティック・ヒーローズ』の評価が正しいのだろうか?

 

「我が国には言論の自由もある」

「茶化さないでください」

 

 俺の声に苛立ちがまじる。しかし、トリューニヒト委員長の目はおそろしく真剣だ。

 

「政治に関心を持つのは正しく、持たないのは正しくない。エリヤ君はそう言いたいのかな?」

「当然でしょう」

「なぜ当然なんだ?」

「民主主義の場合、失政の責任は市民の責任です。政治への無関心は無責任です」

「市民が政治に関心を失くしたら、どんな問題が起きるんだね?」

「ルドルフのような悪党に付け込まれます」

 

 最初に思いついたのは、政界の支配者ビッグ・ファイブ、極右指導者ラロシュ、メルカルトの独裁者ガルボアなどだった。しかし、現役の政治家を例にあげるのはさすがにまずいと思い、過去の独裁者をあげる。

 

「銀河連邦末期にルドルフを支持した人達は、政治に関心がなかったと思ってるのかい?」

「少しでも政治に関心があったら、おかしいと思ったはずです」

 

 きっぱりと断言した。同盟軍の思想教育資料に、議員時代のルドルフが作った政策提言書の一部が載っている。所得税の累進税率の撤廃、独占禁止法の撤廃、社会保障の縮小、酒・賭博・売春の非合法化、汚職犯への死刑適用など、一目見ただけで狂ってると分かる内容だった。

 

「では、なぜ関心を持たなかったのかな?」

「楽をしたかったからでしょう。面倒なことは考えたくない。優れた人物に任せてしまいたい。当時の人々はそう考えたのです」

「面倒なことを考えたくない人がルドルフを支持した。君はそう思っているんだね?」

「はい。ルドルフは容貌と経歴が立派でした。パフォーマンスも巧みです。外見だけなら、優れた人物に見えるでしょう」

 

 言い終えた後、「しまった」と思った。立派な容貌と経歴、巧みなパフォーマンスは、トリューニヒト委員長の武器でもあったからだ。

 

「当時の人々は政治に関心がなかった。だからルドルフの外見に騙された。エリヤ君はそう思っているんだね?」

「ええ、まあ」

「なるほど。しかし、それは借り物の意見だな。自分で考えた意見ではあるまい」

 

 トリューニヒト委員長は表情を変えずに指摘した。

 

「おっしゃる通りです」

 

 完全に図星だった。今言ったことは、同盟軍で行われる思想教育、前の世界で読んだ『ヤン・ウェンリー元帥伝』『ヤン・ウェンリー遺稿集』などの受け売りだったからだ。

 

「今度は君自身の言葉で答えてもらいたい。なぜ政治に関心を持たないのが悪い?」

「やはり、変な政治家が当選してしまうからだと思います。今だって酷いもんじゃないですか。組織票の力で当選する政治家。イメージ戦略がうまいだけの政治家。そんなのばかりです」

 

 巨大な組織票を握るビッグ・ファイブ、パフォーマンスに巧みなラロシュやガルボアなどを想定して答える。

 

「なるほど。みんなが興味を持たないせいで、私のような政治家が当選すると」

 

 恐ろしく意地の悪い笑みを浮かべるトリューニヒト委員長。たじろぐ俺。

 

「そ、そんなことはありません。あなたは今時珍しいくらい真面目な政治家です」

「世間では、軍需企業と宗教右派の組織票、無党派層向けのパフォーマンス以外に取り柄のない政治家ということになってるがね」

「それはみんながあなたのことを良く知らないからではないでしょうか」

「君は利権屋とかデマゴーグとか言われる連中のことを良く知っているのか?」

「はい。ちゃんとニュースを見ていますから」

「ニュースでは、私も利権屋とかデマゴーグとか言われてるよ」

「…………」

「そして、クリーンで改革志向の連中が『良識派』と言われる。レベロやホワンなんかがその典型だな」

「まあ、そうですよね」

「ああいう連中を支持するのが『意識が高い』ということになるらしい。君はどう思う?」

 

 実に答えにくい質問だった。レベロ財政委員長やホワン人的資源委員長は、同盟政界の良心と言われる人物で、前の世界でも今の世界でも高く評価された。真面目に考えてる人なら、みんな支持するだろう。しかし、この場では言いにくい。

 

「自分にはよく分かりません」

「私はみんなが喜びそうなことを言うが、あの連中は厳しいことを言う。私は目先の利益を約束するが、あの連中は未来のための負担を求める。私は自分に頼れと言うが、あの連中は自立するよう求める。どちらがルドルフに似ているかは言うまでもあるまい」

 

 確かに言うまでもないだろう。認めたくはない。だが、トリューニヒト委員長の方が似ているのは、誰が見ても明らかだ。

 

「そう、あの連中はルドルフと良く似ている」

「レベロ先生やホワン先生が!?」

 

 俺は目を丸くした。同盟政界の良心と史上最悪の独裁者。対極にいる存在ではないか。

 

「考えてみたまえ。ルドルフは甘いことなど言わなかった。怠惰な大衆をひたすら叱り続けた。ルドルフは目先の利益を約束しなかった。負担と献身を求めた。ルドルフは自分に頼れと言わなかった。自助努力と競争を求めた。あの連中と似ているじゃないか」

「多少は似ているかもしれませんが……」

「私に言わせれば、ルドルフもあの連中も効率主義の使徒だよ。どちらも無駄の切り捨て、自助努力の要求、競争の促進、規律の引き締めを主張する。目指すところは効率的な社会だ」

 

 トリューニヒト委員長は、ルドルフと良識派政治家の共通点をあげていく。

 

「し、しかし、レベロ先生たちはあんなに狂ってないですよ。劣悪遺伝子排除法なんて狂気の産物でしょう?」

「劣悪遺伝子排除法一つを切り取れば、狂気に見えるだろう。しかし、無駄の切り捨ての延長と考えれば、それほど飛躍した発想ではないんじゃないかな? 社会保障を減らして間接的に殺すか、直接殺すかの違いさ。社会保障を減らすまでは、レベロやホワンだってやっている」

「間接的か直接的かの違い……」

「ある政治学者の研究によると、ルドルフが銀河連邦で実施した政策のうち、同盟領内で一度でも実施されたものは、九五パーセントにのぼるそうだ」

「あんなむちゃくちゃな政策がですか?」

「累進税率と独占禁止法の撤廃には、トリクルダウンの促進、そして競争原理の徹底という意味があった。社会保障はこの国でも財政再建のために縮小されてる。不健全な娯楽の規制は、治安コスト及び医療コストの抑制が狙い。汚職への死刑適用は、言うまでもなく利権構造を完全破壊するための策。今でも一定の共感を得られる主張ではないかな」

「こうして言われてみると、筋も通っていそうに見えますね」

 

 俺はあごに手を当てて考え込む。政策の一つ一つは極端だ。しかし、急進改革論者の中には、支持する人もいるかもしれない。

 

「当時の銀河連邦の状況を思い返してみたまえ。政治腐敗、経済不振、治安悪化、モラルの退廃……。停滞と混乱が銀河を覆い尽くした。革命、クーデター、内戦の危機が現実のものとして語られた。そんな時に厳しいルドルフが選ばれた。当時の人々が本当に無関心だったら、目先の利益に飛びついただろうに」

「政治に関心があったからこそ、ルドルフを選んだ。そうお考えなのですか?」

「他に考えようがあるかね」

 

 政治的関心こそが独裁者ルドルフを生んだ。そんなトリューニヒト委員長の考えは、俺の政治観を根底から覆すものだった。

 

「そうだとしたら、政治に関心を持ったとしても、ルドルフを排除できないということになりますが……」

「意識の高い者ほど甘えを許せないものだ。彼らの目には、社会は非効率と不正だらけ、政治家や官僚は無能、大衆は怠け者に見える。『人間はもっと素晴らしい存在なのに、どうして甘えているのか』と腹が立って仕方がない。だからこそ、厳しく叩き直してやろうと思う。政治意識の向上こそがルドルフに至る道なのだよ」

「では、どうすればルドルフを排除できるのでしょうか?」

「人間に期待しないことだろうな。私も含めた大多数の人間が凡人だよ。弱くて愚かで怠け者だ。そのくせ見栄っ張りで欲深い。それを認めることだ」

「なるほど。なんか分かったような気がします。俺もそういう人間ですから」

 

 すべてが一つに繋がった。甘えを許せないのは真面目な人間だろう。そして、甘えを捨てさせようとするのがルドルフの政策だ。抜群に相性がいい。真面目に政治を考えるほど、ルドルフに心をひかれるのも納得がいく。

 

「ハイネセン主義もルドルフ主義と同じだ。人間が素晴らしい存在だという考えが根底にある。甘えを認めない」

「それはさすがに言い過ぎではないかと……」

 

 俺は根っからのハイネセン主義者ではない。だが、今の世界でも前の世界でも絶対的に正しいとされたハイネセン主義への批判には、さすがに驚く。

 

「言い過ぎではないさ。ハイネセン主義では『自由、自主、自律、自尊』、すなわち個人の自由と自立を至上と考える。すべての人間に自立と自己責任を求める。凡人が無責任ゆえの気楽さに安住することを認めない。突き詰めた先にいるのはルドルフだ」

「ハイネセンはルドルフと違います。弱いという理由だけで排除されることはありません」

「軍縮で解雇された軍人一〇〇〇万人には、救済措置は無かった。無能ゆえに解雇された者を救済する必要はない。それがハイネセン主義の自己責任原則さ。この不景気の中で職を奪うのは、命を奪うに等しい行為なのだがね」

 

 トリューニヒト委員長は自己責任原則への批判に踏み込む。これはハイネセン主義の根幹を疑うに等しい。公式の場で口にしたら間違いなく国防委員長を辞めさせられるだろう。

 

 前の世界において、レベロ最高評議会議長は、帝国のレンネンカンプ高等弁務官から不当な要求を受けたにも関わらず、ラインハルト帝に訴えなかった。ヤン・ウェンリー一派は、ラインハルト帝の「出頭すれば厚遇する」という呼びかけを拒絶した。皇帝に救済を求めるというのは、ハイネセン主義の自己責任原則に反するからだ。

 

 この会話は危険領域へと突入しつつある。しかし、制止しようとは思わない。前の世界で理念なき政治屋と評された人物のハイネセン主義批判。好奇心を大いにそそられる。

 

「完全に納得はできません。しかし、ハイネセン主義も結果として凡人を排除する場合があるのはわかりました」

「連立政権は意識の高い連中だけが喜ぶ改革ばかりやっている。五年前まではそれで良かったんだがね。今はそんな余裕はない。凡人のための政治が必要な時だ」

「具体的にはどんな政治を目指していらっしゃるのですか?」

「凡人が欲しがるものを提供できる政治だ。具体的には、豊かさ、健康、安全、そして誇りを保障できる政府を作る。与えてくれる国家、守ってくれる国家だよ」

「それって全体主義でしょう」

「国家主義と言ってくれたまえ。『欲しければ自由に取れ』では何も手に入らんよ」

 

 トリューニヒト委員長は得意顔で際どいことを言う。

 

「ルドルフ主義との違いがわからないです」

「彼らは優れた指導者が大衆を導くべきと思っている。だが、私は違う。大衆が求めるものを提供する手段として選んだだけのこと。民意に沿っているから民主主義だ」

 

 ここまで堂々と言い切られては、突っ込む余地もない。確かにそれが民主主義なのかもしれないと思えてくる。

 

 俺の中では、ハイネセン主義と民主主義はほぼイコールだった。自由惑星同盟はもちろん、前の世界で過ごしたバーラト自治区もハイネセン主義を採用していたからだ。しかし、トリューニヒト委員長の話を聞いてるうちに分からなくなってきた。

 

 現在の与党が進める改革はハイネセン主義的であるが、支持に結びついているとは言い難い。与党は選挙のたびに議席を減らし、上院における与党と野党の議席差は一五まで縮まった。トリューニヒト委員長の指摘にも一理ある。

 

「確かに民意に沿っていない民主主義というのもおかしな話ですね」

「ここ一五年の同盟政府は、中央宙域(メインランド)の大都市住民に受けのいい政策を採用してきた。豊かになるのはハイネセンポリスなどの大都市ばかり。中央宙域の小都市や農村部、辺境宙域は負担と責任だけを押し付けられた。中央宙域と辺境宙域の平均年収格差は三・一倍。ここまで違うともう別の国だ」

「そこまで酷いことになってるんですか?」

「中央宙域ではあまり知られてないがね。主要マスコミの報道の七割がハイネセンを中心とする大都市圏のニュース、二割はフェザーンや帝国のニュース、残り一割がその他の地域といったところだ。彼らの顧客も広告主もみんな大都市圏にいる。辺境の状況を報じても金にならない」

「全然知りませんでした」

「君の生まれたパラスは中央宙域だからな。そして、軍隊でもハイネセン勤務が長い。分からないのも無理は無いだろう」

「恥ずかしい限りです」

 

 前と今を合わせて八七年も生きてる俺だが、一年以上住んだ惑星は、ハイネセン、パラス、捕虜収容所のあったゼンラナウ、兵役を務めたエル・ファシルのみ。辺境宙域で過ごした経験はほとんどない。

 

「今日のニュースを見たかね? 政府は中央の金が辺境に流れないような政策を進めている。地方警備部隊の戦力は海賊にも勝てないほど減らされた。それなのに正規艦隊と地上総軍は依然として強いままだ。金も軍事力も全部中央が持っていく。これでは辺境を切り捨てるつもりだと思われても仕方がない」

「そうかもしれません」

「地方に負担ばかりを押し付ける中央政府。辺境から富を吸い上げる中央資本。極端に中央に集まった軍事力。盛り上がる星系ナショナリズム。どこかで聞いたような話とは思わないかね?」

「地球統一政府……」

 

 今から九〇〇年前、地球統一政府(GG)は圧倒的な軍事力と資本力を誇っていたが、経済的不平等に不満を持った植民星の反乱によって崩壊した。その末期と今の同盟が重なる。

 

「このままでは数年以内に加盟国の離脱が始まるだろう。金は吸い上げられるだけ。治安維持にも責任を持とうとしない。そんな同盟に参加するメリットなど辺境にはないからね」

「そんなことになったら……」

「帝国の内情も同盟と似たりよったりだ。征服される心配はない。イゼルローンからアスターテまでの国境星域が帝国の支配下に入り、残りの星系が血みどろの抗争を繰り広げるだろう」

 

 トリューニヒト委員長の語る未来予想図は、前の世界の歴史と完全に違う。天才ラインハルト・フォン・ローエングラムの存在を計算に入れていないからだ。計算に入れたとすれば、より破滅的な結果になる。帝国をまとめあげたラインハルトが同盟も征服するだろう。

 

「恐ろしいですね」

「エリヤ君にはその恐ろしさを体感してほしいと思う。話で聞いただけでわかった気になられても困るからね」

「それが次の任務ですか?」

「そうだ。海賊対処行動が計画されているのは聞いているはずだ。それに参加してもらう」

「かしこまりました」

 

 最近、国境宙域でエル・ファシル海賊が猛威を振るっている。エル・ファシルの富を目当てに集まった彼らは、この一年で急速に力を伸ばし、昨年度は九〇〇〇億ディナールもの損害をもたらした。軍の輸送船もしばしば襲われる。

 

 事態を重く見た同盟軍は、二個分艦隊及び二個陸戦遠征軍団を基幹とする第一三任務艦隊を編成し、国境星域を航行する船の護衛、海賊の監視などにあたらせることにした。俺はその第一次隊メンバーに加わる。

 

 エルゴン星系からティアマト星系に至る広大なイゼルローン方面航路。それが大佐として初めて臨む戦場だった。


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