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# 歴史

戦前日本「ファシズムへの転落」が、現代の私たちに教えてくれること

右派が結集、デモクラシーを攻撃…

「戦後民主主義」の行方

今年8月12日に放送されたNHKスペシャル「かくて“自由”は死せり~ある新聞と戦争への道~」は、ネットを中心に大きな反響を呼んだ。同番組は、新しく発見された「戦前最大の右派メディア」新聞『日本』にスポットをあて、「大正デモクラシー」から戦争へ向かう日本の社会の転換を映し出した。

感想には、自由を謳歌していたはずの日本社会が破滅的な戦争に転げ落ちていく怖さや、いまの社会との共通性を読み込んで警鐘を鳴らす言葉が数多くつづられていた。

これまで私は、戦前の日本社会が「大正デモクラシー」から「ファシズム」へいかにして変わっていったのかという問題意識をもって、社会運動史や思想史を研究してきた。番組では、『日本』を通史的に見ることで、「大正デモクラシー」から戦時体制へ移行する過程がクリアに把握できること、社会で共有していた許容ラインが次第に引き下げられていったことをコメントした。

『日本』の誌面(著者提供)
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同番組が一定の反響を呼んだ一因は、放送直前にあいちトリエンナーレの企画展「表現の不自由展・その後」が、電凸行為による脅迫で中止に追い込まれ、「自由」の意義が問われていたことにある。

しかし、より巨視的に見るならば、戦後の日本が長らく享受してきた、日本国憲法を頂点とする「戦後民主主義」的な価値観(自由、平和、民主、人権)が今日さまざまな方面から「転換」を迫られているという背景がある。出口の見えない未来への不安が、戦争につき進んだ過去への関心を高めている。

 

「大正デモクラシー」の時代に生まれた『日本』という小さな右派メディアは、共産主義批判などを煽ることで徐々に存在感を高めていく。そこに集まった右派的な運動家の極端な「民意」は一部の議員や軍人と手を携えながら、「デモクラシー」や自由を浸食していった——。

ここでは、歴史を鏡として、『日本』の内容を社会運動史や思想史の観点から分析することで、時代の転換とその背景について考えてみたい。