銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第10話:英雄の舞台裏 宇宙暦791年10月2日~10月下旬 フォンコート宇宙軍基地

 ラウロ・オッタヴィアーニ国防委員長、宇宙艦隊司令長官シモン・アンブリス宇宙軍大将らは、一〇月二日に国防委員会庁舎で記者会見を開き、反攻作戦「自由の夜明け」の実施を発表した。宇宙軍主力の宇宙艦隊の半数にあたる六個艦隊、地上軍主力の地上総軍の半数にあたる四個地上軍という大戦力を動員し、エルゴン星系からイゼルローン回廊に至る宙域の奪還を目指す。

 

 遠征軍総司令部は、第七方面軍司令部のある惑星シャンプールに置かれる。宇宙艦隊司令長官シモン・アンブリス宇宙軍大将が総司令官に就任し、宇宙艦隊総参謀長レナート・ヴァシリーシン宇宙軍中将が総参謀長となり、中央兵站総軍司令官シンクレア・セレブレッゼ宇宙軍中将が後方支援を統括する。

 

 エルゴン星系からイゼルローン回廊に向かう航路には、ドラゴニア星系を経由するドラゴニア航路とパランティア星系を経由するパランティア航路がある。遠征軍実戦部隊は、ドラゴニア航路を攻略するドラゴニア方面軍とパランティア航路を担当するエル・ファシル方面軍に二分され、二方向からイゼルローン回廊へと向かう。

 

 ドラゴニア方面軍には、第二艦隊・第八艦隊・第一〇艦隊の三個艦隊四万〇二〇〇隻、第三地上軍・第七地上軍の二個地上軍二〇三万人が配属される。宇宙艦隊副司令長官と第二艦隊司令官を兼ねるシドニー・シトレ宇宙軍大将が方面軍司令官及び宇宙部隊司令官、第三地上軍司令官レミジオ・ジョルダーノ地上軍中将が方面軍副司令官及び地上部隊司令官、第二艦隊参謀長ネイサン・クブルスリー宇宙軍少将が方面軍参謀長を務める。

 

 エル・ファシル方面軍には、第三艦隊・第五艦隊・第一二艦隊の三個艦隊三万九六〇〇隻、第四地上軍・第五地上軍の二個地上軍二〇八万人が配属される。宇宙艦隊副司令長官と第三艦隊司令官を兼ねるラザール・ロボス宇宙軍大将が方面軍司令官及び宇宙部隊司令官、第四地上軍司令官ケネス・ペイン地上軍中将が方面軍副司令官及び地上部隊司令官、第三艦隊参謀長イアン・ホーウッド宇宙軍少将が方面軍参謀長を務める。

 

 また、第一四方面軍と第二二方面軍が側面から支援攻撃を行い、回廊出口付近の勢力混在地域にある同盟軍基地の支援、イゼルローン要塞とドラゴニア方面及びパランティア方面の連絡路妨害を行う。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 作戦の概要、遠征軍の陣容などが発表された後、エル・ファシル方面軍司令官ロボス大将がマイクを握る。

 

「皆さんは三年前にエル・ファシルを脱出した三〇〇万人の市民を覚えておいででしょうか? 彼らは自らの手で故郷を取り戻すべく立ち上がり、義勇部隊を結成しました。その名はエル・ファシル義勇旅団!」

 

 エル・ファシル義勇旅団の名を口にしたロボス大将は、一旦言葉を切った。会場は静まり返り、報道陣は固唾を呑んで次の言葉を待つ。しばしの沈黙の後、ロボス大将は再び口を開いた。

 

「エル・ファシル義勇旅団に結集した市民五一四八名が選んだ指導者は、エル・ファシルの英雄エリヤ・フィリップス義勇軍大佐! 三年前に奇跡を起こした若き英雄が、再びエル・ファシルに降り立つのです!」

 

 会見場の片隅にいた俺にスポットライトが当たる。報道陣は静まり返ったままだったが、みんな顔を紅潮させ、秒を追うごとに会場の気温が上昇していく。

 

「エリヤ・フィリップスを補佐するのは、愛国者マリエット・ブーブリル義勇軍中佐! 味方の命を救うために戦った『戦場の白い天使』が、今度は故郷を取り戻す戦いに身を投じました!」

 

 今度は俺の隣にいたブーブリル副旅団長にスポットライトが当たった。ネイビーブラックのスーツを身にまとった清楚な美人の登場に、会場の興奮はさらに高まる。

 

「エル・ファシル義勇旅団は、数で言えば一個旅団に過ぎません。しかし、戦いは数で決まるものではないということを、歴史は教えてくれます。六四〇年のダゴン、六九六年のシャンダルーア、七二八年のフォルセティ、七四二年のドラゴニアにおける偉大な勝利は、敵より少ない兵力で成し遂げられました。真に戦いを決するのは、精神の力であります、西暦時代の用兵家ナポレオン・ボナパルトは、『精神の力は物量に三倍する』と語りました。これは古今東西に共通する不変の戦理です」

 

 ロボス大将の低い声は荘重な響きをもって会場に轟き渡る。みんな興奮しているのに、一言も声を発しようとしない。

 

「エル・ファシル義勇旅団には、故郷を取り戻したいという情熱があります。その精神力は督戦隊に脅されて仕方なく戦う敵兵の一〇〇倍、いや一〇〇〇倍に匹敵します。エル・ファシル義勇旅団は、必ずや敵を打ち破るでしょう。エル・ファシル奪還作戦の主役は彼らです。我々エル・ファシル方面軍はその手助けをいたします。義勇旅団の戦いに皆様の応援をいただけるよう、お願い申し上げます」

 

 スピーチが終わると同時に、会場は割れるような拍手に包まれた。これが軍人の記者会見なのかと思ってしまう。まるで政治家の演説会ではないか。いや、政治家でもこんなに演説がうまい人は少ない。

 

 前の世界でも、同盟末期の最高指導者トリューニヒト、八月党のアッテンボロー、バーラト立憲フォーラムのシャノン、臣民党のトゥルナイゼンと並ぶのではないか。後世では愚将の一言で片付けられたロボスの知られざる側面を見る思いがする。

 

 再び俺にスポットライトが当たり、マイクが手渡された。記者会見で喋るなんて三年ぶりだ。覚悟はしていたはずなのに、緊張で体が固まる。司会者に発言を促されて重い口を開いた。

 

「義勇旅団長に就任したエリヤ・フィリップス大佐です。エル・ファシルの皆様と一緒に戦う機会をいただけて有難いと思うと同時に、五一四八名の命を預かる責任を痛感しております。今年の七月に幹部候補生養成所を出たばかりで、まだまだ未熟な私ですが、皆様の期待に背かないよう全力で取り組む所存です」

 

 スピーチライターが書いた原稿通りに喋り、最後にペコリと頭を下げた。再び会場は拍手に包まれる。俺は世間から忘れられた存在で、スピーチも独創性に欠ける優等生的な内容なのに、どうしてこんなに盛り上がるのか。少し戸惑いを覚える。

 

 俺の次はブーブリル副旅団長にスポットライトが当たった。彼女はマイクを受け取ろうとせず、左手で右肩を触る。やがてカチッという音が聞こえ、右手の義手が外れた。

 

 ブーブリル副旅団長は何も言わずに、スーツの右袖から義手を抜き取った。そして、優しげな微笑を浮かべながら、左手で義手を高々と掲げる。会場に集まった人々が唖然とする中、息の詰まるような時間が流れた。しばらくしてブーブリル副旅団長は義手を下ろし、マイクに持ち替える。

 

「皆さん、はじめまして。副旅団長のマリエット・ブーブリル義勇軍中佐です。兵役時代は陸戦隊の看護師となり、戦場で右腕と右足を失い、除隊後は故郷のエル・ファシルで就職いたしました。結婚して三人の子供にも恵まれております。腕と足を失ってから一一年が過ぎましたが、不自由だと感じたことは一度もありません。義肢に付け替えれば、仕事も子育てもできるのですから」

 

 微笑を浮かべたまま自己紹介するブーブリル副旅団長に、会場はすっかり圧倒されてしまっている。

 

「私達エル・ファシル人は、三年前に故郷を奪われました。エル・ファシルが専制政治の支配下にあるかぎり、永久に避難生活を続けることになるでしょう。故郷は手足と違って付け替えることはできないのです」

 

 涙を浮かべることも叫ぶことも、ブーブリル副旅団長はしなかった。繊細な美貌に微笑みを浮かべながら、淡々と語り続ける。抑制されているからこそ、聞く者の心に深く刻み込まれていく。

 

「仮設住宅で故郷を懐かしむより、故郷を取り返すために死にたいと思い、私達は立ち上がりました。エル・ファシル義勇旅団に皆様の力をお貸しください」

 

 ブーブリル副旅団長が深々と頭を下げると同時に、会見場を拍手の大波が飲み込んだ。俺も手が痛くなるぐらい力を入れて拍手した。エル・ファシルを取り戻すために戦いたい。そんな気持ちがどんどん膨らむ。

 

 記者会見は大成功に終わった。夕方のニュース番組は、エル・ファシル義勇旅団について大きく報じ、エル・ファシル奪還作戦を聖戦と呼んだ。

 

 

 

 会見翌日から義勇旅団長としての仕事が始まった。テレビ番組に出演し、新聞や雑誌の取材を受け、パーティーに出席した。要するに広報活動である。

 

「広報活動ばかりじゃないですか。部隊を指導する時間が取れないですよ」

 

 俺のスケジュール表には、広報活動の予定がぎっしり詰まっている。スケジュールを作った義勇旅団首席幕僚ビロライネン義勇軍中佐は、柔らかさのかけらもない表情になる。

 

「エル・ファシル義勇旅団は、避難民が自主的に結成した義勇部隊の集合体。大隊単位や中隊単位での部隊単位の訓練は、数か月前から始まっています。あなたが心配なさらずとも、部隊運営に問題はありません。旅団長たるあなたは、義勇部隊の盟主のようなもの。しばらくは部隊の顔としての仕事に専念なさってください」

「でも、俺はみんなに選ばれた指揮官です。部隊を放ったらかしにして、外に出るわけにはいきません」

「部下を信じるのも指揮官の仕事。下手に動きまわっては威厳を損ないます」

「はい。わかりました」

「あと、私には敬語を使わないように。人に聞かれたらどうするのですか? あなたは私の上官なのですぞ?」

 

 ビロライネン首席幕僚の鋭い目がじろりと俺を見据える。

 

「でも、何かやりにくく感じるんですよね。階級も年齢も実績もすべてあなたの方が上じゃないですか」

 

 曖昧な笑みを浮かべながら答える。自分よりずっと貫禄がある首席幕僚を前にすると、気の小さい俺は本能的に遜ってしまうのだ。

 

「義勇軍ではあなたが大佐、私は中佐です」

「それはそうですが……」

 

 言葉に詰まった。義勇旅団が結成された時に、俺は義勇軍大佐、ビロライネン首席幕僚は義勇軍中佐の階級を得た。だが、義勇軍の階級など一時的なものに過ぎない。三〇歳の正規軍大佐を部下扱いするなんて、任官して間もない少尉の俺には無理だ。

 

「上下の区別はしっかりしていただきたい。威厳が損なわれますぞ」

 

 ビロライネン首席幕僚は俺をじろりと睨み、目で「そんなことも分からないのか」と語る。損なわれるような威厳なんて俺にはもともと無いが、それは怖くて口に出せなかった。

 

 怖い首席幕僚から逃げるようにスケジュール表を見る。一〇時から国防委員会の行事に出席し、正午からオッタヴィアーニ国防委員長と昼食を共にし、一三時から一四時三〇分までは女性誌のインタビューを受ける。これは問題ない。しかし、一五時から二〇時までずっとブーブリル副旅団長と一緒だ。あっという間に気分がどん底まで落ち込む。

 

「またあのチビと一緒なの!?」

 

 廊下から毒々しい声が聞こえてきた。ブーブリル副旅団長だ。体中の血液が恐怖で凍りつく。

 

「困ったものだ……」

 

 ビロライネン首席幕僚が苦々しげに呟き、部屋から出て行った。これから何が起きるかは火を見るよりも明らかだ。頭が痛くなる。

 

「副旅団長!」

 

 開け放しのドアから、ビロライネン首席幕僚がブーブリル副旅団長を呼び止めるのが聞こえた。

 

「なに!?」

 

 ブーブリル副旅団長はトゲだらけの声で応じる。だが、ビロライネン首席幕僚は怯まない。

 

「人前では言葉を慎んでいただけませんか? 副旅団長が公然とそんなことをおっしゃったら、上下のけじめがつかなくなります」

「チビをチビと言って何が悪いの!? 私に嘘をつけって言うつもり!?」

「フィリップス旅団長はあなたの上官です。相応の敬意を払うべきでしょう。軍隊におられたあなたには、説明するまでもないと思いますが」

「上官づらするにも資格ってもんがあるでしょ!? 子供みたいなチビを上官と呼べなんて、冗談はほどほどにしなさいよ!」

 

 ドアの外では、荒れ狂うブーブリル副旅団長と冷水をかけるビロライネン首席幕僚の争いが続いている。気の小さい旅団長は二人の視界に入るのが怖くて、ドアを閉めに行けなかった。

 

 美貌の副旅団長と一緒に広報活動をやると最初に聞かされた時は、心の中で歓声をあげた。しかし、彼女は清楚な外見からは想像もつかないほどに気性が激しく、華奢な体のどこにそんなパワーがあるのかと思えるほどに良く怒り、形の良い唇からはきつい言葉がぽんぽん飛び出してくる。陸戦隊は荒っぽい人が多いと評判だが、まさか看護師まで荒っぽいとは思わなかった。しかも軍歴もあちらの方がはるかに上だ。

 

 恐れをなした俺は、ブーブリル副旅団長を怒らせないように心がけた。そこがかえって怒りに触れてしまったらしい。また、強い酒をストレートでグイグイ飲む酒豪の彼女から見れば、童顔で甘党の俺は子供同然のようだった。今では俺を「あのチビ」と呼んで、完全に見下している。

 

 エル・ファシル義勇旅団の公式サイトでは、俺とブーブリル副旅団長は親友同然の仲という設定だ。トップページには、「今日の旅団長と副旅団長」と題されたツーショット写真が毎日更新で掲載され、マスコミの前では設定通りの仲良しアピールを求められる。それがまた俺達の関係をこじれさせた。

 

「今日のミセス・ブーブリルは一段と清らかであった」

 

 そんな呑気なことを言ってるのは、俺が士官になるきっかけを作ってくれたエーベルト・クリスチアン地上軍少佐だった。顔を合わせる機会はないが、たまに携帯端末やテレビ電話で会話をする仲である。

 

「ミセス・ブーブリルが光り輝いているのは、愛国心ゆえなのだ。貴官も見習わねばならんぞ」

 

 通信画面のクリスチアン少佐は、感に堪えないといった顔をしていた。勇気と愛国心を基準に他人を評価する彼から見れば、戦場の勇士にして三児の母であるブーブリル副旅団長は、容姿に関係なく素晴らしい女性なのだ。

 

「は、はい!」

「愛国者は兵士であると同時に親でなければならん。国家のために良い子供を育てるのも市民の義務だからな。小官は二三歳の時に結婚した。貴官も今年で二三歳だ。そろそろ結婚を考えても良かろう」

 

 リベラル派が聞いたら怒り出しそうな人生観を、クリスチアン少佐が語る。

 

「それはそうなんですが、相手がいないんですよ」

 

 決してごまかしているわけではない。この世界にやってきた時から、ずっと幸せな家庭を作る夢を持っていた。俺の両親が結婚したのは、父が二二歳、母が二一歳の時だ。同年代の者も三人に一人はとっくに結婚してる。結婚したい気持ちはあるのだ。

 

「貴官ならその気になればすぐ見つかるだろう」

「付き合えれば誰でもいいというわけにはいきませんよ。結婚は一生の問題ですから」

「慎重なのは良いが、婚期を逃してはならんぞ」

「気をつけます」

 

 綺麗事でごまかした。本当は誰でもいいのだが、残念なことに俺と付き合いたいと言う女性はいないのだ。

 

「まあ、今は戦いに集中すべき時だ。貴官とミセス・ブーブリルが力を合わせて戦えば、専制国家の軍隊などたやすく蹴散らせるであろう。期待しているぞ」

「頑張ります……」

 

 俺は曖昧に返事した。あえてクリスチアン少佐の中のブーブリル像を壊す気は無かったが、追従する気も無かった。

 

「まあ、あのおばさんは最終兵器だからねえ」

 

 ブーブリル副旅団長を「おばさん」と呼ぶのは、彼女より実年齢では三歳若く、外見年齢はだいぶ上に見えるイレーシュ・マーリア宇宙軍少佐だった。反攻作戦の準備で忙しいにも関わらず、こまめに通信を入れてくれる。

 

「最終兵器ですか?」

「清純そうな外見、輝かしい戦歴、看護師、三児の母。年齢も三〇過ぎてるでしょ? 保守的なおじさんやおばさんに受ける要素を全部持ってるよね。ロボス提督と一緒に義勇旅団を支援してるオッタヴィアーニ国防委員長は、国民平和会議でも特に保守寄りでしょ? 支持者受けする人材を選んだのよ」

「ああ、なるほど。美人とはいえ、三〇過ぎの既婚者を起用する理由がようやく分かりました」

 

 さすがはイレーシュ少佐だ。美人だが若者受けが悪そうなブーブリル副旅団長が起用された理由を、馬鹿な俺にもわかりやすく教えてくれた。要するに保守的な中高年の男女に支持されるキャラクターらしい。

 

「で、女性向けの最終兵器が君。童顔だけど美男子ではない。細身だけどひ弱ではない。優等生だけど単純そう。体育会系だけど汗臭くない。アイドルなんかよりも身近な感じがする。人気の出る要素を全部持ってる」

「俺はそんなキャラじゃ……」

「そんなキャラなんだよ、君は」

 

 イレーシュ少佐は俺の反論をぴしゃりとはねつけた。

 

「もともとはブーブリルおばさんが義勇旅団の旅団長になる予定だったそうよ。だけど、あのキャラクターなら保守層以外には受けない。もともとの知名度も低すぎる。そんな理由で反対意見が出て、義勇旅団プロジェクトは中止になるところだったの。知名度のある君に旅団長を替えて、やっと予算がおりたんだって」

「ほ、本当ですか!?」

 

 思いっきり目を丸くした。そんな話は初耳だった。ロボス大将は「志願者が君を選んだ」と言ったではないか。

 

「オリンピアから流れてきた話だよ。それも複数のルートからね」

 

 イレーシュ少佐はオリンピアの名前を口にした。ハイネセンポリス都心部から一〇〇キロほど離れたオリンピア市には、統合作戦本部、宇宙艦隊総司令部、地上軍総監部、後方勤務本部を始めとする同盟軍の中枢機関が立ち並び、軍中央の代名詞だった。

 

「オリンピアなんかに知り合いがいらっしゃるんですか?」

「一応士官学校出てるからね。仲の良かった同期の何人かは、オリンピアに勤めてんのよ」

「そういうことでしたか」

 

 あまりに気安い関係なのでつい忘れてしまいがちだが、イレーシュ少佐は士官学校を卒業したエリートで、同期には将官もいる。オリンピアに知り合いがまったくいない方がおかしい。

 

 それにしてもうんざりする話だ。ブーブリル副旅団長が俺を嫌うのも当然じゃないか。自他ともに認める勇士なのに、知名度が低いというだけの理由で、実戦経験皆無の若造に旅団長の座を奪われたのだから。

 

「ブーブリルおばさんにはちょっと同情してたのよ。エリヤ君に意地悪してるって聞いて、そんな気持ちもきれいさっぱり消え失せたけどさ」

 

 イレーシュ少佐の青い瞳に、怒りの色がうっすらと浮かぶ。面倒くさいことになりそうだと判断した俺は、なだめにかかった。

 

「あ、いや、同情はしててください。あの人が不運なのは事実ですから。みんなに選ばれて旅団長になったのに偉い人の都合で替えられたら、俺だって腹が立ちますよ」

 

 思いきり嘘をついた。俺ならたぶん素直に受け入れる。まあ、これは方便だ。

 

「嘘でしょ」

 

 三秒で見抜かれた。しかし、今さら後にも引けない。聞かなかったことにして会話を続ける。

 

「……で、でも、エル・ファシルの英雄ならヤン・ウェンリー少佐がいるじゃないですか! どうして俺が旅団長になったんです!?」

「派閥の問題。ロボス提督とシトレ提督は次期宇宙艦隊司令長官の座を争うライバル。そして、ヤン少佐はシトレ提督の愛弟子。だから、絶対にヤン少佐を旅団長にはできない。一方、君の恩人のワドハニ提督は、ロボス提督と同じ派閥の仲間だった。君の手柄はロボス派の手柄になるわけ」

「もしかして、俺はロボス提督の派閥ってことになってるんですか?」

「一応はそうなるのかなあ」

 

 イレーシュ少佐は細い顎に手を当てて、いかにも言いにくそうに答えた。

 

「なんか嫌ですね。自分の知らないところで勝手に動いてるみたいで」

「組織なんてそんなもんよ。この私もシロン出身ってだけの理由で、アンブリス派扱いされてんだから。私が生まれた本星とアンブリス提督が生まれた第二衛星じゃ、ほとんど別の星みたいなもんなのに」

「理不尽ですね」

「そんな悪いことばかりじゃないよ。派閥の傘に入ってれば、いろいろ面倒見てもらえるから。まあ、私はシロン・グループの偉い人には全然相手にされてないけど」

「俺みたいな末端の補給士官には、派閥なんて関係ないですよ。偉い人の目にとまる機会なんて無いんだから。今回は特別です」

 

 ため息をつかずにはいられない。ロボス大将とシトレ大将のライバル関係、シトレ大将とヤン少佐の師弟関係はやり直す前に読んだ戦記にも書かれていたが、それが自分の運命に影響を及ぼすなんて思わなかった。しかも、戦記ではまったく言及されていなかったエル・ファシル義勇旅団なんてものにも関わっている。

 

 やり直しただけで思い通りになるほど、人生は甘くないらしい。前の世界で手に入らなかった幸福を手に入れたいだけなのに、どうしてこうも面倒ばかりが起きるのだろうか? マフィンを食べて糖分を補給し、心を落ち着かせた。

 

 

 

 世論は俺に前線での活躍を期待した。しかし、戦斧や銃が上手なだけでは、歩兵に混じって戦うことはできない。そこで広報活動の合間に戦闘訓練を受けて、偽装や匍匐前進といった歩兵の戦闘技術を習うことになった。

 

 指導教官のパオラ・ピアッツィ宇宙軍少尉は、女性には珍しい陸戦隊員である。身長は俺より七センチか八センチほど高く、肉体の幅と厚みは二回りほども大きい。髪を陸戦隊風に刈り上げていて、眉を剃り落とした顔は威圧感たっぷりだ。声はドスのきいた低音。陸戦隊の荒くれ男に混じってもなんら違和感のない風貌を持つ彼女は、俺を容赦なく鍛え上げた。

 

 俺は体を動かすのが本当に好きらしい。戦闘訓練はいいストレス発散になった。汗を流すたびに心が軽くなっていくような気がする。

 

 現在仮住まいしているフォンコート宇宙軍基地には、二四時間使える士官用のトレーニングルームがある。早寝して早朝に起きてから、白兵戦技や射撃の自主練習をした。

 

「なかなか伸びないなあ。フォームは間違ってないはずなんだけど。利き手じゃない手での片手撃ちは難しいか」

 

 誰もいない早朝のトレーニングルームでため息をついた。ハンドブラスターの左手片手撃ちのスコアがここ数日伸び悩んでいる。

 

 同盟軍陸戦隊の隊員は、左右両方の手でハンドブラスターを片手撃ちできるように訓練される。両手撃ちと右手撃ちしかできなければ、遮蔽物の左側から現れた敵相手には不利になり、数メートルの間合いで戦う近接戦闘では命取りだ。実戦に出る前に何としても完全にマスターしなければならない。

 

「練習あるのみか」

 

 マフィンを口に食べて糖分を補給した後、もう一度的に向けて練習用ブラスターを構える。

 

「あ、待ってください」

 

 狙いを定めて引き金に指をかけた瞬間、背後から声をかけられた。フォンコート宇宙軍基地広しといえど、こんなに澄んだ声の持ち主は一人しかいない。義勇軍少尉の階級を与えられた旅団長補佐アンドリュー・フォーク宇宙軍中尉だ。

 

「フォーク中尉、いや少尉。どうした?」

「引き金はひかないでください。そのまま構えたままで」

「わかった」

 

 何をしたいのかわからなかったが、指示に従うことにした。フォーク旅団長補佐は立ったり屈んだり、近づいたり離れたりしながら、色んな角度から俺を見る。

 

「ああ、なるほど!」

 

 フォーク旅団長補佐は立ち上がってぽんと手を叩いた。

 

「わかりました! 左足です!」

「左足?」

「はい、左足が指一本分ほど前に出ています。おかげで体全体が少し右に傾いてしまっているんです」

「どうすればいい?」

「少し調整しますね」

 

 そう言うと、フォーク旅団長補佐は、俺の左足のつま先に右手、踵に左手を当てて挟んだ。そして、少しずつずらしていく。

 

「これで引き金を引いてみていただけますか?」

「引けばいいんだな?」

 

 半信半疑でハンドブラスターの引き金を引くと、光線は見事に的のど真ん中を貫いた。

 

「フォーク少尉! ど真ん中行ったぞ!」

 

 興奮した俺はフォーク旅団長補佐の方を向いて叫んだ。

 

「そのまま続けてください」

「あ、ああ! そうしよう!」

 

 何度も何度も引き金を引いた。ハンドブラスターから放たれた光線は、的の中央へと吸い込まれていく。

 

「凄いぞ! 右手で撃ってる時と同じ感覚だ!」

 

 すべてど真ん中に命中したわけではなかった。それでも精度が格段に上がり、右手で撃った時とほとんど変わらないスコアを叩き出したのである。

 

「本当に助かった! ありがとう!」

 

 俺は両手でフォーク旅団長補佐の右手を握り、上下にぶんぶんと振った。

 

「旅団長のフォームは完璧でした。ですから、体が傾いているんじゃないかと思ったんです」

「それにしても、あんな小さな傾きに良く気づいたね」

「士官学校にいた時に、同級生や後輩に射撃のチェックを良く頼まれてたんです」

「そ、そうなのか……」

 

 俺は軽くのけぞった。戦記ではエゴイストの中のエゴイストと言われるフォーク旅団長補佐が他人にチェックを頼まれるなんて、想像がつかなかったからだ。俺の内心に気づかないのか、彼は爽やかに微笑む。

 

「白兵戦技を練習される予定はありますか?」

「ちょっとだけ戦斧の練習をしようと思ってるけど」

「そちらでもよくチェックを頼まれました。旅団長のお役に立てると思います」

「いいのか?」

「ええ、慣れてますから」

 

 何の衒いもないフォーク旅団長補佐の笑顔は、はめ殺しのガラス窓から差し込む朝日に照らされて輝いていた。何と良い奴なのだろうか。俺が女性なら間違いなく惚れる。

 

 やはり、前の世界とこの世界のアンドリュー・フォークは、違う人間だと考えた方がいい。卑怯者と蔑まれた俺が、この世界では英雄と呼ばれてちやほやされているのだから、他の人間の設定が変わっていてもおかしくないではないか。

 

「よろしく頼む」

 

 その日からフォーク旅団長補佐は、俺の自主トレーニングに付き合ってくれるようになった。フォームを見てもらうだけでなく、組手の相手もしてもらった。

 

 フォーク旅団長補佐の技量は驚くべき水準に達していた。白兵戦技の組手では、俺の全力攻撃を息一つ切らさずに受け流す。どんな姿勢で射撃をしても、軽々と的の真ん中を射抜いてしまう。それでいてちょうどいい具合に手加減してくれる。おかげでみるみるうちに向上していった。

 

「君は本当に教えるのがうまいね」

「ありがとうございます」

「礼を言わなきゃいけないのは俺の方だ。早朝から付き合ってもらって、少し申し訳なくなってくる」

「小官も利益を得ております。人に教えてると、自分がやる時のコツも分かってくるんです。そうやって技量を高めていきました。小官は一人でコツコツ努力するのが苦手でして。何をやるにもみんなと一緒じゃないと頑張れないんです」

「なるほどなあ。教えれば教えるほど上達していくってわけか」

 

 目から鱗が落ちるような思いがした。能力は一人で努力して伸ばすもの、あるいは他人の指導を受けて伸ばすものと思っていた。しかし、他人に教えながら向上していくという道もある。これなら、自分も他人も伸びていって、誰もが幸せになる。

 

「ほんと、フォーク少尉は凄いな。学校では運動部のキャプテンや生徒会長なんかやってたんじゃないのか?」

「やってました」

 

 それが当然のことであるように、フォーク旅団長補佐は答えた。詳しく話を聞くと、小学校でも中学校でもベースボール部のキャプテンと生徒会長を務め、六歳で入った市少年団では入団二年目からずっと班長をしていたという。成績はずっと学年トップ、ベースボールでは全国大会準々決勝まで行った強豪チームのレギュラー遊撃手だったそうだ。劣等感すら抱けないぐらい凄い。

 

「そんな人がいるんだな。漫画みたいだ」

「士官学校では珍しくないですよ。勉強だけの頭でっかちじゃ、授業について行けないですから」

 

 言い方を間違えれば嫌味になる謙遜も、彼の端正な顔と柔らかい表情をもってすれば、単なる事実の説明に聞こえるのだから、美男子というのは得だ。前の世界で頭でっかちの典型と批判されたフォーク旅団長補佐が、「頭でっかちでは駄目だ」と言ってるのも面白い。

 

 幹部候補生養成所で受けた士官教育は、知力・体力・リーダーシップのすべてに優れた人材の育成を目指すものだった。幹部候補生養成所と士官学校の教育には多少の違いがあるが、基本的には同じだ。士官学校の学力試験は国内最難関で知られ、体力審査や人物試験もかなり厳格なため、フォークのようなスーパーマンが集まるのも、自然な成り行きかも知れない。

 

 知り合いのことを思い出してみると、士官学校で上位だったブラットジョー大尉はもちろん、真ん中ぐらいの成績で合格したイレーシュ少佐やラン・ホー中尉なんかも、中学時代は文武両道の優等生だった。

 

 前の世界で読んだ『レジェンド・オブ・ザ・ギャラクティック・ヒーローズ』のような本では、天才ヤン・ウェンリーの足を引っ張った士官学校エリートは、机上の空論を振りかざす頭でっかちの秀才として描かれ、同盟軍の士官学校教育は徹底的に批判された。だが、自分が士官教育を受けてみると、頭でっかちでは通用しないのがわかる。そんな中で首席を取れるのは、頭脳・体力・人格のすべてが飛び抜けたスーパーマンであろう。

 

 戦記のネタになった記録類は、ほとんどがヤン・ウェンリーに近い人物の残したものだ。そこに記されている見解は、当然のことながらヤン側の視点であり、ロボス大将の演説能力のようにヤンと遠かった人物については描かれなかったことも多く、義勇旅団のように無関係な事件についても触れていない。絶対的な予言書とみなさない方が良いのかもしれないと思えてくる。

 

 息が詰まりそうな義勇旅団の唯一の救いは、フォーク旅団長補佐だった。クリスチアン少佐やイレーシュ少佐を始めとする個人的な知り合いとの通信、フィン・マックール補給科のみんなから送られてくるメールも励みになった。自分は一人ではない。それが何よりも心強かった。




統合作戦本部などの軍中枢機関がある場所は、原作では「惑星ハイネセンの北半球針葉樹林帯」「首都ハイネセンポリスから一〇〇キロほど離れた軍事中枢地区」とされ、士官学校も同じ場所にあります。「オリンピア」はその軍事中枢地区に私が勝手につけた名前です。

一方、アニメでは士官学校は惑星ハイネセンのテルヌーゼン市にあることになっています。しかし、原作ではテルヌーゼンは「ハイネセンの隣の惑星」と書かれています。

原作とアニメの設定が矛盾する場合は、”原則として”原作の設定を採用します。アニメと違う点については、そのようにご了解ください。

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