銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第4話:英雄、故郷に帰る 宇宙暦788年10月~11月 ハイネセンポリス~パラディオン市

 一〇月半ば、国防委員会広報課長クインシー・ワイドボーン宇宙軍大佐に呼び出され、広報活動の終了と広報チームの解散を告げられた。あっという間に英雄になった俺は、あっという間にただの人に戻ってしまった。

 

 エル・ファシルの英雄の賞味期限が切れつつあるのは感じていた。世間の関心は、惑星カルヴナ防衛戦で活躍したシャルディニー中佐という人物に移り、俺とヤン・ウェンリーの出番は減っていった。俺より人気が低いヤンの広報チームは、二週間前に解散していた。

 

「この国の英雄って、一種の流行り物なんだよ」

 

 いろんな英雄の写真を撮ってきたルシエンデス曹長はそう言った。超人的な活躍をした軍人は英雄と呼ばれ、メディアに取り上げられてブームを起こすが、しばらくしたら次の英雄が登場してお払い箱になる。自由な社会においては、軍人ですら娯楽として消費されるのだ。

 

 俺達は国防委員会近くのレストラン「マルチナショナル・フォース」で打ち上げを開いた。このレストランは、同盟全土に展開している大手のチェーンだ。いろんなジャンルの料理を安価で提供することで知られ、良く言えば柔軟、悪く言えば無節操だった。

 

 痩せているのに体重増加を恐れるガウリ軍曹は、ヘルシーなジャパニーズを希望していた。食事にパスタが付いてないと機嫌が悪くなるルシエンデス曹長は、イタリアン以外は嫌だと言った。軍隊式味覚を持つクリスチアン少佐は、塩辛くて脂っこい料理を出す店ならどこでも良かった。俺はマカロニ・アンド・チーズと甘い物があれば、それで幸せだった。この四人が妥協できる店がマルチナショナル・フォースなのだ。

 

「かんぱーい!」

 

 俺達四人はグラスを合わせた。俺は砂糖たっぷりのスウィートティー、ガウリ軍曹はカシスウーロン、ルシエンデス曹長は白ワイン、クリスチアンはウォッカで乾杯をする。

 

「提督にでもなったら、また呼んでくれ。名将に見えるように撮ってやるから」

 

 顔が赤くなっててご機嫌のルシエンデス曹長。ふた口ぐらいしか飲んでないはずなのに。見かけによらず酒に弱い。

 

「俺が提督なんかになれるわけないでしょう。ていうか、職業軍人になるつもりはないですよ。兵役期間が終わったら、故郷に帰って就職します。名誉除隊証書があれば地元では有利だって、父が言ってました」

 

 間髪入れずに否定した。偉くなって歴史を動かすためにやり直したわけじゃない。前の人生で掴めなかった当たり前の幸せを手に入れたいだけだ。

 

「貴官は軍人に向いているのにもったいないな」

 

 強い酒を飲んでいるのにまったく顔色が変わってないクリスチアン少佐が割り込んでくる。彼らしくもないお世辞に少し驚かされる。

 

「そんなことはないでしょう? 体力無いし、頭悪いし、臆病だし、一番向いてない職業だと思ってます」

「貴官は良く飯を食うし、良く眠る。きっと良い軍人になると思うのだがな」

 

 意外な方面からクリスチアン少佐は切り込んできた。しかし、食事や寝付きの良さを人に褒められたのは初めてだ。帰国してからは、親に「無駄飯食い」「恥ずかしげもなく良く眠れるな」と嫌味を言われたものだ。

 

「体力は鍛えれば向上する。頭は勉強すれば良くなる。勇気は訓練と実戦で身に付く。全ての基礎が飯と睡眠だ。つまり貴官は基礎ができている」

 

 冗談のように聞こえたが、クリスチアン少佐の目は本気だ。

 

「どういうことです? 面白そうですねえ」

「私もー。少佐が食事と睡眠が基本って言ってる理由、気になってたんですよー」

 

 ルシエンデス曹長とガウリ軍曹が食いついてきた。まんざらでもないといった様子でクリスチアンは語り始める。

 

「飯を食わなければすぐへたばるだろう? 眠らなくてもやはりすぐへたばる。そんな兵隊が使い物になるか」

「でも、食べないで戦う兵隊や寝ないで戦う兵隊がいい兵隊だって思ってるお偉いさんが多いですよねえ」

 

 ルシエンデス曹長の言葉に、クリスチアン少佐は顔を真っ赤にした。

 

「それは奴らが臆病者だからだ!」

 

 何かのスイッチが入ったらしい。初対面の時と同じだ。

 

「戦場では一瞬の隙が命取りだっ! へたばったら動きが鈍る! 判断が遅れる! 実戦を知らない臆病者にはそれがわからんっ! 飯や睡眠が足りずに生き残れるほど、戦場は甘くない!」

 

 拳をテーブルに叩きつけるクリスチアン少佐。食器が耳触りな音を立て、店員や他の客達はドン引きする。

 

 だが、ルシエンデス曹長とガウリ軍曹は、楽しそうに目を輝かせた。俺もなるほどと思った。単純だけどそれゆえにわかりやすい。もっとこの人から色んな話を聞きたいと思った。

 

「つまり、俺は強い兵隊になる素質があるってことですか?」

「兵隊はもちろん、提督や艦長の素質もある」

「良く飯を食い、よく眠ることがですか?」

「そうだ」

「でも、どっちもあまり体を使わないですよね。頭脳を使う仕事じゃないですか?」

「貴官は腹が減ってるのに集中できるか? 眠らずにまともな判断ができるか? 頭だって体の一部だぞ? 疲れたら鈍る」

「言われてみればそうですね」

「我が軍の士官学校は体育を重視している。学力があっても、体育科目の成績が悪い者はトップになれん。反戦派どもは『旧時代的だ。だから軍人は頭が悪いのだ』などと言うが、そんなのは戯言だ。頭を使うにも体力がいる。疲れやすい体では勉強もはかどらん」

「なるほど、そういうことだったんですね」

 

 目から鱗がぼろぼろと落ちた。俺が読んだ本と言ってることがまったく違うのに、とても筋が通っている。

 

 士官学校で上位を取るには、学科はもちろん、戦闘実技、体育科目、自治活動などでも最高に近い点数を取らなければならない。士官学校時代のヤン・ウェンリーは戦闘実技や体育を苦手としていたせいで上位を取れず、補給の概念を理解できない頭でっかちが首席を取ったため、ヤンの支持者が残した記録をもとに書かれた『レジェンド・オブ・ザ・ギャラクティック・ヒーローズ』なんかでは、士官学校教育はさんざんに非難されている。それを正しいと言うクリスチアン少佐の意見は、とても新鮮だ。

 

「貴官は飯を食う量が多いだけではない。真面目だ。きっと良い軍人になれる。兵役満了が近くなったら、下士官に志願するといい。軍には貴官のような人材が必要だ」

 

 クリスチアン少佐の表情が初めて柔らかくなった。英雄の虚名抜きで俺を評価してくれているのがわかって、ちょっと嬉しくなる。だが、俺の意思は変わらない。

 

「ありがとうございます。でも、やっぱり民間で就職したいですよ」

「軍人は嫌いか?」

「あ、いや、そうじゃなくて。夢だったんです。普通に就職して、結婚して、子供を育てて、年を取っていく。それが夢でした」

 

 言い終えてから、軍隊を愛するクリスチアン少佐を怒らせてしまったかなと思った。しかし、彼の表情は柔らかいままだった。

 

「良い夢だな」

「英雄になんてなりたくなかったんですよ」

 

 俺の目はクリスチアン少佐ではなく、失われた可能性を見ていた。当たり前に働いて、当たり前に結婚し、当たり前に子供を育て、当たり前に年を取り、当たり前に死にたかった。年老いてからは、平凡な家族連れを見るたびに羨ましくなったものだ。この夢の中ならば、失われた可能性に挑戦できる。

 

「そういうことか。貴官なら良き市民になれるだろう。目上を尊敬し、同輩と助け合い、目下を可愛がる。法律を守り、税金を納め、強い子を育てる。そんな当たり前の市民を目指せ。我ら軍人は市民の当たり前を守るためにいる。短い間だったが、貴官とは任務を共にした仲間だ。貴官が軍服を着ていようといまいと、小官にとっては家族だ。小官には、軍人として家族として貴官を守る義務がある。ルシエンデス曹長やガウリ軍曹もそうだ。苦しい時は我らを思いだせ」

 

 クリスチアン少佐の堅苦しいけれど温かい激励に、目頭が熱くなる。

 

「ありがとうございます。お世話になりました」

 

 深々と頭を下げ、これまでの分も含めて礼を言った。

 

「役に立てて何よりだ」

 

 クリスチアン少佐は頷くと、ルシアンデス曹長とガウリ軍曹の方を向いた。

 

「貴官らの言う通りだ。ちゃんと話してみるものだな。骨折り感謝する」

「礼には及びません。あなたとフィリップス君がお互いに苦手意識を持ったままで別れるのもつまらんと思った。それだけです」

「私達もいろいろと勉強させていただきました。ちょっとぐらいお返しさせてください」

 

 クリスチアン少佐とルシエンデス曹長とガウリ軍曹は、顔を見合わせて笑い合った。俺は事情を飲み込めずに目を白黒させる。

 

「苦手意識ってどういうことですか?」

「少佐はこういう人だからね。君と何を話していいかわからなくて困ってたんだよ」

 

 ルシエンデス曹長が俺の疑問に答えてくれた。

 

「どんな敵であろうと恐れない小官だが、味方の英雄は気後れしてしまう。特に貴官は雰囲気があるからな。申し訳ないが、人に見られるのが嫌だと聞いて少し安心した」

 

 苦笑いするクリスチアン少佐を見て、脳内イメージを「意味不明で怖そうだけど、良い人かもしれない」から、「良い人」に上方修正した。

 

 それからはそれぞれの今後の身の振り方についての話になった。広報の仕事に疲れたクリスチアン少佐は、陸戦専科学校への転出願いを出した。ルシアンデス曹長とガウリ軍曹は、シャルディニー中佐を担当することになるらしい。

 

「で、エリヤくんはどうするの?」

 

 すっかりアルコールが回ったガウリ軍曹は、とろんとした目で俺を見る。答えは一つしか無かった。

 

「休暇をとって里帰りします。エル・ファシルを脱出してから、ずっと広報活動でしょう? そろそろ休みたいですよ」

 

 確かに、と三人は笑う。この日をもって、俺はエル・ファシルの英雄から、ただのエリヤ・フィリップスに戻った。

 

 

 

 同盟領中央宙域「メインランド」の外縁部にあるタッシリ星系第四惑星パラスは、豊かな水と多様な生態系を持ち、自由惑星同盟で最も環境に恵まれた惑星の一つだ。東大陸のミケーネ平原には大穀倉地帯「黄金の野原」があり、西大陸の山岳地帯には膨大な天然資源が眠る。工業も盛んで、ハイテク産業地帯「エレクトロニクス・リバー」、金属工業地帯「メタル・ベルト」は義務教育の教科書にも登場する。星民総生産と星民平均所得は同盟でも上位に位置し、経済的にも先進地域とされていた。

 

 俺の故郷パラディオン市は、東大陸で二番目、パラス全体では三番目に大きい都市だ。気候は温暖、空気は透き通り、水は清らか、春の桜と秋の紅葉の美しさは筆舌に尽くしがたい。食べ物は何でも美味しくて、ピーチパイは銀河一である。ケニーズ通りは演劇の七大聖地の一つ。フライングボール全国リーグのパラディオン・レジェンズは、パラディオンっ子の誇りであった。

 

 実家から追い出されたのは、宇宙暦七九八年末のことだった。軍隊にいた時も、貧民街にいた時も、刑務所や麻薬中毒者更生施設にいた時も、救貧院にいた時も、一瞬たりともパラディオンのことを忘れることはなかった。図書館でパラディオンの風景画像を端末で見るたびに、涙を流したものだ。

 

「午前一〇時三四分か」

 

 左腕にはめた腕時計は、客船のハッチが開くまであと一分だと教えてくれた。それにしてもなんと長い一分なのだろうか。ハッチの向こうには、懐かしいパラディオンの街があるというのに、ほんの僅かな時間が俺を阻むのだ。

 

 秒針をじっと凝視し、残り秒数を一秒ずつを頭の中で数える。残りがゼロになった瞬間、ハッチが開き、アナウンスが流れる。

 

「お疲れ様でした。パラディオン宇宙港に到着いたしました。長旅お疲れ様でした」

 

 パラディオンの美しい空が視界に入った途端、歩くのももどかしくなり、ハッチに向かって全力で駆け出した。

 

「お客様! 危ないですよ!」

 

 係員に注意されたが、無視して走り続け、ハッチから飛び出す。

 

 目の前が明るくなった。パラディオンの陽光だ。しっかりと目を見開く。

 

 地面に足が着いた。パラディオンの土だ。足に力を込めて一歩一歩踏みしめながら歩く。

 

 息を大きく吸った。パラディオンの空気だ。肺いっぱいに空気を吸い込む。

 

「帰ってきた! ついに帰ってきたんだ!」

 

 胸が感動でいっぱいになる。長い長い屈辱の時を耐えてきた甲斐があった。全身で故郷を感じながら、ゆっくりと宇宙港のターミナルビルに向かって歩く。

 

 到着ロビーに入り、「エリヤ・フィリップス兵長、おかえりなさい」と書かれた横断幕が見えた瞬間、俺の感動は粉々に打ち砕かれた。とんでもない数の市民が集まり、満面の笑顔を浮かべた五〇代ぐらいの男性がその最前列に立っている。白髪まじりの髪を上品にセットし、高価なスーツに身をまとい、見るからに紳士といった感じだ。

 

「うわ……」

 

 俺の困惑をよそに、紳士風の男性はすたすたと歩み寄ってくる。

 

「フィリップス君おかえり! 君はパラスの誇りだ!」

 

 紳士風の男性がそう叫んで俺を抱擁すると同時に、歓声と拍手が響き渡り、カメラのフラッシュが一斉に焚かれた。故郷でも英雄を続けないといけないのかと思うと、頭がクラクラしてくる。

 

 パラスの惑星行政区知事だという男性に連れられて、惑星政庁で記者会見を開いた後、地元の主要放送局をめぐり、夕方や夜の番組にゲストとして短時間出演した。故郷に帰ってきたことを実感できたのは、テレビ局の休憩室にいたスタッフがみんな両手持ちでパンを食べてるのを見た時くらいのものだった。

 

 最後の出演が終わった後、俺はテレビ局が手配してくれたハイヤーに乗り、実家のあるエクサルヒヤ区へと向かった。四九年ぶりというのに、車窓から見る夜の街は記憶の中そのままで、故郷に帰ってきたという実感が再び湧いてくる。実家に到着したのは、午後一〇時過ぎのことだった。

 

「知事閣下直々のお出迎えなんて凄いなあ! 惑星政庁にも無試験で入れるんじゃないか!? これで就職は心配いらないな!」

 

 父のロニーは酒が回って上機嫌だ。パラディオン市警察に勤務する彼は、警察官らしいがっちりした体格の持ち主で、俺と同じ赤毛だ。最後に会ったのは七九八年の末。あの時は五五歳だったから、七八八年の今は四四歳になる。

 

「英雄ならエリートコースだろ? いいとこのお嬢さんと見合い結婚して、子供は三人か四人、サウスアップル区あたりに一戸建てを建てて、自家用車はウィラント社のセダンだ。そして、局長で定年退職。いや、それは夢を見過ぎか。控えめに課長にしておこう。なあ、母さん、エリヤの未来は明るいぞ!」

 

 勝手に夢を膨らませていく父は、俺が徴兵される前と同じお調子者だった。しかし、捕虜交換で帰った時に、「収容所で死んでれば良かったんだ!」と罵られたことを思い出すと、とても白々しく感じられる。

 

「そんなわけないでしょ。勲章と名誉除隊証書だけじゃ、市警察だって上級職は無理よ」

 

 母のサビナは呆れ顔で父に突っ込む。看護師の彼女は、目鼻立ちが優しく、身長は俺よりも五センチも高く、髪の毛の色は家族の中で唯一の金髪である。最後に会った時は五五歳だったから、今は四三歳になる。

 

「それにしても、エリヤが英雄になるなんてねえ。古参兵にいじめられるんじゃないかって心配してたのに」

 

 遠い目をする母は、俺が徴兵される前と同じ心配性だった。しかし、捕虜交換で帰った時に、ネチネチ嫌味を言われたことを思い出すと、とても白々しく感じられる。

 

「あんた、ホント男前になったよね。英雄になると顔つきまで変わるのかな」

 

 姉のニコールは、真っ白な歯を見せて爽やかに笑う。男前という言葉は、むしろ彼女にこそふさわしい。顔の作りは俺とそっくりと言われるが、俺より七センチ高い長身とシャープな雰囲気、直毛のショートヘアが姉を格好良く見せる。俺の二歳上だから、今は二二歳で、職業は小学校の非常勤教師だ。

 

「有名になっちゃっていろいろと大変だろうけどさ。名前に負けないように頑張りなよ」

 

 俺の肩を強く叩く姉は、俺が徴兵される前と同じしっかり者だった。しかし、捕虜交換で帰った時に、徹底的に無視されたことを思い出すと、とても白々しく感じられる。

 

「クラスでもお兄ちゃん大人気でさー。ちっちゃい頃のアルバム持ってくと、みんな大喜びするのよねー」

 

 妹のアルマは、もたもたと舌足らずに喋る。栄養が行き届いた赤ん坊のような太り方をして、ゆるくウェーブした赤毛はぼさぼさ、顔には化粧っ気が全くなく、背は俺より九センチも高く、可愛げは皆無だ。俺の五歳下だから、今は一五歳。中学の最終学年である。

 

「早く帰ってきてよー。お兄ちゃんいないと寂しいよー」

 

 甘ったるい声を出しながら、両手で持ってマフィンを持って食べる妹は、俺が徴兵される前と同じ甘えん坊で食いしん坊だ。しかし、捕虜交換で帰った時に、「生ごみ」と呼ばれ、消毒スプレーを吹きかけられたことを思い出すと、とても白々しく感じられる。

 

 俺にとことん冷たかった家族が、この場では逃亡者になる前の温かい家族に戻っているのに、嬉しくなるどころか、どんどん気持ちが冷めていく。我慢できなくなった俺は、勢い良く席を立ち、無言で居間から出て行った。

 

「ちょっと、どうしたの? ねえ、エリヤ!?」

 

 慌てる家族の声を無視し、早足で自分の部屋に入った。ドアにロックをかけ、部屋の電気を消すと、ベッドに入って布団を頭からかぶる。パラディオンの一一月は暖かいのに、俺の心は冷えきっていた。

 

 

 

 到着二日目も初日に負けず劣らず大忙しだった。地元放送局の朝の番組にゲストとして呼ばれ、エル・ファシル脱出の苦労話などを聞かれた。中学・高校での一年先輩にあたるらしいルイーザ・ヴァーリモントというローカルタレントと同じ番組に出演した時は、学校の話をいろいろと振られたが、ほとんど記憶がなくて、返答に困ってしまった。

 

 九時からはパラディオン市役所を表敬訪問した。庁舎の外壁には、「英雄エリヤ・フィリップス兵長、凱旋!」と書かれた垂れ幕がぶら下がり、一階のホールは俺を見に来た市民に埋め尽くされている。

 

「平日の昼間なのに……」

 

 すっかり肝を潰してしまい、ぎこちなく笑いながら手を振る。ランドルフ・フィリップス市長から表彰状を受け取り、名誉市民称号を授与され、年間二〇〇〇ディナールの年金や公共施設の無料使用権といった特典を与えられた。ちなみにこの市長は、姓と髪の色が俺と同じで、宇宙軍陸戦隊で活躍した経歴を売りにしていることから、ネットの一部では「エリヤ・フィリップスの父親」と言われているが、血縁関係はまったく無い。

 

 母校のスターリング高校では、一〇〇〇人を超える在校生の前でエル・ファシル脱出作戦の話をした。在校生の純粋な眼差しに胸が痛む。職員室に行くと、教師達が「君には期待していた」「さすがは私の教え子」と口々に言い、握手を求めてきた。彼らのことはほとんど覚えていないが、在校中は勉強もスポーツも出来ない俺に見向きもしなかったと思う。「先生のご指導のおかげです」などと言いつつ、内心ではうんざりしていた。

 

 もう一つの母校シルバーフィールド中学では、在校生と交流会を行い、将来の夢について語り合った。

 

「勇敢な空戦隊員になれるよう頑張ります!」

「辺境惑星の開拓をやるために、大学で農業工学を勉強します!」

「教師になって、フィリップス兵長のような英雄を育てたいです!」

 

 目を輝かせて夢を語る中学生の姿に心が熱くなり、一人一人と手を握って「頑張れ!」と声を掛ける。そんな中、妹のアルマは語れるような夢がないらしく、ひたすら用意された菓子を食い散らかしていた。

 

 夕方からは、市内の高級ホテルで開かれた祝賀会に出席した。華やかな場所には出たくなかったのに、父が勝手に出席を承諾してしまったのである。

 

「あー、わしの孫娘が君のファンでねえ。サインをしてくれんかね」

 

 貫禄のある老人が差し出した名刺には、「国民平和会議下院院内総務 下院議員 ロイヤル・サンフォード タッシリ九区選出」と記されていた。

 

「わ、わかりました!」

 

 きらびやかな肩書きに魂が消し飛んだ。直立不動の姿勢になり、ぎこちない敬語を使って孫娘の名前を聞き出した後に、サイン用紙にペンをすらすらと走らせ、携帯用記憶媒体にメッセージを吹き込み、ひきつった笑いを浮かべながらサンフォード議員と並んでカメラに収まる。

 

 このように偉い人に次々と声を掛けられ、請われるがままにサインに応じ、一緒にカメラに収まり、議員や社長といった偉い人の名刺で財布がいっぱいになった。

 

 地元メディアの出演・取材の依頼も殺到した。お調子者の父が俺に無断で承諾してしまうものだから、休む暇もないほどにスケジュールが詰まってしまう。文句を言おうにも、話が通じるとは思えなくて、言われるがままに引き受けてしまう。体を張って仕事を減らしてくれたクリスチアン少佐が懐かしくなった。

 

 俺の携帯端末には、中学や高校の同級生からの誘いのメールがたくさん来た。六〇年以上も昔の同級生なんて、ほとんど覚えていないし、会ったところで話題もないのだが、無視するのも悪い気がする。迷った挙句、中学の同級生から送られてきた祝賀会の誘いにのみ返信した。

 

 祝賀会の会場は、偶然にも広報チームが打ち上げをした「マルチナショナル・フォース」のチェーン店だった。料理の種類が豊富で値段も安く、若者がパーティーをするには手頃なのだ。

 

 扉を開けると、店の中は笑い声や話し声で溢れかえり、俺の存在なんか必要としていないように思えた。結局のところ、祝賀会なんて彼らが集まる口実にすぎないのだろう。友達の少ない俺にとっては、とても辛い状況であったが、「主役は俺なんだ」と自分に言い聞かせて歯を食いしばり、ゆっくりと足取りを進めていく。

 

「おー、来た来た!」

 

 立ち上がって手を叩いた大男は、フライングボール部のスターだったミロン・ムスクーリ。この男が帰国した俺を「非国民め!」と罵り、大きな拳で殴りつけてきたことを思い出した途端、爽やかな笑顔が作り物のように見えた。

 

「エリヤ、ひさしぶりー」

 

 嬉しそうに手を振る丸顔の女の子は、中学での数少ない友達だったルオ・シュエ。この女が帰国した俺に「二度と連絡しないで」と絶縁を言い渡してきたことを思い出した途端、可愛らしい笑顔が作り物のように見えた。

 

「こっちこっち!」

 

 俺の手を引いてくれたのは、誰にでも別け隔てなく優しかった優等生のフーゴ・ドラープ。この男が帰国した俺に投げつけた氷のような視線を思い出した途端、その気遣いが作り物のように見えた。

 

「顔色悪いな。大丈夫か?」

 

 両手持ちで馬鹿でかいクラブサンドを食べていたムスクーリは、心配そうに俺を見る。

 

「遠慮しないで飲みなよ。エリヤはアルンハイムのビール、好きでしょ?」

 

 ルオが俺のコップにビールを注ぐ。今の俺は酒を飲まない。いや、飲めない。長く苦しい断酒治療の末に酒を断ったからだ。しかし、現実でのルオの冷たい顔を思い出すと断れず、必死に笑顔を作り、苦いだけのビールを無理やり飲み干す。

 

「あのとろいフィリップスが英雄になるなんてなあ」

「エル・ファシルの話を聞かせてくれよ」

「ねえねえ、ヤン少佐って彼女いるの?」

 

 みんなは俺の活躍を褒め称え、エル・ファシルの話を聞きたがった。三〇分ほど必死で説明したが、ついに忍耐の限界に達した。家族とまったく同じだ。俺を白眼視した奴らに何を言われても、白けてしまう。

 

「俺の分はこれで払っといてくれ。お釣りはみんなで分けてくれたらいいから」

 

 俺は立ち上がって一〇〇ディナール紙幣をテーブルに置くと、早歩きで店の出口へと向かう。

 

「やっぱ具合悪いのか? 送ろうか?」

 

 心配そうなドラープの声が聞こえたが、振り返らずに店の外に出て、タクシーをつかまえた。そして、実家へと戻る。

 

 いつものように家族が集まる居間を素通りして、真っ暗な自分の部屋に閉じこもり、ベッドに入った。寝っ転がりながら携帯端末を見ると、祝賀会に出ていた連中から心配するメールが何通も来ていた。嫌な気分になって全部削除し、アドレス帳も初期化した。

 

 帰省から一週間もすると、歓迎ムードは一段落した。自由になった俺は、行きたかった場所に片っ端から行き、食べたかった故郷の味を片っ端から食べた。

 

「なんか味気ないな」

 

 画像で見た時は光り輝いて見えた光景も今は色あせて見える。恋い焦がれた味も今はおいしく感じられない。失望ばかりが積み重なっていく。

 

 今日も予定を切り上げて、早めに実家に帰った。居間を素通りして自分の部屋に入り、電気を消す。故郷に帰っても、安らげる場所はここだけだった。

 

「俺のどこが英雄なんだよ。全然あの時と変わってねーじゃん」

 

 虚空に向かって一人つぶやく。家族とは二日目の朝からほとんど顔を合わせず、事務的な連絡をする時も同じ家にいるのにメールを使う。同級生からのメールは、いつの間にか来なくなった。

 

「あの人達とはもう無理だ」

 

 家族や同級生の顔を見ると、昔のことを思い出してしまう。彼らがどんなに優しい顔をしていても、嘘っぽく見えてしまい、信頼関係を結べるとは思えなかった。故郷は人も含めての故郷だ。それが好きになれなかったら、懐かしい風景も色あせて見える。

 

 結局のところ、とっくの昔に俺は故郷をなくしていた。今回の帰郷は、やり直しただけですべてを無かったことにできるわけではないということを、確認する作業であった。


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