銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第88話:祭りの後は雨模様 801年12月中旬~12月19日 エルビエアベニュー~カフェ「パリ・コミューン」~郊外の墓地

 同盟全土が選挙一色に染まっているように見えた。候補者は街角に立って演説を行い、運動員はビラを配り、宣伝カーは候補者の名前を連呼する。ポスターと立て看板が街を埋め尽くす。テレビと新聞は選挙関連のニュースを流し続ける。事情を知らない人が見れば、同盟市民は選挙のことだけを考えていると錯覚するに違いない。

 

 しかし、こうした盛り上がりは上辺だけだった。市民が関心を寄せる問題については、九か月前の選挙で結論が出た。改選対象議席の九割は野党議席なので、与党が議席を増やすのは確実だ。どうでもいい選挙である。

 

 選挙戦が始まると同時に、市民軍フィーバーは終焉を迎えた。一か月も騒ぎ続けると、めぼしいネタは出尽くしてしまう。賞味期限が切れた話題より退屈な話題の方がましだ。

 

 一二月中旬の休日、俺はハイネセンポリスの都心部に出かけた。一人で外出するのは二か月ぶりとなる。染髪スプレーで髪の色を変え、目にカラーコンタクトをはめ、正体を見破られないように工夫した。

 

「きれいだなあ」

 

 久しぶりに歩く街がとても懐かしく感じられた。人間であふれかえった歩道、真新しい立派な建物、ショーウィンドーに並ぶ色とりどりの商品、しきりに流れるクリスマスソングは、この時期の大都市なら平凡な風景だ。クーデターを乗り越えたおかげで、その平凡さが何物にも代えがたいと思う。

 

 ファッション街「エルビエアベニュー」に足を踏み入れる。最初に来た時は、あまりのおしゃれな空気に恐れを感じたものだ。今は一人で服を選べるし、他人の服選びにアドバイスすることもある。ファッションという分野と俺の性格は相性が良い。イメージを気にする生き物にとって、時と場所をわきまえた服装は必要不可欠な武器だ。

 

 何となしに左隣を向いた。誰もいないことを思い出し、少し寂しい気持ちになる。そこを定位置にしていた人物は、二年前に世を去った。

 

 携帯端末を開き、ダーシャの写真を眺めた。五年前、彼女に服を選んでもらい、一日で二二〇〇ディナールが吹き飛んだ。今となっては良い思い出である。

 

「ジレッティ先生をよろしくお願いします」

 

 明るいオレンジ色のウィンドブレーカーを着た女性が、ビラを差し出してきた。俺は反射的に受け取って目を通す。

 

「治安を守る! 犯罪をなくす! テロと戦う! 安全な社会を作ります!

 

 大衆党下院議員候補 元首都警察公安部長 シルヴェリオ・ジレッティ」

 

 宣伝文句と肩書きは強面っぽい印象だが、顔写真は枯れきった老人だった。どんなに若く見積もっても、八〇歳以下とは思えない。元警察官僚というだけで引っ張り出されたのだろう。クーデター以降、トリューニヒト議長は出身母体の警察への依存を強めている。

 

「あれ?」

 

 女性は不思議そうな表情になった。

 

「どこかでお会いしませんでした?」

「初めてだと思いますが」

「エリヤ・フィリップス提督じゃないですか?」

「違いますよ」

 

 俺は即座に否定したが、内心では焦っていた。髪の色も瞳の色も変えたのに、なぜ見破られたのか。

 

「おかしいなあ。髪と瞳の色は違うけど、どう見てもフィリップス提督なんですよね」

「見間違えじゃないですか? どこにでもいる顔ですから」

「私、一度見た人の顔は絶対に忘れないんです。微妙な違いも一目でわかっちゃいます。数少ない特技でして」

 

 彼女は自分の目に自信があるらしい。一度見た顔を完全に記憶できる能力の持ち主は稀にいる。同盟軍だと、ヤン大将配下のフレデリカ・グリーンヒル代将が有名だ。

 

「どこで見かけたんです?」

 

 俺は質問しながら彼女を観察する。トレーナーには候補者名と党名がプリントされているので、大衆党の運動員なのは間違いない。年齢は二〇歳前後だろう。目がぱっちりしていて可愛らしい顔だが、化粧っけがまったくなく、口紅や眉カットすらしていない。ゆるくウェーブした赤毛は腰まで伸びており、前髪の分け目はきっちり分かれていた。漂白されたような清潔感を感じる。

 

「覚えていませんか?」

「ええ……」

 

 別人だと言い張ることに決めた時、彼女の左手首に目が止まった。地球教の紋章「太陽車輪」のブレスレットが巻かれている。

 

「六年前です。シャンプール基地の近所で、少しだけお話させていただきました」

 

 その一言でわかった。海賊討伐作戦の時に出会った地球教徒だ。エル・ファシルの出身で、困窮したところを地球教団に救われたと言っていた。

 

「本当に覚えていらっしゃらないですか?」

「ああ、エル・ファシルの子か。だいぶ前のことだから忘れていた。本当に申し訳ない」

 

 他人の振りをすることもできたが、良心が許さなかった。エル・ファシル人に対しては負い目がある。

 

「いいですよ。お目にかかれただけでも嬉しいですから」

 

 彼女の笑顔からあふれそうなほどの喜びか伝わってきた。社交辞令の成分は見られない。本当に喜んでくれているのだろう。

 

「ありがとう。今はハイネセンに住んでいるのかな?」

「はい。家族全員でシュガーランド区の区営住宅に入居しました」

「愛国的な地域だね。地球教の信徒もたくさん住んでいるから、住みやすいんじゃないか」

 

 俺は得心したように頷いた。シュガーランドは右翼的地域「褐色のハイネセン」の一部で、クーデターの時は市民軍に味方した。

 

「はい。本当にいい街です」

「仕事は見つかったか?」

「私と父はテイラー・ハミルトン、母はヘンスローに就職しました。姉はずっと前から軍隊にいます。弟は今年から首都警察の警察官です」

「いい仕事を見つけたね。テイラー・ハミルトンといえば、宇宙船業界の最大手だ。他のご家族もみんな愛国的な仕事をしている」

 

 右翼軍人という俺の立場からいえば、彼女の一家の就職先は理想的であった。テイラー・ハミルトンとヘンスローは大手軍需企業、軍隊は国を守る仕事、警察は治安を維持する仕事だ。

 

「信仰の力です。母なる地球が助けてくださったのです」

 

 彼女の目が純粋な光で満たされる。

 

「信じることは何よりも強い」

 

 俺は彼女の言葉を肯定した。半分はポジティブな意味、半分はネガティブな意味である。もっとも、相手はネガティブな意味には気づかなかったようだ。

 

 地球教団は宗教右派団体「愛国宗教者協会」の一員であり、大衆党の支持団体でもある。宗教右派の勢力が強いシュガーランドなら、地球教徒は区営住宅に入居しやすいはずだ。大衆党の口利きがあれば、軍隊・警察・軍需企業への就職には有利だろう。確かに信仰の力である。

 

 彼女は教団の指示で運動員になった可能性が高い。宗教団体が選挙運動に信者を動員するのは、珍しいことではなかった。

 

 もっとも、クーデター前だったら、太陽車輪を付けたままビラを配ったりはしなかっただろう。リベラリストや保守派など「良識ある市民」は、宗教右派の宗教色と右翼色を嫌った。クーデターが「良識ある市民」を失墜させ、政治家と宗教右派の関係を大っぴらにできる世の中を作った。

 

 一瞬、背筋に冷たいものを感じた。宗教右派が勢力を広げたらどうなるのか? 同盟政府と協調できるなら構わない。だが、教団の利益と同盟の国益が常に一致するとは限らないのだ。前の世界では、ローエングラム朝と地球教団が抗争を繰り広げた。この世界でも同じことが起きるかもしれない。

 

 宗教右派の中で最も強力なのは地球教団だ。大勢の退役軍人を動員できる上に、アース・セキュリティサービス(ESS)という強力な傭兵部隊まで抱えていた。大衆党とのコネを利用すれば、軍隊・警察・軍需企業に信者を送り込み、安全保障の根幹に食い込むことができる。フェザーンとの関係を抜きにしても、十分すぎるほどに大きな脅威といえよう。

 

 その他の教団も決して無視できない。十字教贖罪派、楽土教清浄派、美徳教団は、地球教団に次ぐ戦闘力を有する。

 

「どうかしました?」

 

 彼女が心配そうに俺の顔を覗き込む。

 

「いや、なんでもない。心配させてすまなかった」

「悩み事があったら、いつでも教会に来てくださいね。主祭様が相談に乗ってくださいますから」

「信徒でなくても聞いてくれるのか?」

 

 元地球教徒なので答えはわかっているが、知らないふりをして質問する。

 

「もちろんです。人類はみんな地球神テラの子供ですから」

 

 予想通りの答えが返ってきた。

 

「君たちの神様は優しいんだな」

「わかってくださるんですね」

「君の一家を救った神様なんだ。優しいに決まっている」

 

 俺は本音を口にした。神様は優しい。神様を信じる者も優しい。前の人生では、大地神テラとその信者が飯を食わせてくれた。

 

 彼女と別れた後、街を歩きながら考えた。地球教団とは敵対したくないと思う。個人的に恩を感じているし、この世界でも対立する理由はない。だが、同盟に牙をむくことがあれば、戦わざるを得ないだろう。

 

「あるいは……」

 

 怪文書『地球通信』に記された地球教団のマネーロンダリング疑惑。これが事実だったら許すことはできない。

 

 七年前、アルバネーゼ一派とカストロプ公爵の関係を同盟に伝えたのは、主教になったばかりのド=ヴィリエだった。同盟軍に巣食う麻薬マフィアを一掃し、イゼルローンルートを潰すことができたのは、彼の尽力によるところが大きい。だが、地球教団が大手麻薬組織「カメラート」のマネーロンダリングをしていたとなると、話が変わってくる。フェザーンルートを支配するカメラートを潤わせるために、情報を流したとも受け取れるからだ。

 

「仮定を重ねても無意味だな」

 

 俺は地球通信を脳内の奥深くにしまい込んだ。手の込んだ作りだったが、しょせんは怪文書である。アルバネーゼ一派は再建会議に加担していた。地球教のイメージダウンを図るために、カメラートと結びつけた可能性もある。真偽を確認する術がない以上、今のところは事実でないと判断するのがベターだろう。

 

 とりあえずは同盟軍内部における宗教右派の動きに注意することだ。有用な戦力と危険分子は紙一重である。強いのはいいが、強すぎるのは困る。

 

 地下鉄に乗り、ウィナーフィールド駅で降りると、カフェ「パリ・コミューン」へと入った。四年前、友人アンドリュー・フォークから帝国領侵攻作戦の原案を見せられた店である。

 

 九か月ぶりのパリ・コミューンは、相変わらず反戦的な店だった。ドアを開けると、反戦・反独裁市民戦線(AACF)のポスターが目に飛び込んでくる。その横には、パトリック・アッテンボローの新著『エルファシル独立戦争史――ワンディー・プラモートの九四四日』の宣伝ポスターがあった。壁には反戦団体のポスターが隙間なく張られている。バックミュージックはもちろん反戦歌だ。

 

「よう、ちび兄ちゃん。久しぶりじゃないか」

 

 長髪に口髭とあご髭を生やしたマスターが声をかけてきた。

 

「最近は忙しかったもので」

「いろいろあったからなあ。テントウ虫の姉ちゃんやトリプラさんは、パクられちまったし」

 

 マスターは力なく笑った。「テントウ虫の姉ちゃん」はハイネセン記念大学の大学院生、「トリプラさん」はトリプラ星系出身の弁護士で、どちらもこの店の常連客だ。

 

「再建会議の関係ですか?」

「そうなんだよ。再建会議のスタッフになったせいで捕まった。武力行使が決まった瞬間に抜けたんだけどな。一度でも再建会議に入ったら逮捕ってのが権力の方針だ。市民軍に寝返ってりゃ、無罪放免になったんだろうが」

「早く釈放されるといいですね」

 

 本心からそう言った。再建会議とは敵だったが憎しみはない。テントウ虫姉さんやトリプラさんみたいな末端構成員については、逮捕する必要はないと思っている。

 

「ところで今日も列で頼むのか?」

「もちろんです」

 

 俺はメニューが書かれている黒板を見た。

 

「あれ?」

「どうした」

「レべロ先生のポスターはなくなったんですか?」

 

 黒板の脇はジョアン・レベロ議員のポスターの定位置なのに、違うポスターが貼ってある。

 

「あんな奴、先生じゃねえ。クソ右翼だ」

 

 マスターが苦々しげに吐き捨てる。

 

「和解なんてできるわけないだろう。右翼は戦争をしたがってる。人殺しなんだ」

「そうですね」

 

 俺は曖昧な笑いを浮かべる。

 

「フィリップスにたぶらかされたんだ。あいつはルドルフやヒトラーの同類だ。人を洗脳する魔力があるのさ」

「どこにでもいそうな兄ちゃんでしょう」

「物事を軽く見るのがちび兄ちゃんの悪いところだ。敵を憎むのはいいが、舐めちゃいかん」

「そんなに怖そうには見えませんよ」

「ちゃんと考えろ。銀河経済を人質にとって降伏を要求するなんて、並の人間に考え付く策じゃないぞ。オーベルシュタインなんかよりずっと悪辣なマキャベリストだ。一個師団を舌先一つで武装解除するなんて離れ業もやってのけた。フィリップスは本物の怪物だ」

 

 マスターは真剣そのものだった。根っからのリベラリストから見れば、エリヤ・フィリップスは怪物なのだ。その事実を直接確認できただけでも、来た甲斐があった。

 

「気を付けます」

「選挙はAACFに入れてくれよ。フィリップスと市民軍を阻止できる唯一の党だ」

「考えておきます」

 

 マスターとの会話を終えた後、俺は隅っこの席へと歩いて行った。小物なので隅っこの方が落ち着くのだ。

 

 席に着いた俺はバイトを手招きし、黒板の一番左の列を指さした。この列の食べ物を上から下まで全部注文するという意味である。

 

 出てきた食べ物を食べ尽くしたら、今度はバイトを呼んで一つ右の列を指さす。それを食べ尽くしたらもう一つ右の列といった具合に、片っ端から注文していった。パリ・コミューンには「列料金」というのがあり、列で注文して全部食べ尽くすと、その列については一割引きになる。

 

 パリ・コミューンはいい店だった。列料金をやってる店なんて他にはない。エリヤ・フィリップスを英雄だと思っている人間が一人もいないので、ただの「ちび兄ちゃん」でいられる。自分の悪口を言われていても、実像とかけ離れすぎているので気にならなかった。

 

「もう一度、アンドリューと一緒に来たいなあ」

 

 そんなことを思いながら、パリ・コミューンを後にした。のんびりと街を歩きながら駅へと向かう。

 

 ウィナーフィールドの街には、AACFのポスターしかなかった。和解推進運動のポスターは一枚も見かけない。この街のリベラリストが二つのリベラル政党をどう見ているのかがよくわかる。

 

 和解推進運動のレベロ代表は、「普通の人々の信頼を取り戻さなければならない」と語り、右翼とリベラルの和解を訴えた。左右が同意できる「国家存続」という目標を掲げ、そのためには「国内対立の解消」「財政破綻の回避」「対帝国講和の実現」が必要だと述べる。リベラル政党が得意としてきた他党批判や既得権批判は抑えた。改革については、「必要だが今はその時ではない」と述べる。

 

 こうした努力にも関わらず、和解推進運動は伸び悩んだ。右翼に歩み寄ろうとする姿勢が反発を買った。従来の支持者はAACFに流れた。右翼や保守層の心象は良くなったが、彼らは講和論者には投票しない。「政策で勝負する」と言って、市民軍との関係をアピールしなかったので、浮動票を掴めなかった。

 

 資金難も和解推進運動を苦しめた。母体となった四党のうち、楽土教民主連合以外の三党はテロ組織認定を受け、資産を凍結された。支援していた企業・団体は、クーデターに加担して活動停止に追い込まれたり、AACF支持に回ったりした。テレビコマーシャルすら流せない状況だ。

 

 一方、AACFの勢いは凄まじい。他党や既得権を徹底的に批判し、右翼を「馬鹿」「無能者」と罵るスタイルがリベラリストの心を掴んだ。市民軍神話に対する批判、クーデター支持者バッシングに対する批判は、現在の風潮に違和感を持つ人々から共感された。

 

 大衆党はかつての国民平和会議(NPC)のような組織選挙を繰り広げた。軍需企業、宗教右派教団、右翼団体、退役軍人連盟、労働組合が組織ぐるみで大衆党を支援している。派手な公約を次々とぶち上げ、帝国人捕虜一六〇〇万人及び難民五〇〇万人を帝国に送り返すなど、注目を集めるための手を繰り出す。右翼票目当てのリベラル叩きと再建会議叩きにも余念がない。

 

 統一正義党、汎銀河左派ブロックといった反ハイネセン主義政党は、リベラル叩きと再建会議叩きに精を出す。反クーデター闘争の功績でイメージは良くなった。しかし、反資本主義・反フェザーンの主張が災いし、企業献金が集まらない。

 

 NPCの後継組織である民主主義防衛連盟(DDF)も他党批判に力を入れた。右翼を「無学な貧乏人」と蔑み、リベラリストを「夢見がちな理想家」と嘲り、自分たち保守主義者こそが現実的だと誇る。しかし、穏健なハイネセン主義・緩やかな改革・対外積極策という「現実的ハイネセン主義」は、この一〇年間で無効だと証明された政策だ。保守層以外には支持されなかった。

 

 ほんの一か月前、「ウィー・アー・ユナイテッド(我々は一つ)」と叫んだ人々が、亀裂を広げることに熱中している。市民軍の勝利は分断を深めただけではないか。そんな思いを禁じ得ない。祭りの後にはつまらない日常が待っていた。

 

 

 

 一二月一九日、レヴィ・ストークス元宇宙軍中将の葬儀がひっそりと行われた。小雨の中、故人の親族や友人など一五名が最後の別れを告げるために集まった。

 

 出席者の過半数が軍人であるにも関わらず、軍服を着用する者は一人もいない。ストークス元中将は公的には反逆者である。軍人として参列することは許されないのだ。立派な肩書きを持つ者も会葬者名簿に姓名と連絡先のみを記し、私人として参列した。

 

 俺はストークス元中将の墓前にひざまづいた。階級を剥奪されたため、墓石に階級は刻まれていない。

 

「あなたのような名将をよこしてください」

 

 真剣な思いを込めて祈る。帝国の名将と渡り合うには、ストークス元中将と同等かそれ以上の名将が必要なのだ。

 

 立ち上がって後ろを向くと、泣き崩れている少女が視界に入った。ストークス元中将の末娘アシュリン嬢である。

 

「父は『お前の選んだ道ならとことんやり通せ』と言いました。身をもって手本を示してくれたんです」

 

 彼女は劇団員で、軍人一家のストークス家ではただ一人の非軍人だった。役者になりたいと言った時、ストークス元中将は猛反対したが、「最後までやり通す」という条件で認めた。

 

「立派な役者になってください。それが何よりの弔いになります」

 

 俺はアシュリン嬢に優しく笑いかける。

 

「何かあったら我々に相談してくれ。みんなお父上の戦友だからな」

 

 宇宙艦隊副司令長官ルグランジュ大将が力強く励ました。

 

「ありがとうございます」

 

 アシュリン嬢は何度も何度も頭を下げた。両目から大粒の涙がこぼれ、雨とともに地面へと流れ落ちる。

 

 元艦隊参謀長エーリン中将、元B分艦隊司令官ペク中将らも、アシュリン嬢に励ましの言葉をかけた。元D分艦隊司令官ホーランド予備役中将ら星外にいる者は、メッセージを送ってきた。旧第一一艦隊の団結は今も健在だった。艦隊がなくなっても、戦友の絆が消えることはない。

 

 ストークス元中将の妻マリシャ夫人、長男リアン氏、長女キアラ嬢も涙を流して感謝した。よほど嬉しかったのだろう。

 

 クーデター関係者の家族は、激しいバッシングにあっている。自宅にマスコミが押しかけ、近所や職場では白い目で見られるようになり、ネットには誹謗中傷や個人情報が書き込まれた。退職や退学に追い込まれたケースもあった。この世には、「罪人の家族には何をしてもいい」と考える者がいるのだ。ストークス家の苦労は想像に難くない。

 

 葬儀が終わり、俺たちはやりきれない気分で墓地を出た。ストークス元中将がああするしかなかったのは理解できる。それでも、残された者の現実を思うと、複雑な思いに囚われるのである。

 

 墓地の入り口に差し掛かると、十数名の人影が飛び出してきた。カメラのフラッシュが光り、目の前にマイクが次々と突きつけられた。

 

「ストークス容疑者の葬儀に出たんですよね!?」

「旧第一一艦隊の方々は、ストークス容疑者を肯定的に見ている。そう受け取ってよろしいのでしょうか!?」

「これは市民への裏切りですよ! わかっているんですか!?」

「納得のいく説明をお願いします!」

 

 レポーターたちは質問とも糾弾ともとれるような言葉を浴びせてきた。遺族は恐怖で固まり、ルグランジュ大将らの視線に怒気がこもる。

 

「おっしゃる通り、ストークス元中将の葬儀に出席いたしました」

 

 俺は穏やかな表情で答えた。

 

「なぜ反逆者の葬儀に出席なさったんです!?」

「旧第一一艦隊の戦友だからです」

「戦友なら反逆罪も許される! そうおっしゃるのですね!?」

「彼の罪は許されるものではありません。国家への反逆より大きな罪はないですから」

「あなたは反逆者を戦友と呼びました! そして、葬儀にも出ています! 許したということではないのですか!?」

 

 レポーターは「反逆罪を許した」と頭ごなしに決めつけた。

 

「戦友だから許せないのです。彼は道を誤った。旧第一一艦隊隊員の信頼を裏切った。共に戦ってきた者だから許せないんだ」

 

 声の中に「残念だ」「裏切られた」というニュアンスを込める。

 

「本当に残念でたまらないんです。『なぜこんなことをしたのか?』と問いたいんだ。『どうして止められなかったのか?』と悔やんでいるんだ。おわかりいただけませんか?」

 

 俺はレポーターの目をまっすぐに見据える。質問の名を借りた糾弾が止まり、墓地は静けさを取り戻す。完全にこちらのペースになった。

 

「取材熱心なのは結構です。しかし、何事にも限度はあります。遺族や友人まで犯罪者呼ばわりして追い掛け回すというのは、限度を超えていると思いますよ」

「しかし、市民には知る権利があります」

「遺族や友人だって市民でしょう。市民はみんな平等なんです。片方だけが尊重されて、片方だけが尊重されないのは不公平ですよ」

「…………」

 

 レポーターたちは気まずそうに顔を見合わせる。

 

「取材をしたいのなら、喜んでお受けしますよ。心の準備が必要ですので、アポを取ってからにしてくださいね」

 

 俺は爽やかそうに見える笑顔を作り、レポーターたちに連絡用アドレスを記した名刺を配る。

 

「ありがとうございます。お話ししたいことがございましたら、いつでもご連絡ください」

 

 レポーターたちは頭を下げて参列者に名刺を配ると、そそくさと去っていった。

 

「さあ、行きましょうか」

 

 俺は参列者に本物の笑顔を向けると、墓地の外に出て、ルグランジュ大将やエーリン中将とともに地上車に乗り込んだ。

 

「貴官を連れてきてよかった。私なら怒鳴っていたところだ」

 

 ルグランジュ大将が疲れたような顔で息を吐いた。

 

「慣れていますから」

 

 俺は力のない笑いを浮かべる。

 

「ハイエナに付きまとわれるのも、英雄の仕事のうちか」

「付きまとうのがレポーターの仕事です」

「寛大なことだ」

 

 ルグランジュ大将は半ば感心、半ば呆れたといった感じだ。

 

「これがジャーナリズムの自由ですよ」

 

 エーリン中将が横から口をはさんできた。達観したような物言いだが、彼女の手はレポーターからもらった名刺をちぎっている。今は腹を立てる自由を行使しているらしい。

 

「参謀長が怒るのを初めて見た」

「怒っていませんよ。レポーターの名刺をいただけますか? 手持ちがなくなりましたので」

「おう、わかった」

 

 ルグランジュ大将はたじろぎながら名刺を渡す。

 

「相変わらず女性に弱いですね」

 

 俺が冷やかすと、ルグランジュ大将は太い眉をひそめた。

 

「貴官だって弱いだろうが」

「俺は老若男女すべてに弱いですよ。小物ですから」

「さっきの対応は小物らしくなかった」

 

 ルグランジュ大将が真剣な表情に切り替わる。

 

「正直なところ、貴官は来ないと思っていた。空気に逆らうことはできないタイプだからな」

「ストークス提督は戦友ですから」

「他にも理由があるだろう。義理を立てるだけなら、人目につかない方法はあったはずだ」

「…………」

「理由を聞かせてくれんか」

 

 難しい問いであった。常人には理解できない理由だからだ。

 

「言えない理由か? それなら黙っていても構わんぞ」

「申し訳ありません」

 

 真実など説明できるはずがない。別の世界で生きていた時、親しかった人にもそうでない人にも見捨てられた。だから、見捨てられた人の味方になりたかった。今ならすべての人が俺の言葉に耳を傾けるだろうから。

 

「構わんよ。どんな事情があろうとも、貴官は貴官だ」

「ありがとうございます」

 

 俺は心から感謝した。温情がうれしかった。

 

「今の貴官は空気を作る立場だ。トリューニヒトは頭を抱えているんじゃないか。バッシングで点数を稼ぐつもりなのに、身内が邪魔したのだからな」

「トリューニヒト議長ならわかってくださいます」

 

 俺はカバンから一枚の紙を取り出した。多種多様な人々が笑いながら食卓を囲む写真に、「ウィー・アー・ユナイテッド!(我々は一つだ!)」の文字が躍る。大衆党が作った統一補欠選挙のビラである。

 

「市民軍の機嫌取りだろうが」

「本心です。こういう光景を実現したいと思っていらっしゃるのです」

「政治家の綺麗ごとを真に受けるなよ」

「あの方には綺麗ごとを現実にする力があります」

「信じたいのなら止めはせん。トリューニヒトが貴官を信じ続けるとは限らんがな」

 

 ルグランジュ大将は痛いところをついてきた。

 

「信頼関係は強くなっています。一緒に食事をする回数が増えました。以前は半年に一回だったのに、今は週二回です」

「マスコミの前で会食しているのだろう? 選挙前に貴官と親密なところを見せたいだけだ。政治に疎い私でも、その程度は理解できる」

「お役に立てるなら、会食なんていくらでもします」

「プライベートでの誘いは増えたか? 記者のいない場所で会ったか?」

「それは……」

「クーデターが終わってから、トリューニヒトとプライベートで何回会った?」

「一度もありません……」

 

 俺は小さな声で答えた。トリューニヒト議長の信頼は明らかに薄れた。わかっていても受け入れたくない事実だ。

 

「これからどうするんだ?」

「トリューニヒト議長に付いていきますよ」

「そうではない。次の任務だ」

「まだ内示はいただいておりません。イゼルローン総軍か戦略機動総軍あたりだと思いますが」

「統合作戦本部次長ではないのか?」

 

 ルグランジュ大将が首を傾げる。軍の内部では、「ドーソン提督が統合作戦本部長、フィリップス提督が統合作戦本部次長になる」という噂が流れているのだ。

 

「ドーソン提督が願望を言ってるんですよ。統合作戦本部は良識派の巣窟ですからね。気心の知れた人間がいないと不安なんです」

 

 俺は苦笑いを浮かべた。

 

「ドーソン提督とうまくいっているのか。貴官の活躍に嫉妬すると思っていたが」

「最近は『フィリップスのおかげで、私のやり方が正しかったと証明された』とご機嫌です。俺が出る番組は全部録画しているそうですよ」

 

 ドーソン大将のピンと立った口ひげを思い浮かべると、顔が綻んでくる。恩師が喜んでくれることは素直に嬉しい。

 

「あの人らしいな。貴官が感謝する映像を見せびらかすところが、目に浮かぶようだ」

「そんなことはしませんよ」

 

 本当はしているのだが、言わなくていいこともある。

 

「貴官の統合作戦本部次長があり得ないのは分かった。ドーソン提督の手腕と貴官の人望が結びついたら、トリューニヒトの手には負えなくなる」

「議長は統合作戦本部の力を弱めようとしています。ドーソン提督には、弱い本部長でいてもらわないと困るんです」

「せこい男だ」

 

 ルグランジュ大将は軽蔑の色を浮かべた後、何かに気づいたような表情になった。

 

「だったら、貴官を司令官にするのも嫌なんじゃないか? これ以上武勲を立てられたら困るだろう」

「トリューニヒト議長は評判を気にする人です。俺を前線に出す以外の選択はないでしょう。スターが出ない試合は盛り上がりませんから」

 

 ベッカー准将に言われた言葉をぱくった。

 

「確かにそうだ。市民は貴官の活躍を見たがっているからな。昔のアッシュビーや今のヤンと同じだ。ギャラリーを喜ばせるために、激戦地を転々とさせられる」

「俺一人ではどうにもなりません。いい副司令官を付けないと」

「候補はいるのか?」

「ワイドボーン中将、カールセン中将、リサルディ中将です」

「一長一短だな。ワイドボーンは戦略戦術に長けているが統率力がない。カールセンは戦闘に強いが管理能力がない。リサルディは何でもできるが逆境に弱い」

 

 ルグランジュ大将は太い腕を組む。

 

「あなたなら誰を選びます?」

「この三人から選ぶこともないだろう。もっといい人材がいる」

「どなたです?」

 

 俺は聞き逃すまいと耳をそばだてる。

 

「パエッタ提督だ」

 

 ルグランジュ大将は意外な名前を口にした。

 

「超大物じゃないですか!?」

 

 俺は目を丸くした。ジェフリー・パエッタ中将は、宇宙艦隊副司令長官まで務めた人だ。七八〇年代に将官になり、俺が少尉に任官した時点では正規艦隊副司令官だった。あまりにも格が違いすぎる。

 

「今はそうでもない。レグニツァの失敗で評価が暴落した。ラグナロックに参加していないのも大きい。武勲の総量が相対的に少なくなった」

「しかし、大ベテランですし……」

「パエッタ提督は何をやっても超一流だ。指揮能力はウランフ元帥と並び称されたこともある。管理能力はドーソン提督に勝るとも劣らない。このレベルの提督が安く手に入る機会なんて、滅多にあるもんじゃないぞ」

 

 ルグランジュ大将は掘り出し物を扱うセールスマンみたいなことを言う。

 

「だったら、パエッタ提督を司令官にした方が早いでしょう」

「ああいう人はトップに向いていない。あまりに仕事ができすぎる。自分と同水準の仕事を要求するから、上に置くと下が委縮する。頭が良すぎるから、上に置くと下は意見を言えなくなる。結果は出せても部下が育たん」

「わかる気がします」

 

 俺は同じタイプの提督を知っている。ドーソン大将だ。人を引っ張る力はあっても、人を育てることはできない。一から一〇まで指示しないと、動けない部隊になってしまうのだ。

 

「レグニツァは統率で負けた。細かく指導しすぎたせいで、前線の混乱を収拾できなくなった。何でも自分で取り仕切るスタイルは、大軍の司令官には不向きだ。目が届く範囲でしか勝てないからな」

「なるほど。そういう人は副司令官だと座りがいいですね。チェック役に専念してもらえば、完璧主義を活用できる。補佐役として意見を言ってもらえば、頭脳を活用できる。臨時編成の別動隊を指揮させるなら、指揮能力を活用できる。部下を育てるのは司令官がやればいい」

「わかっているではないか」

 

 ルグランジュ大将が満足そうに頷く。

 

「四年も司令官をやっていますからね。頭が悪くても気づきます」

「それは大多数の司令官に失礼だな。貴官ほど部下を使うのがうまい司令官は滅多におらんよ」

「良い部下に恵まれたんです」

「誰の下でも良い部下でいられる人間など、滅多にいないぞ。私の下で駄目だった人間がよその部隊で活躍することもある。逆に私の下で活躍した人間がよそで駄目になることもある」

「ビョルクセン提督は、ヤン提督と離れてから駄目になりましたね」

 

 俺はヤン大将の腹心でありながら、クーデターに加担した人物の名をあげた。

 

「あいつは本当にみっともなかった。態度をころころ変えた挙句に入院だ。ヤンに付いていく以外に能がなかったんだな」

「小物としては親近感を感じます」

「逆に言うと、あの程度の男を使っても勝てるヤンが凄いといえる」

「同意します」

 

 才能がない人も上手に使うのが指揮官の器量である。ヤン大将の器量は並外れていた。

 

「部下の力を引き出すのは上官の仕事だ。貴官ならパエッタ提督の力も引き出せる」

「頑張ってみます」

「パエッタ副司令官、ワイドボーン参謀長なんてどうだ? ワイドボーンは第六次イゼルローン攻防戦で、ローエングラム大元帥を追い詰めた男だ。この二人を従えたら、ローエングラム大元帥とも五分で戦えるぞ」

「今の参謀長を変える気はないですよ」

「チュン・ウー・チェンは副参謀長にすればいい。少将だしな。ワイドボーンの鋭さとチュン・ウー・チェンの柔軟さを組み合わせるのだ。完璧ではないか」

「凄そうですね」

 

 目の前が明るくなったような思いがした。パエッタ副司令官、ワイドボーン参謀長、チュン・ウー・チェン副参謀長の組み合わせなら、帝国のトップクラスと戦えそうな気がしてくる。

 

「私と代わってくれんか。そのメンツを率いてローエングラム大元帥と戦ってみたい」

「馬鹿なことは言わないでくださいよ。あなたは次期宇宙艦隊司令長官なんです。ハイネセンで頑張ってください」

 

 俺は呆れ顔で元上官をなだめる。

 

「司令長官は来年から練度管理専門になるんだぞ。つまらなくてあくびが出そうだ」

「しょうがないでしょう。総軍制が導入されるんですから。指揮は各地の総軍、管理は宇宙艦隊と地上総軍に一元化して、部隊を融通できるようにする。ラグナロックの直後から出ていた話です」

「面倒なことだ」

 

 ルグランジュ大将は、「考えるのも嫌だ」と言いたげな表情になった。根っからの戦闘屋にとって、軍政なんて面倒なだけなのだ。

 

「政治を面倒くさがってはいけませんよ。大将の仕事の七割は政治なんですから」

 

 エーリン中将が上から目線で突っ込みを入れる。

 

「私は大将の器じゃない」

「そんなことはみんな知っています。中将止まりの器なのに、上がいなくなったおかげで繰り上がった。要するに人数合わせの大将ですよ。ヤン大将やビュコック大将を一等大将とすると、あなたは二等大将です」

「はっきり言うなよ。傷つくだろうが」

 

 ルグランジュ大将は憮然となった。

 

「どうして喜ばないんですか? 三等大将よりはましでしょうに」

「あのなあ」

 

 二人の提督が愚にもつかない言い争いをしているのを聞き流し、俺は窓の外を見る。墓地を出た時は小降りだった雨が豪雨に変わっていた。この雨がやんだとしても、同盟を覆う暗雲が晴れることはない。


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