恋愛工学が「非モテ」を加速させる説~PUAから抜け出せない人々

恋愛工学ってご存知でしょうか?
それはモテない男達にとっての希望…
ともいえるでしょうか。
恋愛工学に従事する人のことを恋愛工学生と言ったりしますが、
この恋愛工学生というのがどうも間違った方向に進んでいる気がしてならないばかりか、痛々しさを感じてしまうことも…
今回は自身の経験も踏まえて、恋愛工学の弊害について書いてみます。

PUAとは?

Pick Up Artistの略です。
簡単に言えば町でナンパしている人たちのことです。
かつて私も彼らと一緒に町に出て、活動していた時期がありました。
期間にするとおよそ3年です。長く聞こえるかもしれませんが、あっという間でした。

私の場合、過去の恋愛で行動できずに後悔してきた経験があったことから、この世界に入っていきました。
ある種の自己啓発の意味合いもありました。
出会いを0からつくれる力は非常に強力だと思いましたし、
てっとり早く経験を積むことができると手段だと考えたからです。

しかし、この活動だけでは到底自分は変われない、理想の自分にはなれない、と気づき、今はこの活動から距離を取っています。
距離をとらなければ一生PUAの世界から抜け出せないと思ったからです。

今回は私の経験をもとに、この活動の危険性について、
この界隈で流行している恋愛工学を絡めて書いてみたいと思います。

PUAの特徴

町でナンパしている人、というとどのような人を想像するでしょうか?

  • チャラい
  • 軽い
  • ノリが良い
  • パリピ

そんなところでしょうか。

実は、その逆で
元々人付き合いがあまりうまくなく、
人間関係における何らかのコンプレックスを持っている人が多い、
というのが私の認識です。

そのコンプレックスをモチベーションにして頑張っている、という人が多いでしょうか。

逆に、クラブやバーでナンパしている人の方に明るい人が多い印象です。

路上にいるPUA達は、
純粋に恋愛をしたい、というよりは
自らの恋愛に対するコンプレックスの克服を目的としている傾向があるため、やや暗い人が多い印象です。

そして、やはり根本的には彼らにとってクラブなどのいわゆるリア充の集まる場所が苦手なのです。

現にどちらかといえば私も元々はそっち側の人間でしたし、
周りのPUA達にもそうした人が多かったです。

路上でのナンパというのは、
こうしたリア充達が参入してこない領域であり、
友達がいなくても始められる、
始めるのにお金がかからない、
という特徴があります。

ここに魅力を感じてPUAの世界に足を踏み入れる、という人も多いです。

というわけで、路上PUAの特徴をまとめると以下のようになります。

  • 非リア充
  • 金を持ってない
  • 友達が少ない

クラブやバーでナンパできるような人と対比して考えると、
彼らが非常に自然に女性に対してアプローチできるのに対して、
路上にいるPUAにはそれができない。

自らを「ナンパ師」とか名前をつけてあげないと行動できない、
これが路上における彼らの大きな特徴と言えるでしょう。

恋愛工学とは

さて、路上でのPUA達がどのような特徴を持っているか、については上で述べた通りですが、
そんな彼らの興味を大きく引く学問(?)があります。
それが恋愛工学です。

私は恋愛工学生ではないため、その理論の隅々までを知っているわけではありませんが、
およそ、恋愛工学は、「いかに効率良く多くの女性にアプローチし、関係を持つか」にコミットした、
ノウハウ集のようなもの、と理解しています。
ここでは、その代表的な用語や理論について簡単に書いておきます。

非モテコミット

ちょっと女性に優しくされたりされただけで、その女性のことを好きになってしまい、
この女性しかいないと思いつめて、一人の女性に対して必死にアプローチしてしまうこと。
恋愛工学では、この行動は女性に引かれ、結果的に女性から「モテない男」だというレッテルを貼られてしまい、
恋愛対象から外され、搾取される対象となってしまう、と考えられています。

フレンドシップ戦略

世の中の大半の男性がとる、好きな女性ができたときのアプローチ方法のことで、
簡単にいうと、「誠実で優しそうな雰囲気で近づいていき、徐々に親密度を上げていく」という接し方のこと。
「まずは友達から」という体でのスタートとなるため、このような名前がついたものと思われます。
恋愛工学では、このアプローチ法は非常に効率が悪く、
「モテない男がとる手段」とされています。

スタティスティカル・アービトラージ戦略

恋愛工学で推奨されているのがこのアプローチ方法です。
要は、「同時に何人もの女性にアプローチしなさい」ということです。
そうすれば一人の女性に対する執着もなくなるので、男としての余裕が生まれる、という理屈です。
女性は生物学的に余裕のある男性に惹かれる生き物なので、この戦略をとることで「モテスパイラル」を生み出すことができる、とされています。

個人的見解

以上が恋愛工学における代表的な用語・理論です。
恋愛工学に対する個人的な見解を述べておくと、
こうした恋愛工学の理論やテクニック自体は特段新しいものではない、という印象です。
恋愛関連のノウハウ本やナンパブログ等でも同じような理論やテクニックは見かけることができます。
例えば、恋愛工学の代表的な言葉である「非モテコミット」は、別名オンリーワン中毒(AFC)とも呼ばれており、
これは海外のナンパ本として有名な「ザ ゲーム」という本の中でも触れられています。

ではこの恋愛工学の功績とは何かと言うと、
こうした理論やテクニックに最もらしい名前をつけて体系立てたことではないでしょうか。

結果的にこの恋愛工学はヒットし、PUA達の間にも広く受け入れられるものとなりました。
ビジネスとして大きく成功を収めた恋愛工学ですが、
内容については賛否の別れるところで、様々な議論を生んでいます。

個人的には、恋愛工学の内容自体にはそれほど興味はなく、
それよりもこの恋愛工学の考え方にどっぷり浸り、誤った方向に進んでいるとしか思えないような人達に危険性を感じます。

しかし、それでも路上PUAを志す人にはこの恋愛工学はヒットするようです。

PUAが恋愛工学に惹かれる理由

では、なぜPUAに恋愛工学がウケるのか?
その理由は大きく2つあると、私は考えます。

  • 恋愛工学の基本思想が自らのミソジニーを正当化してくれるから
  • 彼らのニーズにマッチするから

恋愛工学の基本思想が自らのミソジニーを正当化する

ミソジニーとは、女性蔑視のことで、
とりわけ恋愛工学に感化されるようなPUA達には少なからずこの感覚があると思っています。

恋愛工学はこの自身の持っているミソジニーを正当化してくれるがゆえに、
PUAは恋愛工学にすがりつくのです。

恋愛工学における女性像は、極めて利己的です。

そこでは、生物学的に女性は優秀な遺伝子を求めるもの、とされます。
優秀な遺伝子の判断ポイントは、「すでにモテている男性」。
すると必然的に女性から選ばれる男性は全体の中の上位3割程度(モテている層という意味)に偏ってしまい、
残りの7割は非モテ、となります。
さらに、恋愛工学の理屈でいくと、女性側からすれば、非モテ男性に惹かれる要素は全くないわけで、
多くのモテない男性は、モテない負のスパイラルに陥る、というわけです。

このような利己的な存在である女性に対して男性側が取るべき態度として挙げられるのが、
「ネグ」とか「ディス」と呼ばれるもので、
要は女性を「イジる」ことです。

例えば、男性が自らの得意分野について話をしているときに、
ちょっとでも相手の女性が答えられなかったら、
「お前、意外と頭悪いな」
とか言ったりするらしいです。

つまるところ、女性をイジることによって、
自分は相手より上の立場にいるんだ、ということを女性に植え付けさせるのです。
それによって、男としての権威とか威厳とかをアピールしていく、という理屈のようです。

ここは恋愛工学が女性蔑視だと言われる所以でもあります。

なぜならこうした行動には、その人「個人」と向き合う姿勢は皆無で、
「相手を知ろう」とする態度もなければ、
「自分を知ってほしい」という態度もありません。

あくまでもスタンスは
「女性はどうせ生物学的本能のままにパートナーを選んでいくのだから、
誠実な態度や言動は必要ない」
というものです。

一般的な「人」としての感覚を持った人からすれば、
このような思想には嫌悪感を覚えるのは当たり前ですが、
元々が「非モテ」であったPUA達にはこれがウケるのです。

なぜなら、彼らも過去同じように好きな女性が
生物学本能のままにイケメン男性になびいていき、自分の方には見向きもしてくれなかった、
というような経験をしている、
あるいはそのような利己的な女性像を妄想しているからです。

こうした過去の経験からミソジニーじみてしまった男性にとって、
恋愛工学はそのミソジニー思想を正当化してくれるものであり、
さらに、恋愛工学ではそうしたスタンスでいることが「モテ」につながると言ってくれるのですから、
これにすがりつかない手はないのです。

PUA達のニーズとマッチする

さて、これまでの話をまとめるとPUAは、
ミソジニーであり、人間関係が苦手です。
そして、そのことに強いコンプレックスを持っています。

その蓄積されたコンプレックスを解消させたいという欲求が彼らの大きなモチベーションになっています。

ある種の妄想とも言うべき彼らが描く女性像からは、
彼女達を心から関わりたい、という対象ではなく、
自分の利己的な欲求を解消させるための対象としか見ていないことがわかります。

そうなってくると必然的に、いわゆる一般的な工程を経て築き上げる人間関係は非常に面倒臭くなります。

そもそもが人間関係に面倒臭さを感じてきた彼らですから、なおのことです。

そんな中で相手の内面に入らず、
表面的なテクニックのみで、
かつ、てっとり早く女性と関わりを持てる(と思われる)恋愛工学は、
彼らのニーズに非常にマッチするのです。

恋愛工学PUAがたどる道

さて、ここからは自身の経験も踏まえて、
おおよそのPUA達がたどることになる道のりを綴ってみます。
これからこの世界に参入しようと考えている人は参考にしてみてください。

黎明期

恋愛ノウハウ本、Twitter、ナンパブログ等を通じて、PUAの世界に夢を膨らませます。
恋愛工学に代表されるミソジニー的な思想に感化され、とにかく数を打つことが男としての自信につながると錯覚します。

しかし、現実はそう甘くなく、行動することに挫折してしまう人も多いでしょう。

初期

「町で知らない女性に声をかける」
こうした行動を一度でも起こせた人は晴れてPUAの仲間入りです。

この時期は何もかもが新鮮です。
0から1を生み出せた感覚、
声をかけることができた、ということに高揚感を覚えます。

もしかするとこの時期がPUAにとっては最も楽しい時期かもしれません。
ただし、そう簡単に結果が出るわけでもないので、
ここで挫折してやめてしまう人も半分くらいはいるのではないでしょうか。

現実と理想とのギャップを認識する時期でもあります。
理想を実現できると信じ続ける人は活動を続けていきます。

中期

初期の頃のワクワク感はなくなっていき、とにかく結果が欲しいと行動しまくる時期になります。
同じようなPUAの仲間もでき始め、周りから聞かされる自慢話に焦りを覚えたり、
活動しなければいけない、という使命感を覚えるようになります。
成果をTwitterやブログにあげたい、PUAとしての実力を認められたい、
という自己承認欲求が増していきます。

ここまでくるとある種習慣化してくるので、およそ2,3年はやめられなくなります。
現に私が活動していた頃も同じ町にはよく見かける顔が何人もいました。

そういった人はもはやこの世界から抜け出せなくなっているのでしょう。

さらに、仲間同士で集まって飲み会をしたり、
そこで最悪だった女性の愚痴をこぼし合ったり…
と徐々にホモソーシャル化していきます。
同時に自らのミソジニーも深まっていきます。

末期

経験数も増えていき、それと比例して数々の別れも経験することになります。
そもそもが失敗の方が多い世界ですから、

どうせうまくいかないだろう、という悲観的な姿勢で続けていくことになります。
ここまで来てしまうと女性のことを信じられなくなったり、
女性を傷つけることへの抵抗もなくなっていきます。

ここでやめるか、はたまた「自分にはこれしか出会いの術がない」といって続けるのか。
ここで続けた場合、もう一生PUAの世界から抜け出せないでしょう。
この活動を何年も続けている人と出会ったことも多々ありますが、
失礼ながらおよそ人間関係が得意そうな人には見えませんでした。

長く続けていくことは、それだけ一般的な感覚から外れていく、ということなのかもしれません。

私は正直、PUAの世界に嵌っている限り、幸せになれないと思っています。

幸せはたぶん、もっと些細なことで、それはたぶん人を傷つけている限りは手に入りません。
利己的な自分から解放されて、もっと色んな角度から他者を見られるようになる必要があると思います。

それはきっとこの活動ではなし得ないでしょう。

「非モテコミット」で構わない

私も一時期は恋愛工学で言うように、「多くの女性と関わりを持つこと」が「モテスパイラル」につながると信じていました。
いや、今でも事実そうした側面はあると思っています。

しかし、それは本当に物事の一部分でしかありません。
たくさんの女性が周りにいることが本当に喜ばしいことなのか、
本当に自分が欲しいものなのか、
をよく考える必要があります。

その中に自分の理想とする女性がいれば話は別ですが、
大抵の場合、そうではないのです。

本当に良いと思う女性は傍にいない、だけど寂しいから大して好きでもない女性を隣りに並べておくのです。

そうしているうちに、その大して好きでもない女性からも見捨てられていき、
寂しさは増大していきます。

頑なに恋愛工学を信じるならば、それでもなお、新しい女性複数にアプローチしていくしかないのです。
果たしてこれが本当に「モテ」なのでしょうか?

私は、「本当に自分のものにしたい」と思う女性に対しては
むしろ「非モテコミット」は必要だと思っています。

女性は本当に最後の最後にも生物学本能のままに「自分のことを好きでもないけど、モテてる男性」を選ぶのでしょうか?
自分のことを一途に愛してくれる身近な男性を捨てて…

結局のところ、PUAのように常に隣りに女性がいないと不安な男性は、
勇気のない人間なのです。

一人に絞る、というのはそれ以外の人を捨てる、ということでもあります。
その覚悟を持てないから、彼らは数を求めるのです。

それは男の余裕でも何でもなく、ただの怖がりです。

このような男性が、本当に自分の手に入れたい女性を手に入れることができる、とは到底思えないのです。
どうでもいい女性一人を捨てるリスクもとれない男です。
リスクを取ることなく、でっかいものを手に入れようなんて虫が良すぎます。

傷ついて、カッコ悪い姿をさらけ出して、ボロボロになってでも手に入れる、
こっちの方がカッコよくないですか?

変な価値観を持った中途半端な男より、
一途で「非モテコミット」な男の方が良いと思いませんか?

ここからは持論ですが、「非モテコミット」で女性が拒否反応を示すのは、
大した関係も築けていないのに、いきなり重たい気持ちをぶつけられる、からだと思っています。
つまりは気持ちの伝え方の問題です。
何の前触れもなく、いきなり重たい荷物だけ背負わせられたら逃げ出したくなるのは人間として当たり前です。
だから、徐々にジャブを打っていく必要があります。
つまるところ、人との深い関係性を築こうと思うならば、時間をかける必要があるのです。
短い時間で突貫でつくった関係性など、すぐに破たんしてしまって当たり前です。

表では偉そうなことを言っているPUA達も実際には「非モテコミット」をしまくっています。
彼らの場合は、遊びの関係であるかのようなアプローチであるくせに、
「付き合いたい」とか言ってくるからうっとうしいのです。
しかもそれは自分の利己的な欲求のためである、というのが透けて見える、
そのくせ、1回断ったくらいで簡単に諦める。

結局のところ、恋愛工学では人間の内面に着目していないから、
「自分が本当に手にしたい女性」を一向に手に入れることができないのです。

恋愛工学では、「ダメなら次にいけば良い」という理屈なのでしょうが、
それではいつまで経っても同じことを繰り返すだけです。

PUAが抱える問題点

さて、ここまででも充分すぎるほど、 PUAの問題点について語ってきましたが、
彼らの最も大きな問題は

恋愛工学的な思想の影響をモロに受けて、視野が狭くなってしまっていること

であると考えます。

恋愛工学における女性像、
そして世の女性の人気が集中するモテ男が一定数存在している、
といったような思想ははっきり言って妄想の域に達しています。

しかし、彼らはこれを多くの人が気づいていない、重大な真実であると頑なに信じ込み、
それを克服するには恋愛工学を実践していくしかないのだと思い込んでいます。

時には普通の価値観を持った人間を見下したり、
一途な行動をする人に対して「世の中の男はこうやって妥協しているだけだ」とこき下ろしたりします。

主にSNS上で見られるこのような発言は、
完全に他者の価値観を遮断した姿勢です。
彼らは完全に外部との接触を拒み、
PUAという狭いコミュニティの中で自尊心を保つという生き方に徹するつもりなのでしょうか?

当然、同じ PUAのコミュニティの中にもさらに細かいコミュニティがあるわけで、
彼らが生きている世界は極めて狭いものになります。

彼らは、恋愛工学というものがあくまで物事のほんの一部分でしかないにも関わらず、
それが全てであるかのごとく錯覚しています。

だからこそ彼らはこの思想を世の中の唯一の真理であるかのごとく信じ切って突き進むことができます。
しかし、この思想は他者と継続的な関係を築くことと結びつかないため、
相手を傷つけ、傷つけられることを繰り返すだけになります。

結果として彼らは必要以上に女性から裏切られることになり、
そうすると自らのミソジニーも深まり、
ますます狭い世界に閉じこもっていってしまうのです。

SNS上に、関係を持った女性の写真を載せたり、
自ら声をかけておきながら食事代を相手に払わせたりしたことを自慢げに語る姿は、
逆に心の奥で満たされていない彼らの自尊心が透けて見えて非常に痛々しく感じます。

彼らはこうして、自らがいかに女性をぞんざいに扱えるか、を競い合っているようにも見えます。

さらに、このような発言に共感したり、賛同したりするのもまた同じPUAであり、
そこはもう、お互いがお互いの傷を舐め合うだけのホモソーシャルな世界と化しています。
彼らの世界はそこで完結してしまっているのです。

彼らにとっては相手の内面なんてものはどうでも良く、
重要なものはあくまでも女性のルックスやステータスといった外面のものだけです。
これらを閉鎖された仲間内で自慢し、慰め合っているのが彼らのコミュニティです。

彼らは結果にしか興味がないので、
関係が持てたら、過程は全て良しと捉えられ、
逆に持てなかったら、過程は全て悪だと捉えられます。

彼らの世界で結果といえば単純に関係を持った女性の数であり、
それがこの世界のステータスになります。

PUAの目的はいつしかこんなに狭いコミュニティの中での
地位を築き上げることに置き換わっていて、
それは人生において全くと言ってほど意味のないことです。

このようにPUA達は狭い世界に閉じこもり、
自ら成長の機会をつぶしてしまっている、かなり危険な状態なのです。

PUA達がたどり着くべき場所

PUAがぶち当たる壁はいくつもあります。
その最後の壁とも言えるのが、
この活動から卒業できるかどうか、です。

最後の壁を乗り越えるためには、
自らがいかに狭い世界の中にいるのかということを理解すること、
そしてこれまでの視点とは異なる新たな視点、冷静な視点で自らを見つめなおすことが必要です。

でなければいつまで経っても本当に欲しいものは手に入らず、
負のスパイラルに陥るだけです。

結局のところ、恋愛工学とはビジネスなわけで、
恋愛弱者にウケそうな内容だけをくみ取りって作り上げられたものに他なりません。
確かに、恋愛工学の内容はある側面から見た真実ではあると思いますが、
それは数ある物事の側面のうちの一つでしかありません。

したがって、それだけをかたくなに信じてしまうのは非常に危険なのです。
信じ込みすぎるが故に迷走してしまうPUAの危険性については上で述べた通りです。

この活動では、先にも述べたように、
関係が持てたら、過程は全て良しと捉えられ、
逆に持てなかったら、過程は悪だと捉えられます。
これだといつまで経っても人との深い部分での付き合いはできません。

自分が利己的な欲求のためにしか動いていないのと同様に、
彼らについてくる女性もまた相手を利用することしか考えていないということに気づくべきです。

恋愛工学における「ネグ」等のテクニックで行われる会話はある種男女お互いがテンプレート化された言葉を投げあうだけのものになっています。
そこに中身なんてものはないに等しいのですが、
人の内面に全く興味のないPUA達はその会話の表面だけを受け取って満足してしまうのです。

キャバ嬢の営業トークに乗せられてるだけとも気づかずに、自分にトーク力があり、それによって相手が自分のことを気になりだしている、
という勘違いをしてしまっているような滑稽さがそこにあります。

私が思うに、PUAはこのように恋愛工学というビジネスに利用され、
そして女性にも振り回されている…
なんとも悲しい生き物なのです。

さて、そんな彼らが取るべき手段は二つに一つです。

  • 満たされないことに目を背け、かたくなに恋愛工学を信じPUAを続ける
  • 新しい価値観を受け入れる勇気を持ち、新たな行動を行う

もしも前者を選ぶのであれば、そこにはそれなりの覚悟が必要です。

徹底して自らの欲求を満たすためだけに他者を利用する、
そこに例え心のつながりがなかったとしても、
それに傷ついたり、悩んだりしない、
あくまでも他者との関わりはこういうものだと割り切る。

これくらい徹底できなければ、この活動はただ人を傷つけ、そして自らも傷つける、不毛な活動になってしまうでしょう。
しかし、多くのPUAはそこまでの域に達していません。

であれば、多くのPUAが取るべき手段は後者。
新しい価値観を受け入れること。
それは、今まで築き上げてきたPUAとしての価値観をぶち壊すことになるかもしれません。
それは、PUAとしての過去の活動を否定することかもしれません。
しかし、それが本当に満足できる人間関係を形成していくために必要なことであるならば、喜んでこの変化を受け入れるべきなのではないでしょうか。

まずは、自分の本当に欲しいものが何なのかを考える必要があります。
そうすれば、今の価値観を持ち続けるべきなのか、
捨てるべきなのかがはっきりするでしょう。

コンプレックスというのは、妄想です。
何人の女性と関係を持ったから消える、というものではありません。
それは自分自身の考え方を変えなければ解消されないものです。

PUAという活動に必要以上に固執してしまう人は、
自分にはそこにしか居場所がないと思っているか、
コンプレックスを解消するためにはこれしかない、
と思い込み自分で自分の選択肢を狭めてしまっています。

町で見知らぬ女性に声をかける行動力があれば、
どこにだって出会いはつくれるし、
それを日常生活に活かして別のことに挑戦することだって可能なのです。

最後に

私は恋愛工学もPUAも否定するつもりは全くありません。
なぜなら現に私もこうしたものに感化されて行動してきた部分があったからです。
この行動をしなければわからなかったことも多々ありましたし、
何より自分の行動力が格段に上がったと感じています。

しかし、自分がやってきた中でどうしてもこの世界で受け入れがたい部分もあったのは事実で、
今回はそのことについてまとめてみました。

私はこの世界に入ってがむしゃらに行動したことは無駄だと思っていません。
行動もせずに批判ばかりする人よりかは、行動している分はるかに良い経験をしていると思っています。

ただし、「行動した」ということに胡坐をかいていてはいけません。
「新しいことに向けて行動できた」のであれば、またさらに新しいことに向けても行動していくべきなのです。

「一度は恋愛工学のような理論にすがった、
でもそれだけでは到底本当に欲しいものは手に入らないとわかった」

であれば、今の価値観を捨てて、新たな価値感を受け入れる勇気も持つべきです。

もしなるのであれば、いつまでも同じ価値観のままで変われないPUAになるよりも、
常に新しいことに挑戦し続けるPUAとなってほしいものです。

あと最後に言っておきたいこととしては、
この世界で出会った人の中にももちろん自分と同じような考えを持っている人もいました。
全部が全部特殊な人ばかりではないです。
しかし、この世界にいると正常が異常になり、
異常が正常になっていくようなそんな感覚があったので、
今回はそんな危険性について書いてみました。

みなさんの恋愛活動がうまくいくことを祈って、
この記事を締めくくりたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です