未成年者の安全を心配する人たちが、未成年者に被害を及ぼすかもしれない人物の、根拠の示されない「我々は危険ではない、我々は誠実に話をする」という主張を信じられる/信じるべきだ/信じても良いと、なぜ考えるのでしょうか。
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未成年者の安全を心配する人たちが、未成年者に被害を及ぼすかもしれない人物の、根拠の示されない「我々は危険ではない、我々は誠実に話をする」という主張を信じられる/信じるべきだ/信じても良いと、なぜ考えるのでしょうか。
SNSで大人が未成年者に近づき、加害するケースは後を絶ちません。そのような中、大人が未成年者に近づき(オフラインで関わることがなくてもです)、未成年者が何らかの被害をこうむる可能性があると思われる場合に、それを見ている大人たちがやるべきことは、
「きっと危険はないだろう」「本人が大丈夫だと言っているのだから大丈夫だろう」と楽観視することではありません。 信用に足る根拠を示さず、未成年者の安全に関してただ楽観視を求めるのであれば、他のケースにも根拠なく楽観視を求めることになり、結果的に犯罪を容易にさせると思います。
それでも「我々は安全だから安全なのだ」という主張だけで、批判者がそれを信用しないことを非難するのであれば、危険か軽率かどちらかであり、どちらにしてもそのような人物の配信企画に未成年者が参加するのはリスクが高いという結論になり、やはりやめるべきだと思われます。