銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第27話:グリフォンが羽ばたく時 794年11月28日~12月1日 イゼルローン要塞正面宙域

 幽霊艦隊が出没しなくなった後も回廊内の戦いは続いた。イゼルローン要塞駐留艦隊、メルカッツ艦隊は、イゼルローン遠征軍に出血を強要しつつ後退していった。遠征軍を疲弊させつつ要塞正面まで引きずり込むのが彼らの目的だ。

 

 敵の魂胆は分かっている。それでも乗らざるをえないのが遠征軍の苦しいところだ。第五艦隊、第七艦隊、第一〇艦隊がローテーションを組み、一日交代で帝国軍と戦った。

 

 特に活躍したのが第五艦隊だ。兵卒あがりのアレクサンドル・ビュコック司令官は、作戦立案や組織管理といった幕僚的な仕事は苦手だが、臨機応変の対応では右に出る者がいない。作戦レベルでの選択肢が著しく狭い戦いで最も力を発揮する提督だった。

 

 また、ウィレム・ホーランド少将、ライオネル・モートン少将、モシェ・フルダイ少将らが帝国軍をしばしば打ち破った。戦隊以下の小部隊司令、個艦の艦長、単剤式戦闘艇「スパルタニアン」のパイロットなども目覚ましい戦果をあげた。彼らの活躍によって、幽霊艦隊に挫かれた戦意が再び盛り上がった。

 

 一一月二八日、回廊を塞いでいた帝国軍が姿を消した。決戦に備えるために要塞周辺へと集結したのだ。

 

 遠征軍も進軍速度を落とした。回廊に入ってから一か月半の間、将兵は一日戦っては後ろに下がって二日休むというローテーションで戦ってきたが、疲弊の色は隠しきれない。決戦前にゆっくり休ませる必要がある。

 

 要塞攻略作戦の方針はだいぶ前に決まった。要塞を覆う四重の複合装甲には耐ビーム用鏡面処理が施されているため、ビームのような指向性エネルギー兵器は一切効かないが、運動エネルギー兵器は有効だ。そこで質量攻撃を仕掛ける

 

 正面の遠征軍主力が敵を引き付けている間に、ミサイル艦部隊が哨戒網の死角から要塞へと肉薄し、数十万発のミサイルで集中攻撃を仕掛ける。無人艦を突入させた二年前の第五次イゼルローン遠征軍に対し、今回の遠征軍は大量のミサイルを使う。

 

「二年前の無人艦攻撃が失敗に終わった最大の要因。それは敵にトゥールハンマーを使う暇を与えてしまったことだと小官は考えました。敵に気づかれる前に攻撃を済ませる。それがこの作戦の主眼であります。速度のあるミサイル艦こそがうってつけでしょう」

 

 発案者の第七艦隊B分艦隊司令官ウィレム・ホーランド少将は、総司令部で開かれた説明会の席上で胸を反らして語った。

 

 当初、この作戦案はあまり支持されなかった。アイディアこそユニークだったけれども、分析が大雑把すぎて、説得力に欠けていたからだ。ホーランド少将は士官学校を首席で卒業したにも関わらず、幕僚経験は一〇年前に副官を務めたのみ、参謀経験は皆無という異色の経歴を持つ。作戦立案経験の乏しさが仇となった。

 

 ところが作戦参謀のアンドリュー・フォーク中佐が同じような作戦案を提出した。こちらは精密な分析がなされていて説得力に富む。結局、ホーランド少将の案にアンドリューが手を加えたものが採用された。

 

 総司令部の参謀部門が作戦案の検討作業を進めた、情報部門が敵の死角を割り出し、後方部門が作戦に必要な資材を見積もり、作戦部門が戦力配置や攻撃のタイミングを検討する。同盟軍最高の頭脳集団が一か月以上もこの作業にかかりきりになった。

 

 完成案ができあがったのは二八日のことだった。グリーンヒル総参謀長、ドーソン副参謀長、コーネフ作戦主任、ビロライネン情報主任、キャゼルヌ後方主任が口を揃えて「できることはすべてやった」と太鼓判を押すほどの完成度だ。皮肉なことに前哨戦の長期化が十分な作業時間を与えてくれた。

 

「さすがはホーランド提督だよ。俺よりずっと戦理を分かっている」

 

 二九日の朝、作戦参謀アンドリュー・フォーク中佐がホーランド少将を賞賛した。俺はナイフで切り分けたクレープをアンドリューの皿に乗せてから質問する。

 

「君が出した案とホーランド提督の案はどう違うんだ?」

「イゼルローン要塞に近づいたら、対空砲火とワルキューレに迎撃されるだろう? だから、俺は防御磁場が強力な巡航艦を使う案を立てた。だけど、ホーランド提督は『この作戦は奇襲作戦だ。敵が迎撃に出る前に攻撃を済ませなければならない。火力を重視すべきだ』と言って、防御磁場が弱いけど時間あたりの投射火力の大きいミサイル艇を選んだ」

「本当に大丈夫かな?」

 

 俺は不安だった。艦隊レベルの用兵なんてまったくわからないが、記憶が危険信号を鳴らす。内容、発案者、実施者が前の世界で失敗したイゼルローン要塞攻撃作戦とすべて同じなのだ。

 

「大丈夫だろう。常勝のグリフォンが指揮を取るんだからな」

 

 アンドリューの言う通り、現在のウィレム・ホーランド少将は「グリフォン」の異名を取る常勝提督だった。四年前に准将となってから現在に至るまで三〇回近い戦闘を指揮したが、一度も負けを知らない。同盟軍が敗北した戦いでも彼の受け持った戦域だけは勝利した。しかし、過去の常勝提督が未来も常勝とは限らない。前の世界のホーランド少将が真の常勝提督ラインハルトに敗れたことを、俺は知っている。

 

「敵に気づかれたらそこでおしまいじゃないか」

 

 何としても考え直してほしいと思い、必死で粗探しをした。戦記の記憶が役に立たないのがもどかしい。記述が人物中心であるため、戦いの細かい部分について書かれていない。仮に書かれていたとしても、当時の俺の頭では覚えきれなかっただろうし、覚えたとしても最後に読んでから七年も経てばさすがに忘れる。

 

「気づかせないようにするのが、俺達作戦参謀の腕の見せどころさ」

 

 アンドリューは骨ばった右手で左胸を叩く。一年前ならば力強く感じたであろうそのジェスチャーも痩せ細った今では頼りない。

 

「しかし、敵にも作戦参謀はいる。メルカッツ提督や幽霊艦隊司令官のような優れた提督もいる。彼らが気づくんじゃないか?」

 

 こんな指摘が何の説得力も持たないのは分かってる。しかし、予言者っぽく「俺には分かっている」と断言するのは下の下だ。

 

 根拠を出さない予言は相手にされないし、的中してもオカルティスト以外にはうさん臭いと思われて、かえって評価を落とすのが現実だ。ある参謀は第五次イゼルローン遠征やヴァンフリート戦役の成り行きを正確に予測、いや予言したが、「神がかり」と言われて信用を失い、地方へと飛ばされた。軍人はあくまで常識の範囲内で話す必要がある。

 

「警戒されてないのを前提に作戦を立ててるとでも思っているのか?」

「いや、そんなことはない」

「奇襲作戦なんて敵が警戒しているのを前提に立てるものだぞ? 『警戒していれば絶対に奇襲を受けない』『奇襲が成功するのは敵が油断している時だけ』だなんて、物語の世界だけの話だ。それがなぜかわかるか?」

「最近読んだ用兵教本の受け売りだけど、戦力が限られているせいだね。すべてのポイントを警戒したら、戦力が分散されて各個撃破されてしまう。だから、敵が攻めてくる可能性の高いポイントに戦力を集中して警戒する。読み違えたら奇襲を受ける。これで良かったかな?」

「ああ、それで問題ない。攻撃作戦の基本は奇襲なんだ。戦力に大きな差がない限り、敵が警戒していない場所を集中攻撃しないと打撃を与えられない。これも用兵教本に書いてあったはずだ」

「そうだね」

 

 肯定する以外の選択はなかった。俺の主張は用兵の基本をなぞるだけで覆される程度のものでしかない。

 

 物語の世界ならば、敵が警戒しているとを指摘するだけで名参謀になれる。しかし、現実では敵が警戒しているのが前提だ。作戦の不利を説くとしたら、具体的な根拠を示した上で理路整然と説かなければ、参謀相手には何の説得力も無い。

 

「攻撃作戦における作戦参謀の仕事は、敵を騙して間違ったポイントを警戒させること、敵が警戒していないポイントを見つけること、攻撃に適したタイミングを選ぶこと、戦力を集中しやすい配置を考えることの四つだ。俺達は一か月半かけてこの四つの仕事を進めた。軍事に一〇〇パーセントは無いけど、可能な限り近づけたと思う」

「ありがとう。やっと理解できた」

 

 笑顔を作って答えた。この笑顔は作戦への期待ではなく、丁寧に説明してくれたことに対する謝礼であった。不安は拭い切れないが、「前の世界で失敗したから、今回も失敗するに決まってる」なんて根拠で太刀打ちできる相手ではなかった。

 

「まあ、不安に思うのもわからなくもないけどな。ホーランド提督は大胆な人だ。エリヤみたいな慎重派には危なっかしく見えても仕方ないと思うよ。でも、そこは俺達がフォローした。そのための作戦参謀だ。期待しててくれ」

 

 アンドリューは俺の不安の源をホーランド少将の人間性だと誤解したようだ。ホーランド少将の自己顕示欲や上昇志向は、大多数の人からは「勇将らしい覇気の表れ」と評価されたが、「いずれ派手に失敗するに決まっている」と危ぶむ声もあった。ドーソン副参謀長も少数派の一人だ。俺も同意見と思われているのだろう。

 

 あえて訂正する理由もない。俺は誤解を肯定した後、アンドリューにクレープを勧めた。多忙な彼と一緒に食事できる機会など滅多にないのだ。せめて栄養をたっぷりとってもらいたい。

 

 追加のクレープを注文しようとしてウェイターを探した時、ぼんやりした顔で緑茶をすする作戦副主任参謀ヤン・ウェンリー代将が視界に入った。

 

 今の世界では「エル・ファシルの英雄」、前の世界では「不敗の魔術師」と言われたこの天才用兵家は、要塞攻撃作戦をどう評価するのだろうか? 興味は尽きない。だが、今となってはそれも無理だ。上官のドーソン副参謀長が、彼を徹底的に目の敵にしている。

 

 前の世界で失敗した作戦が実行されようとしている。さらに悪いことに、前の世界で七九七年のクーデター前後に表面化したクレメンス・ドーソンとヤン・ウェンリーの確執が、この世界では三年も早まった。俺の胸中は不安でいっぱいだった。

 

 

 

 一一月三〇日、遠征軍は再び進軍を開始した。総司令部が最終調整で忙しい中、俺は後方参謀イレーシュ・マーリア中佐、後方参謀ダーシャ・ブレツェリ少佐の二人と一緒に夕食をとる。左隣に座るダーシャは熱いココアを冷ます作業に没頭しており、向かい側のイレーシュ中佐と俺が話し込む形となった。

 

「勝つんじゃないの」

 

 いともあっさりとイレーシュ中佐は俺の不安を否定した。

 

「そうですか?」

「作戦立てたのも指揮するのもホーランドでしょ? どうせ成功するって。あいつ、勝負って名前のつく物には絶対負けないから」

 

 言葉だけを切り取れば、イレーシュ中佐が同期の出世頭を信頼しているように聞こえる。だが、声と表情には好意から程遠い色が浮かんでいた。

 

「そんなに凄いんですか?」

「士官学校入学から卒業まで不動の首席。ブロック対抗競技会で四年連続優勝。ジャンケンでも四年間負けなし。生徒総隊、風紀委員会、学園祭実行委員会のトップをすべて経験」

「まるで物語の主人公か何かみたいですね」

「主人公みたいじゃなくて主人公なのよ。強引で自信家で目立ちたがり。何よりも負けるのが大嫌い。才能があるくせに努力も欠かさない。スタンドプレーが大好き。独善的だけど正義感がとても強い。あいつを中心に世界が回ってるみたいだった」

「能力は超優秀。気性が激しい。信念が強い。凄いけど鬱陶しそうですね」

 

 脳内にホーランド少将の容貌を思い浮かべた。精悍な面構え、二メートル近い身長、鍛え抜かれた肉体、全身にみなぎる鋭気。生まれながらにして選ばれた存在といった感じだ。縁の薄い部下の墓参りをする一面もある。こんな凄い人が近くにいては、俺のような凡人はたまらない。

 

「エリヤくん、天才って何だと思う?」

「並外れて優秀な人ですかね」

「じゃあ、アンドリューくんは天才?」

「秀才だけど天才では無いでしょう」

 

 アンドリューは頭脳も運動神経も並外れている。リーダーシップも抜群だ。しかし、ヤン代将やシェーンコップ大佐とは、何かが決定的に違うような気がする。

 

「士官学校首席なんて毎年一人は出るじゃない。アンドリューくんが首席にならなかったら、別の優秀な子が首席を占めるだけ。チームのキャプテン、星系代表選手、生徒会長。どれも同じよね。秀才は能力が高くても代替の効く存在よ。エリヤくんもそうだね」

「ああ、何かわかったような気がします」

 

 そう、ヤン代将やシェーンコップ大佐は、単に優秀なだけではなかった。別の誰かが彼らと同じ役割を果たすところが想像できない。

 

「天才って存在感だと思うの。いるといないで世界が全く違う。世界を構成する部品の範囲に留まるのが秀才で、世界を壊したり組み立てたりできるのが天才じゃないかな」

「なるほど、世界の構造そのものに介入できるのが天才ですか」

「生徒総隊長や風紀委員長は士官学校では権力者よ。でも、権力者なんて社会の中では『権力者』と名付けられた部品でしかない。ルールと不文律が許す範囲で権力を使うだけ。だけど、ホーランドはそうじゃなかった。今の生徒総隊と風紀委員会は、一四年前にあいつが作り上げた枠組みで動いてる。そして、軍人になってからは着々と武勲を重ねて、あのブルース・アッシュビーと同じ道を歩こうとしている」

「ホーランド提督は破格なんですね」

「天才って天災なのよ。世界を変える存在だからね。すべての人に影響を与えずにはいられない。ただそこにいるだけでその場にいる人に肯定するか否定するかの二者択一を迫る。そして、一度肯定したら、天才なしでは生きられなくなっちゃうのね。天才はいつも正しいから。七三〇年マフィアがその典型よ。どんなに不満があっても、アッシュビー提督の天才から離れられなかった」

「良く分かります」

 

 俺の頭の中に浮かんだのは、イレーシュ中佐が例にあげたブルース・アッシュビーではなく、ラインハルト・フォン・ローエングラムやヤン・ウェンリーだった。彼らの輝きを目にした者は、肯定と否定の二択しかできなかった。無視するにはあまりに輝きが強すぎたのだ。

 

「昔は天才に反発する人が馬鹿に見えたのよね。認めればそれですべてうまくいくのに、なんで反発するんだろうって思ってた。ホーランドを見てようやくそれが理解できた。天才を認めるか認めないかの二択じゃなくて、天才に依存するかしないかの二択だったのね」

「俺はどっちでもいいですね。依存することに拒否感はないですし」

 

 八か月前、彼女と交わした会話を思い出す。あの時は一緒に駄目になってしまっても構わないと思っていた。

 

「君は天才の下にいたら腐っちゃうタイプだよ。前も言ったでしょ? 『他人に頼れない場面でしか真面目になれないんじゃないか』って。何もしない君を見るのは嫌だな」

「そう言われると辛いですね」

「君にはダーシャちゃんみたいな子がいいよ」

 

 イレーシュ中佐は俺の左隣を見た。ダーシャがまだココアに息を吹きかけている。脇には空の紙コップが二つ置かれているから、これが三杯目なのだろう。どうして最初からぬるいココアを注文しないのか? 士官学校を三位で卒業した秀才とは思えない。

 

「ありがとうございます」

 

 ダーシャが顔を上げてニッと笑った。馬鹿のくせにこういうところには目敏い女だ。

 

「エリヤ君は押されないと動かない子だからさ。ファーストネームで呼ばれた時みたいにぐいぐい押しちゃってよ」

「はい! 任せて下さい!」

 

 恩師と友人の脳天気なやりとりに頭が痛くなった。

 

「明日から決戦でしょう。少しは緊張してくださいよ」

「君が緊張し過ぎなんだって」

「イレーシュ中佐のおっしゃる通りよ。今はのんびりした方がいいの。本番になったら嫌でも神経使うんだから」

「…………」

 

 たしなめたつもりがかえってたしなめられた。しばしば忘れがちではあるが、俺よりこの二人の方がずっと戦い慣れているのだった。

 

 一二月一日、アルテナ星域に入った遠征軍は、イゼルローン要塞から六・六光秒(一九八万キロメートル)の距離で停止した。ハイネセンを出発してから六九日目、イゼルローン回廊に入ってから四五日目のことである。

 

 ビュコック中将の第五艦隊、ホーウッド中将の第七艦隊、アル=サレム中将の第一〇艦隊がそれぞれ先頭部隊を横一列に並べ、細長い縦陣を組む形で布陣している。回廊に沿って三匹の蛇が並んでいるかのようだ。機を見て回廊外縁から要塞側面に回りこむため、そして要塞主砲「トゥールハンマー」の射線で分断されても戦えるようにするため、このような変わった陣形を組む。これまでの戦訓から要塞攻略に最も適しているとされる陣形だ。

 

 三匹の蛇の前方にイゼルローン要塞が鎮座する。恒星アルテナの光を浴びて銀色に輝く優美な姿は、「虚空の女王」の異名にふさわしい。

 

「きれいだなあ」

 

 感嘆せずにはいられなかった。隣にいるドーソン副参謀長も目を見開いている。だが、ロボス総司令官、グリーンヒル総参謀長、コーネフ作戦主任、ビロライネン作戦主任、キャゼルヌ後方主任らは、実に淡々としたものだ。

 

 若い幕僚が座る席へと視線を向けた。アンドリュー、ダーシャらも淡々としている。驚いているのは三二歳のイレーシュ・マーリア中佐を除くと、二〇代前半の若い尉官ばかりだった。要するに初めてイゼルローン遠征に参加した者だけが驚いていた。

 

「出てきたぞ!」

 

 要塞の左右から無数の光点が現れた。同盟軍から見て左側の光点はフォルゲン大将の要塞駐留艦隊、右側の光点はメルカッツ大将の艦隊だ。同盟軍三万五〇〇〇隻、帝国軍は二万三〇〇〇隻、両軍合わせて五万八〇〇〇隻の大艦隊が狭いアルテナ星域にひしめく。

 

「砲撃開始!」

 

 ロボス元帥の鋭い声が響く。同盟軍の戦艦と巡航艦がトゥールハンマーの射程外からビーム砲を放った。帝国軍も負けじと砲撃を開始し、数十万本の太い光線が両軍の間を交差する。こうして第六次イゼルローン要塞攻防戦が始まった。

 

 

 

 第五艦隊が「D線」と呼ばれるトゥールハンマーの射程限界ラインまで進出した。第七艦隊と第一〇艦隊がその後に続く。

 

 横並びになった三個艦隊がD線をまたぐように前進と後退を繰り返し、帝国軍を誘き出そうとする。俗に「D線上のワルツダンス」と呼ばれる艦隊運動だ。タイミングを誤れば、たちまち雷神の鉄槌が振り下ろされるであろう。同盟軍の優れた艦隊運用能力のおかげで成り立つダンスだった。

 

 帝国軍もD線まで前進してきた。同盟軍のリズムを崩し、トゥールハンマーの射程内に引きずり込もうとしている。

 

 外に誘き出そうとする同盟軍と中に引きずり込もうとする帝国軍は、二時間にわたって艦隊運動の妙を競い続けた。D線を巡る駆け引きがイゼルローン要塞攻防戦の最大の見せ場と言われる。しかし、今回に限っては前座に過ぎない。

 

 主演は回廊外縁にいた。全軍から集められたミサイル艦九〇〇隻。それを指揮するウィレム・ホーランド少将。彼らは帝国軍の索敵網の死角を衝き、何重にも張り巡らされた防衛線をいとも簡単にすり抜け、みるみるうちに要塞との距離を縮めていった。ホーランド少将の卓越した指揮能力、ロボス・サークルが練り上げた作戦計画、ミサイル艦乗員の熟練が織りなす用兵の芸術だ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 司令室にいる者は総立ちになり、メインスクリーンを食い入る様に見詰める。もちろん俺もその一人だった。

 

 要塞駐留艦隊とメルカッツ艦隊は、D線上の同盟軍主力との攻防に集中している。要塞の対空砲台は沈黙したままだ。要塞防衛軍の単座式戦闘艇「ワルキューレ」部隊が迎撃に出てくる気配も無い。誰にも気付かれぬうちに、ホーランド少将は要塞から二万キロの地点まで接近した。宇宙空間では至近距離といっていい。

 

 光り輝く銀色の壁がスクリーンに映る。対レーザー防御用の鏡面処理が施された要塞外壁だ。ミサイル艦九〇〇隻が一斉にミサイルを吐き出す。爆発光がドームとなって表面を覆い尽くし、強烈な衝撃波が対空砲台をなぎ倒した。

 

「おおー!」

 

 いかなる火力も受け付けないと言われてきたイゼルローン要塞の外壁が打撃を受けた。総旗艦の司令室が幕僚達の歓声で満たされる。俺も力一杯拍手した。

 

 数万本のミサイルが装甲の薄い第三要塞宇宙港の周辺を徹底的に狙い撃つ。ミサイルの雨がぶつかるたびに、直径六〇キロの巨大要塞が激しく揺れる。イゼルローン不落神話の揺らぎを示すかのような光景だ。

 

 要塞の揺れが要塞駐留艦隊とメルカッツ艦隊の将兵を動揺させた。艦隊運動に乱れが生じ、D線の外にはみ出した数百隻が同盟軍の砲撃の餌食となった。

 

 メルカッツ大将は一〇〇〇隻を割いて要塞救援に向かわせた。そして、一〇〇〇隻が抜けた穴を素早く埋める。驚くべき戦術的熟練といえよう。だが、これは予測の範囲内だ。

 

 ロボス・サークルの作戦参謀は、ホーランド少将の部隊が要塞外壁を突き破るまでの時間を一〇分と見積もった。そして、要塞駐留艦隊とメルカッツ艦隊が布陣するポイント、要塞防衛軍のワルキューレ部隊が発進するポイントを予測して、そのすべてから一〇分で到達できないポイントにホーランド少将を送り込んだのである。

 

 帝国軍もまったくの無策だったわけではない。宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥が要塞に乗り込んで、対立しがちな要塞駐留艦隊と要塞防衛軍の指揮権を一本化した。また、援軍としてメルカッツ艦隊を送った。その他にも防衛体制強化の取り組みが行われただろう。しかし、同盟軍の努力がそれを上回った。

 

「頼む、勝ってくれ!」

 

 手を強く握りしめて祈った。前の世界の記憶なんて今はどうでもいい。これだけ力を尽くしたのだから、成功するに決まってる。いや、成功してもらわなければ困る。

 

 攻撃開始から九分が過ぎた。外壁を覆う四層の複合装甲のうち、三層は既に破られ、四層目に大きな亀裂が入った。メルカッツが派遣した援軍一〇〇〇隻、要塞防衛軍のワルキューレ六〇〇〇機が迎撃に向かっているが、到着までに最低でも三分は掛かる。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 ホーランド少将は予定通り一〇分でイゼルローンの要塞機能を破壊し、安全なルートを通って悠々と引き上げるに違いない。誰もがそう確信した時、状況が一変した。

 

「なんだ、あれは!」

 

 通信部員インティダム技術大尉が驚きの叫びをあげた。右側面から飛来したビームの雨がミサイル艦部隊を貫いたのだ。

 

「馬鹿な! あんな場所に敵がいたのか!」

 

 作戦参謀タイデル少佐がメインスクリーンを指さして叫ぶ。七〇〇隻から八〇〇隻ほどの敵部隊が映っていた。

 

「死角は徹底的に潰したはずだ! 一体何が起きた!?」

 

 情報参謀メリエス中佐がデスクに拳を叩きつけた。

 

「しかし、あのホーランド提督が奇襲を受けるとは……」

 

 作戦総括参謀ベラスケス准将がうめくような声を漏らす。ホーランド少将は大胆だが軽率ではないと評される。そんな提督がむざむざと奇襲を受けたのがショックのようだ。

 

 俺には分かっていた。あの敵部隊の指揮官は、幽霊艦隊の指揮官と同じ天才ラインハルト・フォン・ミューゼルであろう。前の世界の彼は「黄金のグリフォン」の異名を持っていた。

 

 前の世界で戦記を読んだ時は、「警戒していないからやられたんだ。同盟軍のエリートは本当に無能だ」と嘲笑したものだ。しかし、総司令部の末席に連なって、それが間違いであることがわかった。

 

 アンドリューが『軍事に一〇〇パーセントは無い』と言った通り、参謀とは想定しうる可能性に気を配る完璧主義者だ。情報参謀が死角を徹底的に洗い出し、作戦参謀がそのすべてに対応策を用意し、ホーランド少将が逆襲を受けないように配慮した。彼らは油断したわけでもないし、無能だったわけでもない。帝国軍きっての名将メルカッツ大将ですら、この作戦を読みきれなかった。ラインハルトが凄すぎるだけなのだ。

 

 これは人間業ではないと確信した。そして、ヴァンフリート四=二基地司令部ビルで遭遇した時と同じ感情を覚えた。やはり、ラインハルトは現人神だ。人間界を征服するために天上界から降り立った軍神だ。強烈な畏怖が湧き上がってくる。

 

 ふと、作戦参謀のデスクが集中する一角に目を向けた。みんなが顔を青くする中、一人だけぼんやりと緑茶をすする黒髪の青年がいる。彼こそが前の世界で唯一ラインハルトの天才に対抗し得たヤン・ウェンリーだった。神に対抗できるのは神しかいないのではないか。

 

 いや、対抗できなくてもできることはある。この後の展開を俺は知っていた。前の世界のラインハルトは、ホーランド少将を突破した後に同盟軍主力へと突っ込んだ。これから一瞬後に起きることなら、過程を説明できずとも構わないだろう。

 

 俺は覚悟を決めて立ち上がった。そして、スクリーンを指さして大声で注意を促す。

 

「あの部隊はホーランド提督を突破したら、そのままこちらの主力に向かってきます! 注意してください!」

 

 幕僚が一斉に俺を見た。驚くほど冷たい視線だった。

 

「フィリップス中佐、貴官は何を見ているのだ?」

 

 隣のドーソン副参謀長が苦い表情でスクリーンを指さす。ホーランド少将を半包囲するラインハルトの部隊が映っていた。

 

「たかだか八〇〇隻だぞ。突っ込んでくるものか」

「申し訳ありません」

 

 俺は顔を真っ赤にして謝った。どうして展開が違うんだろうか? 首を傾げながらスクリーンを凝視する。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 ホーランド少将は絶体絶命の窮地に陥った。要塞外壁からわずか二万キロの至近距離でラインハルトに半包囲を受けた。そして、軍艦一〇〇〇隻とワルキューレ六〇〇〇機が迫っている。六光秒の彼方で敵の主力と対峙する味方から援軍が来る可能性は皆無。手元には、ミサイルを撃ち尽くして短射程の対空砲しか使えないミサイル艦が数百隻。

 

 誰もがホーランド少将の死、そして常勝神話の終焉を予感した。グリフォンの翼は二度と羽ばたくことがないであろう。そして、若く美しい黄金のグリフォンが羽ばたくのだ。新旧の英雄の交代劇がスクリーンの中で始まろうとしていた。


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