2003年8月28日に、宅間守(当時39歳)は一審・大阪地方裁判所で死刑判決を受けました。池田小学校での殺傷事件から2年と3ヵ月で、死刑判決が確定しました。
それまでの宅間の弁護団の公判における方針は、宅間が死刑判決を望んでいたこともあって、減刑を求めることよりも、動機の真実を明らかにすることと、宅間に謝罪表明させることでした。そのため、宅間の証言では、減刑を得るためのおざなりの反省の言葉などはなく、彼の本音が語られていました。私の傍聴した公判では、毎回、宅間は饒舌でした。生い立ちの理不尽さ、父親、母親への批判、他者への共感を持てないことも語りました。自分の愚かさや、運の悪さを語るときは興奮気味でとめどなく言葉を発していました。
それなのに、宅間は公判でも手記でも、自分を苦しめていた本当の感情を言葉にしたことはありませんでした。快、不快の感覚はくり返し表現するが、関係性における悲しみや、寂しさや、喜びなどの感情については、弁護人からの質問があっても、答えることができなかったのです。
「むしゃくしゃする」気持ちとは何だったのか、その感情に向き合うことなくして、宅間が被害者や遺族の苦しみに共感することも、したがって謝罪することもありえません。
被告人最終証言の第22回公判において、検事も弁護士も裁判官も、反省の気持ちはないのかと宅間にくり返し謝罪を求めました。しかし、検察官が「判決が出る前に、遺族に謝罪する気はないのか?」と問うと、しばらく沈黙した後、おもむろに語気を強めて「それを聞いてワシが心臓バクバクしてるとでも思っとるのか!」と怒鳴り敵意をむき出しにして声を荒げました。強さを誇示する男らしさの虚像が唯一の寄りすがる自我であるかのようでした。
本当の謝罪は、自らの怒りの仮面の下に隠れている悲しみと喪失を感じることからしか始まりません。
「遺族に謝りなさい」という弁護人たちの願いが届くためには、まず、「あなたの心の奥底で、怖くて、寂しくて、声を出さずに泣いている小さな少年を何十年間も無視し続けてきたことに謝りなさい」という働きかけが必要です。自分への怒りを他者攻撃行動で発散する「怒りの仮面」の裏側をのぞき込み、そこで今も父からの体罰におびえている少年に共感し涙を流して寄り添えたとき、彼の中に他者への共感が生まれます。その作業には勇気がいる。傷口のまわりに巻きつけた包帯とガーゼを剝ぐ勇気がいる。痛みを痛いと感じる勇気がいる。
しかし、私たちの社会は、男子、男性のそのような努力を勇気ある行動とは見なしません。身体の痛みならともかく、心の痛みを訴えるなぞ、「女々しい」行為で、「強い男」のすることではないのです。むしろ心の痛みなど無視して、感じないことが勇気だと信じられています。
宅間は子ども時代から父親からの折檻の痛みや恐怖に対処するために、自分の感情を鈍磨させて生きました。「むしゃくしゃ」という表現以外に自分の感情に名前をつける言葉を持たないのはそのためです。
男たちが悲しみを、寂しさを、恐れを感じる心を否定しなければならない社会は、危険です。
*この文は『ジェンダーと暴力・宅間守公判傍聴記録』(「森田ゆり個人通信・エンパワメントの窓」2002〜08年に初出)を大幅に短縮後『体罰と戦争』の4章に掲載したものからの抜粋引用です。