銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第19話:四=二基地司令部ビル防衛戦 宇宙暦794年4月6日 ヴァンフリート四=二基地司令部ビル

 俺の部隊が到着した時、既にHブロックの味方は総崩れとなっていた。通路に残された死体は意外と少ない。ほとんどの者が戦意を失って逃げ出したようだ。

 

 カスパー・リンツ大尉率いる薔薇の騎士(ローゼンリッター)を先頭に進んでいくと、通路の向こう側から装甲擲弾兵の一団が姿を現した。

 

「行くぞ!」

「行くぞ!(ゲーエン・ヴィア!)」

 

 同盟公用語と帝国語の叫びが交錯すると同時に銃撃が交錯した。両軍の兵士が味方の支援射撃を受けながら突き進む。戦斧と戦斧がぶつかり合って火花を散らす。力負けした者は装甲服ごと肉体を叩き割られ、血しぶきをあげながら床に倒れ伏す。

 

 戦いはほんの数分で終わった。俺の部隊、いや薔薇の騎士の圧勝だった。武勇を誇る装甲擲弾兵もただ切り倒されるのを待つだけの存在でしか無かった。俺の部下は一人も倒れていない。戦闘と言うよりは虐殺と言った方がふさわしい戦いだった。

 

 ただひたすら感嘆するしかない。惑星エル・ファシルで護衛についてくれた陸戦隊員も強かったが、薔薇の騎士は別格だ。彼らがいれば負けないんじゃないかとすら思えてくる。

 

「敵を一人残らず掃討するぞ!」

 

 俺の部隊は帝国軍を手当たり次第に倒した。パトリシア・デュポン地上軍大尉の憲兵隊本部付中隊、ユネス・ワンジル地上軍大尉の第八憲兵中隊も薔薇の騎士につられるように奮戦した。

 

「みんな、後に続け!」

 

 俺も自ら戦斧を振るって戦った。士官の最も大事な仕事は、部下を指揮すること、そして部下の模範となることだと幹部候補生養成所で習った。俺には指揮能力が無い。だから、先頭に立って戦う姿を見せる。

 

 戦斧に体重を乗せて一振りするたびに、装甲擲弾兵が血しぶきをあげて倒れた。本来の俺の技量は平均的な陸戦隊員と同程度だが、気分が高揚しているおかげで実力以上に戦える。日頃の臆病さを忘れたかのように戦斧を振るい続ける。

 

「装甲擲弾兵を一撃で倒すなんて、隊長代理はお強いですね! まるで陸戦隊員みたいです!」

 

 俺の代わりに全軍を指揮するデュポン大尉が声を掛けてきた。八歳年長の彼女は歩兵将校から憲兵に転じた人物で、トラビ副隊長のような堅苦しさが無い。身長が一五三センチと低いのも好感が持てる。信頼できる部下だ。

 

「そんなに大したことないよ! 戦斧術一級なんか陸戦隊や空挺じゃみんな持っている! 薔薇の騎士なんて全員特級だ!」

 

 右前方から飛びかかってきた敵兵の首元に戦斧の石突で一撃を加えて突き倒す。

 

「でも、隊長代理はもともと補給科ですよね!?」

 

 デュポン大尉は口を開くと同時に大口径火薬ライフルの引き金を引き、正面から迫ってきた敵の顔面を撃ち抜く。

 

「体を動かすって楽しいじゃないか! デスクワークより性に合っている!」

 

 左前方に素早くステップを踏み、二メートル近い巨漢の足に戦斧を叩き込む。巨漢は足から血を吹き出しながら倒れた。

 

「しかし、少々深入りし過ぎてませんか!? 敵がどんどん増えてますよ!」

「それだけ多くの敵を引きつけてるって証拠だ! この先のDブロックには、一歩たりとも足を踏み入れ……」

 

 隊列のはるか後方から聞こえた叫び声が聞こえた。

 

「Dブロック方向から敵が出現!」

「なんだって!?」

 

 くるりと後ろを向いて叫び返す。

 

「Dブロックといえば、俺達の背後だろう! どうして敵が出てくる!?」

 

 あまりのことにうろたえた。さっきまでの興奮はあっという間に吹き飛ぶ。生まれつきの臆病さがむくむくと顔をもたげてくる。

 

「やはり深入りしすぎたようですね」

 

 やや青ざめた顔でデュポン大尉が言った。どうやら、調子に乗りすぎたらしい。胸中に後悔が広がっていく。

 

「中隊長、どうしようか?」

「リンツ大尉を呼び戻しましょう。戦力を集中して、後方の敵を突破するのです」

「わかった、貴官の案を採用しよう。引き続き指揮を頼む」

「承知いたしました!」

 

 デュポン大尉は与えられた仕事の量を信頼の証と考える人だ。丸投げに等しい俺の指示を喜んで受け入れる。

 

 苦戦の末にリンツらと合流を果たし、どうにか戦力を集中した。それからデュポン大尉の作戦通りに全力でDブロック方向の敵に立ち向かう。

 

「くそっ! なんて数だ!」

 

 敵兵の分厚い壁に行く手を阻まれた。いくら倒しても次から次へと新手がやってくる。背後からも敵が迫ってきた。俺達は完全に挟み撃ちにあったのだ。

 

「俺の責任か……!」

 

 後悔を振り払うように戦斧を振った。斧頭で殴り飛ばし、石突で突き倒し、刃先で切り倒す。心が乱れているというのに、戦斧の技はますます冴え渡る。

 

 どれだけ倒しても敵は一向に減らなかった。俺の周囲にいた味方は一人、二人と倒れていき、その間隙に敵が入り込んでくる。いつの間にかデュポン大尉の姿も見えなくなった。薔薇の騎士もどこにいるのかわからない。

 

「誰か! 誰かいないのか!?」

 

 押し寄せてくる敵兵と戦いながら味方を呼ぶ。しかし、返事は返ってこない。完全に孤立した。

 

「くっ!」

 

 世界が少し揺れた。疲労が足に溜まったのだ。体の動きが鈍くなった途端、恐怖がこみ上げてきた。

 

「誰か! 誰か来てくれ! 頼む!」

「こちらにおられましたか!」

 

 俺の悲鳴に応じるかのように誰かが叫んだ。

 

「今から向かいますぞ!」

 

 叫び声の主はトラビ副隊長だった。Dブロック方向からやって来た彼の部隊は、リンツら薔薇の騎士と合流して、俺にいる方向に向かってくる。完全に背後を突かれた敵は大混乱に陥った。狭い通路にぎっしり兵士が集まっていたため、態勢を立て直すこともできない。

 

 たちまちのうちにトラビ副隊長は俺のもとに辿り着いた。傍らにはリンツがいる。俺は深々と頭を下げた。

 

「助かった。ありがとう」

「礼には及びません。それよりも早くお逃げください。我々が退路を確保いたします」

「わかった、地下指揮所へ……」

「地下指揮所は陥落いたしました」

「なんだって!?」

 

 驚きのあまり、戦斧を取り落としてしまった。

 

「隊長代理が援軍に向かわれた後、ロペス副司令官がCブロックとDブロックとEブロックの部隊配置を変更したのです。再配置が完了する前に突破されてしまいました」

「えっ!?」

 

 開いた口が塞がらないとはこのことだ。部隊というのは人間の塊だ。簡単に出し入れできるようなものではない。臨時陸戦隊のような練度の低い部隊ならなおさらだ。ロペス少将は主導権を握りたかったのだろうが、あまりに拙劣だった。

 

「セレブレッゼ司令官、ロペス副司令官、ドワイヤン参謀長らは行方不明です」

「なんてことだ……」

「我々が敵を防ぎます。隊長代理はここから早くお逃げください」

「いや、俺はここで死ぬ」

 

 俺は戦斧を拾い上げて構え直した。もはや任務を達成できる見込みはない。ドーソン司令官やトリューニヒト先生の期待を裏切ってしまった。あの六〇年を繰り返すくらいなら、ここで死んだ方がずっとましだ。

 

「馬鹿なことをおっしゃいますな。あなたは指揮官でしょう。犬死にしてどうします」

「逃げるってどこへ逃げる!? 戦いに負けた! 任務を達成できなかった! そんな俺に逃げる先なんてあると思うのか!?」

 

 もはや冷静さを装う余裕もなかった。ありったけの感情を親子ほども年齢の離れた部下にぶちまけた。

 

「戦闘はまだ終わってはいません。味方は各所で抵抗を続けております」

「指揮所は陥落した! 司令官達も行方不明だ! 負けたようなものだろう!」

「セレブレッゼ司令官らは行方不明。亡くなったとも捕虜になったとも限りません。予備司令室にお連れして指揮系統を立て直せば、戦い続ける余地もあるでしょう」

 

 トラビ副隊長は丁寧に諭す。頭に上った血が急に引いていく。

 

「すまない、確かに貴官の言う通りだ」

「お分かりいただけたようで何よりです」

 

 トラビ副隊長の目が「いちいち世話が焼ける」と語る。しかし、腹は全く立たなかった。今回は彼が完全に正しい。

 

 俺が納得したのを見計らうと、トラビ副隊長はリンツの方を向いた。

 

「リンツ大尉、隊長代理の援護を頼みたい。我らはここに残る」

「よろしいのですか? 失礼ながら、憲兵だけで敵を阻止するのは難しいと思いますが。小官らもここに残ります。憲兵隊長代理は勇敢です。薔薇の騎士が一個分隊もいれば、囲みを突破するには十分かと」

「薔薇の騎士は一人は一般兵一〇人に勝ると聞く。隊長代理と一緒に戦った方がより役に立つというものだ」

「相手は装甲擲弾兵です。本当に憲兵だけで大丈夫ですか?」

 

 リンツは心配そうに問い返す。

 

「我々は誇りある憲兵だ。安請け合いなどはしない。できるといった以上、命に替えてもやると思ってもらいたい」

 

 そう言うと、トラビ副隊長はポケットから小箱を取り出して見せた。

 

「なるほど、そこまでのご覚悟でしたか」

「これでもプロの端くれなのでな。貴官らにはうるさいだけに見えるだろうが、我々にも意地がある。それだけのことだ」

 

 老憲兵の意地が凝縮された一言だった。俺とリンツは同時に頭を下げた。

 

 面子と前例にうるさいところが嫌だった。シェーンコップ中佐の件では不公平だと思った。それでも、彼は彼なりのやり方を貫いてきた。そのことを理解した時、頭が自然に下がったのだ。

 

「副隊長、貴官には本当に……」

「隊長代理は果敢ですが慎重さに欠けておりますな。今後はお気をつけください」

 

 礼を言おうとする俺を遮って一言だけ言うと、トラビ副隊長は機関銃を構えて部下の憲兵とともに敵中へと進んでいった。

 

「行こう」

 

 リンツに促された俺は無言で頷いた。そして、薔薇の騎士と一緒に前方へと突進する。薔薇の騎士の戦斧が装甲擲弾兵を切り裂き、殴り飛ばし、突き倒す。金属音と血しぶきが巻き起こった後には、敵の屍のみが残された。

 

 ひたすら走り続けてHブロックからDブロックに足を踏み入れた瞬間、後方から大きな爆発音が聞こえた。リンツがほんの一瞬だけ立ち止まり、後ろを向いて挙手の敬礼を行う。

 

「そういうことだったのか」

 

 俺はすべてを理解した。立ち止まって老憲兵らに敬礼を送り、涙をこらえながら走りだした。

 

 

 

 地下指揮所が陥落した後も戦闘は続いている。帝国軍も同盟軍も完全に統制を失っていた。帝国兵が個人的な武勲を求めてバラバラに戦い、同盟兵が通路や階段を爆破しながら逃げ回る。そこに帝国軍の増援部隊、同盟軍の敗残兵などが戦いを求めて雪崩れ込み、巨大な基地司令部ビルは混乱の坩堝と化した。

 

 薄暗い非常灯の下、隣で戦っているのが敵なのか味方なのかもわからないような状況の中で、両軍は惰性のように戦い続ける。

 

 俺は薔薇の騎士と一緒にビルの中を走り回り、行く手に敵が現れたら切り倒し、味方が現れたらセレブレッゼ中将らの行方を問うた。司令官を擁して指揮系統を立て直せば勝てるかもしれない。そんな希望が連戦の疲れを忘れさせた。

 

 Bブロックのエレベーター前ホールに入った時、前方に二〇人ほどの装甲擲弾兵が現れた。全員が手に戦斧を持ち、背中にビームライフルを背負っている。

 

「地獄に落ちろ!(ファー・ツーア・ヘレ!)」

 

 帝国公用語の掛け声とともに薔薇の騎士が一斉に疾走した。

 

「笑わせるな!」

 

 装甲擲弾兵の先頭に立つ男が同盟公用語で叫びながら一人で突進する。薔薇の騎士相手に一人で突っ込むなど、常識で考えれば自殺志願に等しい。

 

 俺の常識は三〇秒で覆された。男が戦斧を一閃させると、二人の薔薇の騎士が血しぶきをあげて倒れ、二閃目で一人がヘルメットごと頭蓋を破壊され、三閃目で一人が右腕と生命を同時に失い、四閃目で一人が首を刎ね飛ばされた。

 

 敵を蹂躙する側だった薔薇の騎士がたった一人の男に蹂躙されている。この世のものとは思えない光景に足が震えた。

 

「薔薇の騎士も随分と弱くなったものだな! ほんの三年でこうも堕落するとは、まったくもって嘆かわしい!」

 

 五人目を倒したところで、男が嘲弄を込めて笑った。この声には先ほど聞いた。薔薇の騎士連隊の元連隊長にして帝国宇宙軍准将のヘルマン・フォン・リューネブルクだ。

 

「その汚らわしい口で薔薇の騎士の名を語るな!」

「裏切り者め! ここで会ったからには生かして帰さんぞ!」

 

 広大なエレベーター前ホールが薔薇の騎士の怒気で満たされる。

 

「ほう、最近の薔薇の騎士は武器ではなく口で戦うのか。口で敵を殺せるなどと教えた覚えはないのだがな。シェーンコップの青二才の影響か? 奴は昔から無駄口が多かった」

 

 リューネブルク准将はかつての部下から向けられた敵意を楽しむかのように嘲笑を続ける。

 

「黙れ!」

 

 一人の薔薇の騎士が激昂して飛びかかった。

 

「遅い!」

 

 リューネブルク准将が戦斧を閃かせた瞬間、薔薇の騎士の装甲服に大きな亀裂が入り、血しぶきが吹き出した。罵詈雑言の合唱がピタリと止まる。

 

「昔のよしみだ! 貴様らに武器の使い方を教えてやる! 掛かってこい!」

 

 かつての部下の血で染まった戦斧を構え直したリューネブルク准将は、上官気取りで嘯いた。背後にいる装甲擲弾兵も戦斧やライフルを構える。

 

「ふざけるな!」

 

 薔薇の騎士も全員武器を構えて戦闘態勢を取る。俺もビームライフルを構えようとしたが、リンツに腕を掴まれた。

 

「ここは俺達が防ぐ。先を急げ」

「いいのか?」

「ああ。リューネブルクは俺達の敵であってお前さんの敵じゃない。ロイシュナーとハルバッハを付けてやる。お前さんはお前さんの役目を果たせ」

「わかった」

 

 軽く頭を下げ、薔薇の騎士のロイシュナー軍曹とハルバッハ伍長とともに走りだした。リンツと薔薇の騎士はリューネブルク准将に向かって進む。

 

 エレベーターホールを離れた俺達三人はBブロックの廊下を早足で歩く。運用部のオフィスの辺りに差し掛かった時、一〇メートルほど前方に装甲擲弾兵五名の姿が見えた。

 

「くたばりやがれ!」

 

 ロイシュナー軍曹とハルバッハ伍長が戦斧を握って駆け出した。装甲擲弾兵はビームライフルをこちらに向けて放つ。

 

 戦斧の間合いは五メートルと言われる。装甲擲弾兵は勝利を確信しただろう。しかし、一〇メートルの距離など、薔薇の騎士相手には何の意味も無い。

 

 一瞬で懐に入り込まれた装甲擲弾兵は、為す術もなく斬り倒され、みるみるうちに数を減らしていった。残った一人は僚友の無残な死に戦意を失い、ビームライフルをロイシュナー軍曹の顔面に投げつけて逃げ出す。

 

「逃がすものか!」

 

 逃げ出した帝国兵の頭を一筋のビームが貫く。敵が倒れたことを確認すると、俺はビームライフルを下ろし、二人の薔薇の騎士のもとに歩み寄った。

 

「あの間合いを一瞬で詰めてしまうなんて凄いな。敵の銃撃も全然当たらなかった。まるでアクション映画のようだ」

「大したことはありません。ビームライフルの射線は完全な直線です。銃口を見ればどの方向に光線が飛んでくるのか、一瞬でわかります。避けるなどわけもないですよ」

 

 ハルバッハ伍長がとんでもないことをさらっと言ってのける。

 

「たかが一〇メートルでしょう? ビームライフル相手だったら、ハイネセンポリスのメインストリートを歩くようなもんです」

 

 大して面白くも無さそうに、ロイシュナー軍曹が付け加える。

 

「はは、そうか」

 

 笑うしかない。一〇メートルの距離なら、ビームライフルが圧倒的に有利というのが常識だ。敵は最善の選択をしたが、薔薇の騎士には常識が通用しない。

 

「隊長代理殿の射撃も結構なものじゃないですか。エル・ファシルで勇名を馳せただけのことはある」

 

 何の邪気も無いハルバッハ伍長の言葉が、俺の笑顔をひきつらせた。

 

「……そんなことはないさ。射撃術は準特級に上がってまだ二年目だ」

「補給科で射撃の準特級を持ってる人なんて滅多にいませんよ。陸戦隊や空挺でも水準以上。そして、陸戦指揮に長けてらっしゃる。転身を考えてみてもいいんじゃないですかね?」

「遠慮しとくよ。俺には今の仕事が合ってる」

 

 笑ってごまかした。世間の人は俺のことを義勇旅団の名指揮官と思い込んでいる。しかし、実際は人より多少戦技に長けているだけで、戦闘指揮など全然できない。

 

「どう見ても陸戦隊向きなのに。あなたも変わった方だ」

 

 ハルバッハ伍長が笑った。ロイシュナー軍曹もそれにつられて笑う。超人に変わっていると言われるなんて、まったくもって心外だ。

 

 それからも俺達三人は司令部ビルの中を走り回り、セレブレッゼ中将、ロペス少将、ドワイヤン少将らを探し求めた。

 

 リューネブルク准将に遭遇する前と比較すると、敵の密度はだいぶ薄くなった。二人から五人ほどの小さなグループがぱらぱらとうろついている程度だ。個人的な武勲欲しさで戦っている者しか残っていないことが見て取れる。ロイシュナー軍曹とハルバッハ伍長さえいれば、司令部ビルの敵を皆殺しにできるんじゃないかという錯覚すら覚えた。

 

 しかし、この二人も薔薇の騎士連隊の中では、それほど強い方ではないというのが驚きだ。そんな強者だらけの薔薇の騎士連隊も、先ほど遭遇したリューネブルク准将には歯が立たない。本当に世の中は広かった。

 

 

 

 地下指揮所のあるAブロックはBブロックの隣にあったが、通路や階段が爆破されていたため、遠回りを強いられた。三つのブロックを通ってようやく辿り着いた。

 

「酷く荒れてるな」

 

 壁や床には大きな穴が開いている。死体や血痕はほとんど見られず、戦闘による破壊ではないのは一目瞭然だ。中央司令室にいた人々が破壊したのだろうか? 非常用の薄暗い赤色灯の光が荒廃ぶりを強調する。

 

「隊長代理、あれを」

 

 ロイシュナー軍曹が小声でささやき、前方を指差す。遠方に二つの人影が見えた。左側の人影は同盟軍の気密服、右側の人影は帝国軍の重装甲服を身にまとっている。

 

「争っているようです。助けましょう」

 

 俺とハルバッハ伍長は無言で頷き、ビームライフルを手にした。ロイシュナー軍曹もビームライフルを手にする。視界はかなり悪いが、俺達三人の腕なら確実に敵を撃ち抜ける。一瞬で終わるだろう。

 

 狙いをつけて引き金を引こうとした瞬間、信じられないことが起きた。敵がいきなり気密服の人物を左腕で羽交い締めにしたのだ。

 

「気づかれたか!」

 

 ハルバッハ伍長が舌打ちする。敵は気密服の人物を盾にすると、右手に持ったハンドブラスターを頭に突きつけた。これでは下手に動けない。

 

「敵の右手を撃ち抜こう。この視界なら俺達の手元は見えにくい。敵が気づく前に片がつく」

 

 俺は声を潜めて提案した。しかし、ロイシュナー軍曹とハルバッハ伍長は賛成しない。

 

「あの距離で我々に気づく相手です。甘く見てはいけません」

「小官があの敵の位置にいたら、この視界でも十分にこちらの動きを見れます」

 

 自重を促す二人。敵味方の間でひりひりするような睨み合いが続く。

 

「こっちに来るぞ」

 

 敵は気密服の人物を盾にしたまま歩く。人を盾にしながら歩いているにもかかわらず、足取りがまったく乱れていない。徹底的に鍛錬を積んだ証拠だ。

 

 傍観しているわけではなかった。隙あらば攻撃を加えるつもりでいる。しかし、まったく隙が見つからない。下手に手を出したらまずい。本能がそう教えてくれる。二年前にマラカルで「双子の悪夢」ことラインハルトとキルヒアイスに殺されかけた時以来の感覚だ。

 

 ロイシュナー軍曹とハルバッハ伍長も動かない。彼らにも隙が見つけられないのだ。目の前の敵はとんでもない手練れだった。

 

 敵は焦燥感を煽るかのようにゆっくりと歩く。そして、三メートルほどの距離に来た時、気密服の人物をいきなり突き飛ばした。

 

 気密服の人物が勢い良く飛び込んでくる。敵が怪力なわけではない。ヴァンフリート四=二の弱い重力の賜物だ。

 

 俺達は気密服の人物を避けた。その隙に敵は姿勢を低くして横に飛び退く。光とともに右手に衝撃を感じ、ビームライフルを落とした。装甲の薄い手を撃ち抜かれたのだ。ロイシュナー軍曹とハルバッハ伍長も、俺と同じように手を撃ち抜かれてビームライフルを落とす。

 

「しまった!」

 

 舌打ちして左手でハンドブラスターを抜こうとすると、急に左手首を掴まれた。そして、世界が横に回転し、人間の体らしきものにぶつかった後、背中から壁に叩きつけられた。そこに膝蹴りと肘打ちが入る。ぐしゃりと何かが砕けるような感触がした、体中に激痛が走る。俺の体は糸が切れた凧のようになり、壁に背中をもたれたまま床にすとんと落ちた。

 

 とどめの一撃を覚悟して目をつぶった。しかし、敵は動けなくなった俺から離れて通路の中央に戻る。そこにはロイシュナー軍曹とハルバッハ伍長がいた。

 

「人間を棍棒のように振り回すとはな。なかなか味な真似をしてくれるじゃないか」

 

 ロイシュナー軍曹の言葉で何が起きたかようやく理解できた。要するに俺は敵に振り回されて、二人の味方を殴る武器として使われた後に、壁に叩きつけられたのだった。

 

「だが、貴様はしょせん貴族の犬だ! 我ら薔薇の騎士に勝てると思うなよ!」

 

 薔薇の騎士二人は格闘戦の構えを取る。陸戦隊員は左右両方の手で射撃する訓練を受けているはずなのに、ハンドブラスターを持っていない。俺をぶつけられた時に落としたのだろうか。

 

「フッ……」

 

 敵は鼻で笑うような声を発し、コンバットナイフを抜く。

 

「気取るな!」

 

 ロイシュナー軍曹が敵の足目掛けて横蹴りを入れた。最小限の動きで蹴りをかわした敵の胸元にハルバッハ伍長の肘打ちが襲い掛かる。敵が紙一重で肘打ちをかわすと、ロイシュナー軍曹ががら空きの胴体目掛けて回し蹴りを放つ。回し蹴りをかわした敵は、態勢を崩したロイシュナー軍曹めがけて斬撃を放つ。そこにハルバッハ伍長がタックルを仕掛けるも、敵は手刀を振り下ろして阻止する。

 

 薔薇の騎士二人の連携をもってしても、この恐るべき敵に打撃を与えられない。それどころか斬撃まで繰り出される始末だ。

 

「一体何者なんだ……」

 

 薔薇の騎士さえ手玉に取る技術の持ち主がただの装甲擲弾兵とは思えない。最強の装甲擲弾兵部隊と言われる「魔弾(フライクーゲル)連隊」や「鉄血(アイゼン・ウント・ブルット)連隊」の隊員だろうか? リューネブルク准将から逃げても新しい強者が現れる。勘弁してほしい。

 

「ラインハルト様!」

 

 透き通った声が通路に響き、とんでもなく背が高い人影がこちらに向かって走り寄ってくるのが見えた。

 

「キルヒアイス! 俺はここだ!」

 

 二人の薔薇の騎士の攻撃をいなしながら、敵が叫ぶ。何度もテレビや動画で聞いた声だ。今の世界ではなく、前の世界で聞いた声。

 

「ラインハルトにキルヒアイス……。そうか、貴様らは帝国のエル・ファシルの英雄か。どうりで手強いはずだ」

 

 ロイシュナー軍曹が答えを言った。

 

「ほう、俺達の名を知っているとは」

 

 敵の声には音楽の一節のような響きがあった。照明のせいで顔は見えない。それでもこの声と話し方だけでわかる。

 

 前の世界で人類世界を武力統一した覇王ラインハルト・フォン・ミューゼルその人だ。そして、長身の人物はラインハルトの腹心のジークフリード・キルヒアイス。銀河を征服したコンビが目の前にいる。

 

 ボロボロの体が震えた。死の恐怖とは違う。前の世界で飢えた時、食べ物目当てに参加した地球教や十字教のミサで感じたものに近い。大いなる存在に対する畏怖だ。

 

 前の人生の終わり、老いた俺は戦記を読みふけった。ラインハルトとキルヒアイスが数年間で成し遂げた偉業の数々に興奮した。彼らは全知全能の存在のように見えた。神を目の当たりにして畏れずにいられるものか。みるみるうちに戦意が消え失せていく。戦記を読んだことを生まれて初めて後悔した。

 

「そりゃあ知っているさ!」

 

 ロイシュナー軍曹の声が俺を現実に引き戻した。そうだ、まだ仲間が戦っている。

 

「リューネブルクの糞野郎のせいで、エル・ファシルでは暴れられなかったんだ。いつか、その借りを返してやろうと思っていた。エル・ファシルの英雄、そして『双子の悪夢』と言われた貴様らの首をいただけば、帳尻も合うってもんだ!」

 

 ロイシュナー軍曹とハルバッハ伍長は、後ろに飛び退いて構える。ラインハルトもナイフを構え直し、キルヒアイスもナイフを抜く。

 

「援護しないと……」

 

 激しい痛みの中でそんなことを思った。相手は神だ。人間に敵う相手とは思えないが、この戦いを傍観することもできなかった。俺は無能者で臆病者だったが、卑怯者にはなれない。あの六〇年の記憶がそれを許さない。

 

「どこだ……?」

 

 感覚がなくなった左手に全力を集中して動かした。しかし、手の届く範囲にハンドブラスターはない。

 

「体当たりしか無いか……」

 

 痛みを堪えながら床に両手をついた。すべての精神力を手に注ぎ込み、ゆっくりと尻を持ち上げる。二人の神と二人の薔薇の騎士が睨み合っている間、俺は全力で立ち上がろうとした。

 

「勝負だ!」

 

 二人の薔薇の騎士は駆け出した。ラインハルトとキルヒアイスも駆け出す。

 

「今だ……!」

 

 どうにか立ち上がった俺はガタガタの足を走らせた。胸の痛みが酷い。腕がしびれる。目がかすむ。息ができない。意識が吹き飛びそうだ。サイオキシンの禁断症状以来の苦痛に苛まれながら、ラインハルトに向かって突進する。

 

「しまった……」

 

 右膝ががくんと落ちた。肉体はとっくに限界だったのだ。目の前では、ラインハルトがロイシュナー軍曹の装甲服の首の継ぎ目を切り裂き、キルヒアイスがハルバッハ伍長のヘルメットの下から顎にナイフを突き立てた。二人の薔薇の騎士、生涯最後の仲間が床に倒れ伏す。

 

 ラインハルトとキルヒアイスがゆっくりと近付いてくる。俺は右膝と右手を床について、跪くような格好で二人の神に相対する形になる。

 

 この期に及んで全く意味の無いことではあったが、立ちたいと思った。死んだ仲間は一人の例外もなく最後まで戦い続けた。ならば、俺もそうするのが義務というものだ。

 

 膝に力を入れた。手に力を入れた。顔を上げようとした。しかし、どれほど強く念じても体が動かなかった。屈強な装甲擲弾兵を倒したこの腕も、今は自分の体重を支えることすら適わない。薔薇の騎士とともに駆け抜けたこの足も、今は立ち上がることすら適わない。

 

 二人の神が目の前に立った。彼らの持っているナイフが俺の命を断つだろう。神に挑んだ以上、それが当然の報いのように思える。

 

 意外なほどに恐怖はなかった。敵を待っている時が一番不安だとクリスチアン中佐が言っていたが、それは死にも当てはまるようだ。あれほど恐れていた死も実際にやってくるとすんなり受け入れられるものらしい。

 

 胴体の左側に強い衝撃を感じるとともに体が吹き飛び、世界が真っ暗になった。意識がどんどん薄れていく。何もない世界に二人の神の声だけが響く。

 

「キルヒアイス、なぜナイフを使わなかった?」

「理由はラインハルト様がご存知でしょう」

「そうだな。大した闘志だ。殺すには惜しい」

「……ラインハルト様は武勲を……長居は無用……反乱軍……」

「……お前の言う通りだ……欲張ったところで……貴族ども……」

「……ごらんください……が……きます……」

「……ほう……リューネブルク……さぞ……」

 

 頭が朦朧として、何を言っているのかさっぱり理解できない。あらゆる感覚が急速に失われているのを感じる。

 

 リューネブルク准将と戦ったリンツは無事だろうか? 第一陣地群のクリスチアン中佐、第一輸送軍司令部のイレーシュ少佐は無事だろうか? フィッツシモンズ中尉は? 司令部ビルの外にいる憲兵隊員は? ヴァンフリート四=二にいる友人知人の無事を祈る。

 

 恩師、友人、上官、同僚、部下の顔が次々と頭の中に浮かんできた。急に申し訳ない気持ちになった。

 

「ごめん」

 

 何度も何度も謝った。期待に応えられなかったこと、生きて再会できなかったことを謝った。

 

「どうか、俺のいない世界でも元気で……」

 

 そう思った瞬間、意識が完全に消失した。


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