驚いたことに俺は生き残った。仇敵のリューネブルク准将を探し求めていたシェーンコップ中佐とデア・デッケン中尉ら薔薇の騎士連隊(ローゼンリッター)に救われたのだ。彼らが呼んだ医療班に手当てを受けて一命を取り留めた。あと数分発見が遅れていたら、間違いなく死んでいたそうだ。
さらに驚いたことにヴァンフリート四=二基地も占領を免れた。成り行きを説明すると少々長くなる。
三月末、挟撃作戦の失敗を悟った同盟軍総司令部は、迂回行動中の第四艦隊と第一一艦隊を呼び戻した。通信が混乱する中、シャトルで命令文を受け取った両艦隊は総司令部が定めた集結地点へと急いだ。ところがその途中で第四艦隊が帝国軍本隊と遭遇してしまったのである。司令官ヴィテルマンス中将の老巧な指揮によりどうにか脱出を果たした第四艦隊であったが、二〇〇〇隻近い損害を被り、戦力が大きく低下した。
第四艦隊の敗北によって不利となった同盟軍は、兵站拠点の四=二周辺まで後退し、態勢を立て直そうと考えた。そして、第四惑星から二〇光分(三億六〇〇〇万キロメートル)離れた宙域に差し掛かったところで、救援を求める通信波を捉えた。
あてにしていた兵站拠点が帝国軍の一個艦隊に攻撃されている。その報に仰天した同盟軍は、ライオネル・モートン少将を指揮官とする救援部隊を編成し、急いで四=二へと向かわせた。
四=二基地は救援部隊の存在を知ることができなかった。ヴァンフリート星系全域を席巻する宇宙嵐、第四惑星のガス体などの影響で電波が阻害され、救援部隊からの通信を受け取れなかったのだ。
通信の途絶は四=二の同盟軍にとって不幸だったが、帝国軍にとっても不幸だった。味方からの警告を受け取れなかったからだ。帝国軍は上空からの奇襲を受けて艦艇数千隻を失い、命からがら逃げ出した。こうして四=二基地は救われた。
勝ち負けで言えば、四=二基地の同盟軍は勝ったことになるのだろう。帝国軍は撤退した。基地司令官セレブレッゼ中将も健在だ。しかし、基地施設は激しく損傷し、多くの支援艦艇や備蓄物資が失われ、後方支援要員の四割が死傷した。兵站基地としての機能は失われたも同然だ。
中央兵站総軍の幕僚チーム「チーム・セレブレッゼ」も大損害を被った。中央支援軍司令官リンドストレーム技術中将(一階級特進)、地上工兵部隊司令官ヴィターレ技術少将(一階級特進)、中央輸送軍副司令官リベリーノ地上軍少将(一階級特進)、中央通信集団司令官代理マデラ技術少将(一階級特進)らが戦死した。また、総軍副司令官ロペス宇宙軍少将、総軍参謀長ドワイヤン宇宙軍少将、中央輸送軍司令官メレミャーニン宇宙軍少将、車両支援部隊司令官ハリーリー地上軍准将らが行方不明となった。佐官・尉官クラスの戦死者や行方不明者は数え切れない。
基地憲兵隊は致命的な損害を蒙った。憲兵副隊長トラビ地上軍中佐(一階級特進)、中央支援軍憲兵隊長コフロン地上軍中佐(一階級特進)、隊長補佐ケーシー宇宙軍大尉(一階級特進)ら幹部の半数が戦死。俺が率いた本部中隊及び隊長直轄の四個中隊、基地憲兵隊配下の五個憲兵隊のうち三個憲兵隊が壊滅した。
借り受けた薔薇の騎士連隊隊員三九名のうち、二四名が戦死した。指揮官のカスパー・リンツ大尉は一命を取り留めたものの秋まで入院することになるという。
その他の知り合いはほとんど生き残った。激戦の渦中にいたクリスチアン中佐はほぼ無傷、中央輸送軍司令部ビルで戦っていたイレーシュ少佐は骨折、基地司令部ビルの戦闘に参加したフィッツシモンズ中尉は全治三か月の重傷といった具合だ。知り合いとはいえないが、密告屋のダヴィジェンコ中尉(一階級特進)が後頭部を流れ弾で撃ち抜かれて戦死し、誣告されたタッツィー少尉は武勲をあげて昇進が確実らしい。
四=二基地は放棄されることが決まり、第五惑星第一〇衛星(ヴァンフリート五=一〇)の兵站基地が中央兵站総軍の新たな拠点となった。ほとんどの部隊は五=一〇基地へと移動し、四=二基地に残っているのは、後始末にあたる者、そしてハイネセンへの帰還が決まった者だけだった。
俺は全治三か月の重傷の診断を受け、四=二基地中央医療センターに入院している。数日のうちに病院船でハイネセンへと移送される予定だ。
任務は失敗した。チーム・セレブレッゼのメンバーをすべて拘束することができなかった。戦死者や行方不明者の中にサイオキシンマフィアが含まれていたらと思うと、どれほど後悔してもし足りない。多くの部下を失い、自分だけが生き残った。あまりにも情けない結果に愕然とし、辞表を書こうとまで思い詰めた。それなのに俺の立場はむしろ良くなっている。
ラインハルト・フォン・ミューゼルに追い詰められていた気密服の人物は、四=二基地司令官のシンクレア・セレブレッゼ宇宙軍中将だった。俺とロイシュナー曹長(一階級特進)とハルバッハ軍曹(一階級特進)が駆けつけたおかげで助かったのだそうだ。二人の薔薇の騎士が死に、俺一人が司令官救出の功績を独占する形になった。
「ヴァンフリートの英雄 エリヤ・フィリップス」
枕元に置かれた電子新聞にはそんな見出しが躍っている。困ったことにヴァンフリートでも英雄に祭り上げられた。従軍記者以外のマスコミがいないのが幸いだった。
恩返しのつもりなのか、セレブレッゼ中将は俺を厚遇してくれた。基地病院の中で最も一番良い部屋を用意し、最も優秀な医師を担当に付けてくれた。内臓に損傷を負っているために食事制限がきついのを除けば、最高の環境と言える。
何一ついい所のなかったのに厚遇されるなんて、許されるのだろうか? 俺の羞恥心は限界に近づきつつあった。
「貴官は武勲を立てたのだ。恥じることなどあるまい」
お見舞いに来てくれたエーベルト・クリスチアン地上軍中佐が差し入れのリンゴの皮を剥きながらそう言った。
「セレブレッゼ司令官を救出できたのはただの偶然です。武勲とは言えませんよ」
「馬鹿なことを言うな、運も実力だ。流れ弾で死ぬ奴もいれば、弾幕に突っ込んでも死なない奴もいる。ちょっとしたミスで死ぬ奴もいれば、大きなミスをしても死なずに済む奴もいる。一度や二度なら偶然だが、何度も重なれば立派な実力だ。貴官は実力で武勲を立てた。評価に値する」
「そんなものでしょうか?」
「ただ一つ確かなのは死んだら二度と武勲を立てられんということだ。今回の戦いに納得できぬなら、次の戦いで納得いく武勲を立てろ。それができるのも運の賜物だ。運が与えてくれた物がどれほど有難いか、考えてみるといい」
いかにもクリスチアン中佐らしい明快な論法だ。確かに死んだら武勲も立てられなくなる。生き残った俺には次の機会がある。
先日戦ったラインハルト・フォン・ミューゼルのことを思い出す。前の世界の彼は、人類史上最大の武勲の持ち主であり、最大の武運の持ち主でもあった。不敬罪のないローエングラム朝銀河帝国では、「運が良かっただけ」などとラインハルトを評価する者もいた。しかし、死んでしまっては実力の発揮しようもない。実力だけで生き残れるのなら、俺が死んでロイシュナー曹長とハルバッハ軍曹が生き延びていただろう。確かに運は大事だ。
「おっしゃる通りです」
「戦場は実力だけで生き残れるほど甘くない。むろん、運だけで生き残れるほど甘くもないがな。生き残れば実力など勝手に付いてくる。小官も生まれつき強かったわけではない。運良く生き残れたおかげで強くなった。結局のところ、実力と運の境目など怪しいものだ」
「生き残って戦い続けることに意味があるということですね」
「その通り。死んでしまっては二度と戦えないだろう? 少しでも長く生きて、一人でも多くの敵を殺し、一人でも多くの味方を救う。それが真の愛国者の生き方というものだ。愛国者の命は祖国の財産。簡単に死ぬことなど許されん。生き残るためなら、努力でも運でも何でも使え」
「ありがとうございます」
頭を下げて礼を述べた。クリスチアン中佐の骨太な言葉を聞くと元気になる。この世界に来て間もない頃は違和感のあった「愛国者」という言葉も、今は耳に良く馴染む。愛国者を名乗る人達は俺に優しくしてくれる。前の世界で右翼的な物に感じた恨みもだいぶ洗い流された。
クリスチアン中佐が退出した後、入れ替わるように中央輸送軍参謀のイレーシュ・マーリア少佐が入ってきた。両手に松葉杖を持ち、右足だけを地面につけて歩いている。
彼女が参加した中央輸送軍司令部ビルでは、基地司令部ビルの戦いに勝るとも劣らない激戦が展開された。司令部要員の六割が死傷し、司令官メレミャーニン少将は行方不明になり、副司令官リベリーノ少将は戦死した。そんな中、イレーシュ少佐はかすり傷で済んだのに、戦闘終了後に階段から足を踏み外して左足を折ってしまったのだ。何というか、おかしな人だ。
「やあ、久しぶり」
とても懐かしそうにイレーシュ少佐は笑う。入院中で手入れする余裕がないのか、栗毛はぼさぼさ、顔はほぼすっぴんなのに美しく見える。美人というのは本当に得だ。
「昨日も来たじゃないですか」
「ほら、この病院と私の入院してる西医療センターって結構遠いじゃん」
そういう問題ではないだろうと思ったが、あえて突っ込まなかった。彼女の顔は一日に何回見たって飽きることはない。
「はるばるありがとうございます」
俺はありったけの笑顔を作った。嬉しい時は笑う。彼女にそう教えてもらった。生きていて良かったと心の底から思った。
薔薇の騎士連隊の連隊長代理ワルター・フォン・シェーンコップ宇宙軍中佐は、しばしばお見舞いに来てくれる。同じ病院に入院している愛人のヴァレリー・リン・フィッツシモンズ地上軍中尉の見舞いに来るついでだそうだ。
「もらえる物はもらっておけば良いではありませんか」
シェーンコップ中佐は朗らかに笑い、差し入れのりんごを勝手に取る。
「死んでいった人達の功績を独り占めしてるようで気がひけるんですよ。エル・ファシル義勇旅団の時と同じです」
目を軽く伏せる。俺の功績の半ばは薔薇の騎士の犠牲によるものだ。シェーンコップ中佐の前では引け目を感じてしまう。
「あなたの任務は基地司令部ビルの防衛。司令官を救ってその三割ぐらいは達成したでしょう。負け戦の中の殊勲にご不満でも?」
「深入りしすぎて憲兵隊を壊滅させてしまいました。リューネブルクやミューゼルとの戦いでは、あなたの部下の犠牲で生き延びました。リンツにも重傷を負わせてしまいました。不格好としか言いようが無いですよ」
「格好良く戦えば、司令部ビルを守れましたか? 部下を死なせない指揮が今のあなたにできましたか? 隊長代理殿は随分とご自分を高く評価してらっしゃるのですな」
シェーンコップ中佐は皮肉たっぷりに言う。確かに俺一人が格好良く戦ったところでどうにもならなかった。能力も戦力も決定的に足りなかった。
「おっしゃる通りです」
「取れない責任まで取る必要はありません。器量にふさわしい範囲で責任をお取りになればよろしい。取るべき責任を取ろうとしない輩よりは殊勝なことですがね」
言外に「勝敗に責任を負うような器量があるとでも思っているのか」と言われてるような気がした。彼は冗談ばかり言うが、時々鋭い刃を冗談にくるんで投げつけてくる。
「返す言葉もありません」
「まあ、隊長代理殿は別の責任も負っておいでのようだ。正直な話、勝敗までは負うのは酷かもしれませんな」
シェーンコップ中佐はさらに刃を投げつけてきた。俺の真の目的に勘付いたのだろうか? 心臓が五倍速になる。
「八〇万人が働く基地の憲兵隊長代理ですからね。本当に大変でした」
「その程度の仕事はあなたなら朝飯前でしょう。私的制裁キャンペーンを口実に基地首脳部を監視下に置いたあなたにならね」
「一罰百戒と言うじゃないですか。組織は上から腐るといいますし……」
「私的制裁キャンペーンは目眩まし。監視すること自体が目的としたらどうでしょうか」
「それは考え過ぎですよ」
「基地憲兵隊長代理が基地首脳部を監視下に置いた。そして、基地首脳部全員を命令一つで拘束できるように憲兵を配置した。その狙いは何か? どれほど考えても考え過ぎとは言えんでしょう」
「私的制裁の防止。それ以上でも以下でもありません」
「いろんな方向から憲兵隊に探りを入れてみたんですがね。何も掴めなかった。主任士官クラスですらあなたの意図を図りかねていた。あなたの耳目になっている司令部付下士官も何も知らされていない様子だった。要するにあなたは自分一人でこれだけの仕事をした。大したものです」
シェーンコップ中佐は両腕を組み、椅子に腰掛け直す。すべてを知った上で言っているのか、かまをかけているのか、にわかに判断できなかった。下手なことは言えない。
「この私がリンツと一個小隊を善意で貸したなどと思わんでください。あれはいわば保険です。妙なことをされてはたまりませんからな」
「逆方向に憲兵隊本部にコーヒーを飲みに来ていたのもそうなのですか?」
「ええ、ご想像の通りです。残念ながらあなたの尻尾の端すら掴めませんでしたがね。頭の鈍い律儀者は本当に厄介です。何を考えているのかさっぱり読めない」
やれやれ、と言った感じでシェーンコップ中佐は苦笑する。褒められてるんだか、貶されてるんだか、良くわからない。どっちでも無いかもしれないし、両方かもしれない。
「偉いさんの弱みの一つも見つかったら面白かったんですがね。どうあがいても我々薔薇の騎士は差別される存在です。行儀良くして頭を撫でてもらうか、恐れられてでも胸を張り続けるしかないんですよ。どんな方法を使ってもね。まったくもって面倒なことですな」
亡命貴族は面倒と言いつつもながら愉快そうだった。不自由な境遇を楽しんでいるようにすら見える。それが彼の矜持なのかも知れない。
「しかし、ここまでぶちまけてしまってもよろしいのですか?」
「全部冗談ですよ」
「えっ!?」
「信じていただけるとは思いませんでした。有り難いことです」
「あ、いえ……」
今の俺は肉食獣に睨まれた草食獣だった。完全に圧倒されている。
「まあ、あなたのおっしゃる通り、基地司令部の件は考え過ぎかもしれませんな。憲兵がたまたまあんな配置になってもおかしくない。偶然の一致ということもある。あなたは何かと注目される立場ですからな。功を焦るのも仕方ないでしょう。ご苦労のほど、お察しいたしますぞ」
そういうことにしといてやるよ、と言わんばかりのシェーンコップ中佐。これ以上の追及は止めてくれるらしい。
「ありがとうございます」
ハンカチで汗を拭きながら頭を下げると、シェーンコップ中佐は人好きのする笑みを浮かべて立ち上がった。
「なに、礼には及びません。私も色々と忙しいのです。昔の上官との決着もこれ以上先延ばしにできませんからね」
「リューネブルク元大佐ですか?」
「ええ、上官の不始末は部下が片付けなければ」
上着を羽織るシェーンコップ中佐の後ろ姿を見ながら、ある一つの考えに行き着いた。それは前の世界で『薔薇の騎士ワルター・フォン・シェーンコップ』や『獅子戦争記二巻』から得た知識からは行き着けなかった考えだった。
彼は今もなおリューネブルク准将を上官と認めているのではないか? そう言えば、リューネブルク准将も薔薇の騎士相手に上官風を吹かせていた。彼らの間にあるものは憎悪ではなくて……。
「ああ、フィリップス少佐がいれたコーヒーがうまかったというのは本当です。再び陣を並べることがあったら、ぜひ飲ませていただきたいものですな」
シェーンコップ中佐が思い出したように言う。それは俺が脳内で詮索を始めたタイミングにぴったり合っていた。この人には本当に敵わないと改めて思った。
勝敗がはっきりする艦隊戦は稀だ。いや、はっきりしそうな状況では艦隊戦が起きにくい、と言った方が良いのだろうか。一方が圧倒的に有利だと、もう一方は戦いを避けようとする。両軍が共に「もしかして勝てるのではないか」と思った時に戦いが起きる。そして、不利を悟った側が早々に戦場から退く。こうして、当事者から見れば実力伯仲、第三者から見ればどんぐりの背比べが延々と続くことになる。
ヴァンフリート星域の艦隊戦は圧倒的多数例に属していた。三月二一日から五月一日までの四一日間で、艦隊主力同士の戦闘が三度、分艦隊レベルの戦闘が八度、機動部隊レベルの戦闘が一三度発生したが、決定的な勝敗が付かないまま、両軍は緩慢に消耗していった。
艦隊戦と平行して地上戦も行われた。宇宙艦隊を支援する兵站基地や通信基地を奪い、敵の戦力を間接的に削いで行くのが目的だ。ヴァンフリート星域の惑星、衛星、小惑星の地表で、両軍の地上戦闘要員が激戦を繰り広げた。五月初旬には、同盟軍も帝国軍も地上基地の大半を失い、戦闘継続が困難となった。
五月一〇日、迎撃軍総司令官ラザール・ロボス宇宙軍元帥は、総旗艦アイアースで記者会見を開き、勝利宣言を行った。
「邪悪な専制君主が送り込んできた侵略軍は、イゼルローン回廊の彼方へと逃げ帰った。我が軍は勝利した。自由と民主主義が勝ったのだ。総司令部は現時刻をもって戦闘終了を宣言する」
こうしてヴァンフリート戦役は終結した。同盟軍は数々の誤算に悩まされ、一〇〇万人を超える死者を出したが、帝国軍にも一三〇万人近い損害を与えた。勝利したと言い張る資格は十分にあったのだ。
同盟軍にとっては「勝利」であっても、他の者がそう思うとは限らない。昨年の第三次タンムーズ星域会戦のような快勝を期待していた市民は、痛み分け同然の結果に失望し、出征前まで「リン・パオ提督の再来」と持ち上げたロボス元帥を非難した。
同盟軍の勝敗と政権支持率は連動している。経済危機で支持率が低下していたヘーグリンド最高評議会議長は、ヴァンフリート戦役での勝利に最後の望みを託し、ロボス元帥に大軍を与えた。しかし、議長の賭けは失敗に終わり、政権支持率は一〇パーセントを切った。与党第一党・国民平和会議(NPC)の反議長派は、ヘーグリンド降ろしの動きを活発化させている。
与党第二党・進歩党もヘーグリンド議長の辞任を求めた。財政再建を推進する彼らは、昨年にNPCと取り決めた「一度に動員する宇宙部隊は三個艦隊を限度とする」との協定を破ったヘーグリンド議長に不満を持っていた。そして、ついに完全に反議長へと傾いたのだ。
「今は経済危機の最中だ。政権争いなどやっている場合か」
進歩党のジョアン・レベロ下院議員が政権争いに没頭する与党議員を痛烈に批判した。だが、彼と危機意識を共有する者は現れなかった。各派閥は新政権に向けた動きを加速させている。
首星ハイネセンを中心とする同盟領中央宙域(メインランド)の諸星系では、財政再建と対帝国戦争の停滞に対する不満から、全体主義政党「統一正義党」や反戦派政党「反戦市民連合」が支持を広げつつあった。メインランドとの経済格差に苦しむ辺境宙域の諸星系では、星系ナショナリズムを掲げる地域政党の台頭、分離主義テロリズムの激化といった現象が起きている。
帝国の側も安定とは程遠かった。自由主義的改革を求める開明派エリート集団の台頭、革命を目指す共和主義者のテロ、不平貴族の反乱、労働者や農民の暴動など、帝政を揺さぶる材料には事欠かない。破綻寸前の国家財政、慢性化した食糧不足、経済成長の停滞なども深刻だ。宇宙軍改革、貴族課税、対同盟デタントを巡る路線対立も激化の一途を辿っていた。
安定しているのはフェザーン自治領のみだ。伝統的な勢力均衡政策を堅持するルビンスキー自治領主派が単独で元老院の六割を占め、勢力均衡政策からデタント政策への転換を主張する旧ワレンコフ派、親同盟のイヴァネンコ派、親帝国のダニロフ派を圧倒している。
俺は現在はハイネセンポリス第二国防病院のベッドで世の中の動きを傍観していた。四=二基地憲兵隊が解体されたために隊長代理の地位が消滅し、チーム・セレブレッゼ監視の任務はウェイ地上軍中佐に引き継がれ、すべての責任から解放された。
英雄と持ち上げられてはいるものの、入院しているおかげでマスコミに引っ張り回されることもない。また、第一惑星第九衛星への上陸戦を指揮したホーランド少将、救援軍を率いてグリンメルスハウゼン艦隊を壊滅させたモートン少将、全軍の戦隊司令の中で随一の武勲をあげたラップ代将、地上戦で一〇〇人以上の敵兵を狙撃したムルティ少尉など他の英雄の存在が、俺への注目を逸らしてくれた。
シェーンコップ中佐やクリスチアン中佐の言葉で、自責の念はだいぶ和らいだ。努力しても自分にはあれ以上のことはできなかったし、セレブレッゼ中将を救ったのも功績だと思えるようになった。それでも、後悔を拭い去るには時間が足りなかった。
「貴官の責任ではない。今回の任務では戦闘は想定外だった。良くやったといっていい」
見舞いに来た憲兵司令官クレメンス・ドーソン宇宙軍中将は、そう言ってくれた。上官の温かい言葉に涙が出そうになる。しかし、甘えたくはない。
「小官はそうは思いません。任務を何一つ達成できませんでした」
「貴官は本当に律儀だな。そこが良い所だが、度が過ぎるのも良くない。貴官が作成した戦闘詳報を見たが、あれでいいのか? せっかくの武勲に傷がつくだろうに」
「真実を正しく伝えるのが指揮官の責務。小官はそう考えております」
「しかし、これでは昇進選考に不利だ。当事者は全員貴官の昇進を推していることだし、考え直したらどうだ?」
最近、俺の中佐昇進の話が持ち上がっていた。ドーソン司令官は「失敗を隠した方が昇進選考で有利になる」と示唆しているのだ。
とかく情に流されがちなのがドーソン司令官の美点であり、欠点でもある。単純な問題では果敢だが、複雑な問題では不公平になる。受け取るべきでない好意を受け取るのは良くない。せっかく高まったドーソン司令官の名声が傷ついてしまう。
個人的にも中佐昇進を避けたい理由があった。ヴァンフリート四=二で力不足を思い知った。中佐が務まるとは到底思えない。それにここで昇進したら、同一階級在籍期限ギリギリまで勤務したとしても、中佐八年、大佐八年、合計一六年で予備役に編入される。参謀教育を受けているわけでもなく、指揮官としても並以下の俺が将官に昇進できる望みは薄い。今後のことを考えると、あと五年か六年は少佐のままでいたかった。
「小官はこれまでも十分すぎるほどに閣下の好意をいただいております。甘えきってしまうのではないかと不安になるのです」
「そのようなことを言われたら、何が何でも昇進してもらいたくなるではないか。困ったものだ」
苦笑まじりにため息をつくドーソン司令官。本当に良い上官だと思う。欠点は多いけど、この人の部下で良かった。
「それは死んだ者が報われた後にしていただきたいと思っています。自分だけが報われると後ろめたいですから」
「そういえば、貴官はハイネセンに帰還する船の中で音声入力端末を使って、ずっと戦死者の叙勲推薦書を作っていたそうだな」
「勲章は軍が死者の功績を永遠に覚えているという証。軍が存続している限り、彼らの功績は永久に残り続けるでしょう。また、勲章には年金が付きます。受章者が死亡した場合は、遺族が受給権を相続します。受勲がきっかけで功績が見直されることもあるでしょう。死亡時の名誉昇進が一階級昇進から二階級昇進になるかもしれません。そうなれば、遺族年金も増額されます。死んだ者の心残りを少しは減らせるかもしれません」
「それが貴官なりの責任の取り方ということか」
「はい。彼らに対して何ができるかを考え続けた末の結論です」
目を軽くつぶる。まぶたの裏にトラビ中佐、デュポン少佐、ロイシュナー曹長、ハルバッハ軍曹らの姿が浮かぶ。彼らは命を賭けて責任を全うした。ならば、上官たる俺も彼らに対する責任を果たすのが筋というものだ。
「そうか、ならば私からも叙勲をはたらきかけておこう。昇進の話はその後だ」
「ありがとうございます」
体を折り曲げて礼を述べた。痛みで顔が少し歪む。
「無理をするな。体の痛みはまだ残っているだろう」
ドーソン司令官が心配そうに押し留める。
「申し訳ありません」
「あまり心配を掛けんでくれ」
「気を付けます」
今度は首だけを前方に傾けた。ドーソン司令官の口ひげの下から安堵の吐息が漏れる。彼は病人と怪我人にはとことん優しい。
「早く戻ってこい。貴官がいなければ、仕事がやりにくくて困る」
「そんなことを言ってもいいんですか? 彼女が聞いていたら、気を悪くするでしょう?」
「副官は車の中で待たせてある。この部屋の前には誰もおらん」
「く、車の中ですか……!?」
絶句してしまった。副官は上官と一心同体の存在。上官が見舞いに行く時は、一緒に病室に入るか、扉の外で待機するものだ。病院の中にすら同行させないと言う時点で、今の副官のユリエ・ハラボフ宇宙軍大尉がいかに信用されていないかが伺える。
「彼女の仕事ぶりは良くないのですか?」
「……うむ。貴官の言う通り、スールズカリッター大尉を起用すべきだった」
信じられないことに、あのドーソン司令官が自分の誤りを認めた。ハラボフ大尉を起用したことをよほど後悔しているらしい。
ヴァンフリート四=二への赴任が決まった時、俺は統合作戦本部のスーン・スールズカリッター宇宙軍大尉を後任の副官に推薦した。彼は前の世界でアレクサンドル・ビュコック元帥の副官、イゼルローン共和政府軍参謀、バーラト自治議会議員などを務めた英雄だが、それを理由に推薦したわけではない。才子とは正反対の人柄、情報部門出身などの理由から適任だと考えた。ところがドーソン司令官はハラボフ大尉を選んだ。
士官学校を三〇位以内で卒業した者は「優等卒業」、三〇〇位以内で卒業した者を「上位卒業」と呼ばれ、軍中央や主力部隊司令部へ優先的に配属される。俺より三歳年下のハラボフ宇宙軍大尉は、士官学校を一六位で卒業した優等卒業者だ。
人事資料を読む限りでは、ハラボフ大尉はとても感じの良さそうな女性だった。明るくて優しい性格がにじみ出ているような顔。頭の回転はどちらかというと鈍く、独創性も持ち合わせていないが、勉強熱心なことでは右に出る者がいない。頭を使うより体を動かすのが得意な体育会系で、徒手格闘術特級を持つ。才子を嫌うドーソン中将とは相性が良さそうに思えた。
ところが実際に会ってみて印象ががらりと変わった。礼儀正しいと聞いていたのにやたらとつっかかってくる。優しいと聞いていたのにずっと不機嫌そうな顔をしている。エリートのハラボフ大尉から見れば、俺の仕事が雑すぎてむかついたのかもしれない。しかし、あんなきつい性格でドーソン司令官の副官が務まるのかと不安になったものだ。
「まだ着任したばかりじゃないですか。仕事に慣れるまで長い目で見ましょう」
穏やかにフォローした。ハラボフ大尉の批判はしない。ドーソン司令官の人事を間接的に批判することに繋がるからだ。
「しかし、こんなに見込み違いとは思わなくてな。優等卒業者など選ぶべきではなかった。下位で卒業した者を選べば良かった」
ドーソン司令官は劣等感丸出しのため息をついた。口ひげもしおれ気味だ。彼の士官学校卒業時の席次は三一位。命がけで勉強したが、勉強嫌いの天才タイプだった人物に競り負けてギリギリで優等卒業を逃した。そのトラウマが今も尾を引いているらしい。
その後もドーソン司令官はさんざん副官の愚痴を言い、士官学校同期の優等だった第六艦隊司令官シャフラン中将、二期下の優等だった宇宙艦隊総参謀長グリーンヒル大将、士官学校教官時代の生徒総隊長だった七八八年度優等のラップ代将、かつての教え子で七九〇年度優等のアッテンボロー少佐らの悪口まで話を広げ、「優等卒業者はダメだ」との結論を述べた後、大きな紙袋を置いて帰っていった。
一人になった後、紙袋を開ける。俺が大好きな有名菓子店「フィラデルフィア・ベーグル」のドライフルーツ入りマフィンの詰め合わせが入った箱、そして帝国風菓子の老舗「ベルリン菓子店」のカルトッフェルトルテ(じゃがいものケーキ)が丸ごと入った箱があった。
「もしかして、じゃがいもというキャラクターを受け入れたのかな」
カルトッフェルトルテを口にする。じゃがいもはなかなかおいしかった。
代将=代将たる大佐はオリジナル設定です。中将=一万数千隻、少将=二〇〇〇隻~三〇〇〇隻、准将=五〇〇隻から六〇〇隻とすると、そこから個艦の間には、一〇〇隻から二〇〇隻の部隊、三〇隻から五〇隻の部隊、一〇隻から二〇隻の部隊、数隻の部隊が挟まるんですが、どうみても階級が足りないんですよね。そういうわけで将官待遇の先任大佐=代将という職位(階級にあらず)を設けました。たぶん原作では艦長職の大佐と一緒くたに大佐と呼ばれてるんでしょう。