令和元年 「私たちの平和宣言」を発表しました。
広島は、あの非道な原爆投下から74年目の朝を迎えました。目を開
早朝慰霊祭を執り行います
令和元年8月6日(火) 早朝5時45分より (15分程度)
原爆慰霊碑前にて
参加・取材お問合せ 電話(082)831-6205 事務局
米国のINF離脱に関する見解
▼離脱への評価
2019 年2 月1 日、米国はINF(Intermediate-Range Nuclear Forces Treaty:中距離核戦力全廃条約)の破棄を正式にロシアに通告した。ロシアは即時に義務履行の停止を表明した。6 ヶ月後の今年8 月から、INF 条約は正式に失効する。一部日本メディアの報道は、この決定をトランプ大統領の資質に帰するが、矮小化した判断である。既に、INF を取り巻く環境にはトランプ氏ならずとも、「破棄」せざるを得ない状況があり、今さら驚きはしない。現状のままでは、中国に圧倒的に有利な戦略環境を拡大させるだけだ。本来はオバマ前政権が行うべき決断だったが、同氏の外交安全保障政策が「遅すぎ(too late)」「少なすぎ(too small)」と批判されながら、先送りした結果、中東やインド洋から西太平洋に至る広大な範囲で、中国の軍事力が強大になった。 (続きを読む read more)
令和元年 8.6広島平和ミーティングに協力しています。
▼米朝ハノイ会談(2019年2月27・28日)の結果を歓迎する
世界が注目したハノイ会談は「北にはまだ核放棄の準備がない」という米国の判断で実質的に決裂しました。内外のメディアでは、歓迎と批判の両様の評価がありますが、私達は「とりあえず安堵した」思いです。北朝鮮の思惑通りに合意して制裁が緩和されたら、既視感に満ちた北朝鮮の「ちゃぶ台返し」や「責任転嫁」などの再開は殆ど確実でした。「核放棄」どころか核の容認と増強に繋がった可能性があります。今現在、直接の脅威に晒されている日本が、米欧等の論調に引きずられることはありません。北の脅威に晒されておらず、そして事あれば武力反撃も可能な海外諸国の論評は、他人事に過ぎません。 (続きを読む read more)
平和祈念式典中のデモ規制条例について 広島市長 松井一實様
広島市長 松井一實様 令和元年6月吉日
ご担当課 健康福祉局原爆被害対策部調査課 御中
平和祈念式典中のデモ規制条例アンケートの件
前略
広島市が平和祈念式典中のデモを規制する条例制定の可否を、アンケート調査されていると承知しています。式典会場まで響くデモの音を問題にされています。私達も例年、原爆被害者遺族として式典に参列致しますが、遠雷のように鳴り響く拡声器の音は、慰霊の祈りへの著しい障害としか感じられません。静謐な環境での慰霊を捧げるために、頭記条例の制定を強く望みます。
これに対して、表現の自由を理由にした「言論弾圧」とか「言論統制」などの反論もあるようですが、違和感が拭えません。というのは、私達は平成21年に広島市長(当時)から、式典とは異なる時間と場所での私的屋内講演会であるにもかかわらず、「日程変更」(付属資料1参照)要求を受けたのですが、いかなる識者もマスコミも「表現の自由」で市長要求を批判した者は皆無。 批判の刃は私達に向かいました。
今回の広島市アンケートは、基本的には広島平和公園という「パブリック・フォーラム」に関するものです。この地域における「表現の自由」と「公共の福祉」との関係では、吉祥寺駅構内ビラ配布事件判例(昭和59年12月18日最高裁)にて、表現の自由を一定程度抑制するのは正当となっています。他方、平成21年の広島市長要求は、「パブリック・フォーラム」外で、他の団体等が種々活動する中で、私達だけを標的にした「不法行為」と見做されます。尚、平成22年にも市長は私達を直接批判する言動(付属資料2参照)をされましたが、その文言は、今回のアンケート問題を引き起こした方々に向かうべきであります。
平成22年市長談:「お考えいただくのは、そういった皆さんの方で、・・被爆者の皆さんの今も続く痛みということは尊重しなくてはいけない・・」 草々
平和と安全を求める被爆者たちの会 代表 山本 匡(被爆二世)
同上 副代表 池中美平(被爆二世)(文責)
8.6広島平和ミーティング実行委員長 蓼 征成(被爆二世)
平成30年 「私たちの平和宣言」を発表しました。

今年7月に西日本を襲った大水害は、ここ広島にも大きな爪痕を残しました。自然の猛威に畏怖しつつ、心から失われた魂のご冥福を祈ります。しかし、このような災害には屈しないほど強固で美しく整った街並みの大都会に発展した広島は、今もさんざめく人々の平和な日常が溢れています。73年前のきょう、昭和20年8月6日の朝、自然災害ではなく、意図を持つ人の手が落とした原爆の閃光と爆風は、一瞬にして命を焼き払い、日常を破壊しました。
平成29年 「私たちの平和宣言」を発表しました。

平成29年8月6日早朝慰霊祭において、「私たちの平和宣言」を奉読いたしました。
東トルキスタン亡命政府大統領 アフメット・ジャン・オスマン大統領閣下も参列されました。
あの夏の朝、瞬
あれから72年。私達から2つの大切な事実が忘れ去られようとしています。
核兵器禁止条約を警戒する異見書を提出しました
平成29年(2017年)7月7日、国連総会は「核兵器禁止条約(核兵器の禁止に関する条約案)」を122ヶ国の賛成で採択した。しかしこの条約(以下『条約』と略する)には警戒が必要だ。
私達は被爆者、被爆二世として、『条約』に賛同せず、我が国の不参加に賛成する。また、第9条の、非締約国への費用負担条項は不法で無効であり不対応を要求する。
オバマ大統領という災厄を解説する
平成29年広島86講演会の案内チラシ裏に、私達はやや刺激的と思われるような「オバマ大統領という災厄」という表題を掲げた。オバマ氏の外交面での実績は、「核無き世界」発言の醸し出した好感度とはかなりの落差がある。キャッチフレーズの「核無き世界」でもそうである。はっきり言って、外交指導力は惨憺たるものだった。特に、安全保障面での錯誤が目立ち、日本は大いに悪影響を被ったと言える。主要なものについて逐次解説する。 (続きを読む read more)
百田尚樹氏一橋大学講演中止事件の怪
私達は、「広島86平和ミーティング実行委員会」に協力する団体である。今年は百田尚樹氏を講演会の講師に招聘した。百田氏には、平成29年6月に一橋大学で予定されていた講演会が反対運動で中止になる事件が起こった。主宰学生団体が恐怖したからである。事件は百田氏が積極的にツイッター発信したので、少しだけ報道された。かつては、櫻井よしこ氏にも同じ事件があった。 (続きを読む read more)
平成28年 「私たちの平和宣言」を発表しました。
Our Declaration of Peace on 2016

平成28年8月6日早朝
平和公園慰霊碑前にて「私たちの平和宣言」を奉読いたしました。
71年前の今日、雲一つない晴れた朝、1機の爆撃機が、広島市とそこに暮らす10万人以上の普通の人々に、瞬時の破壊と死をもたらしました。その3日後には長崎でも同じ悲劇が繰り返されました。灼熱の閃光と地を這う炎は、生き延びた人々にも一生消えぬ傷跡を残しました。後に首相になった鳩山一郎氏は終戦直後に、「正義は力なりを標榜する米国である以上、原子爆弾の使用や無辜の国民殺傷が病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反、戦争犯罪であることを否むことは出来ないであろう」と昭和20年9月15日の新聞で訴えました。しかし米国の回答は、新聞の発行停止という、米国を批判する言論の封殺でした。 (続きを読む read more)
平成28年7月21日 広島市長に要望書を提出しました。
広島市長 松井一實様
ご担当課 健康福祉局原爆被害対策部調査課 御中
(写し)日本国内閣府気付
内閣総理大臣 安倍晋三様
外務大臣 岸田文雄様
防衛大臣 中谷 元様
平成28年度広島市平和宣言等に係る要請
「広報番号:HA2018-07/2」平成27年7月吉日
前略
本年5月27日に、オバマ合衆国大統領が広島を訪問され、被爆者の方と心からの交歓が行われたことは、ひとえに、首相官邸・外務省ならびに広島市長及び関係各位のご努力の賜物であり、深く敬意と感謝を申し上げます。行事そのものについては、様々な評価があることを承知しておりますが、所謂「核無き世界」をどのようなプロセスで実現可能か、また、それがどのような世界かは歴史的、政治的、心理的によく研究すべきものとは思います。しかし、少なくとも昨年のNPT再検討会議決裂の原因になった中国や韓国等による「日本は第二次世界大戦の加害者ではなく被害者であるように描こうとしており、被爆地訪問要請は歴史を歪曲するものだ」という専横への明示的なカウンターになったのは間違いないと評価致します。さて、オバマ氏の広島訪問が、今年の広島市平和宣言で言及される報道がありました。そうならば、市長におかれては「核廃絶の願望」に止まらず、直後の国際仲裁裁判所判決への中国の公然たる反旗、わが尖閣への軍艦侵入等への具体的対応への言及がなければ、いかにして私たちの平和を守るかを主眼とすべき平和宣言そのものが、願望をもってする安直な作品となり、実体なき空想の誹りを免れません。この点をご検討賜りたくお願い申し上げます。又別途要請もあります。 草々
平和と安全を求める被爆者たちの会 代 表 山本 匡(被爆二世)
同上 副代表 池中美平(被爆二世)(文責)
TEL 082-831-6205 FAX 082-831-6206
平成28年度広島市平和宣言に関する要請(本文)
1. 国際仲裁裁判所の判決について平和宣言への組み込み要請
フィリピンの提訴した同国の管轄にあるスカボロー礁への中国の侵入と居座りに対して、国際仲裁裁判所は、7月12日、提訴した同諸島のみならず(1)中国主張のいわゆる九段線以内のすべての主張する権益を認めない。(2)低潮高位の岩礁を埋め立てても「島」とは認めない。(3)島でない岩のEEZを認めない、等という中国全面敗訴の判決が下されました。と言っても、この内容は国連海洋法条約の文言通りでしかありませんが。しかし、中国はこれに対して、「判決は無効」「反中陰謀」「判決文は紙切れに過ぎない」として、さらに凶暴さを増しているのは御存じの通りです。また、わが尖閣諸島には2010年9月に一方的な自国の領海基線組み込みを発表し、2012年9月には「日本の公務船や自衛隊が魚釣島海域に入れば『侵入』になる」「外国の軍事船舶が魚釣島海域に入るには、中国政府の認可を得なければならず、東中国海の境界線確定をめぐる中日間の話し合いの余地はなくなった」と公言しました。
そして今、この公言通りに日本や他国の主権を犯して平気です。
中国は、東シナ海でも、南シナ海でも自国都合だけの、交渉無しのごり押しで、主権侵害行動を続けています。その力には当然に正面の海空軍力だけではなく、背景の核兵器があるのは言うまでもありません。また、昨年も指摘したように、中国の核兵器増強と多核弾頭化、ロシアのデンマークへの核恫喝など、オバマ氏の口吻とは真逆の世界が現実です。失礼ながらオバマ氏には、国際外交筋からは「高説は垂れるが何もしない大統領」との定評があるようです。シリア問題への遅すぎる対応、南シナ海への形だけの「航行の自由」など、中国は既にアメリカの足元を見ていると考えられています。
オバマ氏の広島演説は、残り任期が無いだけに、プラハ演説と比較すれば、一段と具体策のない高邁な理想だけが突出しています。従って、この広島演説だけを宣言に取り込んだとすれば、足元の現実に目を瞑る幻想の平和をまき散らすだけの「広島平和宣言」になることを恐れます。日本の現実は「生きている間には実現しない」では済まされない、「生きている間」の問題なので、必ず組み入れられることを要請します。
2. 被爆者代表から要望を聞く会への意見
本件は、今年で連続3年の意見表明を行っています。何度も指摘しましたが、「被爆者代表」と称する者は選定手続きのあいまいさのために、「代表」とは認められません。(広原調第37号、平成26年7月17日)今年も過去同様の選定手続きが行われており、またも「安保関連法撤廃要望」が述べられる可能性があります。それも、オバマ氏の「核廃絶の勇気」なる高邁な言説を根拠にして。
しかし、かかる政治的問題を特定の立場から、被爆者だからと言って、“要望”する場が与えられることに違和感を禁じ得ません。直近の選挙で反対派は破れたのですから、議会外で蒸し返す権限がどこにあるのでしょうか? もし外交・安全保障方策への発言が為されるのであれば、同等の資格を持って、異なる意見の被爆者等への発言機会も与えられてしかるべきだと主張します。官邸並びに市長に置かれては、この「行事」自体の有り方への再考を要請します。
以上
平成28年5月 オバマ大統領被爆地訪問に関しての見解
日本国内閣府気付
外務大臣 岸田文雄様
広島市長 松井一實様
広島市御担当課 健康福祉局原爆被害対策部調査課 御中
(写し)日本国内閣府気付・内閣総理大臣 安倍晋三様
平成28年伊勢志摩サミット開催に伴うオバマ米国大統領
「被爆地訪問」に関する意見書(公開文書)
「広報番号:HA2018-05/1」
平成28年5月吉日
前略
昨年のNPT再検討会議での採択ご努力に深く敬意と感謝を申し上げます。
この会議が、『韓国他12ヶ国が同調して「日本は第二次世界大戦の加害者ではなく被害者であるように描こうとしており、被爆地訪問は歴史を歪曲するものだ。」』とした中国の専横で決裂したことは、一部核兵器国も含んだ諸国の思考を浮き彫りにした歴史的事実として長く記憶に留められるでしょう。そして被爆者とそれに連なる者にはこれら諸国への認識を新たにした事件でした。
今年、そのNPT会議決裂を補うように「伊勢・志摩サミット」に出席した各国代表が来広し、死没者追悼と原爆の各施設見学をされたことは、外務大臣並びに広島市長のご努力の賜物であると、高く評価し、感謝申し上げます。
さて、各国代表の来広に続いてオバマ・アメリカ合衆国大統領の来広が決まりました。報道によれば、大統領発言等に関する擦り合わせが外交当局間で行われている模様だと思われます。
この事案に対し、私達は「被爆者団体」の一つとして、見解を申し上げるべく本書を提出いたします。御一読給わりますようお願い申し上げます。草々
平和と安全を求める被爆者たちの会
代 表 山本 匡(被爆二世)
同 副代表 池中美平(被爆二世)(文責)
-見解書-
1.オバマ大統領(以下、失礼を承知で「オバマ氏」と略称)来広への思い
当会は、合衆国大統領として初めての来広を歓迎します。オバマ氏におかれては、核兵器のもたらす現実の惨禍を眼に留め、そして死没者に対する深い慰霊をして頂きたい。また原爆から生き延びても、その後遺症で長い苦しみに耐えてきた人々が今も存在することにも、想いを馳せて頂きたい。しかし、当会はオバマ氏には『謝罪』を求めません。何故なら原爆投下に関与した当事者ではなく、また合衆国政府の統一意志を代表しての訪問でもないからです。その昔、長崎に寄港した米潜水艦の乗組員が平和記念像に献花したとき、一部の被爆者がそれを妨害し、花輪を足蹴にして破壊する行為がありました。これは「暴挙」の類であってこれに類する行為は慎むべきです。既に対等の関係にある両国と国民にとって、非当事者への「謝罪要求」や「受容や拒否」は問題の焦点ではありません。ですから、一部報道での、オバマ氏来広の“成果”のために日本側から「謝罪を求めない」と申し出たことは無かったものと信じたい。
しかしながら、原爆投下も都市への空襲も艦砲射撃も非戦闘員も目標にした無差別攻撃だった事実は絶対に忘れません。これらの行為は、当時の国際法、例えば、「陸戦条約」「海軍砲撃条約」「空戦規則案」等でも明確に禁止された『戦争犯罪』でした。しかも戦犯裁判は日本人だけが対象でした。オバマ氏だけではなく、合衆国国民も日本国民も、この歴史事実を直視すべきであって、「原爆投下が戦争終結を早めた」とか「米将兵の命を救った」とかの正当化は絶対に受け入れられないのです。もし、この正当化理由を承認するならば、現在混迷の極に達しているIS支配地などへの「根こそぎの殺戮」核攻撃も正当化できることに繋がっていくでしょう。
2.オバマ氏の「核なき世界」と日本の「反核平和」は全く違う
オバマ氏は一期目の大統領就任後の2009年4月5日のチェコ・プラハで「かつて、核兵器を使用した唯一の核保有国として、合衆国は行動すべき道義的責任を負う」と演説しました。この言葉に小躍りした一部の日本人や行政当局者がいましたが、それも今は昔。「核無き世界は米国単独では達成できないし、自分の存命中にも実現しないだろう」と言ったことが現実でした。一方、オバマ氏は「核兵器が存在する限り米国は安全保障の保持のために効果的な兵器廠であり続け、同盟国の防衛を保証する」と言いながら、最近「米国は世界の警察官ではない」と発言したために、中東の安定は遠ざかり、日本への脅威は高まりました。韓国とイランには20%までのウラン濃縮を許容し、イランには交渉の末に15年の期限付きで同じことを認めました。15年が過ぎれば、イランは核兵器級のウラン製造も可能になったのです。オバマ氏の言う「核なき世界」の姿が明確になったことで、危険を感じたサウジとエジプトは核武装の意志を明確にしました。ことほど左様に、核兵器への対応は困難で「核なき世界」への道筋はその糸口さえ見えていません。昨年のストックホルム平和研の発表では、中国と北朝鮮だけが保有核兵器数を増加させています。「被爆地訪問は加害者が被害者を装うことだ」として自国の核を正当化する国が日本の隣にいるのです。日本が三度目の核攻撃はおろか高度な通常兵器の攻撃をどう防ぐかは、「核無き世界」の夢を追う以上に、緊急の課題です。現在、リアルタイムで見るシリア空爆の映像は、「核兵器」とは無縁です。歴史的事実からも「核無き世界」が「平和な世界」ではありませんでした。昔のオバマ氏の演説は日本の「反核平和」とは全く別物でした。日本の根本的意識転換が必要です。
3.オバマ氏来広の政治的意義
オバマ氏には、危機対応での逡巡が事態の悪化を招くという理念先行型政治家の特徴がありました。それが日本にとって好ましくない周辺事態を招いた原因の一つでもあるでしょう。また、オバマ氏は、日本の首相が日本の戦死者を追悼する行為に「失望」した最初の合衆国大統領でもありました。
さりながら、東日本大震災での日本支援での括目すべき米軍の働きと、オバマ氏の決断はいかなる感謝の言葉をもっても表現できないほどの感銘を私達に与えました。両者の違いは、おそらく相手が国か自然かにあるのでしょう。
オバマ氏の8年の執政のスタートがプラハ演説ならば、広島訪問はその「行動すべき道義的責任」の最後を締めくくるのに相応しい場所でしょう。当会は、その意味での来広を「歓迎」し、静かに「受け入れ」ます。
但し、日本が間違ってはいけません。オバマ氏が来広して演説しても、現職大統領の海外での個人的見解の表明が次期大統領の政策を規定することはなく、世界は寸毫も「核無き世界」には近づきません。そこには「中韓との駆け引き手段」か「象徴的」意義以上の政治的意味はないでしょう。日本は既に次期合衆国大統領の行動予測とともに、日本の平和と安全をどのようにして当面を凌ぐかを政治リアリズムに基づいて真剣に考慮する時に来ています。日本には薄っぺらに過ぎる「安全保障法制」を「反核・平和」の名で敵視する愚かさを止めましょう。理念だけでは何も生まないことを、逆に状況を悪化させる可能性のあることを、オバマ氏は示しているとも言えるのです。
以上
追伸
最新の報道で、オバマ氏の来広に日本軍の捕虜だった元軍人が同行することになったとあります。これが正しいなら、西太平洋各地のBC級裁判で曖昧な根拠の多かった「捕虜虐待」と原爆投下を相殺する意図を感じます。本信本文でも記載した通り、連合軍捕虜虐待で日本人は裁判され処罰・処刑されたにも関わらず、日本人に対して広範に遂行された戦争犯罪行為である非戦闘員虐殺では裁判すら行われていません。「相殺」意図があるとすれば「おこがましい」としか評価でません。オバマ氏は米国の在郷軍人会の「原爆正当化」勢力に屈したようです。オバマ氏の「核無き世界」からは、「核兵器を使用した唯一の国として行動する道義的責任」は消滅したのでしょうか?
これら事象から、当会としては「オバマ氏来広は受容する。元捕虜の同行は歓迎しないし謝絶したい」と変更する希望を表明します。
平成27年 「私たちの平和宣言」を発表しました
一瞬の熱線と爆風で斃された広島と長崎20数万の命、それに先立つ焼夷弾の火炎で一夜にして断たれた東京10万余の命、日本各地の空爆で殺害された幾10万の命。昭和20年8月に至る半年あまりの絨毯爆撃は、まさしく空前の戦争犯罪でした。その悪魔の所業から70年。二つの原爆から生き延びても、被災者は苦痛と恐怖に苛まれ続けました。不法な攻撃に晒された人々の心から、私たちの父母兄弟達の気持ちから、非難と嘆き、恨みと屈辱が消えることはないでしょう。
平成27年国会審議にかかる安全保障法制への見解
平成27年度広島市平和宣言 並びに 「被爆者代表から要望を聞く会」に関する要請
平成26年 「私たちの平和宣言」 を発表しました
平成26年 『私たちの平和宣言』
平成26年8月6日 広島
忘れもしない原爆攻撃から69年。二個の原爆は、一瞬にして10万以上の無辜(むこ)の人々を殺戮(さつりく)し、灼熱(しゃくねつ)の嵐の後には、茫々(ぼうぼう)たる焦土と、夥(おびただ)しい数の犠牲者が残されました。その極限の惨禍(さんか)にあってなお、生ある人は互いに救護し、励まし、死に臨む人には末期(まつご)の水を与え、看取(みと)り、そして骸(むくろ)となった同胞を野辺(のべ)に弔(とむら)いました。攻撃を免(まぬか)れた人々は手段を尽くして焦土に赴(おもむ)き、犠牲者を救助しました。皆様の秩序整然たる態度、身を挺(てい)して為された無数の行為に顕(あらわ)れた、気高(けだか)くそして不屈の精神は、私達の大きな誇りです。歳月は皆様の大部分を彼岸(ひがん)の彼方(かなた)に旅立たせたとはいえ、万骨(ばんこつ)の発する慟哭(どうこく)と、努力の足跡と、達成の誇りは、今なお私達の心に響き、胸は張り裂けます。私たちは、静かに頭(こうべ)を垂(た)れ、限りない鎮魂と感謝の念をここに捧げます。
現在、米国は自国外での活動を大幅に縮小し、世界各地で果てしない紛争が増加しています。シリアでは悲惨な内戦が続き、イラクは国内の対立で国家崩壊の瀬戸際(せとぎわ)にあります。ロシアのクリミア半島併合と、続くウクライナの内戦は、ロシアからの天然ガス供給に依存する欧州から事実上容認され、ウクライナに依存するインドの防衛力整備が遅延するためにインド洋を不安定化させ、我が国にとって間接的脅威となっています。イランの核兵器開発問題は、米国・欧州と中国・ロシアが対立して、核を容認するかホルムズ海峡を封鎖させるかの選択を迫られ、我が国にとっては直接的な脅威です。そしてアジアでは、中国が南シナ海周辺国に軍事力を駆使(くし)して横暴な覇権(はけん)拡大を進め、我が国の尖閣諸島への挑発は激化の一途です。北朝鮮のミサイル、核兵器開発もまた然りです。今や、世界の平和と安全を保ってきた微妙なバランスは崩れ去り、安保理常任理事国自身が国連で果たすべき責任を忘れて自国のことのみに専念する世界が現出しています。
戦後、私達が戴(いただ)いてきた日本国憲法に書かれた「平和を愛する諸国民の公正と信義」や「いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならい」という理想はどうなったのでしょう。実は、私達が理想と掲(かか)げてきた平和主義とは、当初より戦後我が国を占領した軍司令官が極秘に発した虚構の産物であったことが、歴史資料により明らかになっています。日本国憲法が作成される前、占領軍司令官が日本に対してだけ発した極秘指示文書には、「日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高(すうこう)な理想に委ねる」とあり、この指示はほぼそのまま日本国憲法に組み込まれました。しかし、当の戦勝諸国は戦後すぐに戦前の勢力圏を回復させるべく軍事力を行使しています。フランス、オランダは東南アジアの、英国は世界各地の旧植民地を、ソ連はポーランドとフィンランドの領土を、米国は太平洋諸島を手中にするべく行動しました。また、占領軍司令官は大戦当時には存在しなかった罪を東京裁判の直前になって制定し、連合軍の犯したあらゆる犯罪行為を不問(ふもん)にして、日本人だけを断罪しました。戦犯リストの作成を命じられたGHQ幕僚のソープ准将ですら、その裁判は「戦争を国策の手段とした罪は戦後に作られたものであり、偽善的なリンチ裁判用の事後法だ」と述懐(じゅっかい)するほどでした。そして、占領軍司令官であったマッカーサーもまた、Their purpose, therefor, in going to war was largely dictated by security.(したがって、彼らが戦争に向かった目的は、大部分が安全保障のためであった。)と米国議会で証言しています。
私達は、戦後長い間平和と繁栄を享受(きょうじゅ)してきました。しかしこのまま日本だけが罪をかぶせられ、その判決を鵜呑(うの)みにしたまま国際社会の現実から目を背(そむ)け続けて現実性のない「盲目(もうもく)の平和(へいわ)主義(しゅぎ)」を戴(いただ)き続けることは、戦禍に倒れ、廃墟を復興させた先人の皆様の努力の成果を崩壊させるものといわざるを得ません。米国は、沖縄戦の直後から日本が降伏の意志を伝えていたにも関わらず、原爆攻撃を実施しました。東京大空襲では、一夜にして原爆を上回る数の人々を斃(たお)しました。そして原爆も東京大空襲も、非戦闘員に対する無差別攻撃という点で明確な国際法違反です。国際的には、戦争といえども、国際人道法という時間をかけて積み上げられた国際法のルールに拘束されます。東京大空襲の指揮官は、自分が戦争犯罪人だと自覚していました。平和教育に祀り上げられた「はだしのゲン」は、断罪する相手を間違っています。さらには、米国は真珠湾攻撃より5ヵ月も前に日本本土爆撃を計画・承認したこと、日本は原爆投下より前に降伏意志を示したことを無視して、戦争の実態を歪めています。そこには、被爆者だけを特別視して国家を否定し、原爆以外の犠牲者を貶(おとし)めんとする「選民(せんみん)思想(しそう)」すら透けて見えます。
憲法がいかに「いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と宣言しても、国際法は国内法に優先するため、各国の行動を規制することは出来ません。そして国際法は、交戦権を含めて各国主権の至高価値を認めています。さらに、世界各地で自国の安全と繁栄を守るためにあらゆる努力が続けられています。そもそも国家間の争いと戦争は、核兵器の登場以前から続いており、たとえ核兵器がなくなることがあっても世界から国家間の対立や争いがなくなることはないでしょう。私たちは、「記憶を風化させるな」と言うことばで被爆者だけを平和の殉教者(じゅんきょうしゃ)に仕立て、また、他者に補償を求めるだけの存在となることを拒絶します。他(ひ)人任(とまか)せの「核兵器廃絶」を唱えるよりも、世界の現実と国際法の規定に目を開きます。風化させてはならないのは、一般市民の無差別(むさべつ)殺戮(さつりく)、そして被爆直後の死に臨む犠牲者達が発した「兵隊さん仇を討って」「アメリカのばかやろう」などの末期(まつご)の心情です。誰を恨(うら)むでもなく、黙々と都市と国家の再建を果たした人々の足跡(そくせき)です。祖国の安全無くして独立は無く、独立無くして平和もありません。私達は、我が国と私達の子孫のために、「盲目(もうもく)の平和(へいわ)主義(しゅぎ)」の虚構(きょこう)を克(こく)服(ふく)し、もって我が国が、真に永続的平和と安全確保に向かうよう努力することを誓います。
過ちを繰り返えさせないために。
「平和と安全を求める被爆者たちの会」
Our Declaration of Peace on 2014
August, 6th, 2014 Hiroshima
It has been 69 years since the Atomic Bomb had been dropped on the two cities and it haunts us forever. It took very little time to kill more than 100,000 truly innocent people in total. When we overcame the burning red-hot storm, we only saw the dark barren land and piles of casualties. Even in such an unimaginably extreme landscape, people who were lucky enough to survive helped each other, encouraged themselves, served water to those people who were about to ascend to heaven during their very last moments, and buried remains in the field, expressing profound respect from their hearts. People who could escape the attack visited the burnt out land by any means possible and kept saving victims. We are now extremely proud of their orderly deeds, and their dignified and selfless spirit revealed in their countless voluntarily actions. Although time enabled most of them to go to heaven, the strong voices from their remains, their meaningful actions and pride in their achievements… all of those still echo in our minds and we are very touched and even heart-broken. We are here now to politely bow our heads, and express our sincere respects for our ever-lasting gratitude to them.
Right now, we still witness endless conflicts and these are still occurring, with lesser examples of the U.S.-led interventions outside their country. The disastrous civil war is on in Syria, and Iraq is on the edge of collapse as a state with much domestic conflict. Russia’s annexation of the Crimean Peninsula and the following domestic battle in Ukraine are virtually accepted by Europe, whose natural gas sources depend on Russia, and the Indian Ocean became dangerous waters because of slowing self-defense requirements in India that depends on Ukraine. This means an indirect threat to our country. The Nuclear issue in Iran is leading to the confrontation between the U.S. and its European allies and the China-Russia bloc, and we are trapped to choose to recognize a Nuclear Iran, or to close the Strait of Hormuz. This means a direct threat to our country. And in Asia, China is moving against the countries around the South China Sea in order to enhance its clout with military posturing in an aggressive way. China’s provocative action towards our Senkaku Islands is only increasing. The same story applies to the situation regarding the development of ballistic missiles and Nuclear weapons in North Korea. The delicate balance which has managed to keep global peace and safety has now broken down, and we are in a situation where permanent members of the Security Council themselves forgot the important commitments to the U.N. and instead are seeking benefits for their own countries.
What happened to the meanings of the regulations in the Constitution of Japan, "the justice and faith of the peace-loving peoples of the world" and "no nation is responsible to itself alone"? In fact, the pacifism which we have long held as the ideal motto turned out to be a mirage which an army commander has produced in secret during the occupation of our country after World War II, according to the historical documents. Before the birth of the Constitution of Japan, there was a line "Japan relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection" and this concept became most important part of the Constitution. However since the end of war, victor nations rapidly started to show their military power in order to recover their influence prior to the war, and they actually proceeded to do so in certain areas; France and the Netherlands for the South East, the U.K. for its former colonies around the world, Soviet Union for the land in Poland and Finland, and the U.S. for the Pacific Islands. And just before the International Military Trial Far East, the Supreme Commander of the Occupation Army suddenly established the definition of crimes which never existed before the War, and judged against only Japanese, with no other legal action against members of the Allied Forces who committed same crimes. Even Mr. Thorpe, who was then a Commodore in GHQ and in charge of listing the war criminals, later confessed about the foregoing Trial that "the crime, starting the war under the national policy, was defined after the War, and this amounts to an ex-post facto law of hypocrisy for the court of torture." The Supreme Commander MacArthur in GHQ also testified at the U.S. Congress that "Japanese purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security."
Yes, we have long enjoyed peace and prosperity after the War. However, if we continue to be viewed as criminals, and accept that judgments with no knowledge of the reality of global society, and hold a groundless motto of "Blind Pacifism," that equals meaningless disregard for the toil and endeavor of our ancestors who fell in the war but reworked the ruins. The U.S. dropped the Atomic Bomb, even after they were notified about the Japanese intention to surrender right after the battle in Okinawa. The Great Tokyo Air Raid killed more civilians than the Atomic Bomb victims in a single night. The actions of both the Atomic Bombing and Great Tokyo Air Raid are obvious violations of International Law, to the point of indiscriminate attack on non-combatant people. Internationally speaking, even during the war time, we should follow International Rules we have previously established, the International Humanitarian Law. Even a commander of the Great Tokyo Air Raid recognized his action constitutes a war crime. The story "Barefoot Gen," which has been decorated as an educational material to promote peace, is in fact targeting utterly the wrong people as criminals. Moreover, this material also ignores the fact that the U.S. planned and approved the attack on the Japanese mainland almost five months before the attack on Pearl Harbor and Japan expressed its intention to surrender before the Atomic Bomb disaster. These are distortions of real history. We can see the denial of our country by giving special treatment only to the Atomic Bomb survivors, and ignoring the dignity of the victims caused by other means than the Atomic Bomb. This appears to be elitism, the idea of being part of a chosen people.
Although strongly declared by our Constitution "no nation is responsible to itself alone," we will not be able to restrict the actions initiated by each country, as international laws are superior to domestic laws. The international laws even allow the value of supremacy based on sovereignty, including the rights of belligerency. Moreover, many countries are now strongly committed to protecting their own security and prosperity by using any kind of means. The conflicts and wars between countries have been occurring before the birth of Nuclear weapons. Therefore, even if human beings could abolish Nuclear weapons, the confrontation or fight between countries would not disappear. So, we hereby voice up: We never choose only the Atomic Survivors as the missionaries of peace by the phrase "Let's not make memories fade out". We reject the notion that the Atomic bomb survivors are to exist only to ask for compensation from others. We open our eyes to the reality of global society and face the regulations of International Laws, instead of reciting "total ban of nuclear weapons" that is being voiced by others. The things we must never make fade away are the memories of indiscriminate mass murder of civilians, and the strong voices from the people who were groaning after nuclear exposure and facing their deaths: "Please take revenge for us… Mr. Soldier," "You bloody, America…," were their very final state of mind. The things we must not forget are the footsteps of the people who have never blamed to anybody, but reconstructed our cities and country in very humble ways. Without the security of our mother-land, we cannot say we have independent sovereignty. Without our independent sovereignty, we cannot find a definition of peace. For our country and for our future generations, we hereby make our resolution: we overcome the mirage of "Blind Pacifism," and make a strong commitment to our endeavors for a truly ever-lasting peace and guarantee of security.
To prevent ever repeat of such illegal error!
"The society structured by survivors of A-bomb and relatives
to seek peace and security"
http://www.realpas.com/
「被爆者代表者から要望を聞く会」に関する要請
日本国内閣府気付
内閣総理大臣 安倍晋三様
広島市長 松井一實様
平成26年8月6日の「被爆者代表から要望を聞く会」に関する要請書
前略
日本国政府閣僚各位、とりわけ内閣総理大臣安倍晋三様におかれましては、日本国並びに日本国民のために、日夜、並々ならぬご努力を尽くされていることに対し、深い敬意と感謝を申し上げます。
また、松井広島市長におかれましては、被爆地の首長として、我が国の平和と安全に、さらには世界の平和に向けての諸施策を推進されていることに対し、高く評価し、尊敬申し上げております。
さて、表題に記した「会」は、既に中国地方を代表する新聞社によって報道されました。しかし、私達は記事に接するまでこの事実を知らず、被爆者及び被爆二世等からなる団体の一つとして遺憾に思います。
元来、被爆者全体の意見を代表する存在そのものの無い中で、このような「会」が挙行されるのであれば、多様な意見をくみ取る場であるべきです。よって、私達も意見表明の機会を得られるべく、この要請書を提出致します。
次頁に記す本文をご覧下さい。
草々
平和と安全を求める被爆者たちの会 代表 秀 道弘(被爆二世)
同上 副代表 池中美平(被爆二世)
平成26年7月吉日
「私たちは、集団的自衛権の憲法解釈変更を支持します」
平成26年8月6日の「被爆者代表から要望を聞く会」に関する要請(本文)
平成26年8月6日の広島原爆忌の日に開催される頭記の会で、広島の被爆7団体の代表9人が、最近の政策決定である「集団的自衛権の行使容認」への反対意見を安倍総理に直接伝える、との報道が7月3日の地元紙に掲載されました。私達はこのような「会」が催されること自体をこの報道によって知りました。報道が事実であり、7団体の代表だけに意見聴取の招聘が既に行われたのだとすれば、この催しは大いなる虚構であると指摘致します。何故なら、多数の被爆者がこの7団体に意見を委ねたことは無く、彼等は一度として被爆者全体を代表する地位を与えられたことが無いからです。彼等が被爆者全体の代表を標榜するのは僭称に過ぎません。私達は彼等と異なる意見を持つ別の被爆者団体であり、この事実は秋葉前市長時代に広島市公文書(広国平第93号)でも認識されています。従って、私達の意見表明代表者等もまた憲法第15条に基づき、頭記の「会」に参加する権利を有しています。私達も招聘されるべきであり、そのようにお取り計らい下さるよう、強く要請致します。7団体の代表だけに、このような特権的扱いをなさるべきではありません。
現在の我が国が置かれた安全保障上の困難と、69年前の被爆体験とその後の諸要因によって形作られた被爆者個々人の心情に基づく感情の発露とは端的に言って関係がない、と私達は考えています。被爆経験自体がいかに悲惨だったとしても、それを根拠にして当時とは状況の一変した現在の問題への対処方策だけを代案無く掣肘することは、無責任ではないでしょうか。
尚、私達は、集団的及び個別的自衛権が、犯すことのできない自然権たる自衛権を構成する要素であり両者は不可分の一体である、という国際法上の公理を深く認識する者であって、集団的自衛権の行使に国内法の制約を加えることは逆に平和を危うくする、と主張します。
しかし、我が国の世界的にも独特な情念的考え方から推進された、マスコミ挙げての扇動的反対報道の中にあっても、限定的とは言え国際法の常識に向けて敢然と歩を進められた政府の実行力に敬意を表し、高く評価致します。今後なお一層の前進あらんことを強く希望致します。
次に広島市長に申し上げます。
今年の平和記念式典で発表される公式「広島平和宣言」において、集団的自衛権の行使容認に関する言及を予定されているとすれば、その言及の削除を要請します。私達がこのような要請をする理由は、次の通りです。
昨今の我が国における、特に広島における主要なマスコミはこの問題に関して国際法的な見方を排除し、我が国だけにしか通用しない独特の解釈や観念で形成された、言わば「世界から隔絶された秘境の論理」に基づいた報道姿勢を示しています。一方、国際の平和と安全を担う国連の「平和維持活動」は各国の共同行動つまり集団的自衛権の行使を当然の前提として成立しています。それは国連憲章の条文および総会決議、またノーベル平和賞に輝いたPKO活動で培われた慣習法で明白です。世界に向けて、核兵器の非人道性と永続的世界平和を呼びかける「平和宣言」に、現時点での我が国、あるいは中国地区の政治的風潮を反映させることは、国連等の平和維持方策と相反する恐れがあります。市長のご意志がどちらであろうと、世界に向けた平和宣言が地方的政治状況に左右されてよいはずはありません。以前の市長が、この禁忌に触れたことで、マスコミの一部からは大いに批判された過去をどうか思い起こして頂きたいのです。
以上
既存の被爆者団体とは違う、
新しい被爆者たちの会
「平和と安全を求める被爆者たちの会」
が設立されました!
そして、
「真の平和構築への活動」を
ここ広島からスタートします!
被爆者の方、二世三世の方、それ以外でも
趣旨にご賛同、ご協力いただける方、
地域を問わずどなたでも参加できます。
『はだしのゲン』許すまじ! これでも子供たちに読ませますか?
『はだしのゲン』の問題シーンを一挙公開した、産経新聞社発行『正論』平成25年11月号より転載させていただきます。
これでも子供たちに読ませることができますか?

平成25年 私たちの平和宣言を発表しました


8月6日 早朝慰霊参拝のご案内

北朝鮮の核戦力推進に関する声明 平成25年3月6日
平成25年2月12日、北朝鮮は3回目の核実験を強行した。 昨年末の長距離ミサイル実験と合わせ、北米大陸も射程に収める核戦力を保有したことになる。そして我が国全体は、既に、200機に上る中距離ミサイルの射程内にある。彼らがそれらミサイルへの核兵器搭載に向けて着実に進んでいることは、「我々は堂々たる核保有国である」と誇らしげに報じる姿勢からも明らかになった。あまつさえ、日本人を始めとする数十ヵ国の国民の拉致、住民の住む島への無差別砲撃、艦船の不意打ち撃沈、飛行中の旅客機の爆破などこれまで実行した暴挙の数々は枚挙に暇がない。しかも、これら犯罪行為を恬として恥じることはなかった。この理不尽な攻撃体質を持ったままで、彼らは太平洋を超える広範囲の諸国を核攻撃する能力を保有したのである。私達は北朝鮮のかかる行為を空前の怒りをもって非難し、現在の危険な状態を断じて容認しない。同時にこれは被爆国たる我が国における「核廃絶運動」の完全な敗北と、核拡散防止条約(NPT)の実質的失効を意味する。日本はこれより後、新たな核攻撃を受ける危険を深く心に刻まねばならない。危機は目前に迫っている。にもかかわらず、報道メディアの重用する所謂「反核平和団体」の活動は、当該国には何の影響も及ぼさない「非難」や「座り込み」などの既視感溢れるパフォーマンスを繰り返す一方、国際政治のリアリズムから沸き起こる我が国の合理的対処意見を逆に危険視して抑圧するという、本末転倒を行ってきた。私達は、そのような団体の行動や表明意見が、決して被爆者全体の統一意思ではなかったことをここで明確に指摘する。何故なら、戦後一度として全被爆者と子孫達の意思統一の図られた事実は無く、また、被爆者といえども当然に個別の意思を持っていたからである。その意思を断固表明する時が来た。
私達は昭和20年の原爆被爆者とその子孫、並びにその支援者である。そして、これまで抑圧されてきた側の意見を糾合して成立した集団である。
私達は同胞が三度目の核爆弾の犠牲になるのを何としても阻止したい。しかし、そのために「核廃絶」だけを虚空に向けて叫ぶのは無意味だと判定する。「平和の尊さ」だけを謳う「平和教育」は現実から目を背けさせるだけの暗愚の行為だと断じる。生々しい国際政治の現実を直視せずして、我が国の平和と安全は確保されない。我が国もその一員である国際社会には声援もあれば敵意も無関心もある。国際法が認める国際社会の意思として合法的効力のある国連安保理の決議を、我が国の世論やメディアが忠実に遵守して来なかった過去を思い起こすべきである。そうであれば、ご都合主義的「国際社会」頼みは自己矛盾でしかない。
その安保理とて、五大国はしきりに対立して効果的な行動は抑止されてきた。北朝鮮の核兵器は、昭和60年(1985年)、旧ソ連からの黒鉛減速原子炉の導入以来今日まで、飽くことなく続けられてきた。この間、「核開発疑惑」や「IAEAの翻弄」「我が国には核開発の意思も能力もない(金日成主席)」などの虚偽や欺きを繰り返しながら、遂に最終段階まで到達したのである。しかも、国内には多大な埋蔵量を持つウラン鉱山を保有するので、今後急速に核爆弾数を増加させるであろう。そして、これまでの核兵器能力向上の影には常にロシア、中国が居た。彼らが口先非難の一方で安保理の決議レベルを低下させることに注力しながら、周辺技術やノーハウを漏出させて北朝鮮の核兵器技術を向上させたのは明らかである。
昨年の軍事パレードに登場した中距離ミサイル運搬車両が中国製であったことが発覚した。両国の行為はNPT第一条に明確に違反している。しかし、これを阻止する手段がないのが、「国際社会」の現実である以上、我が国もNPT第10条を想起してでも、至急に核攻撃を予防する具体的方策を確立することを国政当局に求め、広島・長崎の行政当局がその要請を行うよう求めるものである。今なお国連安保理で北を擁護する姿勢を見せる隣国の行為を見つめながら以上要求する。
-平和と安全を求める被爆者たちの会-
日本政府が「平和的解決」を目指して韓国に奪われた竹島
8.6広報協力に啓上書を送りました 平成24年6月
啓 上 書
財団法人:広島市未来都市創造財団理事長 生田文雄様
(写)広島市長 松井一實様
8.6広島平和ミーティング実行委員会
平成24年6月13日
前略
貴財団に於かれては広島市民のために、諸施設の運用管理や学習・行事等の計画実行その他多くの施策遂行に邁進されておられることに、深く敬意を表するとともに、感謝申し上げます。
さて今般、前記実行委員会の開催する本年8月6日夕刻からの行事のチラシ広報に、貴財団からの御推薦を頂いたことを当委員会として高く評価いたします。またこのことについて深い感慨を覚えましたので、それを申し上げたいがために本書簡を認めました。
以降において私共の受けた過去の経緯と現在の感慨について若干記述致します。ご多忙中とは思いますが、御照覧賜れば幸甚に存じます。
草々
記
この行事は3年前の平成21年から開催され、開始当時、市長職に当たられていた秋葉忠利氏を始め「(財)広島市ひと・まちネットワーク」(以降、「ひと・まち」と略称)、諸マスコミ・メディア、在広諸団体を巻き込んでの「議論」が沸騰したのは御既承のことと存じます。
その余波もあり、一昨年は私共と広島市長及び「ひと・まち」との間に相当量の“質問”“回答”“抗議”などが書面にて取り交わされました。チラシ広報協力は拒絶されたままでしたが、これら書簡類の往復の中で以下に例示する市政上の問題点が明らかになりました。
1.開催の初年度に広島市長(当時)名にて、行事日程変更要請があったが、それは、某地方紙の記事中にあるわずか79文字の記載を唯一の根拠にして、それを行事招聘講演者の講演内容のすべてであると見なして行われたこと。そして、「市の行政思考と異なる」ことがチラシ広報協力拒否理由になった。これは、講演者に関して世上で流布された思想信条を問題視したことに外ならない。(思想信条による差別)
86広島平和報・第H240613-1号
2.一昨年の第二回行事において、市長定例記者会見の席上で「開催を今始めて聞いた」にも関わらず、主催者である私共の人格まで非難するかの如き論難が披瀝された。被爆者や被爆二世・三世も参加する当委員会に対して、講演者発言が予見できない段階で「被爆者の心情」を盾にして「論難」に及んだことは看過できなかった。文書にて問い質したが、回答は「発言は仮定に基づく」とのみで一言の釈明もなかった。(予断と偏見による不当な人格攻撃と、急所を突かれた時の不誠実な自己正当化)
3.「ひと・まち」は台本のない、また主催者も知らない講演内容を執拗に問い質し、私共が可能な範囲で回答をしたものの、チラシ広報協力は拒否された。理由は、前項2.の市長会見発言への斟酌と、前年の日程変更要請での市長見解、及び「主催者から内容について明確な回答がなかった」「講演内容は昨年と同趣旨と思われる」であった。さらに、講演者本人より質問と講演内容についての説明がなされたのに、それに対して前記と全く同じ文言で返答したのは滑稽極まる仕儀であった。
他方、拒否を目的とした執拗な問い質しが、憲法21条2項の「検閲の禁止」に抵触することを最高裁判例(昭51・12・12)を引いて説明し、また単に「思われる」ことを拒否理由にしたことが憲法19条の「思想及び良心の自由」の侵害に当たる旨の質問を行ったが、法問題への回答は避けながら「公開している協力要件(筆者注:営利事業、政党活動、宗教活動でないもの)は原則を示している」と、唐突な新解釈を示して拒否を正当化した。このことは非公開の闇基準が存在するのを自ら暴露したようなものである。(隠蔽された検閲の実行と思想差別、その結果として、憲法15条の公務員の本質にも違背する違法性の自白)
4.「ひと・まち」の広報協力拒否が、地方自治法244条の言う「施設利用の不当な差別
の禁止」に当たることを抗議書面で提出したところ、その回答が「チラシ広報協力は
施設利用ではなく、便宜供与であるから同条の適用外」とした。突然の用語の創作による歪曲的法令解釈の“正当な”根拠となる法源が示されることはなかった。これは、公表されている前項の協力要件を自ら否定して、今後とも恣意的な協力・非協力判断を遂行する、と公言したに等しい。
平成23年以降もなお、市の担当部局がこの用語を維持していることは、今後の運用の「不平等性」「違法性」「恣意的判断」の根を残しているものと感じられる。尚、昨年からの貴財団発足に際して、チラシ広報協力が業務から外され、ホームページも消滅したことは、「ひと・まち」の“意図”が知らぬ間に継承されている恐れも感じる。(違法性の糊塗と法の歪曲)
-結語-
時系列的に過去経緯をかいつまんで記載して見ると、「ひと・まち」では思想傾向により、あるいは時の市行政に忠実か批判的かにより、広島市民を分別・差別することが日常的に実行されていたと私共は受け止めました。しかも、個々の指摘に対してその都度、反射的に、都合良く、整合性を無視して、法令や基準の無視や歪曲と改竄とも思える行為を行ったことは、市民の権利より行政幹部の意向を忖度することを優先させることに汲々とした業務遂行態度ではなかったかと、私共は疑念を抱きました。
このような過去の経緯がありながら、貴財団が不当とも思える過去の形態を継承されることなく、昨年及び本年と連続して当委員会のチラシ広報申請を公開要綱のみを判断基準にされたことは、広島市がようやく本来の民主主義根本原理の復活と強化の道に立ち戻られつつあることを意味するものであり、慶賀とともに敬意を表する次第です。もとより、民主主義の理念と憲法と法の原理は、市民に公正・平等な扱いを求めているのであり、例え市長といえども個人的思想から財団への容喙は許されず、またマスコミ・メディア報道や特定団体の思考・主義・主張、あるいは時の表層的風潮に影響されることがあってはなりません。無論、貴財団の理事や評議員の方々に様々な意見のあることは当然のことであり、私共が協力申請したチラシ等表現物の内容に批判心理を持たれる場合のあることは容易に推測されることですが、それでも貴財団が要綱を唯一の基準にして公正な結論を出されたことを、当委員会は高く評価していることを再度申し上げます。
私共も、市内で開かれる様々な行事に批判的心情を覚える場合のあることは事実ですが、それら行事を案内するチラシ等が公正な公開原則に基づいて市施設に設置されている限り、許可判断への批判や対象物の排除を意図した行動に走ることはありません。私共のチラシ等の表現物が過去の「ひと・まち」から不当な扱いを受けた時期においてすら、私共は他者の言論表現の自由を尊重して参りました。その大前提での批判の表明は自由なのですが、昨年、私共が貴財団から許可されて設置したチラシを、講演者の過去発言と思想を理由にして市施設から排除することを議会で要求された議員のおられたことは、今なお広島の言論世界を覆う陰鬱な空気の存在を暗示するものではないでしょうか。このような中にあっても、貴財団が今後も毅然として市民に民主主義の根幹を示されることを心から祈念する次第であります。
以上
本啓上書は下記の者達を私共の代表者として公平を期して公開提出をいたします。何卒
御了解願います。
8.6広島平和ミーティング実行委員長 蓼 征成(被爆二世)
平和と安全を求める被爆者たちの会 代表 秀 道広(被爆二世)
同 副代表 池中美平(被爆二世)
同 事務局長 岩戸美孝(被爆二世)
沖宗広島市議への要請文
平成23年6月27日の広島市議会一般質問で沖宗正明議員(市政改革クラブ 安芸区)が「公民館にあってはならないものを見つけた。三たび広島の平和を疑うという講演会のチラシです」
「核武装論者の講演会チラシをわが広島の公民館におくとは何事か!」「いつ誰がいかなる理由で許可したのか」「前(秋葉)市長のときには絶対にありえなかった」そして、「要請文(以下に掲載)が届いた。圧力以外の何ものでもなかった。身の危険すら覚えた。空手を修行していて本当に良かった」などと発言されましたが、被爆者が被爆者健康手帳まで添えて訴えた要請だったことに触れられませんでした。
高齢の被爆者にはどうか「空手」を使われませんように。
医師からの投稿 医療現場を困惑させる被爆者
「原爆と関連のない疾患に罹病しても関連のある病気として病名を書いてほしい」と要求してくる・・・
当会に医師からの投稿がありました。承諾をいただいた上で公開させていただきます。この方は松井広島市長にこの内容を送られたそうです。(文意を変えずに掲載します) 手紙の内容はこちら
公開意見書を被爆者団体へ発送
平成23年6月20日付で 広島県被団協 坪井直理事長、広島県被団協 金子一士理事長、「黒い雨」原爆被害者の会連絡協議会 牧野一見事務局長 に宛てて公開意見書を発送いたしました。
6月17日付の中国新聞に掲載された、被爆者援護に関する松井市長のご発言を拝見しました。多くの広島市民の暮らしを守る行政の責任者として、極めて勇気ある適切な発言と思い、心から敬意を表する次第です。
被爆者ならびにその家族、関係者の受けた苦しみ、悲しみの大きさは量り知れませんが、だからといって、その人たちは無尽蔵に補償や援護を受けることができる筈はありません。被害に遭ったが故の様々な手当は受け取りながら、自分たちもまた広島市民、あるいは県民として、さらには他の様々な戦争の惨禍を受けた国民とともに我が国の発展のために働く気持ちは失ってはならないと思います。
新聞記事では、「国家補償を求めているのであり援護は施しでない」と書かれてありました。確かに援護は施しではありませんが、国家補償はどこから来るのでしょうか? 誰が国家を支え、補償の基となる財源を生み出すのでしょう? 被爆者は、原爆の被害者であるとともに広島の発展を担う市民でもあります。援護は、被爆者がより良く生きるために必要なものです。市長の発言は、そのために少しでも良い暮らし、誇り高い生き方ができているという点にも目を向けようという意味と受け取ります。
広島では、今回の記事に見られる市長発言にも見られるように、「平和」と「被爆者」を相対的に捉えようとするだけでも激しく反発され、それ以上の議論と思考を停止せざるを得ない雰囲気が長く続いてきたと思います。
市長におかれましては、今回の一部の被爆関係団体の関係者や、その他にも寄せられるであろう反対意見に屈されることなく、今後もどうぞ客観的で多角的な発言が自由になされるように、市政の舵取りをよろしくお願いいたします。
なお、この度の市長発言に抗議された、広島県被団協、「黒い雨」原爆被害者の会連絡協議会、宛に「公開意見書」を提出いたしました。(ページ上部よりリンク)
この会の設立を決意するに至りましたのは、昨年の日本会議広島の開催された、8月6日の「ヒロシマの平和を疑う!」田母神俊雄氏講演会でした。
市長を初めとする様々な講演妨害のある中で、被爆二世や関係者から多くの激励のあったことから、この講演に賛同し激励する、これまで沈黙を続けていた被爆関係者が多数居ることを知りました。
ある決意を持った被爆関係者はまず、日本会議広島の人々に相談しました。
そしてそこにも多くの被爆関係者が集っていることを知りました。
その時より、協議を重ね、このたびこの会を発足する運びとなりました。
この会の設立にあたり、日本会議広島に多大なるご支援をいただいたことに心より感謝致します。
今はまだ、資金的にも乏しく、活動拠点は日本会議広島の事務所に間借りする身ではありますが、かならずや、会員は拡大し、独立する日の近いことを感じます。
私達と日本会議広島とは必ずしも、すべてに意見や考えが共通するものではありませんが、共同、協調して共に発展していくことを希望してやみません。
「平和と安全を求める被爆者たちの会」事務局
平成22年の出来事です。
事務局 広島市安佐南区川内4-11-18 〒731-0102