銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第7話:夢の終わり、新世界の始まり 宇宙暦790年7月~791年6月11日 第七幹部候補生養成所

 七九〇年七月、俺はシャンプール南大陸スィーカル市の第七幹部候補生養成所に入所すると同時に、宇宙軍曹長となった。形式的には、兵長からの昇進ではなく、入所と同時に兵役を繰り上げ満了して一旦退職した後に、曹長として新規採用されたことになっている。何だかややこしいが、アルバイトから正社員になったようなものだと考えればいい。曹長の階級になったのは、他の幹部候補生とバランスを取るためで、軍曹以下の階級の者が入所した場合は必ずこうなるそうだ。

 

 俺が現実で読んだ戦記の主要人物のほとんどは士官学校卒業者で、下士官・兵卒から幹部候補生養成所を経て士官になった者は、同盟軍宇宙艦隊最後の司令長官アレクサンドル・ビュコック、最強の陸戦隊指揮官ワルター・フォン・シェーンコップ、空戦の天才オリビエ・ポプランの三名しかいない。ヤン・ウェンリーの後継者ユリアン・ミンツは兵卒から中尉まで昇進したが、幹部候補生養成所には入れなかった。

 

 主要人物以外なら、撃墜王イワン・コーネフ、シェーンコップの後継者カスパー・リンツ、シェーンコップの腹心ライナー・ブルームハルト、マル・アデッタの英雄ラルフ・カールセン、同盟末期の勇将ライオネル・モートンなんかも幹部候補生の出身だったような気がする。ミンツの護衛を務めたルイ・マシュンゴは良くわからない。

 

 名前を覚えている幹部候補生出身者を並べてみると、体を張って武勲を立てた人ばかりで、実戦経験皆無の俺とは似ても似つかないのである。

 

 もっとも、幹部候補生の中には、俺のように実戦経験の無い者も結構多いらしい。地上基地でずっと給与計算をやっていた人、整備員としてひたすら機械をいじっていた人、航宙管制隊でオペレーターをやっていた人なんかも幹部候補生養成所に入ってくるからだ。

 

 四三五万人の同盟軍現役士官のうち、士官学校卒業者は一四万人程度に過ぎず、八五万人が理工系の一般大学から予備士官養成課程を経て士官となった者、三三六万人が下士官・兵卒から幹部候補生養成所を経て士官となった者であった。

 

 人類の生活圏が太陽系だけに留まっていた時代は、士官学校で指揮官としての基礎を教え、士官の中から選りすぐられた者を軍大学に入学させて、参謀教育を施したそうだ。しかし、西暦二四〇〇年代に恒星間移住時代が始まって宇宙軍が創設されると、飛躍的に広くなった戦域に対応するかのように、軍隊の規模が大きくなった。二六〇〇年代の終わりから二七〇〇年代初めにかけてのシリウス戦役では、人類史上初めて宇宙軍同士の大規模な戦闘が展開され、局地戦でも一〇〇万単位の軍隊が投入されるようになった。

 

 兵力規模の拡大は分業化を促し、従来のように士官学校で教育を受けた総合職士官だけでは対応しきれなくなり、特定の技能に長けた専門職士官の需要が高まった。そして、宇宙暦が始まる頃には、士官の大半は下士官や理工系大学卒業者から登用されるようになり、士官学校では将来の高級指揮官・参謀候補を教育するという形に落ち着いた。

 

 義務教育修了者を入学させる士官学校は四年制で、戦略、戦術、マネジメント、社会科学、自然科学など参謀としての基礎教養を習得させるとともに、戦略研究科、経理研究科、陸戦専攻科など一〇の専門課程に分かれて専門教養を習得させる。卒業者は司令官や参謀として活躍し、最低でも大佐まで昇進し、五人に一人が「代将」の称号を帯びる将官待遇の大佐となり、二〇人に一人が将官となる。年間で五〇〇〇人しか輩出されないエリート中のエリートだ。

 

 職業軍人を入学させる幹部候補生養成所は一年制だ。宇宙軍なら宇宙艦分隊司令もしくは艦長クラス、地上軍なら大隊長もしくは飛行隊長クラスの指揮官として必要な教養を習得させる。もともと軍人としての基礎はできているし、高度な教育も行わないから、一年だけで十分なのだ。卒業者は下級指揮官や専門幕僚として活躍し、その四割が大尉、五割が少佐で軍人生活を終え、中佐まで昇進できる者は一割程度、大佐まで昇進する者は一パーセントに満たず、将官になれたら奇跡と言っていい。

 

 昇進格差が大きすぎるように思えるが、士官学校出身者と幹部候補生出身者に期待される役割は全然違うから、これで良いのだ。それに俺としては、大尉まで昇進できれば満足だった。

 

 大尉は警察で言えば警部に相当し、本年度の基本給は二七八一ディナールだ。同じ階級でも勤続年数によって給与等級が上がり、その他に扶養手当や戦地手当など各種手当が付くため、家族持ちで定年まで勤めれば、一・五倍から一・八倍程度の給与がもらえる。恩給や退職金もなかなかのものだ。しかも、パラディオン市警察の警部補をしている父よりも偉い。それだけの好待遇なら十分だろう。提督になって歴史を動かすなんてことは、選ばれた人間がすればいい。

 

 現実で読んだ『レジェンド・オブ・ザ・ギャラクティック・ヒーローズ』なんかでは、軍人は死と隣り合わせの危険な職場のように書かれているが、それはラインハルト・フォン・ローエングラムとヤン・ウェンリーという二人の戦争の天才が敵を殺しまくった時代の話であって、七九〇年の現在には当てはまらない。

 

 同盟軍人のうちで対帝国戦の前線に出るのは、年間平均二回の出兵に参加する者、半年交代で帝国との国境地域に駐屯する者だ。これらは全軍の一八パーセントから二〇パーセント程度で、そのうち半数は前線に出ても戦闘に参加せずに内地へ帰還する。戦死者は一度の出兵で平均すると五〇万人、大勝すれば二〇万人程度、大敗すれば七〇万人以上に及ぶ。前線の駐屯部隊同士の小戦闘も含めると、年間で一二〇万から一五〇万人が死ぬ。これは全軍の一パーセントから二パーセント程度だ。

 

 これを高いリスクと見るか低いリスクと見るかは人それそれであるが、戦死者のほとんどは対帝国部隊の宇宙艦隊もしくは地上総軍の戦闘要員で、しかもその大半が兵卒と下士官だ。一度も前線に出ずに退役する士官、一度も対帝国部隊に配属されずに退役する士官、対帝国部隊に配属されても前線に出ない士官の方がずっと多い。待遇を考えれば、十分に許容できる範囲のリスクだと、俺は判断した。

 

 しかし、予想もしなかったリスクが俺の前に立ちはだかった。幹部候補生は校内の寮で四人部屋に住む決まりだったのだ。良く考えれば軍の学校なんてものは、共同生活に決まっているのであるが、兵卒生活を回避することに意識が囚われてしまい、考えることをしなかった。

 

 いじめられるかもしれないという恐怖に怯えつつ、養成所の門をくぐった俺は、ハンティントン棟三階の一号室という部屋に住むことになった。

 

 同室になったのは、歩兵のピエリック・アセルマン地上軍准尉、会計員のスヴェン・カーコフ宇宙軍曹長、通信員のホン・チォン・ハン技術曹長の三名。みんな勤続一〇年を越えるベテラン下士官だ。

 

 みんな温厚そうな感じだ。しかし、油断はできない。俺は付け入る隙を見せないことに全力を尽くした。あちらも近寄り難いものを感じたらしく、見えない壁が生まれた。

 

 幹部候補生は士官候補生と同じように、男子部屋一つと女子部屋一つ、もしくは男子部屋二つで最小自治単位となる七~八人の班を組む。

 

 俺の部屋と班を組む女子部屋のハンティントン棟三階五号室に住んでいるのは、防空部隊のヴァレリー・リン・フィッツシモンズ地上軍曹長、衛生兵のホセフィーナ・オスナ地上軍准尉、駆逐艦乗りのウルプ・リーパ宇宙軍曹長、艦艇整備員のチョ・ユジン技術曹長の四名。二三歳のフィッツシモンズ曹長を除けば、やはりみんな勤続一〇年以上のベテラン揃いである。

 

 唯一年の近いフィッツシモンズ曹長は、赤褐色の髪、涼しげな目元、細くてすっきりした鼻に、スラリとしたスタイルを持つ美人で、俺より背が高いのが唯一の難点だった。

 

 ハンティントン棟三階にある八つの部屋、四つの班で「ハンティントン第三小隊」と呼ばれる小隊を組む。小隊とは、フロアとほぼイコールと考えていい。候補生の中から選ばれた小隊長と副小隊長が中心となり、小隊指導教官のコール地上軍少尉と小隊助教のウォーベック宇宙軍軍曹の指導を受けながら、小隊を運営する。フロアごとに設けられた自習室、集会室、キッチン、ランドリー、浴室、トイレは、小隊が共同で使う。

 

 同じ小隊の者にも隙を見せないように心がけた。部屋が違うと言っても、同じ階の住人に目を付けられたら、この一年が地獄になることは間違いないからだ。

 

 ハンティントン棟には、一階から四階までの四つのフロアがある。その四フロアの小隊を合わせて、ハンティントン棟を運営する「ハンティントン中隊」と呼ばれる中隊を組む。中隊以上の自治単位には、隊長と副隊長の他、副官と呼ばれる書記一名、幕僚と呼ばれる補佐官数名が置かれる。

 

 ハンティントン棟を含む四つの棟の中隊を合わせて、D小区を運営する「D大隊」と呼ばれる大隊を組む。

 

 D小区を含む三小区の大隊でB大区を運営する「B連隊」、三つの連隊を合わせて養成所全体を運営する生徒総隊を組む。

 

 このシステムは士官学校と同じだそうだ。生徒は自治単位の運営を通じて連帯意識を養うとともに、リーダーや組織運営の経験を積むのである。

 

 俺は「ハンティントン中隊副官」なる肩書きをもらい、中隊長になった同じ班のフィッツシモンズ曹長を補佐することとなった。養成所の役職の任期はすべて二か月で、半年の任期がある士官学校の役職よりもはるかに短い。一年の間により多くの生徒に役職を回すために任期も短くしているらしい。

 

 中隊副官といえば、地上軍ではベテラン下士官が務める大事なポストだ。任期は九月までと短いけれども、精一杯務めようと決意した。こうして、養成所生活が始まった。

 

 

 

 候補生の朝は早い。朝六時に起床して素早くベッドを整頓した後に、棟の玄関に集合して点呼を行う。五分以内に玄関に着かなければ、鬼より怖い中隊助教ターボルスキー軍曹の怒声が飛んでくる。毎朝が命がけだ。

 

 点呼が終了したら、中隊指導教官カン宇宙軍中尉を先頭に列を組み、養成所の構内を三〇分ほど走る。朝のひんやりした空気が眠気を吹き飛ばしてくれる。

 

 六時四〇分から七時三〇分までが朝食時間だ。小隊ごとに交代でハンティントン棟の食堂に赴いて食事をする。運動後のごはんほどおいしいものはない。朝食のカロリーは九〇〇キロカロリー前後に調整されているため、量がちょっと少ない。それだけが残念だ。

 

 八時に朝礼が始まる。自由惑星同盟の国歌「自由の旗、自由の民」が流れる中、教職員と候補生全員で敬礼する。英雄になる前は極右のシンボルとしか思えなかった国歌も、同盟軍の一員として耳にすると厳粛な気持ちになり、自分が立派な軍人になったような気がする。同じ歌でも立場次第で響きが変わる。不思議なものだと思う。

 

 午前の授業は八時三〇分から始まる。戦史・戦術・帝国公用語などの学科、白兵戦や射撃術などの実技、球技や水泳や持久走などの体育である。

 

 戦史の授業では、古代メソポタミアから現代に至るまでの戦争について学び、戦略戦術の変遷を追いつつ戦いの原則を理解する。これまでは同時代を生きたヤン・ウェンリーやラインハルトにしか興味がなかった。しかし、シリウス軍のジュリオ・フランクール、地球連邦軍のクリストファー・ウッド、ダゴンの英雄リン・パオ、同盟軍史上最高の天才ブルース・アッシュビーといった過去の名将にも興味が湧いてきた。以前に投げ出した『同盟軍名将列伝』をまた読んでみたいものだと思う。

 

 戦術の授業では、座学・シミュレーション・現地演習などを通して、戦術の基礎を修得する。士官候補生時代のヤン・ウェンリーがやった艦隊戦シミュレーションをやりたかったが、下級指揮官候補として教育される幹部候補生には必要ないということで、養成所には置いてなかった。ちょっと残念である。

 

 帝国公用語の授業では、敵との交渉、捕虜の尋問、軍事文書の読解などに必要な語学力の習得を目指す。前の世界でローエングラム朝銀河帝国の時代に生きた俺は、二度目に入った刑務所で更生のために帝国公用語教育を受けて、初歩的な読み書きと会話を習得した。おかげで授業がすんなり頭に入っていく。

 

 その他、リーダーシップ論、管理学、軍事法規、教育指導術、装備知識などの実務的な授業で基礎知識を学び、倫理教養の授業で士官としての心構えを学ぶ。

 

 戦技訓練では、徒手格闘術・戦斧格闘術・ナイフ格闘術などの白兵戦技、小銃射撃術・拳銃射撃術などの射撃術、単座式戦闘艇スパルタニアンの操縦術を学ぶ。体格が物を言う徒手格闘や戦斧格闘では苦労しそうだ。

 

 体育の授業では、球技、水泳、持久走によって体力や気力を養う。球技や水泳は苦手で、先が思いやられる。

 

 一二時になったら昼食だ。頭と体を使った後のごはんほどおいしいものはない。昼食のカロリーは一三〇〇キロカロリー前後に調整されているため、量がちょっと少ない。それだけが残念だ。

 

 午後の授業は一三時一〇分から一六時三〇分まで。内容は午前と同じである。

 

 一六時四〇分から一八時までは、自主トレーニングの時間になっていて、自分で必要と思ったトレーニングを行う。この時間の過ごし方で差が付くと言っても過言ではない。俺はもちろん一分一秒たりとも無駄にせずに体を動かす。

 

 一八時から二〇時までは夕食と入浴の時間。一日の課業を終えてから食べるごはんほどおいしいものはない。夕食のカロリーは一一〇〇キロカロリー前後に調整されているため、量がちょっと少ない。それだけが残念だ。

 

 食事が終わったら風呂の時間だ。ほとんどの幹部候補生養成所はシャワーらしいが、シャンプールは水が豊富な惑星なので、風呂を使えるのである。汗を流してさっぱりした後は、洗濯や掃除をする。

 

 二〇時からは自習時間。小隊ごとに自習室に集まって予習復習に励む。イレーシュ大尉ら勉強を教えてくれた人達に恥じない成績を取るため、必死で勉強した。

 

 二三時に消灯だが、希望すれば二四時まで自習時間を延長できる。年配の候補生には延長しない者も多いが、俺は毎日延長して勉強を続けた。

 

 日課をこなすだけでも時間があっという間に過ぎ、僅かな余暇も自習やトレーニングにつぎ込むうちに、どんどん時間が過ぎていく。

 

 学科の成績は、一〇〇位前後をうろうろしている。四八九九人中でこの順位だから、かなりの上位ではあるのだが、教官から見れば期待外れであったらしい。曲がりなりにもあの入学試験を突破したからには、間違いなく一〇位以内に入るものと期待していたのだそうだ。

 

 戦技はどれも満遍なく良い点を取れているが、強いていえば小銃射撃術・拳銃射撃術・戦斧格闘術が若干良い。体格が物を言う戦斧格闘術で良い点を取れたのは、自分でも意外だった。順位は学科と同じように一〇〇位前後を行ったり来たりだ。幹部候補生の中には、陸戦隊員や空挺隊員のような戦闘実技のプロもいれば、専科学校を卒業してから一度も銃を触ったことのないような非戦闘職種の人間もいる。そんな中で一〇〇位前後というのは、まあ頑張ってる方だと思う。

 

 体育は伸び悩んだ。球技はだいぶうまくなったが、頭を使ったプレイがまったくできず、フェイントやブラフにあっさり引っかかってしまう。水泳の授業では、現実で志願兵だった時代に、邪悪なスタウ・タッツィーとその取り巻きにプールへ沈められた経験を思い出してしまい、体がこわばった。それでも年齢が若いおかげで、持久走や体操なんかでは点数を稼ぎ、一〇〇〇位台をキープしている。

 

 自治では無難に仕事をこなした。好意的な教官には「役割に忠実」と言われ、非好意的な教官には「自主性に欠ける」と指摘されるような仕事ぶりだった。

 

 総合すれば優等生の部類に入る俺にも、一つだけ不得意科目があった。見るのも嫌になるぐらいに不得意なその科目の名は、「戦術シミュレーション」といった。

 

 上陸戦では宇宙部隊と地上部隊を一度に指揮することもあるし、宇宙軍陸戦隊や地上軍空挺部隊のように宇宙艦を保有する地上戦闘部隊なんてのもあるため、幹部候補生は軍種に関係なく宇宙部隊と地上部隊の運用を学ぶ。

 

 俺は「宇宙艦分隊級宇宙戦術シミュレーション」、「空戦隊級艦載機戦術シミュレーション」、「大隊戦闘群級地上戦術シミュレーション」、「飛行隊級空中戦術シミュレーション」、「大隊任務群級上陸作戦シミュレーション」のすべてで最低点を取った。同級生との対戦にはもちろん、コンピュータとの勝負でも全敗した。

 

「フィリップス君は頭が硬すぎるんだ」

「どうしてあんな見え見えのフェイントに引っかかるんだ?」

「優柔不断過ぎる。それでは戦場のスピードには付いて行けないぞ」

「真面目にやったのか? 自滅同然じゃないか」

 

 教官にはさんざんに酷評された。

 

「嘘……。なんであれで勝てるなんて……」

 

 ある日の宇宙戦術シミュレーションで、開始から二〇分で俺の部隊を全滅させたフィッツシモンズ曹長は、終了と同時に目を丸くしていた。

 

 あの偉大なヤン・ウェンリーは、士官候補生時代に同期の何とかいう首席をシミュレーションで打ち破って大器の片鱗を見せたと言う。しかし、俺は宇宙軍軍人のくせに地上軍軍人に宇宙戦シミュレーションで惨敗し、器の小ささを曝け出した。これが天才と凡人の違い、あるいは大物と小物の違いであった。

 

 まあ、何でも思い通りになるとは限らない。それでも六五年ぶりの学校生活をそれなりに満喫できた。

 

 幹部候補生養成所では、団結心を養うために様々な行事が行われる。最初の大きな行事となった九月のスィーカル駐屯地祭では、コロポックルという古代の妖精の衣装を着てアイスキャンディーを売り、子供に喜ばれた。これがきっかけですっかり行事が好きになった。

 

 一〇月の部隊対抗水泳大会では迷子になり、一二月の航宙演習では船酔いし、一月の地上戦演習では落とし穴に落ち、二月の中隊対抗戦技大会では準々決勝で足を滑らせて負けてしまい、三月の宙陸統合演習では開始から一五分で捕虜になり、四月の中隊対抗マラソン大会では三二位になり、五月の中隊対抗球技大会ではホームランを打たれた。そして、最終月の六月の卒所式を迎えた。

 

 

 

 養成所の卒所式が終わった後、俺はケヤキの木に背中をもたれながらD棟を見上げた。あっという間に過ぎた一年だったけれども、これで終わると思うと名残惜しくなってくる。

 

 できるだけのことはやった。卒業時の席次は四五九九人中の二八六位で、三〇位以内の優等卒業者には遠く及ばないものの、三〇〇位以内の上位卒業者にはギリギリで入れた。戦術シミュレーション以外に穴らしい穴がなかったこと、若くて体力があったことが幸いしたのだろうと、自己分析している。幹部候補生養成所の卒業席次は、士官学校のそれと違ってその後の人事には反映しないが、上にいるというのは気持ちいい。

 

 心残りがあるとすれば、最後まで壁を作り続けたことぐらいだろうか。結局、俺に対して悪意を向けてくる人は一人もおらず、失敗も大目に見てくれた。それでも心を開けなかった。そのことがどうしようもなく悔やまれる。

 

「ああ、ここにいたのか」

 

 朗らかな声が横から飛んできた。俺はゆっくりと顔を向けて言葉を返す。

 

「リンツじゃないか」

 

 これは確認ではなく、事実の追認だ。この養成所で俺に声をかけてくるのは、このカスパー・リンツ宇宙軍曹長しかいなかった。

 

 脱色した麦わらのような髪に青緑色の瞳を持つリンツは、俺より二歳も若い二一歳。もちろん、この養成所では最年少の候補生だ。母とともに帝国から亡命してきた彼は、三年前にシャンプール陸戦専科学校を卒業して宇宙軍伍長に任官し、第七方面軍所属の陸戦隊に配属された。国境星域のシリストラやクエッタで武勲を重ね、二〇歳で曹長に昇進すると同時に上官から推薦を受けて、この養成所に入所した。

 

 きらびやかな経歴を持つリンツは、誰もが認める陸戦隊期待の星だ。しかし、俺にとっては「ローゼンリッター最後の連隊長」と言った方が馴染みやすい。

 

 自由惑星同盟の宇宙軍陸戦隊は、強襲降下作戦や緊急増援に投入される切り込み部隊で、当然のことながら猛者揃いだ。その中でも帝国からの亡命者の子弟のみで構成される第六六六陸戦連隊、通称「薔薇の騎士連隊(ローゼンリッター)」の戦闘力は群を抜いていた。

 

 宇宙暦七九六年から八〇一年にかけての五年間、俗に「ラインハルト戦争」と呼ばれる大戦の時代、薔薇の騎士連隊長カスパー・リンツ大佐はヤン・ウェンリーやユリアン・ミンツに仕えて武勲を重ね、シヴァ星域会戦では帝国総旗艦ブリュンヒルトに突入するという未曾有の武勲を立て、バーラト自治区成立後は自治区軍陸戦隊司令官となった。そんな偉大な英雄も、今は俺と同じ幹部候補生に過ぎない。

 

「相変わらず一人なんだな」

 

 リンツは爽やかに笑いながら、俺の心を抉ってきた。

 

「ほっとけ」

「まあ、ふてくされるなよ」

 

 リンツは俺の手の平にマフィンを乗せる。早速俺はマフィンを口に入れた。甘みが口の中に広がり、たちまち顔が綻ぶ。

 

「ありがとう」

 

 マフィンを口の中でもぐもぐさせながら、礼を言った。

 

「なに、これまで俺の趣味に付き合ってくれた礼さ」

「お礼なんていいのに。俺の方が礼を言いたいぐらいだよ」

 

 養成所で最も不足しているものは、何と言っても甘味であろう。売店の買い食いは一日二五〇キロカロリー相当までしか認められていなかった。マフィンを一個しか食べられない。これでは死ねと言われているようなものだ。

 

 絶望した俺に手を差し伸べてくれたのは、リンツだった。画家志望の彼が、俺をスケッチする代わりにマフィンをくれたおかげで、死なずに今日まで生き延びられたのだ。

 

「困った時はお互い様ってところだな。エリヤにしか頼めなかったから」

「そんなことはないだろう? リンツならどこにいたって人気者だろう?」

「俺は亡命者だから」

 

 リンツの瞳が暗くなる。俺は言葉を失った。それ以上の説明は必要なかった。

 

 同盟憲章第三条では、「同盟国民は法の下に平等である」と定めているが、往々にして建前と実態は食い違ってくるものである。民主主義国家の自由惑星同盟であっても、社会的弱者や経済的弱者に対する差別は公然と行われている。

 

 最も顕著なのは、帝国からの亡命者に対する差別だった。同盟は君主制に対する民主制の優越を示すため、亡命者を歓迎してきたが、歓迎したら万事うまく行くというものでもない。亡命者が同盟社会に馴染むには、乗り越えなければならない壁がある。

 

 第一の壁は教育だ。帝国の学歴や資格は、同盟で就職する際には通用しない。理工系に限れば帝国と同盟のレベルに大差はなく、帝国から亡命した科学者や技術者は同盟でも通用するのだが、それでも義務教育終了資格を取得するところから始めなければ、中卒相当の学力すら持っていないように扱われる。亡命者に義務付けられた適応教育プログラムを修了すれば、無償で義務教育修了資格を獲得できるが、高校や大学に進む場合は自分で学費を工面しなければならない。結果として亡命者のほとんどは低学歴者となり、事務職や専門職からは排除される。

 

 第二の壁は経済力だ。亡命者の大半は身一つで逃れてくるため、同盟政府から生活費をもらいながら仕事を探すことになるが、帝国での経験をすぐに生かせるのは軍人ぐらいのものだ。どれほど優れた技術があっても、大抵の亡命者が語学力などの問題で資格試験に合格できず、専門職には就けない。そのため、ほとんどの亡命者は、清掃員や皿洗いや飲食店員などの単純労働に従事する。そういった仕事にもありつけずに、公的扶助で暮らすケースも珍しくない。

 

 第三の壁は価値観の違いだ。帝国社会の常識は、同盟社会の非常識である。それが顕著なのは、何と言っても差別問題であろう。男尊女卑、障害者差別、非ゲルマン系に対する差別が制度化されている帝国で生まれ育った者は、何の悪気もなく差別感情を口にする。民主主義の理念が形骸化していると言われる同盟でも、差別発言を快く思う者はさすがに少なく、亡命者イコール差別者というイメージが生まれている。亡命者に染み付いた帝国社会の常識が、トラブルの種となっているのだ。

 

 第四の壁は亡命の動機だ。かつては共和主義者や被差別階級の非ゲルマン系が亡命者の主流だったが、現在は借金や生活難といった経済的事情で亡命してくる者が最も多く、問題を起こして帝国にいられなくなった者がそれに次ぐ。同盟政府は政治犯以外の亡命者も「圧制の犠牲者」とみなして受け入れている。しかし、市民の中には、「自分の都合で逃げてきた奴らを受け入れる必要があるのか」という不満も根強い。

 

 亡命者の所得は同盟市民の平均の六割程度。そして、失業率や公的扶助受給率は平均の二倍。犯罪率も極めて高く、亡命者が多く居住する地域は、概ね犯罪多発地域でもある。同盟で生まれ育った亡命者の子供は、法的には生まれながらの同盟市民とみなされるが、貧困状態から脱することができずに、単純労働者や公的扶助受給者として過ごす者が多い。語弊を承知で言うと、同盟市民が亡命者に抱く一般的なイメージは、「馬鹿な貧乏人」「犯罪者予備軍」「税金泥棒」なのだ。

 

 亡命者に対する法制度上の差別は一切存在しない。亡命者から身を起こして政府高官や高級軍人となった者は少なくないし、上院議長や宇宙艦隊司令長官まで上り詰めた例、ファイフェル一族のように数代がかりで政官界に強力な閨閥を張り巡らせた例もある。この事実をもって、「同盟には亡命者差別は存在しない。彼らが貧しいのは無能で怠け者だからだ」と主張する者もいる。

 

 だが、ごくわずかな成功者の存在をもって、平等の証とするのは強弁が過ぎるというものだ。就職希望者が帝国出身者と名乗っただけで、敬遠する人事担当者は多い。職場で亡命者がトラブルを起こせば、「まあ、あいつは亡命者だからな」と冷ややかに言われる。経営者が労働者を一人解雇する時、候補に上がった者が生まれながらの同盟市民と亡命者ならば、大抵は後者が解雇される。亡命者というだけで、排除や反感の対象となることを差別というのである。

 

 なお、これらの話はすべて社会科学を教えてくれたブラッドジョー中尉の受け売りだ。ヤン・ウェンリーやダスティ・アッテンボローが士官学校時代に設立した秘密組織「有害図書愛好会」のメンバーだった彼は、教官や風紀委員の目を盗んで、体制批判的な本を随分読んだのだという。

 

「ごめん」

「いや、いいんだ。敬遠されても、敬意を払われてるだけマシさ」

「そんなの……」

 

 寂しすぎないか、と言いかけてやめた。「敬意を払われてるだけマシ」という状況を俺は六〇年も味わった。リンツは正しい。

 

「お前さんだってそうじゃないのか?」

「わかるのか?」

「雰囲気でね。俺が住んでたシャンプールの亡命者街には、お前さんみたいな目で人を見てる奴がたくさんいたよ。他人の顔色に一喜一憂し、隙を見せまいとびくびくしてる。そんな目さ」

 

 リンツの暗い瞳は、俺の目を通して心を覗き込む。

 

「この国では自分は所詮よそ者だ。しかし、今さら祖国にも帰れない。嫌われないように心がけよう。波風を立てないようにしよう。隙を見せないようにしよう。奴らの目はそう言っていた」

 

 心を読んでるんじゃないか。そう錯覚してしまうほどに、リンツは俺の心の底を正確に言い当てる。

 

「俺はあんな目をした大人にはなりたくなかった。だから、軍隊に入った」

「そうか、そうだったのか」

「軍隊に入っても、それで終わりじゃ無かったがね。人の顔色を見ない亡命者は、生意気に見えるらしい。武勲を立てれば立てるほど疎まれた。この年で幹部候補生になれたのだって、俺を部隊から追い出したがってた上官の差し金さ」

 

 寂しさと皮肉が入り混じった複雑な表情をリンツは見せる。俺は言葉を失った。

 

「薔薇の騎士連隊に願書を出した」

「薔薇の騎士連隊……」

「ああ、そんな顔はしないでくれ。あの部隊の評判は知っている。『真っ先に突っ込まされる鉄砲玉』、『真っ先に切り捨てられるトカゲの尻尾』、『損耗率は他の陸戦隊の一・五倍』、『歴代連隊長の半数は裏切り者』だってな。まったくひどいもんさ。だが、あの部隊には、他人の顔色に一喜一憂する亡命者も、生意気な亡命者を嫌う上官も、隙を見せない亡命者を敬遠する同級生もいないだろう。今のリューネブルク連隊長は面倒見がいい親分肌と言われてるそうだしな。俺一人の居場所くらいは見つかるだろうよ」

「いや、不安になったわけじゃない。納得したんだ。薔薇の騎士連隊は、きっとリンツの居場所になる。俺が保証する」

 

 彼が求めていたものは薔薇の騎士連隊にある。その確信を伝えるために笑った。笑い慣れてない俺の笑顔は不格好だろう。しかし、どんな言葉よりも笑顔の方が真実だ。イレーシュ大尉は最後の授業でそう教えてくれた。

 

「お前さんも見つかるといいな、人の顔色を見なくても生きられる場所が」

 

 リンツは人好きのする笑顔を見せた。英雄であるかどうかなんて、この笑顔の前ではどうでも良かった。こんな奴が幸せにならない世の中は嘘だ。

 

「見つけるさ」

 

 俺は即答した。この世界には俺に笑いかけてくれる人がいる。だからきっと見つかる。そんな確信があった。

 

「見つけろよ」

 

 リンツは短く力強い言葉とともに右手を差し出した。俺はすかさず握り返す。

 

「また会おうな」

 

 手を強く握り合わせた後、俺とリンツは同時に歩き出した。振り返る必要はない。リンツは自分の場所を薔薇の騎士連隊の中に見つけるだろう。

 

 夢見る時は終わった。エル・ファシルから降り立って三年、たくさん汗をかき、多くの成功と失敗を積み重ねて、笑いかけてくれる人や叱咤激励してくれる人に出会った。八〇年のことは忘れられないが、それでもこの三年で得たものの方こそ信じたいと思う。この世界のどこかにある自分の場所に向かって歩き出す時が来た。

 

「新世界へようこそ」

 

 そんな声が聞こえたような気がした。しかし、俺は歩みを止めない。初夏の真っ青な空の下、ケヤキが生い茂る養成所の構内をひたすら歩き続ける。新世界へと通じる道は、どこまでもどこまでも続く。

 

 宇宙暦七九一年六月一一日、エル・ファシルから始まった夢は終わり、新しい世界がシャンプールから始まった。


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