六月一一日に第七幹部候補生養成所を卒所した俺は、宇宙軍少尉に任官し、第一希望の補給科になった。
「兵卒だった頃は補給員だった。仕事には慣れてるし、管理や会計の成績が良かったから、適性もあると思う」
周囲には志願理由をそう説明したけれども、そんなのは単なる方便だ。最後に補給員の仕事をしたのは六三年前だ。成績だけで適性を主張するなら、俺はどの分野にもそこそこ向いている。
「戦術シミュレーションの点数が極端に悪かったから」
それが真の理由だった。卒所するまで一度も勝てず、最後の方は半ばやけになって、どこまで連敗記録を伸ばせるかに挑戦したほどだ。
戦術知識は平均以上なのに、いざ戦うとなると、自分よりはるかに知識に劣る人にもあっさり負けてしまう。知識があるのに応用が効かない軍人なんて、『ミッターマイヤー元帥回顧録』に登場する「理屈倒れ」シュターデン、『帝国領侵攻作戦――責任なき戦場』に登場する「史上最悪の無能参謀」アンドリュー・フォークのように、やられ役と決まっている。そんなみっともないキャラクターになりたくないと思い、補給科を志望したのである。
「君は体力と根性がある。陸戦隊で鍛えればもっともっと伸びるぞ」
ある教官はそう言って宇宙軍陸戦隊を勧めた。
「地上軍なら宇宙軍よりも出世が早い。君なら連隊長、いや旅団長だって夢じゃない」
別の教官は地上軍への転籍を勧めた。
「地に足を付けて戦うなんてつまらんぞ。スパルタニアン乗りになりなさい。あれこそ男のロマンだ」
単座式戦闘艇「スパルタニアン」のパイロットになるように勧める教官もいた。
「申し訳ありません。自分はやはり裏方が性に合ってると思うのです」
実戦指揮が怖いという真の理由を隠し、パンフレットを持って迫ってくる教官達を振り切り、何とか補給科になれたのである。
補給科というのは、民間企業の総務部と経理部を一緒にしたような仕事をする。兵士は人間だから、食事をしなければ生きていけないし、着替えやタオルやトイレットペーパーなんかも使う。それを用意するのが補給科の仕事だ。武器弾薬のストックの準備、兵士の給与計算、経費の管理なんかも補給科が引き受ける。
一見すると地味な仕事のように思えるかもしれない。だが、「素人は戦略を語り、玄人は兵站を語る」と言われる。戦略の天才ヤン・ウェンリーは、管理の天才アレックス・キャゼルヌが兵站を取り仕切ってくれたおかげで、思う存分采配を振るえたのだ。
後方支援のプロになった自分が、アレックス・キャゼルヌとともに、ヤン艦隊の後方支援を取り仕切る。そんな未来をほんの一瞬だけ夢想した。
「そんなの無理だよな」
頭を振って夢想を振り払う。ヤンとともに「エル・ファシルの英雄」と呼ばれ、カスパー・リンツと友人になった俺だが、身の程は知っている。彼らと肩を並べるなど、想像するだけでもおこがましいというものだ。
そもそも、幹部候補生養成所を出た補給士官と、士官学校を出た後方参謀では、期待される役割がまったく違う。宇宙軍の補給士官は軍艦や基地の事務職で、昇進したら補給艦艦長や補給部隊司令になる。一方、後方参謀は兵站計画の立案・指導にあたる幕僚で、昇進したら軍中枢機関の部課長や艦隊後方支援集団司令官になる。俺の歩く道の先には、キャゼルヌはいない。
何かの間違いで英雄に祭り上げられてしまったが、今後はそんなことも無いと思う。順調に昇進すれば、功績をまったく立てなかったとしても、五〇歳までには少佐にはなれる。兵卒をアルバイトとすると、少佐は本社課長補佐や小規模支店長といったところだ。うまいことやって中佐にでも昇進できれば、本社課長や中規模支店長である。高卒で特殊技能もない俺には、目の眩むような出世だ。
前の人生で帰国した頃ほど深刻ではないものの、同盟社会は不況の真っただ中だった。民間企業は大規模なリストラを行い、二年前に成立した主戦派と反戦派の連立政権も公務員の人件費削減を進めている。だが、そんな中でも軍人の人件費は聖域と言われ、「軍人にリストラは無い」とされる。
同盟軍の士官は現在の階級に任官してから一〇年が経過するまでに昇進できなければ、自動的に予備役編入となる。だが、その規定に引っかかって予備役に編入されるのは、定数の少ない中佐からになる。昇進の遅い幹部候補生出身者は、戦死や不祥事さえなければ、確実に定年まで勤務できるのだ。そして、戦死の可能性が低いことは既に調査済みだ。
「リストラの可能性はないし、福利厚生もバッチリだ。戦死の危険さえ無ければ、これほどいい仕事もないよなあ」
言い終えた時、歴史上で最も多くの同盟軍人を戦死させたラインハルト・フォン・ローエングラムの顔が頭の中に浮かんだ。この世界が前の世界と同じ歴史を進んでいるのならば、数年後に彼が台頭してくる。
「まずいな。ラインハルトが偉くなったら、戦死の可能性がぐんと上がる」
真っ青になった俺は、慌てて端末を開き、「ラインハルト・フォン・ローエングラム」の名前で検索した。ヒットするのは、「中興の三〇年」と呼ばれるアウグスト一世の治世に司法尚書を務めたローエングラム伯爵家七代目当主ラインハルトのみ。
「なんだ、いないじゃないか。これなら、定年まで安心……」
いや、違う。彼のローエングラム伯爵位は戦功によって賜ったもので、もともとは無爵位貴族のミューゼル家の生まれだった。
今度は「ラインハルト・フォン・ミューゼル」で検索する。念のために、ラインハルトがゴールデンバウム朝打倒を志すきっかけとなった姉の「アンネローゼ・フォン・ミューゼル」の名前も一緒に検索した。アンネローゼが皇帝から賜った爵位の「グリューネワルト」で打ち込もうとして、慌てて修正したのはここだけの秘密だ。
ラインハルトはまったくヒットせず、アンネローゼの方は少しだけヒットした。この世界でも皇帝フリードリヒ四世の第一の寵妃で、グリューネワルト伯爵夫人の称号も賜っているそうだ。しかし、弟の存在については、まったく触れられていなかった。
「まあ、そんなもんか」
報道の自由がまったく無いゴールデンバウム朝の帝国では、国民のほとんどは、国務省メディア総局の検閲を受けた情報しか手に入れることができない。同盟の一般人が知りうる帝国の情報なんて、亡命者が持ってきた情報でなければ、フェザーンのマスコミを通して入ってくる帝国政府の公式発表ぐらいのものだ。帝国のライヒスネッツは、同盟の汎銀河ネットからの接続を完全に遮断しており、ネットを通した情報収集も困難だ。まして、機密のベールに包まれた宮廷のことだ。寵妃の家族の名前なんて、同盟まで流れてくるような情報ではなかった。
この世界では俺が英雄と呼ばれてて、バンクラプトシーは大穴を取れなかった。世の中は偶然で動くことも多い。この世界と現実は、必ずしも同じ展開にはならないのだろう。何の根拠もなくそう結論づけた俺は、惰性でネットを検索し続けた。
最初はもちろん「ヤン・ウェンリー」の名前だ。しかし、エル・ファシルの件はたくさんヒットしたのに、その後どうなったのかは全然出てこない。
ユリアン・ミンツが書いた『ヤン・ウェンリー提督の生涯』によると、エコニアの事件を解決したヤンは、ハイネセンに召還されてどこかの参謀になったはずだ。しかし、エコニアの件でもまったく名前がヒットしてこなかった。現時点の彼は、俺と同じく賞味期限の切れた英雄にすぎないようだ。
今度は「アレクサンドル・ビュコック」、「アレックス・キャゼルヌ」、「ワルター・フォン・シェーンコップ」、「ダスティ・アッテンボロー」など、現時点で成人している前世界の英雄達の名前で検索する。
出てきた記事は、七年前の全国中学生弁論大会でアッテンボローが三位になった時の記事、一七年前にキャゼルヌがボーイスカウトの最高勲章を授与された時の記事、一三年前のジュニアフライングボールケリム星系リーグでシェーンコップが得点王になった時の記事など、小中学生時代のものばかりだ。
最近の記事といえば、ビュコックがマーロヴィア星系警備隊司令官の肩書きで登場する三年前のローカル新聞の記事、そして彼の少将昇進と第七艦隊左翼分艦隊司令官就任を伝える二年前の国防委員会人事発令のみだった。
英雄達の経歴が少年時代から華やかだったのは理解できた。彼らは士官学校を出ているし、専科学校卒のシェーンコップだって士官学校の受験には合格した。そして、前の世界では若くして将官の地位を得たスーパーエリートだ。幼少の頃から文武に並外れていた力量があったのだろう。しかし、最近の動静が不明なのはつまらない。
「ビュコックは将官だから人事異動が公表されるけど、他の人はまだ佐官や尉官だからなあ。後の英雄も今はまだエリート士官の一人にすぎないってことなのか」
あまりの成果の少なさにうんざりしていた俺にとどめを刺したのは、マル・アデッタの英雄「チュン・ウー・チェン」だった。彼の名前で検索しても、同姓同名のイースタン拳法家しかヒットしない。
成果の少ない検索に飽きた俺は、現時点でも有名そうな人物を検索してみた。まずは三年前にちょっかいを出してきた「ヨブ・トリューニヒト」で検索する。
現職の下院議員だけあって、これまでとは比較にならないほどの情報が出てきた。二年前の選挙で二度目の当選を果たした彼は、保守政党「国民平和会議」の青年局長を務める若手のホープで、近日中に予定されている内閣改造で初入閣するらしい。
「議員二期目でいきなり閣僚か。凄いなあ」
無能さだけが印象に残るこの政治家は、宇宙暦八四〇年代にはすっかり忘れられていて、死後半世紀近く過ぎてもまとまった伝記が書かれなかった。業績も思想性も皆無に等しく、同時代の英雄達の伝記では足を引っ張る以外の出番が無く、政治的な系譜も断絶してしまったとあれば、興味を持たれなくても仕方がない。もちろん、俺も興味がなかった。
次は同盟末期に活躍した政治家の「ジョアン・レベロ」、「ホワン・ルイ」、「ウォルター・アイランズ」、「ジェシカ・エドワーズ」を検索する。はっきり言うと、同盟末期の政治家なんて、この四人を除けば、名前が残ってるだけでもマシといった程度の業績しかないのだ。
レベロとホワンは国民平和会議と連立を組んでいるリベラル政党「進歩党」に所属する下院議員で、左派のホープとして期待されているそうだ。アイランズは「国民平和会議」の上院議員で、公共事業を請け負った企業から献金を受け取った件が問題になって、先月の初めに党上院院内幹事補佐の職を辞任したらしい。エドワーズはまったく出てこないが、政界にデビューする前だから、当然といえば当然だろう。
世の中はわからないものだ。この四人のうち、現時点では最も評価の高いレベロがヤンと対立して破滅し、その次に評価の高いホワンは実力を発揮できないままに終わり、一番評価が低いというか汚職政治家以外の何物でもないアイランズが国難に際して大活躍し、まったくの無名だったエドワーズがトリューニヒト最大の政敵と言われるようになるのだから。
最後に自分の名前を検索欄に打ち込むと、予測検索が「エリヤ・フィリップス かわいい」「エリヤ・フィリップス 王子様」など、恐ろしい文字列を吐き出した。
「でも、これは少し気になる」
最後に出てきた「エリヤ・フィリップス 作られた英雄」という文字列。これはいったいどういう意味なのだろう?
「まあ、ネットの評価なんて見ないほうがいいな。薔薇の騎士連隊(ローゼンリッター)の件もあるし」
友人のカスパー・リンツが入ったばかりの第六六六陸戦連隊こと薔薇の騎士連隊は、数日前に連隊長リューネブルク大佐が帝国軍に単独降伏したことがきっかけで、激しい非難を浴びていた。
特にネットは酷く、亡命者に対する差別用語が飛び交い、連隊幹部の個人情報まで公開されている有様だ。薔薇の騎士連隊関係者と大手コミュニティサイトで決めつけられた無関係の亡命者が、暴行を受ける事件も起きている。関係なくても、こういう騒ぎは気分が悪い。自分が対象になったらと思うと、夜も眠れなくなってしまう。
端末の電源を切り、何も見なかったことにした。明日の朝は早い。何といっても初めての出勤なのだ。俺は不安を振り払い、前向きなことだけを考えながらベッドに潜り込んだ。
七月八日、俺は第一艦隊所属の宇宙母艦「フィン・マックール」の補給科に着任した。役職は補給長補佐。文字通り、乗員九三二人を抱える大所帯の面倒を見る補給長の補佐役だ。
同盟軍は若い組織だ。全軍の三分の二を占める兵卒は、みんな一〇代後半から二〇代前半、下士官も二人に一人は二〇代。そして、非戦闘部門には女性が多い。要するに補給科には、若い女性がたくさんいる。
フィン・マックールの補給科もその例外ではなかった。補給科員の七割以上が女性で、数名のベテランを除けばみんな若く、補給科を選んだ自分の選択が正しかったことを知った。受験勉強や幹部候補生養成所での生活を通して、だいぶ苦手意識が薄くなり、恋愛の一つもやってみたい気持ちになっていた。
着任した途端、自分の選択を後悔した。確かに若い女性は多い。しかし、みんな鬼のように怖かった。言葉遣いがきつい上にすぐ怒る。荒っぽさでは陸戦隊員に引けをとらない空戦隊員も、補給科の女性には頭が上がらなかった。
正面から受け止められる強さもなければ、のらりくらりとかわす器用さもなく、補給士官になったばかりで仕事もできない。そんな俺が補給科を取り仕切っていけるとは思えなかった。
女性とやり合ったら絶対に負ける。気の強い母、勝ち気な姉、甘えん坊の妹に負け続けてきた経験がそう教えてくれる。
どうすればいいかさんざん悩んだ俺は、全面降伏を決意した。補給科の下士官の中で一番偉くて補給科の女性の中で一番怖い補給主任ポレン・カヤラル宇宙軍准尉、二番目に偉くて二番目に怖い補給副主任シャリファー・バダヴィ宇宙軍曹長に頭を下げて、協力を頼んだのだ。
「顔を上げてください。エル・ファシルの英雄にそこまでされたら断れないでしょう」
カヤラル准尉は苦笑しながら快諾してくれた。
「うちの娘がフィリップス少尉のファンでしてねえ。王子様に頭を下げさせたなんて知られたら、口をきいてもらえなくなっちゃいますよ」
バダヴィ曹長も一度娘に会うという条件で協力してくれた。英雄の虚名もたまには役に立つ。
補給科で最強の女性二人を味方につけた俺は、さっそく仕事にとりかかった。補給の仕事をまったく知らない俺は、カヤラル准尉を始めとする下士官のアドバイスを受けながら、仕事を進めていった。
補給科の女性はずけずけと物を言い、艦長や空戦隊長のような偉い人にもずけずけと物を言い、腹が立ったら我慢せずにぶちまける。そんな相手と一緒に仕事をすれば、好き嫌いの基準もすぐわかってくる。
彼女らは怠け者を嫌う。だから、誰よりも早く出勤して、誰よりも遅く退勤し、面倒な雑用は自分で引き受けた。文書はできるだけ早く決裁して、待たせないようにした。
彼女らはだらしない人を嫌う。だから、身だしなみには気をつけ、どんなに時間がなくても必ずシャワーを浴び、髪型もちゃんとセットし、軍服のアイロン掛けも欠かさなかった。机の上もきちっと整頓した。
彼女らは女性だからといって見下してくる相手を嫌う。男女平等が徹底している自由惑星同盟でも、マッチョイズムの強い軍人には女性を見下す者も多い。だから、俺は可能な限りの敬意を示した。兵卒に対しても上官を相手にするつもりで丁重に接し、どんな些細な助力にも感謝の言葉を述べ、意見が違う時も頭ごなしの否定は避けた。
いずれも俺の独創ではない。勤勉さを部下に示す方法、身だしなみを整える方法、部下に敬意を払う方法。そのすべてを幹部候補生養成所で学んだ。士官は常に部下に見られている。だから、良い印象を与える方法も教育されるのである。
幹部候補生養成所では、「命令を出すのは士官の仕事、命令を守らせるのは下士官の仕事、命令を実行するのは兵卒の仕事」と教えられた。俺は下士官のアドバイスを一〇〇パーセント受け入れて、下士官に命令を出す。命令を考えるのも実行するのも下士官。俺は必要ないんじゃないかと思わないでもない。
「そんなことはない。それが本来の士官の仕事なのだ」
そう言ったのは、補給長タデシュ・コズヴォフスキ宇宙軍大尉だった。ふさふさの白髪に黒縁のメガネをかけた初老の男性で、俺の直接の上官にあたる。補給科のトップだが、カヤラル准尉やバダヴィ曹長に比べると存在感が薄い。
「補給科には君を支えようという空気がある。君が赴任してから、仕事の能率が著しく上がった。それが士官のリーダーシップだよ」
コズヴォフスキ大尉は、教え諭すように言う。しかし、あまり仕事をしてるように見えない彼に言われても、あまり説得力を感じない。
「腑に落ちないといった感じだな。まあ、あまり仕事をしてないように見える私に言われても、説得力がないか」
コズヴォフスキ大尉はニヤリと笑った。心を読まれてしまったのではないか。そんな錯覚に囚われる。
「いえ、そんなことはありません」
「ははは、いいんだよ。部下に仕事をさせるのが私の仕事だ。仕事をしてないように見えるぐらいがちょうどいい」
「そんなものなのでしょうか?」
「ベースボールの監督が選手と一緒にプレーするわけにもいかないだろう? 選手が働きやすいように気を配る。選手にチーム運営の方針を示す。そして、グラウンドの中の細かいことはベテラン選手の判断を尊重する。それが士官だ」
「ああ、なるほど。良く分かりました」
こんなにわかりやすい例えなら、どんなに頭が鈍くても理解できる。どうやら、俺は思い違いをしていたらしい。下士官に細々とした指示を出すのが士官の仕事だと思っていたが、そうではなかった。
「君は部下に気を配り、ベテランの意見を尊重しながら、補給科を運営している。おかげで私は渉外に専念できる。うちは大所帯だから、なかなか一人では目が行き届かなくてな。君が来てくれて助かった」
「あ、いや、小官は部下に任せきりにしているだけであります! 小官ではなく、部下が働いているのです!」
コズヴォフスキ大尉に右肩を叩かれた瞬間、大声で叫んでしまった。八〇年以上生きて初めて仕事で褒められた。その事実を受け入れられなかったのだ。
「軍隊では命令は絶対だというが、部下だって人間だ。怠けもすれば手抜きもする。しかし、君の部下は熱心に働いている。部下に仕事をさせるのが士官の仕事といっただろう? 働いているのは君だ」
コズヴォフスキ大尉はなおも言葉の弾丸を打ち込み、俺の羞恥心の限界に挑戦してきた。
「それはみんなが優秀で勤勉だからです!」
「あまり知られてない事実だが、頑張りというものは有償でね。代価を払わなければ、手に入らないのだ。部下が頑張っているのは、上官たる君の力だよ」
「小官があまりに頼りないから、部下が頑張るしか無いのです!」
「まあ、それはあるな」
「そうでしょう! すべて部下の力なのです!」
わけもわからず声を張り上げ続ける。これ以上褒められたら死んでしまう。一歩も引けないという思いが俺の言葉に力を与える。
「君の言いたいことは分かった」
なぜか人の悪そうな笑みを浮かべるコズヴォフスキ大尉。
「みんなも君の思いを理解してくれたようだ」
生温かい視線を感じる。恐る恐る周囲を見回すと、カヤラル准尉やバダヴィ曹長ら数十名の部下がこちらを見ているのに気づいた。みんなにやにやが止まらないといった感じの顔をしていた。
正規艦隊と呼ばれる惑星ハイネセン駐留の外征艦隊は、整備・補充→訓練→即応待機のローテーションを四か月ごとに繰り返す。一二個艦隊のうち、三個艦隊が母港で整備・補充を受け、三個艦隊がハイネセン周辺宙域で訓練を行い、三個艦隊が帝国軍に備える。残る三個艦隊のうち、二個艦隊は予備戦力枠、あるいは四か月程度で補充が完了しないほどの損害を被った部隊の待機枠だ。
残りの一つは第一艦隊の枠である。自由惑星同盟宇宙軍創設と歴史を等しくするこの艦隊は、少々特異な立場だ。首星ハイネセンの警備、同盟領中央宙域(メインランド)の治安維持を主任務としており、対帝国戦の前線には出ない。また、錬成した部隊を他の一一個艦隊に提供する教育訓練部隊の役割も兼ねる。
キャリアの浅い乗員が多いフィン・マックールは、巡視任務に参加することなく、ひたすら訓練に明け暮れている。日帰りで地上に戻れる日もあれば、数日間は宇宙から戻れない日もあった。相変わらず仕事のできない俺だったが、部下の助けを得てどうにかこなした。
補給科員との関係は順調だ。老若男女関係なく親しく付き合い、休日には部下に誘われて遊びに行くこともある。
「フィリップス少尉!」
「ああ、カイエ一等兵か。どうした?」
「こ、今度の日曜日ですが、空いていらっしゃいますか!?」
「おう、空いてるぞ」
「一緒にごはんを食べに行きませんか!? チーズケーキの美味しい店があるんです!」
「そりゃいいな。みんなで行こうじゃないか」
「えっ?」
「君がおいしいっていうくらいだ。よほどうまいんだろうな。楽しみだ」
こんな調子で数人ほどで連れ立って食事に行き、ボーリングやカラオケを楽しむ。八月には、コズヴォフスキ大尉、カヤラル准尉、バダヴィ曹長らと計画を立てて、補給科の全員でハイネセン・ポリス近郊のエメラルド・ビーチに海水浴に行った。
「恋愛の予感がまったく無いことを除けば、完璧と言ってなんですけどねえ」
「君は爽やかすぎるからねえ。恋愛対象にはならないのよ」
そう解説してくれたのは、今年の初めに昇進して駆逐艦の艦長となったイレーシュ・マーリア少佐だった。
「そんなに爽やかですか、俺って?」
「見た目はね」
「性格は全然爽やかじゃないのに」
「うん、かわ……」
「ところで新しいお仕事はどうです!? 初めての指揮官ですよね! 大変じゃないですか!?」
嫌な予感がしたので無理やり話題を変える。携帯端末の向こうで軽い舌打ちが聞こえ、自分の判断が正しかったことを知った。
かつては教師だったイレーシュ少佐とも、今では気軽な友達付き合いをしていた。いや、付き合っていただいていると言うべきだろうか。俺だって身の程は知っている。年上の美人と自分が対等だなどと思い上がるほど愚かではない。
恋愛関係を除けば、公私ともに順調な補給士官生活。唯一の問題は、後方主任参謀とも呼ばれる第一艦隊後方部長クレメンス・ドーソン宇宙軍准将の存在だった。異常なまでに細かい指導を好む彼は、給食のカロリー計算、トイレットペーパーの節約、ミサイル補充作業の能率化といったことにまで口を挟んでくる。
「指導の一つ一つは適切なんだがなあ……」
コズヴォススキ大尉は『従来の半分のトイレットペーパーで尻を拭く方法』と題されたパンフレットを眺めてため息をついた。執筆者はもちろんドーソン准将だ。
「デザインはすっきりしてるし、文字が少なくて読みやすいですね。図解も入ってますが、これって自分で描いたんですか?」
俺は正しい尻の拭き方を解説するイラストを指さした。警察のポスターにでも使われてそうな古臭い絵柄だが、なかなか上手く描けてる。
「間違いなくそうだ。ドーソン部長はパンフレットも自分で描く」
「デザイナーとしては、とても優秀なんですね」
溜息をついた。内容自体は適切で、説明もわかりやすい。作成者の優れた能力が見て取れる。必要性がまったく感じられないということを除けば、素晴らしいパンフレットだった。
「数字にも強いぞ。報告書に目を通すだけで、指示が守られているかどうか見抜いてしまう。しかも、抜き打ちで現場を訪れて検査に来る。これじゃ手抜きもできやしない」
老練なコズヴォフスキ大尉もすっかり参ってしまったらしい。
「悪い意味で優秀なんですね」
俺はまた溜息をついた。エリートコースの士官学校戦略研究科を卒業したドーソン准将は、トリプラ星系警備隊参謀長、第六方面軍情報部長、士官学校教授、統合作戦本部情報保全担当参事官などを歴任し、今年の七月から第一艦隊後方部長となった。几帳面な能吏タイプの軍人で「切れ者ドーソン」の異名を取るが、切れすぎて人望に欠けると言われ、五〇歳を過ぎても准将に留まっている。
前の世界のドーソンは、ヨブ・トリューニヒト最高評議会議長に重用されて、宇宙軍元帥・統合作戦本部長まで出世した大物だ。しかし、印象は薄い。自由惑星同盟末期に有名だった軍の指導者は、イゼルローン方面軍司令官ヤン・ウェンリー宇宙軍元帥、宇宙艦隊司令長官アレクサンドル・ビュコック宇宙軍元帥、宇宙艦隊総参謀長チュン・ウー・チェン宇宙軍大将の三名で、表に出てこないドーソンの知名度は低かった。俺も年老いてから戦記を読むまでは、彼の存在を知らなかったほどだ。
俺が読んだダスティ・アッテンボローの回顧録『革命戦争の回想―伊達と酔狂』、ヤン・ウェンリーと救国軍事会議との内戦を描いた『自由惑星同盟動乱一二一日の記録』、ラグナロック作戦を同盟側の視点で描いた『七九九年本土決戦』などでは、ドーソンは無能で意地悪な悪役だった。
その無能さを表すエピソードの一つに、どこかの艦隊の後方主任参謀をしていた時に、「食料の浪費を戒める」と言って自分で各艦の調理室のゴミ箱を調べて回り、「数十キロのじゃがいもが無駄に捨てられていた」と発表したという話がある。脇役のことなんかいちいち覚えない俺でも、このエピソードのおかげでドーソンという人物を記憶した。
どうやら、ドーソン准将がじゃがいもを探し歩いた艦隊は、この第一艦隊らしい。最近は「食糧の消費状況を把握する」と言って、抜き打ちで各艦の調理室のゴミ箱を漁り、使える食材が出てきたら、責任者はねちねちと説教されて始末書を書かされるそうだ。
フィン・マックールの補給科の管理業務は、コズヴォフスキ大尉と俺が分担しており、調理室を含む給食部門は俺の担当だった。抜き打ち検査に備え、神経をすり減らす日々が続いた。
九月二三日二〇時、いつものように事務室の掃除を終えた俺は、手伝ってくれたミシェル・カイエ一等兵を帰した。誰もいなくなった後で「フィリップス少尉専用」と書かれた大きなクッキー缶を見る。中には部下からもらったお菓子がぎっしり詰まっていた。
俺は満面の笑みを浮かべ、レーズンクッキーを取り出した。クッキーを持つ右手に左手を軽く添えて口に運ぼうとしたまさにその時、テレビ電話の音がけたたましく鳴り響く。
「こんな時間になんだ?」
至福の時を中断されたことに少し腹を立てながら通話機を取ると、スクリーンに給食主任アルネ・フェーリン軍曹の顔が映る。おっとりした彼女らしからぬ緊張ぶりだ。
「後方主任参謀がお見えになりました。調理室の検査だそうです」
ついに来たか、と思った。業務時間外に来るとは思わなかったが。
「わかった。今から行く」
全身に緊張をみなぎらせ、調理室へと走る。どんな嫌味を言われるかと思うと、逃げ出したい気持ちに駆られるが、そんなことはさすがにできない。
調理室の中には、フェーリン軍曹の他に、ぐるぐる巻きのビニールシートを脇に抱えた作業服姿の男がいた。俺の姿を確認した作業服の男は、一ミリの狂いもなく揃った歩幅で歩み寄ってくる。身長は俺と同じぐらい。つまり一六九・五センチ前後だ。ほんの少し親近感を覚える。
「責任者のエリヤ・フィリップス少尉だな。小官は艦隊後方部長である。これより食料消費の実態調査を行う」
ドーソン准将は俺に敬礼をすると、早口で検査開始を告げる。背筋は「中に棒が入ってるんじゃないか」と錯覚するぐらい、真っ直ぐに伸びている。髪型と口ひげは綺麗に整い、作業服にはしわ一つなく、靴も新品のようにピカピカだ。これから汚れ仕事をするのに身なりをきっちり整えてくるなんて、かなり変わった人だ。
「かしこまりました!」
俺は返礼をしながら、ドーソン准将の表情を観察した。自由戦士勲章所持者は階級に関係なく先に敬礼を受ける権利を持つが、高級軍人にはそれを不快に思う者も多い。心の狭いドーソン准将が腹を立ててるんじゃないかと心配になったのだ。
だが、見た感じでは不快な色は無く、アッテンボロー回顧録で描かれてるような嫌味も飛んでこなかった。内心で腹を立てていたとしても、それを抑える程度の常識はあるらしい。
俺をちらりと見たドーソン准将は、小走りで調理室の隅に行ってビニールシートを広げた。そして、大きなゴミ箱を一人で抱え上げて歩き出す。小柄なドーソンには重いのか、足取りはややふらついている。
転倒されたらたまらない。そう思った俺は慌てて駆け寄った。
「お手伝いいたしましょうか?」
「これは小官の仕事だから、貴官が手伝う必要はない。転んでも小官の責任であって、貴官の責任ではない」
俺の方を見ずにドーソン准将は答え、危うい足取りでゴミ箱を運んだ。
ここで妙なことに気づいた。ドーソン准将は一人も随員を連れてきていないのだ。公務中の将官が一人で行動することなど、普通は考えられない。それに艦隊旗艦からフィン・マックールを訪れるには、シャトルに乗る必要がある。操縦役を兼ねた随員が一人はいるはずなのに見当たらない。
「ところで閣下はお一人で来られたのですか?」
「うむ。他の者は勤務時間外だからな」
ドーソン准将はまた俺を見ずに答えた。
「お、お一人でしたか……」
俺はたじろいだ。将官がこんな時間に自分でシャトルを操縦してやってきた。その事実に驚いたのだ。
「何を驚いている? 一人でできる仕事に部下を使うなど、労力と残業代の無駄ではないか」
「おっしゃるとおりです……」
何か違うと思ったが、どう突っ込めばいいか分からなかった。フェーリン軍曹も眉を寄せて困ったような顔になる。
ゴミ箱をビニールシートの中心まで持ってきたドーソン准将は、一気に中身をぶちまけた。そして、別のゴミ箱を持ってきて、同じようにぶちまける。ビニールシートの上には、ゴミの山脈が形成された。
それにしても、こんなにたくさんのゴミを今から一人で仕分けするつもりなのだろうか? 無謀もいいところだ。立会わされる俺とフェーリン軍曹にとっても迷惑である。
「お手伝いしましょうか?」
「これは小官の仕事だ。貴官が手伝う必要はない」
ドーソン准将は俺とフェーリン軍曹の申し出を断り、一人で仕分けに取り掛かった。とんでもない早さで手を動かし、ゴミを仕分けて整然と並べる。俺が同じ早さで手を動かしたら、間違いなくぐちゃぐちゃになってしまう。なんていうか、変なところで能力のある人だ。
機械的な早さと正確さで仕分け作業を終えたドーソン准将は、綺麗に並ぶゴミを見渡した。そして、何かに納得したように頷く。
「フィリップス少尉、フェーリン軍曹」
「はい」
「ゴミの中から使える食材は一つも見当たらなかった」
その言葉を聞いた瞬間、俺は胸を撫で下ろした。こんなつまらないことで補給科員が貶されてはたまらない。みんなで話し合って、迎撃体制を組んだ甲斐があった。
ドーソン准将は部屋の中をじろりと見回し、俺とフェーリン軍曹に視線を向けた。
「調理室は隅々まで丁寧に磨きあげられていた。匂いもしない。規律がよく守られている証拠だ。貴官らは小官の気持ちが良くわかっておる」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。嫌味な悪役になぜ褒められるのか? 意外な成り行きに頭が真っ白になった。
「あ、ありがとうございます……」
しどろもどろになる俺に構わず、ドーソン准将はビニールシートの上のゴミを手際良くゴミ箱に戻していった。俺とフェーリン軍曹は、呆然として顔を見合わせる。
あっという間に片付けを終えたドーソン准将は、空になったビニールシートを素早く巻いて抱えた。そして、再び俺達の方を向いて背筋をまっすぐに伸ばす。
「明日も早い。早く寝なさい」
そう言うと、ドーソン准将は颯爽と調理室から出て行った。ゴミの匂いがしたビニールシートを抱えたまま、シャトルを操縦して旗艦まで帰るのだろう。狭いシャトルの操縦席は、さぞ臭うのではなかろうか。
「いったい、何だったんでしょうね、あの人は?」
フェーリン軍曹が困り顔を崩さずにこちらを見た。
「わからないな。まあ、君達が悪く言われるようなことにならなくて良かった」
苦笑しながら答えた。すると、フェーリン軍曹の顔がぱっと明るくなった。
「フィリップス少尉がいじめられないよう、みんなで頑張ったんですよ」
「ありがとう。君達が部下でいてくれて、本当に良かった」
感謝の思いをありったけの笑顔に込める。こんなに良い部下が大勢いるなら、恋愛と縁がなくても構わないとちょっと思う。
ドーソン准将の抜き打ち検査から一週間が過ぎた九月三〇日、第三艦隊司令部から呼び出しを受けた。第三艦隊司令官と宇宙艦隊副司令長官を兼ねるラザール・ロボス宇宙軍大将直々の呼び出しだという。第一艦隊司令官どころか、分艦隊司令官や戦隊司令官とも顔を合わせたことのない末端補給士官の俺に、あんな大物が何の用なのだろうか?
不審に思いながつつも、迎えの軍用機に乗る。そして、第三艦隊司令部のあるフォンコート市へと飛んだ。
ドーソンの正確な年齢が原作二巻に書かれていました。ビュコックより一四歳若いそうです。ヤンの見立ては単なる勘違いとみなし、ver1より一〇歳ほど年長に変更します。