怖い、寂しい、自分に自信がないなどの気持ちを男子が口にすることを「女々しい」と嫌う男らしさの価値観は、体罰を受けたり、いじめられたりすることで生じる錯綜する感情を否認し、抑圧します。「男だったら泣き言を言うな」「女々しい奴」といった慣用句に表される男らしさを美化する社会の通念を、武士の血筋であることを誇りに思い、木刀で息子に懲罰を加えていた父親が体現していたことは想像に難くありません。
強いことが期待され、苦しさ、悲しさ、寂しさ、自信のなさ、などの本音を口にすれば殴られるかもしれない環境に育った宅間は、怒りの背後にある「やわな感情」とでも呼ぶべき気持ちを表現することを許されなかったでしょう。
しかし、「男は強く、女は優しく」を信奉する社会が男性、男子に表現を許している感情がひとつだけあります。怒りです。悲しさ、寂しさ、怖さを口にすることは女々しいが、怒りを表現することは雄々しいのです。
仮面の裏の「やわな感情」を刺激された男たちは、それを怒りとして表出します。自分の自信のなさ、寂しさ、不安、怖さ、見捨てられ不安などを彼らはすべて怒りとして感じます。本当は自分がもたらした自分自身への怒りなのですが、自分の錯綜する感情を認めることも、見つめることもしてこなかった彼は、身近にいる者が自分の怒りを誘発したとしか思えないわけです。
むしゃくしゃした感情のうっぷん晴らしに宅間が最も頻繁にした攻撃行動が強姦、痴漢などの性暴力でした。しかし、小さなうっぷん晴らしの攻撃行動をして一生を過ごすのも「めんどうくさくなって」大きな攻撃行動が必要になり、大量殺人を考え実行したというのが、宅間が公判で述べた説明でした。
宅間の頭の中には大量殺人や大量強姦の幻想が渦巻いていました。暴行の数の多さが男の強さの誇示になると思っていたようです。彼は、まるでビデオゲームで敵を1人でも多く倒すことで満足する単純なパワー信仰を持っていました。それは支配の快感とでも呼べるものです。
人の優位に立つこと、とりわけ女の優位に立つことが男の証であると信じている宅間は、結婚相手、婚約相手を暴力で支配することに多大なエネルギーを注ぎました。最も執着した3番目の妻との離婚をくつがえすことが不可能だとわかったとき、彼女を殺すことを考え始めます。殺人は、もはや自分の下につなぎとめることができない妻を支配し、所有する残された唯一の方法です。興信所を使って妻の職場を探すが見つからず、殺すことが難しいとわかると、ひどい抑うつ状態に陥りました。
ここまではドメスティック・バイオレンスの加害者によく見られる心理と行動です。しかし、宅間はアクセスできない妻を殺す代わりに、大量殺人の方法を夢想することで抑うつから抜け出します。大量殺人によって殺人者は被害者を支配するにとどまらず、その死を悲しみ嘆く家族や友人など多数の人々の支配者になることができるのです。
宅間守の手記の便箋の余白には、いくつもの男性性器のイラストが書かれています。刑務所の中で手記を書きながらも彼は性衝動をエネルギー源にして、言葉による他者攻撃を展開したようです。
性暴力とは、加害者の抑えきれない生理的性衝動が引き起こす行動ではなく、他者を支配することへの心理的欲求行動です。誰かを貶めて自分の有力感を得たい、相手に強いという印象を与え、抑うつ気分を払拭したい、自分自身への怒りを発散させたい、そのために彼らは性器を武器として相手を力でコントロールするのです。