俺はアルファー星系第二惑星から二光秒の宙域に布陣した。標準的な編成の分艦隊が八個、補給艦や工作艦からなる作戦支援部隊が二個、揚陸艦と陸戦隊からなる宙陸両用部隊が二個という陣容で、総戦力は二万隻に及ぶ。
一方、敵は俺の艦隊から二〇光秒離れた宙域にいる。分艦隊が四個、作戦支援部隊が一個、宙陸両用部隊が一個という陣容で、総戦力は一万隻に過ぎない。
「どうやって打ち破ろうか」
腕組みをしながら考えた。敵は少数ながらも隙のない布陣だ。当初からの作戦案通り、正面衝突は避けることに決めた。
手持ちの戦力は敵の二倍。俺の兵站拠点はすぐ近くの第二惑星、敵の兵站拠点は遠く離れた第三惑星にある。戦略的には俺が圧倒的に有利だ。
前の世界で読んだ『ヤン・ウェンリー提督の生涯』によると、天才ヤン・ウェンリーは「戦術では戦略の失敗を償えない」と語ったそうだ。要するに俺は戦う前から勝っている。これからの戦いは、確定した勝利を現実のものとする手続きでしか無い。
それにしても、敵はなんと愚かなのだろう。これだけ不利なのに本気で勝とうとしている。その闘志には賞賛に値するが、勇気と無謀の区別は付けるべきではないか。そして、敵に致命的な欠点があるのを俺は知っていた。敗北は万に一つもないと断言できる。
俺は八個分艦隊のうち、六個分艦隊をゆっくりと前進させた。そして、一五光秒に差し掛かったところで、最初の命令を下す。
「撃て!」
戦艦と巡航艦の主砲が一斉に光を放つ。光線がまっすぐに伸びる。敵もすかさず撃ち返し、砲撃戦が始まった。ほとんどの砲撃がエネルギー中和磁場に受け止められる。
俺の戦力は六個分艦隊一万二〇〇〇隻、敵の戦力は四個分艦隊八〇〇〇隻。戦力の差は使えるエネルギー総量の差でもある。一・五倍の戦力で砲撃を続ければ、敵はエネルギーを使い果たし、いずれは中和磁場を展開できなくなるであろう。むろん、敵が消耗戦を続けるとは思えない。どこかで逆転を狙ってくるはずだ。
砲撃戦が始まって三時間が過ぎた頃、敵は一斉に対艦誘導ミサイルを射出した。それと同時に全艦が前進を始める。
敵の意図はすぐに分かった。対艦誘導ミサイルは、エネルギー中和磁場が通用しない唯一の長射程兵器だ。俺が対艦ミサイル迎撃に専念している間に距離を一気に詰めて、遠距離戦から中距離戦へと転換する。そして、いずれは中距離戦から接近戦へと持ち込むつもりだろう。
少数で多数に勝つには、接近戦に持ち込んで実弾兵器を使うのが手っ取り早い。去年のイゼルローン攻防戦で戦ったラインハルト・フォン・ミューゼルも多用した手だ。
「しかし、勝つのは俺だ!」
主力部隊にミサイルを迎撃させ、作戦支援部隊に妨害電波を発信させた。一万二〇〇〇隻が対空砲と迎撃ミサイルを一斉に射出する。四〇〇隻の電子作戦艦から放たれた妨害電波が誘導装置を狂わせる。敵の対艦誘導ミサイルの九九パーセントが阻止された。
敵の誘いに乗ったように見せかけている間に、予備の二個分艦隊四〇〇〇隻を密かに動かす。目標は敵の補給拠点と敵艦隊の中間点。敵の細長い補給線を分断する。これが俺の用意した必勝の策だった。
なにせ敵は補給をまったく理解していない。主力で敵を拘束し、別働隊で補給線を断てば、労せずして勝利が転がり込む。
戦術で戦略を覆そうとしているだけあって、敵の用兵はなかなか巧妙だ。俺の主力がミサイル迎撃に専念している間に距離を詰めてきた。そして、分艦隊を機動部隊レベルに分割して陽動や迂回を仕掛け、こちらの艦列を引っかき回してくる。乱れた部分に敵が素早く割り込んでくる。
一個分艦隊は五〇〇隻前後の直轄部隊、五〇〇隻前後の機動部隊三つで構成される。四個分艦隊ならば、直轄部隊四個と一二個機動部隊になる計算だ。一六個の部隊が有機的に連携してくる。一方、俺は四個の分艦隊すらろくに動かせなかった。指揮能力に差がありすぎる。
俺が一度行動する間に敵は二度行動してきた。手数で物量の不利を補うつもりなのだろう。しかし、多く動けば動くほどエネルギーも使うものだ。補給を制する者が戦争を制する。それが古代から共通する戦争の法則だった。部隊を動かすのがうまくても、所詮小細工にすぎない。それを戦術馬鹿に思い知らせてやろう。
最後に艦隊旗艦が生き残れば、この戦いは勝ちだ。俺は中央の二個分艦隊を自ら指揮して艦隊旗艦を守り、左翼と右翼の指揮は中級司令官に委ねた。
三時間後、主力のうち四〇〇〇隻が誰もいない宙域に誘い出された。残り八〇〇〇隻も分断されている。艦隊単位はもちろん、分艦隊単位でも統制が取れなくなっており、機動部隊単位でバラバラに戦っている有様だ。戦意の低下ぶりが甚だしい。戦闘効率は当初の半分を割り込んでいる。
「あと少しだ。あと少し主力が持ちこたえれば、敵の補給が切れる」
幸いにも艦隊旗艦と分艦隊旗艦は生き残っている。すぐに主力が瓦解する恐れはなかった。そして、敵は補給を知らない。そう遠くないうちに補給切れに陥るであろう。陥らなければ困る。
開戦から五〇時間が過ぎた。戦場の主役は長射程のビーム兵器から短射程の実弾兵器へと移行している。駆逐艦の速射砲、艦載機の機関砲からウラン二三八弾の雨が降り注ぐ。両軍はこれまでと比較にならないほどの損害を被った。
分断されている俺の方が圧倒的に不利だ。しかし、いずれ敵の攻勢は収まるだろう。敵の補給状態は確認できないが、俺の計算ではそろそろエネルギー切れを起こす。勝利は目前に迫っていた。
「あれ……?」
一向に敵の攻勢が止まらない。補給線を押さえている別働隊四〇〇〇隻に視線を向けると、補給線からやや離れた場所で敵の三個機動部隊一五〇〇隻と小競り合いをしていた。いつの間にか、敵は正面から部隊を抜き出して補給線へと差し向けていたらしい。
それにしても、別働隊の指揮官はなんと無能なのだろう。四割にも満たない敵にうまくあしらわれている。
「しまった!」
補給線に気を取られている間に、敵の一個機動部隊五〇〇隻が艦隊旗艦へと突っ込んできた。急いで戦力を集中しようとしたが、戦意が低いせいか動きが鈍い。しかも、エネルギー切れを起こす部隊も続出した。
「まさか……?」
第二惑星の方を見ると、補給線が寸断されていた。三か所に二五〇隻の駆逐艦戦隊が一つずつ置かれていたのだ。
「そんな馬鹿な……、敵は補給を知らないはずじゃ……」
この瞬間、必勝の方程式が崩れ去った。俺の艦隊旗艦は敵の射程内に捉えられた。そして、全部隊の物資が尽きた。退路も遮断されている。
「降伏する……」
俺は敗北を認め、マシン内の時間で五二時間、現実の時間で二時間一〇分にして、艦隊級戦略戦術シミュレーションは終了した。完膚なきまでの敗北であった。
「よっしゃ!」
向かい側から叫び声が聞こえた。馬鹿でかい男が立ち上がり、勢い良く拳を振り上げる。対戦相手の国防委員会経理部参事官マルコム・ワイドボーン准将だった。
イゼルローン遠征軍総司令部が解散した後、俺は宇宙艦隊総司令部付となった。近いうちに後方勤務本部か正規艦隊後方部へと配属される予定だ。要するに後方参謀である。
後方参謀は兵站計画の立案及び調整を担当する。具体的には、補給状況の把握と分析、必要な物資量の見積もり、調達・保管・輸送計画の作成、補給線の設定及び統制などを行う。要するに物資の流れをコントロールするのだ。
参謀業務の勉強自体は、去年に入院した時から始めた。イゼルローン遠征の際にはドーソン中将の秘書をしながら学んだ。現在はドーソン中将、ダーシャ、イレーシュ中佐の三人から私的に指導を受けている。しかし、勉強を始めてからまだ八か月しか経っていない。
「貴官のコミュニケーション能力、協調性、熱意、忍耐力は水準以上と言っていい。教本には書いていないが、参謀にとっては体力も大事な要素だ。その点でも貴官は優れている。ただ、柔軟性が無さすぎるな」
ドーソン中将が容赦の無い評価を下した。物語のヒーローというのは、コミュニケーションが苦手で、協調性や熱意や忍耐力にも欠けているが、柔軟性だけは抜群と決まっている。柔軟性に欠ける優等生はいつもやられ役だった。
「答えのある問題には強いんだけどねえ」
イレーシュ・マーリア中佐が難しい顔で腕組みをした。「答えのある問題には強いが、答えのない問題に弱い」というのは、コメンテーターがエリート批判をする際に使う決まり文句だ。
恩師二人からとても残念な評価を受けた俺だが、それよりも大きな問題がある。時間が決定的に足りない。
普通の参謀は士官学校での四年間を基礎学習、少尉任官から中尉昇進までの一年間を現場実習に費やし、さらに学習と経験を積んでいく。士官学校卒業から一〇年前後で一人前の参謀になると言われる。俺は士官学校を出ていない上に勉強歴も浅かった。
経験の浅すぎる俺を花形ポストに内定させたのは、ヨブ・トリューニヒト国防委員長だった。最近の彼は積極的に人事介入を行い、シトレ派の国防研究所長、ロボス派の特殊作戦総軍司令官を強引に交代させるなどして、同盟軍中枢を軍拡派で固めようとしている。
「作戦参謀と後方参謀が宇宙軍の花形だ。どちらかを経験した者でなければ、宇宙艦隊司令長官、正規艦隊司令官になれないという不文律がある。私は君を将来の司令官候補として育てようと思っている。後方参謀はその第一歩だ」
後方参謀に転じる理由について、トリューニヒト委員長がそう言った。
「作戦参謀が花形なのはわかります。しかし、後方参謀も花形なんですか?」
俺は首を傾げた。前の世界では、同盟軍は補給を軽視しているというのが定説だった。帝国領侵攻作戦について記した『帝国領侵攻作戦――責任なき戦場』では、補給無視の作戦を立案したアンドリュー・フォークを例にあげて、「士官学校では補給の概念を教えていないのではあるまいか」と酷評した。現在も統合作戦本部長シドニー・シトレ元帥が補給軽視に警鐘を鳴らしている。
「作戦参謀は戦闘部隊を動かし、後方参謀は後方支援部隊を動かす。どっちも大部隊の運用を経験できる貴重な仕事だ」
「ああ、言われてみればそうです」
「それに後方支援部門の人員と予算は最大だ。高級士官のポストだって、後方部門の方が実は戦闘部門よりも多い。アル=サレム君は後方参謀から艦隊司令官になった。セレブレッゼ君やキャゼルヌ君は、後方支援の功績だけで将官になった。そして、全軍の後方支援を統括する後方勤務本部長は、宇宙艦隊司令長官や地上軍総監と同格。我が軍は後方支援を重視しているんだよ」
トリューニヒト委員長は少し誇らしげだった。彼は兵站担当国防委員の経験者だ。後方部門に思い入れがあるのかもしれない。
参謀は「ゼネラル・スタッフ」の別名の通り、ゼネラリストである。作戦参謀・情報参謀・後方参謀・人事参謀といった職務上の区分があるものの、担当以外の領域に対しても十分に理解し、自分なりの見解を述べる責任を負っている。兵站を無視した作戦を立てる作戦参謀、部隊運用を理解できない後方参謀など何の役にも立たないからだ。
後方参謀の仕事をするにも、作戦・情報・人事をきっちり勉強しておく必要がある。そこで艦隊級戦略戦術シミュレーションで用兵を学ぶことになった。初心者用のステージで操作をひと通り覚え、シナリオ集『名将の戦場 ブルース・アッシュビー九つの戦い』の全てのステージでコンピュータに敗北した後に、初めての対人戦に挑戦した。
イレーシュ中佐は用兵が恐ろしく苦手だ。ならば、イゼルローン遠征軍副参謀長経験者のドーソン中将か、戦略研究科を三位で卒業したダーシャと対戦するのが筋であろう。しかし、どうしても勝ちたかった俺は、ワイドボーン准将を最初の対戦相手に選んだ。
普通に考えたら、一〇年に一人の秀才と言われるワイドボーン准将は、ドーソン中将やダーシャよりずっと手強い相手だ。しかし、彼は士官学校時代にヤン・ウェンリーと戦略戦術シミュレーションで対戦して完敗した。補給を無視して正攻法にこだわったのが敗因だったという。そのことから、補給を絶てば勝てると踏んだのだ。
対戦の一週間前に、ワイドボーン准将の同期であるブラッドジョー中佐から、ヤン准将がシミュレーションで使った作戦を教えてもらった。その作戦を真似ようとしたのだが、ダーシャに作戦案を見せたところ、「自分で作戦を立てなきゃ勉強にならないよ」と叱られた。そこで違う作戦を考えて、戦力二倍、短い補給線というハンデも付けてもらった。それなのにあっさり負けた。
「まさか、補給を絶つだけで勝てると思ったか?」
ワイドボーン准将の質問は核心をついていた。
「いや、そんなことはありません」
本当はそう思っていたが、この惨敗の後では恥ずかしくて言えない。
「まあ、フィリップス中佐がそんなアホじゃないのは分かっているけどな。補給を絶ったら勝てると勘違いしてシミュレーションを挑んでくる奴が多くてさ。迷惑してんだよ。士官学校での話をどっかから聞きつけてきたんだろうけど、学習能力が無いとでも思ってんのかなあ。あれから七年だぞ? この俺が復習しないわけがないだろうに」
心の底から鬱陶しそうなワイドボーン准将。彼は秀才だ。秀才は予習と復習を欠かさない。七年前の敗北に学ばない方がおかしい。
「そうですよね」
「あの時は『まともに正面から戦ってれば、俺が勝ったはず』と信じてたけどな。ずっとそうだと思われたら、心外もいいとこだぜ。何遍も同じ失敗を繰り返したら、それこそ馬鹿みたいじゃないか」
「おっしゃる通りです」
「まあ、どの辺から例の話が流れてるのかは、予想ついてるけどな。たぶん、シトレ元帥かラップの周辺だろう。あの辺は俺を目の敵にしてるから。俺なんて入学からずっと首席で、親父も叔父さんも爺さんもみんな提督だからな。権威が呼吸して歩いてるようなもんだ。反権威を気取ってる連中から見れば、さぞ叩き甲斐があるだろうよ!」
どんどんワイドボーン准将のテンションが上がっていく。
「シトレ元帥は『欠点のない秀才より、変わった才能を評価する』とか言われてるけどな。そんなの間違いだ! ひねくれ者を集めて、自分を大きく見せたいだけなのさ! そういうリベラル気取りのクソジジイなんてどこにでもいるだろ? 若者に生意気なことを言われたら、『若い者は元気でいいのう』とニコニコする。若者と一緒に権威を批判して、物分かりがいい顔をする。シトレ元帥もその手合いさ!」
ワイドボーン准将は、同盟軍最高の戦略家にして最高の教育者を徹底的にこき下ろす。
「ラップも似たようなもんだ。あいつは優等生なのに、ヤンやアッテンボローみたいなひねくれ者を集めて兄貴分を気取ってるんだ。不良っぽい優等生なんていかにもリベラル気取りが好きそうなキャラだからな! あんなのが提督の器だって!? ちゃんちゃらおかしいね! 俺に言わせたら媚びるのが上手……」
同期のジャン=ロベール・ラップ准将に矛先が向かったところで、横からすっと伸びてきた手がワイドボーン准将を制止した。
「ワイドボーン先輩、それはさすがに言いすぎです」
士官学校教官ダーシャ・ブレツェリ中佐がたしなめた。ただの友達である彼女は、シミュレーションの審判としてここにいる。
「でも、あいつらに言われっぱなしなんて、腹の虫が収まらねえんだよ」
「ここでは関係ありませんよね、それって。エリヤは士官学校出てないし」
「しかしだな……」
「おっしゃりたいことは分からないでもないですけどね。人事の件もありますし」
ダーシャが言う「人事の件」とは、ワイドボーン准将が統合作戦本部作戦副部長になれなかったことを指す。
作戦部のプリンスであるワイドボーン准将の作戦副部長就任は、既定路線と言われてきた。しかし、蓋を開けてみると、シトレ元帥子飼いのゴドイ准将が作戦副部長に就任し、彼は完全に畑違いの部署に飛ばされた。統合作戦本部を軍縮派で固めようとするシトレ元帥の画策と言われる。
「わかってるなら……!」
「でも、今はそういう話をする場面じゃないでしょう? シトレ元帥もラップ准将も名将です。無闇に悪く言うと、私怨で言ってるように見られますよ?」
「そ、そうか……」
「私怨でないのは知っています。ですから、あまり軽々しいことは言わないでください。あの連中にとって挑発は呼吸みたいなものです。いちいち付き合ってやる必要もありません」
ダーシャが正論をびしびしと叩きつける。彼女も“あの連中”を嫌っていることでは人後に落ちない。しかし、時と場所を選ぶ分別があった。
「わ、わかった」
「先輩は一言も二言も多すぎるんです。ラップ准将にあれだけ人望が集まったのも、半分は先輩がむやみに敵を作ったせいでしょう。気をつけてくださいね」
「ああ、気を付けるよ」
一九〇センチ近い身長と男らしい顔を持つワイドボーン准将が、一六九・九五センチでほんわかした顔のダーシャに圧倒されている。それはとても不思議な光景だった。
シミュレーション室を出た俺とダーシャとワイドボーン准将は、士官学校の恐ろしく長い廊下を歩き、研修室へと移動した。丸いテーブルで俺とワイドボーン准将が向かい合って座り、ダーシャはその間に座る。
「勝敗そのものには意味はありません。お互いの反省点を洗い出し、それを次に活かすことにこそ意味があります。実戦は一回きりですが、シミュレーションは何回だってできるのです。勝った側は次もまた勝つために、負けた側は今日の敗北を次の勝利に繋げるために、徹底的に見直しましょう」
普段からは想像できないほどにかしこまったダーシャの宣言とともに、反省会が始まった。
「フィリップス中佐は細かいことを気にしすぎだな。俺の仕掛けのすべてに対処しようとしただろう? 面白いように振り回されてくれた。あれじゃあ駄目だ。用兵ってのは、優先順位を付けて不要な部分はバッサバッサと切り捨てるもんだからな。人間の処理能力には限りがある。全部に対応しようとしたら潰れちまう」
最初に発言したワイドボーン准将は、戦術的な観点からの問題を指摘した。実際に戦った者ならではの感想だ。
「持久戦で勝つって狙いは悪くないよ。物量を活かすには、それが一番だもん。でも、自分で主力を指揮して、補給線遮断をコンピュータに任せたのはまずいね。戦略戦術シミュレーションでは、コンピュータの指揮能力は低めに設定されてるの。一番重要な作戦は自分で指揮しなきゃ駄目。エリヤの勝利条件は、補給線を遮断することだった。主力は艦隊旗艦一隻が残ればいいくらいの覚悟でコンピュータに任せて、自分で補給線を遮断した方がまだ勝ち目はあったと思う」
ダーシャは戦略的な観点からの問題を指摘する。審判役として戦いを俯瞰的に見ていた彼女らしい感想であった。
「俺を拘束するだけなら、主力は捨ててしまっても良かった。一・五倍の戦力で攻撃すれば、補給線までは手が回らないと思ったんだろう? それは間違ってないさ。しかし、正し過ぎるんだな。補給線狙いなのはすぐ読めた。だから、そちらの主力と向き合ってる部隊の数をごまかして、こっそり抜き出した部隊に別働隊を攻撃させたわけさ。コンピューターが指揮する部隊なら、簡単に誘い出せるからな。無理して別働隊を潰す必要はない。チクチク叩きつつ、補給線から引き離せばそれで十分だった」
どうやら、ワイドボーン准将は俺を過大評価していたらしい。実のところ、「ワイドボーンは補給線の確保に興味が無い」という間違った前提で、作戦を立てていたのだ。しかし、過大評価していても、対応は完全に正しかった。
普段は何も考えてないように見える彼も、用兵にかけては別人のように鋭くなる。士官学校時代の失敗のみで評価するのは間違いだ。認識を改める必要があるだろう。
「仮に俺が補給線に全戦力を集中していたら、どう対応しました?」
俺は最初に思い描いていた作戦について問うた。士官学校時代のヤン准将がワイドボーン准将を破った作戦であり、ダーシャに却下された作戦だ。
「最小ユニットの戦隊を一〇個ほど分離して、そちらの補給線を取りに行く。それから補給線を抑えてる主力をじっくり料理する。そちらが部隊を分割して補給線を取り返そうとしたら、全力で殲滅する。理想的な各個撃破になるだろうよ。全軍で補給線から離れて取り返しに来たら、進路を塞いで足止めに徹する。労せずして自分の補給線を奪回し、そちらを兵糧攻めにできる。取り返そうとしないなら、全戦力をそちらの基地に差し向けて、陸戦部隊を降下させる。どう転んでも負ける気がしないな」
ワイドボーン准将は立て板に水を流すように対応策を並べ立てる。ヤン准将に敗北してから、研究を重ねたことが見て取れた。
「勉強になりました。ありがとうございます」
「一度成功した作戦は次も成功すると疑うこと無く思い込むのが素人、一度成功した作戦は研究されていると思うのがプロさ。プロのくせに例の作戦をそのまま使ってきた馬鹿もいたけどな。その点、フィリップス中佐は自分で作戦を考えてきた。判断が遅すぎるが、慣れたらある程度は改善できるはずだ。見込みはあると思うぞ」
上から目線で俺を評価するワイドボーン准将を見て、「自分で作戦を考えて正解だった」と心の底から思った。ヤン准将が使った作戦の二番煎じをしていたら、今頃は徹底的にこき下ろされていたに違いない。
「エリヤには、名将の戦場シリーズのアッシュビーを完全再現モード、初心者ルールでやってもらいました。それ無しでシミュレーションをやっても、まったく意味がありませんから」
ダーシャが口を挟むと、ワイドボーン准将は納得したように頷いた。
「なるほど、二番煎じの無意味さはわかってるわけか」
「戦場がどういうものかを理解してもらうためには、あれが一番です」
「評論家や軍事マニアなんかにも義務付けられねえかな。テレビや新聞を見てると、本当にうんざりするわ」
「名将の戦場シリーズは、完全再現モードで戦ったら、当の戦いを指揮した本人も二回に一回しか勝てないって代物ですからね」
「ダゴンの英雄リン・パオ提督は、ダゴン会戦のステージを一〇回プレーして、三回しか勝てなかったんだよな。そして、『いいバランスだ』と褒めたんだと」
「そういうことをエリヤに知って欲しかったんです」
二人は勘違いしているが、俺は二番煎じの無意味さを半分しか理解していなかった。同じ作戦は使わなかったが、ワイドボーン准将が補給線を無視すると信じていたのだから。
名将の戦場シリーズとは、過去の名将の戦いを題材とした戦略戦術シミュレーションだ。戦力や戦場はもちろん、敵将や配下指揮官の思考パターンまで再現されている。たとえば、俺がプレイした『ブルース・アッシュビー九つの戦場』は、同盟軍史上最高の天才ブルース・アッシュビーの有名な戦いを再現したものだ。
それをプレーするにあたって、戦闘記録、公刊戦史、関係者の手記、研究書などあらゆる資料を参考にして良いというのが、初心者ルールである。
一見すると、とても易しいように思えるだろう。模範解答を読みながらテストを解くようなものなのだから。しかし、これが結構厄介だった。同じ作戦を使い、同じタイミングで同じような判断をしても、敵が同じように動いてくれない。
再現度が高いということは、すなわち不確定要素も忠実に再現されているということだ。史実では起きる可能性があったけど起きなかったトラブルが起きる。運悪く直撃弾を受けて沈んだ艦が運良く生き残ったりする。史実で成功した博打が成功しないこともある。資料に忠実に戦うと、不測の事態に対応できない。
戦闘における不確定要素を理解するには、これ以上無い教材だった。仮に前の世界の戦記を完全暗記していたとしても、戦場ではまったく通用しないであろうことが感覚として理解できた。
それなのに先入観に囚われて惨敗したのだから、まったくもって俺は馬鹿だ。ばれていないのが救いだった。
反省会の内容を要約すると、俺の欠点は「目の前の状況に振り回され過ぎる」「優先順位の設定を間違った」「狙いをまったく隠せなかった」「反応が遅すぎる」の四点に尽きる。幹部候補生養成所のシミュレーション担当教官に言われたこととまったく同じだった。こうも進歩がないと、がっくりきてしまう。
「フィリップス中佐は駆け引きができねえんだろうなあ。真面目過ぎるんだ。ビート・ホプキンス提督もそうだったらしいぞ。用兵家としてはだめだが、人間としてはいいんじゃないか」
ワイドボーン准将は褒めてるんだか貶してるんだかわからないことを言う。俺はとても微妙な気分になった。
引き合いに出されたビート・ホプキンスは、対帝国戦争初期に活躍した提督で、清廉で愛国心に富んだ人柄から「同盟軍人の鑑」「聖将」と称えられた。だが、用兵家としてはまったく無能だった。保守派の間ではリン・パオ提督やブルース・アッシュビー提督に匹敵する人気を誇り、リベラル派の間では愚将と嘲られる。
「尊敬するホプキンス提督みたいだと言われると、嬉しいですね」
褒められたと解釈することにした。ワイドボーン准将は保守的な価値観の持ち主だ。けなすために聖将ホプキンス提督を持ち出すことはないだろうと踏んだ。
「まあ、軍人の仕事は用兵だけじゃないからな。用兵ができないからといって、気を落とすことはないさ」
ワイドボーン准将が親しげに俺の肩を叩く。真夏の太陽もこれ以上ではないだろうと思えるほどに眩しい笑顔。この男はいつも一言も二言も多かった。これではせっかくの男前が台無しだ。
「先輩、それはないでしょう」
すかさずダーシャが説教を始め、ワイドボーン准将はばつの悪そうな顔になる。みんなは俺とダーシャがお似合いだと言う。だが、この二人の方がよほどお似合いではないか。
俺はマフィンを袋から取り出して口に放り込む。そして、保温水筒から紙コップにコーヒーを注ぎ、砂糖とクリームでドロドロにして飲み干す。
ワイドボーン准将がダーシャに説教されているのを横目に携帯端末を開き、電子新聞に目を通した。
トップ記事はトリューニヒト国防委員長が上院で行った国防方針演説だ。国防予算の増額、統廃合された宇宙軍一四〇個戦隊と地上軍一〇〇個師団の再建、大型装備更新計画の実施、地方警備部隊の強化などを柱とする方針は、タカ派以外からは「財政再建路線に逆行する」と非難されているらしい。軍縮と少数精鋭化を推進するシトレ元帥への挑戦状と受け取る声もある。
その他には、三月末の上院選挙を前に統一正義党と反戦市民連合が支持率を伸ばしているという記事、ホワン人的資源委員長が公立病院の民営化に反対する医師団体を批判したという記事、宇宙海賊「ガミ・ガミイ自由艦隊」がアスターテ星域軍即応部隊を撃破したという記事などが掲載されていた。
国際面では、帝国のルートヴィヒ皇太子が保守派との抗争に敗れて廃太子寸前だという記事、帝国で恒例の食糧危機が起きたという記事などがある。
ルートヴィヒ皇太子は前の世界ではとっくに死んでたはずの人だが、今の世界ではどういうわけか生き残り、同盟軍がエル・ファシルを奪還した後に帝国宰相となった。爵位を持たない女性との結婚、大胆な人材抜擢で知られる皇室きっての進歩派だ。国政改革に取り組んだが、枢密院議長ブラウンシュヴァイク公爵、大審院長リッテンハイム侯爵ら保守派に足を引っ張られていた。
同盟では「英明なルートヴィヒが即位したら帝国が強大化する」と恐れる意見と、「進歩的なルートヴィヒとの間なら対等講和が成立するかも」と期待する意見で分かれる。
進歩的な皇太子が廃太子されたとしたら、同盟にとってどのような影響があるのだろうか? にわかに判断しがたい。
「悪いニュースばかりだなあ」
憂鬱な気分で端末を閉じる。ダーシャは熱いココアを両手で持ってふうふうと冷まし、ワイドボーン准将はペットボトルから冷たいお茶をぐびぐびと飲んでいる。どうやら説教の時間は終わったらしい。
研修室の大きな窓からは柔らかい冬の日差しが差し込んでくる。二月の土曜の昼下がり、揺れ動く銀河の中でこの部屋だけは穏やかだった。